立教開宗七五〇年慶讃法要も昨年十一月無事に円成し、その際参加者にお願いしたアンケートも80通程度返信がありました。5通ほど厳しい意見もありましたが、大変好評だったようで、ほとんどがお礼の言葉と「感激いたしました」という言葉で結ばれていました。石川教張先生には申し訳ありませんでしたが、ひそかに心配していた童謡「ふるさと」の合唱も、参加者の8割程度の人が大きく口を開いていたようで、会場の片隅で聞かせていただきました(申し訳ありません、その間担当の部署を離れていました)。私はお経を知らないので、その分大きな声で歌を歌えてうれしかった」、「久しぶりに大声で童謡を歌えて、楽しかった」というアンケートの回答もありました。
ところで童譜「ふるさと」の歌詞。私の記億では二番の出だしは、「いかにおわす 父母」と敬語だったような気がしたのですが、当日のカラオケのスクリーンも、手元の「美しき日本のうた」という本の歌詞も、「いかにいます」となっています。変わったのか、私の記憶違いなのか、どうもスッキリしません。ということで今号の「あんらじゅ」は「童謡」。
「ふるさと」の歌詞を確認するために買った「美しき日本のうた」をパラパラとめくっていると、懐かしさとともに面白い発見もありました。たとえば「てるてる坊主」の三番の歌詞。あの可愛らしい歌が「それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ」という歌詞で終わっていたなんて。「静かな静かな里の秋」で始まる「里の秋」の三番の歌詞も、「ああ父さんよ御無事でと 今夜も母さんと祈ります」で終わっています。昭和二十年の十二月にNHKラジオの「外地引揚同胞の午後」という番組で放送されたという解説に納得。
「蝶々」という歌。歌詞の二番の始めは「おきよおきよ ねぐらのすずめ」。蝶々の歌に雀が紛れ込んでいたなんて知りませんでした。一番の歌詞が野村秋足で二番が稲垣千頴と作詞者が異なっているのを知りこれも少し納得。またこの「蝶々」の一番の歌詞、桜の花の 花から花へ」は、戦前は「桜の花の 栄ゆる御代に」だったそうです。この「御代」という言葉は、「村祭」の三番目の歌詞にも見られ、「年のはじめのためしとて」で始まる「一月一日」の二番の歌詞にも、大正二年までは「始まる御代の今朝の空」とあったそうです。その時代にはまさしく童譜の世界も「御代」だったと言うことか。或いは変更され、或いは記載されず歌われなくなり「御代」も後退していったという事でしょう。
「われは海の子」という歌は歌詞が七番まであります。七番目の歌詞はというと「いで大船を乗り出して われは拾わん海の富 いで軍艦に乗り組みて われは護らん海の国」。有事法制がつぎつぎと生まれ、自衛艦がインド洋へと派遣される時代、時代錯誤のこの七番目の歌詞も陽の目を見る事になるのかも。
まもなく卒業式、入学式の時期を迎えます(二月原稿執筆中)。きっと日の丸、君が代が新聞を賑わす事でしょう。君が代は別にして、「蛍の光」。作詞者不詳というその四番目の歌詞はというと(四番まであったんですネ)、「千島のおくもおきなわも やしまのうちのまもりなり いたらんくににいさおなく つとめよわがせつつがなく」。三番目の歌詞も「ひとえにつくせ国のため」で終わっています。一、二番の歌いなれた歌詞とのギャップに首を捻ってしまいます。「君が代」はダメ、「蛍の光」ならいいという人に、ぜひ紹介してみたくなる歌詞です。
あんらじゅ、今回は大好きな「青葉の笛」を歌いつつ、終わりといたします。
小高 悠紀