日蓮宗 東京西部教化センター
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東京西部教化センター内部研修会
釈尊について

本山日本寺貫首
文学博士
及川真介


パーリー語仏典にあらわれた釈尊をみる

 私は、上座部の仏教、あるいは原始仏教とか南方仏教と呼ばれる方面の研究をやってまいりまして、もうキャリアも長くなりましたが、なおも道は遠く感じられ、とぼとぼ歩いているというのが現状です。今日は、釈尊の生の姿を語って欲しい、との要望をいただきましたが、しかし、生と言っても、資料で浮かび出てくるものでありまして、自分の想像でものを言ってはいけないわけです。
 資料とは、私の研究分野では『阿含経』という資料です。阿含経というのは、漢訳つまり漢語で書かれたものと、パーリ語で書かれたもの、この二つがあります。どちらも元は同じだろうと思います。、阿含とはアーガマですね。アーガマというのは伝承という意味で、昔から今日まで伝えられた、やって来たという意味です。そうした古い経典も読むわけですが、仏滅後(釈尊がお亡くなりになった仏滅年代というの諸説ありますが、だいたい紀元前の四〜三百年と踏めばいいでしょう)から、それから下る事七、八百年頃の年代に「注釈書の時代」というのが到来しました。だいたい五世紀頃です。この頃になると阿含経などの経典類のパーリ語自体がだいぶ変化をしてわからなくなってしまうのです。ちょうど現代の我々が「万葉集」を読んでもわからない、また「枕草子」を読んでも分からない、今の言葉に置き換えてくれないと分からない、というのと同じような事態が生じて来て、たくさんの注釈書が作られて来ました。いろいろな学書が出てきますが、名高いのがブッタ・ゴーサまたはダンマ・パーラという人がいます。そういう方々が多くの注釈書を作ったのです。。私どもはそれらを読んで、古い聖典の解釈をする、という作業をずっとやってきました。私どもがやったのは、スッタニ・パータという作品で、その他にダンマ・パタという作品もありますし、ダーナという作品もあります。それからテーラ・ガータあるいはテーリー・ガータというような作品もあるわけです。それらは、仏教の中では古い資料であると言われています。そういったものを新しく解釈しなおしたものをアッタカターと言いまして、アッタカターでアッタというのが「意味」でカターがそれを語るという意味です。ですから、アッタカターというのは、古い伝承を現代語でわかりやすく解いていくという意味です。それを勉強しているというわけです。
 では、なんでそんな方面の勉強をしてきたのか、ということですが、、本来なら私は日蓮宗の坊さんですので、日蓮聖人の教えを一生懸命勉強しなければならない立場にありますし、日蓮聖人の説かれたことを檀信徒の方々に説いていくことがなければ、日蓮宗の僧侶として飯を食う資格がないわけです。
 しかし、仏教界、私たちの日蓮宗というのを見ますと、あまりにも日蓮宗学に片寄っているというか、教学一本槍であるということです。それであまり他宗のことは知らない。まして、南方仏教や小乗仏教のことは知らないどころかばかにする。あの人たちは、自分の阿羅漢になることばかり考えていて、人々の救済はまったく考えないのではないかというような考えが支配的ですが、果たしてその理解が正しいのかどうか。そういう疑問もあり、宗門の中で一人ぐらいは、本流外の事をする人も必要ではないかというのが、阿含経を読み出した動機になっています。みなさんは法華経をお読みになって一生懸命にやってください、でも一人ぐらいは外道のことも小乗のことも勉強しなければいけないのではないか、という思いに駆られて今日まで研究を続けています。ですから、宗門にとっては傍系というか、余計者なのですが、自負として、いざとなったら役に立つよ、という思いはあります。つまり、ある時には大切な「情報」を出すことが出来る、ということです。
 「情報」というのは重要なものです。私は昭和七年生まれでして、第二次世界大戦の終戦の時は、ちょうど中学一年生でした。そのときに社会が百八十度変わってしまって、日本が負けてしまった。終戦とかいいますけれど、ようは負け戦です。それまでは、日本が勝つと思っていますから、何で負けたのか、というのが自分の気持ちのなかでいつまでも引きずっていることの一つになっています。これはやはり「情報」不足が負けた原因ではなかろうか、と今では思っています。この間、サイパンに慰霊に行って来ました。その時当時使われた大砲や戦車が置いてあって、それはまことに粗末なもので、これでよく戦争をしたなぁと。私が今いる多古町の田舎の耕運機よりずっとうら寂しいような戦車がそのへんに置いてあるので、よくこんなもので戦争をしたという思いに改めて駆られたわけです。その当時、アメリカがどれくらい大きな国で、どれくらい国力があるかということを、日本の人は知らなかった。つまり、情報が欠けていた。これが敗因だろうと私は思います。正確な情報がないという悲劇です。
   ───*───
 今日は釈尊について知りたいということなので、前書いたものが大法輪閣がこの二月に出した本『ブッダ・釈尊とは』に入っておりますので、これをもとにお話しします。「釈尊のお人柄」という題で、阿含経典に描かれている釈尊像を、「みめうるわしき釈尊」「超人的な力をそなえた釈尊」「厳しい〈無情〉な釈尊」という三つの側面から見ていきます。

理想の容貌をもつ厳しく無情な釈尊の姿

 最初は「みめうるわしき釈尊」、これが第一なのです。まずは目で見たときの釈尊。これは、すばらしい方で誰もが惚れ惚れする、ということを最初に書いています。三十二相八十種好といいますが、美丈夫=美しい男の人という特徴を備えておられた。われわれとは違うということが、阿含の経典には随所に出てきます。特に、生まれた時からすばらしかった、と述べられています。
 釈尊は、ルンビニーという所で四月八日にお生まれになった。生まれた時から、黄金のような輝きであったと。それをアシタという仙人が、この人はその当時のカピラという国のシュッドダーナ王の補佐役をやっていた人ですが、赤ちゃんのお釈迦様を見て、はらはらと涙を流すわけです。周りの人が、なにか赤ちゃんに不吉な兆しでも、と訊ねたところ、そうではなく、この素晴らしい赤ちゃんがこれから修行を積み、悟りを開き仏になる時に、私がこの世にいないことが悲しくて泣くのだ、という話が出ています。

厳しく無情な釈尊

 成長して、出家をします。出家をするときの様子というのは、非情な釈尊、情け容赦のない「厳しい〈無情〉な釈尊」のお人柄が表れています。何故かといいますと、釈尊は皇太子なのです。つまりカピラという所の立派な後継ぎで、あの子がこの国をやってくれるということで期待を受けていたのですが、それを裏切って、出家を目標に家を飛び出してしまったのです。このことを伝記では立派な行為をしたととっていますが、いまの卑俗な言葉で言えば、家出をしてしまったのです。しかも、お母様は亡くなられていて、継母でしたが非常に嘆かれていたという経緯があります。ですから、家庭を裏切って捨ててしまった、という情け容赦ないことがあった。これは、我々凡夫がお釈迦様についていけないと思う理由の第一点です。私どもは母や妻や子供も捨てて遊びくらいは行きますが、完全にさようならというわけにはいかないですが、そういうことをなさった。こんなエピソードもあります。
 悟りを開かれたあと、カピラに帰られた時があって、そのときに後の奥さんに後継ぎとなる子供ができまして、ナンタという方ですが、その方の結婚式があり、その結婚式に行って釈迦は彼を連れ出し出家させてしまいます。そのナンタは花嫁さんを迎えたばかりで、その祝いと王様になるのだという式とを同時にやっているその最中に、そこに乗り込んでナンタを引っ張り出して、出家させてしまう。これは異常だと思いますね。私たちの常識からすれば、これは非情である、情け容赦ないと。そういうことをお釈迦様は生涯やりつづけてしまう。
 つまり、お釈迦様は子供がお釈迦様の弟子になったために、泣いた両親がうんといるんです。それでもお釈迦様は平然としているのですから、世間の常識からは計ることができないわけです。
 譬えとして適切でないとは思いますが、今言われているカルトに娘や息子が引き込まれて家庭崩壊になるということが方々で言われて、大きな問題になっています。お釈迦様もそんなことに似たことをやっていたではないかと、そう批難されれば、お釈迦様の場合は、大儀といいますか本当の悟りに引き込んでいったのだからカルトとは違う、ということはできます。
 ただ、例えばナンタの場合は、彼自身が苦しむんです。女房が忘れられないということなのです。ナンタが出て行くときに妻が悲痛な叫び声をあげて、「あなた早くお帰りになってください」と言うのを振り切って行きます。それで、修行するのですが、修行が手につかず、悶々としてしまう。家族の人たちも嘆いて、特に花嫁さんは嘆いただろうと思います。
 ナンタは仕方なしに入っていった例ですが、舎利弗や目連という人は、他の師匠についていたけれども納得がいかないということで、釈迦の教義を聴いてここだということで出家していくので、こういう人たちは喜んで入ります。苦行もいとわないで修行して短期間で悟りを開くという、そういう例もあります。また、ダークラなどは子供で、物心つかないときに連れて行き、訳がわからないまま修行するということがありました。
 このようにいろいろな出家の形態があります。カルトという問題が現在起こっていますが、非情に厳しい修行を嬉々としてやる人もいるわけです。ナーラカなどは、先にふれたアシタ仙人の甥ですが、釈尊からお前は悟りを開きたいのならこれくらいやれと厳しく言われて、糞掃衣というボロ衣をまとって、チョウケンといって今で言う墓場で寝泊りして、絶対に屋根のある所にはいないで一日一食の粗末な食事をするという修行をしなさい、と言われてそれを実行します。この修行を本当に一生懸命する人は寿命は七ヶ月しかなくて、それをずっこけてやる人は七年もつという話で、ナーダカはそれを忠実に実行して七ヶ月で死んでしまうのです。それで、涅槃してしまう。そのナーダカはいやいや修行したのかというと、とんでもなくて一生懸命修行に打ち込み自分の命を七ヶ月にしてしまうという話で、死ぬ間際まで五体投地という地面に額づいて礼拝するほどに釈尊を拝み尊崇し、喜んで涅槃したということです。
 そういうのを読むと、私などは怖い気がします。どこがナーダカを引きつけたのか。どうしてやる気にさせたのかという面が、何か今のカルトと共通しているというか、一脈通じるものがあるのかということを思ったりしています。カルトのことはよく分かりませんので、何とも言えませんがそういうことがあります。

理屈ぬきの魅力

 阿含の経典では、釈尊は立派な方として描かれています。では、一般の信者さんが釈尊の信者になるのは、お釈迦様の教理・行法、つまり四諦とか十二因縁とか八正道とか三法印とかの立派な教えを理解して信者になるのかというと、それは違います。皆んな、お釈迦様の見目麗しいお顔やお姿を見て、信仰に入ります。また、法を説いている声で、その声が魂に響くような音色で、それに惹かれていくというのがほとんどなんです。つまり釈尊のそういった身体的なすばらしさがものをいってしまうのです。だいたいがそうで、第一印象が、あの人はすばらしい人だな、ということで、だんだんと信仰にいくと。釈尊という方はそういう方だったようです。人並み外れた見目麗しさを感じさせる方です。ですから、我々が真似をしようとしても真似のできない人だったということです。
 ここに一つの例があります。『吉祥経』というお経の注釈の中にこういう話があります。スマナという名前(スというのは良い、マナというのは心ですから、気のいいということでしょうか)の花屋さんがいまして、王様から注文を受けて花束を抱えて王宮に行く途中に、お釈迦様に出会ってしまいます。そこでお釈迦様のお姿を見て、惚れ惚れしてしまいます。そこで、王様にこの花を持っていけばお金を払ってもらうのであろうけれども、それは現世的な楽でしかない、この花をお釈迦様に供養すれば来世までも果報にあずかれるのではないかと、その瞬間に思って、その花を全部お釈迦様に差し上げてしまいます。そうしたら、その花が空中を飛んで、お釈迦様の上で天蓋になったということが書いてあります。お釈迦様はその花に囲まれて、微笑みをスマナに表してくださったと。仏教的には微笑(みしょう)といいますが、そうしてにこっと笑ってくださっただけで、スマラは天にも昇る気持ちになったということです。
 その時に大事なのは、スマナは王様との約束を破ったという事です。王様に花を届ける花屋さんが届けないわけですから、どういうことが待ち受けているかというと、捕まって刑罰を受けるということです。どんな刑罰か、叩かれるか罰金を受けるかわかりませんが、そういう刑罰の怖さをスマナはすっかり忘れているということです。そして、お釈迦様に全部あげるということをやってしまった。それをやらしめたものは、お釈迦様の説法ではなくて、お姿を見ただけでそうなってしまった。お釈迦様はそのとき一言も喋っていないのですから。それだけお釈迦様に魅力があったということです。あとで起こる刑罰の恐ろしさを忘れさせてしまった、という例でスマナの話を出しました。
 そのようなお姿をなさって、しかもお声も心に染み入るようなお声で、それはふつう梵音と言いますが、清らかで深みのあるお声をしておられたのだろうと思います。ですから、お釈迦様は遊行というかお説教の旅をされますが、そうすることで信者さんが増えて、同時に穀物がお釈迦様の所に集まってしまうということが生じます。その為に他の宗教者に恨まれることになります。当時は六師外道といって、バラモン教の他にもジャイナ教などの新興の教団があり、教団内部にもデーバダッタという反逆者が出てきて、けっして信者が増えてご安泰というわけにはいかずに、さまざまな災難がふりかかってきます。
 例えば一番怖いのは人のうわさです。釈尊の教団を逆恨みする宗教者たちは「お釈迦様はあのように偉そうなことを言っても、供養の品をうんと集めている」とか、「あいつは女ったらしだとか」とかの嘘の噂を流します。実際、かわいい女の子チンチャを孕ましたという噂を流して、「見てみろ、チンチャのおなかが膨らんできたじゃないか」と。その子にお腹に詰め物をさせて舎衛城の周りをうろうろさせて、その噂が広まったところでチンチャを外道が殺してしまうということまでやる。お釈迦様はそれに対して、「お釈迦様、巷では悪いうわさが広まっていますがどうしますか」と言うと「そういうものは事実ではないのだから、いずれ収まる」と言って、黙って抗議もしないままでいます。結局、当時の警察の捜査によって、外道が仕掛けた罠だということが分かりますが。
 提婆達多(デーバダッタ)という方が釈尊に反逆して別の一派を立てるということなどは、皆さんがよくご存知だと思いますので、ここでは省きます。デーバダッタが山の上から大きな石を落として殺そうとしたり、象にお酒を飲ませてお釈迦様に突っ込ませたりという話もあります。そのたびに、お釈迦様の正しさが証明されるということで、お釈迦様の仏教が栄えるという状況だったと思います。
 ただ、当時は汽車や飛行機があったわけではありませんから、今たどれるお釈迦様の足跡はそんなに広くないと思います。ガンジス川の流域と思っていただければいいのですが、マガダという国の王舎城という所を中心として、どういうわけか、東の方にはあまり行っていないのです。西へ、西へと伸びていっています。どうしてそうなったのかと思いますが、東の方がバングラデッシュの方向になりますが、気候風土もあまりよくないですし、当時もあまり開けた所ではなかったという事情もあったのではないかと思います。同時に、アーリア民族は西の方から入ってきていて、アフガニスタン、パキスタンという所からインダス川を渡って入っていますから、先祖が入ってきた道というのは文明がある程度発達した所で、親戚もいるだろうし、なじみもあったということで、それをさかのぼったということもあるでしょう。ともあれ、西へ西へと仏教は発展していったと思って差し支えないと思います。西で言いますと、ボンベイが西のほうになります。また、北の方にも行ったようです。ギリシャとの接触というのが、仏像の研究でも話題になりますが、ガンダーラ美術というのは西の方です。バーミアンの仏像破壊の地も西の方です。ギリシャ文明というのは西から入ってきたのです。
 私もバーミアンの大仏をお参りしたことがありますが、大きな大仏さんで五二メートルかで、こちら側には三二〜三メートルほどの大仏がありますが、それを拝んでいると感無量で三〇分も拝んでいた憶えがあります。そのときもすでに、顔がすぱっと切られていて、手もなかったかな。それで向こうの人に、「よくあんな高い所に上って切りましたね」と聞きましたら、「あれは仏教徒にやらせたのです」と言われて、イスラムの人はそんなにむごいことをやるのかと。仏教では怒ってはいけないということがありますが、怒りに似た思いがしました。ガンダーラ遺跡はずいぶん回りましたが、みなやられています。特に首をすぱっと落としてしまう。頭のない仏様がごろごろしていて、そういうのを見るとほんとうに残念です。こんどはそれも壊したということですから、どんな人たちなのかと思います。

ついていけない釈尊の超人性

 話が横道にそれましたが、私たちは経典を読んでいてついていけないことがあるのです。このあいだ茂田井先生が書かれた『仏の心と人の心』という本を読みまして、これは人間の心はどういうものかが書いてある本ですが、最晩年の著作だと思います。平成四年に出ていますから、この年には私の父が亡くなり、そのお通夜に茂田井先生がきてくださったのですが、お身体が大儀そうでしたから。この本の中で、経典の読み方を茂田井先生が書かれていて、我々が法華経を読むにしても阿含経を読むにしても、分からない、ついていけない場面がたくさんあるんです。
 ついていけない、と我々はつい考えてしまうのですが、その点について、茂田井先生は、もう晩年のこの歳になって初めて、経典を素直にそのまま読むということが一番大事だということをおっしゃっている。経典を疑って読むなということなのです。それがこの歳になって初めてわかったと。ちょっと読ませていただきます。
 「日蓮という人は、非常に正直な人です。私は長い間日蓮の御遺文を読んでおりまして、日蓮という人は正直の上にばかがつきはしないかというくらい正直な人だと思う。つまり、お経にあります言葉をそのまま素直に受け止めてしまう、そういう素直な心というものが私このごろ少しずつわかってまいりました。これでなければ、自分の祖師がわからないのだなあと、ようやく今になって気付いてまいりました」と書かれています。
 この所が私にはわからない。そう言われても、まだ茂田井先生の心境になれないのです。ついていけない例を阿含のほうに求めていきますと、超人的な力を備えた釈尊というのが、阿含経には数多く表れています。
 超人的な力は示すエピソードとしては、ウルヴェーラ・カッサパ(優楼頻螺迦葉)の拝火堂では猛毒の大蛇が出てきて釈尊を噛み殺そうとしたが、慈しみの心で大蛇をおとなしくしてしまったとか、デーバダッタが凶暴な酔った象を突進させたところ、お釈迦様の前ですっとおとなしくなったとかがあります。また、我々が読んでいた『アーラヴァカ夜叉経』の注釈にはアーラヴァカという夜叉がカイラーシャ(須弥山ともいわれている)の頂きに立って、お釈迦様をやっつけようと嵐を起こし、嵐が山や家を壊して吹いてくるのですが、釈尊がアジッターナ(加持力という)をくわえると、たちまちやんでしまう。「十力」といって釈尊は十の優れた知恵の力をもっているといわれ、その十力にかかると敵は無力になってしまうということなのです。
 次にヴァンギーサという修行者の話ですが、ヴァンギーサは不思議な通力をもっていて、墓場から骸骨を持ってこさせ、骸骨の頭を叩くと、この人は死んで地獄にいるとか天国にいるとか、死んだ人の行き先をあてる特殊能力があって評判になっていました。その人が舎衛城の祇陀林にいる釈尊を訪ねてきました。、釈尊は、漏尽者(阿羅漢ということで悟りを開いた人のこと)の頭蓋骨を示して叩いてみて判定してくれということをした。ヴァンギーサは、いくら叩いても行く先がわからない。つまり、位が高すぎて行き先がわからないわけです。そこで釈尊は、これが漏尽者の頭であることを明かして、これは君の力の及ばない領域で、、私だけが知り得る領域だと言って、阿羅漢の行く先は「空」と教えたという。
 これもまた、釈尊の超人的力なのですが、ここでまた「空」ということがわからない。空っぽとか、「そら」とかでもありますが。サンスクリットで「シーニャ」と言いますが、それがよくわからない。煩悩を滅した聖者というのは、どこにいくのかわからない。再び母体に戻らずというのだけはわかっているのですが。皆さん法華経の勉強をされたり日蓮聖人の教学を勉強されていますと、十回互具とか六道輪廻とかの言葉が出てくると思いますが、そういう言葉は過去から現在未来に対して死に返り生まれ返って生存を続けるということなのです。輪廻の思想といいますが、人間は死んでカルマ(業)といいますが、来世は六道輪廻の何に生まれ変わって、それを歴劫(なんども繰り返して生存していく)していくものだという思想が、阿含の中でも大乗の中でも色濃く流れています。ここが私などには分からないのです。
 どうも私の心の中には、人間死んだらお終いよ、という気持ちが消えない。なんと言ったらいいか、心から納得しないのです。そういうことから、輪廻の問題、死後の問題から逃げたくなるのです。
 これは釈尊の阿含経を読んでいても一番困る問題なのです。法華経などを読んでもそうだと思いますが、授記という思想があります。授記というのは保証をするとか予約をするとか、あらかじめ未来のことを証明してあげるという意味ですが、舎利弗に対して「おまえは今、阿羅漢だけれどもこれだけの間生存を繰り返して修行を繰り返せばこういう仏様になるよ」というようなことを証明するのです。それを授記というのですが、その中にも、輪廻思想が入っているわけです。歴劫修行する(これから生まれ変わり死に変わりしてこれだけ修行したら)という点がやはり輪廻なのです。生存を繰り返していかなければならないのですから、即身成仏ではないのです。即身成仏というは、この場で成仏してしまうわけですが、何回か段階的な修行を重ねていくということでは、輪廻が入ってきます。ですから法華経でも輪廻思想はあるのではないかと思います。
 私はそのへんはわからないので逃げてしまうのですが、お釈迦様は輪廻思想を元にして、なんでもかんでもそこにおっつけてしまうというところが多いのです。その超能力という領域は、私としては不得手の領域なので、非常に困ってしまうということです。この手の話は阿含経典の中では満ち溢れています。

世俗を超えた信仰的出会いの厳しさ

 いろいろな事を申し上げましたけれども最後に、もう一度「厳しい〈無情〉な釈尊」ということをお話しします。  
 先にナンダのことやナーラカのことにふれましたが、ピンギアの事を申し上げていませんでした。ピンギアは一二〇歳ぐらいの老人です。何処に出てくるかというとスッタニパータの第五の最後に出てきます。これはインドの大きな川、オーダバリの岸辺にバーバリというバラモンが住んでいて、十六人の弟子がおりました。遠い北のほうのアガバの方で、釈迦という仏様がこの世に現れたというニュースがあり、十六人の弟子たちが旅してお釈迦様を尋ねるのですが、皆な釈尊に心酔してお弟子になってしまいます。しかし、一人だけはふるさとに帰って報告してくれということで、ピンギアが一人帰って行きます。
 一二〇歳の老人ですが、元の師匠のところへ帰ってきて、こういうわけで皆お釈迦様の弟子になりましたと言いますと、「お前はどうだ」と聞かれるので、「私も弟子になりました」と元の師匠に言いました。そして、「私はこの歳になりましたので再びお釈迦様のもとへ行く事はできませんが、私の心はいつもお釈迦様の方に向いています」と元の師匠に言うのです。これはどうですか。私の弟子があるとき帰ってきて、私の心はあなたの所を向いているのではないと言われたら、面目丸つぶれでしょう。そういうことなのです。仏教のきびしさというのは。ずばっと切ってしまう。
 一二〇歳の老人にそう言わしめてしまうということです。それだから釈迦様が偉大だということを言いたいのだと思いますが、そこまで言わなくてもいいじゃないかと思ってしまいます。なんでピンギアがそんなにほれ込んだのかと思いますか?
 ピンギアがお釈迦様に聞くんです。「お釈迦様、心を穏やかにするにはどうしたらいいですか」と質問しますと、「色を捨てよ、渇愛を捨てよ」と言います。一二〇歳でもう干からびていて、色欲も何もないのに、その老人に向かって「色を捨てよ、渇愛を捨てよ」というのは冗談じゃない。それはおかしいのではないかと。老人ホームに行って、どうしたら安らかになるかと問われて、「色を捨てよ、渇愛を捨てよ」とか言いますか、冗談じゃないですよ。そうではなくて、おじいさん、おばあさんよく長生きをしましたねと、そういう言葉ですよね、我々が言うのは。年齢に対して尊敬もし、いたわりもしている、大事にしてくださいという思いやりや慰めの、そういう言葉しか私達は知らないのです。なおおかしいのは、その一二〇歳のピンギアが、「わかりました」と言って、お釈迦様の弟子になってしまうというのが、いったいどうなっているのか、わけがわかりません。その一二〇歳の老人がわざわざ千五百キロも離れたふるさとに帰ってきて、師匠に対して「私はお釈迦様の弟子になってしまいました。私の心はいつもあなたではなくこちらにあります」というのはどうも浮世離れしていると思うのですが。経典の言わんとしている所はなんなのでしょうね。お釈迦様は素晴らしい人で、いかに救いが本物であるかということをしっかり言いたいのだと思うのですが。
 つまり、お釈迦様が法を説くときには、世俗では老人だとか、若者だとか、男でも女でもそういうものさしで説きますが、お釈迦様はそんなことは関係ない。老人のほうも、自分の年齢や地位や経歴や名誉など社会通念として配慮されなければならない事に対する自負というか、気負いが一切ないということ。釈尊の、一般社会の通念としては、不遜とも思えるそういう言葉を素直に引き受けている。これはさきほど言いました、茂田井先生のおっしゃった、「齢八六歳にしてようやくこのごろ経典を素直に読む気持ちになってきた」というところと、ピンギアという老人がお釈迦様の「色を捨てよ、渇愛を捨てよ」という言葉を素直に受け入れたところと、何か一脈通じるところがあるのかなあと思ったりします。
 我々の俗なる通念。社会常識とはかけ離れたことなのだろうけれども、お釈迦様は真理を授ける人、ピンギア老人は真理を求める人で、その求める人と与える人というのは、社会通念を超越した、通り越したところできちんと結び合うのかなあと、そんなふうに思ったりします。あまりにも非常識ではありますが、そういうことがあると思います。
 茂田井先生の本のことですが、各宗の管長さんが書いている本で、日蓮宗は茂田井先生が書かれています。『仏の心と人の心』で仏様の心とお弟子さんたちの心とが結びつく接点は何かということを、法華経にのっとって私はこう思う、ということを書いています。我々がよく読む「欲令衆」というもので「衆生をして仏知見を開かしめんと欲するがゆえに世に出現したもう」とあって、仏の心は「欲令」だと茂田井先生は言われて、欲令というのは何々を欲してと言う意味です。仏様に向かって衆生の心というのは「欲見」で、有名な言葉では「一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず」というのがありますが、この「一心に仏を見たてまつらんと欲して」ということが「欲見」となります。これがこちらの立場だと。この本に書いておられます。
 いま大法輪閣から次の注文として、釈尊とお弟子の交流のほのぼのとした場面を書けと言われているのですが、困っています。ほのぼのした場面がないんですよ。つまり、仏様はいつも我々を導き何かをさせる、実行を命じて修行させる立場なのです。何々をさせようと欲する。例えば仏知見の道に入らしめんと欲する、あるいは仏知見を示さんと欲するというように、お釈迦様は教える立場を鮮明にしているわけです。それを我々の立場で言えば、それを承って理解する、それを受け止める、把握するという立場ですから、それをもって仏の心と衆生の心が結び合うというように、茂田井先生は解釈していらっしゃる。それを仏の心と人の心の中心に置くとおしゃっています。
 それはそれでわかったような、わからないようなことですが。そのわからないところというのは、仏様は我々に何をさせようと欲しているのかということです。また、我々は何を見ようとしてやっているのかということで、そこをはっきりさせないと、この問題はわからないと思うのです。
 カルトの問題でも、若い優秀な方がオウムに入ったといいますが、何で引かれたのか、何を見ようと思ったのか。何を見ようと欲したのか。教祖は何を知らしめんと欲したのか、そのあたりの接点と内容が問題なのです。私は「何を」というのが大事だと思います。茂田井先生のおっしゃることは確かにこの通りです。我々に何かをさせようとして、また、我々は何かを見ようとしてぶつかり合うのですが、実際には何をどうしてなんとやらというか、そこをハッキリさせるということがたいへん大事だと思うのです。
 私の書いたものでは、そうしたことには全然触れていないので物足りないのですが、阿含経典には仏様が何を知らせようとしているのか、またこちらは何を承ろうとしているのかが書いてあるわけです。蛇の抄にもちゃんと書いてありますし、犀角経という「犀の角のように一人歩め」という言葉で有名なお経にもちゃんと書いてあります。そこが阿含の経典の大切なところかと思います。まだいろいろと検討課題は多いのですが、ここで「釈尊について」のお話は一応終わりにさせていただきます。

質疑応答

【司会】質問のほうをよろしくお願いします。

*輪廻転生についてお聞きします。。今の時代では輪廻転生は理解されがたいと思うのですが、釈尊の時代では、輪廻転生は理解されていたのでしょうか?一方で インドを研究している西洋人のほうからカルマとかチャネリングとか、前世を記憶している子供たちとかの本もあり、欧米を経由して新しい世界観をつくりそれが日本でも流行ったというのがあると思います。そのときには輪廻転生が幸福として捉えられている。生まれ変われるという。死んでお終いではないのだということを喜びとして捉えている。それも人間に生まれ変わると信じているのですが、釈尊の時代のとらえかたと違うように思うのですが。

及川 一般にはカルマですが、カルマのせいにしてしまうということが多いのです。例えば釈尊の晩年ですが、パセーナジという・・のお坊様が自分の母親が釈迦族に侮辱されたということで、カピラ城を攻めて、釈迦族を皆殺しにしてしまうという場面があります。兵隊を率いてカピラ城に行きますが、それを察知したお釈迦様はそれをやめてくれと止めたのですが3度引き止めてそのときは引き上げますが、4度目には言う事をきかないで、カピラ城を血の海にしてしまって、釈迦族というのはほとんど殺されてしまう。その時にどうして釈尊は、あれだけの偉大な神通力をもち、十力世尊と言われる人が防ぎとめることができなかったのかといったときに、カピラの人たちが今までやってきた劫の力はどうしようもないことで、私のいかなる力によっても劫の力には勝つ事ができないと、仕方がないことなのだ、とおっしゃったと言われています。悲しいことです。カピラの人の運命は釈尊によって決められるのではなくて、カピラの人の今までの劫によってなったというのは。それほど劫というのは、観念の中で決定的な力をもっていたのだというのは、私にはわからないですが。
 ですから幸せであるにしろ、不幸せにしろ、病気や災難ですね、そういうものを劫のせいにして一件落着というのが無きにしも非ずです。例えばお釈迦様がよく使う手で、前世の物語というのをおやりになるのですが、これは今に始まった事ではなくて、あの人が殺されたのは、前世にああいうことをやっていたから現れてきたんだという、過去の業ということを当てはめて話をなさるということが多いのです。ですから、仏様のことを「業論者」、業で物事を片付ける人という言い方もあるくらいです。そのあたりは、私にはわからない領域です。

*業は、悪業と善業(白業)のふたつに分かれるわけですね。

及川 賎民(チャンダーラと言いますが)になることの原因というのは業だということですね。中村先生は、業と訳さないで人間の行為、行いと訳してして、自分がなした行いによって将来が決まっていくのだと。そういう意味で言えば原因と結果みたいな言葉に直せると思いますが、悪い行為良い行為をした原因があって、それによって、こういう好い果報が生じた、悪いことになったという因果論になると思いますが。

*一般的にお釈迦様の教えだというと、すぐに縁起だといって、十二因縁の教えを説かれてということが出てきます。阿含経の中では、十二因縁ということはどう書かれているのでしょうか。

及川 因縁というのは、阿含経の中心的課題です。法華経の中では十二因縁が出てきますが、非常に表面的というか簡単です。阿含経はその点はしつこいですから、根掘り葉掘り追求しますから、比重が重いというか、けっこうしつこくやっています。
 ただ、十二因縁というのは十二の項目があるのですが、その中では「業」という言葉は出てきませんが、最初に無明あるとか生老病死がでてくるとかの鎖のつながりですが、それを潜在的に支えているのは劫というものの考え方なのだと思います。あそこでは無明という言葉、これは何も知らないということですが、これはよくわからない。その次にでてくる行というのは「行く」という字を書きますがこれがよく意味がわかりません。サンカーラといいまして、諸行無常などの行です。ですから、諸行無常といったときはこの世にあるすべてのもの、森羅万象といった意味でしょう。あらゆるもの、存在しているものは全部無常だと。「行」(サンカーラ)というのはいろいろな使い方があって、だいたい仏教はいろいろな森羅万象を見るよりも、自分の体の観察です。なんといっても、自分の体とは何かということにつきます。ですから、諸行無常ではなくて、無明・行・識の十二因縁の「行」というのは、自分の存在をあらしめている力という、生存力、我々はご飯を食べているから生存してしまう、人間にそれぞれ備わっている、そこからすべて出てくる、生きる力、生きていることを準備する力、これがある、それがサンカーラではないかと思っています。
以上

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