日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
| 所報第32号:148頁〜 |
研究ノート |
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日蓮聖人の世界観(二)
―『観心本尊抄』を中心として―
三原正資
(現代宗教研究所嘱託)
はじめに
一九七五年のある日のこと、レイモンド・ムーデイー博士の『かいまみた死後の世界』を手に取った私は大きな衝撃を受けた。博士は医師として科学的に臨死体験を研究し、人間の死後の世界の存在の可能性を論じていた。それまで合理的な世界観になじんできた私は新しい世界観の出現にたいへん驚いたと同時に、埃にまみれ色あせたかに見える仏教的世界観の見直しを始めることにした。このように新しい世界観の出現は私たちの精神を揺さぶり、改めて生きることの意味を考えさせる力を持っている。宗教的回心とは世界観の変化であるとも言えよう。
さて先日、ある法要の席で『仏説阿弥陀経』を目にする機会があった。常日頃、法華経しか読まない私には、意外にも阿弥陀経の一節は新鮮だった。
爾の時仏長老舎利弗に告げたまはく、『是れより西方十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ。其の土に仏まします、阿弥陀と号づけたてまつる。いま現に在しまして説法したまへり。舎利弗かの土を何がゆゑぞ名づけて極楽とする。其の国の衆生もろもろの苦あることなく、ただ諸の楽のみを受く、ゆゑに極楽と名づく。
(国訳一切経 宝積部七 七七頁)
そして経典は極楽の様子を華麗に描き、次のように説く。
もし善男子善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて名号を執持すること、若しは一日、若しは二日、若しは三日、若しは四日、若しは五日、若しは六日、若しは七日一心みだれずば、其の人いのち終はる時に臨みて、阿弥陀仏もろもろの聖衆とともに現に其の前に在します。是の人をはる時こころ顛倒せず、即ち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得む。舎利弗われ是の利を見るがゆゑに此の言を説く。若し衆生ありて是の説を聞かむ者はまさに発願して彼の国土に生ずべし(同七九頁)
この阿弥陀経の主張は、現世に絶望した中世の人々に、大きな希望と慰めとを与えた。浄土教を信じた彼らは、世界観の転換によって、死の恐怖から逃れたのである。
この問題は現代の私たちの課題でもある。日蓮宗現代宗教研究所主催第三十回中央教化研究会議(平成九年九月開催)のシンポジウムでアルフオンス・デーケン氏(上智大学教授・死生学)は、「死後はどうなるか、が実は患者のスピリチユアル・ペイン(精神的苦痛)の中心である。しかし多くの人はそれについて話す勇気を持っていない」と述べ、また伊藤伸一氏(医師・医療法人大雄会理事長)は「死に瀕した患者の精神的苦痛のほとんどは未知の世界への不安である。だが医師としてはその問題の対応には限界を感じている。宗教者に死の概念を変えてもらいたいと思っている」と語っていた。死の不安に対して、合理的世界観は無力である。
ところで周知のように日蓮聖人は、
此度いかにもして仏種をもうへ、生死を離るる身とならんと思ひて候し程に、皆人の願はせ給ふ事なれば、阿弥陀仏をたのみ奉り、幼少より名号を唱へ候しほどに、いさゝかの事ありて、此事を疑ひし故に一の願をおこす。(定一五五三頁)
と述べられている。浄土教から法華経信仰へと回心された聖人は、「今、ここに、仏は在す」と確信され、浄土教を信じた当時の人々とは逆に、他土から此土へ、来世から現世へと、世界観の転換を経験し、このことは後の聖人の宗教の本質を決定したと思われる。ではその転換の内容や、その世界観と死後の問題とはいかなる関係にあったのか。さらに地球環境問題などが大きな課題となっている現代に生きる私たちに、聖人の世界観はどのような示唆を与えるであろうか。
他土から此土へ
浄土教に疑いをいだき、仏教を研鑽された聖人は、『戒体即身成仏義』において、
浄土宗の日本の学者、我が色心より外の仏国土を求めさする事は、小乗教にもはづれ、大乗にも似ず。
(定一一頁)
と浄土教を批判され、さらに、
法華経の悟と申は、此国土と我らが身と釈迦如来の御舎利と一つと知る也。(中略)故に経に云く、今此の三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ我が子なり等云云。法華経を知ると申すは、此の文を知るべきなり(定一四頁)
と述べられている。
本書によって、聖人が仏教の真理を追究された当初から成仏と自己の身体と国土すなわち世界とが密接な関係にあることを大切な視点と考えられていたことが明らかである。この考え方は基本的に後の『観心本尊抄』と変わらないと言ってもよい。その結果、西方の仏国土を希求することは大きな誤りであるとされ、釈尊のお住みになるこの娑婆国土の重要性を再認識されたのである。この他土から此土へ、来世から現世へという劇的な世界観の転換以後、聖人はこの世界観を機軸として、省察を深めて行かれる。
『一代聖教大意』では三蔵教の六界・十界論から筆を起こして円教の十界互具を論じ、『十法界明因果鈔』では十界の各々を解説し、末尾で十界互具に触れている。『顕謗法鈔』では、全四章中の前の二章で地獄界について詳述している。このように聖人においては成仏論と十界論とは密接な関係にあり、世界観は成仏論でもあった。この二つの問題は絡み合いながら次第に明らかな形態を示すに至る。『立正安国論』や『開目抄』『観心本尊抄』は、初期の御遺文の延長線上に成立しているのである。
他土から此土へという世界観の転換の表明を、代表的遺文の中から列挙してみよう。
問うて云く、法華経修行の者何れの浄土を期すべきや。答えて曰く、法華経二十八品の肝心たる寿量品に云く、我常在此娑婆世界と。亦云く、我常住於此と。亦云く、我此土安穏文。此文の如くんば、本地久成の円仏は此の世界に在せり。此土を捨て何れの土を願うべきや。故に法華経修行の者の所住の処を浄土と思うべし。何ぞ煩わしく他処を求めんや。(中略)爾前の浄土は久遠実成の釈迦如来の所現の浄土にして実には皆穢土なり。法華経は亦方便寿量の二品也。寿量品に至て実の浄土を定める時、此土は即ち浄土なりと定め了ぬ。
(『守護国家論』定一二九頁)
此過去常顕るる時、諸仏皆釈尊の分身なり。爾前迹門の時は諸仏釈尊に肩を並べて各修各行の仏なり。かるがゆへに諸仏を本尊とする者釈尊等を下す。今華厳の台上・方等・般若・大日経等の諸仏は皆釈尊の眷属なり。仏三十成道の御時は大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪ひ取り給ひき。今爾前迹門にして十方を浄土とがうして、此土を穢土ととかれしを打かへして、此土は本土となり、十方の浄土は垂迹の穢土となる。
(『開目抄』定五七六頁)
夫れ始め寂滅道場華蔵世界より沙羅林に終まで五十余年の間、華蔵・密厳・三変・四見等の三土四土は皆成劫の上の無常の土に変化する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等也。能変の教主涅槃に入れば所変の諸仏随て滅尽す。土も又以て是の如し。(『観心本尊抄』定七一二頁)
各御遺文の行間から、聖人の生涯を決定した宗教体験は法華経の本門の「まことの一念三千」(『開目抄』五五二頁)の発見、換言すると本門の教主釈尊との出会いであり、その「今、ここに、仏は在す」という宗教体験が、他土から此土へ、来世から現世へと、聖人の世界観を転換させたことが、ひしひしと伝わってくるのである。
この世界は浄土であると認識できるのか
私は前回の発表(「日蓮聖人の世界観(一)」)において、
爾前経においては互具の理はないので、人がより上位の果報を得ようと思うならば「一々の位に多倶低劫を経て衆生界を尽くして仏になる」ほかはなく、これでは「一人として一生に仏に成るものなし」(定六四頁)
と指摘されている。このようにいったん決定した果報が易々と変わらないのであれば、修行によって娑婆世界が浄土になることは不可能であり、人は死後の往生を願うほかない。しかし互具の原理に従えば、『立正安国論』に示されるように悪道の様相を呈してはいても「三界は皆仏国」である。(「現代宗教研究」第三十号一四一頁)
と述べて、この隠れた浄土を現していく事が聖人の宗教的実践の本質であったと記した。
さて聖人は『災難興起由来』のなかで、浄土教の流行が国土の災難の原因であると示され、次のような質問を設けられている。
疑て云く若し爾らば何ぞ撰択集を信ずる謗法者の中に此難に値はざる者これある(中略)疑て云く若し爾らば法華真言等の諸大乗経を信ずる者何ぞ此難に値へる(定一六〇頁)
このような疑問が生まれるのは、此土すなわちこの娑婆世界は本門の教主釈尊の在す浄土であると力説しても、一般の人々はこの娑婆世界に仏と浄土が存在することを到底認識できなかったからである。
では私たちに、この世界が仏の在す浄土であると認識できる方法はあるのか。聖人はどのように考えられたのであろうか。御遺文を列挙してみよう。
此文の意は手に法華経一部八巻を執らざれども是経を信ずる人は昼夜十二時の法華経の持経者也。口に読経の声を出さざれども法華経を信ずる者は日々時々念々一切経を読む者也。仏の入滅は既に二千余年を経たり。然といえども法華経を信ずる者の許に仏の音声を留めて時々刻々念々に我死せざる由を聞かしむるなり。
(『守護国家論』定一一一頁)
此文を見るに法華経は釈迦牟尼仏也。法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り、此経を信ずる者の前には滅後たりといえども仏の在世也。(同 定一二三頁)
法華経を信じることによって、この世界が釈尊の在す浄土であると認識できる、と強調されている。このことを最も端的に示されたのが、『立正安国論』の
汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ。然れば則三界は皆仏国也(定二二六頁)
という一節である。しかし法華経を信じる者にとってはこの世界は仏の在す浄土である、という解答は一体何を意味するのであろうか。実はこの世界は仏の在す浄土であるということは、既に述べたように十界互具だから言えることである。しかし後の『観心本尊抄』で、聖人はこのことについて「汝これを信ぜば、正法にあらじ」(定七〇五頁)と述べられるのである。すなわち十界が互具し隠れた浄土が存在するとしても、それは、私たちが簡単に認識したり経験できる性質のものではなく、そこで信じることができないかもしれないが信じるほかに道はないことを示された、と受け取るべきだろう。この問題は『観心本尊抄』に譲られる。
『観心本尊抄』の世界観
『観心本尊抄』を拝読するとき、私は二つの文章を思い出す。一つは安藤俊雄師の『天台学』(平楽寺書店刊)の「一念三千は…日常の一念こそ十界を完全に具備する法界全体であるから、この日常の一念を修道の要処と想うべしという敬虔かつ厳粛な修道的自覚を基礎とするのである。ところが後代この一念三千の法門が純粋な実相法門あるいは世界観的な学説としてのみ解釈され、宋代や元代に至って深刻な論争を生じた」(一三一頁)という一節、もう一つは山川智応師の『観心本尊抄講話』(浄妙全集刊行会)の「本御書は法華経の如来寿量品と共に、将来全世界の哲学者宗教家によりて、新たに純学問的思想的に研究せらるべき最大のものである」(一七〇頁)という一節である。安藤博士の危惧をもっともと思いながらも、私は『観心本尊抄』には常識を覆すような不思議な世界観が展開されているのではないか、と常に夢見てきた。聖人も「此の書は難多く答少なし。未聞の事なれば人の耳目これを驚動すべきか」(『観心本尊鈔副状』定七二一頁)と述べられている。世の人とは全く異なる次元で世界を見てみたい、これも宗教的欲求のひとつではなかろうか。
さてこれに関連して触れておきたいことは、社会に言い尽くせない悲劇をもたらしたオウム真理教事件に関して立花隆氏が述べた「なぜ多くの理科系の優秀な学生がオウムの信者になっていったのかという疑問」である。立花氏は指摘する。
生き方の問題とか、価値の問題とか、存在の意味論といったものは、すべて科学のらち外のことです。では、少なくとも物理的存在に関しては、よくわかっているのかというと、これまたわからないことが大部分なのです。結局、科学というのはわかっていることについては厳密に説明できるけど、人が知りたいことの大半を、それは科学の領域にあらずとして、外に押しやってしまうか、それはわからないとして不可知論の中に押し込んでしまうかのどちらかなのです。科学は自己完結的なコスモロジー(宇宙観・世界観)を提供できないのです。
(「金剛乗とは何か」週刊文春 平成七年七月二十七日号 一五八頁)
これは既成宗教が科学的真理に反することを恐れて教理にもとずいた世界観を述べることを控え、人に生きがいの根拠を与えられなかったことが、オウム真理教流行の原因の一つであると指摘したものである。さて日蓮聖人はどのような世界観を持たれていたのであろうか。
日蓮聖人は、この世界は現に仏の在す浄土である、と確信を持って語られるわけだが、歴史上の釈尊の入滅を否定されたものではない。「仏の入滅は既に二千余年を経たり。然りと雖も法華経を信ずる者の許に仏の音声を留めて時々刻々念々に我死せざる由を聞かしむるなり」(定一一一頁)と述べられ、また『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』という書名にもそのことは明らかである。では入滅された仏に対して、「今、ここに、在す仏」とは、一体いかなるものか。じつはこれが法華経如来寿量品の主題であり、聖人はその「寿量品の仏」とその世界を『観心本尊抄』に、
今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出たる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず。所化以て同体なり。此即己心の三千具足三種の世間也。(定七一二頁)
と示されている。
この一節は、成劫という時間の中に変化する私たちの住む娑婆世界や爾前経に説かれる種々の浄土は無常であり、それにに対して、本仏の常住する不変の浄土としての娑婆世界を叙述され、その浄土は私たちの心に在す、と述べられたものである。
しかしこのような本仏とその浄土はこの世界に客観的に認識できるものとして存在するのであろうか。私たちは不生不滅を経験したこともなく、私たちに対して客観的に存在していると思っている世界が自己の心の中にあるということもまた日常的経験をはるかに超えている。
さて、すでに記したように十界とその互具の問題が、聖人の著作の初めからの主題であった。例えば『一代聖教大意』には「問うて云く、妙法を一念三千と云こと如何」(定七一頁)と述べられて『摩訶止観』と妙楽大師の注釈とが引用されているが、その結構は本書と何ら変わるものではない。本書はその主題を徹底的に論じ、いわゆる第十八番問答に至って、
教主釈尊(中略)其外十方世界の断惑証果の二乗並びに梵天・帝釈・日月・四天・四輪王乃至無間大城の大火炎等、此等は皆我一念の十界か。己心の三千か。仏説たりと雖も之を信ずべからず。(定七〇七頁)
と疑問を起こし、その解答が四十五字法体段であった。この第十八番問答以下の叙述とそれ以前の第十五番、第十六番問答辺りの内容は趣が異なる。
数他面を見るに或る時は喜び或る時は瞋り或る時は平かに或る時は貪り現じ或る時は癡現じ或る時は諂曲なり。瞋るは地獄貪るは餓鬼癡かは畜生諂曲は修羅喜ぶは天平かなるは人也。…無顧の悪人も猶妻子を慈愛す。菩薩界の一分也。(定七〇五頁)
という説明は常識的であり、決して衝撃的な内容とは言えない。常識的な理解を超えた点にこそ本書の価値があるとすると、四十五字法体段の内容がいかに衝撃的で「難信難解」であるとしても、それこそ、聖人が「法華経の本門寿量品の文の底」(『開目抄』定五三九頁)に発見された世界の隠された真実の姿、すなわち「まことの一念三千」である、と私は受け取りたい。
このことについて浅井円道師は「それは娑婆世界の本質が浄土だということです。現実の娑婆が浄土だという意味ではありません」「現実としての話というよりも、やはり理としての本門教説です」(日蓮宗勧学院 中央教学研修会講義録第七号二七頁)と述べている。立正安国という真摯な宗教的運動の中で、浄土は顕現するというのである。
また本書は本尊の成立原理について、
観門の難信難解とは百界千如・一念三千にして非情の上の色心の二法の十如是是れ也。爾りと雖も木畫の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す。其の義に於ては天台一家より出たり。草木の上に色心の因果を置かずんば木畫の像を本尊に恃み奉ること無益也(定七〇三頁)
と述べ、木畫という物質の中に仏の身体と心とが具わるから真に本尊と成りうる、と聖人は説明される。すなわち木畫の二像は単に本尊の表現形式ではなく、そこには本尊の実体が現れているというのである。これを聖人は「詮ずるところは一念三千の仏種に非れば有情の成仏と木畫二像の本尊は有名無実也」(定七一一頁)とも示されている。だとすれば「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ」(定七一一頁)という受持譲与段の妙法五字とは、釈尊の実体そのものに他ならないと理解しなくてはならない。『法華題目鈔』の「妙法蓮華経の五字も亦是の如し。一切の九界の衆生並びに仏界を納めたり。十界を納むれば亦十界の依報の国土を納む」(定三九五頁)という説明も、信じがたい事だが、その言葉のまま受け取るべきなのかもしれない。これは仏の身体と心が「草木国土」(同七〇三頁)すなわちこの物質世界に浸透し一体であり、全世界に対すれば一微塵にも等しい五字の中に世界全体が具わっていることを示しているのである。まさに驚くべき神秘的な世界観である。
その上、本書には、
此釈に闘諍之時と云云。今の自界反逆・西海侵逼の二難也。此時地涌千界出現して、本門の教主釈尊の脇士となり、一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし(定七二〇頁)
と述べられている。浄土という絶対の世界が自らの意志でこの歴史的世界に現れてくるというのである。法華色読とは聖人が自己の真実、すなわち自己が地涌の菩薩であることを証明することであり、それはまた法華経が自らを表現することでもある。地涌の菩薩が出現して本尊が成立することは、この娑婆世界が釈尊の浄土であることを示したものと理解すべきであろう。
さらに本書の『副状』には、
乞願くは一見を歴来るの輩、師弟共に霊山浄土に詣て三仏の顔貌を拝見したてまつらん(定七二一頁)
と、霊山浄土に言及されている。いまここにある浄土は同時に私たちが死後に往く浄土でもあるのだろうか。「驚動すべき」(定七二一頁)世界観である。
第十八番問答の冒頭に「これより堅固にこれを秘せよ」(定七〇七頁)とあり『副書』の注意もあるので、うかつな解釈は許されないが、聖人の真意の解明は大きな課題として残されている。しかし隠れた浄土がご本尊として具体的に示され、歴史的時間と場所の中に具体的に顕現してくることが、本書では述べられているのである。
『観心本尊抄』の世界観の解釈について
このような『本尊抄』の世界観を理解するために、優陀那院日輝、山川智応、田村芳朗の三師による日蓮聖人の世界観の解釈を概観しておきたい。
近代日蓮教学の大成者優陀那院日輝師は『一念三千論』において次のように述べる。
問う、彼の芥子相入等の如し。但是れ神変幻化にして実事に非ずや。答う…若し凡見に従えば芥子是れ小須弥是れ大。何ぞ相入を得ん。(充全三―五一頁)
問う、法法法界に周偏し相相相入す。是れ則ち大混乱の相に非ずや。聖智聖眼測量すべからずと雖も、あに信じ難からざらんや。答う、旦つは人の樹木を見るが如し。一見能く無量の枝葉花菓飛禽虫類を見る…是れ則ち肉眼不可思議也。無量の色相能く一眼に入り来る、是れ則ち色相不可思議也。(充全三―五二頁)
一念能く了別知識す即ち是れ妙也。問う、是れ衆人の悉知する所何の奇特かこれ有らん。答う、是れ現前の事、故に衆人これを知る。若しその然る所以を推せば、誰か能くこれを弁えん。如来も説く能わず、亦思議する能わざる也。(充全三―五六頁)
日輝師はここで、信じ難く解し難い「芥子須弥相入」という宗教的真理を常識的な疑問の対象として取り上げ、其の真理を論証するために眼が自然を認識するという、誰もが理解できる方法を用いている。同じ事が『妙宗本尊略弁』の一節にも窺える。
夫現前事相ノ妙法ヲ観スルニ天気地味山薬海藻食シ来テ自己ノ身肉トナリ…(充全三―四〇九頁)(この項は「現代宗教研究」第二十二号所収拙稿「優陀那和上の事観と現代」参照)
宗教的真理は自然界の真理でもあると断定したところに師の近代合理主義の精神の躍如と時代相応の学風を見ることができる。現代の生態学の世界観を連想させる叙述には驚くばかりである。地球環境を破壊して、今その重いツケを払わされようとしている私たちに「何の奇特かこれ有らん」と批判することができようか。
日輝師は本尊についても、
本尊の体たらく教に約せば則ち仏身の形容、観に約せば則ち自身の相貌。然れば正しく是れ本門無作三身の仏像を図出し、以て則ち是れ自己全身の形容と達せしむ。…寿量所顕無作三身一身一念遍於法界三千世間総体の一仏也。此の本尊に対して直ちに自己色心の全相を了せしむ。(充全三―二〇八頁)
と述べて、仏と世界と自己とを一つのものと捉え、この世界とは別の超越的な宗教的価値の世界を措定しない。この解釈はこの世界と自己とを直ちに宗教的価値の現れと見るものだが、西欧近代合理主義の影響下にあった江戸時代末期の文化的環境に対応した、現代の私たちをも納得させる主体的真理の普遍化とその論証の努力に敬服する。
このような日輝師の教風と対照的なのが、師の『一念三千論』からほぼ一世紀の後に公刊された山川智応師の『観心本尊抄講話』である。この本を書いた山川師の視点を示すものとして、次の一節を引用する。
聖人の本抄(本尊抄のこと)流通分にお説きになった、釈尊滅後において四類四依出現の法門は、何としても三世了達三身常住の本仏の実在を基礎としなければ、成立しない法門である。そしてさやうなる本仏の実在は、果たして単なる汎神教的・観念的宗教としての仏教に、存在し得べきことであらうか。この点において大正十三、四年の頃、時の駒沢大学長故文学博士惣滑谷快天氏が、氏の仏教観中に『宇宙の大霊』なるものを説けるに対して、東京帝大教授木村泰賢氏が、仏教思想中には大小乗を通じて、『宇宙の大霊』などといふもののあることなしと駁撃したに対し、私は木村氏に賛同の意を申し送ったのである。なぜならば、惣滑谷・木村両博士の意識せらるる仏教、おそらくはその他各宗の学者の、今日における正当なる仏教的認識には、『宇宙の大霊』などいふことは存在しないとすべきであらう。さやうなものを立てるのは外道であるとの木村氏の語を、肯定せねばならないのではないかとおもふ。だが趙宋以後の支那天台と、今日の日本天台においては、忘れられつつある天台大師には、たしかに三世了達三身常住の本仏の実在を信じてゐられたに相違ないことは、その「法華文句」の寿量品の遣使還告の釈において(略)大涅槃経の四依の人が、使人として滅後に出現すべきことを説いているのは、本仏常住三世益物の信仰の実在せることを示すものでなくて何であろうか。日蓮聖人にいたりては、此の天台の釈から深解して四類の四依を明かされたのである。(中略)此の本仏の実在と滅後の四依弘教の信仰が立たなければ、聖人のいはゆる本門法華経宗は成立しないのである(七七〜七八頁)
これによれば、山川師は、当時の学界の常識に反しても、本仏の実在そして「我等衆生迷蒙の世界の他に本仏常住の寂光世界」(七八頁)のあることを聖人が確信されていたことを前提としない限り、『観心本尊抄』を正しく理解できないと考えていたことが明らかである。山川師は、四十五字法体段について、つぎのように述べる。
この四十五字の法体は(中略)一篇の枢軸を為す思想であって、聖人の宗教が、プラトンのイデア界や、キリスト教の神及び神子の実在にも一部分似たやうな、超越の世界の実在を根拠としていることの、本文ともいふべきものである。(中略)聖人の宗教にあっては、イデア界や神の世界にも比すべき、『本時ノ娑婆世界』といふものを、現実の人間の世界に顕し知らしめる為に、実にその『本時ノ娑婆世界』といふ超越の世界の中心者、キリスト教の神にも比すべき『本仏』が、人間釈迦牟尼仏として法華経を説き、殊にその寿量品を説かれているのである。(中略)そしてこの超越的宗教と同時に、そこに『己心三千具足三種世間』といふ、内在的宗教が展開せられており、超越的なる本仏本化も、その超越的実在を信ずるものの内在内観の宗教となり、彼等自身にその本仏の所作本化の所行の、各の幾部分的の実践となって預言に適応し、ついには人間の世界に、此の超越的なる『本時ノ娑婆世界』といふ常寂光の風光を、現出せしめねば息まざらんとする、実現の宗教がまたそこに展開せられているのである。(四四二〜四頁)
私は山川師の所論は『本尊抄』の一種独特の空気を伝えていると思う。師は超越的世界というこの世界とは隔絶した浄土を措定し、それを仰ぎ、かつその内在をひとり内観するに止まらず、其の浄土がこの世界に出現する、もしくは現実化しなければならないと見るのである。
田村芳朗師は『鎌倉新仏教思想の研究』(昭和四十年 平楽寺書店刊)の中で、日蓮聖人の思想的展開を世界観の変化と捉え、聖人の浄土観の変遷について其の特徴を次のように指摘している。
田村師は、立教開宗以前そして以後の正嘉・正元の頃までの聖人の世界観について、
日蓮は清澄入門にさいしては、台密の教義をおしえられ、また、かれに、とりたてて人生無常あるいは現世否定の感をおこさせるような環境もなかったとかんがえられるので、そういうことで、初期は、不二絶対の世界観にたち、そこから、相対的二元論の念仏を批判したので、そのあらわれが、「戒体即身成仏義」であり、「守護国家論」であったのである。(五八九頁)
と述べ、聖人は初期の頃は念仏の相対的二元論に対し不二絶対の世界観、すなわちこの世界が浄土であるという見方に立たれていたと言う。ところが、
正嘉・正元のころより、天災地変しきりとおこり、それが、かれに、おおきな疑問をおこさせ、仏教を再研究・再検討させることになり、その結果、現実救済の強力な仏教となるためには、統一仏教の確立の必要なことを感じ(中略)その統一するものが法華経であるとの確信をふかめ、「守護国家論」、「災難興起由来」、「災難退治鈔」、「立正安国論」の一連の述作となった(中略)(「立正安国論」の)『速ニ実乗ノ一善ニ帰セヨ。然レハ則三界ハ皆仏国也』との主人の最後の解答は、信仰の統一が意識の高揚・結束となり、積極的な社会改革の力となることを暗示したものといえよう。(五八九〜五九〇頁)
と述べて、情勢の変化を指摘し、しかし、「世界観的には、この期は、やはりなお、開会・包容の立場を持していたと、かんがえられる」(五九〇頁)と言う。ところが、
日蓮の「立正安国論」をとおしての進言は無視され、それにかわるに、伊豆流罪となったことは、日蓮に一転機をもたらす。(中略)「四恩鈔」は、娑婆忍土という、国土にたいする一般的概念でもって日本国をといているが、ともかく、娑婆と浄土、あるいは在世と末世が相対され(中略)歴史主義的、相対主義的なカテゴリーでもって、判断しはじめてきている。(五九七頁)
と言う。そして、ついに「佐渡流罪をもって遇せられるにいたって、不二絶対・現実認容の思想はかげをひそめ」(五九九頁)、最後には来世浄土の思想をいだくようになると言い、つぎのように言う。
殉教のあかつきには、かえりゆくべき地としての釈尊の浄土がまちうけているとのなぐさめをみいだすのである。
(六〇一頁)
このように田村師は、娑婆即浄土としての浄土、娑婆に現成していく浄土、来世に往詣する浄土の三種の浄土を聖人の生涯の展開の中に見いだすのである。聖人の境遇に対応して浄土観が変化すると考えたことは、実に人間的な日蓮聖人解釈であり、戦後という時代を反映していると思う。
これをまとめると、日輝師は日蓮聖人の世界観を非常に合理的に解釈したと言えよう。その解釈は「何の奇特か之れ有らん」という非難に対して、日輝師は、これは現前の事実であるから人は知っていても、その事実の生起する構造は如来さえも説明できない不思議な世界である、と反駁している。師は生きることの不可思議性と全体性に着目し、私たちに生きる意味の深さを教えたと言える。いのちや環境を軽視する現代にあって、私たちの注目すべき点であろう。
それにたいして山川師は聖人の世界観の日常的思惟を超越した面に特色を認め、当時普及したキリスト教と西洋の哲学によってその意味を解釈し、ある意味では仏教的範疇を超えている聖人の宗教を、キリスト教的な宗教の在り方の方向に普遍化しようとしたように見える。
田村師は聖人の世界観と見られるものも天台本覚思想の表れと見て、当時の鎌倉新仏教思想の中に位置づけた。本稿で取り上げた開目抄や本尊抄の一節でさえも、それら「不二本覚の思想は、仏教の究極的思想であり、仏教的特色ともいえるものであるから、後半期の日蓮とても、根底は、ささえられていたと、かんがえねばならない。」(六二三頁)とされる。すなわち田村師は三種の浄土を説いたが究極的にはそれらは一つと見ていたと思われる。師は日蓮聖人の宗教を鎌倉新仏教の一つと見る視点から、その思想を客観的に評価したのである。
おわりに
日蓮宗の布教にたずさわる私たちには、日蓮聖人の宗教の勝れて特殊なところに着目し、そのことに確信をいだきながら、これを客観化し、さらに普遍化していくという作業が課されている。しかしその難しさは日輝師、山川師、田村師、三師の解釈の大きな振幅にも窺える。また布教とは世界観の変化を人々に与えることだが、聖人が「今、ここに、仏は在す」と究極の浄土を明かされて、仏と私たちと世界を一体と考えられていたことに、生命の軽視と地球環境の破壊、そして自己存在への根源的不安という危機に直面する現代社会に生きる私たちは、次のような危機回避の方途を見出す。私たちは世界に対して大きな関わりと責任を持ち、この関係と責任とからは決して逃避できないのであり、欲望に追われモノを求めて止むことのない窮子、病子である私たちが、世界全体は大いなるひとつのいのちであることに目覚めた時、その苦悩もまた終息するのである。私たちに突きつけられている課題はこのような世界観の転換である。
※本稿は、平成九年十月二十四日、立正大学で開催された第五十回日蓮宗教学研究発表大会で発表した原稿に加筆したものである。
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