「摂折」論争 第二弾 今成説の徹底的検証
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日蓮聖人の摂折観をめぐって
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東京西部教化センター主催
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教師研修会報告
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今成元昭 先生
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庵谷行亨 先生
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小野文b 先生
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平成十三年六月二八日
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午後一時半〜六時
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於・新宿 常圓寺祖師堂
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「日蓮聖人の本懐は摂受か、折伏か」──
去る六月二八日、日蓮宗東京西部教化センターでは新宿・常円寺で教師研修会を開き、「日蓮聖人の摂折観」をめぐって第二回目となる論議を行った。
当日は、「日蓮聖人は摂受為本」とする今成元昭師と、伝統宗学の立場から「日蓮聖人は折伏為本」とする庵谷行亨師(立正大学仏教学部教授)を前回に引き続きパネラーとして招き、これに近代日蓮教学を専門とする小野文b師(立正大学文学部講師)が加わり、前回の論議をふまえて最初からパネルディスカッション形式で討議と質疑応答が行われた。
前回の反響もあって参加者には教学、宗教学の有識者も多く、五時間近くにわたった論議は日蓮教学を再考する上で意義あるものだったが、摂受か折伏かの結論をつける場とはならずに、最後に、この摂折論議の決着は日蓮宗教学に関しての最高機関である日蓮宗勧学院において行われるべきとの意見をもって終了した。
今回は討論中心の構成ということもあって、前回のように各パネラーの論旨を個別に報告するのが難しく、また内容が前回の報告と重なる点も多いので、その概要を伝えて、感想を述べることで報告としたい。
なお文末に当日配付した摂受・折伏の語義に関する資料、また今回はじめて独自の摂折観を披露した小野師のレジュメを参考資料として掲載しので、前回の報告と併せて、読者諸氏が「摂折問題」を考える際の参考として頂きたい。
また、パネリストを引き受けて頂いた三人の先生方にはあらためて御礼申し上げます。
長時間にわたる今回の論議は、「摂受本懐論」の今成師と「折伏為本論」の庵谷師に対して、小野師が「摂折妙用論」を述べるという三者三様の展開となったが、その議論の底流にあったのは「折伏と暴力」の問題であったと思う。
まず、論議の基となった今成師の所説を再度確認することから、当日の議論の推移を報告しよう。
報告─論議の概略
今成元昭師の所説は、当日の資料によれば、次のようにまとめられる。
今成元昭師の所説
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【総論】
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| ◎ |
日蓮聖人は、折伏ではなく摂受を行じて正法を弘持することを本懐としており、不軽菩薩の行を折伏とは云っておられない。
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【昭和定本・日蓮聖人遺文」の二二二篇に見られる摂受・折伏】
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| 1、 |
「摂受」「折伏」の語のある五篇と一断簡のうち、宗祖自身の弘教法を示すのは三書のみである。
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| 2、 |
三書の『開目抄』『富木殿御返事』『本尊抄』の選述時期は佐渡期の一カ年ほどに集中している。
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| 3、 |
「摂受」「折伏」の語は、『開目抄』に八回づつ、『富木殿御返事』『本尊抄』に一回づつ、対語として用いられており、一方が偏重されることはない。
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| 4、 |
三書における摂折の語の用例は次の通り。
『開目抄』は、宗祖が安楽行品に背くとの難詰への反論中にみられ、「折伏」もまた是としている。
『富木殿御返事』は、「摂受」「折伏」問題は仏説を忠実に踏まえるべきことを強調している。
『本尊抄』は、「僧」たるものは「摂受」を旨とすべきであると説かれている。
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| ◎ |
日蓮聖人は、四要品の「安楽行品」への背理という汚名を反論するために、「摂折」を論じた。
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| ◎ |
摂受は「調伏の大願」に発するところの「身・命・財を捨てて正法を護持」すべき行儀である。
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| ◎ |
『本尊抄』は「僧」としてのあるべき恒久不変の大義を示し、『開目抄』は「日本国の当世」という限定された時空での布教法について述べている。
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【開目抄に「常不軽品のごとし」の文はない】
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| 1、 |
最も古い日存本、また信頼性の高い本満寺本によると真蹟に該当の文は無かった。
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| 2、 |
宗祖は「不軽」の語を用い、「常不軽」という語は用いられていない。
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| 3、 |
文脈上「常不軽のごとし」の文は不適切である。
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| ▼ |
邪難の反論として「安楽行品」(摂受)と「大経」(折伏)を対比させているので、もし記入するなら「大経のごとし」となる。回答としては「安楽行品のごとし」で済んでいる。
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| ▼ |
「不軽品のごとし」があるのなら、論難を防ぐために引いた釈の中に、「安楽行品」と「不軽品」を対比させた妙楽の十別の釈が引かれていないのはおかしい。
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| ▼ |
短い文章のなかに「安楽行品のごとし」「常不軽品のごとし」「火をこのむがごとし」と、「ごとし」が三つも続くような不整合な文章を日蓮聖人は書かれない。
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この今成氏の所説に対して、庵谷氏は、開目抄の「邪智謗法の者多き時は折伏を前とす」を引き、多くの真蹟遺文において「謗法への呵責・禁断・退治」が不惜身命の弘通とされており、末法の世は謗法者が充満し、その弘通は題目五字の逆縁下種であることから「末法の世は折伏を前とする」こと、また日蓮聖人の謗法者に対する逆縁下種の弘通とは、常不軽菩薩の逆化の弘教と値難による滅罪行を受継いだ自覚に立つものである、として日蓮聖人の弘教は折伏と反論した。
また、真蹟中に「折伏」の語が用いられていなくとも、文脈上「折伏」として解釈できる遺文は数多くあり、開目抄の「常不軽品のごとし」の“常不軽”の用例も、特別な意味を込めて使った可能性もある、と述べた。
「常不軽品」の逆縁下種・値難滅罪をもって日蓮聖人の折伏観とする庵谷氏に対して、今成氏は、聖人の折伏観は通例の折伏観である「涅槃経」の刀杖執持・斬首摧伏であって、不軽行を折伏とはしていない、と反論。その論拠の一つとして、逆縁下種や値難滅罪などは、聖人以前から不軽菩薩の行として天台宗の法文歌や文学書に表れていたことを指摘した。
その文例として「ありかたき法をひろめし聖にそ打みし人も道ひかれる 覚雅法師」(類題法文和歌集)や、「不軽菩薩は五千上慢の悪道に杖木瓦石のおそろしきつゑにうたれながら、うたんとするかたき、うたるる我とともに仏にならんとおぼしめして」(西行物語)、また不軽行の滅罪の功徳を述べた今昔物語集などを示して、不軽菩薩の逆化や滅罪が決して日蓮聖人の独自の法門ではないことを強調した。
一方、小野氏は、「摂受為本」「折伏為本」の両氏の説は宗祖の意に反するとして、「日蓮聖人の本懐は“摂折妙用論”であった」という独自の見解を示した。
開目抄の摂折論の本意は、「摂受・折伏、時によるべし」であり、日蓮聖人の「時」は「末法の初」であって、末法の初においては折伏を面に立て摂受を裏にこめる逆化・下種結縁の不軽菩薩の折伏の時となるが、しかし、仏滅二九五〇年の第六の五百年にあたる当世では、摂受を表に立て折伏の精神で支える不軽の菩薩行で摂引容受する時となる。したがって「末法の初」に対する「末法万年」の不軽行は、摂受・折伏の双方にわたる。この見解は、優陀那院日輝の「不軽の但行礼拝は、衣・座・室の三軌、四安楽行を具足した流通の妙益なり」の解釈に基づく、と述べた。(
資料参照)
こうした三氏の見解に対して、会場から「観心本尊抄の摂折現行段(此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成りて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成りて正法を弘持す)の賢王と僧の二つの働きのうち、摂受を行ずる僧の話しばかりで、折伏を現ずる賢王の問題が論議されていないのではないか」という意見が出された。
この意見は、非暴力的な不軽菩薩のみに焦点を当てていた論議にたいして、武力の行使を認める日蓮聖人の折伏観をふまえた上でその摂折観を論ずべきであるという問題提起となった。
ほかにも「末法とは何かを解かなければ摂折も論じられないのではないか」、また「如説修行抄などの真偽も再考されるべきではないか」という見解や、「近代において伝統仏教全体が宗祖に還ることを是としているが、現代からみると宗祖には危険な天も多くあり、そうしたアプローチ自体も考え直すべきではないか」という意見が出されて、活発な発言と質疑応答が続いた。
この論議の宗門的意義
以上、議論の詳細は伝えにくいため大まかに当日の様子を述べたが、結論が出し難い論争ながら、各師それぞれの見解の相違を通してこの論議の重要性は、ますます明らかになってきたと思う。二回にわたって行なったこの摂折論研修会だが、次に、論争全体を通じて感じた勝手な愚見を述べることで、この報告の補足を試みたいと思う。だが、その前に今成師が興したこの摂折論争の持っている宗門的な意義についてふれておきたい。
今成師の所説は、「聖人が開宗以来、専ら折伏主義に立たれたことは周知のことである。」「折伏立教が本宗の大判であることは論を俟たない。」と述べている『宗義大綱読本』の宗義解釈を明らかに否定している。『宗義大綱読本』が、日蓮宗の公式な宗義解釈を表明した本であることを考えれば、日蓮宗としては『宗義大綱読本』に向けられた今成師の批判を、宗団の教義を乱す異端の説として徹底的に反論し、『宗義大綱読本』の解釈の正当性をあらためて知らしめる必要があるはずだ。しかし、事態は一向にそのようには動いていないようだ。
今成説に対する表立った反論は、宗内においては今回の研修会に御協力頂いた諸師の他は、伊藤瑞叡師の批判(「摂折論の新研究(上)法華学報別冊、など)があるぐらいで、むしろ宗外からの反響と反論の方が多いように思う。「折伏立教が本宗の大判であることは論を俟たない。」とする日蓮宗だから、論外として無視しているのだとしたら、大間違いだろう。立教開宗七五〇年にあたって教学を振興させる絶好の機会を逃すことになる。立教開宗七五〇年のテーマは「誓願」だが、その誓願の中身が教学とは無縁な好き勝手な誓いや願いであっては、何のための立教開宗かわからない。宗祖の三大誓願や四弘誓願という、その誓願の実行と緊密に結びついているのが摂折観であることは、それこそ論を俟たないのではないか。「折伏立教」を否定する今成師の所説に対して、リアクションさえ起せない宗門であってはならない。『宗義大綱読本』の権威を守るためにも、この問題は勧学院において早急に論議されなければならないと思う。それこそが立教開宗七五〇年で行なうべきことではないだろうか。
平成の摂折論争
その現代的意義をさぐる
1 暴力と殉教の間で
さて、今回の日蓮聖人の摂折観をめぐる論議は、教学に疎い筆者にとっては実にいい教学勉強の機会となった。二回の研修を通じて感じたことは、この論議は摂折論を問題にしながら、実は宗教における「暴力論」が問題となっているのではないか、ということだった。
それは、今成師が批判とする折伏規定が、涅槃経で説かれている折伏に限定されていることからきていると思う。涅槃経では正法護持のための武力行使と殉教を肯定しているが、今成師は被害的な殉教よりも加害的な暴力性に折伏の本質を定めていると思う。筆者は今成師が「折伏とは暴力である」と明解に言い切ったところに、今回の問題提起の現代的な意義を感じている。
しかし反論者の多くは、折伏の本質を受難と殉教に見ていて、非暴力でありながらも強いて仏縁を結ぼうとした受難者・不軽菩薩の布教こそ折伏であるとしている。暴力性という観点からいえば両者ともに非暴力の立場に立ちながらも、その折伏観は、暴力と殉教に分かれて交わることがないのだ。だが、暴力と殉教ははたして別々に捉えられるものなのだろうか。
暴力と殉教は、涅槃経においては正法のための戦争を肯定することで連続している。覚徳比丘を護る有徳王の戦死は殉教であり、仙豫国王の斬首は菩薩行である。しかし、暴力を行使するのはあくまで世俗の王であり、僧侶が暴力の主体となることはない。つまり、涅槃経の示す正法護持のための戦いは、正法を説く「僧」と正法を護る「王」とに機能が分かれて一つになっていて、そこでは僧(出家)も王(在家)も一丸となって護るべき正法共同体の維持が問題とされているのだ。開目抄の「摂折現行段」とは、この涅槃経のあり方を摂折の機能分化によって説明したものと考えられる。
一方、釈尊の前生譚である不軽品においての主役は「僧」であり、僧が非暴力であるのは当然であって、そこでは正法を護持する菩薩のための受難・殉教の功徳が説かれている。受難の功徳はカルマ論として説明されており、正法護持のための布教行為の場そのものが、自他ともにもたらすだろう功徳の因果が問題とされている。不軽品にかかわる布教のための重要用語は「転重軽受と値難滅罪」「逆化・逆縁下種」「因謗堕悪必由得益」(
資料参照)など多くあるが、すべて布教者個人と対告者にかかわる因縁果報を説明しているのであって、つまり正法を強いて説く布教行為の功徳が問題とされているのだ。
「強いて」の言葉は、『法華文句』の「釈不軽菩薩品」にある「以大而強毒之」から来ており、経文には無い言葉であって、不軽品全体を通して「故[ことさ]らに往[ゆ]いて礼拝讃歎し」と、瓦石で打擲されると「避け走り遠く住して猶[な]お高声[こうしょう]に唱え」るという描写のみに、「強いて」という姿勢を読み取ることができるだけである。
この「故[ことさ]らに往[ゆ]いて」と「猶[な]お高声[こうしょう]に唱え」が受難の原因であり折伏の根拠とされるのだが、同じく相手に強いる行為とはいえ、涅槃経の「斬首」という攻撃性とは比べようもない。またその内容にしても、涅槃経が共同体=国のレベルでの布教のあり方を問題にしているのに対して、不軽品では個人のレベルでの布教の功徳が説かれているという違いも大きいだろう。
また、不軽品は僧(菩薩)の振舞いを述べたものであり、殺生はもとより暴力は禁じられている。もし「強いて」説くことが折伏であるとするなら、他人の価値観を変える布教伝道は大かれ少なかれ折伏行為になってしまうだろう。折伏を涅槃経的な殺人に及ぶ加害的また被害的暴力に限定するならば、不軽品は摂受である。しかし、不軽品においては摂受と受難は両立する。不軽品に限らず仏教の基本には非暴力があって、日蓮聖人が『立正安国論』において涅槃経の謗法者断命を多く引きながらも「能忍(釈迦)の以後経説は則ち其の施を止む」として、止施を謗法者対策として諫言したのもその表れと見ることもできる。
涅槃経と不軽品の共通点をみるとすれば、正法護持における「法難」、そして「法敵」の存在である。だが不軽品のカルマ論は、法敵さえも成仏の縁を結び、やがて救われるという無敵の布教理論を述べているので、不軽菩薩の対告者を「法敵」とするのは適当ではないかもしれない。つまり、迫害者こそ「因謗堕悪必由得益」の対象であり、「逆化」「逆縁下種」の正機であり、「其罪畢已」の良因となるからである。
不軽品においては敵対的状況は実は表面的であって、正法という絶対浄化の因たよっで、不軽も四衆も各々の犯した罪は最終的に浄められて成仏に近づく。これは、逆化、逆縁下種、値難滅罪の法門である。無敵というのは、予め敵を取り込み救いの対象としている法華経から見ての話しで、端から見れば不軽菩薩にとっての迫害者は敵に他ならない。
「日蓮聖人は折伏」という論者は、この逆化、逆縁下種の布教法を折伏と規定している。逆縁下種とは不軽品から導かれた法門であって、「法を聞いて誹謗すれば、謗法の失によって一度は地獄におちるが、やがて出獄して再び聞法して仏道に入る因縁となることを逆縁という。また本未有善の末法の衆生に初めて法華経を説き示すことを下種という。逆縁への下種の法は必ず南無妙法蓮華経でなければならぬ」(
資料参照)と説明されている。
つまり、末法においての救いとは、強いて正法を誹謗する罪を犯させて、そこで南無妙法蓮華経を下種結縁することにあるのだから、謗法罪(法師にとっては追害)を招き出すための布教法とは、相手に瞋恚[いかり]を生じさせる折伏以外にはない、という理屈になってくる。
しかし今成師は、涅槃経の「斬首」に折伏をみており、逆化や逆縁下種を折伏とすることにはあくまで反論する。だがそれは、逆化や逆縁下種、値難滅罪の法門を否定しているからではない。逆化や値難滅罪は、不軽品の教えとして既に法文歌などにも詠[うた]われてきたもので、不軽菩薩の礼拝行も折伏とは受け取られてこなかった、という見解からである.また、涅槃経の折伏は不軽品の摂受の対極にあって、日蓮聖人の本懐は摂受に他ならないという主張からもきている。非暴力と暴カでいえば、たしかに不軽品と涅槃経は対極的にみえるが、しかし、その内容からは逆に相補的に解釈することもできるのではないか。むしろその事の方が問題なのだが。
2 涅槃経の斬首も救済となる
ここで不軽品のカルマ論から涅槃経をみた場合、涅槃経の「斬首」とは、逆縁下種の救済に他ならないことに気がつくだろう。もちろん涅槃経は不軽品をまたずとも、正法護持のための戦争行為として殺生を含む誠責を肯定しているのだが、その論理は明示されていない。しかし、不軽品のカルマ論を涅槃経に適用することで、はじめて正法護持の為の殺人が、お互いの成仏の善因となることに納得がいくのではないだろうか。この点に限っていえば、不軽品と涅槃経の折伏における無批判な出会いは、オウムのポアにも似た成仏の殺人理論を生み出す危険性もはらんでいるのだといえる。
今成師が、不軽品をあくまで摂受として涅槃経の折伏と切り離すのは、こうした意味合いもあるのではないか。筆者にとって今成師の問題提起の現代的意味とは、実にこの点にある。それは、今成師が宗門の通説(宗義大網)を批判して「日蓮聖人は摂受である」と主張したからこそ明らかになってきた「暴力をめぐる問い」でもある。この問題を意識しなければ、今回の摂折論争は、教学の見直しに至らぬまま平行線の状態のままで終ってしまうと思える。
なぜなら、今成師も、パネラーとして登場頂いた庵谷師も、西條師も、小野師も、それぞれ摂受・折伏あるいは妙用と見解は分かれても、非暴力という点ではみな一致しているからだ。涅槃経の折伏を誰も肯定はしていない。非暴力の受難の不軽菩薩が、摂受か折伏かで論議しているだけで、折伏の暴カとは何か、が問われないのだ。
唯一、会場において摂折現行段の賢王の折伏が論じられていないと発言した西山茂氏(宗教社会学)が、日蓮聖人の教えは涅槃経の折伏を含むこと、つまり非暴力ではありえないということを指摘している。この摂折現行段は、四菩薩が賢王となっては折伏を、僧となっては摂受を行じて正法共同体を弘め護ることが説かれていて、王仏両輸、王仏冥合という国家と宗教の問題にかかわってくる。この摂折現行段で想定されている折伏とは、賢王という国家レベルでの誡責であり暴力の行使である。賢王の折伏をどう考えるか、それは「戦争」を考えることにつながっていく。
武者の世に生きた日蓮聖人にとって、正法を護る涅槃経の折伏は、賢王の為すべき当然の役目として受けとめられたと思われる。『立正安国論』の「止施」も、『撰時抄』の「彼等が頸をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべし」も、王(執権)に対する諫言であり、日本国という正法共同体を護る賢王の行なうべき折伏の勧めにほかならない。こうした宗祖の、国家による謗法誡責の諌言は、アフガニスタンでの戦争報道が続く現在においては決して時代錯誤の言葉とは思えなくなっている。しかし、戦争状態が良いわけではなく、日蓮聖人も正法による安国を願いとしたのであって、聖戦を欲したわけではないと思う。
日蓮聖人の殺生に及ぶ折伏の肯定をどうとらえるのか。立正安国の実現と維持のために王のみに許される特権なのか、万民一同が立ち上がって行なう聖戦なのだろうか。日本国一丸となって一閻浮提に及ぼすべき正法弘通のための折伏なのだろうか。この点が、じつは今回の摂折論研修において論議されるべきであった隠れた論題だったのである。
今成師は、宗祖の折伏は「日本国の当世」(開目抄)という限定された時空においての布教法であったとして、時と場所をはっきり定めた上での戦時教学だったと解釈している。また、小野師は、宗祖の本懐とは摂折の妙用であって、基本は時によるべしだが、逆化折伏の時機は「末法の初」の五五百歳に限定しているとみている。筆者には、両師とも折伏による武力行使の危険性を感じているために、宗祖もまた折伏という暴力的な布教法を限定したのだ、と主張しているように思える。
一方、折伏為本の庵谷師だが、賢王の折伏を「折伏の折伏」としながらもなぜかそれには触れずに、折伏の根拠を不軽品の値難得証の殉教性や逆縁下種のみに限定した解釈を下していて、涅槃経の暴力行使の問題は重視していないように思われる。
しかし、涅槃経ということでいえば、『立正安国論』において涅槃経が多く引用されるのは、問題とされているのが「日本国」という正法共同体での謗法者折伏だからであり、そこには折伏という言葉は一語もなくても、「止施」という国家権力による謗法者の兵糧責めは、王が謗法者を誡責する「折伏」に他ならないのではないか。庵谷師は賢王の武力行使を「折伏の折伏」と認めながらも、その暴力性と向き合うことを避けているように思える。
3 国家の暴カと非暴カの境界
『立正安国論』は、宗祖の摂折用語の初出となる『転重軽受法門』の十一年も前の著作となるが、「法華・涅槃は久遠実成の円仏の実説なり」(守護国家論)と述べる宗祖にとっては、折伏という概念など意議しなくとも、ただ経説に則った見解と行動をしていただけということではないだろうか。『立正安国論』奏上による国家諌暁はきわめて折伏的な布教といえるが、宗祖は折伏とは意議されておられなかったと思う。『立正安国論』の中で説かれる謗法対治にしても、了義経(法華経・涅槃経)の教えに従ってのことで、折伏という文脈で述べているわけではない。
そう考えると、今成師の述べる「宗祖は、龍口法難後の問難に応えるため摂折を気にしだした」という指摘は確かなことに思える。宗祖はすでに行なってきた自らの布教を省みて、摂折の観点から検証されたと見るのが自然だろう。
また今成師は、摂折の語が佐渡法難の一、二年に集中していることから「宗祖は、摂折ということはあまり重視しておられない」と指摘しているが、真蹟によれば宗祖は摂折の用語を慈悲や柔剛や寛厳などと同じ相対的な概念としていて、運用に「時」の認識を含ませたこと以外には絶対的な意味付けをしていないため、その主張は概ね正しいのではないかと思われる。
だから逆に、今成師が折伏を批判して宗祖の本懐を摂受としたことは、自らの指摘を覆すような矛盾をおかすことになるのではないか。だから筆者には、今成師が敢えて宗祖を摂受の側に振って、折伏を否定して見せたように思えるのだ。そのおかげで今回の摂折論の対立の構図が成立したのだが、しかし、やはり宗祖の教えの中から涅槃経の折伏を排除するのは無理があるのではないだろうか。
これはまた折伏論者においても言えることで、下種には強いて薬を呑ませるような折伏行為が必要であるとか、因謗堕悪必由得益や毒鼓の縁などの法門も折伏と結ばれて逆化折伏とされているが、これらの法門ははたして折伏としなければ成立しない教えなのだろうか。一般的な布教においても、末法に限らず異教徒であれば逆縁の機が多いのは当然だと思うし、、最終的に価値観の違いを一つにするのが布教であれば、対応の仕方は剛柔様々になるはずだ。一向に折伏というのもまたあり得ないのではないか。
筆者は、日蓮聖人の摂折観が片方のみを強調することはなかったという今成師の説に賛同するが、宗祖が法華・涅槃経の行者として涅槃経の折伏を積極的に肯定したと考えている。それは、封建時代だったからという限定を越えて、宗祖が「国」という共同体を問題としたからだと思う。国が武力という暴力装置を持つのは、現在にいたるまで当然のことであり、治安から戦争までを可能とするのは武力である。宗祖は、立正安国の実現において王の武力が伴うことは当然と考えていたと思う。しかし、現在その武力は宗祖の時代からは想像もできないほどの破壊力、殺戮力を持っている。地球を何回でも破滅できるほどの武力である。
いま、アメリカという「賢王」が、タリバンという「愚王」を武カで誡責している現在、この摂折論議は抽象的な教義論争ではなく、只今の、切実な布教の問題にほかならない。
以上、勝手な感想を述べましたが、読者諸氏には本号に寄せられた論考も参照して頂き、ぜひこの論議が立教開宗七五〇年に相応しい展開を遂げられるよう、御意見御見解をドシドシと御寄せ頂き、論議の輸を拡げて頂けますようお願い申し上げます。
(文責 澁澤光紀)