日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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所報第32号:245頁〜 研究ノート ←前次→

  天台大師の病気の治療法、二つの基礎概念について
   ―『摩訶止観』を中心として―

影山教俊
(現代宗教研究所研究員)
     プロローグ
 周知のように仏教という宗教は、その起源として釈尊の無上正覚(anuttra-samyak-sambodhi、阿耨多羅三藐三菩提)という宗教体験の事実、その解脱知見(vimukti-jnana-darsana)による抜苦与楽の救いという心理体験の事実が前提になっております。そして、その救いという心理体験は、修行という身体的な技法によって導かれておりますが、この修行という身体的な技法によって導かれるものは、果たして救いという心理体験だけなのかと考えることがあります。
 ところで、現代の日本社会は高齢化が進み、それに伴いふくれ上がった保健医療費は国家財政を圧迫し始めおります。日本厚生省はその改善策として、健康の維持と管理に重点を置いた医療制度改革案の中に、和漢の漢方医学を始め、アーユルヴェーダ医学と呼ばれるインド医学などを取り入れて、発病する以前の病気、未病を克服するするための制度が討議されております(1)
 そして、この未病を克服するためのアーユルヴェーダ医学の源泉が、一般的には救いという心理体験を誘導する宗教と思われている仏教教団の、それも初期のインド仏教僧院の医療施設で蓄積され、現代のインド医学、アーユルヴェーダの基礎医学書である『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』の編纂へと発展し、身体的な病気の癒しをも行っていた事実を皆さんはご存知でしょうか。
 その事実は現存する律藏文献の、とくにその毘奈耶薬事に相応する部分に病気の治療に関わる記述が多く見られ、その中には今まの私たちが知っている耆婆(ジーバカ、Jivaka Komarabhacca)の癒しというような伝説的な仏教説話ばかりではなく、例えばマガダ国のセーニャ・ビンビサーラ王の痔瘻(Paribhagandala、skt.bhagandara)を膏薬(塗薬)によって治癒させたことなど、多くの具体的な事実が上げられております。そして、その治療方法のほとんどが上述した『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』に見られるといいます2(2)
 また、このような身体的な病気の癒しは、インド仏教ばかりではなく、中国仏教、とくに中国天台の文献などにも、修行による救いという心理体験ばかりではなく、身体的な病気を癒した事例が多く伝えております。
例えば
○『天台智者大師別伝3(3)』には、
・智大師の長兄・陳鍼に死期が迫ったとき、大師は方等懺法の修行を指導し、十五年もの間寿命を延ばしたこと。
・陳朝の文官蒋添文や、呉明徹の当時不治といわれた脚気(脚屏)を息法(呼吸療法)によって癒したこと。
○『摩訶止観』第七章「正修止観」第三節「観病患4(4)
陳朝の文官蒋添文や、呉明徹に加えて、五兵尚書の毛喜の病を止法(精神集中療法)によって癒したこと。
○『止観輔行伝弘決』第八巻之二5(5)
大師の師匠である南岳慧思禅師が、脚気(腫満病)を観心行(イメージ療法)によって癒したこと。
○また近くは宗祖ご自身のお言葉として、
日蓮聖人五十四才、真蹟遺文の『可延定業書6(6)』には、
お母様を祈りによって、現身の病を癒したばかりではなく四年間も延命させたこと。
 このような事例が多く散見することができ、そこには仏教という宗教の在り方、修行や祈りのシステムそのもが、その起源から悟りという救いの心理体験を誘導するためばかりではなく、身体的な病気の癒しをも誘導するための修行方法を前提としていることが理解できます。
 ですから、仏教という宗教がもっている身体観、つまり、当時の宗教者がどの様に身体の在り方を考え、どの様にその病気を捉えていたかということが、適正に考察されなければ、「悟りという救いの心理体験や、身体的な病気の癒し」という宗教の機能的な側面が理解できないと思われます。
 よってこの小論では、これらを考察するための身体観の基礎概念について、その分類を試みたいと思います。
     一、第一の身体観――陰陽五行説に支えられた気の生理学による身体観
 ところで、この数年間このように宗教のもつ機能的な側面を理解するキーワード――身体観を明らかにするため、『摩訶止観』第七章の「観病患境」を中心に考察を進めた結果、第一の身体観は陰陽五行説に支えられた気の生理学による身体観であり、これは第四十六回、第四十七回の教学発表大会などを通じて述べてまいりました7(7)
    1(1)天台止観に見られる「観病患境」の比較
 ここでこの結果をごく簡単に要約いたします。まず次の〈資料1〉をご覧下さい。

 資料1〈『摩訶止観』「観病患境」と中心とした比較〉
  T『摩訶止観』第七章「正修止観」第三節「観病患境」
  @『天台小止観』(修習止観坐禅法要)第九章「治患病」
  A『六妙法門』第四章「対治六妙門」
  B『禅門修証』(釈禅波羅密次第法門)第六章「分別禅波羅蜜前方便」第四節「明治病方法」
  U『禅門口訣』

  〈対照表〉
   @『摩訶止観』  A『天台小止観』  B『六妙法門』  C『禅門修証』  D『禅門口訣』
  E「病患の様相」            *三業の論述のみ
   (大正四六ー一〇六A) (大正四六ー四七一C) (大正四六ー五五一A) (大正四六ー五〇五B) (大正四六ー五八一A)
   V四大を知る      ○四百四病あり   ×         ○四百四病あり   ○
   @五臓の病相      ○         ×         ○         ×
   A六神の病相      ○         ×         ○         ×
  「病相の原因」
   (大正四六ー一〇七A) (大正四六ー四七一C) (大正四六ー五五一A) (大正四六ー五〇五B) (大正四六ー五八二A)
   四大不順(外因)   ○         ×         ○         ○
   B飲食の不節制(外因) ○         ×         ○         ○
   C坐禅の不調(内因)  ○         ×         ○         △不調息
   D鬼神の便り(鬼病)  ○         ×         ○         ○
   E魔による(Bhuta-vidya)○         ×         ○         ○
   F業による(Karma-hetuka)○         ×         ○         ○
  W「治病の方法」
   (大正四六ー一〇八A) (大正四六ー四七一C) (大正四六ー五五一B) (大正四六ー五〇六A) (大正四六ー五八二B)
   X止の方法       ○         ○         ○         ×
   「皇帝の秘法にいうが如く」
   (大正四六ー一〇八B)
   (2)気の方法       ○         △六種気なし    ○         ×
   (吹呼V呵嘘(8)の六種気)
   (9)息の方法       ○         △十二依息なし   ○         ○
   仮想の方法      ○         ○         ○         ×
   (10)観心の方法      ○         ○         ○         ×
   (3)方術の方法      ○         ○         ○         ×
   T補足として      ○         ○         ○         ×
  A「損益を明かす」    ○         △十法は欠、菩薩願行あり   ○         ×
   (大正四六ー一〇九C) (大正四六ー四七二B) (大正四六ー五五一C) (大正四六ー五〇六B)
  B「十乗観法を修す」
   (大正四六ー一一〇A)    ×        ×        ×        ×
 
 この資料は天台止観に見られる身体観を理解する基礎的な方法として、最も晩年の撰述であり大部の『摩訶止観』から、病気(病患)という身体性に直接関わる部分を抽出し、それを『天台小止観』『六妙法門』『禅門修証』『禅門口訣』など四種の修行論の病気(病患)に関わる部分と比較対照したものです。またこれは天台大師のおよそ三十才代から六十才にわたる文献の比較でもあります。
 そして、これから考察されたことは、天台大師の身体観には青年時代からある程度一貫したものがあり、それが晩年の『摩訶止観』にいたって集大成されたことであります。
    2U『黄帝内経』など古代中国医学の変遷
 また、これを踏まえて第三節「観病患境」を詳細に読み進むと、D「治病の方法」に相応する部分に「皇帝の秘法にいうが如く8E」と示される一節があり、それに続いて当時の医学的な知見の基準となる陰陽五行説を用いた論述が見られました。
 これによってこの「皇帝の秘法」が、春秋戦国時代の末期(紀元前三二〇〜二五〇)、秦代から漢代にかけて集大成され、シャーマンなど呪術的医療を排し、当時の科学的医学書といえる陰陽五行説に立脚した『黄帝内経』(『素問』『霊枢9V』)であることが理解できた。
 そして、その後この『黄帝内経』(『素問』『霊枢』)は発展継承され、医学史的には中国文化の発展期に、儒家、道家などの学派の勃興と関わりながら、二世紀末成立『黄帝八十一難経』、三世紀初頭後漢の張仲景著『寒傷論』『金匱要略方』『金匱玉函経』、その後継である両晋の王叔和(二二〇年〜三一六年)著『脈経』、また道教系の葛洪(二八三年〜三六三年)著『抱朴子』『肘後備急方』『金匱薬方』、その後継である陶弘景(四五二年〜五三六年)著『肘後百一方』『神農本草経』などの科学的な医学書が編纂され、また漢代滅亡後の約三百七十年間(六朝時代)の戦乱を終えた隋時代(五八九〜六一七年)には巣元方著『病源候論』(六一九年)など、唐の時代には孫思@著『備急千金要方』『千金翼方』(六五〇年〜六五八年)など、国家事業として多くの医学書が編纂された10A。
    3〈資料1〉を『黄帝内経』等の医学的な基礎概念:陰陽五行説と比較する
 では上述した当時の医学的な知見の基準となる陰陽五行説に支えられた気の生理学から、〈資料1〉を整理しますと〈資料1―1〉のようになります。

 資料1―1〈第一の身体観――陰陽五行説に支えられた気の生理学による身体観〉
   『摩訶止観』  E『天台小止観』  T『六妙法門』  @『禅門修証』  (11)『禅門口訣』
  (12)「病患の様相」            *三業の論述のみ
   (13)五臓の病相       ○         ×        ○        ×
   T六神の病相       ○         ×        ○        ×
  A「病相の原因」
   (14)魔による(Bhuta-vidya) ○         ×        ○        ○
   A業による(Karma-hetuka) ○         ×        ○        ○
  「治病の方法」
   (15)止の方法        ○         ○        ○        ×
  「皇帝の秘法にいうが如く」
  (大正四六ー一〇八B)
   (16)気の方法        ○         △六種気なし   ○        ×
  (吹呼呵嘘(17)の六種気)
   U方術の方法       ○         ○        ○        ×
  
 この分類整理によって、第一の身体観は、陰陽五行に支えられた気の生理学による身体観であることが予想できました。
 さらにこの資料を『摩訶止観』の原文を補足しながら、解説して行きますと次のようになりました。
(18)「病患の様相」A11Bでは、
「(医術に善きは巧みに四大を知る。)上医は声を聴き、中医は色を相し、下医は脈を診る。」といい、まず脈診を上げて、脈の洪直は肝(経)の病相、脈の軽浮は心(経)の病相、脈の尖鋭衝刺は肺(経)の病相、脈の連珠は腎(経)の病相、沈重遅緩は脾(経)の病相これらは体治家の説によるという。
 この「上医は声を聴き、中医は色を相し、下医は脈を診る。」は、中国医学を集大成した後漢の張仲景著『金匱要略方』第一章「臓腑・経絡・先後病の脈証」第三節「望診12(19)」の医学的知見に相応している。
 また「脈診を上げて、脈の洪直は肝(経)の病相、脈の軽浮は心(経)の病相、脈の尖鋭衝刺は肺(経)の病相、脈の連珠は腎(経)の病相、沈重遅緩は脾(経)の病相」などは、後漢の張仲景以前、二世紀末までには成立していた『八十一難経』第一章「脈学」第一難〜二十二難13(20)などの医学的知見に相応している。
◆III「病患の様相」(21)五臓よりの病相14@
A五臓よりの病相
A、肝の病相・・・肺が肝を害する病相(呵気をもちいて治す)
B、心の病相・・・腎が心を害する病相(吹・呼をもちいて治す)
C、肺の病相・・・心が肺を害する病相(嘘気をもちいて治す)
D、腎の病相・・・脾が腎を害する病相(気をもちいて治す)
※六神の病相
については、『黄帝内経素問』第九章「六節臓象論」第十章「五臓生成篇15」、また『八十一難経』第三章「臓腑」第三十難〜四十七難16Bなどの医学的知見に相応している。
 とくに六字訣については、後年孫思(22)『急備千金要方17(23)』の医学的知見にその詳細な記述が見られ、道教系医学と天台の深い結びつきがうかがえる。
(24)「病相の原因18(25)
(1)飲食の不節・・・外因によるもの(飲食に節なければよく病をおこす)
B、五行・・・五味を食して五蔵を増損す
※五蔵に妨げあれば、よろしくその損を禁じ、増をくろうべし。
(26)坐禅の不調・・・内因によるもの
E、観が調わず偏僻による病・・・胎(息)に意識を置きすぎるとき、思心(雑念)が起こる、その母を感召す(その雑念に固執する)ことで病が生ずる。母とは色、声、香、味、触の五つがあり、この五つを思うと、一毫の気動じて水となり、水は血となり、血は肉となり、肉は五根五蔵となるからである。
○坐禅の人、思の観が多いと五蔵を損して病となる。
○眼を縁とする
○耳を縁とする
○鼻を縁とする
○舌を縁とする
○身を縁とする
○相尅に就いて
※余の声なども例して知るべし
○五蔵の病は隠密で知りがたいので、坐禅および夢で占え
※例して色にしたがって知るべしなどは、『黄帝内経素問』第四章「金匱真言論」、第五章「陰陽応象大論」などに見られる陰陽五行色体表19による医学的知見に相応し、また王叔和『脈経』第二の五臓の解釈(『王氏脈経』巻三)などの医学的知見に相応している20(27)
(28)「治病の方法21(2)」
(29)止の方法
A、温師曰く、心を繋けて臍のなかに在く。豆の大きさにして心を置く、衣服を弛めて諦了して相を取り(座と姿勢を調え)、目を閉じ、口歯を合わせ、舌を挙げて上顎に向け、気持ちを調恂する。心が外に馳れば、摂して還らす。また、念じても観念できなければ、実際に身体を見てその相貌を意識してから、上述のように実習するべきである。
B、十二の病はみな丹田に止まる。
○丹田は臍下の二寸半にある(『天台小止観』では一寸半という。)
C、足などに意識を集中する
D、皇帝の秘法に示された方法(『黄帝内経』に曰く)
天地の二気が交合して各々に五行がある。金・木・水・火・土の循環である。
(3)気の方法、気を用いて治すとは
A、吹・呼・T・呵・嘘・@の六気(報息)をもちいる。
B、六気が五蔵を治す
C、六気が一蔵を治す
D、呼吸に寄せて
U息の方法
A、色心が関わり合って息がある。樵火あい藉って煙あることたとえる。つまり、煙の清濁を見て樵の燥湿を知り、息の強軟を察して身の健病を験す。身の行風横に起これば、痛痒して病気となるので、暇あっても用心すべし。
B、八触相違の病を治する
C、十二の息を運ぶ(十二の依息によって五蔵の病を治す。)
 以上、ここではとくに皇帝の秘法(『黄帝内経』)の示唆があり、それに続く記述「天地の二気が交合しておのおの五行あり、金・木・水・火・土が循環のごとくなるが故に、金化して水生じ、水流れて木栄え、木動いて火明らかに、火炎あって土貞まる。これすなわち相生なり。火は水を得て光を滅し、水は土に遇って行かず、土は木に値って腫瘡し、木は金に遭って折傷する。金が木を尅するように、肺が実になると肝が虚になる。このとき心を肺に止めて白気を摂取するならば、肝の病は治る。他の四蔵も同じである22@。」などは、『黄帝内経素問』第五章「陰陽応象大論23A」、第六章「陰陽離合論24B」、第七章「陰陽別論25C」などの医学的見地に相応する。
◆以上、このように『摩訶止観』「観病患境」を概観しますと、科学的な医学論として陰陽五行説に支えられた「気」という概念、当時の医療者(医家)たちが用いていた『黄帝内経』などの「気の生理学」と相応する箇所が上げられます。また具体的な相応箇所が見られなくとも、おおよそは『黄帝内経』の諸説などを統合した、当時の病症や治療方針の基準とした「陰陽五行色体表」から理解するならば、この「観病患境」に仏教系の観想法である『阿含経』「治禅病秘要法」七十二法などや、『安般守意経』などの呼吸法を主とする止法などが含まれていたとしても、中国医学に関わる思想が色濃く読み取れます。
 また『黄帝内経』などには具体的に記述されていない按摩法、調気導引法などに関わるものも、七世紀初頭までには編集されていた医学書の『千金要方』などに「呼気法六種」(六字訣)として詳しく記述されていものが、すでに六世紀の撰述された『摩訶止観』や『天台小止観』にも見られることは、当時の医学的な知識としてかなり普及していたことが分かる。
 よって、これらから総合的に理解しますと、『摩訶止観』の「観病患境」に見られる身体観、つまり、天台大師の身体観には、当時の『黄帝内経』などの「気の生理学」、「陰陽五行説」に支えられた「気の生理学」による身体観であると結論づけられるわけであります。
     二、第二の身体観――仏教本来の病因論、四大に支えられた身体観
 ところで、前述のような第一の身体観のほかに、インド仏教から継承してきたと考えられる身体観、地・水・火・風の四大(catur-mahabhuta)による病気の原因とその治療の方法(病因論)が、『摩訶止観』などにはやはり主要概念として扱われております。
    1V四大の基礎概念に支えられた仏教本来と考えられる身体観
 まず天台止観に見られる四大を基礎概念とする病因論を考察するにあたり、インド仏教ではどの様な病因論が機能していたのかを考察してみよう。
 まずそれを解く手懸かりは、七世紀頃のインドのナーランダ大僧院の生活ぶりをつぶさに伝える唐代の訳経三蔵僧義浄の『南海寄帰内法伝26B』にありました。それによると当時のナーランダ僧院では、医方明(cikitsa-vidya)の診療科目として
1. 腫瘍、膿瘍などの治療法(一般外科学)
2. 眼科や耳鼻科の治療法(特殊外科学)
3. 内科全般の治療法(身体療法)
4. 精神病治療(鬼神学)
5. 小児病治療(小兒科学)
6. 解毒剤の投薬療法(毒物学)
7. 長生薬論(不老長生学)
8. 精力増強法(強精学)
の八つが設けられ、広く行われたことが伝えられている。
 そして、その病気の原因と治療の基礎概念の四大に触れて、「四大の不調による病気には、地大の病気・水大の病気・火大の病気・風大の病気」が示され、これらは中国で「沈重、痰C、熱黄、気発と呼ぶ病気である。」といい、さらに「しかしながら通俗的には地大を加えない水大、火大、風大の三大が用いられていた」とも示されております。
 つまり、当時のナーランダの医学は、正しくは四大の基礎概念によって病気の原因と治療を考えており、インド仏教が四大に支えられた身体観を持っていたことが分かります。
 またこの八つの診療科目は、現在のインド医学、アーユル・ヴェーダ医学の基礎聖典であり、六世紀頃までには編纂されたといわれる(岩本裕 一九七二年)『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』の何れにも、この八つの診療科目の記述があり内容的にも一致いたします27D。
 そしてまた、これらの医学書の病因論は共に、水大・火大・風大の三大(tri‐dosa)を基礎概念とする病因論28(30)が述べられており、義浄が伝えた「通俗的には地大を加えない水大・火大・風大が用いられていた」との記述と部分的には一致するため、当時のナーランダでは医学論として、仏教本来の四大を基礎概念とする病因論から、水大・火大・風大の三大を基礎概念とする病因論へと移行する過渡期であり、実際には三大を基礎概念とする医学が機能していたと考えられます。
 これによってインド仏教の医方明(cikitsa-vidya)では、本来は四大を基礎概念とする病因論が機能していたと考えられます。
    2T四大を基礎概念とする病気の原因と治療の方法の理解
 ここで四大を基礎概念とする病因論とは如何なるものなのか、呉天竺沙門竺律炎(二二四年来支)訳と伝えられる『仏医経29T』によって具体的に理解すると次のようになります。
「人の身体には四つの病気の本がある。地大、水大、火大、風大がそれである。風大は気が起きることによって増大し、火大は熱によって増大し、水大は寒によって増大し、そして、地大(土)は力によって盛んになる。この四大によって四つの病気があり、四百四の病気が生起することになる。
 また、それぞれの特徴を示すと地大(土)は身体に属し、水大は口に属し、火大は目に属し、風大は耳に属すことになる。
 もし生命において火大が少なく、水大(寒)が多ければそれは死(目冥)を意味することになる。たとえば春の一、二、三月は寒が多く、夏の四、五、六月は風が多く、秋の七、八、九月は熱が多い。そして、冬の十、十一、十二月は風と寒と両方が含まれることになる。
 何故なら、春に寒が多いのは、萬物がみな生まれようと、寒を出すからである。夏に風が多くなるのは、萬物が榮華し陰陽が和合しダイナミックに活動するためである。秋に熱が多くなるのは、萬物が成熟するためである。冬に風寒が共にあるのは、萬物が死滅し熱が去るためである。
 また、三月四月五月六月七月は、風が多いので身体を放って臥してもよいが、八月九月十月十一月十二月正月二月は寒が多いので身体が萎縮するので臥してはならない。
 そしてまた、春三ヶ月の寒の間は、麦豆などを食べずに、宜しく粳米や醍醐の諸熱物をたべること。夏三ヶ月の風の間は、芋豆麦などを食べずに、宜しく粳米や乳酪を食べること。秋の三ヶ月の熱の間は、粳米や醍醐などを食べずに、宜しく細米、漿蜜稲などを食べること。冬の三ヶ月の風寒の陽と陰が相具交合する間は、宜しく粳胡豆羹、醍醐などを食べること。臥においても食においてもその時期に宜しく随うべきである。」
と具体的に身体と四大の関係、季節と四大の関係、食事と四大の関係が病因論として述べられております。
    3@天台止観に見られる四大
 上述した四大の基礎概念を前提にして、〈資料1〉を整理しますと、〈資料1―2〉のように四大が分類できます。

 資料1―2〈第二の身体観――仏教本来の病因論、四大に支えられた身体観〉
   (31)『摩訶止観』   U『天台小止観』  U『六妙法門』   @『禅門修証』   U『禅門口訣』
  A「病患の様相」             *三業の論述のみ
   U四大を知る       ○四百四病あり   ×         ○四百四病あり   ○
  B「病相の原因」
   V四大不順(外因)    ○         ×         ○         ○
   V飲食の不節制(外因)  ○         ×         ○         ○
   @坐禅の不調(内因)   ○         ×         ○         △不調息
   U鬼神の便り(鬼病)   ○         ×         ○         ○
  B「治病の方法」
   B息の方法        ○         △十二依息なし   ○         ○
   U仮想の方法       ○         ○         ○         ×
   B観心の方法       ○         ○         ○         ×

 ではこの資料を『摩訶止観30T』で補足しながら、解説して行きますと次のようになります。
◆『摩訶止観』のU「病患の様相」では、
V「病患の様相」
No.四大を知るでは、
・四大の増減による病気の状態
・さらに相応して、『天台小止観』と『禅門修証』には四大の乱れによって「一大が不調であるならば、百一の病気があり、四大が不調であるならば、四百四の病気が一時に動く31No.。」と経典の引用がある。
◆また『摩訶止観』のNo.「病相の原因」では、
No.「病相の原因」
No.四大不順(外因)では、
・季節と四大の増減による病気の原因、
・さらに『天台小止観』と『禅門修証』は共に、四大、五臓の増減による病気の原因を示している。
No.さらにNo.「病相の原因」
No.飲食の不節(外因)では、
・身体の状態と季節と食べ物に関わる四大の増減と病気の原因、
・食べ物の四大の性質と病気の関係などが示されている。
No.さらにNo.「病相の原因」
No.坐禅の不調(内因)では、
○瞑想状態が誘導されるときに生ずる心身の変化(八触)では、
・その八触と呼吸法と四大の関係、
・四大を八触と呼吸法に配当した病気の関係
○止(意識集中)と四大の関係、
○観(イメージ)と四大の関係が共に示されている。
◆そして、さらに『摩訶止観』のNo.「治病の方法」には、
No.「治病の方法」
No.止の方法(意識集中)では、
No.さらにNo.「病相の原因」のNo.坐禅の不調で示された
○止(意識集中)と四大の関係から、病気の治療法を示している。例えば、地大の病気で身体が重くなった時には、頭頂部に意識集中をすることで克服できるという。
No.息の方法では、
「病相の原因」の坐禅の不調で示された
・八触と呼吸法と四大の関係、
・四大を八触と呼吸法に配当した病気の関係から、病気の治療法を示している。例えば地大の病気で身体が重くなった時には、呼気を長く引くようにする、出息によって克服できるという。
 以上の◆「病患の様相」◆「病相の原因」◆「治病の方法」から読みとれることは、私たちの生命現象は地・水・火・風の四大の要素が和合し調和して営まれており、もしその一大が不調であれば百一の病が生じ、四大が不調であれば四百四の病気が生ずるという四大の不調和による病気の原因などが述べられており、さらに治療の方法として食べ物と四大、呼吸法と四大、意識集中と四大、イメージと四大の関係が述べられている。
 そして、これらは『摩訶止観』と相応する『天台小止観』『禅門修証』などに、その表現には若干の相違はあるものの、ほぼ共通して病気の原因とその治療の基礎概念(病因論)の四大に支えられた身体観が見られます。
 これによって〈第二の身体観は――仏教本来の病因論、四大に支えられた身体観〉であると結論づけられます。
     三、漢訳仏典に見られる病因論としての四大
 ところで、天台止観に観られる仏教本来の四大を基礎概念とする病因論は、どの様に中国へと伝播したのだろうか。
 ではここで二世紀の後漢の時代から、七世紀末の唐時代かけて翻訳された経蔵、律藏を「四大」というキーワードで検索しますと凡そ十六例が上げられ、翻訳年代順に整理いたしますと〈資料2〉のようになります。

 資料2〈四大が見られる経律群十六の用例〉
   ではここで天台典籍が撰述された前後に翻訳された経蔵、律藏を医事史的な観点から、四大による病因論を眺めると次のようになる。
  ◆後漢安息三蔵安世高(一四八年頃来支)
  『開元釈教録』には安世高は医学に詳しく、とくに望診を得意とし色を見て病気を診断し、薬を処方して必ず治癒させたという(大正五五ー四八一A)。
  『陰持入経』巻上(大正一五ー一七四C)
  「彼の行因縁識を六身識と為す。眼耳鼻舌身心なり。是れを名づけて六身識と為す。彼の識は因縁の名字なり。字は名色と為し四大の色陰と為す。痛想行識是れは名と為す。色は四大の本と為す。謂く地水火風是れなり。」といい、眼耳鼻舌身心を支える六身識、その身体的な拠り所としての色が地水火風の四大を本としているという。
  『道地経』五種成敗章第五(大正一五ー二三二A)
  「仏さまは言われた。行道は五陰の出入成敗を知るべきである。譬えば人の命は死にのそんで呼吸が尽きようとするとき、即ち四百四の病気が前後次第において少しづつ發きるようなものである。」
  と人の生命現象と呼吸の関係、それと並んで四百四種の病気の関係が述べられている。
  ◆後漢天竺三蔵支曜
  『小道地経』(大正一五ー二三六〜二三七A)(1)3
  「身体に四つの病気がある。ある時は地大が多くなり、ある時は水大が多くなり、ある時は火大が多くなり、ある時は風大がおおくなって不健康になる。この不健康な状態を解消するには、身体を安定させ止の方法(精神集中療法)を用いることである。
   精神にも四つの病気がある。一には癡が多いため、二には瞋恚が多いため、三には淫欲が多いため、四には疑念が多いために、それぞれ止の方法が実践できないのである。
   呼吸にも四つの病気がある。ある時は多求息るため、ある時は念多息のため、ある時は歓喜多息のために、ある時は喘多息のために、それぞれ止の方法が実践できずに不健康になっている。修行する人はその実践において、この因縁を離れて定意を得ることである。
   もしも身体に脹腫・疥・瘡・肥は盛んなとき、坐身を欲して不健康である。またある時は食べ過ぎにより火大が起き、ある時は水の飲み過ぎにより水大が起き、身体が重く目が渋り、ある時は多食し已っても食べ足りず節制できずに風大が起きて、それぞれ不健康になっている。何れも少食にすべきである。」
  と具体的に四大と病気の関係が病因論として述べられている。この年代にしては詳細すぎて、後世の偽書と考えられる。
  ◆後漢月支三蔵支婁迦讖(一八七年来支、二二三年〜二五三年)
  『般舟三昧経』(大正一三ー九〇五B)大集経賢護分の三巻本による
  「どんなことを色(身体)の壊敗というのであろう。それは痛痒の意識、生死の魂神を識るところの地水火風である。」
  と意識を支える身体を地水火風の要素として述べている。
  ◆呉天竺沙門竺律炎(二二四年来支)
  『仏医経』(大正十三ー七三七A〜七三七B)
  「人の身体には四つの病気の本がある。地大、水大、火大、風大がそれである。風大は気が起きることによって増大し、火大は熱によって増大し、水大は寒によって増大し、そして、地大(土)は力によって盛んになる。この四大によって四つの病気があり、四百四の病気が生起することになる。
   また、それぞれの特徴を示すと地大(土)は身体に属し、水大は口に属し、火大は目に属し、風大は耳に属すことになる。
   もし生命において火大が少なく、水大(寒)が多ければそれは死(目冥)を意味することになる。たとえば春の一、二、三月は寒が多く、夏の四、五、六月は風が多く、秋の七、八、九月は熱が多い。そして、冬の十、十一、十二月は風と寒と両方が含まれることになる。
   何故なら、春に寒が多いのは、萬物がみな生まれようと、寒を出すからである。夏に風が多くなるのは、萬物が榮華し陰陽が和合しダイナミックに活動するためである。秋に熱が多くなるのは、萬物が成熟するためである。冬に風寒が共にあるのは、萬物が死滅し熱が去るためである。
   また、三月四月五月六月七月は、風が多いので身体を放って臥してもよいが、八月九月十月十一月十二月正月二月は寒が多いので身体が萎縮するので臥してはならない。
   そしてまた、春三ヶ月の寒の間は、麦豆などを食べずに、宜しく粳米や醍醐の諸熱物をたべること。夏三ヶ月の風の間は、芋豆麦などを食べずに、宜しく粳米や乳酪を食べること。秋の三ヶ月の熱の間は、粳米や醍醐などを食べずに、宜しく細米、漿蜜稲などを食べること。冬の三ヶ月の風寒の陽と陰が相具交合する間は、宜しく粳胡豆羹、醍醐などを食べること。臥においても食においてもその時期に宜しく随うべきである。」
  と具体的に身体と四大の関係、季節と四大の関係、食事と四大の関係が病因論として述べられている。
  ◆天竺三蔵竺法護訳(二八四年)
  『本道地経』五陰成敗品第五(大正一五ー一八三C)
  「まさに五陰の出入成敗を知るべきである。譬えば人はその命が終ろうとするとき、寿命が尽きる時が逼ると、その人の身体に中の四百四の病気が前後して少しづつ現れ出てくるのである。」
  と人の生命現象と四百四種の病気の関係が述べられている。
  ◆東晋天竺三蔵仏陀跋陀羅(覚賢、三五九年〜四二九年)
  『修行道地経』
  ○修行方便道升進分第五(大正一五ー三〇五C)
  「真剣に方便を実践するならば、その身体に悉く長養の四大の種が充満する。それは当にに呼吸法によって行われると知るべきである。行者は数息観の力によって寂止善法分を起こし、四大の果報を受けるのである。」
  と四大は数息観の力によって動かされるという。
  ○修行方便勝道決定分第八
  ・(大正一五ー三一一C)
  「身体もまたそのようにあるべきである。智者というものは四大の毒蛇を捨離して、四大の毒に害されないようにすべきである。」
  といい、後半に続けて、
  ・(大正一五ー三一三A)
  「譬えば毒蛇の篋のように、四大の篋(身体)もそのようなものである。その身体の中には八萬の虫がおり、常に競い合って身体を侵食している。そのためにこの身体は災いの入物のように、四百四の病気に悩まされている。」
  といい、身体と四百四の病気の有り様を虫に譬えて、四大を超えたところに本当の癒しを見ている。
  ◆後秦北天竺三蔵弗若多羅、羅什共訳(四〇四年〜四〇九年)
  『十誦律』巻第二(『国訳一切経』律部五ー三三)10
  「病者とは、四大増減して諸々の苦悩を受けるのである。」
  ◆後秦北天竺三蔵仏陀耶舍、竺仏念共訳(四一〇年〜四一二年)11
  『四分律』巻第五十一(前掲 律部四ー一二七一)
  「この身体(身色)は四大が合成して形づくられたものである。この四大による身体が異なるのは、四大の合成(色)が異なるからである。この四大による身体から、心が起きて化作し、身体の諸根肢節の働きが備わるのである。」
  ◆東晋天竺三蔵仏陀跋羅、法賢共訳(四一六年〜四一八年)
  『摩訶僧祇律』
  ○巻第五(前掲 律部八ー一四〇)12
  「身合」とは、地水火風にして、「地」とは、若しは状、若しは褥、若しは壁孔・木孔・竹筒等、若しは一々の堅物に身を触れて出さしめんと欲し、出でんには僧伽婆尸沙なり。「水」とは、諸の流水に逆に身に触れ、酥油等是の如きの諸の湿潤物に身触れて出さしめんと欲するに、出でんには僧伽婆尸沙なり。「火」とは、若しは暖処暖具に於て身触れ、若しは火に向ひ日に向うて出さしめんと欲するに、出でんには僧伽婆尸沙なり。「風」とは、若しは口風、若しは扇風、若しは衣風にして、身に触れて出さしめんと欲するに、僧伽婆尸沙なり。
  ○巻第十(前掲 律部八ー三三三)13
  「病」とは、四百四病あり。風病に百一あり、火病に百一あり、水病に百一あり、雑病に百一あり。若し風病には當に油・脂を用ひて治すべく、熱病には當に酥を用いて治すべく、水病には當に蜜を用いて治すべく、雑病には當に盡く上の三種薬を用いて治すべし。
  ◆北涼三蔵法師曇無(三八五年〜四三三年)
  『金光明経』金光明経除病品第十五(大正一六ー三五一C)14
  「四大の諸根は、衰損し代謝して病気を起こすことを知るべきである。ですから、食事の時節を調節して、食べる時期や、食後に消化の火(身火)が衰えないようにしなければならない。
   そのように風大、火大(熱)などを調節し、また水大の過ぎた肺病や、地大(等分)も調節して、病気を治すことが必要である。
   またいつ頃風大が動き、火大が動き、水大が動いて、衆生を害するか。医方は解説して、三ヶ月ごとに春夏秋冬があり、一年間を四つの時期の分ける。
  この時期に従って食事を調節すれば健康を保てる。
   風大が多くなった者は、夏に風大病が発病する。その夏の熱で火大が増えた者は、秋に火大病が発病する。等分病(地大病)は冬に発病する。その冬に寒さで水大が増えた者は、春に水大病(肺病)を発病して悪化する。
   風大病の者は、夏に肥膩鹹酢などをとり、また熱食がよい。火大病(熱病)の傾向のある者は、秋に冷甜をとり、地大(等分)は冬に、甜酢肥膩をとり、水大病(肺病)の傾向の者は、肥膩辛熱をとるべきである。
   時節をわきまえずに、偏って飽食すると四大の病が、三時にわたって発病する。風大病の羸損は酥膩を補い、火大病に熱を下げるには、訶梨勒をとり、地大病(等分病)には、甜と辛と酥膩の三種の妙薬をとり、水大病の肺病はその時に従って吐薬を服すべきである。」
  ◆唐三蔵義浄訳(六三五年〜七一三年)
  『金光明最王経』除病品第二十四(大正一六ー四四七C〜四四八C)15
  内容的に曇無訳『金光明経』金光明経除病品第十五とほぼ同様である。
  ◆唐三蔵義浄訳(六九五年〜七一三年)
  『根本説一切有部毘奈耶薬事』
  ○第十八巻(『国訳一切経』律部二三ー三三八)16
  「汝諸必芻、若し人所作の善悪の業は、外界の地水火風に於て其をして報を受けしめず、皆自身の蘊・界・処中に於て異熟を招くなり。」といい、これは四大論ではなく、四大を超えて自身の蘊・界・処中に於て異熟を招くと業論へと変化している。

 このように整理してみますと、おおよそ義浄訳『根本説一切有部毘奈耶薬事』以外は、四大による基礎概念を病因論として捉えており、天台止観に見られる四大の基礎概念による病因論と、内容的にも一致するものであることが分かります。
 とくに天台大師は、5呉天竺沙門竺律炎訳の『仏医経』からの引用によって四大による基礎概念を理解していると思われます。
 またこれらの経蔵、律藏が二世紀始め訳経三蔵安世高等によって訳出され始めた時期は、当時の正統中国医学の発展期であり、中国医学の基本医学書である『黄帝内経』の編纂から、二世紀末には『黄帝八十一難経』が編纂される時期にあり、インド仏教が持ち込んだ四大の基礎概念による病因論の影響は大きいものと考えられます。
 実際に後漢の安世高は、医学に詳しく、とくに望診を得意とし色を見て病気を診断し、薬を処方して必ず治癒させたと伝えられ、医僧であったと『開元釈教録』に見えており、その安世高の伝えたものは当時の医学界に受け入れられたことは想像に難くありません。
 そして、その四大の記述が中国医学に最初に見られるのは、五世紀末の道教系医学の陶弘景編纂の『肘後百一方』の序分であり、すでに天台大師以前に当時の医学的な知見として広く定着していたものと考えられます。
     エピローグ
 以上の結論として天台止観には二つの身体観、
第一の身体観――陰陽五行に支えられ気の生理学による身体観
第二の身体観――仏教本来の病因論、四大に支えられた身体観
が並列的に存在しております。
 この小論では身体観の基礎概念を考察対象としているためその詳細は述べませんが、天台大師はこの2つの身体観に支えられて、陰陽五行と四大を臨床的に応用し、独自の病気の原因とその治療の方法を展開させていたといえます。とくに五根、五塵という仏教の概念を中国医学に組み入れたのは天台大師が最初であるといわれ、今後このような天台大師独自ともいえる病気の原因認識や、その治療法に対する臨床的な考察が必要であると思われます。
 ところで、このような天台止観に見られる身体観を概観しますと、インド、中国を通じて仏教という宗教が担ってきた機能が、悟りという救いの心理体験ばかりではなく、もっとフィジカルな身体的な病気の癒しまでも含んでいることが理解できたといえます。
 そして、現在、社会的にコンセンサスを求められている「脳死の問題」「臓器移植の問題」などを考慮する場合、宗教機能を具体的に理解するためのキーワードとなる身体観を前提としないかぎり、「臓器を提供することは布施行、菩薩行である。」というような観念的な操作、観念的な宗教者の発言では、それこそ社会的なコンセンサスを欠くものと思われます。
 ですから、今後の宗教研究には、とくに身体観を前提にしながら、仏教という宗教が担ってきた機能、悟りという心理的な癒しのみならず、身体的な病気をも含めた全人的な癒しを、現代の経験科学に根ざしながら、客観的に理解し表現する試み、つまり、ここに現代教化学といえるような新たな研究分野の必要性が指摘できるのではないでしょうか。
 尚、この小論作成にあたって岩本裕著「インド医学序説」(日本臨床三〇巻五号一九七二年〜三一巻三号一九七三年所収)、奈倉道隆著「天台止観に基づく現代医学の問題点の考察」「摩訶止観病患境の医学的考察」(アーユルヴェーダ研究四号一九七四年)などに多くの示唆を受けたことをお断りします。


 1一九九五年アーユルヴェーダ国際シンポジウムが、◆メインテーマ◆「健康づくりのための伝統医学」―医学を支える新しい生命観とその技術を探る―と題し、厚生省などが後援し、千駄ヶ谷の津田ホールで開催されている。
 2K・Gジスク『古代インドの苦行と癒し』 一七四〜一八五頁 時空出版 一九九三年
 3大正四五―一九七C
 4大正四六―一〇八B
 5大正四六―四〇〇B
 6『昭和定本遺文』第一巻 八六二頁
 7天台止観に見られる「身体観」「棲神」第六十六号所収、『摩訶止観』「観病患境」における治病の分類「現代宗教研究」第二十九号所収。
 8岩波文庫『摩訶止観』下 一九四頁 八行以下『摩訶止観』と略記、大正四六―一〇八B 一九行
 9丸山敏秋『黄帝内経と中国古代医学書』 七頁 東京美術一九八六年、またこの詳細については「現代宗教研究」第二十九号『摩訶止観』「観病患境」に見られる治病の分類 一五三頁 注1参照。
 10前掲『黄帝内経と中国古代医学書』 一一頁
 11『摩訶止観』上 一八三〜一八四頁、大正四六―一〇六A
 12全訳『金匱要略方』 五五〜五九頁 明徳出版社 一九七〇年
 13『難経解説』 一一〜一三八頁 東洋学術出版社 一九九〇年
 14『摩訶止観』上 一八四〜一八五頁、大正四六―一〇六B
 15『黄帝内経素問新義解』 巻二―四二一頁〜巻三―四二頁 全十二巻 東京鍼灸学校研究部刊 一九八六年
 16前掲『難経解説』 一八九〜二五九頁
 17孫思『急備千金要方』 四八三頁 調気法第五 江戸医学影北宋本
 18『摩訶止観』 一八六〜一九一頁、大正四六―一〇七A
 19前掲『黄帝内経素問新義解』巻一 五二七頁〜巻二―二一〇頁
 20安藤俊雄「治病方としての天台止観」―智の医学思想序説―三八〜三九頁「大谷大学研究年報」二十三巻 一九七〇年、以下「治病方としての天台止観」と略記。
 21『摩訶止観』 一九一〜一九九頁、大正四六―一〇八A〜一〇九B
 22『摩訶止観』 一九四頁、大正四六―一〇八B
 23前掲『黄帝内経素問新義解』巻二 一〜二一〇頁
 24前掲『黄帝内経素問新義解』巻二 二一九〜二四九頁
 25前掲『黄帝内経素問新義解』巻二 二六三〜三二八頁
 26『南海寄帰内法伝』第二十七「先體病源」、二十八「進薬方法」、『国訳一切経』史伝部一六下 一〇五〜一〇八頁、大正五四―二二三B〜二二四B
 27『チャラカ・サンヒター』―矢野道夫訳 世界の名著『インド医学概論』 二三四頁 朝日出版社、『スシュルタ・サンヒター』―大地原誠玄訳『スシュルタ本集』 一〜二頁 アーユル・ヴェーダ研究会刊
 28『チャラカ・サンヒター』前掲『インド医学概論』 一二〜一四頁、『スシュルタ・サンヒター』前掲『スシュルタ本集』 二一頁 一四二〜一四四行
 29大正一三―七三七A〜七三七B
 30大正四六―一〇六A〜一〇九B
 31『天台小止観』 大正四六―四七一B、『禅門修証』 大正四六―五〇五B
 32大正五五―四八一A
 33前掲「治病方としての天台止観」 二〇頁    
 34同右 三七〜三八頁

※この小論は第五十回日蓮宗教学発表大会で発表した「天台止観に見られる二種の身体観について―『摩訶止観』を中心にして―」に加筆整理したものです。



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