日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
| 所報第33号:312頁〜 |
第三十一回中央教化研究会議 |
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部会報告(要旨)
第一現代教学部会
座 長 大西秀樹
問題提起 吉本光良
記 録 松脇行眞・中井本秀
運 営 三原正資・西片元証・難波宏正
西口玄修・馬渡竜彦
参加人数 三十五名
「『下種結縁の教化活動とは』〜お題目総弘通運動、その意義を今一度、下種という方向から問い直してみましょう。」とのテーマに基づき、問題提起、講演、対談、討議と言う順序で進められた。
先ず、問題提起が行われた。我々の宗門では、お説教で、とかく仏性の話しをよくする。しかし、少年犯罪や凶悪な犯罪が多発している現在の世相を見るに、はたして「本来備わっている仏性を磨きましょう!」という表現だけで、世の人々にお題目を訴えられるだろうかとの疑問が涌いて来る。そこで、「仏種の下種」との観点をもう一度見なおし、布教上の表現・考え方を検討しようと考えたのが、今回の部会の試みである。
さて、「仏種の下種」を考える時、この下種思想を教学の基軸においている八品門流ではどう捉え、いかような布教の方策を立てているのか興味があるところだ。今回は、八品門流の中でも最も先鋭的な本門佛立宗の方をお招きし、お話しを伺った。
講演では、「本門佛立宗七万五千人の教化活動〜日隆上人の下種思想を中心として」と題して、佛立研究所副所長の福岡良樹師が熱心にお話しされた。そこでは、
(1)八品門流の歴史と佛立宗の概観説明。
(2)日隆上人下種教学のキーワード「本門八品」「上行所伝」「本因下種」などの説明。
(3)下種に基づく信徒教化の例。
などを詳しく説明された。
その後に、質疑応答をし、いくつか印象的な事が伺えたので、以下に列挙する。
○信仰をしていない人が亡くなってからの回向で成仏するのか、との問題を佛立宗では重視し、生前の信仰以外には成仏しないと明確に規定している。
○その信仰は口唱唱題重視で、日扇上人の残した膨大な御教歌に依って指導している。
○講師のアメリカでの布教活動の経験から、教学の現代用語化を重視している。
○下種教学を中心としている佛立宗では、教えを聞くという下種・人の唱えているお題目を聞くと言う下種・本人が唱える事による下種、という種類に分けて信徒に伝えている。
○中でも、教えを聞いての下種は、説く側の表現方法の工夫がとても必要である。
○日常の教化活動として全寺院が必ず行っている事には、毎日の勤行への信徒の参加、勤行後の必ずの説法。毎月の講や行事での説法など、言説布教に力を入れる伝統がある。
○法話の内容は、御教歌の説明から入り、教理・教学が中心となっている。
○ご本尊の奉安方式や信行方法が全国統一されている。
○信徒組織として、最少単位が四〜五名の班で、その上に組・師長区などの組織が明確にある。
○また、信徒が布教する事も本宗との違いである。
○唱題重視の点は、法要・法事などでお題目を唱える時間の方が読経よりも長いと言う事にも伺える。
次に、本門佛立宗宗務本庁、立教開宗七五〇年特別局の高取塔宥師に佛立宗の七万五千人の教化活動について、対談形式でお話しを伺った。以下列挙する。
○この運動が信徒による布教だという事。
○信徒から公募でシンボルマークや、誓いの詞などを募り、信徒主体に実行されている。
佛立宗の信行の要点として、
○朝参詣(一緒に読経(お看経=おかんきん、と言う)ご法門聴聞、常回向)
○教化(口唱・折伏・現証御利益)
○ご利益感得
○十二宗名(過去・下種・本門経王・事相・無智・信心・易行・経力・口唱・名字即・教弥実位弥下・直入法華折伏)宗、などの事を信徒に教化している。
今回の講演・討議を通じて、本宗と佛立宗との相違点を見るのではなく、共通点を視座に、布教方法やその原点を見詰められたように思う。またその折に、仏種・仏性のどちらに重きを置くのかで、布教に対する心構えやその裏付けとなる教理の理解に差異が出てくると感じた。
つまり、仏種に重きを置くと、折伏的布教姿勢と罪意識を考える方向になり、神力品・付嘱を重要視し、仏性に重きを置くと、性善的な布教内容になり、自然、緩やかな布教姿勢へと向かい、寿量品・本仏を重視するように思われる。
どちらも聖人に内在する教理だけに、単純には割り切れないが、布教者の創意工夫が、現代において足りない事だけは確認できたように思う。
(松脇行眞)
第二現代教化部会
座 長 内山智修・岩永泰賢
問題提起 伊藤立教
記 録 小澤惠修
運 営 中村潤一・植田観樹・田口学正
小倉孝昭・松井教一・岩本泰寛
岩渕真永
参加人数 三十四名
この部会のテーマである「立正安国」をいかに現代に問い掛け、実践して行けば良いのか?この問題に取組み、三年目を迎える。
運営委員、部会参加者相互に試行錯誤を重ねながら審議、分析を試みた。しかしながら、明快な結論、方向性を導き出すには至ってはいない。これは近年特に迷走を続ける「現代」への理解の困難性、意外性が問題なのであろうと考えられるのではなかろうか。
そこで、今年は、「立正安国」の特に「国」について分析、討論を試みた。これは、日蓮聖人御在世、『立正安国論』著述時に聖人が目指された「安国」の理想と実践をいかに「現代」に具現させるかの指針を求めることを目的とした。特に、世代間のギャップに注目した。これは、現代の世相を浮き彫りにし、同時に「国」の現代性を明らかとすることを考え、「立正」と「安国」の現代的結び付きを掘り下げ、現代教化の方法論を模索することに不可欠と考えたからである。
さてまず、「無宗教社会日本のゆくえ」というビデオを教材とした。戦後の精神世界の特徴として、「やせた宗教観、政治観を背景とした「宗教」と「国家」の関係においてアメリカの宗教社会とを比較する中で、アメリカの国家統合の為の宗教の肯定理論、さらに、「信教の自由」の先進国アメリカを部分的に日本人が誤解して摂取してしまったのではなかろうかという認識、さらにアメリカの多種の人種における宗教の必要性、これらの要素は世界の宗教の歴史観の中で必然的に通常の社会価値として認識されるアメリカの宗教事情と日本との相違をしっかりと把握しなくてはならない。日本は宗教が国家に管理されてきた歴史、これが無宗教社会の重要な背景である。今、日本に求められているのは「豊かな歴史観」において「やせた宗教観」を回復して行くことが重要である。
さて、世代別の「国」への認識への模索であるが、各世代に諮問を設けて討論を開始した。青年層については、「クニ」、「国」という意識はあまり存在しないのではなかろうか?しかし、今年のフランスW杯の時、「日の丸」、「君が代」を歌う姿は何なのか?また、壮年層にとって、家庭、仕事という枠組の中での「国」という意識はあるのか?そして、老年層の戦争を体験した中での「国」とは何なのか?
以下、討論の内容を箇条において列記する。
◎「国」とは何か?(世代別意見)
●信仰的にはあまり「国」は関係ない(20代)
●国会、政治を中心とした「国」のイメージがあるだけで、新聞、ニュースはあまり見ない。(20代)
●個人の自由意識の中で、現在の「国」の状況はあまり自分達に影響されていない。これは、国の政策等が自分達に直接関係ない。(20代)
●国家が情報化、市場化の中で解体されて来ている。また、個人の生活と国の状況との一体感が感じられない。大聖人が今、『立正安国論』を書かれたらどんな国分析をされるか考えたい。(30代)
●「国」に対する意識について、若い世代の考え方がうまく理解出来ない。(50代)
●国があるから日蓮宗が存在し、寺院の存在があるのだから無関心では済まされない。(50代)
●国意識の稀薄さ、超国家主義の影響など、法華経は日本に有縁の経典であることを認識するべき。「国」を意識しないことは危険である(60代)
●若い世代に生きがいが感じられない。元気がない、平和ボケの日本人。個人の利益だけを求める日本人。若者の「国」への稀薄さは悲しい状況である。(60代)
◎現代の「国」意識への対応
●日蓮宗の歴史的流れを再確認する必要性(国家主義・日蓮主義)
●戦争に対する世代別の認識の相違を確認する必要性
●国と政治との関係について論議が必要(政治腐敗・政治不信)
●単に現状を批判するだけではなく、外(社会全体の状況)に目を向ける必要がある。
●「立正安国」の明確化が必要
●「立正」と「安国」は別なのか、別ではないのかを考える必要がある。
●宗門批判ではなく、前向きに考えることが大切である。無関心に逃げる若者の実態、恩の概念の再構築、今「国」を考えないと日本に住む資格はない。
●昔「国」を上層部(政治的)が担っていた。「国」を語る以上、責任が取れるのか?僧侶として、「国」を語ることとは何かを考える必要がある。無力の若者にとって、僅かな情報の中で「国」を語るのは難しい。
●身近な家庭教育の現場から「国」の問題を考える必要があるのではないか。
●歴史的背景を考えなくてはならない。明治以前以後、近代に入った「国」への認識の変化
●政治的問題は考える必要は無いのではないか。(心の問題)
●戦争映画等から学び執る平和運動の実践から「国」を考える。
●四恩の一つ、「国恩」を語らずして宗門人とは言えない。
●愛国心とは身近な家族を守る為、だから軍隊に身を置く必要性が出てくる。国意識を難しく考える必要はない。
●「立正安国」を自分自身の中にもって生きられる教師であることが大切
以上、すべてではないが討論の内容を羅列した。想像の通り、現代の「国」の姿は明らかとなるまでには至ってはいない。事実、「国」を認識し分析することは宗教者として不可欠の問題であることは明らかであるが、若い世代にとってどのように接点をもって「国」への思考を展開し「立正安国」の現代的意義を模索するべきかが不透明なままである。その現状に世代間の理解をどう深めて行くかが課題として残る。そこに現代の「国」を超越した現代の「立正安国」の意義付けが可能になり具現化する手掛かりが存在するのではなかろうかと考えられる。
法華系新興教団の動向や状況が大きな問題として存在するが、宗門において教義、社会学的見地からの分析、検討の学問的土壌が必要ではなかろうか?
今回の「国」について世代間のギャップを洗い出しただけで終わるのではなく、それを構築し、現代教化の指針となる為の体系化した論議の場所が無いのが現状のような気がする。
(小澤惠修)
第三現代教育部会
座 長 竜沢泰孝
問題提起 新間智照・中村雅輝・他女性教師
記 録 間宮啓允・中山観能
運 営 木村勝行・原 顕彰・斎藤哲秀
宮淵泰存・影山教俊・田島辨正
参加人数 二十三名
先ず最初に問題提起者の新間智照師より宗門における法器養成の取り組みや、教研会議の部会としての二十年にわたる討議の積み重ねのなかで、法器養成の展望と基本方針がうみ出された経緯の説明があり、宗門僧侶教育には綜合一貫したカリキュラムが必要であることが提起された。
更に法器養成の綜合一貫計画を実現するための問題点として
(1)世襲化による師弟関係の弱まりへの対応。
(2)信仰第一といっても、閉鎖的、排他的、原理主義的な教育でなく、開かれた、正しい社会性をもった教育体制にする。
(3)一律教育でなく多様化に応じ、各個人に適応した教育をめざし、選択単位制を導入する。
(4)女性教育を重視する。家庭教育として寺庭婦人の重要さ。
(5)訓育側のスタッフの層を厚くし、スタッフ相互の研修交流を充分に行う。
以上の若干例が提示され、これらの問題点を整理検討し生かす時期に来ていることが指摘された。
次に問題提起者の中村雅輝師より、本年度七月二十一日現在で宗門教師は八〇五五名その中で女性教師は九八八名(教師全体の十二パーセント)となっており、宗門における法器養成部門に「女性の視点」が必要であり、女性の立場を考慮することが宗門の義務であること、そしてあらゆる分野をもう一度「女性の視点」から見直そうという「女性学」と言う学問運動の立場から、社会や家庭、学校教育の現場、各宗派内での男女差別の状況をとらえ検証して、男女が共同参画出来る社会を築き、寺院においても男女が対等な構成員として共同の責任において寺院の経営がなされなければならないことを指摘し、この部会では世襲化がすすむ寺院の現場で、一歩踏み込んで本音で討議することをテーマとしたいという提案がなされた。
この提案を受けて今回参加の女性教師から率直な意見を聞いた。
○女性への門戸開放と言う意味で、補教信行道場が有髪で入行出来ることが、女性蔑視でないにせよ女性自体の甘えにもなりかねないので、補教信行道場を徐々に廃止し、女性も宗門の教師資格を取得するには剃髪して信行道場に入行し信行道場を一本化すること。
○女性教師にも修法資格が与えられるような教育機関を設け、男女教師が平等の立場に立てる環境をつくる意味で教育機関の見直しが必要である。
○僧風林の入林資格を宗門師弟に限定せず一般に開放して、より多くの青少年が法華経の教えや宗祖の教えに触れることが出来る教育の場が必要。
○法要出座と給仕接待などのように、住職と婦人の役割分担を強いられる寺院生活の現況の中で、住職と婦人が互いの立場を認め合うことが望まれる。
○寺へ嫁いだ婦人への仏道修行の基本となる教えや三宝給仕の作法、檀信徒への接し方など仏事作法を習得する教育の場の必要性。
○捕教信行道場が有髪で入行出来ることが認められるのに、声明師養成講習会の受講資格に五ミリ以下の頭髪となっていることに疑問をもっている。
等々女性教師より寺院生活の現場の体験から意見が出された。
その他の参加者からは、法華経の説示により男女の問題は、男女の意識を持ってとらえてはならないと理解されることから、男性教師がこうあるべき寺庭婦人がこうあるべきなどと論議する必要はないと考える。各寺院のおかれた環境が異なるので、寺院経営に合わせて住職と婦人の法務や給仕の方法を工夫すればよいのでは。
日蓮聖人は当時の価値観を乗り越えて夫婦が互いの人格を認め合い役割を分担し共同の責任において生活を営むことが必要であることを打ち出されたのであるから、寺院は住職のものだけではなく、寺院での女性の立場や役割を考え、住職と婦人の共同の責任において寺院の経営がなされることが望ましく、宗門でも各寺院でも日常的な様々な問題に関して女性達が意見を交換し合える場、女人道場の開設を提案したいというような建設的な意見など法器養成における様々な提案や意見交換がなされた。
第三現代教育部会での討議の結果、参加教師の共通の認識として
(1)寺庭婦人の教育の場を設ける必要性。
(2)女性が教師となる為の短期道場の開設。
(3)女性教師を指導者として教育の現場に登用することの重要性。
以上三点が上げられた。
最後に、来年度の第三現代教育部会において引き続き女性の教育問題を取り上げ、部会スタッフにも女性をまじえて企画し、『女性セミナー』を開設してはという提案があり、参加者一同の賛同を得て部会を閉じた。
(中山観能)
第四現代社会問題部会
総合座長 貫名英舜
運 営 中濃教篤・久住謙是・蟹江一肇
山口裕光・梅森寛誠・玉川覚祥
奥田正叡
(1)ダイオキシンと環境ホルモン〜日本人歳男性の精子半減の問題を考える〜
座 長 古河良晧
問題提起 柴田寛彦・石川修道
記 録 灘上智生
(2)キレる中学生
座 長 貫名英舜
問題提起 吉田永正
記 録 都 泰雄
参加人数 五十二名
(1)ダイオキシンと環境ホルモン 当部会では、現代社会が次々に生み出す多様な問題に対し、我々日蓮宗教師はどのように受け止め、我々の立場でなにができるかを探り当てることを目的としている。
今開催においては現在最も社会的に注目が集まっているテーマである「環境問題」と「青少年問題」について取り上げた。今回は、参加者が五十名を越え、これらの問題に対する本宗教師の関心の高さを示しているといえる。各問題の討議内容は以下の通りである。
(2)環境ホルモンは、人類の未来を奪うのか?
まず始めに、「しのび寄る危機〜ダイオキシンと環境汚染」として石川修道師より問題提起が行われ、続いて柴田寛彦師より「環境ホルモンは人類の未来を奪うのか?」という基調報告が行われた。
石川師は、ゴミ焼却により生じたダイオキシンは大気・土壌・河川・動植物を汚染し、食物連鎖を通して人体に影響を及ぼす。環境汚染は国境を越えて拡大し、汚染のスピードも増加している。また汚染被害者が実は加害者であるという現実がある。その対策としては、大量生産・大量消費・大量廃棄型社会からリサイクル重視の循環型社会への移行が大切で、ゴミ排出責任の確立といった行政に対する働き掛けが必要であると述べた。
柴田師は、我々の身の周りに存在する多くの化学物質で作られた製品は、深刻な環境汚染を引き起こし、人の健康や生態系に有害な影響をもたらす。中でも環境ホルモンの問題は関心を集めている。環境ホルモンとは、ホルモン類似作用を持ち、人及び生命の生殖と発育という基本的な生物の生活条件に影響を与える可能性が懸念されている化学物質である。それらに我々や子供達がどれだけさらされているかを報告した。
また私達の寺院における宗教活動も環境汚染の問題と無縁ではなく、境内地・墓地のゴミ処理問題、焼却炉使用の可否、塔婆などのお焚き上げといった問題に対する解決を迫られている。
日蓮宗教師の環境問題に対する取り組みとしては、
(1)意識の改革、価値観・ライフスタイルの転換
(2)宗門として社会・行政・産業界へのアピール
寺院として檀信徒と共に具体的取り組みが必要であると述べた。
その後、部会参加者による活発な討議が行われた。中でも身近な問題として焼却炉使用の問題、塔婆処理の問題、ゴミの分別の必要性、行政のあり方に対する監視の必要性、生産者責任をメーカーに対して明らかにするよう働きかけるべきだといった様々な意見が出された。
以上の討議を受け、知識を深めるだけではなく、取り組みの基本姿勢として当部会において、アピール・要望書がまとめられ、採択された。
環境問題アピール
第三十一回中央教化研究会議(現代社会問題部会)
私たちは、人間や生物や草木国土をあるべき調和の姿でいきいきと生かすことのできるのは、法華経・お題目であるとの基本認識に立って、環境問題に次のように対応します。
一、環境を汚染し破壊するすべての行いに対して抑制を求め、環境を守り保護する活動に協力し支援します。
二、環境問題に関する、更なる科学的研究努力、産業・経済界の真剣な取り組み、行政の責任ある監視と指導及び情報開示、並びに国際的協力体制の整備への努力を求めます。
三、少欲知足の実践を目標にし、地域環境にやさしい寺院づくり、家庭づくり、地域づくりにつとめます。
★緑の保存と育成につとめます。
★生物のいのちを尊重します。
★水や電気や化石燃料などの生活エネルギーを節約します。
★ごみの減量・分別・リサイクルにつとめます。
★ごみ焼却による環境汚染に気を配ります。
★地球温暖化防止につとめます。
要 望 書
第三十一回中央教化研究会議(現代社会問題部会)
私たちは、日蓮宗として、灯明、香、卒塔婆供養、お焚き上げ等の宗教儀礼と環境問題との関連について、ダイオキシン等の有害物質の発生の有無等を含めた検討を行い、今後の指針を呈示することを要望します。
(灘上智生)
(2)キレる中学生
神戸で起こった小学生連続殺傷事件の衝撃から冷めやらぬ中、十三〜十五歳の少年によるバタフライナイフを使った殺人や傷害をふくむ事件が頻発しており、「キレる中学生」という問題は社会全体で受け止めなければならない問題として発展しています。
社会が病み、学校が病み、家庭が病んでいる今、これらの事件の原因について様々な立場から数多くの評論がなされている中、我々宗教者が、少年達のやり直しのきかない罪悪について、さらには、「人を殺してなぜ悪いのか?」という問いに対して、どう答えていくか、そして教育者・家庭・宗教者がいかに関わっていくかを、青少年現状の基調報告をもとに話し合いが進められました。
・問題を起こす子供が中学生から小学生へと低年齢化している。今の子供達は、自分で物事を考え、自分で行動することができない。今まで進化を続けてきた人間が様々な原因により、退化しているのではないか。
・家族がすべての社会的矛盾を抱え込み、互いに深く関わらないのが愛情のような家庭状況の中(家庭のホテル化)、教育を学校に任せてしまっていることにより、学校の先生に個人の人格がすべてゆだねられてしまう危険がある。そして、学校と家庭との責任のなすり合いがある。
・日常生活とかけ離れたところに、浄化された死、軽過ぎる死がある。そんな中、いかに命の尊さを教えることができるか。それは例えば、幼稚園を経営するものが、教育者となるか経営者となるかで大きく違ってくる。(教育の産業化)遊びの中から、体験を通して命の尊さや、命の躍動感を教えなければならない。さらには、仏教理念を学校教育の中に生かせないだろうか。
・環境問題と「キレる」は共通した問題である。たとえば、清涼飲料水を飲むことによって、体内の血糖のレベルが上がり、それらの及ぼす作用が「キレる」につながり、また環境ホルモンとの関係もありうる。
このような状況の中、キレる子供達は、自分の気持ちを聞いて欲しかったり、反社会的な行動をとることで周りに注目されたかったりしている。さらに死に対する実感を教えて欲しいと求めている。それに対し、宗教者の言葉や振る舞いの中に足りないものがあるのではないだろうか、我々宗教者がまず命の尊さを体感し、相手の言葉を十分に聞きながら、それを経典・御遺文に照らし合わせて、現代の言葉として相手に伝える努力をして行かなければならない。そして、日常生活の中に、仏教の理念をいかに生かして実践していけるかが問題であり、社会が変わりつつある今、仏教者が提言できる大きなチャンスであるのではないだろうか。
(都 泰雄)
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