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追悼「石川教張先生」 ←前次→

石川教張上人との仕事「宗定法要式回向文集 現代語訳」
経王寺副住職   
互井 観章
  

 それは、もう十五年以上も前のこと。まだ、声明師になるための勉強をしていた頃の話である。法要の練習の時、導師の役を勤めていた私はいつものように回向を読み上げていた。何も間違えていないはずなのに、ある講師の先生に厳しく注意を受けた。その先生は現在声明導師となられた星野勵温先生である。「君はスラスラと回向文を読んでいるけど、『白業縁起の宝土』が何を意味しているか、分かって読んでいるのか。回向というのはただ読めば良いというものではない」確かに私は何も分からずに読んでいた。回向文だけではない。お経も声明も、当時は何一つ意味も分からずに丸暗記で読み上げていた。星野先生の指摘は、声明師になるとかという問題ではなく、一僧侶としての資質を指摘するものであった。
 そのことがあってから、法要式において意味を考え、内容を勉強するようになった。しかし、回向文だけはなかなか勉強がはかどらなかった。その理由は語句の解釈だった。仏教辞典的な意味だけでは、不十分であり、内容をしっかりと理解するためには仏教学はもちろんのこと、日蓮教学、法華経、御遺文に精通していなければ、手が出せないということに気が付いた。星野・早氷両声明導師も回向文に関しては勧学院の仕事という認識をもたれていたようであり、浅学な自分では理解できず、かといって誰かが教えてくれる訳ではないのですっかり諦めかけていた。
 そんなとき、平成八年に石川教張先生が国書刊行会から『法華回向文抄』という現代語による回向文集を出された。「日蓮聖人のお言葉にもとづき、日蓮聖人の教えに導かれて回向するという視点より作成したものである。生と死の現実の只中で、実際に活かせる“心にひびく回向文”としてまとめたつもりである。」(『法華回向文抄』あとがきより)ひょっとしたら石川先生が、この問題を解決してくれるのではないだろうか。なんとか先生とコンタクトが取れないものかと思っていた。
 ちょうど運良く、東京西部教化センターで教師研修会のテーマを模索していた時だった。教化センター員になったばかりの私は、早速、石川先生の『法華回向文抄』を題材に「現代語による回向とその意味について」という内容の教師研修会を企画し実現することになった。さらには研修会のお土産として石川教張先生による「宗定法要式回向文集 現代語訳」も作成することになった。私には教師研修会に託けてあわよくは、いままでの疑問を一気に解決してしまおうという下心があった。教師研修会は今までになく多数の教師が参加し回向の重要性を再確認した。その後、教化センターが情報誌を発行することになり、その中で、石川先生とともに「宗定法要式回向文集 現代語訳」を続けていくことになった。
 作業は私が語句注釈をして、石川先生が現代語に訳していくという共同作業の形をとった。はじめの頃、先生の生原稿を読むことに四苦八苦していたことも、いまでは思い出となってしまったことを寂しく思う。この仕事を通して石川先生に公私共にお世話になり、先生の私的な勉強会に参加させていただくようになった。『人間日蓮』を書き上げた頃、先生ははっきりと「自分は文章を書くことによる教化を生き方とする」とおっしゃっていた。日蓮聖人のご遺文が現代においてどれだけ重要なものなのかを、ご遺文を研究し尽くしていた先生だからこそ理解していたのだ。先生ほど文章(文字)による教化の重要性を認識していた方もいないと思う。先生は「宗定法要式回向文集 現代語訳」も日蓮宗教師としてこれからの教化活動に不可欠なものとして、最終的には一冊の本にまとめようとお考えになっていた。お亡くなりになる一週間ぐらい前にも先生とその話をしていたが、叶わぬ夢となってしまった。
 先生の訃報を聞いてから、一人、本堂でお経を上げご回向した。「衆生を度せんが為の故に方便して涅槃を現ず・・・」お経を読んでいて急に気が付いた。そうなのだ。いつも分からない事は先生に聞けばいいと思っていた。自分でろくに調べもせず、先生に電話して間いたりしていた。それではダメなんだと先生から言われているような気がした。「互井君、精進しなさいよ」心の真中に先生の声が響く。もう、聞こうと思っても先生はこの世にはいない。これからは自分自身で精進しなければならない。しかし「その心恋慕するに因ってすなわち出でて為に法を説く・・・」なのだ。先生に会いたいと思えば会えるのである。『法華回向文抄』も『人間日蓮』もその文体は石川教張その人そのものなのである。文字の中で先生は生きている。文字を読めばそれは先生の声となって心にひびく。先生の目指した仕事というのは、そういうことなのだと思う。日蓮聖人を恋慕っていた石川先生。日蓮聖人に会いたくて会いたくて、待ちきれなくて急いで行ってしまったのか。今ごろ大好きだった日蓮聖人にお会いして、どんなお話をしていることやら。いつかそのお話を私にも聞かせていただきたい。先生との再会の日を楽しみに私は精進しながら自分の命を生きていこうと思う。
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