日蓮宗 現代宗教研究所
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 巻頭言

  環境汚染と「少欲知足」

石  川  浩  徳 
(現代宗教研究所所長) 

  富士山が見えない
 東京は、晴れた日でも厚いスモッグのため、すっきりした青空を見せてくれない。特に風の無い日は、スモッグが移動しないで往き交う車に撹拌され、街中が騒音と薄汚れた空気に覆われてしまう。人も物も集中して異常に膨れ上がった大都会東京は、実に不健康な姿となっている。活気があるようで生きながら半分死んでいるのが東京だ。
 人口が多い所はどこもスモッグがひどいと聞くが、最近の東京は特にひどくなったような気がしてならぬ。昔、葛飾北斎描く冨岳三十六景の中の一つに、房総半島の袖ケ浦から東京湾を隔てた向こうに鮮明に見える富士山を描いたのがあるが、百五十年もさかのぼらずとも二十年も前には、市原市の田舎に在るわが寺の裏山から西の方を見ると、東京湾沿いにある京葉工業地帯の向こうに四季を通じて秀麗な富士山が大きく見えたものだ。落日を背にした富士山の美しさは何とも言えないものであった。しかし最近はよほど風の強い日でないかぎり、ほとんど東京の上空に停滞する濃いスモッグの為に富士山を見ることができない。北斎は深川や浅草や千住など江戸の各所から富士山を描いている。それほど東京と富士山は近い存在だったしよく見えたのだ。
 今では富士山どころか東京にいて東京が見えないときがある。環状高速道路には慢性的に車が数珠つなぎに渋滞し、廃棄ガスで幕をつくり東京を覆い隠している観さえある。
 あのスモッグが覆う中に、政治、経済、教育、文化等、あらゆる分野の中枢があり、一二〇〇万の人間が生活をしているのかと思うと、不思議な気さえする。

  恐ろしいスモッグの正体
 スモッグの正体は何だ。「スモッグとは煤煙や塵に水蒸気が凝結してできた霧のことを言い、スモークとフォッグ(霧)の合成語である」とある。だが東京のスモッグはそんな単純なものではない。本当のその中身はというと、複合した有害汚染物質が多量に含まれているのである。ちょっと並べただけでも、二酸化硫黄、一酸化及び二酸化炭素、二酸化窒素、ビルの解体現場から大量に飛散したアスベスト等を含む粉塵、動物の糞尿や道徳心のない人間どもが吐いた痰や下痢がごみ等と一緒に浮遊している細かい粒子、その他水分等もろもろがスモッグを構成しているのである。ほとんどが人体に有害な物である。人体ばかりではない。植物にだっていいはずがない。こうひどいと、CO2を吸って炭素同化作用をしているとはいえ、許容量をはるかに超えてしまっている。都内にはまだ欅の街路樹があるが、どの樹も車の排気ガスなどのせいで真っ黒である。樹は当然呼吸をしているから有害物質でも何でも吸い込む。そのため樹木本来の美しい肌は変色して真っ黒になってしまっている。樹木たちの泣いて苦しんでいる声が聞こえてくるようだ。
 したたかな人間たちもこの汚い空気の充満する中で、目の痛みに始まり、頭痛、吐き気、ぜんそくなどの呼吸器系疾患、皮膚疾患、内臓障害、発癌に苦しむ者が多発している。スモッグは汚いだけではなく恐ろしいのである。しかし考えてみれば、これも自業自得なのだ。天に唾するようなことをして来たのは人間である。

  地球温暖化ストップで国際会議
 人間の健康はもちろん、あらゆる生き物の生存を脅かし悪影響を及ぼす環境破壊が急速に進んでいる。これは東京だけの問題でないのはもちろんである。いま国際間で、CO2の削減やダイオキシンの規制、フロンガスの規制など、大気汚染の縮小や地球温暖化ストップが、大きな問題になっている。一九八九年を「地球環境元年」として以来、各国で関心が高まり、国際会議ではフロンの生産使用の全廃を決議した。昨年末には京都において会議がもたれ、温暖化最大の原因たる二酸化炭素(CO2)の削減数値をどこまでにするか、世界の政府やNGO(非政府機関)の代表者たちが集まって真剣に議論しあった。仏教界からも、地球環境保護は釈尊の中道と安心立命の教えを根本理念とし、その理念の実践こそ地球や生きとし生けるものを救い得る道であると、世界に呼びかけた。
 地球上の生物は微妙なバランスの上に生存が保証されている。地球上の温度が平均摂氏二度上がるだけで、海面が六十五センチ上昇し、そのため十カ国三億人が壊滅的な影響を受けるという。そればかりか地球の温暖化は生態系を崩してしまうのだ。もはや地球号は一時を争うほどの重症であると科学者たちは指摘する。美しく見える他所へも大都会の汚染物質は容赦なく侵食していくであろう。
 共生の時代といわれている今日、人間様だけではなく、あらゆる生き物の生存のために、自然環境の保全保護に全力を尽くさなければならない時が来ているのである。だが利潤追求を優先する自由主義経済国家であるかぎり、生産を制限するわけにはいかぬ。物を生産すれば汚染物質は出るし公害はなくなるまい。結局どこかで線引きをして、地球号が健康体を損なわないよう努力する以外にないという。今度の国際会議はそのために開かれたのである。

  草木国土悉皆成仏の世界は遠いのか
 文明は人間の生活を向上させ、幸福をもたらすものと信じられてきた。それが科学の進歩と共に、有害で不幸を招くことが多くなった。否、文明はそれ自体決して悪ではないし不幸をもたらすものでもない。文明を利用する人間に問題があるのだ。自分の家を自分の手で住めないようにしてしまっているのは人間だ。人間のエゴが地球全体をだめにしてしまっている。恐ろしいのはこのまま行くとこの地球汚染という付けを未来に残し、あらゆる生命を犠牲にしてしまうことである。
 地球は人間だけのものではない。仏教には、「草木国土悉皆成仏」とある。草木国土もすべて命あるものとして見る。自然界に存在するものは人間を含めてすべて同列に在るという思想である。世の中のすべてのものが相関関係にあり連環の中にある。人間もその環の中にいる。いわゆる「縁起」の世の中なのだ。自然が異常を来していて人間だけが繁栄するはずがない。これは人間だけが特別な存在ではないということだ。むしろ人間が自然に寄生して生きている、生かしていただいていると言った方がよいかも知れぬ。地球を重病にしてしまったのはその寄生した人間の仕業ならば、回復の為に人間たちが努力するのは当然である。
 昨年暮れの京都会議で日本は議長国として各国のCO2削減実行数値を調整し日本六・米国七・EU八各パーセントにすることを決めた(EU《欧州連合》は十五パーセントを主張していた)。この数値がその場かぎりの守れない公約に終わるようなことになってはならぬ。だが企業は環境破壊よりも利益のみに走り、民衆は相変わらず危機意識が低い。石油を熱原動力とする自動車や機械、電気器具の氾濫。便利さを知ってしまった大衆と、提供し消費をけしかける企業。これでは削減数値の実現はおぼつかないし、公害撲滅、環境保護を掲げても効果を期待できそうにない。貪りと愚かとが充満しているのが現代である。「悉皆成仏」の世界ははるか遠いと言わざるを得ない。

  地球環境の回復は「少欲知足」の実践から
 今更、文明の利器を使用するなというわけにはいかぬ。車、飛行機、電気などを全く使わない生活など今日では考えられぬ。では地球号が健全であるためにはどうすればいいのか。具体的には国民一人一人がエネルギーの節約に努力する以外にない。例えば、各家庭の電気器具のソケットをこまめに抜くだけでも原発三つ分が節約できるという。また車のアイドリングをしないようにすれば、CO2をかなり削減できるといわれている。だがこれでは効果が目にみえないからピンとこない。真剣に地球環境の回復を考えるなら、三十年前の生活に戻るぐらいの覚悟が必要ではないか。無駄を省き倹約の心掛けをすればエネルギーの節約となり、汚染の度合いを遅らせ地球の温暖化をセーブできるであろう。
 便利な生活に成ればなるほど人間は横着で贅沢になり、その代償として自らの生存のみならず、地球上の生物の生存をも危くすることになるのである。戦後の、勿体ない、ありがたい、大事にしよう、の精神をもう一度思い起こし実行することが肝要である。法華経は「少欲知足」と説き、心の欲するままに求め満たそうとせず足るを知ることが大事であると教えている。また日蓮聖人は「浄土といい穢土というも土に二つの隔てなし。ただ我らが心の善悪によるとみえたり」と示し、この世を浄土にするか否かは人間たる我々の心次第であると諭された。われわれは今のままでは悪くなる一方の環境汚染に歯止めをかける努力をしなければならぬ。そして地球の未来に被害者を出さないために、手近なところにいくらも有る環境保護に役立つことを実践しよう。
 人間が本当に賢い生きものならば、いつか必ず東京の空にスモッグの無い日を取り戻し、美しく気高い富士山を見ることが出来るようになるだろう。それは日本中が、いや世界中がクリーンになることでもある。その時こそ「草木国土悉皆成仏」の仏語は蘇る。どんな未来を選択するかは、我々自身の心によることを忘れてはならない。

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