天台止観に見られるインド仏教医学
影山教俊
(現代宗教研究所研究員)
プロローグ
現代人の私たちにとって仏教という宗教に対する一つのイメージは、それは観念的な思想哲学であるというイメージであります。そして、私たちはそれを当然のように受け入れて、仏教は斯くあるものと思い込んでおります。
しかしながら、現実の宗教としての仏教を理解するためには、仏教のもっている身体観の全貌、つまり、その時代の仏教者がどの様に身体の在り方を考え、どの様に病気というものを捉えていたのかということを適正に評価することが必要であるといえます。なぜなら、仏教の信行生活によって実現される「悟りという救いの心理体験や、身体的な病気の癒し」、即ち仏教の目的である抜苦与楽(現実苦を克服し安心を得る)は、思想哲学という観念の産物ではなく、私たちの切れば血の出る身体性の上に実現される経験の産物だからであります。
そして、このような観点に立つことによって始めて、宗教としての仏教がもっている機能的な側面が理解でき、それと同時に現実社会で仏教者による教化活動の実際が示唆できるからなのです。
ところで、この数年この観点に立って、天台大師の身体観を考察してきた。そして、天台止観に見られる身体観を分類整理する方法として、最も晩年の撰述である大部の『摩訶止観』から、病気(病患)という身体性に直接関わる部分を抽出し、それを『天台小止観』『六妙法門』『禅門修証』『禅門口訣』など四種の修行論の病気(病患)に関わる部分と比較対照いたしました。それが<資料1>です。ここに天台大師の身体観の全体が見えております。
<資料1>『摩訶止観』「観病患境」と中心とした比較
●『摩訶止観』第七章「修正止観」第三節「観病患境」
●『天台小止観』(修習止観坐禅法要)第九章「治患病」
●『六妙法門』第四章「対治六妙門」
●『禅門修証』(釈禅波羅密次第法門)第六章「分別禅波羅蜜前方便」第四節「明治病方法」
●『禅門口訣』
<対照表>
●『摩訶止観』 ●『天台小止観』 ●『六妙法門』 ●『禅門修証』 ●『禅門口訣』
T「病患の様相」 *三業の論述のみ
(大正四六―一〇六A)(大正四六―四七一B)(大正四六―五五一A)(大正四六―五〇五B)(大正四六―五八一C)
@四大を知る ○四百四病あり × ○四百四病あり ○
A五臓の病相 ○ × ○ ×
B六神の病相 ○ × ○ ×
U「病相の原因」
(大正四六―一〇七A)(大正四六―四七一C)(大正四六―五五一A)(大正四六―五〇五B)(大正四六―五八二A)
@四大不順(外因) ○ × ○ ○
A飲食の不節制(外因) ○ × ○ ○
B坐禅の不調(内因) ○ × ○ △不調息
C鬼神の便り(鬼病) ○ × ○ ○
D魔による(Bhuta-vidy

) ○ × ○ ○
E業による(Karma-betuka) ○ × ○ 〇
V「治病の方法」
(大正四六―一〇八A)(大正四六―四七一C)(大正四六―五五一B)(大正四六―五〇六A)(大正四六―五八二B)
@止の方法 ○ ○ ○ ×
「皇帝の秘法にいうが如く」
(大正四六―一〇八B)
A気の方法 ○ △六種気なし ○ ×
(吹呼

呵嘘

の六種気)
B息の方法 ○ △十二依息なし ○ ○
C仮想の方法 ○ ○ ○ ×
D観心の方法 ○ ○ ○ ×
E方術の方法 ○ ○ ○ ×
F補足として ○ ○ ○ ×
W「損益を明かす」 ○ △十法は欠、菩薩願行あり○ ×
(大正四六―一〇九C)(大正四六―四七二B)(大正四六―五五一C)(大正四六―五〇六B)
X「十乗観法を修す」
(大正四六―一一〇A) × × ×
詳細は後述いたしますが、これを陰陽五行説に支えられた中国医学の病因論と、また四大理論に支えられたインド仏教医学の病因論で整理しますと、<資料2>のようになります。
<資料2>「陰陽五行説に支えられた中国医学の身体観」と「四大に支えられたインド仏教医学の身体観」の分類
(1)「陰陽五行説に支えられた中国医学の身体観」
●『摩訶止観』 ●『天台小止観』 ●『六妙法門』 ●『禅門修証』 ●『禅門口訣』
T「病患の様相」 *三業の論述のみ
A五臓の病相 ○ × ○ ×
B六神の病相 ○ × ○ ×
U「病相の原因」
D魔による(Bhuta-vidy

) ○ × ○ ○
E業による(Karma-betuka)○ × ○ ○
V「治病の方法」
@止の方法 ○ ○ ○ ×
「皇帝の秘法にいうが如く」
A気の方法 ○ △六種気なし ○ ×
(吹呼

呵嘘

の六種気)
E方術の方法 ○ ○ ○ ×
(2)「四大に支えられたインド仏教医学の身体観」
●『摩訶止観』 ●『天台小止観』 ●『六妙法門』 ●『禅門修証』 ●『禅門口訣』
T「病患の様相」 *三業の論述のみ
@四大を知る ○四百四病あり × ○四百四病あり ○
U「病相の原因」
@四大不順(外因) ○ × ○ ○
A飲食の不節制(外因) ○ × ○ ○
B坐禅の不調(内因) ○ × ○ △不調息
C鬼神の便り(鬼病) ○ × ○ ○
V「治病の方法」
B息の方法 ○ △十二依息なし ○ ○
C仮想の方法 ○ ○ ○ ×
D観心の方法 ○ ○ ○ ×
このように分類すると、天台大師には第一の身体観として「陰陽五行説に支えられた中国医学の身体観」と、第二の身体観として「四大に支えられたインド仏教医学の身体観」の二つが並存していることが明らかとなりました。
今回この小論では、このように並存する二つの身体観が、一つにはいったい何に基づいて考証されたか、天台大師はどの様なテキストでそれを学ばれたのか考察し、二つにはテキストを再考証して大師の身体観をより適正に評価し、仏教の機能的な側面の理解を深めて行きたいと思います。
一、第一の身体観「陰陽五行説に支えられた中国医学の身体観」
まず第一の身体観のテキストにつきましては、第五十回日蓮宗教学大会で発表いたしましたので、ごく簡単にアウトラインを示しておきます。
天台大師の第一の身体観は、中国医学の病因論、陰陽五行説に支えられた気の生理学であります。どの様な身体観であるのか概観しますと、とくに中国医学では血液を含めた、体液というもの、体液の質と、その流れ方というものを大切に考え、人間の身体を流れる体液の質や、流れ方のバランスの状態の良し悪しが心と身体の健康状態に関係するといいます。
また、中国医学ではそのような体液の循環、その体液の中を流れる気エネルギー(生体エネルギー)の循環する道、特に体内を縦に流れる道を「経脉」、横に流れる道を「絡脉」といい、この二つを合せて「経絡」と総称しております。
そして、この経絡中を流れる気エネルギーが大自然の摂理に調和したバランス関係を「陰陽五行説」という自然哲学から理解し、私たちの生命維持の循環、即ち身体観をダイナミックに説明するのです。
ところで、この陰陽五行説とは、まず「陰陽」の「陰の性質」は凝集を象徴し、「陽の性質」は拡散を象徴しております。そして、「五行」とは「木、火、土、金、水」であり、自然哲学としての説明は、「木から火が生ずる」「木が燃えて土が生ずる」「土の中から金が生ずる」「金の回りには水が生ずる」「水によって木が生ずる」という五つの相生関係が説明されます。また、これとは逆に「土は木によって耕され」「火は水によって消され」「金は火によって溶かされ」「水は土によって塞き止められ」「木は金によって削られる」という相克関係が説明されております。
またこの様な「陰陽」と「五行」を駆使して私たちの身体観を具体的に説明しますと次のようになります。
まず経絡系の名称は五臓六腑に関係して説明されておりますが、近代医学でいう臓器そのものを意味しているわけではなく、その臓器に関係する働きを総称しているようです。
その種類として、
@肝臓や胆嚢の働きに関係するものを木性、その陰性を肝経、その陽性を胆経
A心臓などの循環器系に関係するものを火性(兄)、その陰性を心経、その陽性を小腸経
B全体のバランスに関係するものを火性(弟)、その陰性を心包経、その陽性を三焦経
C脾臓や胃腑の働きに関係するものを土性、その陰性を脾経、その陽性を胃経
D肺臓など呼吸器系の働きに関係するものを金性、その陰性を肺経、その陽性を大腸経
E腎臓や膀胱など泌尿生殖器系に関係するものを水性、その陰性を腎経、その陽性を膀胱経の「陰陽」を合せて正経として十二経絡があります。
そして、この正経の十二経絡、十二本のルートは、その中を気エネルギーがどのような方向でどのように流れるかで「三陰三陽関係」、陰と陽の大小関係として説明されます。上の十二経絡を「三陰三陽関係」で分類しますと、
@「手の三陰」として「太陰の肺経・少陰の心経・厥陰の心包経」
A「手の三陽」として「陽明の大腸経・太陽の小腸経・少陽の三焦経」
B「足の三陰」として「太陰の脾経・少陰の腎経・厥陰の肝経」
C「足の三陽」として「陽明の胃経・太陽の膀胱経・少陽の胆経」
のようになり、ご覧のように手足でそれぞれ陰陽関係になっております。
では気エネルギーの流れ方について、総体的な流れを簡単にお話しますと、気エネルギーという生体エネルギーは「中

」と呼ばれる消化器系より起こると考えられております。たしかに消化器系(中

)の働きによって食べ物が消化吸収され熱エネルギーに転換するのですから、古典的な解釈も道理に適ったものといえます。
順次にその流れをごく簡単に説明してみましょう。
「中

」→手の「太陰の肺経」→手の「陽明の大腸経」
→足の「陽明の胃経」→足の「太陰の脾経」
→手の「少陰の心経」→手の「太陽の小腸経」
→足の「太陽の膀胱経」→足の「少陰の腎経」
→手の「厥陰の心包経」→手の「少陽の三焦経」
→足の「少陽の胆経」→足の「厥陰の肝経」から、また手の「太陰の肺経」へと戻り、正経の十二経絡を循環しているのです。
また、この気エネルギーの陰陽関係の流れは、身体の左右対称に存在するわけですから、正経は左右で二十四経絡の陰陽関係となるわけです。
このように中国医学は陰陽五行説に支えられた「気の生理学」を基礎概念を前提としながら、私たちの身体観をダイナミックに説明するのです
(1)。
そして、天台大師が学ばれたそれらの概念を含むテキストには、次のような医学書群が文献が上げられます。
・『黄帝内経』(『素問』『霊枢』)―紀元前三二〇〜二五〇年頃成立
・『黄帝八十一難経』 ―二世紀末成立
・『金匱要略方』 張仲景著 ―三世紀初頭
・『脈経』 王叔和著 ―二二〇〜三一六年
また『黄帝内経』などの正統医学書には具体的に記述されていない按摩法、調気導引法などに関わるものも、七世紀初頭までには編集されていた道教系統の医学書・孫思

著『備急千金要方』(六五〇〜六五八年)などに記述されていものが、すでに六世紀に撰述されている『摩訶止観』や『天台小止観』にも見られたということは、天台大師は当時隆盛であった道教系医学の葛洪(二八三年〜三六三年)著『抱朴子』『肘後備急方』『金匱薬方』、その後継である陶弘景(四五二年〜五三六年)著『肘後百一方』『神農本草経』などの基礎医学のテキストに精通していたことが考察されました
(2)。
二、第二の身体観「四大に支えられたインド仏教医学の身体観」
次に第二の身体観ですが、まずインド仏教医学がどの様な医学であるか概観しますと、後述しますが七世紀のナーランダ僧院の生活ぶりを伝える唐代の訳経三蔵僧義浄の『南海寄帰内法伝』には、当時のナーランダ僧院では医方明の診療科目として、一に腫瘍、膿瘍などの治療法(一般外科学)、二に眼科や耳鼻科の治療法(特殊外科学)、三に内科全般の治療法(身体療法)、四に精神病治療(鬼神学)、五に小児病治療(小兒科学)、六に解毒剤の投薬療法(毒物学)、七に長生薬論(不老長生学)、八に精力増強法(強精学)の八つが設けられ、広く行われたことが示されております。
そして、その病気の原因と治療の基礎概念の四大に触れ「四大の不調による病気には、地大の病気・水大の病気・火大の病気・風大の病気があり、これらは中国で沈重、痰

、熱黄、気発と呼ぶ病気であるといい、さらに通俗的には地大を加えない水大、火大、風大の三大が用いられていた」というのです。
つまり、当時のナーランダの医学は、正しくは四大の基礎概念によって病気の原因と治療を考えており、インド仏教が四大に支えられた身体観を持っていたことが分かります。
また、治療に関しては現在のインド医学、アーユル・ヴェーダ医学と同様に水大・火大・風大の三大(tri-dosa)理論による医学が機能していたと考えられます。
具体的にこのようなアーユル・ヴェーダ医学の基本的な考え方を述べますと、私たちは母の胎内で生を受けた直後から、先天的に体質や気質が決まっているといいます。その体質や気質を決定する要素がカパ(水大)・ピッタ(火大)・バータ(風大)のトリ・ドーシャ(三大の要素)理論によるバランス関係です。
つまり、カパの要素が多ければカパ体質というように、ピッタ体質、バータ体質が決まり、またカパ・ピッタ・バータの複合型の体質というように、トリ・ドーシャ理論に基づいて理解します。
そして、私たちが自分の体質に適した生活をしてトリ・ドーシャのバランスが良いときには健康的であり、逆に何れかのドーシャを増やすような不適当な食事や、節制を怠ったりすると、ドーシャのうち何れかが増加し、トリ・ドーシャのバランスが崩れ、健康を害するというのです。
たとえば、カパは甘いという性質があるために、カパ体質の人が甘い物を食べ過ぎるとカパ病(水大病)に罹りやすく、この体質の人は現代医学でいう糖尿病などの生活習慣病に注意が必要であるといいます。また、ピッタは辛いという性質があり、ピッタ体質の人が辛い物を食べ過ぎるとピッタ病(火大病)に罹りやすく、心臓などの循環系の病気に注意が必要であるといいます。
このように体質に適した食事と、季節や時間に基づいた生活がアーユル・ヴェーダ医学の治療法であり、その治療を支えているのがトリ・ドーシャ(三大の要素)理論なのです
(3)。
そして、このような考え方は古典の『仏医経』に「人の身体には四つの病気の本がある。地大、水大、火大、風大がそれである。風大は気が起きることによって増大し、火大は熱によって増大し、水大は寒によって増大し、そして、地大(土)は力によって盛んになる。この四大によって四つの病気があり、四百四の病気が生起することになる
(4)。」と示され、三大理論と四大理論の違いはあるとしても同様の医学背景が見えております。
ところで、このような四大理論に支えられた病因論から、第二の身体観を摩訶止観を中心に整理しますと次のような病因論が見えてきます。
@四大を知る
身体苦重にして、堅結し疼痛し、枯痺し痿、瘠るは、これは地大の病相なり。もし虚腫し脹

するは、これは水大の病相なり。もし身を挙げて洪熱し、骨節酸楚し、嘘吸頓乏するは、これは火大の病相なり。もし心懸けて忽にし懊悶し忘失するは、これは風大の病相なり。故に経にいわく「一大が不調ならば 百一の病悩あり 四大が不調ならば 四百四の病一時に動くと。」
A四大の不順の病(内因)
四大不順とは、行役すること時なく、強健にした担負し、寒熱に棠触し、外の熱が火(大)を助け、火(大)強くして水(大)を破る。これは火(大)が増すの病なり。外の寒が水(大)を助け、水(大)増して火(大)を害す。これを水(大)の病となす。外の風が気を助け、気が火(大)を吹き、火(大)は水(大)を動かす。これを風(大)の病となす。あるいは三大増して地(大)を害するを、等分の病と名づく。あるいは身分増して三大を害するも、またこれ等分にして地(大)の病に属す。この四すでに動ずれば、衆悩競い生ず。
B飲食の節制(内因)
薑桂の辛い物は火(大)を増し、蔗蜜の甘冷なるは水(大)を増し、

は風(大)を増し、膏膩は地(大)を増し、胡瓜は熱病のためにしかも因縁となるがごとし。すなわちこれ安からざるの食を

うなり。食せん者、すべからくその性を別つべし。
C坐禅の不調(内因)
観が僻って四大を動ずとは、もし境を観ずること不定なるは、あるいはこれを縁じ、あるいはかれを縁じて、心にすなわち諍を成じ、諍が故に乱風起って風(大)病を成ず。嬰児の行を御するはただこれに任せるのみ、急に牽いて速かに達せんことを望めばすなわち患となるがごとし。また、専ら専に一境を守って希望の心を起せば、報風熱勢尽くさずして熱病を成ず。また、境を観ずる心が生ずるときに滅せんと謂い、滅するときに生ぜんと謂い、心が相違して痒痛を致さば地(大)の病を成ず。また、所観の境を味あわずしてしかも強いてこれをなさば、水大増して水病を成ず。
D止による治病法
急に止するは水を治し
寛に止するは火を治す
頂きに止するは地を治す
足に止するは風を治す
E息による治病法
重触による地大の病は、出息をもちいる
軽触による風大の病は、入息をもちいる
冷触による水大の病は、出息をもちいる
熱触による火大の病は、入息をもちいる
このような天台大師の理解したインド仏教医学の病因論を前提にしながら、天台大師がどの様なテキストからこのような病因論を学ばれたのかを考察したいと思います。
三、インド仏教の医方明について
まずインド仏教医学がどの様にインドから中国へと伝播したのか、また、インド仏教において実践されていた医学はどの様なものであったのか考察する必要があります。
本来、仏教の医学は五明(pa

ca-vidy

)の一つ医方明(cikits

-vidy

)として扱われているが、具体的に天台大師の在世時代(五三八〜五九七年)である六世紀中頃までに中国へと伝播した漢訳文献の中には、この医方明に相応する文献は見られない
(5)。
ただインド仏教の僧院生活を伝えるのもとして、七世紀中頃(在印期間六二九〜六四五年)にナーランダ僧院を中心に遊学していた玄奘三蔵の生活を伝える『大慈恩寺三蔵法師伝』十巻、『大唐西域記』などには、ナーランダ僧院の学習コースの重要なものとして、五明の伝統的カリキュラムが上げられており、また学生たちはこの五明を三蔵十二部教の経典群と共にそれを七歳から学んだといい、さらにこの医方明について魔除けの呪文、医薬品、石や針やお灸などの医療技術が述べられている
(6)。
また、七世紀後半のナーランダ僧院の生活を伝える唐代の訳経三蔵僧義浄(在印期間六七二〜六八二年)の『南海寄帰内法伝
(7)』には当時のナーランダ僧院では、医方明の診療科目としての八つが設けられ、四大理論に支えられた病因論に基づく医療(臨床的には現在のインド医学、アーユル・ヴェーダと同様の三大理論[tri-do

a theory]が用いられていた。)が広く行われていたことが伝えられております。
そして、この医方明のテキストについて、「斯の八術は先に八部と為す。近日人有りて略して一夾と為す
(8)。」とあり、その医方明のテキストが古典的な医学書を整理して一冊にした新たなテキストであったことが示されている。
近年この『南海寄帰内法伝』の「略して一夾と為」されたテキストがバーグバタ(V

gbha

a)の『八科精髄集』(skt.A




nga-h

daya-Sa

hit

、tib.Yan-lag brgyad-pa

i s

i

-po bsdus-pa shes-bya-ba)であり、ほぼ七世紀に成立し、先行するインドの二大古典医学書である『チャラカ・サンヒター』(Charaka-Sa

hit

、五世紀頃成立)と『スシュルタ・サンヒター』(Sushuruta-Sa

hit

、三〜四世紀頃成立)に含まれる医学的知識を集大成したものであり、先の二書にこの『八科精髄集』を加えてインドの三大医学書とよばれるものである。
そして、この『八科精髄集』が医学の理論と臨床の双方を扱いながら、二つの古典をうまく折衷し読みやすいために、ナーランダ僧院のような総合大学的な教育機関では最適なテキストとして用いられたらしく、インド国外へも伝えられて、チベット大蔵経にも八世紀後半には所収されている。しかし残念ながら、これらの医学テキストは漢訳されていない。ちなみに、このテキストの重要性を物語る事実として、現在のインド国ケーララ州のアシュタヴィディヤー(A


a-vaidy)医学派に属するナンブーディリ・バラモンで実践されているという
(9)。
ところで、これらから理解できることは、仏教の医学である医方明のテキスト『八科精髄集』は、凡そ七世紀中頃までにはテキストとして成文化されて、古典医学書の形でナーランダ僧院のような教育機関で五明の一つの医方明としてカリキュラム化されこと。そして、八世紀には西蔵訳され大蔵経に納められたが漢訳はされなかったということ。
つまり、六世紀の天台大師は医方明テキストの『八科精髄集』のような完本を知らなかったということであります。
四、中国における医方明テキスト以前の医学的知識について
では七世紀中頃までに医方明のテキストとして成文化される以前の、インド仏教の医学的知識を伝える漢訳文献にはどの様なものであったのだろうか。
ここで天台典籍が撰述される以前に漢訳された経蔵を医事史的な観点から、四大理論による病因論を含むインド仏教の医学的知識を眺めるために、隋代(五八一年)以前に伝播した経典群の中で、四大理論に論及しているものを検索し整理すると次の<資料3>のようになった。
<資料3>隋代(五八一年)以前に伝播した四大の病因論を含む経典群
◆後漢安息三蔵安世高(一四八年頃来支)
〇『陰持入経』巻上
(10)No.1
「彼の行因縁識を六身識と為す。眼耳鼻舌身心なり。是れを名づけて六身識と為す。彼の識は因縁の名字なり。字は名色と為し四大の色陰と為す。痛想行識是れは名と為す。色は四大の本と為す。謂く地水火風是れなり。」
といい、眼耳鼻舌身心を支える六身識、その身体的な拠り所としての色が地水火風の四大を本としている。
〇『道地経』五種成敗章第五
(11)No.2
「仏さまは言われた。行道は五陰の出入成敗を知るべきである。譬えば人の命は死にのそんで呼吸が尽きようとするとき、即ち四百四の病気が前後次第において少しづつ發きるようなものである。」
と人の生命現象と呼吸の関係、それと並んで四百四種の病気の関係が述べられている。
◆後漢天竺三蔵支曜
〇『小道地経
(12)』No.3
「身体に四つの病気がある。ある時は地大が多くなり、ある時は水大が多くなり、ある時は火大が多くなり、ある時は風大がおおくなって不健康になる。この不健康な状態を解消するには、身体を安定させ止の方法(精神集中療法)を用いることである。
精神にも四つの病気がある。一には癡が多いため、二には瞋恚が多いため、三には淫欲が多いため、四には疑念が多いために、それぞれ止の方法が実践できないのである。
呼吸にも四つの病気がある。ある時は多求息るため、ある時は念多息のため、ある時は歓喜多息のために、ある時は喘多息のために、それぞれ止の方法が実践できずに不健康になっている。修行する人はその実践において、この因縁を離れて定意を得ることである。
もしも身体にの腫・疥・瘡・肥は盛んなとき、坐身を欲して不健康である。またある時は食べ過ぎにより火大が起き、ある時は水の飲み過ぎにより水大が起き、身体が重く目が渋り、ある時は多食し已っても食べ足りず節制できずに風大が起きて、それぞれ不健康になっている。何れも少食にすべきである。」
と具体的に四大と病気の関係が病因論として述べられている。
◆後漢月支三蔵支婁迦讖(一八七年来支、二二三年〜二五三年)No.4
〇『般舟三昧経
(13)』大集経賢護分の三巻本による
「どんなことを色(身体)の壊敗というのであろう。それは痛痒の意識、生死の魂神を識るところの地水火風である。」
と意識を支える身体を地水火風の要素として述べている。
◆呉天竺沙門竺律炎(二二四年来支)No.5
〇『仏医経
(14)』
「人の身体には四つの病気の本がある。地大、水大、火大、風大がそれである。風大は気が起きることによって増大し、火大は熱によって増大し、水大は寒によって増大し、そして、地大(土)は力によって盛んになる。この四大によって四つの病気があり、四百四の病気が生起することになる。
また、それぞれの特徴を示すと地大(土)は身体に属し、水大は口に属し、火大は目に属し、風大は耳に属すことになる。
もし生命において火大が少なく、水大(寒)が多ければそれは死(目冥)を意味することになる。たとえば春の一、二、三月は寒が多く、夏の四、五、六月は風が多く、秋の七、八、九月は熱が多い。そして、冬の十、十一、十二月は風と寒と両方が含まれることになる。
何故なら、春に寒が多いのは、萬物がみな生まれようと、寒を出すからである。夏に風が多くなるのは、萬物が榮華し陰陽が和合しダイナミックに活動するためである。秋に熱が多くなるのは、萬物が成熟するためである。冬に風寒が共にあるのは、萬物が死滅し熱が去るためである。
また、三月四月五月六月七月は、風が多いので身体を放って臥してもよいが、八月九月十月十一月十二月正月二月は寒が多いので身体が萎縮するので臥してはならない。
そしてまた、春三ヶ月の寒の間は、麦豆などを食べずに、宜しく粳米や醍醐の諸熱物をたべること。夏三ヶ月の風の間は、芋豆麦などを食べずに、宜しく粳米や乳酪を食べること。秋の三ヶ月の熱の間は、粳米や醍醐などを食べずに、宜しく細米、漿蜜稲などを食べること。冬の三ヶ月の風寒の陽と陰が相具交合する間は、宜しく粳胡豆羹、醍醐などを食べること。臥においても食においてもその時期に宜しく随うべきである。」
と具体的に身体と四大の関係、季節と四大の関係、食事と四大の関係が病因論として述べられている。
◆天竺三蔵竺法護訳(二八四年)No.6
〇『本道地経』五陰成敗品第五
(15)
「まさに五陰の出入成敗を知るべきである。譬えば人はその命が終ろうとするとき、寿命が尽きる時が逼ると、その人の身体に中の四百四の病気が前後して少しづつあらわれてきるである。」
と人の生命現象と四百四種の病気の関係が述べられている。
◆東晋天竺三蔵仏陀跋陀羅(覚賢、三五九年〜四二九年)No.7
『修行道地経』
○修行方便道升進分第五
(16)
「真剣に方便を実践するならば、その身体に悉く長養の四大の種が充満する。それは当にに呼吸法によって行われると知るべきである。行者は数息観の力によって寂止善法分を起こし、四大の果報を受けるのである。」
と四大は数息観の力によって動かされるという。
○修行方便勝道決定分第八
「身体もまたそのようにあるべきである。智者というものは四大の毒蛇を捨離して、四大の毒に害されないようにすべきである
(17)。」
といい、後半に続けて、
「譬えば毒蛇の篋のように、四大の篋(身体)もそのようなものである。その身体の中には八萬の虫がおり、常に競い合って身体を侵食している。そのためにこの身体は災いの入物のように、四百四の病気に悩まされている
(18)。」といい、身体と四百四の病気の有り様を虫に譬えて、四大を超えたところに本当の癒しを見ている。
◆北涼三蔵法師曇無四(三八五年〜四三三年)
〇『金光明経』金光明経除病品第十五
(19)No.8
「四大の諸根は、衰損し代謝して病気を起こすことを知るべきである。ですから、食事の時節を調節して、食べる時期や、食後に消化の火(身火)が衰えないようにしなければならない。 そのように風大、火大(熱)などを調節し、また水大の過ぎた肺病や、地大(等分)も調節して、病気を治すことが必要である。
またいつ頃風大が動き、火大が動き、水大が動いて、衆生を害するか。医方は解説して、三ヶ月ごとに春夏秋冬があり、一年間を四つの時期の分ける。この時期に従って食事を調節すれば健康を保てる。
風大が多くなった者は、夏に風大病が発病する。その夏の熱で火大が増えた者は、秋に火大病が発病する。等分病(地大病)は冬に発病する。その冬に寒さで水大が増えた者は、春に水大病(肺病)を発病して悪化する。
風大病の者は、夏に肥膩鹹酢などをとり、また熱食がよい。火大病(熱病)の傾向のある者は、秋に冷るものをとり、地大(等分)は冬に、甜酢肥膩をとり、水大病(肺病)の傾向の者は、肥膩辛熱をとるべきである。
時節をわきまえずに、偏って飽食すると四大の病が、三時にわたって発病する。風大病の羸損は酥膩を補い、火大病に熱を下げるには、訶梨勒をとり、地大病(等分病)には、甜と辛と酥膩の三種の妙薬をとり、水大病の肺病はその時に従って吐薬を服すべきである。
と具体的な医方が述べられている。
ところで、これら八つの漢訳経典群は、四世紀後半までに中国へとインド遊学した三蔵僧たちによって持ち込まれ、インドにおける医学の理論と実際を元として、そこへ呪術医学と中国の土着医術が少なからず取り込まれているという。また、医学的知識を含むこのような経典群のほとんどが、サンスクリット原典らの翻訳でありながら、原典そのものは今は失われているという
(20)。
そして、この八つの中で天台大師の四大理論に支えられたインド仏教医学の病因論の記述に相応しているものには、次の六つが上げられます。
〇No.2後漢安息三蔵安世高『道地経』五種成敗章第五
は四百四の病気にたいする記述が相応している。
〇No.3後漢天竺三蔵支曜『小道地経』
は四大理論による病因論、止業による治病法、飲食の節制の記述が相応している。
〇No.5呉天竺沙門竺律炎『仏医経』
は季節と飲食の節制は相応しないが、四大理論による病因論は相応している。
〇No.6天竺三蔵竺法護『本道地経』五陰成敗品第五
は四百四の病気にたいする記述が相応している。
○No.7東晋天竺三蔵仏陀跋陀羅『修行道地経』
○修行方便道升進分第五
は四大の不順にたいする息による治病法が相応している。
○修行方便勝道決定分第八
は四百四の病気にたいする記述が相応している。
〇No.8『金光明経』金光明経除病品第十五
は季節と飲食の節制は相応しないが四大理論による病因論、詳細な飲食の節制による治病法が相応している。
しかしながら、これらだけでは天台大師の四大の不順に関する病状の記述も「身体苦重にして堅結し疼痛し、枯痺し痿、瘠るは、これは地大の病相なりNo.。」など、飲食と四大に関する治療論の記述も「薑桂 の辛い物は火(大)を増し、蔗蜜の甘冷なるは水(大)を増し、
(21)は風(大)を増し、膏膩は地(大)を増し、胡瓜は熱病のためにしかも因縁となるがごとし

。」などの主要概念の記述は、具体的な病状の説明、また治療に関わる薬効食の説明など、『金光明経』以外では医学的な知識としては詳細すぎ、また『金光明経』では病気に対する薬効食の指示、とくに訶梨勒などの古典インド医学書
(22)では、三果薬(tri-phal

myrobala)として珍重されるハリタキー(har

tak

、訶梨勒)、アーマラキー(

malak

、菴摩勒)、ビビータカ(v(b)ibh

taka、川棟)の中の一つの薬効食が見られる進んだ記述からは未熟であり、これらの経典群以外に天台大師が学ばれたテキストを更に考慮する必要があるといえる。
五、インドにおける医方明テキスト以前の医学的知識について
ではインドにおいて医方明テキストが成文化され、成立する以前はどの様な医学的知識に基づいて医療が行われていたのだろうか。
「耆婆(ジーバカ、Jivaka Komarabhacca)が良薬」といはれるように現存する律藏(Vinaya-pi

ka)経典の、とくにその毘奈耶薬事に相応する部分に病気の治療に関わる記述が多く見られることは知られていたが、近年インド医学のアーユルヴェーダ(

yur-veda)研究が進み、この律藏群の毘奈耶薬事に記述される医学的知識や、またそれの知識が初期のインド仏教僧院の医療施設で臨床応用され蓄積されて、インドの二大古典医学書である『チャラカ・サンヒター』(Charaka-Sa

hit

)や『スシュルタ・サンヒター』(Sushuruta-Sa

hit

)へと発展したことが指摘されております
(23)。
ところで、そのようなインド医学の源泉となった律藏経典群には、
(24)大衆部の『摩訶僧祇律』巻二八
(東晋天竺三蔵仏陀跋羅、法賢共訳、四一六年〜四一八年)
@説一切有部の『十誦律』巻二六「医薬法」
(後秦北天竺三蔵弗若多羅、羅什共訳、四〇四年〜四〇九年)
A曇無徳部の『四分律』巻四二〜四三「薬〇度」
(後秦北天竺三蔵仏陀耶舍、竺仏念共訳、四一〇年〜四一二年)
B沙弥塞部の『五分律』巻二二「薬法」
C『根本説一切有部毘奈耶薬事』
(唐三蔵義浄訳、六九五年〜七一三年)
D南方上座部のヴィナヤに含まれる『南伝大蔵経』「大品」(Mah

vagga)第六章
の六編が上げられます。
また、「部」とは「宗派」の意味で扱われますが、上記のなかでE曇無徳部「Dharmaguptaka」、B沙弥塞部「Mah



saka」、C根本説一切有部「M

lasarv

stiv

din」のD説一切有部「Sarv

stiv

din」の部派とされ、従ってABCはDの説一切有部『十誦律』巻二六「医薬法」の派生、展開したものといわれますので、ここでは文献上A『摩訶僧祇律』巻二八、@『十誦律』巻二六「医薬法」、A『四分律』巻四二〜四三「薬B度」を中心に

『根本説一切有部毘奈耶薬事』と、D『南伝大蔵経』「大品」(Mah

vagga)第六章などは、年代的なことを考慮し参考にする程度として論を進めることにいたします。
六、律藏経典群の四大理論
ここで律藏経典群の四大理論に支えられた病因論を整理しますと、
E『摩訶僧祇律』巻二八
巻第五「僧残戒を明かすの一@」では地水火風の四大理論によって身体の生成を説明し、続いて巻第十「耆波夜提法を明かすの三
(25)」では、「病」には地水火風の四大にそれぞれに百一の病があり四百四種の数が示されている。
そして、風病には油・脂を用ひて治し、熱病には酥を用いて治し、水病には蜜を用いて治し、雑病(地病)には上の三種薬を用いて治す、ことが示されている。
(26)『十誦律』巻二六「医薬法」
〇巻第二「四波羅夷法を明かすの二A」では、病者は四大増減して諸々の苦悩を受けると病因論が、そして、病人は良薬、善い看病人、病状に適した飲食を用いる治病法が示されている。
(27)『四分律』巻四二〜四三「雑B度」
〇巻第五十一「雑分度

」では、四大理論によって身体の生成を説明し、その身体性を基として心が生起し、諸根肢節の身体感覚が具足することが示されている。
(28)『根本説一切有部毘奈耶薬事』
○第十八巻「諸大弟子及仏自説業報縁事D」では、四大理論でを超えて自身の蘊・界・処中に於て異熟を招く、業論が示されている。
(29)『南伝大蔵経』
〇相応部経典(六処篇)「第二受相応 第三百八理品二一の第一尸婆E」では、胆汁、粘液と風と、(三種の)聚和(その組合せ)と、時候(季節の変化)と、逆運(異常な行動によるストレス)、痙攣(外因性の事故)と、業異熟(以前の行為のカルマ)と、四大理論を含め病因論として四つの内因と、四つの外因の八因が示されている。
以上を整理すると、天台大師の
(30)四大を知る
@四大の不順の病(内因)
A飲食の節制(内因)
に比較的よく相応しているのは『摩訶僧祇律』であり、地大病に三種薬を用いる記述は先の『金光明経』の記述と同様の治病法でもある。
七、律藏経典群と古典医学書に見られる病因論の比較
天台大師の病因論(四大を知る、四大の不順の病、飲食の節制)は、律藏経典群ではどうやら『摩訶僧祇律』がテキストになっていたことが考えれるが、実際の医学的な治病論としてはどの様な方法が行われていたのであろうか。
まず先の律藏経典から理解できることは、先のように『南伝大蔵経』「大品」では、仏陀の病気の原因に関する八つの原因(八因)が上げられ、次のような四つの内因と四つの外因に分類できる。
〇四つの中心的病因=内因
ピッタ(pitta)=火大=胆汁素
カパ(semha` kapha)=水大=粘液素
ヴァータ(v

ta)=風大=体風素
三つの組合せ(聚和、sannip

ka)=地大=等分
〇他の四つの外因
時候(季節、

tu)
異常な行動によるストレス(逆運、vi

ama)
外因性の事故(痙攣、opakkamika)
過去の行為の結果(業、karma)
そして、このような八因についてインドの古典医学書の両書では、
『チャラカ・サンヒター』
「ヴァータ、ピッタ、カパが身体的な病素のすべてであるB。」
「病気には四種類ある。すなわち、外因性の病気と、ヴァータ、ピッタ、カパを原因とする(三種の内因性の病気)である
(31)。」
『スシュルタ・サンヒター』
「人間(purusha)は特殊な疾病の容器である。人間に悩みや痛みの源をなすものは疾病と称される。疾病には四種、すなわち、外因性(偶発的、

gantuka)、身体的(sh

rira)、精神的(m

nas)と、自然的(sv

bh

vika)である。(中略)精神と肉体とは、上述の不調違和の座であって、その両者は個々に働き、または一緒に働く。
浄化(samshodhanam)と疾病を起す体液失調の鎮静(samshamanam)および餌食と行為の摂生は、疾病を克服するために適当に用いられなけれねばならない四要素である
(32)。」
「然るに苦を与えるものを病と称する。病には偶発的、身体的、精神的、及び自然的の四類あり。この中の偶発的とは、外傷によって起る病なり。身体的とは、飲食物より起り、或は体風素(v

ta)、胆汁素(pitta)、粘液素(kapha)、及び血液の熟れが、一、二、三、若しくは総てが異常的変化を来し、その均衡を失ったために起る病なり。
(33)」
と古典医学の三大(四大)理論は、律藏経典群の病因論よりかなり医学的に進歩しているが、病気に関する八つの原因、内因の四つの四大(ピッタ、カパ、ヴァータ、三つの組合せ)と、外因の四つ外因性(偶発的

gantuka、身体的 sh

rir

、精神的 m

nas、自然的 sv

bh

vika)などが具体的に述べられている。
天台大師も古典医学に見られる病因論よりは未熟ではあっても、このような方法論を通じて病気というもの、身体的な在り方を見ていたことが考えられる。
八、律藏経典群の薬効食
ここで律藏経典群の薬効食を整理しますと、
(34)『摩訶僧祇律』巻第三
「盗戒の餘@」では、「七日薬」とは、酥・油・蜜・石蜜・脂・生酥なり。「酥」とは牛(酥)・水牛酥・羊酥・
(35)駝酥なり。「油」とは、胡麻油・蕪菁油・黄藍油・阿陀斯油・蓖麻油・比樓油・比周縵陀油・迦蘭遮油・差羅油・阿提目多油・縵頭油・大麻油及び餘の種々の油を、是れを名づけて「油」と為す。「蜜」とは、軍荼蜜・布底蜜・黄蜂蜜・黒蜂蜜、是れを名づけて「蜜」と為す。「石蜜」とは、槃施蜜・那羅蜜・縵闍蜜・摩訶


蜜、是れを「石蜜」と名く。「脂」とは、魚脂・熊脂・羆脂・修修羅脂・猪脂にして、是の諸脂に骨なく、肉なく、血なく、臭香なく、食気なく(中略)是れを「脂」と名く。「生酥」とは、牛羊等の諸の生酥にして、淨く漉洗して・・・。と具体的に示されている。

『十誦律』巻第二十六
「七法中医薬法第六A」では、病気の比丘に四種の含消薬、酥、油、蜜、石蜜が許可されたことが示されている。
(36)『四分律』巻第四十二
「薬消度の一B」では、酥・油・蜜・生酥・石蜜の五種の薬が示されている。
(37)『根本説一切有部毘奈耶薬事』巻第二十四
「服過七日薬学処第三十D」では、酥、油、砂糖、蜂蜜が七日薬として示されている。
(38)南伝大蔵経
〇「第六薬E度
(39)」では、五種の薬として
熟酥(ギー、sappi,skt.sarpis,医学用語 gh

ita)
生酥(新鮮バター、navan

ta)
油(tela,skt.taila)
蜂蜜(madhu)
糖蜜(ph


ita)
〇 経分別(大分別)捨堕二三
(40)
(この薬は七日薬として七日間蓄えられる。)
「熟酥」とは、牛乳酥、山羊酥、水牛酥、浄肉たるものの熟酥
「生酥」とは、これらの生酥
「油」とは、胡麻油(tila,skt.tila)
芥子油(s


pa,skt

sar.pa)
蜜樹油(madhuka,skt.madh

ka、中国名 甘草)
蓖麻子油(era

da

skt.era,

a)
「蜜」とは、蜂蜜
「石蜜」とは、甘蔗の茎(砂糖黍)
と具体的にその内訳が示されている。
以上を整理すると、天台大師のB飲食の節制(内因)に比較的よく相応しているのはやはり『摩訶僧祇律』であり、その記述は先の『金光明経』にはないものであり、薬効食を具体的に示しているといえる。
とくに天台大師のB飲食の節制に見られる「薑桂 の辛い物は火(大)を増し、蔗蜜の甘冷なるは水(大)を増し、

は風(大)を増し、膏膩は地(大)を増し、胡瓜は熱病のためにしかも因縁となるがごとし。」などの薬効食は、五種類の基本薬(薬効食)として扱われており、『摩訶僧祇律』には総合的に示されているものである。
九、律藏経典群と古典医学書に見られる薬効食の比較
二大古典医学から薬効食による治療法
(41)を上げると次のようになる。
五種の基本薬
〇熟酥(ギー、sappi,skt.sarpis=澄んだ牛酪、sarpisma


a=酥、医学用語 gh

ita)
・牛乳酥
・山羊酥
・水牛酥
・浄肉たるものの熟酥
その効用は体風素(v

ta)及び胆汁素(pitta)の増大した不調を鎮静し、そして、粘液素(kahpa)を増大させる。
〇生酥(新鮮バター、navan

ta)
熟酥であげた牛、山羊、水牛、浄肉たるものの熟酥
その効用は胆汁素(pitta)及び体風素(v

ta)の増大した不調を鎮静し、そして、粘液素(kahpa)を増大させる。
〇油(tela,skt.taila)
・胡麻油(tila,skt.tila)
その効用は体風素(v

ta)及び胆汁素(pitta)の病的積聚を退治し、寒さのために胆汁素(pitta)の不調を起こさない。
・芥子油(s


.pa,skt.sar

pa)
その効用は粘液素(kapha)及び体風素(v

ta)の不調を除く。
・蜜樹油(madhuka,skt.madh

ka、中国名 甘草)
その効用は粘液素(kapha)及び胆汁素(pitta)不調を治す。
・蓖麻子油(era

da,skt.era


)
その効用は粘液素(kapha)及び体風素(v

ta)の不調を除く。
・獣油
その効用は体風素(v

ta)の不調を除く力が大きい。
〇蜂蜜(madhu)
その効用は三病素の不調を治す。
〇糖蜜(ph


ita、医学用語gu

a)=石蜜
・甘蔗類(ik

u varga)の搾り液を煮詰めた濃厚液(ph


ita)
その効用は三病素の不調を治す。
これらの古典医学の薬効食による治療法を律藏経典群の薬効食と比較すると、古典医学はかなり進歩している。
しかし、古典医学の薬効食の中で律藏経典群に見られる五種の基本薬の内3つのもの、熟酥(ギー、gh

ita)と、生酥(新鮮バター、navan

ta)と、生蜜(madhu)が胆汁素(pitta、火大)を除くものとして上げられ、また糖蜜(ph


ita、医学用語gu

a)は、反対に胆汁素を刺激するものである分類されている。
天台大師の薬効食に見られる治療法は古典医学よりは未熟ではあっても、このような方法論を通じて病気の治療法というものを考えていたことが分かる。そして、これらを通じて天台大師の薬効食に対する理解が深まったように思われる。
十、律藏経典群に見られる薬効食の受容背景
今回は時間の関係で論及できなかったが、仏教教団の律蔵経典群には、上述の五種の基本薬に加えて、僧たちの病気によって「薬効食」が追加されて行く。
その追加された有効なリストは、@脂肪、A根、B煎薬、C葉、D果物、E樹脂、F塩であり、この記述を詳細に読み進むと、病気に対して薬効食が記述されていることに気づくと同時に、天台大師の身体観を理解する上で治病論の理解がより深まって行く。
とくにこれらの五種の基本薬が許された背景には『四分律』に「爾の時にに諸の比丘、秋月の病を得、顔色憔悴形体枯燥癬白なり。」とある。
『南伝大蔵経』にも第六薬

度
(42)
一―一「その時に、比丘等は秋時病に罹り、粥を飲みても吐き、食を食しても吐けり。為に彼らは痩せ、麁醜となり、色悪く、次第に黄ばみ脈結を露せり。」
とあり、秋(九月半から一一月半)に何人かの僧がサーヴァティで病気になった時のことである。症状ははっきりしていた。僧たちは飲んだ米粥と、食べたものを吐いた。それから消耗し、やつれ、皮膚の色が悪く、だんだん蒼白(または黄疸色)になり、手足は血管(dhamani)でおおわれた病気のために、世尊は五種の基本薬を許したという。つまり、このような病気のために、世尊は五種の基本薬を許したのである。
また古典医学でも、この秋の病気について、
『チャラカ・サンヒター
(43)』
「雨季の寒さに慣れていた体が、秋季になって急に太陽光線によって暖められると、蓄積していたピッタが、たいてい不調をきたす。その場合の食物は、甘味があり、消化軽性、苦味を伴い、ピッタを鎮静するものを、十分な食欲をもって適量摂るのがよい。秋季には鷓鵠、カピンジャラ(動物の一種)羚羊、雄羊、シャバラ(動物の一種)、兎(の肉)、米、大麦、小麦を摂るのがよいという。秋季には苦味のあるギーを飲むこと、下剤の使用、放血を行い、熱気をさけるべきである。」
『スシュルタ・サンヒター
(44)』
季節養生章(

itucary

dhy

ya)
「この中雨季においては草は未熟であって、その力は微弱である。水は濁って土や汚物を多く含んでいる。このようなものを人々が常用するということは、空が雲におおわれ、地は水によって潤はされ、このような環境にあって、身体は湿い、冷気によって消化の火は阻害された人々にあっては、あのような飲食物は消化が不充分となり、溜飲を起し、また胆汁素の積聚を生ずる。そして、この積聚は秋季に、空に雲少なく、泥は乾き、日光は衰える季節になり、胆汁素性の疾病を起す。」
と述べており、インドの気候が外因となって、そのような病状を招くことが示されている。
つまり、釈尊がその時代のインド医学の知識に従い、薬効食の規定を律藏の中に取り入れた背景には、このようなインドの気候が外因となり発病する、梵行乞食の比丘たちの秋時病の治療目的があったといえる。
エピローグ
以上をここでを総括しますと、インド仏教において七世紀後半に医方明としての『八科精髄集』が成文化される以前は、律藏経典群に見られるような四大(三大)理論に支えられた病因論により分類された病気のタイプによって、薬効食を五種の基本薬などから選択し、治療するという方法が実践されていたといえる。
そして、天台大師の第二の身体観である「四大に支えられたインド仏教医学の身体観」の詳細な部分は、
後漢安息三蔵安世高『道地経』五種成敗章第五
後漢天竺三蔵支曜『小道地経』
呉天竺沙門竺律炎『仏医経』
天竺三蔵竺法護『本道地経』五陰成敗品第五
東晋天竺三蔵仏陀跋陀羅『修行道地経』
『金光明経』金光明経除病品第十五
の経典群と、律藏経典群では、とくに『摩訶僧祇律』に含まれる医学的知識が、天台大師の学んだテキストであろうと考えられます。
従来、天台大師は『十誦律』を学んだのであって、『摩訶僧祇律』は読んでいないといわれているが、上述してきましたように『十誦律』の医学的知識の記述は貧弱で、天台の示すインド仏教医学の知識とはほど遠く、結果的に『摩訶僧祇律』に含まれる医学的知識を考慮せざるを得ないと思われます。しかし、結論までには今後これらの詳細な医学的知識の比較が必要であるといえます。
ところで、天台大師は陰陽五行説に支えられた中国医学の文化圏に生まれ育ち、その時代の医学的知識であった「陰陽五行説の気の生理学」によって病因論を理解し、その様な身体観を持って実践していた。そして、仏教を学ぶことにより、インド仏教医学を吸収し、四大理論に支えられた病因論、治療法としての薬効食を理解し、その様な身体観を取り入れ中国医学と折衷する形で、信行生活の実際指導や臨床に応用していたことが分かる。
ここでこのように天台大師に並存し折衷された二つの身体観を理解して行くと、仏教のという宗教の機能的な側面、即ち仏教の目的である抜苦与楽(現実苦を克服し安心を得る)を実現するためには、身体観という視点を踏まえなければならないことが痛感される。なぜなら、信仰によって救われる主体は観念の産物ではなく、身体性の上で救われたという経験であり、その現実苦の経験から救われ癒される経験の実際を説明する学が、その時代の医科学的な知識だといえるからなのです。
そして、このような視点に立つことによって始めて、宗教としての仏教がもっている機能的な側面が理解でき、それと同時に現実社会で仏教者による教化活動の実際が示唆できるのではないだろうか。
註
(1)参考文献
本山博 『気の流れの測定・診断と治療』宗教心理出版 一九八五年
長濱善夫 『東洋医学概説』 創元社 一九九六年
根本光人『陰陽五行説』薬業時報社 一九九二年
(2)『現代宗教研究』第三十二号所収「天台大師の治病法、二つの基礎概念について」二五〇頁〜二五六頁 日蓮宗
現代宗教研究所刊
(3)参考文献
幡井 勉編 『生命の科学 アーユルヴェーダ』柏樹社 一九九〇年
P・クトムビア 『古代インド医学』出版科学総合研究所 一九八八年
(4)大正一三 七三七頁A〜B
(5)K・G・ジスク 『古代インドの苦行と癒し』時空出版 一九九三年 九六頁、以下『古代インドの苦行と癒し』と
略記
(6)『古代インドの苦行と癒し』 六九頁
織田『仏教大辞典』五七三頁―二
(7)『南海寄帰内法伝』第二十七「先體病源」、二十八「進薬方法」、『国訳一切経』史伝部十六下 一〇五頁〜一〇八頁、大正五四 二二三頁B〜二二四頁B
(8)『南海寄帰内法伝』 同上
(9)『古代インドの苦行と癒し』 七〇頁、九五頁
矢野道夫訳 世界の名著『インド医学概論』朝日出版社 解説、以下『インド医学概論』と略記
(10)大正一五―一七四C
(11)大正一五―二三二A
(12)大正一五―二三六C〜二三七C
(13)大正一三―九〇五B
(14)大正一三―七三七A〜B
(15)大正一五―一八三C
(16)大正一五―三〇五C
(17)大正一五―三一一C
(18)大正一五―三一三A
(19)大正一六―三五一C
(20)『古代インドの苦行と癒し』 九六頁
(21)『摩訶止観』、大正四六―一〇六C
(22)『摩訶止観』、大正四六―一〇七A
(23)『スシュルタ・サンヒター』総説編 第三十八章「薬物索類章」二六五頁〜二六六頁
(24)『古代インドの苦行と癒し』第二章 二九頁〜五三頁
岩本 裕 『インド医学序説』日本臨床三〇巻五号〜三一巻三号 以下『インド医学序説』と略記
(25)『国訳一切経』律部八 一四〇頁、以下 律部と略称
(26)前掲 律部八 三三三頁
(27)前掲 律部五 三三頁
(28)前掲 律部四 一二七一頁
(29)前掲 律部二三 三三八頁
(30)『南伝大蔵経』巻一五 三五六頁
(31)『チャラカ・サンヒター』 一二頁〜一三頁
(32)前掲 一三七頁
(33)『スシュルタ・サンヒター』―大地原誠玄訳『スシュルタ本集』 アーユル・ヴェーダ研究会刊 第一篇 総説篇
一―六頁、以下『スシュルタ・サンヒター』と略記
(34)『スシュルタ・サンヒター』第一篇 総説篇 一―七頁
(35)『国訳一切経』律部八 六八頁
(36)同 律部六 五五八頁
(37)同 律部三 九七〇頁
(38)同 律部二十 四六九頁
(39)『南伝大蔵経』第三巻 三五三頁
(40)『南伝大蔵経』第一巻 四二四頁〜四二五頁
(41)『チャラカ・サンヒター』第十三章 九〇頁〜九一頁
同上第二十七章 二〇九頁
同上第二一〇頁
同上第二十三章 一六六頁
『スシュルタ・サンヒター』第一篇 総説篇 第四十五章 三四〇頁
同上 三四二頁
同上 三四三頁
同上 三四六頁
同上 三四七頁
同上 三四八頁
同上 三四九頁
同上 三五二頁
同上 三五二頁〜三五三頁
同上 三五六頁〜三五八頁
『国訳一切経』律部三 九七〇頁
(42)『南伝大蔵経』第三巻 三五三頁
(43)『チャラカ・サンヒター』第六章 五〇頁
(44)『スシュルタ・サンヒター』第六章 三五頁
※この小論は、平成十年十一月六日第五十一回日蓮宗教学研究発表大会で発表した「天台止観に見られる治病法 ― インド仏教医学の身体観を前提に ― 」を加筆整理したものです。