日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
| 所報第32号:b25頁〜 |
本宗教師の脳死・臓器移植問題に関する意識 |
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本宗教師の脳死・臓器移植問題に関する意識
―第30回中央教化研究会議参加者に対するアンケ−ト調査報告―
日蓮宗医療問題研究会 柴田寛彦 今田忠彰
奥田正叡 蟹江一肇
古河良晧 山口裕光
渡部公容
T はじめに
平成9年10月16日に臓器移植法が施行された。脳死を人の死としてもよいのか、脳死の人から臓器提供を受ける条件は整っているのか、医療の情報の公開性や倫理性、インフォームド・コンセントなどが十分に確保されているか、移植の技術や公平性、犯罪防止策は十分か等々、多くの問題を含みながらのスタートである。
脳死・臓器移植は、宗教界に問いかける問題としても極めて大きい。脳死は本当に人の死なのだろうか、宗教的な死の概念に変更が求められているのだろうか。人の臓器を摘出して他の人の体内に移植することは、宗教的に許されることなのだろうか。近年発達の目覚ましい新しい技術の人体への応用は、既成の概念では判断の難しい新たな応用問題と言ってよいであろう。新しい問題とは言っても、脳死・臓器移植の問題は提起されてすでに久しく、諸外国では永年の経験の積み重ねがある。そして、今その解答が宗教界に求められているのである。
このような状況において、本宗の教師がこの問題に対して現在どのような認識を持っているのかアンケート調査を試み、貴重な結果が得られたので報告する。
U 対象及び方法
平成9年9月4〜5日に開催された第30回日蓮宗中央教化研究会議に参加した本宗教師191名(男性185名、女性6名)を対象とした。
無記名を原則とし、出身地及び年齢、性別は自由記載とした。回収率は88名/191名(46.0%)であった。回答方法の性質上、回答者の年齢、性別に関する正確な数値は得られなかったが、年齢の記載の得られた67名の平均年齢は45.0歳であった。
V 結果(後掲)
W アンケート結果の分析
1、脳死を人の死と認めることについて
回答者の過半数以上、57.9%が「脳死は人の死ではない」としていて、最も多い。次いで「本人の意思表示と家族の同意があれば、脳死を人の死と認めてもよい」が25.0%となっている。
過半数以上が「脳死は人の死ではない」としていることは、今回の調査で最も注目すべき大きな特徴である。読売新聞社が平成7年12月に行った全国世論調査では、脳死状態で「死と判定してもよい」と答えた人が54.4%、「死と判定すべきではない」が19.2%であった。ちなみに、同社の昭和57年の調査では、「死と判定してもよい」が28.6%、「死と判定すべきではない」が39.5%であり、昭和57年から平成7年までの13年間で、脳死状態で「死と判定してもよい」が倍増、「死と判定すべきではない」が半減している。
このような一般世論と今回の結果とが大きく異なっていることの理由としては、今回の対象者は仏教的生死観を基礎にして判断しており、一般世論の判断基準(それは、伝統的、科学的、医学的なものを含むであろうが)とは異なる基準で判断していることが推測される。そして、その仏教的生死観にもとづくと、脳という一つの臓器の機能の停止だけで人間の死と判定することはできないと考えている人が多いことが推測される。
一方で、「本人の意思表示と家族の同意があれば、脳死を人の死と認めてもよい」と回答した人が25.0%いたことも注目される。「家族が同意しなくても」(4.5%)、「本人の意思がわからなくても、家族が同意すれば」(2.2%)、「本人や家族の意思にかかわらず」(3.4%)を含めると、35.1%が脳死を人の死と認めてもよいと考えていることを示している。このことは、後の項目でも触れるが、脳死からの移植を認めてもよいと考えている人が少なからずいること(23.8%)、及び、移植と直接関連しない状況、つまり回復不可能であるにもかかわらず機械的に生かされつづける状況についても脳死判定の対象として考えていることが示唆される。
2、脳死の概念が法制化されたことについて
ここでは、「人の死を法律で規定すべきではない」とする回答が最も多く、53.4%であった。つづいて「法制化された以上、事前に臓器提供の意思を明確にした人の場合、脳死を死と認めてもよい」とする、今回の法律の内容と同意の意見が22.7%、「法制化されても脳死を人の死とは認められない」が20.4%であった。この結果は、人の死という、社会的、文化的、宗教的など、どの観点からとらえたとしても根源的な深い意味を持つ事柄に対して、法律で強制的に規定することはなじまないと感じている人が多いことのあらわれであろう。
ここで、「人の死を法律で規定すべきではない」と「法制化されても脳死を人の死とは認められない」との重複回答が3名あった。意味する内容から考えて、重複回答は当然ありうるものと考えられ、設問に問題があったと思われる。同様に、本来「人の死を法律で規定すべきではない」が、「法制化された以上、事前に臓器提供の意思を明確にした人の場合、脳死を死と認めてもよい」とする考えもありうると思われるが、この両者の重複回答はなかった。
1の設問で「脳死は人の死ではない」と回答した人が51名57.9%であったにもかかわらず、2の設問に対して「法制化されても脳死を人の死とは認められない」が18名20.4%にとどまったのはなぜであろうか。「脳死は人の死ではない」が、法制化された以上はそれに従わざるをえないと考えるのか、「脳死は人の死ではない」し「人の死を法律で規定すべきではない」と考えているのか、この両者の関連については、後に検討を加えたい。
3、臓器移植を仏教的に意義づけることについて
ここでは、「臓器提供は布施行・菩薩行だと思う」34.0%、「臓器提供は布施行・菩薩行だとは思わない」28.4%、「どちらとも言えない」31.8%と、ほぼ3分の1づつに分かれている。これは、臓器提供は病気で苦しむ人を救うという、仏教の慈悲心にもかなう、布施行・菩薩行だと意義づけることができたとしても、その臓器を受け取る人はどうなのか、臓器売買は本当に行われないのか、医療の実行者の倫理は大丈夫なのかといった、大きな疑問を呈せざるを得ない状況が現実問題として存在することによる結果であると思われる。また、自由記載意見(f−10)にも見られるように、自分に不要になった臓器を他人に提供しても、それは布施行とは言えないとする見解もあろう。
これら三様の意見は、全く異なる見解と見ることもできるが、一方、脳死移植という新しい大きな問題に対して仏教者としていかに考え、いかなる回答を示すべきか、真剣な苦悩の表現であり、仏教的回答の三つの側面であると理解することも可能であろう。
4、自己決定について
@死の判定については、脳死と心臓死の選択を「本人の意思で決めることは認められない」とする回答が46.5%と最も多く、次いで「本人の意思で決めることは認められる」32.9%であった。
A臓器提供については、臓器の提供を「本人の意思で決めることは、認められる」が56.8%と最も多く、次いで「本人の意思で決めることは、認められない」が23.8%であった。
死の判定と臓器提供とで自己決定の認否が逆転しているが、これはなぜであろうか。臓器提供に関しては、例えば献血による血液の提供、骨髄移植のための骨髄の提供、腎臓の片方や肝臓の一部を生体移植のために提供することなどもこの範疇に入るため、これらに関しては自己決定による提供を認めてもよいとする意見が含まれているものと考えられる。一方死の判定について自己決定を認めない意見の背景には、二種類の死の定義のうちの一方を自分の意思で選ぶということに対して抵抗感があることと共に、死は生と同様にみ仏の計らいの中にゆだねられるべきものであり、人間が自らの意思で選び取るべきものではないとする考え方が基本にあるものと推測される。
一方、脳死と心臓死の選択を「本人の意思で決めることは認められる」とする回答も32.9%と決して少なくない。この意見の中には、生も死もみ仏の計らいの中にあるとしても、信仰的に下した自己決定の中には、み仏の計いがたくまずして表現されていると考えることができるとする意見も含まれていると推測される。つまり、自己決定する自己とは、神仏から独立無縁の自己ではなく、神仏の意思の中に生きている自己ととらえる考え方である。
5、移植医療について
移植医療そのものの可否については、「脳死からの移植は認められないが、生体あるいは心臓死後の移植は認めてもよい」が34.0%と最も多く、次いで「脳死からの移植を認めてもよい」23.8%、「移植医療は認められない」22.7%であった。
移植医療については、部品交換の発想にもとづく方法論の上に成り立つものとして疑問を呈する考え方が少なくない。しかし、今回の調査結果は、脳死判定を伴わない移植については34.0%、脳死からの移植についても23.8%と、合わせれば57.8%と過半数の人が容認する結果であった。ただし、この容認意見が、積極的に推進すべきとする容認であるか、あるいは現時点ではそれに代わる有効な方法がないことによる次善の方法として認めるのかとの問いが加われば、恐らく後者が大多数ではないかと推察される。
一方、「移植医療は認められない」とする意見が22.7%あり、「脳死からの移植は認められないが、生体あるいは心臓死後の移植は認めてもよい」の34.0%と合わせると56.7%となり、この両者の合計を脳死からの移植に否定的な意見と理解すると、過半数を占める結果であり、今回の調査の特徴の一つと言える。
6、臓器提供を自分自身の問題としてとらえた場合
@臓器提供をする場合のことを想定した場合、「臓器は提供しない」が36.3%と最も多く、次いで「脳死になったら、家族の同意があれば、臓器を提供してもよい」22.7%、「生体あるいは心臓死後なら、臓器を提供してもよい」15.9%、「どちらとも言えない」11.3%、「脳死になったら、家族の同意がなくても臓器を提供してもよい」10.2%であった。
「臓器は提供しない」が最も多いが、脳死、生体あるいは心臓死後という条件を合わせると、「臓器を提供してもよい」は合計43名48.8%となり、「臓器は提供しない」を上回る。家族の同意の条件を除外すると、「脳死になったら臓器を提供してもよい」人は29名32.9%となる。
読売新聞社平成7年の調査では、自分自身が脳死状態になったら臓器を「提供してもよい」49.7%、「提供したくない」20.9%であった。この世論調査の結果と今回の結果を比較すると、今回の対象者の方が、わずかではあるが「提供してもよい」が少なく、「提供しない」が多い傾向であった。ここにも仏教的な生死観、身体観が影響しているものと推測される。
ここで、家族の同意の条件を考慮しないと、「脳死になったら臓器を提供してもよい」人は29名32.9%であるにもかかわらず、設問5で「脳死からの移植を認めてもよい」が21名23.8%と少ないのはなぜであろうか。この差異をもたらした理由は、おそらく設問6が自分自身のことを尋ねたのに対して、設問5は一般論として尋ねていることからくる差異であろう。つまり、信仰を持つものとしての自己の場合、設問3でふれた仏教的な意義付け、三輪清浄(施者、受者、施物の三者の清浄)のうち、少なくとも布施を提供する側の清浄については自己の判断の範囲内にあると考えられるのに対して、一般論として考える際には、その点さえも疑い無しとしえないであろうことが、この差異として表現されていると考えられる。
A臓器提供を受ける場合(臓器移植以外に治療法がないと宣告された場合)、「生体あるいは心臓死後の人からでも、臓器提供は受けない」が52.2%と最も多く、次いで「脳死者から臓器提供を受けてもよい」が13.6%、「どちらとも言えない」12.5%、「脳死者からは臓器提供を受けないが、生体あるいは心臓死後の人からなら、臓器提供を受けてもよい」11.3%であった。
読売新聞社平成7年の調査では、同様の設問に対して「絶対に移植は断る」が19.3%であり、今回の結果52.2%と大きな開きがある。ここにもまた、背景として仏教的な生死観の存在が示唆される。
このように、約半数は自分自身は臓器提供は受けないと考えており、また同様に約半数が自分の臓器は提供してもよいと考えていることが示されているが、この全体の傾向として示されている意思の中に、仏の慈悲が表現されていると理解してもよいのではないだろうか。
7、クロス集計結果について
設問1で「本人の意思表示と家族の同意があれば、脳死を人の死と認めてもよい」と回答した22名は、他の質問に対しても、「法制化された以上、脳死を死と認めてもよい」14名(63.6%)、「臓器提供は布施行・菩薩行だと思う」11名(50.0%)、脳死と心臓死の判定を「本人の意思で決めることは、認められる」14名(63.6%)、臓器提供を「本人の意思で決めることは、認められる」17名(77.3%)、「脳死からの移植を認めてもよい」12名(54.5%)と、脳死、移植に対して肯定的な考えの人が多かった。しかし、この中にも「人の死を法律で規定すべきではない」が8名(36.3%)あり、また、「臓器提供は布施行・菩薩行だとは思わない」4名(18.1%)、「どちらとも言えない」7名(31.3%)であったことは、宗教者としての認識のあらわれと考えられ、注目される。
一方、設問1で「脳死は人の死ではない」と回答した51名についても、他の設問で特徴的な回答傾向がみられた。すなわち、法制化については、「法制化されても脳死を人の死とは認められない」18名(33.3%)、「人の死を法律で規定すべきではない」36名(66.6%)と、重複回答も含めて全員が脳死の法制化に反対の意見を持っていた。また、死の判定について、脳死と心臓死を「本人の意思で決めることは、認められない」が33名(64.7%)と、死に関しては自己決定に否定的な意見が多かった。しかし、臓器提供については、本人の意思で決めることは「認められる」22名(43.1%)、「認められない」16名(31.3%)、「どちらとも言えない」10名(19.6%)と意見が分かれ、同じ自己決定と言っても「死」に関する場合と「臓器提供」とでは異なると考えている人が多いと推定された。このことは、臓器提供は仏教の布施行・菩薩行だと「思う」12名(23.5%)、「思わない」18名(35.3%)、「どちらとも言えない」18名(35.3%)と意見が分散していることにもあらわれている。
脳死は人の死ではないと考えながら、一方では「脳死になったら臓器を提供してもよい」と考えている人が8名(15.7%)いることは、脳死は完全な人の死ではないものの、生の最終段階であることは認めざるをえず、その段階で他人の役に立つのであれば臓器を提供してもよいと考えているのではないかと推察される。
自分自身の場合、臓器提供を受けることと提供することとの組合せは4とおり考えられるが、その回答結果は次のとおりであった。
「臓器提供を受けない」かつ「臓器を提供しない」 =27名(30.7%)
「臓器提供を受けない」かつ「臓器を提供してもよい」=15名(17.0%)
「臓器提供を受ける」 かつ「臓器を提供してもよい」=19名(21.6%)
「臓器提供を受ける」 かつ「臓器を提供しない」 = 1名( 1.1%)
「臓器提供を受けない」し「提供しない」という意見は、宗教的倫理観にもとづく一つの選択である。あるいは、現在の医療のあり方、移植医療のあり方に対する批判的意見が含まれている可能性もあろう。また、「臓器提供を受ける」し「提供してもよい」との意見は、移植医療に対する期待観、あるいは次善策として受容する考えが、そして「臓器提供を受けない」が「提供してもよい」との意見は、菩薩行の実践の意思表明と理解することができるであろう。
8、自由記載意見について
脳死と臓器移植に関する意見を自由に記載する欄には、37名から種々の貴重な意見が寄せられた。以下に、主張する内容ごとにその要旨を取りまとめてみた。
脳死問題の取り扱い方に関しては、次のような両者の意見があった。
・「臓器移植法を批判せずに脳死を論ずることへの危惧を訴える意見(f−1)」
・「純粋に死の概念として脳死を考えるべきとする意見(f−9)」
死とは何かについて触れた意見としては、次のような様々な意見が述べられていた。
・「死とは細胞全部の命が閉じることである(f−4)」
・「宗教的立場からは、脳死と心臓死を区別することはできず、意識を失ってから腐敗が始まるまでの期間が死である(f−7)」
・「全脳死が衆目が見ても納得できれば脳死は人の死であろう(f−26)」
・「脳死は魂が抜けた状態であり、ソフトウエアの消失した状態でハードウエアのみ無理に動かすことは不自然(f−28)」
・「問題はあるが現時点では脳死で人の死とすべき。ただし絶えず見直しが必要(f−35)」
・「久遠の命は肉体の有無とは関係なく存在するものであるが、一般に死と言う場合には肉体の死を指しているのであり、肉体は仮体である。臓器移植は、入れ歯、義足、義手を利用することと同義である(f−36)」
このように、宗教的立場から死をとらえるとしても、様々な角度、視点があることが示されている。
医療の現状に体する批判的な意見も多い。それらを以下に列記する。
・「専門分野を試してみたいというエゴがあるのではないか(f−29)」
・「移植医療についての医師間の功名争い(f−33)」
・「脳死判定をする側の問題がある。死者の尊厳が守られるような対応が医療機関にあるのか(f−6)」
・「脳死判定を行う医師団の倫理性が確立されている保証はどこにあるのか(f−30)」
・「医療機関の倫理性が七三一部隊以来反省がない。患者は丸太になる危険がある(f−31)」
以上のように、医療の現状に対する不信感が根づよくあることが示されている。
移植医療についての意見には、次のようなものがある。
・「人為的に他人の命を犠牲にして命を長らえるような命の操作をすべきではない(f−2)」
・「人口臓器の開発に期待する(f−3、5)」
・「脳死は人の死であっても、臓器移植は推進すべきではない(f−26)」
・「拒絶反応が克服されない限り、人間への移植には反対(f−32)」
このように移植医療についての反対意見が比較的多く、また、その内容についても、以下のように否定的意見が記されている。
・「天台の病因論、身体論からは、移植は間違い(f−11)」
・「自分にとって不要になった臓器を他人に提供するのは布施行とは違う(f−10)」 その他の意見としては、
・「脳死や移植について、一つの考えではなく、選択できる方法がよい(f−15)」
・「個々の事例、個々の自己、近親者で決められるような選択の幅があるべきだ(f−18)」
このような意見も、大切な提言と言ってよいであろう。さらに、
・「宗教の中でとらえた生命観、生死観を現代社会にぶつけていく機会であり、宗教家として存在を問われる重大な時期である(f−20)」
という指摘もあり、今後共大きな課題として取り組むべきであろう。
9、勧学院答申との比較
日蓮宗勧学院は平成6年、宗務総長の諮問に対して「(1)脳死をもって人の死と断定することには、未だ多くの問題が残されており、死の概念の重大な変更にあたって、医学にのみそれを委ねることはできないとする意見が妥当であると判定する。しかし、(2)臓器提供については、自己決定による場合、仏教の慈悲心にもかなう行為として認識し、脳死段階からの移植医療に道を開くことには反対しない」と答申している。今回の調査結果は、(1)については大筋においてこの答申内容と異なるものではないことが示されたと言える。
一方(2)については、答申内容と今回のアンケート結果との間に相違が見られる。すなわち、臓器提供を仏教的に意義づけることについては、設問3において意見が三様に分かれ、必ずしも慈悲心にかなう行為と認識することを是とする意見が多いとは言えない結果であった。また、設問5の結果分析でも触れたように、脳死からの移植については認められないとする意見が過半数を越えていた。このように、脳死からの移植医療を疑問視する意見が多いにもかかわらず、答申において「脳死段階からの移植医療に道を開くことには『反対しない』」と表現されたことには、移植医療を積極的に推進する立場には立ちえないものの、脳死からの移植を認めてもよいとする意見も少なからずある(今回のアンケートでは22.7%)など、多様な意見が存在する現状への考慮が背景にあるものと推察される。
10、一般世論との相違について
ここでもう一点重要な問題として指摘されなければならないことがある。それは、一般世論と今回の対象者の意見とに差異がみられるということの意味する事柄である。つまり、一般世論の形成に日蓮宗教師の果たしている影響力が大きくないことが示されていると考えられることである。このことは、「生体臓器移植をめぐる精神的・社会的・倫理的諸問題に関する研究」(京都教育大学紀要Ser.A,No.90,1997.)において京都教育大学の友久教授らが、生体臓器移植に関する意見が、法律家や医師、看護婦、教育者と宗教者とで大きな差異がみられたと報告していることとも一致している。
X おわりに
脳死と臓器移植の問題については広く社会的な問題になってきたこともあり、幅広い議論がなされてきたが、僧侶の意見、ことに本宗教師の一般的な考え方についてはこれまであまり調査検討されてこなかった。その意味において今回のアンケート調査は貴重な資料になるものと意義づけたい。そして、結果において一般世論とは大きく異なる傾向が示されたことは、法律が施行されたとは言え、まだまだ大きな問題が未解決のままで包含されていることを示していると考えられ、今後のこの問題の推移の中で注意深く見守って行く必要のあることが改めて示されたといえよう。ただし、今回のアンケート調査が、教化研究会議参加者という特殊な母体を対象にしていることや、標本数が少ないこと、回収率が46.0%と低率であったこと、及び年齢別、性別、地域別等の細部にわたる検討には至らなかった点等については、今後の検討課題としなければならない。
立正安国の祖願達成をめざす日蓮宗教師として、脳死や臓器移植の問題等を通して正法の教えが広く人々の思想形成の基盤になるよう、広宣流布の活動になお一層励むべきことが、はからずも今回の調査結果に示されたと受け止めたい。
(結果1)[脳死・臓器移植に関するアンケ−ト集計1]
回答数 %
1、脳死を人の死と認めることについて
1 本人の意思表示と家族の同意があれば、脳死を22 25.0
人の死と認めてもよい
2 本人の意思があれば、家族が同意しなくても脳4 4.5
死で死と認めてもよい
3 本人の意思がわからなくても、家族が同意すれ2 2.2
ば脳死で死としてもよい
4 本人や家族の意思にかかわらず、脳死で死とし3 3.4
てもよい1〜4 計31 35.1%
5 脳死は人の死ではない51 57.9
6 どちらとも言えない5 5.6
7 わからない0 0
回答なし 1 1.1
2、今回法制化された脳死という新しい死の概念について、あなたはどう考えますか
1 法制化された以上、事前に臓器提供の意思を明20 22.7
確にした人の場合、脳死を死と認めてもよい
2 法制化されても脳死を人の死とは認められない18 20.4
3 人の死を法律で規定すべきではない47 53.4
4 どちらとも言えない3 3.4
5 わからない0 0
回答なし 3 3.4
2と3の重複回答3件あり
3、臓器提供は仏教の慈悲心にもかなう、布施行・菩薩行だという考えについて
1 臓器提供は布施行・菩薩行だと思う30 34.0
2 臓器提供は布施行・菩薩行だとは思わない25 28.4
3 どちらとも言えない28 31.8
4 わからない4 4.5
回答なし 1 1.1
4、死の判定や臓器提供について、「自分の意思で決める」ことについては、み仏に生かされている「久遠の生命観」から見て問題だとの意見も聞かれます。あなたはどう思われますか。
@死の判定について
1 脳死と心臓死の選択を、本人の意思で決めるこ29 32.9
とは、認められる
2 脳死と心臓死の選択を、本人の意思で決めるこ41 46.5
とは、認められない
3 どちらとも言えない16 18.1
4 わからない1 1.1
回答なし 1 1.1
A臓器提供について
1 臓器の提供を、本人の意思で決めることは、認50 56.8
められる
2 臓器の提供を、本人の意思で決めることは、認21 23.8
められない
3 どちらとも言えない13 14.7
4 わからない4 4.5
5、移植医療について
1 脳死からの移植を認めてもよい21 23.8
2 脳死からの移植は認められないが、生体あるい30 34.0
は心臓死後の移植は認めてもよい
3 移植医療は認められない20 22.7
4 どちらとも言えない9 10.2
5 わからない5 5.6
回答なし 3 3.4
6、一般論でなく、あなた自身の場合、臓器提供についてどう考えていますか
@臓器提供をする場合
1 脳死になったら、家族の同意があれば、臓器を20 22.7
提供してもよい
2 脳死になったら、家族の同意がなくても、臓器9 10.2
を提供してもよい1〜2 計 2932.9%
3 生体あるいは心臓死後なら、臓器を提供しても14 15.9
よい1〜3 計 4348.8%
4 臓器は提供しない32 36.3
5 どちらとも言えない10 11.3
6 わからない3 3.4
A臓器提供を受ける場合(臓器移植以外に治療法がないと宣告された場合)
1 脳死者から臓器提供を受けてもよい12 13.6
2 脳死者からは臓器提供を受けないが、生体ある10 11.3
いは心臓死後の人からなら、臓器提供を受けても
よい
3 生体あるいは心臓死後の人からでも、臓器提供46 52.2
を受けない
4 どちらとも言えない11 12.5
5 わからない7 7.9
回答なし 2 2.2
(結果2)[脳死・臓器移植に関するアンケ−ト集計2−クロス集計]
回答数(%)
1、脳死を人の死と認めることについて
1 本人の意思表示と家族の同意があれば、脳死を人の死と認めて22名
もよい
2、法制化された脳死という新しい死の概念について
1 法制化された以上、脳死を死と認めてもよい 14(63.6%)
2 法制化されても脳死を人の死とは認められない 0
3 人の死を法律で規定すべきではない 8(36.3%)
3、臓器提供は仏教の布施行・菩薩行だという考えについて
1 臓器提供は布施行・菩薩行だと思う 11(50.0%)
2 臓器提供は布施行・菩薩行だとは思わない 4(18.1%)
3 どちらとも言えない 7(31.3%)
4、自分の意思で決めることについて
@死の判定について
1 本人の意思で決めることは、認められる 14(63.6%)
2 本人の意思で決めることは、認められない 4(18.2%)
3 どちらとも言えない 3(13.6%)
A臓器提供について
1 本人の意思で決めることは、認められる 17(77.3%)
2 本人の意思で決めることは、認められない 2( 9.1%)
3 どちらとも言えない 2( 9.1%)
5、移植医療について
1 脳死からの移植を認めてもよい 12(54.5%)
2 生体あるいは心臓死後の移植は認めてもよい 5(22.7%)
3 移植医療は認められない 1( 4.5%)
4 どちらとも言えない 1( 4.5%)
5 わからない 2( 9.1%)
6、自身の場合、臓器提供について
@臓器提供をする場合
1 脳死になったら家族の同意があれば提供してもよい 10(45.5%)
2 脳死になったら家族の同意がなくても提供してもよい 2( 9.1%)
3 生体あるいは心臓死後なら臓器を提供してもよい 1( 4.5%)
4 臓器は提供しない 6(27.3%)
5 どちらとも言えない 2( 9.1%)
A臓器提供を受ける場合
1 脳死者から臓器提供を受けてもよい 6(27.3%)
2 生体あるいは心臓死後なら受けてもよい 2( 9.1%)
3 臓器提供を受けない 6(27.3%)
4 どちらとも言えない 4(18.2%)
5 脳死は人の死ではない 51名
2、法制化された脳死という新しい死の概念について
1 法制化された以上、脳死を死と認めてもよい 0( 0.0%)
2 法制化されても脳死を人の死とは認められない 18(33.3%)
3 人の死を法律で規定すべきではない 36(66.6%)
3、臓器提供は仏教の布施行・菩薩行だという考えについて
1 臓器提供は布施行・菩薩行だと思う 12(23.5%)
2 臓器提供は布施行・菩薩行だとは思わない 18(35.3%)
3 どちらとも言えない 18(35.3%)
4 わからない 3( 5.9%)
4、自分の意思で決めることについて
@死の判定について
1 本人の意思で決めることは、認められる 9(17.6%)
2 本人の意思で決めることは、認められない 33(64.7%)
3 どちらとも言えない 8(15.7%)
A臓器提供について
1 本人の意思で決めることは、認められる 22(43.1%)
2 本人の意思で決めることは、認められない 16(31.3%)
3 どちらとも言えない 10(19.6%)
4 わからない 3( 5.9%)
5、移植医療について
1 脳死からの移植を認めてもよい 2( 3.9%)
2 生体あるいは心臓死後の移植は認めてもよい 25(49.0%)
3 移植医療は認められない 17(33.3%)
4 どちらとも言えない 4( 7.8%)
5 わからない 2( 3.9%)
6、自身の場合、臓器提供について
@臓器提供をする場合
1 脳死になったら家族の同意があれば提供してもよい 6(11.8%)
2 脳死になったら家族の同意がなくても提供してもよい 2( 3.9%)
3 生体あるいは心臓死後なら臓器を提供してもよい 12(23.5%)
4 臓器は提供しない 24(47.0%)
5 どちらとも言えない 6(11.8%)
A臓器提供を受ける場合
1 脳死者から臓器提供を受けてもよい 1( 2.0%)
2 生体あるいは心臓死後なら受けてもよい 7(13.7%)
3 臓器提供を受けない 33(64.7%)
4 どちらとも言えない 6(11.8%)
5 わからない 3( 5.9%)
4、 死の判定についての自己決定
1 脳死と心臓死の選択を本人の意思で決めることは認められる 29名
A臓器提供について
1 本人の意思で決めることは、認められる 24(82.8%)
2 本人の意思で決めることは、認められない 0( 0.0%)
3 どちらとも言えない 3(10.3%)
5、移植医療について
1 脳死からの移植を認めてもよい 14(48.3%)
2 生体あるいは心臓死後の移植は認めてもよい 6(20.7%)
3 移植医療は認められない 3(10.3%)
4 どちらとも言えない 2( 6.9%)
6、自身の場合、臓器提供について
@臓器提供をする場合
1 脳死になったら家族の同意があれば提供してもよい 8(27.6%)
2 脳死になったら家族の同意がなくても提供してもよい 4(13.8%)
3 生体あるいは心臓死後なら臓器を提供してもよい 5(17.2%)
4 臓器は提供しない 8(27.6%)
A臓器提供を受ける場合
1 脳死者から臓器提供を受けてもよい 8(27.6%)
2 生体あるいは心臓死後なら受けてもよい 1( 3.4%)
3 臓器提供を受けない 14(48.3%)
2 脳死と心臓死の選択を本人の意思で決めることは認められない 41名
A臓器提供について
1 本人の意思で決めることは、認められる 15(36.6%)
2 本人の意思で決めることは、認められない 19(46.3%)
3 どちらとも言えない 6(14.6%)
5、移植医療について
1 脳死からの移植を認めてもよい 4( 9.8%)
2 生体あるいは心臓死後の移植は認めてもよい 20(48.8%)
3 移植医療は認められない 12(29.3%)
4 どちらとも言えない 5(12.2%)
6、自身の場合、臓器提供について
@1 脳死になったら家族の同意があれば提供してもよい10(24.4%)
2 脳死になったら家族の同意がなくても提供してもよい 1( 2.4%)
3 生体あるいは心臓死後なら臓器を提供してもよい 6(14.6%)
4 臓器は提供しない 19(46.3%)
5 どちらとも言えない 4( 9.8%)
A1 脳死者から臓器提供を受けてもよい 2( 4.9%)
2 生体あるいは心臓死後なら受けてもよい 5(12.2%)
3 臓器提供を受けない 28(68.3%)
4 どちらとも言えない 4( 9.8%)
6、一般論でなく、あなた自身の場合、臓器提供についてどう考えていますか
@臓器提供をする場合
1 脳死になったら家族の同意があれば臓器を提供してもよい 20名
A1 脳死者から臓器提供を受けてもよい 6(30.0%)
2 生体あるいは心臓死後なら受けてもよい 2(10.0%)
3 臓器提供を受けない 7(35.0%)
4 どちらとも言えない 4(20.0%)
4 臓器は提供しない 32名
A1 脳死者から臓器提供を受けてもよい 1( 3.1%)
2 生体あるいは心臓死後なら受けてもよい 0( 0.0%)
3 臓器提供を受けない 27(84.3%)
4 どちらとも言えない 2( 6.3%)
A臓器提供を受ける場合
1 脳死者から臓器提供を受けてもよい 12名
@1 脳死になったら家族の同意があれば提供してもよい
6(50.0%)
2 脳死になったら家族の同意がなくても提供してもよい 5(41.7%)
3 生体あるいは心臓死後なら臓器を提供してもよい 0( 0.0%)
4 臓器は提供しない 1(8.3%)
2 生体あるいは心臓死後なら受けてもよい 10名
@1 脳死になったら家族の同意があれば提供してもよい
2(20.0%)
2 脳死になったら家族の同意がなくても提供してもよい 0( 0.0%)
3 生体あるいは心臓死後なら臓器を提供してもよい 6(60.0%)
4 臓器は提供しない 0( 0.0%)
5 どちらとも言えない 2(20.0%)
3 生体あるいは心臓死後の人からでも臓器提供を受けない 46名
@1 脳死になったら家族の同意があれば提供してもよい
7(15.2%)
2 脳死になったら家族の同意がなくても提供してもよい 3( 6.5%)
3 生体あるいは心臓死後なら臓器を提供してもよい 5(10.9%)
4 臓器は提供しない 27(58.7%)
5 どちらとも言えない 3( 6.5%)
(結果3)[自由記載意見]
f-1 勧学院の答申は、「脳死を問題とするものの、臓器移植は妨げない」という、脳死臨調の少数意見をそのまま引きずったもので、大いに不満です。なぜ「脳死」が論じられるのか、それは「臓器移植」を進めたいからに他なりません。現今の「臓器移植法」を批判せずにこれらを論じることは、「臓器移植=菩薩行」のワナに陥ってしまうのではと危惧します。(41歳男性)
f-2 すべからく、自然死がよい。現世は諸行無常であり、人為的に他人の命を犠牲にして命を長らえるような「命の操作」をすべきではない。命が商品化する恐れがある。事実、海外では臓器ブローカーが暗躍している。臓器(心臓)提供という善意が、逆に差別を助長することさえ起こる。(60歳男性)
f-3 現状は臓器移植の為に脳死を人の死とする、見做すことがなされることになっており、極めて遺憾です。必ず臓器の売買、人の命の価値付け(値段)等の問題が発生することになりましょう。よって、移植医療そのものに反対します。いずれは人口臓器により解決される問題を急ぎすぎてはいけません。(37歳男性)
f-4 命は50兆の細胞の集まりであります。この個々の命は、自分が作ったものではなく授かったものであります。命が終るということは、すべての50兆の命を閉じなければならないのであります。絶対に移植はならないと思います。(50歳男性)
f-5 医療技術が進歩し、近年中に人口臓器が高度に開発されると、臓器移植は必要なくなると聞きます。すると、臓器移植は過渡的な手段ということになります。様々な複雑な問題を含んでいる、「二つの死」が存在するような状態を作るまでもなかったのではないかと思います。今後も注意深く議論してゆきたい。(47歳男性)
f-6 脳死判定をする側の問題、死者への尊厳が守られる対応が医療機関にあるのか、生命を人間の手で操作してよいのか、などについて疑問を持ちます。自分では、臓器を提供する気ももらう気にもなれない。
(42歳男性)
f-7 宗教的立場からすれば、脳死と心臓死の区別ができない。若し脳死が今生の肉身との別れであるならば、脳死が死であろうが、それを知ることはできない。同じ意味で、心臓死のみが死とすることもできない。死とは意識を失ってから腐敗が始まるまでに間、その期間が死ということなのかもしれません。(42歳男性)
f-8 「脳死」という言葉自体がよくないと思う。身体も暖かく、血も通い、生きていると考える。「脳死」をあたかも「死」だとイメージさせることは、その状態で行きている人への暴力だと思う。あくまで生きている人が、善意で提供するという心を大切にしたい。(45歳男性)
f-9 全てが、移植を前提として脳死が捉えられているが、純粋に死の概念として、脳死を考えるべきではないか。臓器移植のために、脳死を論ずることに、違和感を感ずる。(49歳男性)
f-10 脳死状態になって、ある意味、自分にとって不必要になった臓器を、他人に提供するのは、布施行としては少し違うような気がします。(26歳男性)
f-11 臓器移植を菩薩行・慈悲心という、宗教観念のみで議論するが、印度仏教・中国仏教・日本仏教がどういう生命論又は病因論・身体論を持っていたかが明らかにならなければ問題である。たとえば、印度仏教では四大病因論などによる科学的認識をしている。中国仏教は陰陽五行の中国医学、日蓮聖人は中国医学を基礎にしている。これらの当時の科学的知識を前提に、生命論又は移植について論ずべきである。一応、天台の病因論・身体論からは、移植はまちがいと論ぜられる。
f-12 脳死の判定基準というのは、今後医学の進歩により、変化する恐れが多分にあると思う。(39歳男性)
f-13 人の尊厳を考えると、人それぞれによって、死の概念は異なる為、人の死を法律で規定するのはおかしい。臓器移植を考える際、最愛の人(妻・子供・親など)を対象とした時、判断が難しい。しかし、人間の欲、煩悩が生じる行為は、避けるべきと思う。(30歳男性)
f-14 脳死そのものを、仏教本来の教え、生命尊重、命の尊さ、仏さまから与えられた生命という、教えにそって考えていけば、死と決定づけることは、けっして出来ないと思う。臓器移植に対して、提供者があれば、受けても良いと思う。(32歳男性)
f-15 仏教の信奉者として、生命は久遠の本仏に与えられたものであるから、他人の臓器と取り替えなければ、延命できないとしても、それが自分に与えられた生命と考えている。作家の曽野綾子氏は、キリスト教信者として、この度の臓器移植法の成立を望んでいたと思う。一つの考えでなく、選択出来る方法が良いと思う。(45歳男性)
f-16 今現在、内臓疾患がないことをふまえた、どちらかといえば否定的答えであって、身内の者が死にいたる病気になったとき、臓器提供を肯定するようになるかもしれない。(33歳男性)
f-17 現在の判定基準での脳死が、人の死ではないという考えが根底にありますが、自分の考えが様々にゆれていることも事実です。自分としては、臓器提供を受けるつもりはありませんが、家族・特に子供がそのような状況になった時、この考えを貫く確固たる自信は疑問です。(38歳男性)
f-18 多くの事例があることで、すべてを一般論で片付けるわけにはいかない。個々の事例、個々の自己、近親者で決められるような、選択の幅があるべきだ。(30歳男性)
f-19 今生に於いて、物質欲を離れられぬ私が、死後めでたく臓器の布施がこころよくできるであろうか。生に執着する私が、潔く死に臨めるであろうか。愛する子供の為ならば、出来るであろうか。悪人に布施を出来るだろうか。先ず、成仏を期し、その後、本仏さまの皆具成仏道の道、大聖人の弟子としての本道を歩みたいと思う。(45歳男性)
f-20 生命とは、その人個人のものだ、としかとらえられない生命観では、脳死問題を適格に見つめることは難しい。宗教の中でとらえられた生命観、生死観を、現代社会の問題にぶつけてゆく機会であり、宗教家として存在を問われる重大な時期だと思う。(48歳男性)
f-21 一人ひとりが、脳死問題について知らなければいけない。もっと知識を深めてから、話し合いを持つべきである。脳死とはどういうものかという、説明を受ける場を持ってもいいのでは。
f-22 脳死がどういう状態なのか、脳死になってみないとわからないので、判断しかねる部分が多々ある。(39歳男性)
f-23 政治的背景(立法問題)よりも、あらゆる分野で、人間の尊厳について考えることが必要だ。(46歳男性)
f-24 十人十様で、その場に応じて様々な意見が出てくると思う。必要悪か。(51歳男性)
f-25 今の日本では、お金だけで事を処理しようとする傾向が強く、臓器移植についても、貧しい人々をお金で買って、自分の生命を延長したいとする感じがあります。与える人も与えられる人も、ともに感謝しあえるような、そんな状況をつくり出すことが、必要でしょう。(70歳男性)
f-26 厚生省の竹内基準の脳死判定基準には、納得できない。全脳死が衆目に見ても納得できれば、脳死は人の死であろう。但し、臓器移植は推進すべきではない。自己決定・リビング・ウイルなども尊重すべき。(48歳男性)
f-27 免疫抑制が、大きなウエイトを占めていると思う。この問題がクリアされて後、更に深まった議論が必要。(38歳男性)
f-28 仏教的に考えれば、脳死は魂が抜けた状態だと思う。従って、ソフト・ウエアの消滅で、ハード・ウエアのみを無理に動かすことは、不自然である。いずれにしても、死をどう定義づけるべきかが、最も重要なことだと思う。(45歳男性)
f-29 提供する側に立っても、「こんな体の部分を使っていただいても」という気持ちもあり、「提供するに値しないものだ」という思いがおこる。逆に、受けるチャンスに恵まれても、精神的な負担を受けることになりはしないだろうか。また、移植後のケアーが難しいと聞き、移植専門医にも、消極的な立場を取ることも多いと聞く。専門分野を試してみたいという、エゴがあるのではないだろうか。(35歳男性)
f-30 脳死判定を行う医師団の、倫理性が確立されている保証は、どこにあるのかが、不明な段階で、あわてて脳死・臓器移植の問題に結論を出す必要はない。医療・医学をめぐり、提起されている諸問題(医療費不正請求・血液製剤によるHIV感染など)を明確にし、医学者・医師に対する信頼の回復を、早急に行なうべき。
f-31 医療機関の倫理観が、七三一部隊以来、反省がない。患者は丸太になる危険性がある。(年齢61男性)
f-32 免疫拒絶の症状が、克服されない限り、人間への移植は反対。移植を受ける者は、献血・献体・アイ・バンクなどが必要条件。全身の医学への提供は義務と思う。(40歳男性)
f-33 移植医療についての医師間の、功名争いなど、考慮すべき点を公に議論できる場があることが必要。移植コーディネーターの中立性など、クリアすべき点が多々あると思う。(男性)
f-34 脳死・臓器移植については、本人の意思だけでは、認められないと思います。やはり、家族の同意が必要。(25歳)
f-35 問題はあると思うが、現時点では、人の死を脳死とすべきであると考えます。死の定義は、たえずしなおすことが大切だと思います。臓器提供は、提供する人も、される人も、「生きる」ことだと思います。
f-36 久遠の命は、肉体の有無とは関係なく存在する命だと考えます。死という場合、肉体の死を指しているのであって、肉体は仮体であり、入れ歯・義足・義手を利用するのと似たものが、臓器移植と考える。(52歳男性)
f-37 臓器移植で、一つの生命が助かるのなら、ありがたいと思う。自分の体の一部が、人の為になるので、是非、脳死の時は提供したい。(32歳男性)
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