日蓮宗 現代宗教研究所
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 巻頭言

  梵 鐘 と 平 和

石  川  浩  徳 
(現代宗教研究所所長) 

          一
 戦時中、梵鐘を供出した。梵鐘を下げるお堂はそのまま今でも建っている。あれから半世紀過ぎたが梵鐘はない。梵鐘を供出したときの記念写真が額縁に入れてお堂の鴨居の上に掛けてある。
 「いい音色がした鐘だったんだ。十軒ばかりの檀家で、大変な思いをしてようやっと拵えたんだ。それなのに国のためっていわれればいやとは言えねえもんよ。馬力で運び出したことを今でも覚えているよ」
 檀家の者が集まったとき、時おり村の長老格が懐かしそうに言うのを聞く。
 「あの釣り鐘は帰って来ないかねえ。いまだに音沙汰がねえところをみると、鉄砲弾か何かになってお国のお役にたってしまったんだろうな」 
 50年以上も歳月が過ぎて、こういう話題がでるところが田舎の寺なのかもしれぬ。諦め切れない気持ちが今でもあるらしいのと、新しく購入するには高価で、少ない檀家ではそう思うようにいかないこともあって、釣り鐘堂はむなしく空き家のままなのだ。
 梵鐘を戦争のために取られた寺院は全国的に多かろう。そして再び戻らないままになっている方が多い。梵鐘のみならず金属製の仏具は強制的に供出させられ、その代用品として五具足などは木製の物を使用した。その名残に今でも黒いロウソク立てが在るし、花瓶も香炉も陶器製のものを今も使用している。
          二
 当時、仏教界に対して国家からの戦争協力要請は有無を言わせないものであった。資源の乏しい日本が大国のアメリカを相手に戦うこと自体無謀な事だったが、好戦的指導者とそれに追随する者たちによって、国中が異様な精神状態になり、異を唱える者は非国民として抹殺され、異常が異常と思えなくなり、悲惨な戦争へと突入していったのだ。仏教界も積極的に国家の方針に賛同し協力し、仏具の供出はもちろんのこと戦勝祈願もした。
 戦争のため鋼鉄が必要となり、鉄製品を集め始めたのは太平洋戦争に突入するまえの昭和十四年頃からである。まず郵便ポストや公園のベンチ、広告塔が回収された、と記録にある。そのうち金歯やキセルの口金まで強制的に申告させ、火葬場の灰から金歯や指輪を回収したり、デパートなどの貴金属売り場から金製品を撤収し始めた。鉄を節約するために列車も代用ブレーキで走らせ、理容業は椅子の鉄脚を、デパートはエレベーターや陳列台まで供出しはじめた。道路標識まで木製にかわり、東京・銀座の街路灯が鉄回収のため撤去された。そしてついに昭和十七年五月九日、金属回収令が出て仏具や梵鐘などが強制的に供出させられたのである。ついでながら、木材の節約と称して卒塔婆の建立を禁止した県もあった。
          三
 そこまでしなければならないほどの絶対的資源不足で、事の善し悪しは別に世界を相手に戦って勝てる訳がない。日本の敗戦の原因はもちろん物資の不足のみではないが、手を合わせて拝む寺院の用具まで集めねばならない事情では、勝敗は決定的だった。だが仏教界から国家の指導者の愚挙に意見を述べる者もなく、むしろ戦争の遂行に積極的に加担し、国家の圧力に屈して本宗の場合ご遺文を削除させられた。
 当時の仏教教団は好むと好まざるとにかかわらず戦争に駆り出され、随所で戦勝祈願祭を行なった。そういう時代だったのだといえばそれまでだが、基本的に平和主義者でなければならない仏教者が、好戦的為政者の言われるままに、太平洋戦争の本質もわきまえず協力者となってしまったことは実に残念なことである。その物的証拠品が、拒否することもならず供出した仏具などの代替え品である。各寺院にはまだけっこうこうした代用品が残存しているに違いない。
 梵鐘のない寺を嘆きながら、梵鐘がなぜ無くなったか、無くなった梵鐘が武器に変身し、破壊と殺戮に使用されたという事実について、あまり関心をもたないとしたら、寺院活動は無用のものとなろう。
          四
 戦争当時のことを調べているうちにふと気がついたことだが、戦況や一般市民の動きについては、多くの記録や写真によって知ることができるが、仏教界やそれぞれの寺院の対応については大まかな記録しかない。それは本宗においても同様で、宗報とか年表などに散見できるが、仏具供出の状況とか従軍僧の実態、教師の出征、住職不在寺院の布教活動、更には太平洋戦争そのものに対する考えや受け止め方など、どうだったのか不明な点が多々ある。
 戦争のために仏教がねじ曲げられ、真理が冒涜されたのだ。僧侶すべてが全く無批判に戦争に積極的に加担したとは考えられないが、ほとんどが指導者の言を信じきって最後までついて行った。それが敗戦と同時に戦争への加担の過ちであったことに気づき、時の宗務総長は宗門全教師に懴悔滅罪を促し、再び同じ跌を踏まない誓いを表明したのである。 そして戦後は、立正平和運動を起こし、戦争の罪悪を訴え平和の大切さを唱えて、法華経の教えによる人心の浄化に努めてきた。しかしその熱意は年と共に薄れていることも否めない事実である。 戦争を知らない世代が七割を越している今となっては、戦争体験が語られることも少なくなり、風化を心配する声も聞かれるところである。
 戦争へ赤紙一枚で駆り出され戦地へ赴き、命を落とした数十万の若者がいたのだ。狂気ともいうべき一億玉砕などという好戦的指導者の言葉を真に受けて、尊い命を投げ出した人々がいた。命を投げ出すことが正しい勇気であり、祖国を愛し護ることだと信じ、永遠に生きることだと疑わず、国に殉じた多くの犠牲者に対し、応える道はいつになっても異常な太平洋戦争を忘れず、語り継いでいくことであろう。戦争の悲惨さと恐ろしさは、戦地へ赴いた者も国内に止まっていた者も、同じように味わった。だからこそ廃墟の中から平和を希求し永久に戦争放棄を誓ったはずである。
 太平洋戦争は遠い過去のことではない。最近はややもするとこの戦争の正当性を論じたり肯定論あるいは賛美論が聞かれたりする。それも戦争を知っている世代の者からとなれば穏やかでない。半世紀もたつと人の心も変わるのか。戦争で死んだ人の無念さを伝え戦争の無い世界を実現していく努力はむしろこれからが大切なのである。
          五
 軍事専門家の中には、第三次世界戦争の勃発を予告する者もいる。戦争が今度起きたときは敗者はいても勝者はいない。核による戦争だからである。核保有国は核不拡散をいいながら、身勝手なきわどい実験を繰り返して脅威をアピールしている。米国、ロシア、英国、フランス、中国だ。それに抗議するかのようにインドやパキスタンが互いに牽制しながら核実験をした。 最近、北朝鮮は国連からの核査察要求に対して、拒否するとともに不気味な声明を放って平和を願う世界の人々の心を逆なでしている。
 戦争への危機感はある意味で増大しつつある。戦争の仕方も五十年まえとは全く違うだろうが、み仏の慈悲の心を伝えるための梵鐘を供出するような、悲しく愚かしい事態を絶対つくってはなるまい。その意味からも意識が薄れた太平洋戦争への総括を、仏教者の立場で改めてし直す必要があるのではないだろうか。

(参考資料)
 『貧国強兵』(森本忠夫著)
 『ドキュメント昭和史「太平洋戦争」』(原田勝正編)
 『昭和・平成家庭史年表』(下川聡史家庭総合研究会編)
 『近代日蓮宗年表』(近代日蓮宗年表編集委員会・日蓮宗現代宗教研究所編)
 『日蓮宗宗報』(日蓮宗宗務院発行)

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