日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
HOME > 目次 > 資料集 > 現宗研所報 > 第34号
所報第34号:116頁〜 特集[社会変動と宗教] ←前次→

  二一世紀の日本の宗教を考える』
      −日蓮宗と新宗教と対比して−

廣  橋     隆   
(新宗教新聞社編集長)    

 ご紹介いただきました新宗教新聞の編集長の廣橋と申します。この新聞は新宗連、正式名称を財団法人新日本宗教団体連合会という団体の発行しているものでございますが、この新聞では新宗連や新宗教界にとどまらず、各方面に取材して、宗教と社会問題の接点というものについて考え、或いはそうした問題提起ができたら、という意識で編集しております。一九七五年に学校を卒業してすぐこういう仕事に入って、どういうわけだか、二四年続いてしまいました。この新聞社に入ってすぐに新聞の編集だけではなくて、新宗連の各種活動、青年活動を手伝ってくれないかということで、事務局のお手伝いもしてまいりました。
 今日、こういう演題で話せということですが、私は、実は日蓮宗の横浜の善行寺というお寺の檀家でございまして、幼い時から、かなりお寺に親しんでおりました。私は新宗連の加盟団体の信者ではありません。たまたま人づてにそういうご縁がありまして今の仕事に就かせていただいておりますが、小さい頃からお経を耳にしておりました。特に祖母から、幼稚園に入ったぐらいの時から、「無上甚深微妙の法は」と口移しで覚えさせられておりました。小学校に入りましたら、鶴見の妙光寺さん、平塚上人と同級で、校庭の鉄棒やりながら私が「無上甚深」とやっていましたら、「ぼくもそれ知ってるよ」という話になりました。家に帰ってから、「廣橋君のところはお寺なの」と親御さんに聞かれたとか。今の善行寺の御住職さんは灘上さんですけども、以前は小松海浄師で、結構かわいがられた記憶があります。そんなことから、こういう仕事に入って、立正佼成会・妙智會、或いは大阪の妙道会・大慧会、そういう法華経系教団に参りましたときに違和感なくスッと入っていくことができました。、読経の訓読と音読の違がありますけれども、お経に親しんでいたことで、今まで続いていたのかなという気がいたします。
 私の宗教的背景をもう少し申し上げますと。廣橋家はもともと日蓮宗の檀家ではなくて、母親の実家が檀家でありました。廣橋の父の両親はクリスチャンでした。また、私のはとこが太宰府天満宮の宮司でした。九州の福岡におりました廣橋の祖父が死んだときには、葬儀の前の晩、キリスト教の前夜祭がありました。そのあと、祖父の友人であった戒壇院の和尚さんがやってきて、お経を上げていきました。それから、天満宮の宮司さんが来て誄詞を上げて下さった。「神・仏・キ」、神道、仏教、キリスト教でお通夜やったという、そんな変なと申しますか、おかしなと申しますか、体験がありまして、こういう仕事も違和感なくやらせていただいているのだろうかと考えているわけです。
 今回、中濃先生に新宗教プロジェクトの中で、新宗教の現状について話をしろと承ったのですが、「今、日蓮宗さんで新宗教に学ぶことってあるのでしょうか」というようなことを申し上げました。そうしたら、「いやどうなんだと」、逆に聞かれました。そこで、「もうあまり新宗教のこと気にしなくていいんじゃないですか」というようなことを申し上げたんです。それは、後の話の脈絡の中で出て参りますけれども、宗教全般に元気がなくなっている。特に新宗教教団内に元気がなくなってきている。信者を減らしているというようなことを申し上げたのです。終戦直後から一九八〇年代ぐらいまでの新宗教は、かなり活力がありました。一方、伝統仏教はどうかというと、大変失礼な言い方になりますが、「葬式仏教」といったいわれ方をして、なんとなく元気がない時代があったわけです。いまや新宗教自体にも元気がなくなりつつある。そういう状況で、果たして、いま私が仕事をしている、フィールドからの話というのはどうなのだろうかと思ったわけです。逆にそういう状況であるからこそ、宗教共通の課題としてのお話ができるのではないだろうかというような気もいたしました。ここで私の仕事を振り返るような気持ちも込めまして、こういうレジュメ(文末)を作らせていただいたわけです。
 まず「新宗教」の定義とは何かという所からお話をしたいと思います。これは、後にお話する、「新新宗教」と「新宗教」という問題も含んでおりますけれども、日本の社会で言われている「新宗教」とは、なんとなく雰囲気では分かるのですけれども、今ひとつはっきりしていない。仏教教団をみても、袈裟・衣を着ているか着ていないという基準で見ることができるのだろうか。袈裟・衣を着ていても新宗教らしき教団もある。或いは神道系でも、神社本庁に属しているのかいないのか。戦時中に公認された神道十三派に属しているかどうか。漠然と考えられのではありますけれども、宗教学でもきちっとした概念規定がなされていないというのが、実際であろうと思います。中濃先生のご専門にも近くなるのですが、天理教の成立以降、中山教祖の天啓以降の宗教を、新宗教と言っていいのではという説があったり、明治維新以降と言ったり、もう少し政治的と言いましょうか、社会的というように言った方が宜しいのでしょうけれども、大本の第二次弾圧以降成立した宗教を新宗教という方もある。これは宗教統制下における宗教の勃興という問題を含んでの意味ではないだろうかと思われます。それから、終戦後、太平洋戦争敗戦後に発生した宗教を新宗教という説があって定説がない。そこで「新宗教」と「新新宗教」の違いはどうなっているのかということに繋がってくると思います。
 「新宗教」と「新新宗教」の境目はどうなのだ、という議論は一時期ありました。この「新新宗教」という用語をつかった最初の人が、東洋大学の宗教社会学の西山茂教授ということになっております。法華経研究、石原莞爾の研究ですとか、先生方もお親しい方であろうと思うのですが、当初、西山先生は「いや実は気軽に使っちゃってね」というようなことをおっしゃっていました。それで、学者の責任として概念規定をきちっとしてから使うようにしようと説明されています。それは新宗教の教団が大型化、或いは、組織化、近代化が進んでくると呪術性を失ってくる。呪術性を失ってくると、その補完的な集団として呪術性を全面的に出してくる新宗教教団が登場する。これが新新宗教だと仰っています。
 これに対して宗教評論家の清水雅人さんという方が、「新新宗教」といういい方をしてしまうと、「次に来るのは『新新新宗教』というのか」という指摘をして、それをいうならば、「第三次宗教ブーム」といった方がよいのではないかといわれた。第一次宗教ブームというのが天理・大本の、明治維新前後の宗教ブーム。第二次が、終戦直後の神々のラッシュアワーという時期の動向。ついで八〇年代以降の不確実性の時代に出てきたのが、第三次宗教ブームというように。なんとなく宗教ブームのような雰囲気が、八〇年代半ばにはありました。
 これを文化庁宗務課の専門職員でいらした古賀和則さん、今は龍谷大学の教授でいらっしゃいます。それに石井研士さん。古賀さんの後に専門職員になられて、今は國學院大學の助教授をされています。そのお二人あたりが、数字を上げて指摘をしています。教団数、或いは法人数の増加とか、信者数の爆発的な増加はない。「ブームといういい方はあたらないんじゃないか」ということなのです。それは数字で見たらその通りなのです。では、何をもってブームなのか、ということを考えたときに、それは、宗教問題を扱うマスメディアのアプローチの仕方が変わったのではないかということです。
 宗教ジャーナリスト三羽烏といわれた、私の先輩方にあたる、清水雅人さんであるとか梅原正紀さん、それから、日蓮宗出身の丸山照雄さん。この三方が、一時代を作ったわけですけども、第三次宗教ブームなり新新宗教ブームといわれた頃の、マスメディアの扱い方は、その三人の方が扱うのとちょっと雰囲気が違っていました。これはどういうことかというと、直接信者さんの救われた体験、或いは、救いのプロセスを月刊誌・週刊誌が書いたのです。最初にそういう取り組みをした雑誌が、今は無くなってしまいましたが、プレジデント社の出していた『ビッグサクセス』でした。では、なぜそういう企画を持ったのかというと、一九八四年のお正月三ヶ日過ぎた後の、朝日新聞が特集で、巷の神々、小さな神々、そういうシリーズを始めたのです。「おかげ話」というものを朝日が書きました。救われた体験をそのままの形で扱ったのです。これが、あの大朝日がご利益を書いたというか、生の宗教を扱ったというので、ものすごいインパクトがあったのです。それまで、宗教問題の記事というと、スキャンダル、お金と女というものばかりでありました。それを先ほど申し上げた「三羽烏」が、宗教的側面を尊重した視点で、教祖の生い立ち、教団の成立、というものを、半ば宗教学的な雰囲気の中で扱うというアプローチを確立しました。
 そのしばらく後に、一般ジャーナリズムの中で宗教体験を表現していった、そういう記事が多数見られたという状況が、ひとつのブームとして見られたという指摘だったのです。そこで、このブームというのはマスコミによって作り上げられたものではなかったのかというのが、ひとつの見方としてはあるわけです。しかし、その救いの実践として取り上げられたのはまさしく新宗教であったわけです。そういう意味で「救いの実践をしている宗教」こそ新宗教ということができると主張をする人もいるのです。
 もう少し、新宗教の定義について考えてみると、新憲法下で新しく勃興した宗教運動を新宗教と見ることはどうかということを考えてみましょう。終戦直後の「神々のラッシュアワー」とか、或いは、「雨後の竹の子のように宗教団体が発生した」と、こういうように言われているのですが、それはなにも、終戦、あるいは敗戦という混乱状況の中で、神懸かりが多く発生したとか、天啓を受けて、宗教集団が多数派生しというようなことではないと思うのです。この時期に天啓を受けたという方も少なくはないと思うのですが、圧倒的多数は、宗教統制の中で宗教活動をするために、公認された宗教の看板を借りて、教会であるとか、支部という形で、布教所を持っていた方々が、新しい憲法で信教の自由を保障されて、晴れて独立して白日の下に布教活動ができるようになって、一宗一派、或いは一教団という形での布教展開をはじめたことにより、数多くの宗教団体が生まれたと言っていいだろうと思うのです。
 明治期の宗教の問題を考えた場合に、永く続いた寺請制度というものと、神仏混淆として大衆の中に根ざしていた信仰というものが、明治政府による神仏分離、神仏判然令、廃仏毀釈といった政策により、国家神道を成立させていったという、非常に不幸な歴史があったわけです。ここで、明治三四年頃から国家神道体制なり、宗教統制のシステムができあがっていきます。それより以前に江戸幕府が崩壊していく、これまでの政治体制が変革していく中で、伊勢神宮を中心とするええじゃないか運動などに見られるような、社会的宗教的パトスというものがありました。そいうなかで新しい宗教の誕生があったと見ることができます。戦後には、新しい憲法の中で宗教が活力を持った。そういう意味で、宗教制度というものは、宗教運動に色濃く影響を与えるといえるのではなかろうかと思います。
 余談になりますが、そういう意味で、今回の、と申しましても三年前になりますが、宗教法人法の改正案がいうものが割と簡単に国会を通過してしまったということについて、もう少し良く考える必要があるのではないだろうかと思うわけでございます。
 「新宗教」のとらえかたとして、時代区分的、或いは制度的な問題から見ていくというアプローチの仕方を見てきたのですが、ここでもう一つ大事な点として、新宗教の持っている性格、性質という側面から、新宗教の特質を見ていったらどうだろうかということです。稲垣足穂氏と梅原正紀氏の著作による「終末期の密教」(一九七三年、産報刊)という本があります。ここで梅原氏は、新宗教の特質の一つとして、『秘儀の大衆化』を上げています。秘儀とはなにかといえば、読経もその秘儀の内に入ると考えてよいと思いますが、まず秘儀が大衆化されるということ。それから、もうひとつの特質は、信者、信徒が即布教師であるということです。ですから、信者の再生産が効率よく行われていく。伸びるときには等比級数的に伸びていく。伝統仏教なり、キリスト教の場合には伝道者と信者は隔絶しているわけで「あそこの教会行きましょうよ」、或いは、「あそこの住職さんの話を聞きにいきましょう」、というケースもあるだろうけど、直接、布教者、改宗させるモチベーションを与えるものはやはり、聖職者でなければならない、というのが伝統宗教でありましょう。これが創価学会にも見られるように、一個の人間が他者に影響を与えて、思想的に哲学的、さらには人生をも変容させていくということは、一般人の布教者にとってものすごいインパクトであると思います。そういう意味で、秘儀の大衆化と信徒即布教師、この二つが新宗教の特質といえましょう。
 秘儀の問題に関連して申し上げますが、霊友会の初期、昭和のはじめから、霊友会にいた方にたまたま話を聞くことがありました。もう亡くなられた方ですが、千葉県に霊友会と別れた正義会という教団がございます。その初代会長の山口義一先生という方から聞いた話です。当時は、布教というか、導きというのはたやすかったとおっしゃっていました。「ころころ入ったって」と言うんですね。ころころ入ったと、おもしろい表現ですが、これはなぜかというと、「先祖供養をあんたも出来るんだ」ということ言ったら「ほんとですか」という反応だったという。その頃はどうもまだ江戸時代の影響が残っていたらしいのです。江戸後六〇年という時間の経過、当時は明治六〇年。戦後五四年の今日を考えると、戦争の影響というのは、人間の心の奥底に綿々と残っている。そういう時期に、死者への礼拝、供養、読経というものが、聖職者に限られた好意として受け取られていた状況が根強く残っていたようです。そこで、「あんたもお経を上げて先祖供養しなさい」というと、「ああ、自分にも出来るのか、ありがたいことだ」ということで、即入会したといいます。一年間に五〇〇〇人も導いたことがあるというのです。この例が秘儀の大衆化の端的な実証例として、私は印象に残っている話だったわけです。
 それからもう一つ、時代的に卑近な例として捉えられるのが、阿含宗でしょう。日蓮宗の先生方には、そう影響は少ないのかもしれませんけれども、真言宗の方々からすれば、「阿含宗の桐山靖雄という人はとんでもない輩だ」ということを仰る方もいるわけです。これはなぜかというと、真言密教の大衆化であったわけです。「ちゃんとした資格がない男がそんなことしていいのか」というのが、真言宗の各宗派の方々の受け止め方であります。真言系の密教にはお作法がありますね、これを桐山氏はやってしまうわけですね。それから、曼陀羅を掲げてメディテーション、瞑想する。これこの一連の桐山氏の行為を梅原正紀さんあたりは「真言密教の秘儀を大衆化した」と評価できるとしています。
 この数年、考えてきているもうひとつの要素、社会構造の変化に伴う宗教の変容ということです。明治以前の寺檀制度というか、寺請制度の時代は、農村社会、いわゆる大家族、家父長制度のもとに、旦那寺には一族の墓がずらっと並んでいた。大衆的にはどうだったのかという疑問は残りますけど、一応、モデルとしてはそれがあった。それが明治維新以降、近代化が進む中で、人口の都市集中が起きるわけですね。富国強兵政策と共に、産業構造が変っていく。工業化政策のもとで都市労働者が必要になってきて、農村から都市への人口流入が行われてくる。となると、農村型社会から都市型社会に移行し、これに伴って、核家族化がおきてくる。そうなると家の宗教から夫婦、或いは親子の中での宗教っていうものが当然必要になってきた。これがどうも霊友会に象徴される、或いは天理教もそうだったのかもしれませんが、一番わかりやすいのは霊友会の例ではないかと思うわけです。
 これはまさしく、今日の核家族以降の墓地問題にもつながる形であるのですが、霊友会系の教団では、信者各家に「総戒名」を祀ります。霊友会はもちろんですが、法華経による先祖供養教団で行なわれています。「総戒名」には一つパターンがありまて、そこには金持ちや貧乏人の差もありません。ご主人方の姓と奥さん方の姓を並べて書くわけですね。これは後でお話ししようかと思ったのですけども、永代供養墓に現れているような、墓地の継承者の問題を含んでいるというか、そういうものを予言した形での総戒名であったのではないかという気もしているのですが、ともかく、この段階では夫婦が家族の一単位としてとらえられているわけです。これが今でいう新宗教のパターンであると思います。
 その次に、核家族自体が崩壊してくる。若者自体が、家族との絆というか、結びつきが非常に弱くなっている。親にもわからない。それ以前に、旦那さんと奥さんが何をやっているのかわからない。お父さんが夜帰ってくれば、子供は寝ている。朝は子供がまだ寝ているか、学校行へ行ってしまったあとに、誰もいないときにご主人は勤めに出るという。夕食も一緒ではない。いつ話し合いがあるのだろうか。そういうものは成立していない。そういう家族をホテル家族と言うのだそうです。。たまたま同じ所に寝ているだけということ。家族社会学という学問領域があって、その分野でいわれているようです。
 そこではでもう、家の宗教だとか何だとかは話題にならない。だから、奥さんは立正佼成会や創価学会、ご主人はGLAで、子供はどうなるのか。家庭の空洞化。たまたまそこに一緒に暮らしているだけの話し。それも暮らしと言えるかどうか。そういう中でいみじくも台頭してきたのが、括弧つきの「新新宗教」ということになるわけです。大山祇命であるとか、崇教真光であると。或いは、幸福の科学、そしてオウム真理教、統一教会です。
 オウム真理教、統一教会では、完全に親を否定して、拒絶するわけです。オウム真理教の場合には、親を拒絶するノウハウを信者に教えているのです。純粋にオウム真理教を宗教集団というように見る場合には、出家して修行する、そこまでは宗教的にありうることだと思います。そこからの話ですが、親が子供に帰ってこいという。「まだまだあんたは若いんだから、知識もないんだから、宗教もいろいろあるんだから、いろいろ勉強してから選んだらいいじゃないか。だからなにもオウム真理教なんか行く必要ないよ。一回戻ってらっしゃい」というように大抵の親はいうのです。それに対して、「お父さん、お母さんは、いろいろ試してから選んで結婚したんですか。そうじゃないでしょう。私がいいと思ったからここに来たんです」そういういい方がちゃんとマニュアルにあるのです。ですから親への拒絶の仕方というものがそこで教えられたわけです。これがホテル家族、或いは家族崩壊状況の中で出てきた。数としては大したことはないと思うのですが、当初はこれらの教団は大変特異な動きとして、社会的に注目されたのだと思います。
 さて、新宗教というものを大ざっぱに考えたときに、新宗教と伝統仏教を敢えて対峙して、新宗教の「新」というのはどういう意味合いがあるのだろうかという問題について考えたときに、伝統仏教について大変厳しい見方として、「お葬式・法事」だけの宗教であって、人を救っていないではないかとの指摘があります。それに対し「新宗教の新は、ダイナミックに人心を救済して活動を展開しているという意味なんだ」との主張が、新宗教界の中にはあります。新も旧も区別することは、本当は出来ない、ある意味で鎌倉期における真宗やこの日蓮宗も新宗教であったはずです。それがいつ旧宗教に変わるのかというと、「活力を失ったときに言う」というわけです。となると、今の新宗教もだいぶ活力を失ってきているから、旧宗教の部類に入ってくる。ですから「新新宗教」というより「新宗教」で良いのではなかろうかと思います。
 終戦直後の国家神道、或いは軍国主義、超国家主義の中での信念体系が一挙に崩れ去った。日本人がみんな自信を失っているときに、新しい宗教、踊る神様、天照皇大神宮教に象徴されるような、或いは爾宇のような形の特徴を持った宗教も目立つところであったのですが、実際は、創価学会、立正佼成会、PL、息を吹き返した天理教、そういう宗教集団が、人間の心、日本人の荒廃した心、人心の混乱を救済していった。日本再生の活力になっていったと見ることができましょう。その後の高度成長経済の中での、高度資本主義社会の人間疎外を補完していったという学者の方もいらっしゃいます。そうした機能は果たしていたと思います。
 実は私、十年前に家を建て替えました。戦前から我が家の屋敷内にお稲荷さんがありました。「長栄稲荷」といって、私の祖母の妹が戦前の昭和一〇年代にいただいてきたものだと思います。蔵の中に祀ってあったのですが、私が小学校の時、狐が蔵から逃げていく夢見ました。そこでお坊さんに相談しましたら、「蔵の中はよくないよ」といわれまして、庭に作ったのです。新築にあたって、庭をなくしてビルにしようという事で、お稲荷さんをどうしようかということになりました。「お稲荷さんはそう長々と祀ってちゃいけないんだよ」という話しを伺いました。「お願いしてそれが整ったらお返しするのが筋なんだよ」ということを教えられて、お帰り願うことにいたしました。池上に伺いました時に、題目講があり唱題行と言うのでしょうか、そこに集まっているご婦人方が唱題されている姿を見て、日蓮宗もまんざら捨てたもんじゃないなと思ったのです。こういう信者さん、檀家さんと言ったほうがよいのでしょうか、そういう方々のお題目に非常に強い活力を感じたのです。これ、お世辞で言っているわけではなくて、心底、ほっとしたと言うか、そんな気持ちがいたしました。
 さらに、私の遠縁にあたる親族の法要でのことです。私の旦那寺の善行寺さんは、割と整っているお寺の一つだと思いますが、親戚、遠縁にあたる親族のお寺は非常に小さなお寺で、おどろおどろしいお寺なのです。後で聞くと「祈祷寺」というのでしょうか、こうしたお寺に初めて接触しました。ここのお寺に新宗教の中で語られている、人々の心の悩みや苦しみというものを受け止めている姿があったのです。新宗教の宗教活動に入っていくパターンとして、古くから言われておりますのが、ご承知の通り「貧・病・争」であります。本堂に並べられているお塔婆に書かれている文句一つ一つが、やはりこの「貧・病・争」なのです。神道系の教団で、仙台に大和教団という教団がございます。非常に活力のある教団なのですが、そこで万灯慰霊祭というお祭りをお盆にやります。神前に捧げるお提灯に、「交通事故轢死の霊」、「○○の水子の霊」とかかかれておりまして、慰霊祭を行なうのです。まさしくそれと似通った形が見られました。これは日蓮宗、あるいは日蓮教学の中でどのように位置づけられるのかという難しい話は抜きにして、「ここに救いを求めている人たちが来てるのだ」ということで、まだまだ生きている。民衆に求められているんだという思いをしたことがありました。
 レジュメにネパール・ルンビニで出会ったことと書いてありますのは、今日の話の脈絡と少し違いますので、ちょっとご説明させていただきます。ちょうど二〇年前。一九七九年の二月〜三月にかけて一ヶ月間ネパールを巡回してまいりました。これは、新宗連の青年会の、ネパールでのプロジェクトをどう考えていくかという調査で訪れたときのことでございます。このときは、日本キリスト教団の信者、岩村昇先生という、ネパールで二〇年近く、医療活動されてきたお医者さんに、新宗連の青年もネパールへ来て奉仕をしてはどうかと呼びかけられて、でかけていったのです。何カ所か回って最後に釈尊の降誕地のルンビニを訪れ一〇日ぐらいおりました。ルンビニの再開発が行なわれておりまして、いま、全日本仏教会がマヤ堂の修復をされていますが、二〇年前ですから、ちょうど丹下健三のマスタープランを着工して数年目かだったと思います。当時は、立正大学の考古学のチームが発掘調査をされていました。そのチームがたまたま日本に帰られていたときで、ルンビニ開発公社の事務所に泊まらせていただいていました。
 毎日のように日本から新宗教、伝統仏教問わず参拝団がやってきました。そこで、向こうの考古学者や、ジャーナリストと仲良くなり雑談していましたら、「日本からツアーが来るからおまえちょっと説明してやれ」と言うのです。そうすると、日本人が出ていくとみんながっかりします。こんな大変な思いで遠いところ来たときに、日本人がいたというので、なにか、がっかりしたという感情があるのかなと思いました。そうした中で、ちょっとした事件がございました。
 私は、もう、一ヶ月ぐらいネパールのあちこちを歩いていたので、まっ黒になって髭も生えて、むこうのトピーという帽子をかぶって、ルンビニ園の入り口ところにたたずんでおりました。インドサイドから一台のバスが入ってきました。ネパールサイドから入るケースは少なく、ほとんどの方がインドサイドから入ってきます。その一台に日蓮宗何々宗務所という横幕が貼ってありました。「日蓮宗のお坊さん方も見えたんだ」と思ってみると、ある県の宗務所主催の旅行だったのです。それで、パッと眼を上げたら、みなさん酔っぱらってらしたんですよ。「エッ」と思ったのですが、それがちょうどお祭りの日で、タンセンという歩いたら四日ぐらいかかるところから、バス乗り継いで見えた巡礼団もいたのですのです。僧侶の集団の方がバスの中から、「そこのねえちゃん呼んでお酌させろ」と言うのですね。「ちょっと待ってください」と思わず言ってしまったのです。そしたら、私がネパール人だと思ってびっくりされたようですが、「ここは聖地で、みなさん巡礼に来ているところです。あなた方は何をしににきたのですか」、というようなことを申し上げました。多分、僧侶の方々は釈尊生誕の地、インドの仏蹟参拝という形で、一つの大切な宗教行事としてお見えになっていたのでしょうけれども、集団で行動することによって気の緩みがあったのではないだろうか。物見遊山の気持ちになってしまったのかと思うと、非常に寂しい思いをしてしまいました。そのあとに、弁天宗の一行が訪れたのです。私はそれまで弁天宗と言う集団をあまりよく知らなかったのですが、そういう方々が青年部を始めとして、緊張してお参される姿を見て、殊更すがすがしい思いがして、強く心に刻まれたのでした。これは機会があれば、あえて伝えさせていただいた方がいいのではないかとの思いがありまして、お話しさせていただきました。
 先ほどから、仏教系の新宗教のことを多く語っておりますけれども、宗教につきまとう問題は、生まれることと死ぬことです。生まれることにはあまり仏教は関わらない。お宮参りというと、お宮さんに行って、これはペンネーム、イザヤ・ベンダサンという人の書いた本の中で『日本教』という表現になっていましてたが。ともかく人の死にかかわる所で、葬儀とお墓という問題を伝統仏教は受け持っている。新宗教も考えなければならないところにきている。新宗教教団の場合には、葬儀というのはほとんどない。これは、お寺に任せておけばいいのだと、葬送儀礼、死者儀礼については、余り考えられてこなかった。善隣教という、神道系と言っていいと思うのですが、諸教というカテゴリーの非常にユニークな教団が福岡にございます。昭和五二年に教祖が亡くなりました。そこで、教祖が亡くなって初めて、その教団としての葬送儀礼、死者儀礼を考えることになりました。教祖の葬儀によって教団としての葬儀のパターンができたのでした。
 創価学会が日蓮正宗を破門されて、お坊さんが創価学会とは絶縁することになりましたので、創価学会としてはどうするのだということが問題となったわけです。いろいろな新宗教に調査を入れてきておりました。破門される前から、七つの鐘の頃から、現在の状況を創価学会のブレーン集団は予測していたかのように、調査を始めております。私の方にも接触してきたことがあります。問題は、葬儀の問題と本尊の問題でした。電話で聞かれたものですから、私は「池田さんが本尊を書けばいいじゃないですか」と冗談めかして話したのですが、「とんでもないことだ」という反応でした。このあたりが創価学会の限界点ではないでしょうか。それともう一つが葬儀の問題で、「自分たちですればいいじゃないか」といいましたら、「友人葬の形になるんですか」と。そのころから、友人葬っていうタイトルができていたようです。
 立正佼成会のケースの場合には、教団の幹部の場合には、立正佼成会方式で行ないます。進行は日蓮宗の葬儀に似ています。多くの信者の場合には、伝統仏教のそれぞれの寺院にまかされている。墓地の問題となりますと、立正佼成会は佼成霊園というのを造った時期に、伝統仏教の集団にかなり警戒されました。軋轢になりかけました。立正佼成会自体が、旦那寺を大事にしなさいという指導がありまして、佼成会の信者さんが多いと、お寺の経営にも寄与していた部分があって、これを今度佼成会が墓地開発をして墓地を持つとなると、やはり伝統仏教としては危機感をもったのでしょう。佼成会としては宗教対話を標榜していて、摩擦を避けたいということで、佼成霊園を一カ所でやめてしまったわけです。
 レジュメに書いてあります「お舎利抱えてますので」というのは、ある真言宗の僧侶の発言でございます。数年前に高野山で、日本密教学会という会合がありまして、そこで、「新宗教と弘法大師」ということで話せとの依頼がございました。一人ではとても無理な話しですが、パネルディスカッションということでしたので、出席させていただきました。このときにでてきたのがこの発言でございました。「新宗教さんもいろいろがんばってますけども、我々、お舎利がありますんで」とこういういわれ方をされたんです。これは、まさしく、墓地は我々の境内にあり、葬儀は我々がやる。我々が葬儀をしなければ、うちの墓には入れませんよということなのでしょう。さらに、お墓がある限りは、うちで法要、年忌法要をやってもらうという前提でのお話をされたのだと思います。
 ところが、今の社会状況の中で、新宗教も考えなくてはならないと思いますことがもうすでに日蓮宗の小川先生の造られた、新潟の安穏廟というお墓です。いま、セミナーを開くと定員オーバーして集まるという、永代供養墓の問題。これは、お墓はあっても後継者がなくなってくる。後継者がないということはなにかと言うと、子がないということ、もう一つは、少子化で長男長女の結婚というのがあるわけで、両方にお墓がありますと、片一方のお墓の後継者がなくなるというケースです。善行寺の墓地を見ても何々家何々家と、ご夫婦それぞれの家の名前書いてあるお墓もよく見受けられる、そういう時代になってきている。国柱会は全部お骨あけるのですが、そういうところも、他の新宗教の中に信者のニーズに応じてやっているところもあります。先ほど申し上げた社会構造の変化、家庭構造の変化と共に、少子化の中で、「家」というものが崩壊し、なくなってきたときに、何々家の墓地というものが成立しなくなってくる。そういうときの寺院経営のあり方というものも変わらざるを得ないと思います。
 つぎの課題は、葬儀とか戒名料が高すぎるという話について、私はあまり批判しない。「いいじゃないですか」ということをかえって言ってしまうたちなのです。それは、「死んでからずっとお寺に世話になってお墓を守ってもらって、毎日お経を上げてもらえるんですよ」と、それにしては戒名料一〇〇万だって安いじゃないですかと。先生方にはどう受け取れられるかわからないのですが、新宗教教団の中で信者としていれば、年間どのくらいの献金をするか、布施をするかということを考えた場合に、檀家としてどれだけのことをお寺に対して貢献しいるだろうかと考えた場合に、死んで、さあ、お世話になりますといったときに、一〇〇万や一五〇万、院居士戒名で「えっ、高いですね」と言うことは、それは違うのではないかと思うのです。逆にそれを言いきれないお坊さんに、問題があるという気がしないでもない。これは非常に大切な、宗教ということを考える軸になってくるだろうと思うのです。ちなみに善行寺は、私の父親が死んだときには、何も言わずに戒名を付けてきてくださった。うちはずっとこれです、みたいなことだったので、こちらも、それはそれなりのことをしなければならないなということになる。今の世の中で、日常的な寺院と檀家の関係性の問題であると思います。それから、新宗教と信徒の関係というものをやもう少し見る必要性がここにはあるという感じがしたわけです。
 「日蓮宗と天台宗」のお話しに入りたいと思います。次のテーマのきっかけにもなるのですが、日蓮宗の僧侶、私の家に月参りにお見えになるお坊さんがいらっしゃった。もう亡くなったのですが、その方と晩年よく話をさせていただきました。そこで出てくるのが、「外護団体」という言い方なのです。日蓮宗とすれば、お祖師さまの開いた法華経、日本での法華経のあり方というものを受け継いだ。言ってみれば、霊友会の久保角太郎氏が西田無学氏の先祖供養と法華経を結びつけたものに、原木山に小谷キミさんを入れて、霊感修行させたという経緯からすれば、霊友会系の教団というのはやはり、日蓮の系統ではあるが、日蓮宗ではないという意味で、日蓮を信奉する外側の団体として、「外護団体」という言い方をするのは宗派としては当然なのかもしれません。ところが、法華経系教団の中では、私どもは日蓮宗の配下にあるものではないという認識があります。立正佼成会を例にとって法華経行者の先達として、日蓮聖人を崇敬はしても、「宗祖」という位置づけではないのです。
 ここで今、天台宗が、そういう法華経系教団だけではなく、新宗教教団に接近しています。比叡山開山一二〇〇年という折をとらえて、日本の全ての仏教はここから始まっている。日蓮聖人しかり、ここで修行されたのだと、いわれるわけです。新宗教教団に対しても、「皆さんにも是非ともここで法要をやっていただきたい」ということで、下にも置かない。そうなると、日蓮宗の「外護団体」としての受け止め方と、天台宗の下にも置かない態度では、新宗教教団にとって、どちらが心地よくお付き合いできるかどうかということになってくる。開山一二〇〇年の法要があり、その前に比叡山宗教サミットいう宗教対話のイベントを実施したわけです。さらに、比叡山宗教サミット一〇周年というイベントを組み、なおかつ天台大師(伝教大師)の一四〇〇年大遠忌の慶讃法要というものを企画する。新宗教教団を含む、各宗派を含めて、比叡山山頂の根本中堂の前でイベントを開いた。また、根本中堂をそれぞれの教団、宗派に法要のために解放する。日蓮宗と関係各宗、法華経系教団との関係に比べれば、希薄な関係であるかもしれませんが、その扱い方に格段の差がある。日蓮聖人は日蓮宗なのだというような形を考えるのも一つの方法かもしれませんが、そういう上下関係というのは、ごく一部の教団を除いては成り立たなくなっている。
 法華経系の新宗教として、霊友会系教団、大乗系教団、仏立講、さらに、創価学会とあえて入れてみました。このように教団が大別できるだろうと思います。これには霊友会から独立した孝道教団がありますが、この教団は霊友会を離脱して、早くから天台宗に近づいていました。天台宗が孝道教団を宗派として、天台の中に位置づけたのです。現在の新宗教教団に対して下にも置かないもてなしをするという態度も、その辺から始まっていといえるかもしれません。
 霊友会系教団群の中には、立正佼成会、思親会、仏所護念会、妙智会、妙道会、大慧会、正義会。そして法師会という教団がありましたが、先頃名称を法師宗に変えました。法師会教団という名前であったのですが、新宗教に対する世間の風あたりの強さに危機感をもって、伝統仏教の色彩に塗り替えようとしているように思います。大阪にあります法華宗系の教団で、天顕教という教団があります。そこは天顕寺という寺院の名前に変えてしまいました。そこは、法要のときには、立正佼成会や霊友会のように礼服を着て式典をするのではなくて、袈裟・衣をつけてやっておりました。
 次に、創価学会の問題を掲げていますが、これだけで、かなり時間を必要としますが、一つだけ申し上げておきたいことがあります。現在の創価学会に対する批判といいますと池田名誉会長批判が中心です。創価学会の問題点というのは池田名誉会長以前に、教団に問題点があるということをきちっと見ておくべきではないだろうかと思うのです。勢い、創価学会批判者は、池田大作氏の問題点を追求していく。これは元々創価学会にいた方々はそのようになってしまわざるを得ない。極論になるかもしれませんが、私は池田名誉会長批判よりも、むしろ逆に池田さんという方はすぐれた信仰者ではないだろうかとらえて、「恩師戸田城聖氏の描いた姿の数十倍、数百倍のことを成し遂げた人だ、信仰者としてはすごいじゃないか」、大客殿をすぐ建てて寄進して、正本堂も建立した。信者数は八百万。政党も作って衆議院に進出、王仏妙合ももう間近。これはすごいことだと評価していいだろうと思います。「でも、信じるところが、違っていたのではないか」というように申し上げるのです。そこをきちっと押さえておくべきなのではないかと思います。牧口氏なり戸田氏の考え方には、自分の創価教育論というものを、宗教宗派を利用して、普及させていこうということではなかったのか。本来の目的がありながら、それを、宗教を通じて実現していく。法華経の伝播力を利用してやっていこうという考え方があったのではないか。これはまた、戸田城聖氏なり池田大作氏の政治的野望を、法華経の伝播力を利用して実現していくということにもなってくるのではないでしょうか。
 誤解を恐れずに申し上げれば、日本は自由と民主主義の国家ですから、創価=公明のあのような選挙活動をやってはいけないとか、政治活動はおかしいといういい方は、少々的外れではないだろうか。やっても構わないのではないかと考えてみたいと思います。政教分離というのは、政府、国家機構と宗教の分離ですから、宗教団体が政治的主張を述べるのは構わない、選挙活動をするのも構わない、ただ節度を持って行なうべきとは思います。但し、「その主張と目指しているところは、はっきりと日本国憲法に反するものである」ということをきちっと認識すべきでありましょう。ですから、平和主義を唱えながらも、それは一教平和主義であって、共存・共栄の平和国家を、宗教の共存・共栄を考えてはいないわけです。平和と民主主義を掲げていても、それはマヌーバー(maneaver:策略)としか評価できない。方便としか思えない部分があるわけです。
 今日の宗教の最大の問題点というのは、オウム真理教事件のダメージというのが非常に大きい。宗教回避というよりも宗教はもう避けて通りたい、宗教忌避という状況が大衆の中にある。教団職員がアパート借りようとしても、宗教法人何々教団の職員ということだけで、入れないのです。これまでも不動産屋がチェックして、「周りに迷惑かけませんね」とか、「お線香臭くなりませんか」とか、「南無妙法蓮華経ってうるさくないですか」とか、「太鼓を叩きませんか」とか、そうしたことはままありました。一部の教団に対しての嫌悪感であったものが、宗教全般に対してそういう認識をもってくるという時代になってきてしまいました。
 一時代前は「宗教好きの教団嫌い」というのが多くの若者の意識でした。参考のために、去年の、読売新聞の調査で、「宗教離れ変わらず」というものです。相変わらず宗教離れの傾向が出ていることなのですけども。一時代前には、宗教は好きなんだけども、教団という集団に入ると、ああしちゃ駄目、こうしなさい、こうしなきゃ駄目、あれしちゃ駄目という、そういうところが宗教集団にはある。少し前からの若者の行動パターンとして、大学の部活動をやらなくてサークル活動に入っていくということがあります。これは、集団になってある程度役割分担というものをしたり、ある程度義務が生まれるということを嫌がる。それで緩やかなサークルに入る。今はもうサークルも駄目なんですね。もう分立している。そういう風潮の中で、「宗教好きの教団嫌い」から、「不思議大好きの宗教嫌い」というパターンになってきている。その結果、ニューエイジ。アメリカで始まったニューエイジのいろいろな動き、精神世界への傾斜、ヒーリング=病気治し、というところへ入っていく。
 アロマセラピーというのが流行って、臭い嗅いでリラックスして、気持ちよくなる。これは一歩間違えると非常に危ないです。科学的な物質を利用して心の安定を保つという行為の延長線上には、薬物が待っているのではないかと危惧するのです。読経三昧というのは、ある意味でトリップの状況になるらしい。身延・七面山。七面山に行かせていただきますと気持ちいいですよね。読経、お題目唱えて、ご来光いただいてすがすがしい気持ちになる。酸素の薄い山頂での読経三昧はある種のトランス状態に似たものを体験することもある。あるいは、精神集中して、一つのトランス状況に入っていく。これを「薬」でやるか「行」でやるのか、宗教にとっては大きな問題のはずです。結果よければそれでいいじゃないかと手がるな方向に流れていく。そういう時代になってきている。これは、次の課題の「新時代への視点」に含まれてくる問題としてあると思います。宗教から人々の心がだんだん離れていく世相の中に、宗教バッシングというのが厳然としてあるわけです。
 宗教不信の最初の出発点は何かというと、そのひとつに、国税庁による税務調査の発表にあると見ることはできないかと思うのです。最近そういう記事は減りましたけども、お坊さんがお寺のお金流用して、愛人にミンクの毛皮を買った、息子に車を買ってあげたとか報道されました。修正申告して、場合によっては重加算税を取られるということになるのですが、国税庁の誇張した発表によるものではあったのですが、こうした報道に対して、宗教界として反応しない。高い倫理性を求められる宗教にあっては、そういう不正は弁解のしようがないということはありましょうが、ではなぜ、その宗門なり、あるいは仏教界なり、連盟なりが、「あれは間違いです。いけないことです」ということを公に言わないのだろうか。「宗門としても恥ずかしい。こういう法人が宗門の中にあって真に申し訳ない。今後指導を徹底して、誤りのないように努力をしていきます」ということを、どうして言わなかったのだろうか。あるいは、「明らかにあれは間違えですよ」ということさえも公に言わなかったのだろうかと思います。たとえば、あそこのお寺さんがやったことだから、こちらで何かいうのも申し訳ない、波風立てる必要もない、そういうようなところで発言を遠慮すということもあるのでしょう。しかし、これが社会にとっては、宗教界が何も言わないことによってみんながみんな、それをやっているのじゃないかっという印象になってしまっている。自浄努力がないというような判断になってきた。脱税で摘発されたという報道がなされているにもかかわらず、寺院だとか神社、あるいは宗教団体ってのは税金と関係がない、というような認識が蔓延する。それはおかしいじゃないか、というような議論になっていってしまった。これも宗教法人法の改正に繋がっていくようなことになっていきました。
 さらに言えば、宗教法人法改正の問題について、あまり真摯に受け止めていなかったのではないでしょうか。議論さえ日本宗教連盟でされなかった。いろいろな思惑と、配慮が働いて議論されなかった。この宗教法人法が、今までの性格と一八〇度性格を変えた。これまでは役所は認証するだけ、というのが今までの法律だったわけで、改正法は毎年報告書を出しなさい、一応監視しますよという監視法になりました。文化庁は、「宗教法人法の一部改正で五項目を改正させていただきました」と言いますけれども、ひょっとしたら、今までの宗教法人法は廃止されて、新しい宗教監視法ができたという評価ができるのではないか。私は、改正議論の中では気がつきませんでした。ただ、法律のスタンスが変わるのではないか、ということを申し上げてきたことがあったのですけども、いま、こういう総括が必要になって来るのではと思うのです。宗教間対話の中で、相手の主張を傷つけないために、議論を引っ込めるということになってきている。宗教間対話なら、そういう際だった問題をきちんと議論して、よりよい宗教界を作っていく。社会に理解される宗教界を作っていく努力が必要なのではないだろうかと考えるわけです。
 今後、宗教が二一世紀に生き残れるのかと考えると、伝統仏教については楽観しています。日蓮宗にしても七〇〇年、八〇〇年の歴史があるわけです。まがりなりにもここまでやってこられた実績があるわけです。新宗教教団は、教祖生誕百年と、賑やかにやっているところが一番古ところということです。ほとんどの教団が五十年そこそこ、あるいはそれ以下の歴史しかありません。こういう集団に、今の宗教忌避、宗教回避の波をのりこえ、あるいはそういう社会的状況を根本的に塗り替えていくことができるのかどうかという不安を持っているわけです。今、新宗教のダイナミックに活動していた教団のなかで世代交代が起きています。あるいは、教団の組織化が進んでおりまして、官僚が生まれております。官僚が生まれるということはどういうことかと言うと、失敗すると出世にかかわります。何かしようとして、失敗したら怖い、成功したときは大きいのですが、その評価は往々にしてあたりまえと受け取られてしまう。そうなると、なにもしないことがいいことで、出世に繋がるいう、そういう発想になってくる。そういう官僚システムが、じわじわと新宗教の中にひそかに繁殖してきております。
 少し前向きの話をしたいと思います。変化する時代に対応する意味で、PLの場合には、時代時代にあった教祖が誕生するのです。教義も、教団名もその時の教祖によって示されるというのです。代々、教祖です。佼成会の場合には、今の会長自体が根本仏教教団に指向しています。法華経による先祖供養教団から根本仏教教団に、姿を変容しつつある状況にあることが伺われます。すると、信者数が激減するのではないかとの心配もありますが、かなりの覚悟をされているようです。
 新しい時代に対応する宗教として考えなければいけない問題が非常に山積しています。そのひとつにがコンピュータ文化の発達ということです。computer and tele-communication、電気通信システムというものが発達してくると、こうやって、相対してお話しするということが下手になってしまう。あるいはやり方がわからなくなってくるという状況が出てくるのではないか。私は十年くらい前に、文化庁の勉強会で話させていただいたことがあるのですが、人と人が生で触れ合うコミュニケーションが下手になっていった場合、電気的な通路を使ってコミュニケーションをする人に向けた布教形態を考えるべきなのか。パソコン通信を積極的に取り入れて布教しましょうとか、衛星通信を積極的に使いましょうとか、そういう布教形態の開発を急ぐべきなのか、それとも、宗教としては、コミュニケーションが下手になった人々に、もう一度人間的な温もり、人間的なコミュニケーションのあり方、あるいは摩擦・軋轢、それをどう克服していくのかという事を、温もりをもってやっていくあり方の開発に力を注ぐべきなのかどちらなのだろうか。結論を申し上げれば、この両方必要だと思うのです。
 アービン・トフラーが十年ほど前に書いた『第三の波』という本がありす。これは、第一の波が原始狩猟生活から農耕生活への変化。第二の波が農耕生活から都市型工業化社会への移行。第一の波の時には、原始宗教、いわゆるアニミズムやシャーマニズムの世界から創唱宗教が誕生した。これは仏教・キリスト教・イスラム教などが誕生したわけです。教祖が教えを説いた宗教が誕生した。第二の波の工業化社会の中では、グーテンベルグの印刷技術の発明から、教典というものが大衆化されていき、聖職者のみのものだった聖書が、大衆のものになって、宗教改革が始まった。さて、これが第三の波として電子情報メディア社会になった場合、これは第二の宗教改革の時期なのではないか、これはもう起きているのでないかというように思うわけです。それを十分に認識した上での対応が必要であると思います。
 ここで少し大胆な申し上げ方をいたしますが、日蓮聖人の説かれた教えを新時代のメッセージとしてどう機能させていくか、あるいは新しいメッセージとして展開していけるのかということが非常に大きな課題になってくるのではないだろうかと思います。
 実は一つ大事な点でお話を延ばしたいのですが、日本の仏教の中で呪術性とか、まじない、そういうものが卑下されてしまったということです。これは真言宗密教学会の中での話で、私も勉強させていただいたのですが、それは、キリスト教の世界で育まれた宗教学を日本に輸入してきて、日本に宗教学が成立したときに、そのまま入れてしまった。キリスト教の世界での常識として、秘儀、あるいはまじない・呪術というものを、卑しいものとしてしまった。その結果、日本の仏教の中の呪術性を隠蔽してしまったという指摘です。日蓮聖人が呪術についてどう扱われていたのか、私はよく分からないのですが、たとえば、暦の中に二十八宿があって、日をみていく。あるいは方便としての気学を使っていく。そういうことも、素朴な大衆の心の安らぎの中に機能させる意味でも、あって良いものではないかなという気もしています。病気直し、現世利益っていうのを、やはり卑下していますけども、「病気も治せないのが宗教か」という言い方。こういう見方は正しい、ただし「病気直しだけが宗教じゃないだろう」、いまはこういう宗教の素朴な基本的な問題を考えていく時期でもあるのではないだろうかと思っております。
 最後に、日蓮大聖人のお教えに日常的に接することのできるような工夫が必要ではないかと思います。法要の折に、僧侶が説かれるということだけではなくて、たとえば、檀家さんが墓参してそのまま家へ帰ってしまうということではなく、その墓参する行為がどういうことなのか、わかりやすい形で信者さん・檀家さんに伝えることができないものだろうか。お寺の入り口なり墓地の一部に、波木井殿御書ですか、霊界に行ったら艮のところに行って日蓮を尋ねてくれと、必ずお待ち受け候と仰っています。そういう日蓮さんがここで皆さんのご先祖さん、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんをお守りしています。そしてあなたの日常も見守っていただいていますよ、というような檀家さんに伝わるメッセージを工夫できないものだろうか。現代の若者は苦しんでいると思うのですが、そういう若者が受け取りやすい形で、日蓮聖人のメッセージが伝えられないものかと考えるのでございます。
 大変口はばったいことを申し上げました。いろいろと話が広がって大変恐縮でしたけれども、一応これで終わらせていただきたいと思います。

 ※本稿は平成一一年一月二十七日、日蓮宗宗務院にて開催した新宗教プロジェクト会議において講演されたものを筆録したものです。

21世紀の日本の宗教を考える(レジュメ)
はじめに
新宗教とは
・「新宗教」の定義  天理教成立以降説、明治以降説、大本第二次弾圧以降説、太平洋戦争敗戦以降説等の諸説
・「新宗教」と「新新宗教」の違いは
           西山茂氏の提起と、「第3次宗教ブーム」というべきとの主張、実はマスメディア上のブームではなかったか
・新憲法下で新しく勃興した宗教運動を「新宗教」と見ることではどうか
           宗教制度が宗教運動に大きく影響してきた。この度の宗教法人法改正も大きな問題を含んでいると思われる
・新宗教の特徴    秘儀の大衆化、信徒即布教師
           大家族から、核家族そしてホテル家族の宗教
新宗教と伝統仏教
・新宗連で語られていること
           「新宗教」の「新」はダイナミックに救済を展開するという意味との主張
・日蓮宗で      長栄稲荷での経験、ネパール・ルンビニで出会ったこと、祈祷寺の存在、墓参の増加
・墓地の問題     「お舎利を抱えてますので」とある真言僧の発言
           佼成霊園の問題
           安穏廟、永代供養墓の登場
・常民仏教としての伝統仏教
           葬儀、戒名料の問題点
・日蓮宗と天台宗   法華経系新宗教は「外護団体」なのか
法華経系教団を見る
・霊友会系教団群   霊友会、孝道教団、立正佼成会、思親会、仏所護念会、妙智會、妙道会、大慧會、正義会、そして法師宗
・大乗教系教団群   大乗教、法公会、真生会
・仏立講       本門仏立宗、日蓮主義仏立講
・創価学会      日蓮正宗・創価学会からSGI、池田批判か教団批判か学会の「題目」は?
今日の宗教の問題点
・オウム真理教事件のダメージ
           宗教回避、宗教不信から宗教忌避へ
           教団職員がアパートを借りられない
・宗教好きの教団嫌いから、不思議大好き、宗教嫌いへ
           ニューエイジ、精神世界への傾斜
           ヒーリングという現代利益
宗教の問題点
・宗教バッシングへの対応
           国税庁の「坊主丸儲け」論への対応
・オウム事件への対応 事件の総括と麻原へのメッセージ
・宗教法人法改正の総括
           宗教法人法の一部会改正というが、新法の成立といえないか
           宗教間対話の問題
新時代への視点
・ニューメディアへの対応
           インターネットでの布教
           コミュニケーションギャップをどうするか
           第三の波とすれば新宗教改革が始まっている
・今こそ「信」の宗教の復権を
           日蓮聖人の説かれた教えを新時代へのメッセージに

このページのトップへ▲

Copyright (c)2001-2006 Nichiren Buddhism Modern Religious Institute. All Rights Reserved.