ある会議での話。「二十一世紀へ向けて」という表現にクレームがつきました。いわく、「二十一世紀という言い方は、あくまで西暦にもとづいたものだから、我々僧侶はなるべく用いないほうがいいのでは」という意見でした。確かに「平成十四年は立教開宗七五〇年」と常々言いますが、「西暦二〇〇二年は立教開宗七五〇年」などとは聞いたこともありません。日常でも例えば「何年生まれ?」と聞かれた時、自然に「昭和○○年」と答えますし、役所の書類なども生年月日の欄には、明・大・昭・平と印刷されています。やはり元号の方が何となく落ち着くようです。
ところで「西暦」について面白い話が本に載っていました。以下、高島俊男著「せがれの凋落」から紹介します。
今の西洋暦のもとはジュリアス・シーザーが天文学者を集めて作った「ユリウス暦」だそうです。この暦は一年を三百六十五日として、これを十二の月にわけ、奇数月を三十一日、偶数月を三十日とたがいちがいにしました。ただ、そのままだと三百六十六日になってしまうので、どこかで一日減らさなくてはならない。そこで二月を二十九日としたのだそうです。それまでは一年は三月に始まり二月に終わっていたので、一年の最後を一日減らしたわけです。また、ジュリアス(Julius)・シーザー(=ユリウス・カエサル)は七月生まれだったので、七月(Jury)を自分の月、つまり「ユリウス」と名付けたのだそうです。
さて、シーザーのあとを継いだ養子のアウグストゥスは、シーザーにまねて、八月を自分の月としてオーガスト(August)とし、さらに縁起のいい奇数をと、八月を三十日から三十一日にしてしまったのです。おかげで九月が三十日に、十月が三十一日になり、以下が逆になったのだそうです。また、ふやした八月の一日分の調節のため、これまた二月を一日減らし、二十八日にしてしまったのです。
そして、以上のような「ユリウス暦」から閏年を微調整して十六世紀にできたのが、現在使われている「グレゴリオ暦」で、日本でも明治六年から使われているのです。
このユリウス暦やグレゴリオ暦、すなわち太陽暦にたいして、日本で昔使っていたのが旧暦、すなわち月の運行を基準にした陰暦です。不思議なもので、シーザーやアウグストゥスの我がままのせいで変な日数の割り振りになったのがわかると、今の暦よりも旧暦のほうが何となく親しみを感じてしまいます。日本人であり、僧侶である私としては。
『せがれの凋落』の著者も「毎月十五日はかならず「十五夜」すなわち満月であり、三日には「三日月」が出たのだ。美しいねぇ。」と結んでいます。
西暦はダメ、月も陰暦に戻せとまでは言いませんが、御遺文を読む時など頭のすみっこに陰暦をいれておく必要があると思います。例えば「土牢御書」。今年の九月、十月のように暑い日が続くと、土牢の中なら天然のクーラーで涼しかったのでは、などと一瞬思ってしまいそうです。実際には陰暦十月九日は今の十一月中旬、そこではじめて「今夜のさむきに付けても」という日蓮聖人の言葉が尊く感じられてくるのではと思います。「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」西行法師の辞世の句だったと思います。これなども、「如月(きさらぎ…二月)の望月(十五夜の月)」をそのまま二月十五日としてしまうとピンときません。ちなみに今年の暦では陰暦二月十五日は四月一日、「花の下にて」は満開の桜の木の下なのだろうと、はじめて情景が浮かんでくると思います。
十一月八日、陰暦十月一日立冬の日、例年よりも遅く紅葉し始めた木々を見ながら、雑文を綴ってみました。
ところで前号「あんらじゅ」の原稿に校正ミスがありました。上段十七行目、『御経料』は『御教料』です。お詫びして訂正致します。
センター長 小高 悠紀