年が明けると学校は三学期になります。毎年のことですが、この時期になると小学校の四、五年生が、母親と一緒だったり、友達同志のグル−プだったり、違いこそあれお寺を訪ねて来ます。子供の教科書を調べてみると、社会科の授業の一つとして地域のこと、昔のことを調べるというカリキュラムがあり、近所にある三つの小学校からいれかわりたちかわり、話を聞かせて下さいという小さなお客様が訪れるわけです。
「どんな事が知りたいの?」と声をかけますと、しっかり下調べをしてきた生徒は、「何年ごろできたお寺ですか、何がおまつりしてあるのですか、どんなお堂があるのですか、いつごろ建てたのですか?」と順序だてて質問してきます。
ところがほとんどの生徒は「昔の話を聞かせて下さい。」と言うだけです。学校で先生に言われたから、とりあえず来てみました、という感じの生徒もいます。
この『ムカシのハナシ』が私にとっては問題なのです。年齢でいえば十から十二歳、いつか読んだ新聞記事によれば、日本とアメリカが戦争をしたことさえ知らない世代です。
自分の住んでいる地域の事を調べるということであれば、「今の本堂、そう、あの大きな建てもの、あれは三十年ぐらい前、それからあの仁王門は八年前に新しく建てたものです。本堂が建つ少し前までは、このあたりはたんぼと畑ばかり。今君が住んでいる団地のところは、全部たんぼで、夏になるとホタルがとんでいたんだよ。」くらいの話で、皆眼を丸くします。ところが、同じ『ムカシのハナシ』でも、歴史を調べたいのですが、と言われると違ってきます。「お寺ができたのは天正十八年、徳川家康が江戸に入った頃、エ−と、今から四百十年くらい前。善徳院日栄上人という人が開いたの。今は私で二十四代め。宗派は日蓮聖人という人が鎌倉時代に開いた日蓮宗で……」という感じでけっこう手間取るわけです。
つまりむずかしいのは、尋ねられた『昔』が、どこまでさかのぼった『昔』のことなのかを考えながら、答えなければならないということです。私が小学生の頃、つまり四十年ぐらい前は、今の小学生にはすでに『大昔』なのかも知れません。『明治は遠くなりにけり』どころか、小学生の相手をしていると、『昭和は遠くなりにけり』と思ってしまいます。
『昔』ついでにもう一つ。歴史好きな檀家の人とこんなたわいもない話をしたりします。「三鷹からは都内二十三区からはずれますよネ。ところがその多摩地区には、昔の国府を表す府中があり、国分寺という地名もちゃんと残っている。名前だけでも鎌倉街道はいくつも残っているし、北条氏と足利氏、上杉氏の戦もこの近辺で行われたらしいです。そんな事を考えて調べてみると、江戸以前の武蔵の国は、川越、秩父あたりから南へ下り、相模に至るまでのこのあたりが中心だったんじゃないですかネ。太田道灌が江戸城を作らなかったら、そして家康も江戸城に入らなかったらと考えると面白いですよネ。ひょっとしたら東京の中心がこの三多摩あたりになっていた可能性もあったわけですから……。」
のんびりした『東京の田舎の寺』で、そんなつまらない事を考えて、残念がったり、ホッとしたりしながら、自分の寺の『ムカシ』を、半分小学生のために調べ直している今日この頃です。
センター長 小高 悠紀