日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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所報第35号:189頁〜 第三十三回中央教化研究会議 ←前次→

 特別講演

    宗教者に期待するもの

石  川  達  也   
 (東京医科歯科大学学長・医学博士) 

 ただいまご紹介にあずかり今、七十三歳とおっしゃられましたが、満では七十二歳でございますのでちょっと訂正しておきます。いずれにしましても、七十二年ぐらい生きておりますといろんなことに遭遇するわけです。

   生きることは宗教体験

 例えば、十代とか二十代とかという若いときと、年を取ってからとは、やはり体験を通じてどんどん考え方が変わってくるわけです。ですから、ある時期、宗教に絶望することがあったとしても、そのままとは限りません。何年かたつと、「ああ、そうか、自分は間違っていた」とか、やはり宗教的な考え方をもっていた方が、はるかに人生は楽しく、また健全、あるいは丈夫に生きられるということもありますので、宗教者に期待するものといいましても、宗教者そのものが、いろんな経験を通じて、ご自分をだんだん鍛えていくというと変ですが、ご自分を教化していくことがないと、本当の宗教者にはなれない。もちろん宗教者だけが宗教を支えているのではありませんので、周りの方も宗教者以外の人も、いろんな考え方で宗教を支援するような体制がないと宗教というものは育っていかない。

   科学と宗教の再会
 今までの世界中のいろんな思想とか政治運動をみてみますと、少数の人たちがつくった流れに、大勢の人がついていって一つの大きな流れを作っています。その流れをどういうふうにつくるかということが、これから宗教家が工夫されるべきであると思っております。
 そこで今日の話は、あっちへいったり、こっちへいったりしてかなり長くなりますので、最後に申し上げるべき話を一番最初にしておきたいと思います。
 結論的な話を一言でいいますと、物理学とか生物学とか医学とか、いわゆるサイエンスは、今後限りなく宗教に近づいていく、そういう時代になると私は考えています。もっと徹底していえば、宗教は再び科学に再会すると思っています。私からこんなお話をする必要はないと思うのですが、昔の宗教の指導者たちは、その時代における科学者だった。だから宗教というのはお堂の中でお経を唱えているだけではなかった。
 今からもう三十年ぐらい前ですけれども、ウィーンの町にまいりました。この町の中心に、銀座の四丁目の交差点みたいなところに大きな教会堂があります。ウィーンはオーストリー共和国の首都ですけれども、オーストリアのハプスブルグ家の宮殿は非常に有名な宮殿ですが、宮殿ではなしに教会中心に町ができている。その教会で私はそのとき、三十年ぐらい前ですが、「ここで何をやっていたのですか」といったら、「ここは当時の科学の大学みたいなものだ。だから染物、それからお酒の造り方、そういうものを僧院でやっていた。一般の人はそこへ来てそれを習って、自分の生活を支えていた。だからここは大学でもあり、同時に宗教の本山でもあるのだ」ということをいっておりましたので、ああ、なるほどなと思ったのですが、これからはサイエンスと宗教とが再会する時代になっていくと思っております。
 その理由は、ここに一つのたとえとして、目というものを考えますと、この目によって、皆様方のお顔もわかるわけですが、波動であり素粒子でもある光子が目に入ると網膜で、その波動が電磁エネルギーや液性伝達物質に変身するわけです。赤い色だとか青い色だとかいっているわけですけれども、そういう形でできあがった電磁エネルギーや伝達物質が脳を刺激して、形を教えたり、あるいは色を教えたりしているわけです。
 昔の剣術使いが人の気配を感じて、一寸の距離で敵の刃をかわすという、そういうのは気配です。この気配なんていうのも、一種の波動というのでしょうか、熱線というのでしょうか、そういうものを体表できわめて迅速にかぎとっているわけです。
 ですから、気配とか目に入った光子の話をいたしましたが、波動が生体に影響する。表現はちょっと悪いかもしれませんが、物質をつくる、変える、あるいは刺激する、そういうことによって体の中で電磁的変化や体液変化が起り、これが脳を刺激したりして、我々が反応して生きているわけです。
 これは物理学そのものというと変ですけれども、量子力学的の世界です。科学者はどちらかというとこういう問題から逃げている。応用サイエンスは非常に盛んですけれども、基本的なこういう哲学的な科学になってくると割合逃げている方が多いと思うのです。
 外国で行われた研究を主体にして申し上げるのはどうかとは思いますが、結局は量子力学の世界に注目ということになります。この量子力学というのは、素粒子と波動の世界で物理現象を説明しようとしている。これは今私が具体的な例として引き合いに出しましたけれども、目に入った光の波動は網膜という体表で生体を刺激しているという、あるいは物質化して体をいろいろ刺激しているということを申し上げましたけれども、波動と素粒子との間には、二相といいますか、こっちから見ると波動だけれども、こっちから見ると物質だという二面性をもっていることを、量子力学の方たちは主張しているわけです。どうも私どもが生きているということは、ある現象をこっちから見たり、こっちから見たりしている。それはこっちから見るとつぶつぶに見えちゃうかもしれないけれども、こっちから見るとそれは波だというふうな、そういう哲学問答というか禅問答というのか、そういうものと非常に似た世界です。
 では、これはうそかどうかということになりますが、そうじゃないと説明しきれない。またそれじゃないと、東洋医学とか、東洋医学だけではありませんがそういうものを説明しきれない。             
 二、三年前に非常に有名な医事評論家が亡くなりました。この方が、亡くなる前に言われたそうですが、我々は、しまったと、西洋に伝承医学があるのを忘れていた。表面の科学だけを日本に輸入していたということを言われた。それはどういうことかといいますと、たとえばイギリスにはお祈り治療をする病院が認められているのです。もちろんすでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、我々が考えている近代科学の医療のやり方ではない。全くお祈りだけで患者さんを治すという病院もあるというのです。たしか数ヶ所あるというふうに聞いております。
 それから、昔フィリピンに心霊術の手術師がいました。この人たちが問題になったのは昭和四〇年代で、日本のテレビその他で盛んにうそか本当かといっていた時代があります。この心霊術の手術師たちの研究が日本でも行われていましたが、術者はカトリック教徒ですけれども、要するに体の中に手を突っ込んで手術をする。手を抜いたとたんに傷跡が残らない。本人たちに何をやっているのだと聞くと、そこに悪魔が住んでいるから悪魔を手で取り除いたのだというだけで、そしたら鳥の羽や獣肉が出てきたとか、何か変なことになってしまって、それはにせものだろうというふうなこともいわれたのです。これについては、本山先生ー生命科学研究所の先生ですがーと私どもとお話をしてみますと、悪魔といっていますけれども、悪魔がいたのでそれを体から取り出したら鳥の羽だったというふうなこともありうるのだそうです。それはなぜか。次元が違うと。この次元では鳥の羽かもしれないけれども、体にある違う次元のところでは本当の悪魔だったかもしれないというような説明もありますけれども、いずれにしてもまだ世界には伝承医学といいますか、トラディショナルな医学が未解明のまま残っている。
 お祈りの中に埋没しちゃうかもしれませんが、そういう診療も有効な場合がある。それを健康保険の制度として認めている国もある。
 だから日本でも代表的な有名な医事評論家が、しまったと。例えば明治のはじめ帝国大学を出て、ヨーロッパに行って、大学で二、三年習って帰ってくれば、ヨーロッパ人が本当にその医学を信用していたのか、あるいは自分たちが大病を患ったとき、どこかに行ってお祈りしてもらっていたのか、全然知らないで医学を学んでいるわけです。
 ですから、そういう意味でお祈り治療などというのも、いいか悪いかは別としまして、ある一つの効果を出すので、例えばお医者さんが見捨ててしまったような患者さんも、そういう祈祷で治ることがあるわけです。だからそういうことについて、医事評論家が、ヨーロッパにそんなものがあるということを我々は伝えてこなかった。これは間違いだったということを言って亡くなったのだそうですが、ここら辺には一つの考え方があります。
 伝承医学の立場から見ますと、一番高級な医療が祈祷なんです。一番低級な医療は何か。薬を飲むことです。何でそういうことになるのかといいますと、薬というのは、例えばこれはあれに効きますよといって渡せば、何の訓練なしに病気を治せる。つまり素人でも治せるのが投薬です。それよりちょっと高級になってきますと、外科的というのですか、悪いところを切り出してしまう。これは訓練を受けないと、薬みたいに、これはこれに効きますよといって与えたら効くというようなものではない。ですからそこら辺のところを、訓練しなければいけないので、外科的なやり方は投薬より高級。
 経絡治療も投薬よりランクは上です、経絡治療になってくると、これは相当練習して、そのことについて訓練を受けないとできない。やたらこの辺に何かのツボがありますよといってやって、効くこともあるけれどもそれではかなりいいかげんです。ツボや気の流れで、本当の病気に肉薄するには、診断にしろそれを使って治療をするにしても、相当訓練しないと不可能だということになります。
 では、そういうお灸・箴・マッサージを含めて、経絡治療というものよりもさらに段階が上がるのが、インドヨガなんかでやっているチャクラを使った治療法とか健康法です。これは瞑想か何か知りませんけれども、相当練習しないと、あるいは訓練を受けないと、あるいは正しい人の訓練を受けないと、本当の意味で上達していかない。例のオウム真理教で、何か座っていて座敷で飛び上がるようなことをやって、奇術みたいなことをみな練習していたようですけれども、あれにしましても、もちろんああいう空中浮遊法というのがあるのですけれども、これは大体空中浮遊法をやるのには、生理現象としては、横隔膜が一分間六〇〇回以上振動しないと上がらないと云われています。私どものお師匠さんであります本山博先生、インドへずいぶん長いこと行っていらしたから、インドでそういうことを研究すると、やっぱりそういう方がおられるとおっしゃっていました。チャクラを活用できるようになると、医療効果も上るわけです。
 それともう一つ、心身効果というのですか、心への影響というのも出てくると思うのです。これはいっていいか悪いか知りませんけれども、このごろ凶暴な若い人が出てきますね。これはどういうことかというと、特定のチャクラが過敏になっているからでしょう。おへその下で丹田という場所がありますね。あそこはチャクラの名前で、スワデイスタナといったと思うのですが、これや会陰部の、ムーラダーラというチャクラで亢進していると凶暴になってくる。ですからヨガの行者に、そこら辺のチャクラの機能の亢進を行法でもっと落としてもらえば、ああいうすぐ人を殺したりしないと思うのです。まあ、考えようによっては、ああいう凶暴性は、性的な凶暴性が転化したものというふうにも考えることができますね。
 だから、いわゆる心と体というものを、もっと上手にコントロールしていかないと、いま心と体は、ごちそうを食べて自由に成長しているわけです。その自由な成長を許していると、チャクラでいえばそういうある特殊なチャクラがアンバランスに発達してくるということで、バランスが崩れてくるという見方もできます。そういう意味での心と体とのバランスをとるような体制、それに向かっていくのには、医者の力、あるいはそういう行者の力も必要ですけれども、精神的なコントロールを今後どういうふうに組み立てていくかという時代に入っていくと思うのです。それがなかったら、人間の社会というのは、ただ単に、原子爆弾ができたのと同じでして、ある一つの物慾的なものだけが一方的に強くなってくる。それをコントロールする力がなくなってくると、世界が破滅に向って行きますので、宗教者に期待するものというのは、バランスのとれた心をどういうふうに修行して与えていくかというようなことが大事ではないかと思っております。

   日常生活で生まれる心の世界

 ところで伝統的なもの、いたわりの心とか愛の心とか、人に危害を与えない心とか、そういうものを養成していくのは、やっぱりどちらかといいますと、言葉で教えることではなしに、体験的に教えていく必要がある。
 これはたまたま数日前のどこかのテレビでやっていたのですけれども、お祖父さんとお父さんと孫がお風呂に入った。そうしますと、お父さんはおじいさんの背中を石鹸をつけてたタオルで洗った。小さい孫はそれをはじめ眺めていたのだけれども、やがて自分も手ぬぐいに石鹸をつけて、今度はお父さんの背中を洗った。これは、やれ孝行だとか、親を大切にしようとか、そういう言葉の教えじゃなしに、そういう形で自然にお父さんがおじいさんの背中をお風呂で洗っていた、洗っていたのを、孫がいつのまにか体験で覚えていく。そこには何のお説教も、それから教育なんていう面倒くさいことはないので、そういう形でずっと自然にしみ通っていく。
 これと同じようなことが、アメリカの人が日本の人やヨーロッパの人と基本的に違うことがあるのです。それは何かといいますと、いろんな見方はありますけれども、アメリカの占領軍が日本に入ってきたときに、比較的一般の人や子供と、親善ムードだった。昨日まで戦争していたというような、しこりがない状態でいつのまにか日本の社会に溶け込んでいきました。それが何でそうなるのか。日本人やヨーロッパ人は、他の人と会ったときに意外に仏頂面なんです。ヨーロッパ人でもそうです。ところがアメリカの人は、人と会うと、割合にスマイルをポッと顔に出す人が多いのです。普通の家庭で育つと、そういう人が多いのです。
 このスマイルというものを教えるのは誰か。学校じゃないのです。家庭です。家庭で、子供にスマイルの仕方、こういうふうに唇の角を上げてこう笑いなさいという笑い方、それで歯をどれくらい出して、ここにスマイルラインというのがありますけれども、スマイルラインをどのくらいにしなさいと家庭で教えるのだそうです。そういうことがありますと、人に会ったとに、スマイルがポッと出てしまう。そうすると、そのスマイルを見た人が、悪い感じはしない。スマイル教育はアメリカの家のしつけとしてやっているらしい。私は知らなかったのですが、実は二日ぐらい前、アメリカに留学したことのある教授が、「いや、先生、スマイル教育というのはアメリカでは家庭教育ですよ」と。普通の家庭ですよ、映画に出てくるような変な家は別としまして、通常の家では、「スマイル教育というのは家庭教育ですよ」と言っていたので、ははあ、なるほどと思っていたわけです。
 それからもう一つ、これも私知らなかったのですが、話し方教室というのを、小学校では月に一回か二回、よそから先生を呼んできて話し方を教えるのだそうです。ですからそういうときにも人に対する配慮とかそういうのを教えていきますから、一般的な家庭、一般的な教育としては割合に対人関係に留意している。スマイルの問題にしても、話し方の問題にしても意外に徹底していく。もろちん全員がそうではありませんけれども、そういうことが普及していく。私は道徳教育も、宗教もそうだと思うのですが、ぜひ工夫していただきたいと思うのです。人を集めて、こうしろ、ああしろといったってそれは無理な話で、さっきの親子三代の話じゃないですけれども、あるいは家庭教育のスマイルの教え方ではないですけれども、そういうものを何とか家庭生活の中に、あるいは宗教生活の中にもずっと導入していただくと、世の中がもっと穏やかで和やかで、仲のいい世界に変わっていくのではないかと思います。
 さて欧米の話ばかりで恐縮ですが、ここに財布があります。この財布はルイ・ヴィトンの財布です。私は、十数年前ですが、この財布を知人からもらったのです。その後たまたまイタリアのミラノに行きました。この財布に日本のお札が入っていましたけれども、ミラノに夜着いたものですから翌日の朝、ミラノの銀行に行って、イタリアのリラに換えた。十万円程度のお金をリラに換えて戻ってきたわけです。もちろん全部換えたわけでありません。他のお金はホテルに置いてありましたけれども、十万円だけイタリアのリラに換えた。そしてこの財布に入れて帰ってきた。それからカード類も全部この財布に入れてあった。銀行から出てきて、ミラノの広場を少し歩いたときに、小さい子供が花を売りにきたのです。私はその子たちを見て、花が差し出されたので、視線を移しました。その瞬間こちらにドンとだれかぶつかったのです。そのときは気がつかなかったのですが、数歩歩いてから気がついたのだけれども、今イタリアのリラを入れてきた財布がすられてしまった。
 財布をすられたことを別にそんなに気にはしていなかったのですけれどしかしその後、驚くべきことが発生したのです。私は財布が戻ってこないならしようがないと思って日本に帰ってきました。もちろんこの財布が戻ってくるなんて思っていないかったのですが、帰国後二週間ぐらいたったら、この財布が家に送られてきた。だれが送ったとか、そういうのはイタリア語で書いてあるものですからわかりにくかったのですが、ただし中身の現金やカード類は全部抜かれていた。そして財布とそれからこの写真が入っていた。私はキリスト教徒ではありませんけれども、私の友人からいただいたトリノの聖骸布とキリストの姿の写真です。この聖骸布とキリストの顔の写真と財布が送り返されてきたのです。
 それで私はびっくり仰天したのですけれども、ああ、イタリアのすりはやっぱりキリストが恐ろしいので、キリストは返してくれたのだ。あるいはそんなに邪推しなくても、キリストに関係したものだけは送り返そうというので送り返してくれたのだというふうに思います。おお、イタリアのすりには宗教心があるなと感心したのですが、こんなことはめったにないことだと思いました。
 日常生活の中でどれくらい宗教心を育てるか、宗教に関係されている方は、そういうことをぜひお考えいただくといいと思います。

   魂も健康の要素

 さて、もうちょっと本題に入ってまいりますと、WHO(世界保健機構)、影山先生にだいぶお助けいただいているのですけれども、この特別講演の抄録に、WHOが一九九八年、WHOというのは医学とか歯学の……総本山です。ワールド・ヘルス・オーガニゼーション、国連の機関ですが、世界中の健康問題を扱っているところです……執行理事会が開かれまして、この理事会で、健康の定義というものを見直そうということになりました。それまでの健康とは、体の健康、心の健康、それから社会的に快適な生活、この三つが健康の条件だった。WHOは世界中の三つの問題を向上させるように努力してきたわけです。今から五〇年ぐらい前ですけれども発足した。
 それが今から二年前WHOの理事会で、体(ボディ)の健康、それから心(マインドとかハート)の健康、社会的に快適な生活、それに魂の健康という事項を入れたのです。英語には「スピリット」という言葉があるのですが、日本語にはどういうふうに訳したらいいのか、「魂」と我々は訳していますが、魂の健康というものも必要だということで、魂を追加したわけです。そしてもちろん社会的に快適な状態をつくるということで、この四つ編成になったわけです。体・心・魂、それと社会的な快適な生活ということで、四つの編成になった。前は魂が抜けていたわけです。さあそれで投票しましたら、三〇票のうちで理事会では賛成二十二。棄権が八票。WHOのスローガンとすることについての賛否ですが、反対はなかった。そんな時代になってきたのですけれども、総会ではまあ見合わせということになりました。魂(スピリット)を入れた、四つ編成の健康は、理事会は通っているのですが、総会ではまだ足踏み状態です。
 しかし理事会でそういうことを認めたということは、非常に重要なことです。戦後、あるいは戦前もそうですが、日本の場合、魂という概念があまり明確ではない。それを仏教ではどういうふうに表現するのか私は知りませんけれど、心という概念が日本ではかなり広い意味で使われ、単なるマインドとかメンタリティーとかということだけではなしに、スピリットまで心の中に入れていたのかもしれません。しかし世界的にはスピリットという言葉、魂は心とは別にしているようです。
 哲学的論争になってしまいますけれども、鈴木大拙先生の考え方では「身体(ボディ)とマインド(心)とは、一緒に動く。だけど場合によると、この二つは離反することもある」いずれにしてもこのボディとマインドはくっついたり離れたりしている。ボディとマインドの健康を正しい方向にもっていくのはスピリット・魂である。ボディとマインドは、一緒に行動するが、ちょっとそれはまずいよという場合には魂がブレーキをかける。
 そういうふうに、ボディとマインドとスピリットというものの三つの役割を区別して書かれています。私どもの経験では、何だかマインドもスピリットも同じように思っていたのですけれどもそうではない。大体WHOの考え方もそうなんです。ボディとマインドというもの、それらをコントロールするスピリットというものと、こういうふうな考え方で三つを並べているのです。ですから、これがどうも世界中の健康を考える人たちの常識のようですね。
 さて、日本にこれをもってきて魂の話なんかをすると、この間、神様の話をして文句をいわれた首相のように、まして医学会で魂の問題をうかつに発言しますと、おまえ何だということになりかねない。ですから日本ではまだ魂の問題はあまり大きく打ち上げるわけにはいかないと思います。
 しかし、いずれにしましても世界中の考え方がそっちに向いている、あるいは昔からそうだったらしいのですが、日本は西洋化の中で近代という仮面を被った西洋を輸入したものだから、スピリット・魂についての考え方があることをあまり知らないでどんどんきてしまった。だが当時を考えてみますと無理もない。それはアメリカとかヨーロッパに留学した人は、年齢が二十歳をちょっと超えた人たちです。そういう人たちが、秀才だったとは思いますけれども、どれくらいの人生経験と宗教体験をもって外国へ行ったか。これはちょっと期待する方が無理ですよね。やっぱり自分のある一定のバックグラウンドをもって外国に行ってものを見ないと。子供は米国でものを見てきたらディズニーランドだけ感じて帰ってくるかもしれない。あれは良かったと。
 悪口をいうつもりはないけれども、日本では基礎医学者が偉かったのです。今の医学部や歯学部を見てもそうです。臨床の学者というのは、実際は患者さんを通じて世の中に貢献しているのだけれども、それほど偉くない。それはなぜかといいますと、もともとの留学形態にも問題があった。北里先生が破傷風菌を、明治時代にドイツに行って純粋培養する。そして日本に帰ってきて、北里研究所を建てて医学研究を振興します。
 ですけれども、そこでふっと考えます。当時開国したばかりの日本から外国に行って、今は違いますよ。今は外国に行っても日本人の医者だといえば信用して受療してくれると思いますが、明治の初めに、ちょんまげを切ったばかりで向こうへ行って、そして白人の患者を診ようといったら向こうの方がびっくりして逃げちゃう。だからどうしても研究室にこもって基礎研究をやらざるを得なかった。どちらかというと基礎学、ベーシック・メディカル・サイエンスの方にいってしまうわけです。だから帰ってくると、外国帰りの大先生たちは、みんな基礎の教室にいますからどうしてもそっちの方が重要視される。このごろはニューヨークに行きましても、心臓の手術のベテランの日本人の医者がいまして、向こうの人が受診していますけれども、明治の初めのころ日本から行った医者は、向こうの人がどれくらい評価していたか。診てもらいたいという人はおそらく少なかった。
 それから留学した新進の医者がどういう考えで人間を見ていたか。今私が申し上げているように、魂というものを欠落した医学、それを日本にもちかえってきたのではないか。西洋にも東洋にも中近東にも、魂を人間の健康、あるいは人間の構造の基本要素として受け入れていたと思うのです。ところがそういうものをあまり考えない年代が留学していると、あってももってこないということが続いていたのではないかと思うのです。だから今では、突然WHOがそういうように魂を健康の定義の中に入れてしまったということになると、それは一体どういうことだということで、騒ぎになりかねない。
 日本人はもちろん考え方が柔軟でして、そういうものを受け入れる要素、説明してわかるという要素は非常に強いのですけれども、何せそういうことを教えていないですからわかりにくい。ただ神社やお寺をおがんでいれば宗教だと思っている人の方が多いかもしれない。そこら辺の考え方が、これからの私ども日本民族のものの考え方をどういうふうに導いていくのか。それにはやはり宗教の力が大きいと私は思います。
 法華経だけではありませんが、お経の中には微細宇宙という考え方がありますね、こういう考え方は今の量子力学の考え方と似ています。そういう説明それはすでにお経の中にも入っている。やはり人間の基本的なそういう考え方をもう一度教え直す。教え直すというと大変おこがましいのですが、教育としてそういうものをどういうふうに組み込んでいくかということを考える時代にきている。それはやっぱり宗教をやっておられる方が先頭に立たないと、歯科大学の学長がそんなことの先頭に立ってもだれも信用してくれないので、ぜひそういうような考え方で宗教を見直していただきたい。


   脳の働き
 さて、量子力学の話で、宗教もその考え方に接近していくのだろうという話を申し上げましたが、私どもは今脳磁計という、実は頭の中で、今私がフッと何かを考えますね、考えたとたんに頭の中で電流が流れる。その電流が流れますと、脳細胞をつないでいる神経細胞をつないでいる糸みたいな神経繊維、それの神経突起の周りに磁場が発生するわけです。どれくらいの磁場が発生するかというと、通常の現在ある磁場の十億分の一ぐらいの磁場が発生する。もちろん一か所でありませんから、それをずっと積算していくともっとたくさんになりますが、一か所については十億分の一ぐらいの磁場が発生する。その磁場を最近は計測できるようになったのです。ですから私どもの大学には、今年の春、そういう脳磁計、脳の中の磁場を測定する器械を購入して設置してあります。これによって何がわかるかといいますと、大脳皮質の活動状態がわかるわけです。
 それからお聞きになっているかどうかわかりませんが、顎関節症で顎が動かなくなった、顎が痛い、そういう患者さんがいるわけです。そういう場合に、脳の中で一体何が発生しているのかというようなことを調べる。アルツハイマーなどいろんな病気がありますけれども、そういう病気の場合も、磁場がどういうふうに発生しているのか、あるいは磁場の発生の偏りがあるかどうか、そういうものを見ながらその人の状態を把握していこうと。今までは、どこか悪いというと、その悪いところを見る、悪いところを顕微鏡で見る。悪いところを取り出してきて、それを見る、あるいは悪いところを押す、圧迫してみるというふうな、そういう局所診査ばかりやっていたのですけれども、人間の体はさっきから申し上げているように、何か刺激を受けたら必ず脳の方に、今何か変なものがさわっていますよ、変なものが光っていますよ、そういうことをここにご注進するわけです。するとここで、ああそうか、それではこういう対策をとろうと。何か変な臭いがしてきたから、これはちょっと危険だから逃げましょうとか、そういうふうに脳に信号といいますか、情報が入って、その情報に対して脳が反応する。そして走ったりとまったりしているわけですが、その信号自身も磁場としては十億分の一、非常に小さな力、そしてさらにそれではこうしましょうという命令を出すときもはやり磁場が発生する。だからそういう磁場の発生の仕方を見ていると、人体がどういうふうに反応しようとしているのかがわかる。こういう機械が手に入るようになったのは、実はごく最近なのです。
 皆さんも高名な方が「脳の時代だ、脳の時代だ」と書かれていますから、書店に行きますと脳の時代の本がやたらにあります。でもそれはまだあまり実証されていない。かなり直観と想像で書かれている。
今度私どもの方は、それを想像ではなしにもちろん想像もありますけれども、想像を今度は具体的に本当にそうなのか、一体どういうふうになっていくのだということを電磁場実験で確かめることになった。
 一つの例を上げますと、私が今ここで梅干しでも何でもいいですけれども、噛もうとしますね、噛もうとしたときに顎を動かします。そのときに何時発生する磁場が一番強いのかといいますと、噛む前なんです。自分が噛もうという意志をもったその瞬間に磁場ができる。その磁場発生が一番早い。ということは、宗教の世界で、すでに強調されていることですけれども、人間というのは意志が先行するのです。その意志に従って、動いたり、考えたり、見たり、食べたりしているわけです。だから「初めに意志ありき、心ありき」という言葉もありますが、魂か霊性か何であるか知りませんけれども、要するに心の持ち方、あるいは魂のもち方というのは、行動を決定する上で非常に重要だということが、計器の上からも出てくると思っています。
 私どもは咀嚼ということを中心に考えてはいますけれども、人間の行動の本質を、食べることを中心にしても考えてみますと、食べるには脳を使う、舌を使う、唇を使う、それから味覚・聴覚も使います。ですから総合運動なんです。総合運動というと変ですけれども、総合意志運動です。音も全部脳に入ってくる。目の情報も脳に入ってくる。それから味覚情報も脳に入ってくる。それが全部総合されて、どれくらいの強さで噛もうとか、どれくらいの唾液を出そうとか、そういうことを総合判断しているから食べることができるので、噛む筋が動いているから食べることができるというのではない。きわめて総合的な運動なんです。
 そして、例としてはよくないかもしれませんが、ミミズを考えてください。ミミズは結局、消化管の周りに臓器がついている。あと口とおしりがあるというだけの存在ですけれども、動物が進化するにつれてもっといい食べ物を見つけたい、もっと遠くに獲物がいるのを知りたい、そういう食べ物をとらえるためにつくられた器官、道具が、目とか鼻とか耳とかです。
 ですから食べることは非常に大事で、その食べるための総合的な感覚・運動情報を脳で処理しているわけですが、それがだんだん上手になってきて、余った力で本を読みましょうとか、あるいは修行しましょうとか、何か趣味をやりましょうとかいうように、余った力でやるようになっていく。基本的には食べ物をとらえて、そいつをうまく食べましょう、いい食べ物をとらえてたべましょうという、摂食動作あるいは摂食の思考、そういうものが基本になって我々の体が構成されて、だんだん進化してきたというふうにいうこともできるわけです。
 そういう過程で、宗教も出てきたし、人生をより効率的にかつ懸命に生きるためにはどうすればいいかという形で、宗教も、それから他のサイエンスも出てくるわけですが、そのときにどうも基本として動いているのは、心や魂の判断というのですかね、そういうことになっているらしいです。そこら辺のところを、これからの我々の教育にどういうふうに反映させていくかを考えていきたいと思っています。


   経絡診査から判ること

 AMIという器械がありまして、AMIは経絡の井穴の通電性を調べる測定器械です。それによって、個々の経絡の機能がどれくらい亢進しているか低下しているか調べます。経絡は漢方医学で西洋医学ではありませんけれども、人体の機能を、あるいは仕組みをとらえる上では西洋医学よりすぐれている面もあるわけです。ですから今それを一部お目にかけて、どういうふうに見ているのだということをお話ししたいと思います。
 これは咬み合わせを診査するためにも利用できますが、体調や全身的病態の診査に使うこともできるわけです。漢方医学は変った医学でして、ここに電極がはってありますけれども、鼻の横の電極は大腸系です。大腸系のこれは終末です。人間の腸というのは、漢方医学の経絡では、手の人指し指から腕頸を経て、鼻のこの横のところ、ここで終わっているわけです。大腸と別に関係ないじゃないかという方もいますけれども、大体一つの系統として大腸が悪いときには、この場所に、人指し指の先に一つツボがありますけれども、それと鼻翼の眞横にありますが、両者の間しか大腸に関係する経絡はありませんし、また大腸がおかしいときにはその経絡に異常が出てきます。他の経絡のツボについては図1に呈示しておきますので読みとってください。
 もちろんツボは噛み合わせ状態の検討にも利用できます。また、一般的な病気のスクリーニングにも使える。
 肝臓の系統は、足の親指の内側の先から出まして、ずっと足の内側を上がってきて、そして生殖器の周囲にくる、そこから腹部を上って、とにかく胸の側方まできて、そして肝臓に入る。
 これは肝臓の病態を東京歯科大学市川総合病院の内科に来院した患者さんで調べています。肝臓の疾患もいろんな段階がありますが、西洋医学的な検査ですと、GPTとか、総コレステロール量とか、あるいはChEと書いてあるのはコリンエステラーゼですが、こういうものが検査でどれくらい出てくるのかということを調べている。
 これは血液をとりまして、そしてコリンエステラーゼがどれくらい相関係数があるかとか、あるいは総コレステロール量が病気の状態と関係があるかというようなことを調べているわけです。これは血液検査です。皆様方がよく病院に行かれると受けられる血液検査です。
 それで結論的にいいますと、肝臓の癌にかかっている人を見ますと、肝臓のツボ(井穴)の通電性が非常に悪い(図2)。もちろん肝臓の隣りにあります胃も悪いけれども、肝臓の癌の場合は、やっぱり肝臓のツボの通電性が悪い(低い)。肺とか大腸とか心臓とかは高い。だから一番肺の部分が低くなっています。
 肝不全の人、これも肝臓のところが一番低くなっています。
 こちらは肝硬変です。肝硬変の場合はまだ肝不全とか肝臓癌ほどひどくないですから、肝臓の高さ、これがそれほど下じゃなしに相当頑張っているということがわかります。急性肝炎の場合は、肝臓癌とか肝不全とかいうほどまだ病気が進行していませんから、かなり大きな数字になっています。
 要するに、今肝臓の疾患を代表的に出しましたが、漢方医学でも、これで大体どれくらい病気が進行しているかを、刺激装置を使って判定することができるわけです。
 遠くの方はちょっと見づらいかもしれませんが(図3)、例えば肝臓とか腎臓とかの標準的な値、それがこの丸で示されています。そうしますと、この方の場合は、腎臓の機能も肝臓の機能も、標準よりは下がっていますね。エネルギー量が少ないとえると思います。
 もう一つ、この方がそうだというわけではありませんが、肝臓のこの機能が他のものに比べてかなり小さく、標準より下がっています。この場合は、先ほどから申し上げているように、肝臓の病気がある場合が一つ、もう一つの場合は、精神的なイライラがある場合もやっぱり肝臓のBp値は減ってくるわけです。それから、精神的なストレスがかかった場合には胃系も低い値で出易い。これは標準値より下がってきます。へっこんでくる。そういうふうに、人間の内臓というのは、心の状態、ストレスの状態、マインドの状態によっても変動する。別に胃が悪くなくても、肝臓が悪くなくたって、ストレスが強すぎると関連経絡のエネルギー量が少なくなってくるということが漢方医学で立証することができるわけです。
 西洋医学では、こういうことは表現できない。ですからどっちが進んでいるのかということになるのですが、体と精神状態との関係を見るのですと、漢方医学の方がより進んだ状態で異常を見出すことができるわけです。
 影山先生はこういうこともやっておられるのですけれども、なかなかこういう検討は難しい、だんだん宗教にも関係してくる、ストレスの状態とか、そういうものを内臓の疾患とは別に見る方法、見分ける方法というのをつくっていかれると、患者相談といいますか、宗教相談といいますか、そういうのに非常に役立つだろうというふうに思っています。
 そういうことで、話は話といたしまして、我々が現在、心と体の問題に接近できるのは、こういう漢方医学を、内臓の状態とかそういうものを電気エネルギーに変換して、高いとか低いとか、そういうことを見分ける方法が一つ。それともう一つは、脳磁計と申しましたが、頭の磁場の発生状態で見分ける方法が一つ。つい先ごろまではなかった方法で、体と心、精神状態との関係を調べる方向があります。
 ただ、まだ始まったところですが、予想的に勝手なことをいわせてもらうと、例えば、今肝臓のエネルギー量が少ない人は、少し精神的に何か圧迫を受けた状態の場合もあるというふうなことを申し上げました。肺系という経絡がありますけれども、肺系のエネルギー量が非常に少ない人、肺が悪くなくても少ない人がいるわけです。子供のときに親父やおふくろがあまりきつくて、ばんばん怒ると、肺系呼吸器の性能が悪くなるそうです。ですから子供というのは、やっぱりほめながら、適当に叱りながら育てないといけない。
 今までの西洋医学ではなかなかわからなかった問題が、漢方医学のこういう方法を使いながら次第に解明されていくだろう、心と体の関係が次第に解明されていくだろうというふうに私は思います。
 それからさっき申し上げましたように、脳の状態、それから人間の刺激に対する反応行動、それの状態が脳磁計という器械でかなり正確に検出できるようになってきました。ですからそういうことがだんだんわかるようになってきますと、私どもが医学的な研究をしながら、かつ心理的な、精神的な患者さんの状態も推定できるようになってきますので、私は宗教関係の人も、こういう器械をスクリーニングにお使いになるのがいいのではないかと思います。以前AMIは二五〇万ぐらいしていましたが、今は一〇〇万ぐらいで買えますから、値段は半分以下です。もうちょっとたつともっと安くなるかもしれませんが、いずれにしましても、今後そういう使い方をされることができる時代がくるだろうと思っています。
 サイエンスをどういうふうに宗教に応用していくかということは、今後の一つの活路だと思いますので、それをぜひ検討していただきたいと思います。法華経の経文の中にもございますけれども、仏様は本人が必要に迫られないと助けにきてくれないと書いてあります。キリスト教では「求めよ、しからば与えられん」とありますね、法華経の寿量品第十六巻とか、それから観音経第二五巻の中にも書いてありますが、とにかく「仏に助けを求めよ」という意味のことが書かれておりますけれども、先達がこういうふうにしていろいろ教えを残されていますので、それをどんどん実用的な形に変える、あまり変え過ぎてはいけないでしょうけれども、実用的な現代の科学の常識からいって、なるほどと思われるものをどんどん実用化していくことが必要で、サイエンスと宗教とは別物だというふうにお考えにならない方がいいと思います。
 私はそういう意味で、もしお手伝いができれば、実際上のAMIとか、そういうものを計り方で一体何がわかるのかとか、そういうことについては、影山先生もいらっしゃいますからお手伝いができると思いますけれども、できるだけ次の時代、二十一世紀を目指した宗教科学の開発をお願いしまして、お話を終わらせていただきます。
 ※本稿は平成十二年九月六日、千葉県安房郡清澄寺研修会館にて開催された第三三回中央教化研究会議にて講演されたのもを筆録したものです。


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