日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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所報第32号:274頁〜 研究ノート ←前次→


   仏教者と家庭教育
   ――教化を考える――

蓑輪顕量
(現代宗教研究所研究員)
     はじめに
 家庭とは何か。それは社会の最小の単位であると考えられる。その家庭における宗教の問題を考えることは社会と宗教の問題を考えることでもあると思う。また宗教とは何か。宗教の定義は多様であろうが、ここでは字義通りの「おおもとの教え」という次元で押さえておくことにしたい。つまり人間としての「あるべきよう」(理想的なありよう)を教えるものとして、宗教を捉えておきたい。それでは、このような前提のもとに、本拙論では、仏教の立場からその担い手となる仏教者と檀信徒との関係について考察し、私見を述べてみたい。
 現在の家庭の形態を考えてみよう。家庭といわず家族と言い換えても良い。戦後の家族の形態は、三世代が同居する形態から二世代のみが生活するものへと、その存在の形態が大きく変化した。即ち多くの家族が核家族化したのである。もちろん、都市部と農村では事情が異なるであろうが、その背景に戦後の政府の政策が存在したことはいうまでもあるまい。戦後の日本は工業化社会を目指し、農村の若者世代の人間を都市に移動集中させ、そこに工業を発展させる担い手としての労働力を期待した。そして、日本の社会は本質的な変化を被った。いわば伝統的な「家」制度が崩されていったのである。
 こうして都市部及びその周辺部に核家族が多く生み出されることになった。即ち、農村に於いて存在していた家族とは全く異なる社会的単位が、多く生み出されたのである。具体的な構成は、両親と子供のみという二世代の同居する家族が一般化した。それまでの祖父祖母、父母、子供という三世代の構成から、年寄りの世代が抜けるという形態が一般化したのである。
 そして、現在、再考しなければならないのは、この核家族の家庭を主たる対象とした、家庭と宗教の問題でもあるように私には思われる。そこでまず伝統的と位置づけられる三世代の家庭と宗教のありようを具体的に探ることから考察を始めてみたい。
     一、三世代の家庭と宗教
 自分の例を普遍化することをしばらくお許し願いたい。筆者は千葉県の山間の日蓮宗寺院に育ち、生まれた時から師父の生き方を通じて仏教を見させていただいた。師父は、ことあるごとにお題目を口に唱える、まことに全身全霊から日蓮聖人に対し信頼と帰依を寄せていた方であったように思う。そのような師父のあり方を通じ、まさしく人間の生きる道としての基本的なもの、「宗教」を教えられたような思いがするのである。寺院とはいえ、一般の家庭と変わらない部分も存在し、そのような生活環境の中において、私に「宗教」に対する親近感が生じたのではなかったかと、今では考えている。大学で仏教学を学び専攻するようになった一番の理由は、やはり師父の後ろ姿の故であったと思っている。
 このようなことからすれば、仏教は仏教者を通じ、次の世代に受け継がれていっているのではないだろうか。『伝述一心戒文』の中で、光定が師の最澄の言葉として「人、道を弘む、道、人を弘む」と述べていたと伝えるのは、まことに穿った表現であるように思われる。人を通じ、教えは次の世代に受け継がれていくものなのである。
 しかし、現在の一般の状況はどうであろうか。家庭という次元で考えてみよう。家庭は、正しく人生の先輩方の後ろ姿を直接に見る場所であった。人間の生活していく上で重要な価値観、宗教観を身につける場として、家庭は存在するのである。それはある時には働く両親の後ろ姿であり、ある時には仏前や神棚に手を合わせる後ろ姿であったであろう。またそこから伝えられてくるものは、実際には倫理的な規範と言い直しても良いものかも知れない。たとえば、他者に迷惑をかけない、というような身近なものを始めとして、自己を規制する、良質な倫理的規範であったろう。それらは、人類に馴染みの深い宗教によって提供されてきたことは歴史の示す通りである。
 家庭の中に於いて、宗教を伝えていく時に中心になったのは、一般に誰であったのだろうかという視点で考えてみよう。答えは、おそらく祖父や祖母らの年寄りから、というものが一番多いと思われる。これは、現在の農村部に視点を置いた場合もっとも顕著に当てはまるであろう。「年寄り」達の生活態度の中から、日常的に接するものとして具体的な宗教が浮かび上がるのである。大概の場合、親の世代を飛び越えて、子供は祖父たち「年寄り」から宗教を学び、宗教の薫陶を自分の身に植え付けてきていたはずなのである。日本の社会の中では、こうして伝持されてきたものが仏教や神道であったと思われる。こうして、「日本人の霊性」とでも呼ぶべきような何かが、過去の世代から現在の世代へそして未来の世代へと継承されていたはずなのである。
 さて、先に述べたごとく、一般の家庭においては、二世代同居と三世代同居の家庭が存在する。また三世代同居といっても、実際には両親が働きに出て留守がちな場合もあり得る。そのような場合には、祖父たち「年寄り」がその役を担って、一世代離れた次の世代を育てていたのである。また、それすらも滞りがちな場合には、地域という共同体が、その役を担っていたと考えられる。地域の共同体が、次代を担う子供達の宗教教育に大いに関わっていた時代があったことも否定できない事実であると思われる。
 それが、現在においてはどのような状況にあるのだろうか。どうも家庭における宗教の不在は顕著なようであり、社会に於いてもまた学校教育の中に於いても、宗教的な情操を養うような場は、殆ど見られない。結局、現代社会の中のどこにも、宗教的な要素をみることができないような状況にあるのではないかと危惧されるのである。
 このような状況は、現代社会の犯罪や道徳観の頽廃を目の当たりにするにつれ、憂うべき事態として多くの識者たちの心を悩ましているようである。ここに、「仏教者として他者への感化及び教化」という問題関心が設定される背景が潜んでいる。
     二、インド仏教の基本的立場〜家庭とは何か〜
 家庭をどのようなものとして位置づけるかを考えてみよう。仏教の場合、実はインドにおいては、あまり積極的な言及は存在しない。なぜなら、仏教は、出家主義を標榜するからである。家庭にある存在から離れて出家者になること、輪廻の束縛から脱却すること、それが求められたのであるから、次の生存を生み出す家庭が第二義的なものになってしまったのは当然のことであったろう。もちろん、仏教教団は、出家の教団と在家の教団という二重構造から出来あがっているので、在家の教団における、在家信者のあり様が示されたことは云うまでもないのであるが、中でも、もっとも基本的な、在家の信者に求められたものは、まず第一に三宝に対する帰依であった。仏・法・サンガに対する尊敬と帰依が無ければ仏教信者とは言えないから、まずこれが第一義的な重要な要件であった。
 次いで、重要な要件は戒を守ることであった。これが五戒である。人の命をあやめない、人のものを盗まない、邪な性関係を結ばない、嘘をつかない、酒を飲まない(不殺生、不偸盗、不妄語、不邪淫、不飲酒)の五つである。この戒は、基本的な徳目とされたが、実際には、在家の生活の中では、時には守れないものもあるとの認識もあったと思われ、五戒の内のどれかを受けるだけでも良い、との「分戒」の考え方が存在した。確かに、頭の中ではわかっていても実際に遵守実行できないこともあるのが人間の性であろうから、それに則ったものかも知れない。釈尊が、『律蔵』「大品」の中で分析してみせたように、人間は感性的な執着を喜びとする存在であるとすれば、五戒すら守ることは容易ではあるまい。まさしくそのような、人間の本性的な部分に関連するものが含まれているのである。 また、人間を、遙か過去からの様々な歴史的背景を持って生まれてきた存在であるとも、釈尊は位置づけた。釈尊は、このような人間をさまざまな行為の熟した結果としての存在(業熟体)として認識したのである。そこには、様々な個性を内含した、一人一人異なる人間が存在することになろう。そして、私たち仏教者(自分が本当に仏教者であるのか、日蓮聖人の門下と言えるのか、まったく自信がないが、とりあえずそうであると思うことにして)は、様々な過去を持つ一人一人の個人を対象にして接せざるを得ないのである。
 さらに、人間のありようも、釈尊は次のように分析して見せた。まず全く本能的に欲望にとらわれて生きる人々、欲望の充足に生きる人、これは欲界に存在する人として位置づけられた。次に、人間の身体的なもの、これは今様に言えば正しく物質であろうが、自分の身体の状況や周りの環境、卑近な例で言えば、住居や車や音響機器やらなにやら、すべて五感の対象として認知されるものを示すであろう。このような「もの」に影響されて生活する人々を、色界に存在する人と位置づけた。そして、次なる段階の人として、精神的な世界、即ち概念、思念の世界に居住する人々を無色界に存在する人位置づけた。このような人は「もの」の影響を受けて生活態度が変わるようなことはないが、概念、思想など精神的世界のことに影響されて生存する。いわゆる哲学者や研究者は、この思念の世界の住人、無色界の住人と言っても良いかもしれない。そして、私たち普通の人間は、時と場合によって、この欲界と色界と無色界の三つの世界を往復しながら、人生を過ごしているように思われる。そして、釈尊の目指した境地は、この三界のさらに遙か先を理想として見ていることを忘れてはならない。
     三、仏教の教理「縁起」から家庭を見る
 次に、仏教の教理的な立場から家庭を考えてみよう。まず、この時、念頭に置く教理とは、まさしく「縁起」思想である。この縁起の基本的意味は、条件によって成立する、という意味である。初期仏教の時代には、この縁起は、まさしく人間の苦しみの生起する原因を説明するために使用された。無明(根本的な無知)や渇愛(激しい欲望)をその根元に置き、それがあるとき、次の存在である潜勢力(行)があり、順次様々な要素が挙げられ、最後にこの苦しみが存在するのだ、というように分析された。いわゆる無明、行、識、名色、六入、触、受、愛、取、有、生、老死という十二因縁が教説として整備された。この「先の条件によって次のものがある」との「ありよう」が縁起という語で示されたのである。
 この縁起の考え方はやがて、時代の経過とともに拡大適用されるようになった。人間の苦しみの原因だけではなく、もろもろの存在のありようを示す原理として適用されることになったのである。即ち、「条件がある時に、あるものが存在する」のであるというようになった。そして、そのようなあり様をしているものは、実体として存在していない、即ち「空」なる存在であると示された。これは、『般若経』を嚆矢とする大乗経典の重要な主張でもある。この次元に至ると、「空」と「縁起」とは、一つのありようの、表裏の表現であると言っても良いと考えられる。
 ところで、この「空」とは、実体を否定するものであるが、だからといって全て何も存在しない、と言っているのではないことに注意したい。たとえば、体・相・用という三つの観点から考えてみよう。体とは本体のこと、確かに「空」によって、本体としての実体は否定される。また相とはすがたのこと、相は、仮に現れたものになる。そして、用とは「はたらき」のことであり、この「はたらき」は厳然として存在するのである。
 ときおり「空」を強調して実体を否定する余り、その「はたらき」の部分まで捨象されてしまうが、これはいきすぎではないかと考えている。実体としては存在しないが、「はたらき」は存在する。つまり「はたらき」を持つという点からみれば、その存在は否定されていない。「はたらき」とは「作用」とも置き換えても良く、それはエネルギー的なものであろうが、そのエネルギー的な存在までもは、否定されていないように考えられるのである。大局から見てこれを別の言葉で言い換えれば、人間に対するまさしく久遠の仏の「はたらき」として表現しても良いように思われる。
 このような観点から見直してみよう。そうすれば、家庭という実体は存在しないが、そこには必ず家庭としての「はたらき」が存在していることになる。ではその「はたらき」とは何であろうか。業熟体としての人間が、様々にぶつかり合い、人としてのあり様を築いていくことが、「はたらき」であると筆者は考えている。そこには、子、父母、祖父、祖母と、様々な条件が揃って形成される、まさしく社会の最小の単位としての家庭が存在する。ここに至り、家庭は、人間の価値基準の基礎を築き上げていく「はたらき」を有する重要な場として位置づけることができる。
 では、様々な相違を持った業熟体である人間から構成される家庭を、日本の仏教者たちはどのように捉えてきたのであろうか。また何を大切であると主張してきたのであろうか。日蓮聖人のお言葉のみにこだわらず、何人かの代表的な仏教者を取り上げて、その理解を次に抽出してみよう。
     四、日本の仏教者の理解
  1 日蓮聖人の場合
 まず、鎌倉新仏教の担い手の一人であった日蓮聖人(一二二二〜一二八二)の場合を考えてみよう。周知の如く、日蓮聖人は、在家の信者の方々に多くの手紙を書き、また多くの論をも書いているが、それらが今に現存している。そのような意味では、真宗の祖となる親鸞上人にも共通の傾向が見て取れる。さて、その日蓮聖人の御書の『開目抄』の冒頭部分の一節である。
  夫れ一切衆生の尊敬すべき者、三つあり。所謂主・師・親これなり。又、習学すべき物、三つあり。所謂儒・外・内これなり。(昭和定本 五三五頁)
全ての生きとし生けるものにとって尊敬すべきものが三つあるとして、主人、先生、親を挙げているのである。ここに親が登場するのであるが、親がいる場こそ家庭に他ならない。このような視点で考えるとき、日蓮聖人にとって、家庭の場こそ、この世の中において他者への敬いを養う場の一つとして重要視されていると言えるのではないだろうか。
 また、日蓮聖人の場合には、家庭における親への思いが時に切実に語られることがある。一例を挙げよう。日蓮聖人は既に身延に移り、師弟の教育に余念がなかった晩年の頃のことである。おりしも故郷の安房より、海苔が届いた。その返事である『新尼御前御返事』の一節である。
  故郷のこと、はるかに思いわすれて候つるに、今、此のあまのりを見候て、よしなき心をもひいでて、憂くつらし。かたうみ・いちかは・こみなとの礒のほとりにて昔見しあまのりなり。色形あぢわいもかはらず。など我父母をかはらせ給ひけんと、かたちがへなるうらめしさ、なみだおさへがたし。(昭和定本 八六五頁)
送っていただいた故郷の海苔に、既にこの世にいない父母のことを思いだし、見当違いの恨めしさに涙が抑えがたかったと述べているのである。このように見てみると、日蓮聖人の父母への思念は非常に深い。まさしく『開目抄』に述べたように、此の世の中の尊敬すべきものの一つとして、念頭にあったに相違ない。そうして、そのような尊敬に足る親でなければならないことも一方で主張される。では、尊敬に値する親とはどのようなものであろうか。男親、女親の関係からみれば、その関係を考えさせるのに役に立つと思われる、興味深い一節が『富木尼御前御書』に見える。次のような一節である。
  やのはしる事は弓のちから、くものゆくことはりう(竜)のちから、おとこのしわざは女のちからなり。
(昭和定本 一一四七頁)    
家庭における夫婦の関係からすれば、支えになっている女性の姿が彷彿としてくるのである。そこには男性優位の意識が若干見え隠れしないでもない。家庭において支えの役割を果たす妻の重要性が意識され、そして夫と共に家庭を作り上げている妻の姿が、子にとってはまさしく尊敬に値する二親なのであろう。ただし、どちらか一方のみが必ず前面にでるようにすべきであるとの意識も見えている。『報恩抄』の次の一節も興味深い。
  各各我も我もといへども国主は但一人なり。二人となれば国土おだやかならず。家に二の主あれば其家必ずやぶる。(昭和定本 一一九四頁)
どちらか一方が上に立つようにすべきだと見ているところがある。家庭における尊敬すべきもの、親、そしてそのどちらかが(多くは父親であろう)上位に立ち、家庭を切り盛りしている姿に、理想を見いだしているようである。これは、正しく現代の多くの家庭が失いつつある「秩序観・権威性」のことではないだろうか。
 また次の記述も昨今薄れつつあるものを表現しているのではないだろうか。『四恩抄』の一節であり、『大乗本生心地観経』の四恩を説明している箇所である。
  仏法を習う身には必ず四恩を報ずべきに歟。四恩とは心地観経に云く、一には一切衆生の恩(中略)二には父母の恩、六道に生を受けるには必ず父母有り。其中に或いは殺盗、悪律儀、謗法の家に生まれぬれば、我と其科を犯さざれども其業を成就す。然に今生の父母は我を生て法華経を信ずる身となせり。梵天・帝釈・四大天王・転輪聖王の家に生て、三界四天をゆづられて人天四衆に恭敬せられんよりも、恩重きは今の某が父母か。
(昭和定本 二三八頁)     
日蓮聖人の仏法の中では「恩」が大きなウエートを占めているように思われる。その受けている恩を知りその恩に報いることの重要性が意識されている。この「知恩報恩」は本生譚の中に頻出する語であるが、人間としての重要な徳目として位置づけられているのである。
  2 親鸞上人の場合
 では、次に、同時代の親鸞上人(一一七三〜一二六二)は、家庭、家をどのようなものとして見ていたのだろうか。検討してみよう。親鸞上人は、非僧非俗(僧でもなければ俗人でもない)という立場を主張した特異な仏教者である。彼の著作の中には、家庭について直接に言及した部分は見いだしがたい。しかし、彼の主著である『教行信証』の引用分の中に、興味深い引用記事が見える。「行の巻」の『十住毘婆沙論』の一節を引用する箇所である。
  『十住毘婆沙論』(入初地品)にいはく、「ある人のいはく、〈般舟三昧および大悲を諸仏の家と名づく。この二法よりもろもろの如来を生ず〉と。このなかに般舟三昧を父とす、また大悲を母とす。また次に般舟三昧はこれ父なり、無生法忍はこれ母なり。『助菩提』のなかに説くがごとし。〈般舟三昧の父、大悲無生の母、一切のもろもろの如来、この二法より生ず〉と。家に過咎なければ家清浄なり。ゆゑに清浄とは六波羅蜜・四功徳処なり。方便・般若波羅蜜は善慧なり。般舟三昧・大悲・諸忍、この諸法清浄にして過あることなし。ゆゑに家清浄と名づく。この菩薩、この諸法をもつて家とするがゆゑに、過咎あることなし。世間道を転じて出世上道に入るものなり。世間道をすなはちこれ凡夫所行の道と名づく。転じて休息と名づく。凡夫道は究竟して涅槃に至ることあたはず、つねに生死に往来す。これを凡夫道と名づく。出世間は、この道によりて三界を出づることを得るがゆゑに、出世間道と名づく。上は妙なるがゆゑに名づけて上とす。入はまさしく道を行ずるがゆゑに名づけて入とす。この心をもつて初地に入るを歓喜地と名づくと。(『浄土真宗聖典』一四六〜一四七頁)
「家」という語に着目して拾い上げてみたが、この引用の記述の中では、「家に過咎なければ家清浄なり。ゆゑに清浄とは六波羅蜜・四功徳処なり。方便・般若波羅蜜は善慧なり。般舟三昧・大悲・諸忍、この諸法清浄にして過あることなし。ゆゑに家清浄と名づく」との一節が着目される。家に過ちが無ければ、家は清浄であるというのである。そして、具体的には六波羅蜜や四功徳が取り上げられている。これは、実際の家庭に於いても、これらの徳目が実践されれば、その家は清浄であるということに発展することは容易であろう。 家庭を清浄に保つためにはどうしたらよいか。それは大乗の徳目を実践すればよいとの答えが出てくる。家庭は、そのような徳目を実際に実践する場としても重要なのである。 また親鸞上人の残した『御消息』の中にも注目される記事が見える。
  また、親となり、子となるも、先世のちぎりと申し候へば、たのもしくおぼしめさるべく候なり。このあはれさたふとさ、申しつくしがたく候へばとどめ候ひぬ。(『浄土真宗聖典』 七六七頁)
親子として生まれることを前世のちぎりと考え、そこに「あはれさ」「尊さ」を見いだしているのである。それを「たのもしくおぼしめさるべく候なり」(たのもしくお思いになられるのが宜しいでしょう)と述べているのである。ここに親鸞上人が家庭をどのように考えていたのかを推測させるものを見いだすことができる。即ち、宿縁のなせる業として避けることができないことに対する悲哀感と、そのように親子として生まれたことに対する尊さとを、双方ともに表現しているのである。それを「たのもしく」と積極的に肯定するところに、親鸞上人の家庭に対する思いを見いだすことができる。親鸞上人は、そのような家庭の場に置いて、阿弥陀仏から頂いた信心をもとに、念仏することの重要性を説いていたことはいうまでもない。
    3 叡尊上人の場合
 また、次の人物も注目されて良い。鎌倉時代、南都の仏教の復興者の一人である叡尊上人(一二〇一〜一二九〇)である。叡尊上人は、戒律の復興につとめ、その生涯は興法利生に捧げられたと言われる。因みに、日蓮聖人の法敵としてしばしば登場する極楽寺良観房忍性(一二一七〜一三〇三)は、彼の弟子とされている人物である。叡尊上人の伝記は、自ら記した伝である『金剛仏子叡尊感身学正記』に詳しい。またその言行を伝える、弟子の記した『興正菩薩御教誡聴聞集』(以下、『聴聞集』)なる著作が残っている。しかし、叡尊上人は如法の僧伽の復興を強く念願した人物であり、また門侶集団の構成員に、五戒を守る構成員として近事と呼ばれる在家の男女、八斎戒を長期的に守る構成員として近住と呼ばれる在家の男女(八斎戒とは、沙弥の十戒と内容的には同じで、ただ斎戒が強調されたもの)、剃髪をして形だけは沙弥と同じという形同沙弥の男女、十戒を守り法の上でも沙弥と同じ法同沙弥の男女、など全く新しい構成員の階層を作り出していた(このような構成員は中世南都の律宗の集団に共通してみられる)。ところが、叡尊上人自身は、在家の家庭についてはあまり言及をしていない。但し彼が在家をどのように考えていたのかを示す記事は『聴聞集』に見えている。そこでそこから類推して、叡尊上人が家庭をどのように捉えていたのかを考えてみよう。
  出家セントテ来タル人ニハ、「唯在家ニテ五戒十重ナンド能ク持テ菩提心ヲ発シテワシマセ、実ニ菩提心ヲ発ス在家ニ居テ人ヲナヲサウハ、出家シタランニハマサリナン」ト申事ノ候ハ、実事ハイカニヨイモノト申トモ、在家ニ居タラバ下品ノ出家ニハオトランズレドモ、何サマニモ叶マジキ間、加様ニ申候。又サ申セドモ、ゲニ思切リタル人ハサ申ニハヨラヌ間、常ニ在家ノ菩薩ヲホムル事ノ候ハ此意ニテ候。
        (『鎌倉旧仏教』日本思想大系 岩波書店 二一七〜二一八頁)
出家をしようとやって来た人に、在家にあって五戒や十重戒を保って菩提心を持って生活するのがよい、と薦めるが、実は在家にあっては下品の出家にも劣るものである、本当に心から出家したいと堅く思い切って来た人にはそうは言わない、在家の菩薩をほめるのはそういう訳なのだ、と述べている。この記述が参考になろう。叡尊上人は在家の家庭の存在を、やはり出家の世界から眺めて劣ったものとして位置づけているのである。これは、伝統的出家主義に基づいた叡尊上人にしてみれば、至極当然の帰結であったろう。
 さて、家庭でのあり方は、ここに示された「在家菩薩」という記事が類推の糸口になろう。叡尊上人は、「在家の菩薩」を推奨し、その具体的なありようとして、「五戒、十重戒を持つ」ことを求めている。即ち持戒の生活を推奨しているのである。
 また叡尊上人の記事として、着目されるものは「他者への尊敬の心」であろう。『聴聞集』「人を恭敬すべき事」を見てみよう。
  一切衆生ハ皆同一仏性ナリ、何ノ差別カアラン。我ハ出家也、彼は在家也、我ハ比丘也、彼ハ沙彌也トテ、恭敬セザル事、慢ノ至、尤モ慎ムベキ事也。劣弱ノ心ヲモテ、何ゾ慢センヤ。サレバ某ハ、内心ニハ殊更に世ヲ畏レ人ヲ恭敬シ候也。(『鎌倉旧仏教』日本思想大系 岩波書店 二一二頁)
ここの箇所では「人を恭敬」することの重要性を説いている。その根底に横たわるのは、「一切の衆生は皆同一仏性なり、何の差別かあらん」との考え方である。この考え方は、『涅槃経』の「一切衆生、悉有仏性」の思想から一歩進めたものと推測される。即ち衆生を全て同質の仏性そのものであると捉え、差別の無いことを説き、尊敬すべきことを説いているのである。ここには、道元上人の「悉有は仏性なり」と読み替えた意識と共通するものを見て取ることができ、また『法華経』常不軽菩薩品の、常に相手を軽んぜず尊敬するという、常不軽菩薩の意識をかいま見ることができる。
 叡尊上人は、一般に、唯識の影響を濃厚に受けた人物と考えられているが、そこには衆生に区別を設けた五姓各別説の片鱗は、ほとんど感じられない。中世の唯識法相の学僧である貞慶上人や良遍上人も、その思想的な立場は一乗の立場に立っていたと言われる。叡尊上人もまさしく一乗の立場に立って発想していることが知られる。この背景には、恐らくは、平安末期から盛んになり始めた日中間の僧侶の交渉によりもたらされた、中国宋代の融合的、総合的仏教の影響が考えられる。
 では、家庭の問題に戻ってみよう。仏性に基づく、叡尊上人の他者への尊敬の主張は、在家における人々にも通用したはずである。即ち家庭における「他者への尊敬」を主張したことは間違いないであろう。家庭の中における構成員のお互いの尊敬から、家庭外の人々への尊敬の念が育つのではないだろうか。即ち家庭内に於ける尊敬の念が有ってこそ始めて外の世界に対する尊敬が可能であろうと思うのである。
  4 慈雲尊者の場合
 最後に江戸時代の学僧である慈雲尊者飲光(一七一八〜一八〇四)の理解を見てみよう。慈雲尊者は、戒律の復興に尽力し、正法律と言われる運動を起こした人物である。江戸幕府が安定してくるのに伴い、社会には自律的な風潮が求められたというが、そのような雰囲気の中で仏教界も自律的な傾向を強調するようになったと考えられる。そして、慈雲尊者もそのような時代の流れの上にあるのであろう、在家のものたちに十善戒を守ることを勧めたのである。
 十善戒とは、身体の行為に関し、不殺生、不偸盗、不邪淫を言い、口の行為に関し、不妄語、不悪口、不両舌、不綺語を定め、心の行為に関し、無貪、無瞋、正見を定めた、合計十個の守るべき徳目である。この十善戒は、大乗仏教の重要な徳目としても名高いものであるが、彼はこの十善戒に着目した。
 さて、慈雲尊者は、『十善法語』の作者としても名高い。彼の在家の信者に対する教説の中心は、この十善戒にあったとみえ、本書をもとに『人となる道』(初編)、『人となる道』(第二編)、『人登奈留道』(第三編 神道)の三著を製作している。これらの著作をもとに彼の家庭に対する考えを推測してみたい。さて、『人となる道』(第一編)の文頭に記される言葉を引用してみよう。
  人となる道この人と共に云べし。このみちを全して天命にも達すべく、仏道にも入べきなり。十善あり。世間出世間にをし通じて大灯明となる。(『慈雲尊者法語 人となる道』三密堂書店 一頁)
慈雲尊者は、人となる道を十善に置き、世間出世間(出家者と在家者)の双方に通じて導きとなるものだと主張するのである。この部分は門人達の記した『人登奈留道随行記』においては、次のように解説されている。
  人となる道とは、むかしより人間にして人間の分斉をうしなふ者おほし。大聖仏世尊この世に出現し玉ひて、この人をして人たらしむ。是を人となる道と名づく。凡そ仏法は主として生死出離の深義を説ども、初門はこの人となる道なり。若し深密の義によらば、此人間世界も仏浄土に異ならぬなり。
         (『慈雲尊者法語 人となる道』 三密堂書店 二四頁)
慈雲尊者は、「家」という概念こそ用いていないが、仏法の初門として考えていたものは、まさしく家庭における人間のありように他ならない。家庭という場において「人となる」ことをもっとも肝要なることと考え、その実現の手段として十善戒の実践を説き勧めていたと捉えることができる。人となる道の実践の場として世間があり、具体的には家庭があると考えていたのであろう。
     五、教化の内容
 では最後に仏教者にとって、実際の檀信徒に対する教化とは何か、という視点から、私見を述べさせていただきたい。今、私たちに求められているのは、良質な価値観であるように思う。ここで、最初の部分で触れた三界の人間存在の在り用を再び想起していただきたい。私たちは、常に三界を行き来している存在なのである。その時々に応じて自らの在り様が変化しているのであり、時には概念の世界が私たちを支配するときがある。しかし日常のレベルとは、おそらくは欲求と物質的なものに支配されている時であり、この時が実際には一番切実な時なのではないだろうか。概念や思惟のみで時間を過ごしている時には、他者の存在は持ち込まれず、他者に危害を及ぼすことはあるまい。しかし、日常のレベルではそうはいかない。正しく一人一人の、過去を内在させた業熟体としての個人がぶつかり合っているのである。
 このような衝突を生じる可能性のある日常のレベルに於いて、いわば概念としての教理や教学は、ほとんど実質的な効果を発揮しないのではないだろうか。たとえば日蓮聖人の教学も、先師が如何に鎌倉時代という時代的限定の中で仏教をどのように消化し理解し位置づけたのかを示すものであって、日常のレベルでの規範とは質的に相違する部分が存在するということを認識しておかなければならないであろう。
 しかし、重要なことには、人間は概念や思惟のレベルから日常の行動が規制されることも、確かな事実であるということである。そのような場合、その概念や思惟は正しくその人の行動の原理とも言うべき思想であり、価値観となっていると位置づけることができる。そして、正しく私たち仏教者は、人間の行動規範となるべき種類の、価値や概念や道徳規範に於いて他者と関わることが、第一義ではないかと思うのである。しかも、実際には、それは言葉で表現することも伝達の一つの手段ではあり得ようが、実際にはその人の在りよう、即ち後ろ姿ともいうべき行動を通じて、より具体的に他者に伝わっていくものなのではないだろうか。そして、その契機となる手段として、加持祈祷から様々なものまでが存在しているのであろうと思われる。
     おわりに
 日本の仏教者の中から数人の例を取り上げ、その中の誰もが家庭における人としての「ありよう」を正すことを真摯に主張していたことを指摘した。そして、その「ありよう」として具体的に提示されていたものは、自らの身を律することであり、また他者への尊敬の思いを築くことであり、恩を知り恩に報いることであったのではないかとも指摘した。これらの徳目はいわゆる道徳的な価値観ともいえようが、人類に馴染みの深い宗教が等しく提供する一側面であると思われる。そして、冒頭に述べた如くに、家庭は社会の最小単位でありそれを身につけていく、まさしく「宗教」を学び実践する、基本的な場であると思うのである。そして社会を構成するのが一人一人の人間であるとするなら、その一人一人の基本的価値観を形成する「学びの場」は、非常に大切な場ではないだろうか。
 家庭の中に宗教が生き、人としての「ありよう」が提示されている時にこそ、その上の次元の社会が安定するのではないかと筆者は考えている。特に日蓮聖人は、その社会の次元にまで視点をもち、その社会の次元から逆に個人を見るといったことまで視野に入れることのできた宗教者であったのではないかと思っている。そのような意味で、筆者は先師の心を師としたいと考えている。「教化」の内容は、日蓮聖人が示した人間としての生き方、価値観なのであると思うのである。
 いずれにしろ、家庭における宗教の役割の重要性を再認識する必要性があると思われる。また家庭という場において「宗教」の学びが困難であるとするならば、その役割を寺院が、あるいは地域社会が積極的に担うべきではないだろうか。それすらも不可能であるとするならば、イギリスなど諸外国のように公的教育の中で幅広く宗教を学ぶようにせざるを得ないであろう。
 人は、寺院の法会や唱導や説法の場に於いて、あるいは家庭という場に於いて、人間として何を大切にしなければならないのかを学んできたのである。今日は、過去から伝えられてきた宗教的な「価値観」が、即ち自らを律することや他者への尊敬の念を学ぶことなどが、次の世代に伝わり難くなっている時代である。このような時にこそ、目には見えない「仏の働き」を仏教者が自らの身に体現し、他者に示すことで、先に述べたような宗教的な「価値観」が伝わっていくのではないかと思う。ここに仏教の再生が図られ、また宗門の発展が図られるのではないかと念願して、「教化」に関して寄せたこの小論を終えることとしたい。

※本論は、『平和と宗教』(No.16、一九九七)に述べた小論を元に、述べきれなかったことを加えて纏め直したものである。

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