日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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所報第34号:83頁〜 特集[社会変動と宗教] ←前次→

特集U
 社会変動と宗教
  戦後日本の社会変動と宗教

望  月  哲  也   
(立正大学文学部教授)    
   はじめに
 ご紹介いただきましたように、現在、立正大学文学部の社会学科に籍を置いておりますが、それ以前は立正大学の教養部に二十年ほど籍を置いておりました。四年前に教養部が廃止になり、文学部のほうに移籍したわけであります。教養部が廃止されたといいましても、一般教養の授業がなくなってしまうというわけではありませんで、現在でも私が担当している授業の半分近くは「教養の社会学」です。専門科目の授業としては、昨年三月に沼義昭先生が定年でご退職になり、その後を受けて「宗教社会学」の授業を持つようになりました。その意味では、「宗教社会学」の授業に関してはまだ一年ぐらいしか経験がありません。
 もともと私は、宗教社会学という分野を一つの焦点として見据えつつも、もう少し一般的に社会学理論の研究をずっとしてまいりました。特に教養部に在籍しておりますと、自分の専門を狭く宗教社会学というふうに限定することがなかなかでき難かったということもございます。そもそも大学院に入るときも、最初に選んだ研究テーマが、マックス・ウェーバーであり、そのマックス・ウェーバーの膨大な作品群の中の主要な一つに宗教社会学があったというのが、そもそも宗教社会学という分野とのかかわりの始まりであります。
 その後も、私の宗教社会学とのかかわりは、あくまで社会学の理論研究の一環としてでありまして、そのために宗教社会学のいわば実証的な研究からはほど遠いわけです。そのために、分野としては一応「宗教社会学」を名乗りながらも、実は実際の宗教の具体的な動きについては、それほど詳しくございません。むしろここにいる皆さん方のほうがずっと詳しいのではないかとも思います。宗教社会学者としてはちょっと中途半端な存在でありまして、人に向かって私は宗教社会学者でございますと名乗るには、ちょっと尻込みしたくなるという人間であります。
 その意味で、本日のこの研究懇談会で話を頼まれましたときに、一体どういう話ができるだろうかと考えましたが、できないことをやろうと思ってもしようがないわけですから、あくまで社会学の理論研究という視野から、私なりに多少とも見えてきている限りでの現代の宗教状況について、それも具体的な事実というよりはむしろその捉え方の問題を中心にお話しできればと思っております。
   一、二つの「宗教と社会」観
 そこで、まず最初に、私なりの宗教の捉え方の基本的なスタンスを明らかにしておくという意味で、二つの「宗教と社会」観−宗教と社会の関係についての見方という問題に触れておきたいと思います。
 社会学の中の宗教社会学という分野の開拓者は、フランスのエミール・デュルケーム(一八五八−一九一七)とドイツのマックス・ウェーバー(一八六四−一九二○)の二人であるということについては、現在の宗教社会学者たちの間でほぼ認識が一致しております。
 私自身としては、この二人に先立つカール・マルクス(一八一八−一八八三)を宗教社会学の源流の一人として加えたいところですが、そのことについて話し出すと、理論研究のほうに深入りしてしまうことになりますので、その問題については、ここでは割愛いたします。
 ともあれ、デュルケームとウェーバーの二人は、宗教社会学の開拓者として並び称せられるわけですが、その宗教観、特に宗教と社会の関係についての見方が正反対と言ってもいいほど対照的であります。
 すなわち、一方のデュルケームのほうは、宗教を基本的にはその社会統合機能において捉えようとしたということができます。言い換えれば、宗教が社会の秩序を維持する、あるいは社会の秩序を安定化させるという側面に着目して、自らの宗教社会学の体系を築きました。
 これに対してマックス・ウェーバーの場合には、その主要な着目点は、宗教と社会の対立関係に置かれてきた。すなわち、宗教がその固有の宗教性を突き詰めていく限り、宗教は必然的に社会との間で鋭い緊張関係に立たざるを得ない。ウェーバーはそういう社会に対立していく、あるいは対決していく宗教の力に着目して、宗教社会学研究を推し進めていきました。
 このような両者の「宗教と社会」関係観の違いは、この二人の基本的な社会観の相違と密接に関連しております。すなわち、デュルケームの場合には、彼にとって社会は、基本的には道徳的統合体としてイメージされておりました。そういう道徳的統合体としての社会にとっての不可欠の機能の一つとして、宗教が位置付けられていたわけです。これに対してマックス・ウェーバーにとっては、全く反対に、社会は基本的に支配と闘争の場である。支配と闘争中心の社会観といいますと、直ちにカール・マルクスの名前が思い浮かびます。マルクスは有名な『共産党宣言』の冒頭で、これまでのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史であったと述べていました。ウェーバーはマルクスよりも時代が後で、マルクスからかなりの影響を受けているわけですが、ウェーバーの闘争論的社会観というのは、マルクスよりもさらに徹底しております。マルクスの場合には、それでも社会主義革命あるいは共産主義革命によって、支配と闘争のない調和的な社会が実現するというユートピア・イメージを持っておりました。ところが、ウェーバーには、そういうユートピア・イメージはない。彼にとっては支配と闘争のない社会などというのは、原理的にあり得ない。人間社会が続く限り支配と闘争は永遠に続くものであって、我々はそれを冷厳に受け止めていかなければいけないというのがウェーバーの立場でした。
 では、そういう中でのウェーバーの主要な学問的な関心はどこにあったのかというと、彼の場合には社会のあり方がどうのこうのというよりは、人間存在のあり方が一体どうなるのかということの方に向けられていたと私は見ております。例えば、支配と闘争というものが避けられない中で、いかに権力や秩序の奴隷にならない、人間としての高貴な品位ある生き方を貫いていくことが出来るかということの方に、向けられていたと言ってよいと思います。
 デュルケームとウェーバーの「宗教と社会」関係観の違いは、このような両者の社会観の根本的な相違にも根を持っていたということがお判りいただけると思います。
 このような二つの「宗教と社会」関係観は、両者において単に宗教にとっての外面的な関係にはとどまらず、宗教性の内実にも深くかかわるものとして捉えられていたということにも注目しておかなければならないと思います。
 例えば、デュルケームの場合には、宗教の社会総合機能ということから出発しつつ−機能といいますと、一見、外面的な関係のように見えますが−究極的には彼は、あらゆる宗教が礼拝の対象としている神とか神聖なる存在というのは、道徳的統合体としての社会をシンボル的に表現したものだという認識にまで到達していった。まさに「神=社会」説というのがデュルケームの最終的到達点でした。
 またウェーバーの場合には、宗教と社会の対立関係に目を据えるという立場から、いろいろな宗教の世界観や人間観をしばしば深く規定している「宗教的現世拒否」というもののあり方に注目をしていきました。例えば、この世は罪と堕落の世界であるとか、この世は苦と無常の世界であるとか、あるいは人間存在の根本的な悪を見詰めるとか、そういったいろいろの宗教に多かれ少なかれ共通して見られる世界観や人間観のことを、ウェーバーは「宗教的現世拒否」と呼んでいます。これは宗教と社会の対立関係の宗教的表現であると同時に、それがまた宗教と社会の対立関係を生み出していく原因ともなるものです。
 このように対照させてみると、例えばデュルケームにとって宗教の本来的役割と捉えられる、宗教が社会の秩序を維持するとか安定化させるとかいった側面は、ウェーバー的な目から見ますと、宗教が社会との間で本来的な緊張関係を失って、社会と妥協するに至った局面を表わしているに過ぎないというふうに捉えられることにもなるわけであります。
 私としては、どちらの見方も捨てがたい。どっちかに軍配を挙げなければならないというものではないと思っております。しかし、この二つの見方をあえてここで対照させてみたのは、主として後のほうのウェーバー的な物の見方を、デュルケーム的な見方と対照させて、際立たせて見たいということがありました。というのも、先ほど言いましたように、私は社会学の研究者としてはマックス・ウェーバーの研究から入っていきました。そのためにウェーバー的な宗教と社会の関係観が私の物の見方の今日に至るまでの一つの根底を形作っていると言ってよいからです。
 そういったウェーバー的な見地に立って、日本の場合に目を転じた場合に、そういう宗教と社会の対立・緊張関係を中心的に担ったのは、中世においては、言うまでもなく日蓮をはじめとして時の権力や時の社会に対して鋭く対決をしていった鎌倉新仏教であったわけですが、特に近代日本においては、むしろ新宗教の方であったと言わなければならない。例えば天理教とか大本教は、特に激しい社会批判を明治期あるいは大正期に展開をいたしました。それに相応しまして、社会の側からの新宗教に対する迫害とか弾圧も激しく行われたということは、ご存じのとおりで、特に詳しく述べる必要もないかと思います。
 社会の側からの宗教に対する批判・迫害は、歴史上至るところで行われてきたものですが、近代社会において宗教に対する批判・迫害の中心的な担い手になったのは、国家行政、ジャーナリズム、精神病理学などの科学や医学、それに既成宗教からの批判が一枚加わります。
 戦前では、国家行政の立場から新宗教に対して「淫祀邪教」とか、「疑似宗教」というレッテルが貼られて、弾圧や統制が行われました。ジャーナリズムというのも、よく宗教批判キャンペーンを行います。情報産業としては宗教のほうがずっと先輩ですが、どうもジャーナリズムというのは情報産業として宗教に対するライバル意識があるせいか、宗教批判をよく行います。しかもジャーナリズムは社会の健全な常識を代表しているという自負心からか、宗教が常識離れしているということに対する警戒、疑いの念を強く持つことがしばしばあるようであります。このジャーナリズムからの批判は、国家権力による弾圧のような露骨なものではありませんけれども、これも社会の側からする宗教に対する批判・迫害の重要な一種類を形作っているだろうと思われます。見逃せないのは、戦前においては特に精神病理学者たちによる診断が、新宗教批判の重要な一翼を構成したということです。これは言うまでもなく新宗教の教祖について一種の気違い扱いをしたり教団全体を気違い集団であると見なすような態度の批判であります。これは精神医学とか精神病理学といった一定の学問的権威の名のもとになされるものであるだけに、一般への影響力も相当大きいものがあったと言えると思います。
 総じて、宗教と社会の緊張関係が高まる(社会の変動期というのは、どうしてもそうなり易い)ときには、今お話ししたところにも一部が現れているように、さまざまのレッテル貼りが横行いたします。淫祀邪教とか、疑似宗教とか、気違いとか、そういう形のレッテル貼りが横行してくるということに注意をする必要があるかと思います。近年では、特に一部の宗教では例えば「洗脳」が行われているとか、「マインドコントロール」が行われているというレッテル貼りがよく行われております。そのレッテル貼りを担っているのは心理学者あるいは社会心理学者たちが多いようです。私はこれは戦前の精神病理学者たちが行った気違いというレッテル貼りと同種類のものではないかと思っております。そういうレッテル貼りが最近再び激しく行われるようになってきているということは、裏返せば、近年再び宗教と社会の緊張関係が高まりつつあるという状況の現れではないか。この点については、後ほどもう少し詳しく触れてみたいと思います。
 大体、宗教というのはどの宗教も信者に対して、「信仰」を持つという形で何らかの「回心」あるいは「心直し」を求めます。日常的な心の状態のままでいいのであれば、わざわざ「信仰」を持つ必要はないわけであります。宗教の側では「回心」あるいは「心直し」ということを当然やっているわけです。これが宗教に対して批判的な社会の側からすると、あれは「洗脳」だ、「マインドコントロール」だという疑いを持たれるわけでありまして、私はそこに厳密な一線を引くことはできないだろうと思っております。
 したがって、そういう一種のレッテル貼りが横行しているときには、そういうレッテルに何らかの根拠ないしは客観的実体があるのかどうかということももちろん一方で探求していかなければなりませんが、そういうレッテル貼りの横行の背後で、再び宗教と社会の緊張関係が高まっているのだということ、そしてそれは社会が激しい変動期にあることの兆候なのではないかというふうに探求を進めていくのが、私の考える社会学的アプローチであります。この点については、後ほどもう一度触れることになると思います。
   二、戦後社会変動の二段階
 戦後と言っても、一九四五年に終戦を迎えて、今年は一九九九年ですから、もう五十四年という半世紀以上に亘る時間を経過しており、もはや戦後という一言で括れるような時間幅ではないわけですけれども、私はそこに大きく二段階の社会変動というものを識別できるのではないかと思っております。
 その境目となるのが、あえて設定すると一九七三年(昭和四十八年)であります。この年は第一次石油ショックが起こった年であり、これによって一九六○年代に華々しく続いた高度成長期が決定的な終焉を迎えるという年であります。ここいら辺に戦後の一つの境目があるということについては、いろいろの社会学者がほぼ同様の見解を持っていると思いますが、そこには実は自分の人生体験に根差した私なりの見方もあります。
 まず一九七三年という年は私が結婚した年です。私の個人生活でも大きな転換があった年です。ま、これは冗談ですが、もう一つは私が大学に入学したのが一九六二年で、六六年に大学を卒業して、六六年から七二年までが大学院生の時代です。ですから、私は一九七二年までの時点で、将来、社会学の研究者になるための基礎作りを一応完了しているわけです。そして一九七三年をはさんで立正大学教養部の専任講師として採用されましたのが七四年で、おかげさまで社会学の研究者として順調なスタートを切ることができたわけであります。この点でも一九七三年というのは私の個人的な人生にとっての一つの境目になっているわけです。
 そのことが、どうしてここに関わってくるのかというと、一九七二年までに身につけた社会学的な知識・素養をもって一九七四年から立正大学の専任講師として社会学の教育研究職に就くことになった。ところが、一九七○年代の後半あたりから一九八○年代に入るころ、どうも自分が学生時代あるいは院生時代に学んできた社会学の知識が通用しないと言うとちょっと大げさですが、学生に教えながら何か古臭く感じられる。どうも自分はちょっと古いことを教えているんじゃないかという考えに襲われることがよく生じたわけです。これが、後から考えてみればということなのですけれども、私が学生時代あるいは院生時代に身につけた社会学の理論や知識というのは、一九六○年代までの日本の社会変動に照準を当てたものであった。その理論や知識と一九七○年代以降に生じてくる社会現象や社会変動がどうもうまくマッチしない。つまり、一九七○年代以降に生じてきている日本社会の変動というのは、それ以前の社会変動の延長線上にあるものとしては、説明することができないような性質のものになってきたのではないかということなのです。
 この一九七三年という境は、特に戦争が起こったとか、革命が起こったとか、そういう華々しい出来事があったわけではない。せいぜい石油ショックという、その点では、普段何気ない生活をしている分には、そこで大きな社会変化が起こっているなどということは到底感じられないと思うんですが、理論や知識で現実を見ていこうとする職業に携わっていると、後から考えて、どうもそこからおかしくなってきた、これまでの理論や知識がどうも通用しなくなってきたという段階に入ってきたという感じを、しばしば持つようになったわけです。
 そこで、その境目を一応、一九七三年という年に置いて、戦後の社会変動を二段階に分けて考えた場合に、その第一段階の社会変動については、近代化的社会変動という形で押さえることができるのではないかと思います。その主要な構成要素を形作っていたのは、まず新憲法の発布や一連の民主的な法改正といった法体制の変化です。そこには政教分離とか信教の自由といった原則の確立も含まれております。さらに産業化、都市化、あるいは家族形態の核家族化といったようなものが、戦後前期の社会変動を構成する主要な要素として挙げられます。
 ちなみに、都市化の傾向に関して言うと、戦後の社会変動の中で農村からどんどん都市に人口が流出していきます。農村人口と都市人口の比率が逆転したのが一九五五年です。それ以後、都市人口の占める割合がどんどん上昇していきます。
 また、核家族化について言うと、戦後の民法改正や産業化の中で核家族世帯率は一九六○年には六三・五%、一九七○年には七一・四%、一九八○年には七五・四%というふうに、核家族世帯率が産業化、都市化とともに増えていっております。
 こうした戦後前期の社会の変化に対応した宗教界の現象としては、何といっても新宗教教団の飛躍的な発展ということが挙げられるだろうと思います。特に御三家と呼ばれる霊友会、立正佼成会、創価学会が大教団に成長していった。これは完全に都市化とか核家族化の進行と密接に関連した現象でした。都市化とか核家族化が進む中で、農村から都市に人口が移動する。そうすると農村の氏子関係とか寺檀関係から離脱していくわけです。しかも核家族世帯を持ちますから、祖先崇拝からも離脱していく。ある宗教学者の表現によると、「宗教的浮動人口」がどんどん出現してくる。そういう人たちを捉えて新宗教教団が発展をしていった。
 一連の民主的な法改正とその社会的浸透にせよ、あるいは産業化、都市化、核家族化にせよ、この段階までの社会変動を色濃く特徴付けていたものは、そこでは民主化とか個人主義化を含む「近代」という価値目標が、多くの人にとって疑うことのできない価値目標として受け止められ、そのより完全な実現に向かう変動であったというふうに捉えることができる。そういう意味では、近代化的な社会変動という言葉を当てることができると思います。
 これに対して一九七三年以降の社会変動というのは、それをどういうものとして特徴付けるかについては、いろいろな解釈がありまして、ある人たちはそれを脱近代化、ポストモダンへの移行だと捉える人もいます。あるいは別の人は、それを再帰的近代化、近代の自己反省期と特徴づけたりもしています。脱近代化にせよ、再帰的近代化にせよ、いずれも「近代」というものが問い直しの対象になってきた段階という認識では一致しているのではないかと思います。「近代」の持つ固有の矛盾、病理性が否応なしに人々の目に意識されるようになってきた段階であるということができるように思われます。
 そのことを典型的に現しているのが、この二つの段階のそれぞれに特徴的な社会運動のタイプに大きな変化が見られるということです。一般に社会運動というのは、社会変動のあり方と密接に関連しているのでありまして、社会の変動というものは必ず何らかの社会運動を引き起こしますし、その社会運動がさらに社会変動を加速するという相互的な関係があります。
 戦後前期の近代化的社会変動の時期においては、代表的な社会運動を構成していたのは、一つは何といっても労働運動です。社会主義的な傾向を持つ労働運動が戦後前期の社会運動としては代表的な運動でした。もう一つは、学生運動です。
 ちなみに、先ほどもちょっと触れました創価学会に代表される新宗教運動というのも、戦後前期の代表的な社会運動に位置付けられるように思います。実は私は、創価学会に代表される新宗教運動というのは、一種の労働運動でもあったというふうに見ております。というのは、通常の労働運動というのは、基盤は労働組合であります。しかし、日本の場合、労働組合を持つことができる労働者は大体大企業の労働者たちであります。したがって、日本のような企業別組合というあり方が支配的であった日本の労働界では、労働組合を基盤として行われる労働運動は、必然的に大企業の労働者を中心とした運動にならざるを得ない。
 これに対して、創価学会が食い込んでいった世界というのは、いろいろな調査によりますと、労働組合すら持てない中小企業、あるいは零細企業の労働者たちであった。田舎から出てきたばかりの青年たちは、都会に出てくるとまず都市の一番下層の産業、零細企業に労働者として入り込んでいきます。例えば、柴又のだんご屋さんの裏にある町工場のタコ社長のもとで働いている、寅さんに言わせると「労働者諸君」、ああいう人たちの世界の中に創価学会が入り込んでいった。彼らは通常の労働運動から疎外されていた人々であった。そういう人々を創価学会は大衆運動に組織化していって、彼らに対していわゆる貧・ 病・争からの解放、現世利益を約束していったわけであります。そういう意味では、私はこれは「もう一つの労働運動」であったと見ることができるのではないかと思っております。
 そういうふうに考えますと、通常の労働組合運動が、当時、社会党という政党を持っていたのと同じように、「もう一つの労働運動」としての創価学会が、公明党という政党を持つに至ったというのは、ある意味では必然的な側面があったと言えるかもしれないと思います。もちろん、宗教運動として見た場合には、言うまでもなくそこに政教分離への挑戦という問題が出てくるわけですけれども、労働運動だというふうに見た場合には、総評と社会党という関係と同じように、創価学会が公明党という政党を持つのは必ずしも不思議ではないという側面もあると思うわけです。
 そういう新宗教運動をも含む広い意味での労働運動、それから、インテリ層を代表するものとしての学生運動が戦後前半期の主要な社会運動の形態であったとしますと、そういった労働運動とか学生運動というのは、一九七○年代以降はだんだん社会の表舞台というか主役ではなくなってきている。社会党も解体してしまいました。学生運動なんていうのは、遥か昔のことで、今の学生さんはみんなおとなしいものです。労働運動とか学生運動というのはすっかり社会の表舞台からは引っ込んでしまった。
 では、一九七三年以降の段階で主要な社会運動として登場してくるものにはどういうものがあるかというと、エコロジー運動、フェミニズム運動、ホーリスティック医療を求める運動などに代表されるのではないかと思います。社会学の方ではこれらの運動を、労働運動などに代表される古いタイプの運動と対比して、「新しい社会運動」と呼ぶことが通例になっております。
 そこに一体どういう共通の特色が見られるかといいますと、例えばエコロジー運動というのは、近代化と産業化の進行が生み出した地球規模での資源と環境の危機に直面して、日々のライフスタイルのレベルから自然と環境に優しいライフスタイルを作っていこうという運動です。
 ちなみに、エコロジー運動とちょっと似ているんですが、それ以前に公害反対運動というのがありました。公害反対運動とエコロジー運動は明らかに性質が違います。両方とも環境問題にかかわっているから似ているかと思いますが、運動形態がガラッと違います。公害反対運動とちがって、エコロジー運動の場合には、基本的に企業や国家を攻撃するということはせずに、まず自分の足元から見詰めていこうじゃないかという運動形態をとります。
 フェミニズム運動というのは、男は職場労働、女は家事労働という性別役割分業の固定化の上に近代産業社会が成り立っていたということに斬り込んでいって、法体制のレベルだけでなくて、日常的な性別役割分業のレベルから男女平等を実現していこう、例えば女性も職場進出する、あるいは男も家事・育児を分担しようじゃないか、そういうレベルから男女平等を確立していくことによって、先ほど言ったように、「近代」というものを問い直していこうという志向性を持った運動として位置付けられます。
 それから、ホーリスティック医療運動というのは、西洋起源の近代医療が人間の体を機械論的に部品、部品に分解して、機械の部品のように人間の身体を取り扱ってきたことに対して異議を申し立てる、心と身体あるいは身体と環境との調和に配慮して、人間を全体論的に扱うような医療の実践を推進していこうという運動です。
 ですから、そこに共通に見てとれる特徴は、いずれも近代ないしはそれが生み出したものを根源的に問い直していこうという姿勢を強く帯びているという点であると思います。
 それともう一つ、運動の形態としても、近代化的社会変動の段階の社会運動とは、顕著な違いがあります。近代化的社会変動の段階の社会運動は、いずれも組織的大衆運動の形をとっておりました。大衆を動員して、強力な組織力によって企業や国家などの権力に立ち向かっていって、それを打倒しようという志向性を持った運動が一般的な形態でした。組織的大衆運動という形をとったわけであります。
 これに対して、近年のエコロジー運動だとかフェミニズム運動、ホーリスティック医療運動というのは、それまでの近代化の中で身に付いてしまっていた自分たち自身のライフスタイルを、足元から見詰め直していこうという人たちの横のネットワークの輪を広げていこうというスタイルを基本的にとっております。そういう意味では、前期の組織的大衆運動というタイプの運動に対して、いわばネットワーク型の社会運動と呼んでもいいと思います。そういうことから社会学では、こういう運動を「新しい社会運動」と呼んでいるわけです。
 以上、戦後の社会変動が一九七三年あたりを境目にして大きく二つの段階に分けられるのではないかということをお話ししてきました。いわば社会変動のあり方自体が大きく変貌しているということです。
 こういう社会運動のあり方自体、あるいは社会変動のあり方自体の大きな変化とほぼ軌を一にして、宗教の世界においても新しい動きが出てきたというのが、次の話になるわけでありますが、ここいら辺の話になりますと、実は私のオリジナルではありませんで、二十数年来の学問上の友人である東洋大学の西山茂さんとか、東京大学の島薗進さんたちの研究成果に専ら負うところ大であるということをお断りしておきます。
   三、新しい宗教意識
 一九八○年前後頃から、宗教学者あるいは宗教評論家の間で、「戦後二回目の宗教ブーム」とか、「新新宗教の台頭」ということが盛んに指摘されるようになってまいりました。ここでお話ししようと思っていることは、まさにそのことと重なります。それは、先ほどの「新しい社会運動」と同じように、戦後の社会変動の第二局面と密接に関連した現象ではないのかということです。そこで、私は「新しい宗教意識」と名付けたわけです。「新しい」と名付けたからといって、それがいいとか悪いとかというニュアンスは含ませていないつもりでおります。
 その「新しい宗教意識」のうねりの第一を構成しているのが、いわゆる新新宗教の台頭です。この「新新宗教」という言葉は、東洋大学の西山さんが一九七九年に、ある雑誌論文で使ってみたのが最初で、ご本人の弁によりますと、ごく軽い気持ちで使ってみたにすぎないということです。一九七○年前後に東海林さだおという漫画家が「続」「続々」「又」「又々」「新」「新新」というネーミングを使って漫画全集の続編を沢山出していましたが、確かに「新新宗教」という言い方は、そういう意味では極めて漫画チックな表現で、学問的な熟考の上に造語されたものとは到底考えられない。しかし、そういうネーミングがたちまちジャーナリズムに普及していったということは、それが多くの人に新しい動向を的確にキャッチした言葉として、受け入れられていったということがあるのだろうと思います。
西山茂さんがこの言葉で念頭に置いていたのは、一九七○年代以降に急速に教勢を伸ばした教団ということで、具体的には真光系教団、世界真光文明教団並びに崇教真光、さらに高橋信次のGLA教団、あるいは桐山靖雄の阿含宗などの呪術的な、あるいは神秘主義的な色彩の強い諸教団、他方では外来系ですけれども、エホバの証人とか統一教会といったキリスト教系の、しかも終末論的な色彩の強い諸教団であったわけですが、さらにその後登場したオウム真理教だとか幸福の科学、コスモメイトなどもその延長線上に位置付けられております。
 こういった一九七○年代以降に急速に教勢を伸ばした教団が、従来の新宗教と対比してことさらに「新新宗教」とネーミングされたのは、一体そこにどういう新しい特徴が看取されたのかといいますと、西山さんや島薗さんが挙げているもののうち、主要なものを紹介してみますと……
 第一には「信から術へ」ということであります。すなわち新新宗教では信仰とか信心とかが強調されることが少なくなっていきまして、代わって自分の心をコントロールする呪術的側面が強調されてくる。別の言い方をすれば、宗教の心理技法化、心理技術化というふうに言ってもよいと思います。
 第二には、主要な入信動機として「貧・病・争の動機から空しさの動機へ」という大きな変化が見られるということです。新新宗教に入信していく若者たちは、外見的には満ち足りている。貧・病・争とは遠い富・健・和の生活を送っていながら、その底に深い孤独感、不安感、倦怠感を抱えていて、何か空しい、あるいは何か充実感がない、あるいは生きているという実感が持てない。そういうことが宗教に接近する主要な動機となってきている。
 そういうことと関連して、第三には、「自己変容・心身変容への関心」が顕著になってきている。つまり、自分を変えたいとか、本当の自分を見つけたい。そうすれば世界が変わってくるのではないかという関心であります。空しさという動機に対して、そういう形での対応を志向する。そういう関心に応えてくれるものとして、超能力だとか神秘体験が求められているということです。
 第四番目には、「宇宙的シンボリズムの大胆な再構成」ということであります。荒唐無稽と言ってもいいほどの大胆な再構成が、そこで行われる。もちろん宗教というのは、一般に宇宙的なシンボリズムというものを用いるわけですが、それでも従来の新宗教においては、世界観としては伝統宗教や民族宗教のそれをそのまま継承しているものが多かったのに対して、新新宗教においては、一方では霊界、死後の世界、輪廻転生あるいは異次元世界の実在ということが大胆に強調されるとともに、他方では、それを太陽系だとか銀河系だとかといった科学的な世界像ないしはSF的な宇宙観とドッキングさせていく。しかも、そこにキリスト教の神、イスラム教の神、仏教の釈迦あるいは神道の神々がシンクレティックに統合されている。そういう傾向を最も代表するのがGLAという教団の教義です。こういう宇宙的シンボリズムの再構成の動きの中には、現代の産業文明が、資源や環境問題によって抜き差しならぬ危機に直面していることに対する切迫した危機意識が反映していると思われます。
 こういった特徴を持つ新新宗教の台頭が、一九七○年代以降の「新しい宗教意識」のうねりの第一の構成要素であるとすると、第二には、やはり一九七○年代以降、マスメディアを通して流される大衆文化の中で、呪術的、宗教的なテーマを扱ったものが非常な人気を博してくるようになります。オカルト的文化とも呼ばれます。
 例えば、映画では一九七四年に「エクソシスト」がヒットして以来、そういう心霊もの、あるいはホラーものが非常な人気を博してまいります。テレビでは、一九七四年に、ユリ・ゲラーのスプーン曲げが登場して以来、やはり心霊現象だとか超能力に関する番組の流行が目立つようになってまいります。漫画の世界でも、一九七○年代以降、水木しげる、つのだじろうに代表される妖怪漫画、心霊漫画がはやってくる。
 そういう中で、オカルト的な雑誌も売り上げを伸ばし、少年向けのオカルト雑誌で『ムー』、あるいは少女向けの占い雑誌『MY BIRTHDAY』といった代表的なオカルト的少年雑誌、少女雑誌の存在が、ともに奇しくも一九七四年の創刊であります。一九七三年以降、大衆文化の世界でも妙な現象が現われ始めるわけです。
 もちろんこういったオカルト的な大衆文化というのは、あくまでメディアを通した消費文化の枠内の現象ですから、それに興味を引かれている人たちがどの程度それをまじめに、本当に妖怪の存在を信じているのかというのは疑問の余地があります。単なる娯楽の対象として楽しんでいるというのが大半かもしれません。しかし、大衆文化の中においてであれ、こういったものが一九七○年代以降目立ってくるということは、それが一九七○年代以降の「新しい宗教意識」のうねりの広い裾野を構成しているものであるということは確かだと思います。
 新しい宗教意識の第三番目の構成要素として、新新宗教ともオカルト的な大衆文化とも区別されるものとして、島薗さんが名付けたものですが、「新霊性運動」というのがあります。これは新新宗教のように明確な宗教集団という形をとるわけではありません。しかし、オカルト的な大衆文化のようにマスメディアを通して娯楽的な情報として消費されるにすぎない無定形な現象と比べると、もう少し世界観としての体系性を持った緩やかな思想運動を成していると見ることができるものであります。
 もう少し具体的に言うと、一九七○年代の末頃から大都市の大きな書店では、宗教書のコーナーに隣接して「精神世界の本」というコーナーが設けられるようになりました。そこには東西の神秘思想についての本だとかスピリチュアリズム、あるいはニューサイエンスに関する本、トランスパーソナル心理学に関する本、チャネリングとか気功、東洋医学に関する本、あるいは死後の世界とか、神秘現象を現代科学と結び付けて説明しようとした本なんかがずらっと並んでいます。これらの本に展開されている思想内容というのは、知的に見てもかなり洗練されておりまして、したがって、それらの思想に関心を持って受け入れていく人たちも比較的教育程度の高い人たちが多いのではないかと思われます。また、これらの人たちは、単に本を買って読むというだけでなくて、小さなグループとか緩やかなネットワークを構成しているものもあり、そういった人たちのためのセミナーとかワークショップもあちこちで開かれているようです。
 そういう意味で、純然たる消費主義的な大衆文化の枠を一歩超えているものですが、かといって、明確な宗教運動という形をとっているわけでもない。宗教運動のような明確な輪郭だとか、教義、儀礼の体系を掲げて、それに信者を従わせようとするものでもない。緩やかで自発的で、より個人主義的な思想運動を形作っているのであります。
 その思想内容は非常に多岐に亘っており、一言で要約するのは難しいのですが、あえて要約すると、自己の意識変容(霊性の開発)を通して、人類全体の霊的進化に参与することを目指すというところに、新霊性運動の共通点を見出すことができるように思われます。一つの根底を形作っているのは、現代は文明の大きな転換点にあるという認識です。それを人類の霊的進化の大きな転換点というふうに受けとめて、個々人、一人一人の霊的な覚醒が、その霊的進化の過程の重要な一部を形作るというように考えるわけです。
 その人類の霊的進化というのは一体何かというと、例えばキリスト教などの一神教に代表される宗教文明だとか、近代科学が主導してきた合理主義的な物質文明を乗り越えるような次の新しい段階としての新たな霊的文化、スピリチュアルな文化への移行ということです。その移行に、個々人は自らの意識変容を通して参与していくというふうに考えるわけです。そういう意識変容を達成するための方法として、瞑想といった身体を通して心に働きかけるような修行が重んじられたり、チャネリングといったシャーマニスティックな技法が取り入れられたりしていっているわけであります。
 以上、一九七○年代以降に顕著になってくる新しい宗教意識のうねりを(1)新新宗教、(2)オカルト的大衆文化、(3)新霊性運動という三つの様相で見てきました。こう見てきますと、この新しい宗教意識の台頭の動きというのは、まず非常に多様な形態をとっております。教団宗教という形態をとっているものもある。大衆文化という形態もある。緩やかな思想運動という形態もある。そういう意味で非常に裾野が広いということが感じ取れるかと思います。
 同時に、こうした「新しい宗教意識」の台頭というのは、実は日本だけに見られるものではなく、欧米や日本などの先進国に共通して起こっている極めてグローバルな広がりを持ったものであるということにも注意をする必要があります。ちなみにその本家本元は、むしろアメリカに発しているというふうにも言えるのでありまして、先ほど触れた日本の「精神世界の本」ブームも、最初はアメリカの思想の輸入を通して活性化していったものなのです。一九六○年代にアメリカでは、若い人たちの間で、これまでのアメリカの支配的価値に対して異議を申し立てる対抗文化運動というのが盛んになります。それを受けまして一九七○年代に入りますと、アメリカの西海岸、カリフォルニア州の若者たちを中心に、ネオ・オリエンタリズムと称される一大東洋宗教ブームが起こります。その中でハレ・クリシュナ運動だとか超越瞑想といった東洋の神秘思想を取り入れた宗教運動が、対抗文化運動以降の若者たちの心を捉え始める。さらに一九八○年代に入りますと、ニュー・エイジ(新しい時代)と呼ばれる運動が台頭してくる。実は、島薗さんの「新霊性運動」という言葉は、このアメリカのニューエイジや日本の精神世界ブームに、より一般的通文化的なネーミングを与えておこうという事から創られたものであります。
 そういうグローバルな広がりを持ったものであると同時に、この「新しい宗教意識」というのは、同じように先進国で共通に起こってきている先ほど触れました「新しい社会運動」、エコロジー運動、フェミニズム運動、ホーリスティック医療を求める運動等と密接に連動している側面があるということも見逃すことはできません。これらの運動はいずれも環境問題をはじめとする近代の合理主義的な文明の行き詰まり状況が、先進各国において鋭く意識されてくる中で、それに代わるもの、オルターナティブを求める運動としての性格を、どれも色濃く持っております。「新しい宗教意識」の台頭も、そういった他の「新しい社会運動」と連動している、その一環としての側面が確かに存在しているということが言えると思います。そこに通底する方向性をあえて一言で言うと、「近代合理主義への懐疑とポストモダンへの志向」ということができるかと思います。
 とはいえ、この「新しい宗教意識」がとっている社会的な表出形態は極めて多様です。一方ではオカルト文化のような消費主義的な大衆文化という形で広い裾野を持っているかと思うと、他方では新新宗教のように、近代文明に対する危機意識が終末論的な調子を帯びて表出され、現代社会に対して対決姿勢を強めるあまり、オウム真理教のように「カルト」的な形態をとって突出、暴走していく動きもある。そういう両極端を幅広く含む形で、この「新しい宗教意識」が台頭してきているということです。
 ここで、「カルト」という概念、あるいは現象について触れてみたいと思います。特にオウム真理教の事件をきっかけにして、日本でも「カルト」とか「カルト教団」といった用語が一般に普及するようになりました。それらは概ね否定的なニュアンスを帯びて用いられることが多いように思います。これは、最初にも触れた、かつての日本でも行われた「淫祀邪教」とか、「疑似宗教」というレッテル貼りと似た側面が多分に感じられます。
 一体この「カルト」という用語は、明確な実体があるのか。これが実はなかなか難しいところでありまして、辞書的な意味としては「礼拝」とか「祭儀」ということですが、キリスト教世界では、古代中近東あたりでキリスト教の正当な信仰とは異なる異教的な神々を礼拝する宗教に対して、否定的、侮蔑的な意味を込めて「カルト」という言葉がかなり古くから使われていた。そういう意味で、まさに本来的にはこのカルトという概念は自分と異なる信仰を持った宗教に対して否定的、侮蔑的な意味を持って使われるレッテル概念でもあったわけです。
 こういう用語の伝統が、今日において再復活してきたのは、やはり一九七○年代以降で、最初はアメリカにおいてでした。先ほども言ったように、アメリカでは一九六○年代の対抗文化運動の後を受けまして、一九七○年代に入りますと、アメリカの西海岸の若者たちの間で一大東洋宗教ブームが起こります。それがさらに一九八○年代のニューエイジに繋がっていくわけですが、そういった中から数多くの新しい宗教集団も生まれてきました。今日アメリカで「カルト」という否定的なレッテルを貼られているのは、概ねそういう諸教団であります。事実そういう諸教団は近代合理主義だとか、西欧の支配的な文化伝統であるキリスト教的な伝統に反発をして、ヒンドゥ教だとか仏教などの東洋的宗教にインスピレーションの源泉を求めていったものが多い。中には西洋の科学と東洋の霊性とを結び付ける、といったようなことをスローガンとしているようなものもある。その意味では、確かに一九七○年代にアメリカで東洋宗教ブームの中で生まれていった新しい宗教というのは、正当なキリスト教的伝統から見れば、まさに異教的な神々を礼拝する宗教であったわけです。そういう意味で、そういった宗教に対してキリスト教世界の人たちは「カルト」というふうに呼んだ。
 しかし、そういった諸教団が「カルト」というレッテルを貼られるに至るには、もう一つ大きな理由がかかわっております。それは、これらの教団のうちの幾つかが若い信者たちを家族から引き離して、外から隔離された共同生活に収容するという行き方をとるものがあり、そのことで親たちからの抗議、あるいはそこから子供たちを取り戻そうという反カルト運動が、アメリカではカルトの隆盛と並行して盛んになっていったわけです。
 例えばカルトというふうに否定的なレッテル貼りをされる代表的な教団の一つに、「チルドレン・オブ・ゴッズ(神の子供たち)」という名前の教団がありますが、「チルドレン・オブ・ゴッズ教団から我々の息子、及び娘たちを解放するための親たちの会」という最初の反カルト組織が既に一九七二年に設立されております。
 これも私から見ると、それ以前の宗教だって、宗教に入信するということが、家を捨てる、あるいは家族を捨てるということを伴うということはよくあることで、これは初期のイエス・キリスト教団だってそうだし、お釈迦様の教団だってそうだった。これは先ほどの宗教と社会の対立・緊張関係の現われ方のよくあるパターンだと思います。
 ともあれ、そういうことに対して、当然、社会のほうから反発があるわけで、そういった反カルト運動の社会的な広がりの中で、カルトのメンバーは独裁的な指導者による専制体制のもとで洗脳されている、あるいはマインドコントロールされている、そこでは食事や睡眠の極度の切り詰めの中で、性的あるいは経済的な虐待が行われているといったようなイメージが一般の人々の間に広がっていくわけです。
 日本でも統一教会とかオウム真理教が、とりわけそういう眼差しの対象になったということは、ご存じのとおりです。この場合には、カルトという概念には、先ほどのキリスト教的伝統の立場からする異教の神々を礼拝する宗教というレッテル貼り以外に、むしろ市民社会、世俗社会の側からする宗教に対するマイナス・イメージの付与という側面が付け加わっているということが注目されます。
 さらに、それに拍車をかけることになったのが、これまた幾つかのカルト教団が引き起こした凄惨な事件です。ご存じの人が多いと思いますが、例えば一九七八年にジム・ジョーンズの率いる「人民寺院」という教団が、南米ガイアナで起こした集団自殺事件、また、アメリカのテキサス州に本拠を持つ「ブランチ・ディビディアン」という教団が、一九九三年にアメリカ連邦政府との間で起こした銃撃戦と集団死事件があります。日本でもオウム真理教による地下鉄サリン事件、弁護士一家殺害事件というのが記憶に新しいところであります。
 そういうことで、カルトという概念を一体どこで線引きするかということは、大変難しい問題です。例えば、学生運動の世界でも、かつて浅間山荘に立てこもった赤軍派事件というのがありましたが、そういうふうに、どんな社会運動もその一部には暴力的な突出形態を含むということを考えるならば、お話ししてきた「新しい宗教意識」の台頭というのが、その一部にカルト的な突出形態を含む形で進行しつつあるということだけは、一応おさえておかなければならないのではないかと思います。
   四、伝統的救済宗教の復活・再政治化
 カルト的な突出形態をその一部に含む広い意味での「新しい宗教意識」の台頭が、現代の宗教状況の一方の大きな山を構成しているとしますと、これは日本というよりも、もっと広い世界的規模で見た場合に、もう一方の大きな山を構成しているものとして、一般には「宗教復興」と呼ばれている動きがあります。もう少し具体的に言うと、伝統的救済宗教の復活ないしその再政治化という動きです。
 ここで射程に入ってくる宗教は、キリスト教、イスラム教、仏教といった世界の三大宗教、さらにはユダヤ教、ヒンドゥ教、儒教といったあたりまでも含む伝統的な宗教です。これらの宗教のうち、イスラム教だけは七世紀ぐらいにまで時代は下がりますが、それ以外はいずれも紀元前八百年頃から紀元前後ぐらいまでの間の時期に成立して、それ以後の世界の歴史的な諸文明を支えてきた宗教です。キリスト教、仏教、イスラム教は世界の歴史的諸文明を支えた救済宗教として、また、ユダヤ教、ヒンドゥ教、儒教も救済宗教に近い、あるいはそれに準ずる性格を持っており、三大宗教に並ぶ重要な地位を世界宗教史上、あるいは世界文明史上に占めてきています。
 こういった諸宗教が人類史に登場した時期は、世界史的に見ますと、今日にまで繋がるような世界の主要な文明がその基礎を据えた時期であり、しかもこれらの宗教がその文明形成の中核原理となりました。今日でもキリスト教文明だとか、イスラム教文明だとか、儒教文明という言葉が語られますけれども、そういう文明が基礎を据えた時期が紀元前後、ないしそれに先立つ数世紀の間です。
 これらの宗教はいずれも人間の苦悩や人間の罪悪といった実存的な限界状況を深く見据えるとともに、この現実世界とは異なる超越的次元を設定して、人間がそれとの関連で自分の生き方を方向付ける、偉大な思想体系を人々に提示していったわけですが、そういう諸宗教の出現の時期と世界の主要な文明の確立の時期が、ほぼ重なっていたということは、その時期に人類は一種の「精神革命」を経験したのだということを意味しているように思われます。
 ところが、その後の長い歴史の中で、世界の主要文明の中心原理をなしてきたこれらの宗教も、十八世紀、十九世紀以来の社会の近代化の波の中で、決定的に退潮を余儀なくされていきます。例えば、政教分離あるいは信教の自由ということを建前とする近代的な世俗国家の成立発展とともに、宗教は社会の公的な舞台から撤退を余儀なくされ、特にそれにとって代わる科学的合理主義、科学的な世界観の成長とともに、宗教は人々の意識の中でも中心的な地位を占めるものではなくなっていた。社会学では、こういった傾向を一般に世俗化、セキュラリゼーションと呼んでおります。
 こういう傾向が十八世紀、十九世紀以来ずっと続いて、社会はどんどん近代化していくとともに、宗教は退潮していく、世俗化していく。これがこのままずっと続いていくかと思われた。ところが、その近代化も押し詰まった二十世紀末に至って、眠っていた、あるいは死んでしまったはずの伝統的救済宗教の復活・再政治化の動きが世界各地で起こり始めたわけです。
 この伝統的救済宗教の復活の動きが、人々の耳目を引くようになったのは、当初は「ファンダメンタリズム」と呼ばれる動きを通してでした。この言葉は、「原理主義」とか「根本主義」と訳されることもあります。このファンダメンタリズムないしは原理主義というものが特に耳目を引くようになったのは、一つは一九七○年代の後半以降、アメリカのキリスト教会で保守的な傾向が強まってきまして、その一部に政治的な発言が目立ってきたこと、あるいはもう一つは、同じころイランのホメイニ革命が成功いたしまして、それを頂点とするイスラム原理主義勢力の動きが活発化していった。それ以来ファンダメンタリズムという動きが全世界的に注目されるようになりました。
 例えば、アメリカでは一九八○年の大統領選挙において、レーガンが大統領に当選いたしましたが、レーガンの勝利は保守大連合によるものであったと言われております。その中で無視できない役割を果たしたものに「新宗教右翼」の存在があったと言われています。その中でも最大の組織だったのが「モラル・マジョリティ(道徳的多数派)」という団体であったそうです。この団体は、みずからを宗教団体ではなくて、政治団体であると自称していましたが、一九八○年の段階で約七万人の聖職者並びに三百五十万人のキリスト教信徒を会員として抱えていた。政治団体と称してはいるけれども、中身は宗教団体であります。その政治的スローガンの中心をなしていたのが、人工妊娠中絶反対とか、男女同権反対とか、ホモの権利反対であるとか、ポルノやドラッグへの反対といったものです。アメリカという国は、当初、宗教国家としてスタートしましたが、宗教国家アメリカの基盤をなしていた道徳的な価値が、一九七○年代以降のアメリカ社会の世俗化の進行の中で破壊されつつあることへの危機意識に発しておりまして、そこからアメリカ社会に再びかつてのような道徳的な健全さを取り戻そうというところに、この運動の志向があった。一言で言えば、極めて保守的なキリスト教の立場から政教分離だとかリベラリズムを旨とするアメリカ社会に宗教的、道徳的価値を再注入しようという動きであります。そういう動きが、大統領選挙の結果をも左右するような大きなうねりとして、アメリカ社会の中に登場してきたわけです。
 他方、やはり一九七○年代の末から一九八○年代にかけて、イスラム世界においても全世界を震撼させるような事件が相次いで起こりました。
 まず一九七九年二月に、ご存じのイランのホメイニ革命。それまでアメリカの支援のもとで最新式の装備を誇る軍隊を持って、膨大な石油収入による近代化路線を推し進めてきたイランの世俗国家体制が、徒手空拳の宗教的指導者のホメイニ師と、それを支援する民衆の手によって倒されてしまった。これを一つの頂点として、イスラム諸国では一九七○年代から八○年代にかけて、それまでの世俗国家路線だとか近代化路線に根本的に異を唱える、再イスラム化あるいはイスラム復興という動きが相次いでおり、それを求める過激派のテロも各地で相次いでいるということも、しばしば新聞などでも報道されてまいりました。
 こうした宗教復興の動きは、キリスト教とかイスラム教のような一神教の世界だけに限られません。例えば、インドでは、やはり世俗国家としてのインドという近代化路線に反発するヒンドゥ至上主義者の動きがあります。世俗国家であるということは、政治と宗教を分離するということですから、インドの場合ではイスラム教徒とかキリスト教徒などの少数派にも信教の自由を保障するということを伴います。そういう形にあらわれるそれまでのインドの世俗国家路線、近代化路線に対するヒンドゥ至上主義者たちの反発は、ついに一九九二年、アヨーデアにあるモスク(イスラム寺院)が暴徒によって破壊されるという事件によって頂点に達しました。
 こうした一見すると時代に逆行するような、一部に過激な暴力的な形態を伴う動きに対して、「ファンダメンタリズム」という呼び名が与えられているわけです。この言葉は、実は起源は一九二○年代のアメリカに遡ります。一九二○年代のアメリカにファンダメンタリズムと呼ばれる、あるいは自らそう名乗る運動が実在しました。
 一般に近代科学の発展あるいは近代的思想の発達というのは、伝統的なキリスト教の教義に大きな打撃を与えましたが、中でもキリスト教にとって大きな打撃を構成したのが、一つは、ダーウィンに代表される生物進化論、もう一つは、実証的な文献批評学です。生物進化論がどうしてキリスト教にとって打撃だったかというと、キリスト教では神が人間を創造したという聖書の記述がありますが、それに真っ向から挑戦して、生物進化論では人間は猿から進化したものだという考え方を普及させたわけです。ですから。これはキリスト教の教義に対する真っ向からの挑戦ですね。
 実証的な文献批評学が、どういう意味でキリスト教に対する挑戦だったかというと、この文献批評学は聖書についても文献批評学的な方法を適用して、聖書は決して事実を述べたものではない、あくまで初期キリスト教団が創作した神話にすぎないということを暴露していきました。
 こういった生物進化論とか文献批評学に代表される近代的、科学的な物の見方が普及していくことに対して、キリスト教は当然その対応をしなければいけない。対応の仕方に二つあったはずです。一つは、こういった近代科学、近代思想に代表されるものに対して、そういう見方をキリスト教としても取り入れて、キリスト教を新しい近代的な、あるいは科学的な形で表現し直していこうじゃないかというリベラル派の動きです。これが一方でありました。しかし、他方ではそういう近代的、科学的な物の見方を一切拒否して、聖書の真実性を守り抜いていこうという反リベラルの立場であります。この反リベラルの立場が、当時アメリカで『ファンダメンタルズ』(根本的な事柄)というパンフレットを発行しながら、盛んに活動していたということから、この立場がファンダメンタリズムと呼ばれて、アメリカ宗教史上ファンダメンタリズムという形で歴史的な位置付けがなされてきているわけであります。この立場の運動の中核をなしていたのが、聖書無謬説です。聖書の記述には間違いがない。進化論や文献批評学を拒否して、聖書の記述には一切間違いがないということを固守するというのが中心的なスローガンでした。
 しかし、その後、アメリカ社会がますます近代化、世俗化、あるいはリベラル化していく中で、ファンダメンタリズムの立場は、当然、過去のものになっていってしまいます。宗教史上とっくに過去のものになっていた思想的立場のはずであったわけであります。ところが、このファンダメンタリズムという呼称が二十世紀の終わり頃、一九八○年代に入って再び復活してきた。それも今度はアメリカだけでなくて、イスラム圏やヒンドゥ圏も含めて、世界各地で起こってくる運動に対してもそういう呼称が適用されるようになっていった。
 これは一体どういうことなのかということです。一つ注意をしなければならないのは、そういう動きに対してファンダメンタリズムという呼び名を与えることは、一九二○年代のアメリカの場合には、この運動を担っていた人たち自身がそう名乗っていたという面があるのに対して、一九八○年代以降の場合には、決して自らはファンダメンタリストと名乗ってはいないということです。したがって、これは専ら他から与えられたレッテルであるということです。その点では、先ほどのカルトという概念と同じであるわけです。宗教と社会の対立・緊張関係が深まってくるというと、宗教の側からする社会に対する対決姿勢が強まってくるだけでなくて、社会の側からの宗教に対するさまざまの否定的なレッテル貼りというのも盛んになってくるということは、先ほど来お話ししてまいりました。そこにどういう対立・緊張が発生しているのかということを探るためには、そのレッテル概念がどういう対象を指して使われているかということだけでなくて、そのレッテルを貼る人たちが一体どういう人たちであるかということも考えに入れていかなければなりません。
 そこで、浮かび上がってくるのが、それまでの社会の近代化、世俗化を疑う余地のない自明のものとして受け入れてきている、いわば近代主義者あるいは世俗主義者たちです。こういう人たちがファンダメンタリズムというレッテルを貼る側になっている。そこに込められているニュアンスは、近代化、世俗化が進んだこの世界の中で、あえて前代の異物である救済宗教を持ち出して、社会や政治の改革を行おうとしている反動的な時代錯誤者たち、というニュアンスです。そのようなニュアンスを帯びたレッテル概念が横行すること自体、それまでの近代主義、世俗主義というものがある種の挑戦にさらされ始めてきているのだ、というふうに見ることもできます。このファンダメンタリズムというレッテルの横行の背後には、一体どういう対立・緊張関係が発生してきているのでしょうか。
 私が思うに、どうもそこで問題の焦点になってきているのが、近代的国民国家という存在ではないか。近代的国民国家という建前が、二十世紀末という状況の中でどうも揺らぎを見せ始めている。
 近代的国民国家というのは、そのもとで社会の近代化あるいは世俗化が推し進められてきた枠組みをなしていたところのものです。西欧の諸国家をはじめとして、西欧の諸社会をはじめとしてこれまで社会の近代化が行われたところというのは、共通してその出発点において近代的国民国家という政治的枠組みを確立するところからスタートしています。
 近代的国民国家としてスタートするに当たっては、それまでの宗教的な正当化原理に立っていた古い国家体制を革命的に打倒するとか、あるいはその支配から脱却するという形で行われた場合が多く、したがって近代的国民国家というのは一般に政教分離ということを建前として採用するに至っています。つまり、近代的国民国家というのは本質的に世俗的原理に立った国家、すなわち世俗国家であります。しかもこの国家はそれを担う近代的国民を形成していくために、独自の文化政策をいろいろ試みてきております。
 例えば、統一的な標準語を定めて、それを学校教育を通して確立していくことによって、古い地域主義、民族差を消していく。そういう統一的な国語政策、あるいはそれを含みつつ、近代国民国家は必ず近代的な学校制度をスタートさせることによって、科学的、合理的な思考方法の育成を中心とする統一的な国民教育を行って、そこで愛国心教育も行っていくわけです。さらには、新聞やマスメディアなどを通して、古い民族的な伝統的文化にかわる新しい国民文化を形成し育成していくという政策などを、ほぼ共通に文化政策として採用していきます。これらも古い宗教的文化にとってかわる新しい世俗文化の育成という方向を志向するものであったということができます。こういうふうに社会の近代化、世俗化は近代的国民国家という、政治的枠組みのもとで初めて行われることができたわけです。
 ところが、この政治的枠組みは、起源は西欧に発しております。国民国家というのは、それ以外の国家権力に比べ非常に軍事的、経済的に非常に強い。というのは、例えば軍事的な面で言いますと、それ以前の国家の軍隊というのは大体傭兵です。周辺諸民族を雇い入れて軍隊とする。ですから、そういう古いタイプの軍隊というのは寝返るおそれが常にあるわけです。近代国民国家のもとでの軍隊というのは、国民が軍の担い手になります。徴兵制が敷かれて、みんな愛国心に燃えています。ですから、国民国家というのは軍事的にも非常に強い。また、資本主義、産業化の発達をバックにしておりますので、経済的にも強い。この圧倒的な軍事的、経済的な力をもって、たちまちに国民国家という政治的枠組みが全世界を席捲していったわけです。
 例えば、日本はご存じのとおり西洋列強から開国を迫られるという形で、近代的国民国家がスタートいたしました。あるいはその他の地域では、西欧諸国家による植民地支配という形を経て、そのもとで引かれた境界線がその植民地支配から脱して近代的国家として独立していく際の地域的単位ともなりました。そういう後発諸国もまた独立後の政策としては西欧に追いつき追いこせという旗印のもとに、必然的に近代化、世俗化路線をとることになります。その代表的政治的指導者が、アラブ世界ではエジプトのナセル、インドではネール、トルコでは初代大統領のケマルであります。そういった形で近代的国民国家という政治的枠組みが全世界に輸出されていって、その後の国際関係はすっかり国民国家というものを単位とした世界システムができ上がり、そのもとで動いていくことになりました。ここまでが現況です。
 ところが、この国民国家を単位とした国際システムが、どうも臭いということに気づき始めた人たちがいた。つまり、この国民国家を単位とした国際システムは、結局は西欧的なシステムへの全世界の組み込みにほかならない、西欧を中心とする先進国の優越体制を固定化しているシステムにほかならないのではないか。その国民国家単位の国際システムのもとでは、後進国はいつまでたっても従属的地位にとどめ置かれざるを得ないということが、ようやく気づかれ始めてきた。しかも、そういう後発諸国において、近代化、世俗化路線というのは、それを担った人たちは西欧的な知性を身につけていた一部のエリートたちです。そういうエリートたちにとっては、政治的、経済的な栄達のルートとして近代化、世俗化路線は好ましいものと映っていたのかもしれませんけれども、そのもとで多くの一般民衆は、その恩恵にちっとも浴さないで、相変わらず貧しい状態に置かれていたままであった。そういうことから、この世俗的な国民国家を単位とする世界システムそのものが、後発諸国にとっては抑圧のシステムにほかならないということが、どうも気づかれ始めて、国民国家を単位とした世界システムからの脱却が求められ始めた段階に至っているのだと考えられます。
 その場合に、依拠する原理としては、世俗原理にかわる宗教的原理しかない。したがって、そこに生じているのは西欧中心の世俗的なナショナリズムに対抗する宗教的ナショナリズムの台頭なんだというふうに捉える人もおります。近代化、世俗化路線を自明のものと見ている人たちから見ると、ファンダメンタリズム、時代遅れの反動的な動きと見られる現象というのは、実は世俗的ナショナリズムに対抗する宗教的ナショナリズムを掲げて、西欧中心的な、抑圧的な世界システムからの脱却を求めていく動きなんだと見ることができるわけであります。
 ちなみに、ある本に引用されているエジプトのあるイスラム神学校の学部長さんが語っている言葉に、こういう言葉があります。「西欧の植民地主義は去ったけれども、我々はまだ本当の独立を達成していない。我々はエジプトがムスリム(イスラム)国家になるまでは、まだ本当に解放されていないのだ。」ムスリム国家になることによって、西欧中心の世界システムからの真の解放が成し遂げられるんだ、という気持ちが込められているのではないかと思います。
 他方、アメリカなどの先進国内部にも、先ほどのファンダメンタリズムと呼ばれる動きが活性化してきているということについては、近代国家がとってきた世俗主義路線が一世紀以上たった今、どうも道徳的正当性原理を著しく欠いているということが、先進国内部の人々にも目に付くようになってきたのではないかということがあるように思われます。そのことを集約的に表現していると思われることとして、話の飛躍になるかもしれませんが、一世紀以上にわたる世俗化の進行の中で、現代人の間では、生命とは何かとか、死とは何かということ自体がわからなくなってきている。生の無意味化、あるいは死の無意味化の深刻な進行です。そこに残っているのは、ただ「ゴミになるだけの死」、あるいは「ゴミになるだけの老い」。そういうことから、先進国内部でも、どうも道徳的正当性原理を欠く世俗的ナショナリズムに歯どめをかけるべく、再び社会や国家に宗教性を回復させようという動きが起こってきたのではないかと考えられます。
 このように見てきますと、今日世界各地で起こっている宗教復興の動きというのは、一世紀以上に亘って世界を支配してきた世俗的国民国家を単位とする世界システムに、あちこちで亀裂が生じ広がってきている、その動きだというふうに捉えることが出来ると思います。それにかわって求められているものは何かといえば、先ほど言った、一千年以上にも亘って君臨してきた救済宗教を核とする文明の原理だと、言うことができるように思います。キリスト教文明とか、イスラム文明、ヒンドゥ文明、仏教文明、儒教文明等々です。これらはいずれも宗教を中核とした文明です。そういったところに着目して、これからの国際政治は、国民国家を単位とした国際関係から、そういう諸文明を単位とした対立抗争の時代に入っていくのではないかというのが、例の話題作である『文明の衝突』という本を書いたアメリカの政治学者ハンチントンの見解であります。
 こうした伝統的救済宗教の復活という動きを、先ほどの「新しい宗教意識」の台頭という動きとあわせて考えるならば、現在、我々が置かれている状況は、一世紀ちょっとの間、我々の社会の原理あるいは生活、行動様式までを規定してきた近代合理主義あるいは近代的世俗主義というものが、二つの対照的な宗教的原理、一つは「新しい宗教意識」と仮に呼んでみた宗教的原理、他方は宗教的ナショナリズムないしは文明の原理、この二つによって挟み打ちに遭っているような状況にあるように見えます。これまで一世紀以上に亘って、「近代」というもののより完全な実現を求めていくという形で社会が動いてきた、そういう動きに対して、一九七三年以降、一方は「新しい宗教意識」に代表されるような「脱近代」という動きが、近代というものに対して異議申し立てをし始めた。他方は、先ほどの文明の原理、これは近代以前からあったものですから、一応、「前近代」と呼んでおきますと、この前近代のほうからも近代に対する異議申し立てが、二十世紀の終わり頃に入って始まってきたという状況に、現代の我々が置かれているのではないか。そして、両方から追い詰められている近代合理主義、世俗主義の側が、いわば窮鼠猫をかむかのように、両方の動きに対して、一方に対しては、カルトというレッテル貼りを、他方に対してはファンダメンタリズムというレッテルを乱発して、防戦一方にこれ努めていると言ったら言い過ぎでしょうか。少なくとも私にはそう見えます。
 そういう意味では、私は間もなくやってくる二十一世紀という時代は、二十世紀よりも激しい対立と抗争の時代に入っていくのではないかと思います。大体、国民国家というのは戦争の火種でもありました。二十世紀という時代は第一次世界大戦、第二次世界大戦に代表される国民国家間の戦争に明け暮れた時代であったわけです。二十一世紀は、国民国家という原理以外の原理が登場してきて、文明間の衝突とか、文明原理と国家原理の衝突とか、そういったさまざまな次元の対立・抗争がさらに激しくなっていく時代に入っていくのではないかという嫌な予感を私は現在持っております。
 今日お話ししたことは、皆さん方の中には、一面的な話という印象を持った方もおられるかと思います。これについては後ほど議論の中で意見などを交すことができれば幸いに存じます。大変雑駁な話になりました。ご清聴ありがとうございました。(拍手)

※本稿は平成一一年三月三〇日、東京都新宿区常圓寺会館にて開催された公開講座教団研究セミナーにて講演されたものを筆録したものです。



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