ターミナルケアは特殊な医療ではないんです
|
生老病死の現場から 第2回
|
|
花の谷クリニック院長 伊藤真美
|
レポーター 互井観章
|
|
◆出会い
「千葉の千倉という町に、とっても素敵なホスピス病院があって、そこの院長先生がまたとってもいい方なので、是非、互井さんに紹介したい」という話を、前回の土橋さんからいただいたのは今年の初めのことだった。ちょうどその病院で『おもちつき大会』があるというのでお手伝いをかねて遊びに行くことになった。
『1931年、ある登山家がヒマラヤの山中で迷い、数百種類の高山植物が咲き乱れる谷を見つけ、彼はその場所を「花の谷」と名づけた。そこはまた、インド神話の神ハヌマーンが、万病の薬草を探し出した場所として語り伝えられている』という話に由来し、名づけた名前が『花の谷クリニック』。
この病院は、気候温暖で冬から春にかけては沢山の花が咲き乱れる千倉の町の中ほどにある。クリニックの目と鼻の先には房総の海が広がっている。病院というよりは、若い頃よく利用したユースホステルとか酒落たヒュッテのような明るい感じの建物だ。その玄関脇の吹き抜けのホールで、餅つきは行われた。この病院の人達はもちろんのこと他の病院や医療関係者、地元の人、この建物を造った設計士さん、友人、そのまた友人など多種多様な人が集まって、餅つきが行われ楽しく有意義な時問を過ごしてきた。その時、土橋さんから伊藤先生を紹介していただいた。もちつきに忙しく、そのときはゆっくりとお話できなかったのが非常に残念だったので、今回、その時のご縁を生かしホスピスの話や在宅ケアなどのお話を伺うため、伊藤真美先生に再び会いにアクアラインを通って千倉にうかがった。
◆インタビュー
ターミナルケアに宗教はいるの?
─まずはじめに、この花の谷クリニックを開業するにいたるまでの経緯を自己紹介を含めてお聞かせください。
「もともと医者になりたいというよりも、人間に関わる仕事がしたいと思っていましたので、まず身体そのものを勉強するには医学部がいいかなっていうのが始まりです。医学部を卒業して医師の資格が取れたので、せっかくだからということで二年、内科の研修医をやりました。漠然と風邪を治せる医者になりたいと思って内科を選んだんです。その頃、入院患者さんの六割ぐらいがガンで亡くなっていました。そういう状況ですから、自然とガンの患者さんを診ることが多くなったんですが、当時は末期の医療は今よりもずっとお粗末で、あまり重きをおかれていませんでした。そんなこともあって現場にいるうちにターミナルケアということに関心が出てきました。色々迷いながらも、これだけガン患者さんが多いのだからもう少し内科医としてガンの治療ができる勉強がしたい、と思って抗がん剤治療や化学療法などの勉強のため血液内科にしばらくいました。確かに、そこではやりがいはあったのですが、このままでは風邪を治せる医者にも、ガンを治せる医者にもなれないなあと悩んでいて、少し別の世界を見てみようと思ったんです。いったん大学を辞めてインドのアーユルベーダ大学で西洋医学とは別のインド医学を勉強しに行きました。一年経って、医者もやりがいがあるなという気持ちになって、医者としてやっていくならターミナルケアに取り組みたい、風邪から終末期医療まで関われる医者になろうと思って日本に帰ってきました。もともとは静岡出身なのですが、縁があって千葉の鴨川市にある亀田総合病院にいきました。数年そこにいたのですが、小さくてもいいから自分でやりたいことを始めたいという思いが強くなり、その場所を探しはじめました。その頃、だいぶホスピスの病院はできてきてはいたのですが、そういうホスピスに医者として就職することになにか抵抗があったんです。その大きな理由は、ほとんどがキリスト教系のホスピスだったからです。私自身、特に仏教の信仰を意識していることはないのですが、祖父母が亡くなった時には仏教でお葬式をするといった、ごくごく平均的な日本人なんです。だから病院の中にチャペルのあるホスピスというのに、なにか違和感を感じていました。あまり宗教色のない、自分の今までの生活と違和感のないターミナルケアの場所を探していたんですけど、どこにも無かったから、小さくてもいいから自分でやれる範囲でやろうというのが、ここをオープンするきっかけです。それが7年前の95年のことです」
病院だとか在宅だとか分けることないんですよ、同じ医療なんだから
─この『花の谷クリニック』は内科の外来もあるんですね
「始めは内科の診療所としてスタートしました。ここを開業する時に、いくつかのホスピスを見学しましたが、自分としては終末期を診るだけの病院ではなく、もう少し長いスパンで患者さんを診たいという気持ちがあったのです。だから、ここは地域の診療所でありながら終末期にも入れるホスピス病棟もある医療施設にしたいと考えクリニックを開きました。はじめは無床の診療所としてスタートしましたが、二年前に病棟ができました。入院は緩和ケアを中心に、そして、往診・訪問看護を充実させる。この三本立てで、それぞれ同じくらい比重をかけたいと思っています。多くの人がターミナルケアやホスピスを、特殊な医療のように思っているようですが、そうじゃないんです。今日はそれを強調したい。人間は皆、死が来ることが約束されています。誰にでも終末期は来るんです。確かに死因の第一位はガンですが、皆がガンで死ぬわけではないですよね。慢性疾患もあれば老衰もある。そうであるならば、病棟に入院してのホスピスケアがすべての人にとって必要かというと決してそうではなく、病院に入院が必要な人もあれば、自宅の畳の上を望まれ人もいる。両方選択できるような医療サービスを提供できればいいと思っています。それに、すべての人に終末期が来るのだから、その終末期が来る前からそういったことを考えられる場所にしたい。死ということも含めて、そのときまでどういうふうに生きるか、それをどういうふうに支えられるか、そういった情報を提供できる医療機関になりたいと思っています。だからここはホスピスではなく、あくまで『花の谷クリニック』で風邪の人も診れぱ、予後数ケ月という人も診ますというところです。ホスピスの語源は「温かいもてなし」それならばホスピスという場がなくても、病人が日々過ごす病院でも自宅でもそれが成り立たなければいけない。必要なニーズに応えられる形になって、それになんと名前をつけようといいけれど、治る病気の人だけをみる病院ではないということが、この地域の人たちに分かってもらえて利用してもらえればいいと思ってます」
自分の生きてきた延長線上にしか自分の終末期はない
─今年の春に土橋さんにさそわれて、ここの『餅つき大会』に来たんですけど、その他にもコンサートなどもなさっていらっしゃるようですね。しかも地域の人も参加できるようになっているイベントを行っているのには何か理由があるんですか。
「人生の最後、つまり死はすべての人間に共通していますが、一人一人の人間は、皆さまざまな生き方をしてきて、さまざまな人生があり、さまざまな死がある。自分が今まで生きてきた延長線上に自分の終末期があって、その日常と切り離されないところで、終末期ケアを受けたいとみんな思っているわけです。ポンと杜会から隔離されて終末期の人だけが集まるホスピスで最後を遇ごしたいとは誰も思っていないんです。一人一人の日常の延長線上にあって、専門スタッフのケアが受けられる入院医療施設が必要だと思っています。医療というのは病気になった時だけ必要なのではなく、健康について考える、命について考える、そういうものが医療だと思うんです。だから、健康な時にもっと医療に関われるそういう医療機関になりたいというのが『花の谷クリニック』なんです。餅つきやコンサートを通じて、命だとか健康だとか人が生きるだとかということを共に考え、そういうことに関心のある人に利用してもらいたいと思っています」
お坊さんは末期医療の現場に出てこなくてもいい、その前にもっとやることあるでしょう。
─長岡西病院のビハーラのように仏教を取り入れたホスピスをやっているところがありますが、ホスピスの数が増えていく中で仏教系のホスピスが増えていかないのは何故でしょうか?
「日本は『一応仏教徒』が圧倒的に多いのですが、仏教系の団体が経営している病院が少ないからでしょうね。仏教が医療とつながりが強かった時代もあったのでしょうが、現在はキリスト教に比べたら仏教は医療との関わりが少ないですからね。でも、現在80数箇所(2001年4月現在86箇所)にも増えてきたホスピスの病院の中には、キリスト教系の団体を母体としていないホスピスも増えてきています。それはいいことだと思います。日本人って順応しやすいから、ホスピスにはチャペルがあって牧師さんがいるって思っちゃっているのかもしれない。今、スピリチュアルケアって大きくクローズアップされてきてますよね。末期の患者さんは何か支えを求めています。人生の終末期にきてあらためて自分が生きている意味を問い直したい。だからこそスピリチュアルケアの専門家が必要なんだ、という意見が、今圧倒的ですよね。それを誰が担えるかというと、宗教者だと答える人が増えています。世の中の流れがそんなふうになってるんですけれど、それに対して私はちょっと異議ありって思ってます。スピリチュアルケアの専門家が必要だっていうことにも疑問に思う部分は多いし、仮に必要だとしてもそれを担えるのが宗教家っていうことにも疑問があるんです。ただこの話をクリスチャンの人にすると、スピリチュアルケアというのは歴史的に牧師や神父さんが担ってきたんだと言います。だから今の世で、スピリチュアルケアを担えるのはキリスト教系の宗教者だとおっしゃる。なるほどそうかなって思うんですが、それは患者さんが敬虔なクリスチャンだっていう前提の話です。それじゃ、日本では仏教徒が多いからスピリチュアルケアを担えるのは仏教者、つまりお坊さんかというと私はぜんぜん違うと思う。多くの人たちにとってお坊さんって、お葬式とか法事とか、そういうときにしか会えなくて、日常の中にはいない人なんですよ。私のように葬儀があればお坊さんかなって思う『一応仏教徒』の人も、今まで日常の中でお坊さんと話したこともない人がほとんどでしょう。だから、私にとってはお坊さんは日常的にスピリチュアルな部分を担ってきた人だという意識はまったくないんです。それなのに、突然病気になった時に現れても困っちゃうんですよ。同じことが医療についても言えるんです。専門に分かれた狭い枠の中の医療ではなく、もっと大きな、命や健康を支えるための医療を求めていけぱ、医療施設というのももっと変わると思います。今まで私達医療者が、大きな医療施設のなかにあって、患者さんが来るならみますよと言っていたことに限界が出てきている。だから私は始めにもお話したように、地域の診療所であり、緩和医療を含めたターミナルケアができて、なおかつ往診・訪問看護もできるという地域に密着した形で、普段からその人に関わる形の医療というものが大切なのだと考えています。同じように、地域のお寺さんが普段から日常の中で地域の人と関わるお寺であれば、その延長線上にスピリチュアルケアという問題も出てきてもいいのかなって思います。でも今はそれがない。だから末期医療の現場に突然出てこられても困るんです。僭越な言い方になりますが、お坊さんはその前にもっとやることあるでしょう、と言いたい。それは私自身にも返ってくる言葉なんですが、末期医療の現場にと言う前に、地域でのお寺さんの活動やお坊さんのあり方っていうことをしっかり考えて、実践していただきたい。そうやって10年20年して、お寺や仏教やお坊さんが地域の社会や人々と密接に関わった、その延長線上にターミナルケアとしての関わりが出てくればいいと思う。末期の患者さんは、身体的な苦しみのほかに心の苦しみを抱えています。いろんな葛藤を抱えながらこの世を去っていきます。そのときいったい誰が支えになるのでしょうか。ひとりの人間では支えられないような気がします。たとえスピリチュアルケアの専門家であろうと、宗教者であろうとムリなような気がします。人の力では把握できない大きな何か、絶対的な大きな力っていうものを求める気持ちが人間の中にはあるけれど、それはいったい何なのか。それが宗教かって言うと、私は決してそうじゃないと思う。ここまで来ると私の宗教観になっちゃうから、難しいのですけれど・・・。結論は出ないし解決しないなぁ。だいたいスピリチュアルケアって言葉自体あやふやなんです。スピリチュアルって言った時に何をイメージしますか、イメージできないでしょう。辞書的に言えば『霊的』って言うけど、それだってイメージできない。日本語じゃないんですよ。英語圏の人にとってはスピリチュアルという言葉はもうちょっと日常性をもった言葉で具体的なイメージができるらしいけれど、日本人にとってはできない。できないってことは、必要ないとは言わないけれど、あまり問題意識にのぼっていないのだから無理に追求して、答えを出す必要はないと思う。日本語に置き換えてこんなところが今不足しているんだって、具体的にあがってくればそれに取り組めばいいと思うの。だから、スピリチュアルケアをどうするかっていうよりも、末期の人にはそれ以前に『食べること』『トイレに行って排泄すること』『お風呂に入ること』この基本的な3つのことの方が重要なんです。本当に亡くなっていく、自分の身体が衰えていくのを感じている患者さんが要求しているのは、この3つのことを少しでも苦痛なく、援助してもらいたいということなんです。それをさておいて、何か精神的なものを支えてあげたいという思いで、末期になって突然あらわれたスピリチュアルケアの専門家や宗教者の人に「支えになります」って言われても「結構です」といいたくなるでしょう。そんなことより、苦痛なくトイレに行きたい、お風呂に入ってすっきりしたい、それを支えるケアが必要なんです。その上で、心のケアを考えるならば、何気なく必要に応じて生活援助の手を差し伸べられる環境作りをすることが、心のケアに一番大きく近づくことだと思います。患者さんの今までの生活の中でずっと寄り添ってきた宗教家やお坊さんがいるなら呼んで差し上げたい。それを援助して病院にきていただきたい。でも、末期に突然、日常お付き合いのないお坊さんが出てくるのには違和感を感じる。宗教者がいなければホスピスは成り立たないっていうのはおかしいのです。『花の谷クリニック』は日常からかけ離れたものでなく、違和感のない病院にしたいと思っているんです。
◆雑感
目からうろこが落ちる思いである。
そういう内容の話になった。
伊藤先生はかなり忙しいにもかかわらず、私のために時間を割き、言葉を慎重に選びながらお話をしてくださった。
昔からのかかりつけのお医者さんに、もし人生の最後を看取ってもらうことができるなら、それこそが大きな支えなのかもしれない。人は一人で死んでゆく。だからこそ、自分を理解してくれる人に側にいてもらいたいと思うのかもしれない。それが家族であっても、恋人であっても、お医者さんであっても、お坊さんであっても、100パーセント自分を見てくれている人がいることが支えなのかもしれない。かかりつけのお医者さんならぬ、かかりつけのお坊さんになるというのがビハーラ活動なんだろう。そのためには日常的であり地域的でなければならない。気軽に夕飯を食べに行ける檀家がいったい何軒あるのだろう。お医者さんもお坊さんも、人とのかかわりは点ではなく、線なのだ。その線がどれだけ太く、どれだけ長いかってことが最後の最後では支えになるに違いない。
伊藤先生にご馳走になったアジのハンバーグをまた食べに行こうと思う。千倉まではアクアラインを通れば2時間ちょっとで行けるのだから。
プロフィール
|
|---|
伊藤真美 (いとう・まみ)
|
1957年生まれ。信州大学医学部卒。
都立駒込病院科学療法科、自治医科大血液内科での勤務の後、1989年アユルヴェーダ大学(インド)で研修。
1990年カリバリーホスピタルおよびケタリングスローンがんセンター(米国ニューヨーク)で研修。
1991年から亀田総合病院(千葉県鴨川市)血液内科に勤務。1995年に干葉県千倉市に「花の谷クリニック」を開業、現在に至る。
|
|