前号の摂折論研修記事に関して、松山市在住の清水直之氏よりご意見が寄せられました。御投稿を感謝し、ここに御紹介させて頂きます。
教化センターの皆様、「教化情報第一〇号」有難うございます。「日蓮聖人の摂折観をめぐって」は丁度私が興味を持っている話題でした。「副神4号」で今成師の説は知っていましたが、今回他の諸師の反論を読むことができました。三師それぞれ説得力ある論陣を構えておられて教えられる事が多くありました。
私は口出しするほどの教学的知識はありませんが、いくつか気の付いた事を書かせていただきます。
1、今成師は、十一頁第二段に「むしろ本懐は摂受であるけれども、日蓮聖人の場合は、今日殺されるか明日殺されるかという状況がありますから、どうしても折伏的にせざるをえなかった。」とありますが、これはとんでもない誤認ではないでしょうか。
つまり、日蓮の場合は「念仏無間」などを唱えて、他宗を折伏したために反発をくらい、今日殺されるか、明日殺されるか、という状況になったのですから。
そして、この状況を変える、最も楽なやり方は、「念仏無間」等の折伏を止める事で、そうすれば今日殺されるか、明日殺されるか、という状況はなくなったでしょう。
今成師は「折伏は現代的でなく、イメージが悪い」という考えから、「宗祖も折伏は本意では無かったのだ。」と曲解したかったのだと、私には見えます。
2、記事を読んだ限りでは、開目抄には「常不軽品のごとし」という文は、もともと無かった、と思う方が良いようです。実際、不軽品が折伏だと言う解釈は無理だと思います。
私の私見を書かせていただくと、法師品と勧持品は折伏、安楽行品と不軽品は摂受だと思います。
その理由は、法師品には「若し是の法華経を、未だ聞かず、未だ解せず、未だ修習すること能わずんば当に知るべし。是の人は、阿耨多羅三藐三菩提を去ること尚遠し。」とあり、「法華経を信じなければ成仏できない。」とあります。
勧持品では「諸の無知の人の悪口罵詈等し、及び刀杖を加うる者有らん。」「悪口して顰蹙し、数々擯出せられ」とありますが、次の安楽行品では「及び罵詈する者無く、又怖畏し、刀杖を加えらるる等無く、亦擯出せらるること無けん。」とあり、勧持品と逆です。その理由は、「汝等、道を去ること甚だ遠し‥‥と言うことを得ること無かれ。」「他をして疑悔せしめて汝は仏を得じと云わざれ。」とあり、つまり、法師品で「汝等、悟りから遠し」などと言っていたので、勧持品の「数々擯出せられ」との迫害を受けたのでしょう。それを安楽行品で反省し、「汝は仏を得じ」とは言わないように。そうすれば「擯出せらるること無けん。」と言ったのだと推測できます。
この安楽行品の「汝は仏を得じ、と云わざれ。」を徹底したのが、不軽品の「汝等皆、当に作仏すべきが故に。」なのです。
このように、法師品の「是の人は‥‥菩提を去ること尚遠し」と不軽品の「汝等皆、作仏すべし」はまったく正反対の、逆の態度、逆対応しています。
だから、法師品・勧持品は折伏、安楽行品・不軽品は摂受であり、法華経の歴史、法華経教団の歴史の中で、折伏をして擯出せられ、反省して方法を変え摂受を選んだ、という歴史がうかがえます。
3、以上の私見による考察を踏まえて言わせて頂くと、日蓮聖人が自分を不軽菩薩になぞらえながら、折伏をするというのは、かなりの矛盾を含みます。
しかし、これは、鎌倉時代のあの時点で、法華経が軽んじられている状況では、折伏によって僧と民衆の目を覚まさせ、法華経に注目させる必要がある、と聖人が考えられたからでしょう。
そこで、「摂受折伏二義、任仏説、敢非私曲」とあるように、「摂受と折伏はそれぞれ、ふさわしい時があるんだ。私曲でやっている訳じゃないぞ。」と言ったのではないでしょうか。
そして、二五頁第三段の『寺泊御書』の「今の勧持品は未来不軽品たるべし。」の言葉が生きてくる。
つまり「未来は摂受で流布するのがふさわしい時が来る。その時こそ、不軽の摂受が行われるのだ。」とあるのではないでしょうか。
この『寺泊御書』からも、日蓮聖人自身は不軽品を摂受と考えていた事が判ります。だから、『開目抄』の「常不軽品のごとし」は、やはり後世の別人の加筆でしょう。
4、以上のように、法華経自身に折伏から摂受へ、という歴史があった。それと同じく日蓮聖人も、折伏から摂受へ、という時代の変化を予想しておられたのだと思います。
私の個人的意見では、摂受と折伏は、少なくとも現代の人間を見る限り、人によって変えるべきだと思います。強く叱咤激励することで元気が出る人も居れば、やさしく対することで、元気になる人も居ます。
それぞれ、強い人間には折伏が、弱い又は繊細な人間には摂受が向いていると思います。