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インターネットの電脳空間寺院を散歩しよう
連 載   第 9 回
神蔵 寿観

 行事の二ヶ月前は封筒詰に大忙しだ。大先生達の書いた文章を頂いて行事の案内を作り、コピー機の尻を叩いて多量にコピーをする。コピーをしながら、宛名ラベルを作成し、封筒に貼る。それが終わると寺報折りが始まる。自らを紙折り機と化して紙を折り続ける。紙折り機の後は封筒詰機である。封筒に詰めて封をする。その作業を延々と続ける。早くこの作業から逃れたい為にいろいろとやり方を考える。紙の向き、封筒と寺報の位置、やりやすく、早い方法を考えながらやるのだけど、結局は一日仕事になってしまう。そんな時、ふと思う、これがインターネットだったら、すぐに終わってしまうのに。コンピューターで寺報を作って、メールで送る。寺報さえ出来れば、発送は一時間もかからずに終わってしまう。人の手をわずらわすことなく、一人で出来る。一人で何百、何千の人に自分の書いたものを送る事が出来る。

「一人でできることを、やっていれば間違いない。一人でできることから始めるのが、実は一番近道だ」

 田口ランディ氏のインターネットの可能性について述べた言葉である。田口ランディ氏はインターネットでコラムを書き、有名になった作家であるが、田口氏のインターネットの可能性について、一人でこつこつと情熱を持ってしたことが世界に広がることであるとしている。田口氏のコラムのなかで、糸井重里氏との会談の様子が書いてあるものがある。
 糸井重里氏は「おいしい生活」等のコピーで有名なコピーライターである。最近では「ほぼ日刊イトイ新聞」というホームページを立ち上げ、いろいろな面白い人のコラムを公開している。その糸井重里氏と田口ランディ氏が会って話をすれば、インターネットの話である。そのなかでインターネットの良さは一人で出来る事であるとしている。インターネットによって一人でこつこつやる人が報われる時代になった。一人で出来る事の可能性が拡がったのである。徒党を組まなくても、携帯電話とインターネットがあれば、必要な時に必要な人とだけ繋がれる。だから、一人で、組織に属さなくても、孤立しないで済むようになった。急激な情報化が人をイデオロギーから解放したのだ。
 情熱のある一人が存在すればいい。その一人になればいい。すべてを網羅しなくてもいい。自分が最も好きなことに情熱を傾ければいい。そして、繋がればいい。誰かと同じことをしなくていい。それぞれが一人で、それぞれに頑張れば、一気に世界は面白くなる。
 田口ランディ氏、糸井重里氏共にインターネットに文章を書く事であまり収入を得ていない。様々な副収入はあるようだけど、インターネットに文章を公開する事に対する収入はゼロである。けれど、両氏の書く文章は面白い。もともと文章を生業にしている人なので面白いのは当然なのだが、雑誌等で見かけるものとは違った面白さがある。彼らがネットで書く文章にはいきいきとした面白さがあるのである。これで食っているんだからそれだけのものを書かなきゃ、という意気込みはない。そういうものはない。けれど、こういうこと考えているんだけど、聞いてくれる?という熱い思いがそこにはある。
 資本主義という時代はすべてが金に換算される。物を作って何円かで売る。曲を作って売る。文章を書いて売る。そして供養をして収入を得る。私たちは無意識のうちに全てお金に換算してしまっている。表面できれいごとを言っても、心のどこかで換算している。少なくとも僕はしてしまっている。僕自身それで生活しているのでそのことを否定する気は全くない。ただ、両氏のやっている場所はそこから離れた場所なのだ。
 原初の喜びというものがある。例えば、クレヨンが真っ白な紙を鮮やかな色を描き出す喜び。ピアノの鍵盤を叩いた時、音の出る喜び。誰もが子供の頃、遊びの中で感じていた単純な喜びである。年を経ていくうちに、上手く描くことに囚われ、ついつい忘れがちになってしまう喜びである。求めるレベルが高くなるともいえるけど、つい上手くなる事や他人の評価にとらわれる。幸運にも才能があって好きな事を職業に出来ると、その喜びより、上手く製品にすることが目的となる。
 田口、糸井両氏の目指している場所はその原初の喜びといえる場所なのだ。伝えたい事があって、それを文章にして伝える喜び。一人で感じた事を多くの人に伝える喜びなのである。ありふれた日常の中で生まれた思いを伝える事の出来る喜びなのである。インターネットという世界で情報を発信するということはその喜びが基本にあり、それがなければ発信しつづけることが出来ない。資本主義のどまんなかにいるように見えて、違う位相にいるのがインターネットの世界なのである。

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