日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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 日蓮宗医療問題研究会活動報告
    ビハーラ活動の推進


日 蓮 宗 医 療 問 題 研 究 会   
   一、はじめに
 日蓮宗中央教化研究会議(以下中央教研)第四社会問題部会では、十数年来、病名告知や脳死臓器移植、末期医療のあり方、高齢化社会への対応など、医学医療の発展に伴う種々の問題について宗教的側面からの討議を重ねてきた。その中で、平成元年開催の第二十二回中央教研において、このような現代医療問題について継続的に検討する研究会を設置すべきであることが提案され、翌年の第二十三回中央教研において「日蓮宗医療問題研究会(略称「日医研」)」が発足することになった。
 以来日医研は、継続的に研究・啓発活動に取り組んできた。研究内容としては、法華経と日蓮聖人の教えを基礎とした新たな生命倫理観の確立、宗教的見地から見た医学医療の方法論の比較検討、霊性、遺伝、業、輪廻転生などについての現代科学的知見に基づいた検討、脳死、臓器移植、生殖医療、尊厳死、病名告知、末期医療、痴呆などの現代社会的問題についての検討、及び、病者とその家族に対する教化法などをテーマとしてきた。また、脳死・臓器移植に関する議論の高まりの中で、日蓮宗教師を対象としたアンケート調査を行い、その結果を所報に報告した。
 これらの研究活動の成果に基づく啓発活動としては、平成五年に「日蓮宗医療問題研究会資料集」を発行、平成五年度勧学院研修会議「脳死・臓器移植と仏教者の対応」に際して意見を陳述、また、お題目総弘通運動の一環として、平成五年度に「お見舞の手引」(檀信徒用読本、教師用マニュアル、及びパンフレット)を作成、平成六年度には、高齢化社会に対する教化活動の位置付けから、高齢者向け教化資料「老いてこそ」の作成に携わった。
 こうした活動の中で、実際に病気や障害、高齢化に悩み苦しむ人々に対して、日蓮宗教師がどのような教化活動を展開すべきか、具体的な方策を探ることの重要性が痛感された。
   二、ビハーラ講座開設の経緯
 そこで、平成六年度第二十七回中央教研第四部会において、「現代社会にあって、がんの告知の可否や告知後の支援の問題、高齢化社会における高齢者福祉の問題、痴呆老人や寝たきり老人の介護の問題等、医療と宗教の接点に横たわる多くの問題に対して、日蓮宗教師としての積極的発言と実践的な関わりが求められている」ことを指摘し、「こうした現状に鑑み、高齢者への教化活動、がん告知患者への支援活動、ボランティア活動、お見舞い活動等に参加を志す教師に対して、宗門として、これらの活動を行なうに際して必要な基本的な知識、情報、具体的な方法等を伝える」ための「ビハーラ講座」の開設を提言し、参加者の賛同が得られた。
 次に、一般教師のニーズの実態把握と講座内容の検討の意味を含めて、平成七年度において第十回家庭児童相談室連絡協議会及び第二十七回中央教研参加者に対してアンケート調査を行い、計百二十一名からの回答を分析すると共に、「日本福祉大学」「中央福祉専門学校」「老人保健福祉施設『あうん』」等を研修視察(報告は所報に掲載)して講座内容の検討を積み重ね、平成八年度に第一回講座開設の運びとなった。その後も、平成九年度には「身延山病院」や「深敬園」、養護老人ホーム「功徳会」、平成十年度には「長岡西病院ビハーラ病棟」等を見学し、講座内容の充実を図ってきた。
   三、ビハーラ講座の内容
 日蓮宗の教師が檀信徒と共に行うビハーラ活動は、その基本精神として、仏教の基本概念及び日蓮教学をしっかりと把握しておく必要がある。そこで講座では、まず仏教とビハーラ精神、日蓮聖人の生命倫理観、及び歴史的な経過と現状認識の確認から始めることとし、その上で、医学や心理学、カウンセリング、看護介護の基礎知識など、具体的な活動のためのさまざまな基礎的な知識と手法の習得、実技の実習等が組み込まれたカリキュラムとなっている。
 平成十一年度(第四回)ビハーラ講座のカリキュラムは以下のとおりである。
一、仏教とビハーラ  …仏教とやすらぎ
            仏教の生命観とビハーラ精神
二、日蓮聖人の生命観 …日蓮聖人の生命倫理観
            ご遺文に見るビハーラ精神
三、ビハーラ・ホスピス・社会福祉の歴史と現状
四、医学の基礎と臨床 …お見舞いの基礎知識
            高齢社会への対応
五、心理学の基礎知識 …カウンセリング入門
六、ビハーラ活動の実際…臨終教化のあり方
            千代見草に聞く看病の心得と臨終行儀
            ビハーラ活動の体験を通して
七、実習       …ロール・プレーイング
            看護・介護の実際
            音楽をとおした癒しとその実際
            普通救命講習
   四、ビハーラ活動とは
 サンスクリット語ビハーラvihraは、「配置、楽しむこと、休養の場所、仏教の寺院」などを表す名詞であり、漢訳では「行、行住、安住、僧坊、精舎」などと訳されている。つまりvihraとは、休養する場所、あるいは安らぎや楽しみがもたらされる場所という意味である。インドでは今でも、仏教の僧院はビハーラと呼ばれている。仏教の僧院、つまり寺院は、本来仏の教えに導かれて安らぎや楽しみがもたらされる場所であるという意味が、このビハーラという言葉に含まれていると思われる。更には、修行僧が修行に疲れた体を休めて楽をもたらす、あるいは病気になった僧を看病して安楽をもたらす、という意味も含まれていると思われる。寺院には本来、修行や法要儀式の場としての機能と、仏の教えによって安らぎや癒しがもたらされる場所としての機能との、両者が兼ね備わっているものであるが、現代において、後者の機能の充実、つまりビハーラとしての寺院の姿を取り戻すことが重要な課題であろう。
 ちなみに、法華経安楽行品のサンスクリット語表記は、Sukha-vihra-parivartaである。これを鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」では「安楽行品」と、また岩本裕による「サッダルマ・プンダリーカ」の現代語訳では「安楽な生活」と訳している。サンスクリット語sukhaは、「快い、楽しい、温厚な」という意味を表す形容詞で、漢訳では「楽」と訳される。一方vihraは、前述のように、仏教の寺院等の場所を示す言葉であるが、その場所は単なる空間的な位置を示すのではなく、休養する場所、あるいは楽しみがもたらされる場所という意味が含まれている場所である。中村元は「佛教語大辞典」の中で、「毘訶羅vihra」の語注として、「現代のサンスクリット語やヒンディー語などでは、プールなどがあって若い男女や子どもたちが遊ぶところ、レジャーセンターをvihraと呼ぶし、また仏教の僧院をもvihraと呼ぶ。これらの用例は、いずれも古代から受けているものであろう」と述べているが、このことも、vihraに本来、楽しみをもたらす場所という意味が含まれていたことを示唆していると考えられる。現代において、仏教的終末医療の場をホスピスとの対応においてビハーラと呼称する場合もあるが、その語源はこの辺にあるものと思われる。我々は、ビハーラの意味を広義にとらえ、限局したある特定の場所や施設のみをビハーラと考えるのではなく、安楽がもたらされるところはどこでもビハーラであり、すべての場所をビハーラにしていかなければならないと考え、その活動をビハーラ活動と称するのである。
 このような理解に基づいて、日蓮宗におけるビハーラ活動というものを、一応以下のように定義づけることとした。
 「ビハーラ活動とは、医療や福祉や地域社会との連携のもとに、寺院において、自宅において、あるいは病院や施設において、病気や障害、高齢化に悩む人たちと苦しみを共にし、精神的、身体的な苦痛を取り除き、安心が得られるよう支援する活動のことです。
 日蓮宗のビハーラ活動は、すべての人々が仏の教えにふれて仏になることを願い導く法華菩薩行であり、法華経安楽行品に説かれる安楽の供養をはじめ、六波羅蜜(布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)、四無量心(慈、悲、喜、捨)、四摂法(布施、愛語、利行、同事)の実践であると位置づけられます。」
 具体的には、@誰にでもすぐにでもできる活動として、お見舞い活動があげられる。四苦の現場に赴いて、苦しみを共にしつつ、それらの克服を願って支援していくことである。Aキリスト教におけるチャプレンのように、医療に関するある程度の専門的な知識と経験を持った僧侶が、病院や施設のスタッフの一員となって、病者の心理的、宗教的なケアの現場に関わっていけるようになれば、極めて有意義なことであろう。更に、B実際に病院や施設を運営することによって、理想的な病院、施設のあり方を実現していくことも、将来的な展望として構想する必要があろう。これらのことを念頭におきながら、まずは身近にできるところから可能な範囲で活動することが大切である。
 「悉く是れ吾が子なり」…われわれ、病むものも病まざるものも、すべてみ仏の子どもたちであり、兄弟姉妹である。病み、苦しむものたちに救いの手を差し伸べることは、兄弟姉妹・同胞の苦しみを見て、捨て置くことができない、止むに止まれぬ心と、病み苦しむ兄弟たちを救うべしという親(本師釈迦牟尼佛)の命に違背せずに従う(如来使の)心とによる、必然的な行ないであり、親の教えを三業に受持する行ないである。
 今、病気や障害、高齢化に悩む人たちの救いを考えるとき、その人たちの置かれた状況は千差万別であっても、求めるべき最終的な目標は、釈尊の因行果徳の二法を譲り受け、この身のままで仏の安楽な境地に至ることである。日蓮聖人は、そのための道は題目受持以外にないと教えているのである。この基本認識を踏まえた上で、一方では個々の人の置かれた状況に応じた援助が必要になる。すでに確固たる信念をもち、周囲からの支援を必要としない人もいるであろうし、一方では何を目指すべきかに迷っている人、あるいは間違った目標と方法に惑わされている人もいるであろう。身体的な苦痛によって心が乱されている人もいれば、家族や社会的な事柄に思い悩んでいる人もいるであろう。このような精神的・身体的な苦痛、社会的な苦悩に対して、それらを適切に処理できるよう支援することも、正しい目標をしっかりとみつめていけるように導く方策の重要な一側面である。
 従って、我々の目指すビハーラ活動は、個々の人々の悩みや苦しみについて具体的に配慮し対応しながら、最終的には病める人たちが自らの努力によって、真の安楽の境地に至ることができるように支援することである。そして、そのための支援を志す者自身が、その行ないを通じて菩薩の行を積み重ねることになるのである。求道すでに道である。
 日蓮宗の寺院は、お題目で生きる「よろこび」を見つけ、傷ついた心に「いやしとやすらぎ」がもたらされ、落ちこんだ心に「はげまし」が与えられ、仏の慈悲に包まれた「安心」に満たされるところ、すなわち本来の意味でのビハーラでなければならない。そして、日蓮宗の寺院、教師には、共に日夜お題目の修行にはげみ、寺院に多くの人たちが集うよう社会に開放されており、お題目によって社会全体、世界全体をビハーラにするために社会活動をし、高齢化や、病気や障害などで悩み苦しんでいる人たちのためにビハーラ活動をしていくことが求められている。
 このように、ビハーラ活動は、単に高齢化や病気、障害などで苦しんでいる人たちに対する仏教的な活動であるというに留まらず、寺院のあり方や教師の活動の時間的空間的拡大と質的な変革を迫る内容を包含しているものと考えられる。この意味において、ビハーラ活動の推進は日蓮宗が本来の正統仏教徒集団としての再活性化を果たすためのひとつの方向性を示しているといってよいのではなかろうか。
   六、おわりに
 平成八年度にスタートしたビハーラ講座も、平成十一年度で第四回目を終え、受講者は延べ百三十人を超えた。講座修了者の情報交換の組織として「日蓮宗ビハーラネットワークNichirensyu Vihra Network(略称NVN)」も発足の運びとなり、また、各管区での教研会議でビハーラ活動がテーマとして取り上げられ、全国的な関心の高まりが見られる。若手教師、女性教師の関心が高いことも特徴のひとつとして上げられ、将来的な発展の芽になっているように思われる。
 法華菩薩行の実践としてのビハーラ活動は、立正安国を宗是とするわが宗門人のなすべき社会教化活動であるというにとどまらず、仏教界全体の再興につながる活動であろう。今後益々内容の充実を図ると共に、講座受講者を中心として各地でビハーラ活動を実践する宗門人の輪を広げていきたいものと念願している。
以上
(日蓮宗医療問題研究会メンバー:今田忠彰、奥田正叡、蟹江一肇、古河良晧、柴田寛彦、山口裕光、渡部公容)
(文責 柴田寛彦)


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