日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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所報第31号:308頁〜 第二十九回中央教化研究会議 ←前次→

 特集コーナー

  人は宗教に何を求めるか
   〜私がオウムをやめた理わ由け〜
永岡辰哉
(元オウム真理教信者)

 今、ご紹介いただきました永岡辰哉でございます。まず最初にこういう機会を与えてくださったことに非常に感謝致しております。宗派として正式にこのような場を設けてくださったのは日蓮宗だでけす。他の宗派もできれば宗派として、このカルトの問題に取り組んでいただきたいとこのように思っております。では少々聞きにくいかもしれませんがお聞きいただきたいと思います。
         一
 まず、私がオウムに入った理由ですが、滝本太郎弁護士と私が共編著というかたちで書かせていただきました『マインドコントロールから逃れて』(恒友出版)という本の中に大まかに書いてはありますが、余りにも大まか過ぎますので、ここではもう少し詳しくお話をしたいと思います。
 私が一歳半の時、三種混合の予防接種で全身不随になった時期があります。その後遺症で運動能力などに障害が出まして、幼少の頃から薬を飲んだり、病院に通ったりしていました。このような理由から非常に運動が苦手で、今は完治しておりますが、特に体温調節がたまに効かなくなることがありました。それで水泳がまったくできませんでした。そんな理由からいじめにあいます。小学校、中学校あるいは高校といった学生時代に運動ができないということは、実に恥ずかしいというか、劣っているというふうに考えがちです。幸か不幸か非常に単純なこと、ただ走るだとか、ただ投げるという時は実に簡単にでき、中の上くらいにはなりました。ところが、コンビネーションするようなこと、たとえば走りながら投げるというような物事が合わさったことになりますと、まったくといっていいほどできなかったのです。これには、非常に努力を要しました。ところが、学校教育の場合には、どうしても一人に費やせる時間というものがあります。私は、だいたい人の二倍から三倍の時間がかかりますから、先生が次の工程に移れないので「お前はもういい、やめなさい」ということでストップさせられます。ただでさえ練習量が必要な人間が途中でストップさせられるわけですから、当然できないまま終わります。それがどんどん重なってきました。
 そして、それが本当の意味でのいじめとしてピークに達したのが高校生の頃です。この頃は思い出すのも悲しくなるくらい、いろいろと暴力行為を受けました。実は、私は祖母に育てられましたが、ここに至りまして自分に悪い因縁、自分の目に見えない何か悪い力というものが働いているのではないかと考えるようになりました。当時は、オウム真理教ではなく阿含宗というのがマスコミを使って大々的に宣伝をして、因縁解脱というようなことを盛んにテレビ・ラジオなどでいっておりました。これに引かれて、私も何とかなるのではないかと思い、それに飛びついたわけです。そこには、それまでいろいろな専門書を読んできた自分の知っている仏教――とはいいましても所詮高校生くらいですからたかが知れていますが――とはまったく別の新しいものが提示されていて、希望を持ったというか、目新しかったのです。こういう表現はいけないかも知れませんが、私が一番魅力を持ったのは辛気臭い仏教用語を使っていなかったということです。そういったことで阿含宗にのめり込んでいくようになり、特に精神的なものオンリーになってきました。
 話はオウム真理教に入る頃に進むのですが、その頃ちょうど精神的に非常に不安定になりました。その理由というのは、簡単にいえば自分の心の弱さがつくり出したことなのです。私は、インド哲学を専攻していました。わかってはいたのですが、語学がとてつもなく難しく、ただでさえ語学が不得意だったのにもかかわらず、サンスクリット語、パーリー語、ドイツ語、フランス語、英語と最低限五カ国語はやらなければいけないといわれまして、パニック状態になっていました。実は阿含宗には、その頃もう絶望しかけていました。阿含宗では、いじめというのは当たり前の話で、おさまることはありませんでした。私はそんなに頭の良い方ではありませんが、通っていた高校は馬鹿ばっかりで、小数点の付け方もわからない奴もいました。こんな奴らのおかげでもって人生を棒にするのは嫌だと思っていましたし、当時、私の母が一生懸命支えてくれたのですが、やはり「その通りだ、馬鹿らしいことだ。」といってくれました。それで、連中には体では勝てないので、頭で勝ってやろうと思って一生懸命勉強しました。その結果、三年生の夏休み頃にいじめがピタリとなくなりました。その理由は、所謂いじめっ子といわれる連中は、その頃になると就職しなければなりません。下手な大学の入試問題よりもよほど難しい、決して常識とは思えない常識問題なるものをやらなければなりません。となりますと、頼りになるのは今まで馬鹿にしていて、散々殴ったり蹴ったりしていた私になるわけです。そのお蔭で――勿論周りのいろんな協力があってのことでそれを忘れてはいけないのですが――自分の努力の結果が身を結んだということを体験していたわけです。そういうことからも、阿含宗には絶望していたわけです。
         二
 そこで、「もう阿含宗では駄目だ。じゃ何か他のものは……。」といって、本屋さん巡りをしました。ここで運悪くオウムの本にめぐり遭ったわけです。当時、実際にオウムの本を見たのは一九八七年の九月頃かと思います。その時見たものは、非常に平易な言葉で書かれていたということです。阿含宗の時よりもです。阿含宗の場合には、何だかんだいって突っ込んだ内容になりますと漢文が出てきます。ところが、オウム真理教の本は突っ込んだ内容になると漢文ではなくて、サンスクリット語や仏教英語といった横文字が出てくるのです。これは、私たちの世代というか、横文字に慣れた者にとってはわかりやすかったような気がします。その上、内容が非常に私には衝撃的でした。たとえば、「悟りと解脱とは違うものだ」と、こんなことは今までどんな仏教書――勿論こんなことはいっていませんから当たり前ですが――にも書かれていません。ところが、「そうだ」という実に新しい問題提起というものを見せられるとグラグラとくるのです。今まで出会ったことのないものに遭ってしまうと、「これだ」というふうに思い込みをしてしまう。それで、一辺話を聞いてみようかということになりまして、話を聞きに行きました。そこでいわれたことは、修行云々という話ではなくて、今冷静に考えてみますとテクニックだったのかなと思うのですが、実はほとんどがお金の話だったのです。その担当した人がいうには、「オウム真理教のいうことを一から十まで全部やって、もし何の効果もない、あなたの精神的不安定が解消されないというのだったら、交通費を含めてみんな返してあげます。」と、ここまで彼らは私にいいました。そこまでいうのだったら、ちょっと道場を見た感じが怪しげでしたが、お金を返してくれるのならいいかなと実に安易な発想で、その場では即答はしませんでしたが、結局一カ月後くらいに入信したわけです。
 当時は少数精鋭になっていまして、蘇生乱造という形でやたらにお金を取ってイニシエーションをするというようなことではなかったです。個人個人の悩みについて一応は話を聞いてくれて対応策を出してくれました。しかも、何よりも魅力だったのは、それが正しいかどうかはわからないにしても、自分の持っている疑問だとか、あるいは問題というものに対して、その場でもって解決策を出してくれたことです。オウム真理教でいえば、在家の信者はバクティー、出家者はオウムワークと表現するのですが、とにかくオウム真理教の利益になることをするということが功徳であるといいます。そして、その功徳になることをやれば、精神は安定するのだということを目の前でもっていいます。たとえば、「ビラをひたすら折り続けることによって心は安定するのだ」ということを、その場でもって提示してくれるのです。それが、真理だとか、宗教的に正しいかどうかはわかりません。しかし、困ってどうしようもない時に、その場でもって解決策を出してくれる。このことは、物凄く私あるいはその当時の人たちにとって希望というものを見出してくれたのです。私にとってオウム真理教というのは、なかなか口にするのは難しいのですけれども、宗教的という意味だけにもし限定させていただけるのでしたら、最高の縁ではなかったかと実は思っております。
 誤解してもらっては困るので補足説明をさせていただきますが、チベットの方でダルマの王といわれたロン・チェンバという方がおります。この方がこんなことをいっております。
 「傷つけられて初めて、真理と教えに巡りあうことができた。解脱の道を示してくれた仇なす者たちよ、あなた方に感謝しよう。苦しみを味わって、真実の教えと巡りあうことができた。心に静寂を与えてくれた苦しみとあなた方に感謝しよう。恐るべき悪縁に出会い、真実の教えと巡りあうことができた。不動の道を与えてくれた悪縁とあなた方に感謝しよう。」
 私にとってオウム真理教というものは、この仇なす者たちであって、悪縁なんです。その意味で最高の縁であって、決してオウム真理教が正しいということではありませんので、誤解のないように一言申し添えておきます。
 確かにオウム真理教に出会わなければ、私の父親はVXガスをかけられるというようなことはなかったでしょう。家庭が非常に混乱して、バラバラにさせられるようなことはなかったです。しかし、後ろを振り返ったら駄目なんです。私たちは決して仏陀でもないし、ボディーサットヴァでもないし、あるいはタイムマシンを持っていませんから、過去に行って物事を変えることなどできないわけです。だったら、前を見るしかないのです。かといって、過去のことを忘れることも絶対できません。なぜならば、これによって亡くなった方々がたくさんいるからです。自分たちが行なってきたことによって、たくさんの方が亡くなってしまったわけです。それを忘れることは絶対にしてはならないのです。但し、誤解を恐れずにいわせていただくならば、彼らは絶対に帰ってきません。それならば、今自分のできることをやっていくしかないと思います。ですから、このような稚拙な話ではありますけれども、こうやって話させていただいているわけです。
         三
 オウム真理教の人たちは、実に「今」を大切にしません。それは間違っていると私は思います。仏教というのは、常に「今」というものを捉えてきたのではなかろうかと思うのです。仏陀釈迦牟尼がいらしゃった頃は、所謂バラモンといわれる人たちが世の中を支配していました。ですから、それらを一〇〇パーセント否定するということはありませんでした。彼らの習慣というものも一部取り入れたりしています。大乗仏教運動なるものが、紀元一〜二世紀に起こりました。その時には、所謂小乗といわれる人たちが自分のことだけしか考えないで、お釈迦様が在家の人であろうと誰であろうと、乞食であろうと何であろうと手を差し伸べてきたということを忘れて自分勝手に走った。これではいけないということで大乗仏教が起こってきたと、ものの本を読んで習いました。それは、「今、何が必要か」ということを仏教徒たちが真摯に考えてきた結果だと思います。大切なのは「今」だと思います。ですから、ここにいる皆さんだけではなく、これは宗教だけのことではないかもしれませんが、今に合ったことをやるべきではないかと、おこがましくも思うのです。マンガではありますが、こんなことが書いてありました。
 「身は土に、心は虚空に、されど人の意志は人に帰す。残された者は決して無駄死にすることなく、その志を実現させるべきである。」
 くどいようですが、これはやはり常に考えて行かなくてはならないのではないでしょうか。
 オウム真理教から出た後ですが、この時は非常に不安定で、周りから見ても大変だったと思います。両親を含めて周りの人たちは苦労したと思います。しかし、こういう言い方は失礼かもしれませんが、今のようにカウンセラーという人たちもほとんどいませんので、自分一人で調べて自分一人でやってきたつもりです。これが実は今の私をつくっているのではないかと思うのです。というのは、つまり一人でやってきたということは、自分の頭で考えるということをしなければならなかったということです。カウンセリングなどということは私――自分自身も本当はカウンセリングをしていただかなければならないような立場ですから――にはできませんから、話し合いという形でしかできません。しかし、現実に現役の信者さんたちと話をする時、常に彼らは人のいうことを鵜呑みにしてきたのです。それは、よく考えてみますとオウム真理教だけではないのです。今の教育のやり方、あるいは家庭の躾けもそうかもしれませんが、いわれたことを鵜呑みにしなければならないのです。そうでないと、自分の意志で物事を考えて新しい解釈をしようものなら、あっという間にはじき出されてしまうのです。社会に出てからは、これをやらないと逆にはじき出されますが、社会に出る前の学校ではこれをやってはいけないのです。所謂「詰め込み方式」というのがありますけれども、私は「詰め込み選択方式」というふうにいった方がよいと思います。つまり、情報を馬鹿みたいに詰め込む。そこから、正しいかどうかはわからないのですが、正しいといわれているものを素早く選択をして行動に移す、あるいは答案用紙に書くといった機械的作業に慣れていたために、自分で考えるということをしなかった。これが最大の原因ではなかろうかと思っています。
 その後、オウム真理教に決定的に違うなということが二つありました。教義の問題についてはここではいいませんが、実は『イニシエーション』(オウム出版)という本の冒頭にこんなことが出てきます。
 彼(麻原彰晃)が、ダライ・ラマに「あなたは、ボーディー・チッタを持っている。だから、あなたは日本に真の仏教を広めなさい。」と、いわれたと書いてあります。本当にこんなことをいったのかということで、私の両親、江川紹子さん、カメラマンの福田さんと私の五人でインドのダラムサーラに行ってきました。そこで確認を取ろうと思ったのですが、運悪く私たちの着いたその日から世界宗教大会がありましてダライ・ラマに会えませんでした。そのかわり、現アジア太平洋地区十四世ダライ・ラマ代表カルマ・ゲーリック・ユートックという方がおりまして、彼が当時宗教次官をしていましたので、このことを聞いてみました。こんなことに気がつかなかった自分に本当に情けなくなりましたが、「私たちはゲールク派ですよ。何で他の宗教をやっている人に宗教を広めなさいなんていうことをいいますか。」と、あっさりといわれまして、なんて自分は馬鹿なんだろうかとつくづく思いました。しかし、先程もいいましたように、自分の足で行って自分で確認したということが非常にためになったということが、一つの大きな授業料だったなと思っております。
 もう一つは、薬事法違反を彼はしました。彼はその時に、「原価が非常に高いのだから、決して高くない」といいました。彼の売った飲み物というのは、「風湿精」とか「青竜丹」という名前のものを売っていました。一本三万円から五万円するものです。その中に入っているものが、麝香とか虎骨などという漢方薬です。彼がいうには、麝香がグラム七千円、虎骨がグラム十万円だそうです。私の父親が神田の問屋さんに行ったところ、麝香がグラム七円、虎骨がグラム百円ぐらいだったといいます。父は、「私はこうして調べてきたが、信用できないだろうから自分で行って調べてきなさい。私が指定したところは、裏で手を回しているかもしれないから、この当たりがだいたい神田の問屋街だということは教えてあげるから、後は自由に十軒でも二十軒でも好きなだけ回って調べてきなさい。」といわれまして、実際三軒くらい回りましたが、父のいっていた金額とまったく同じでした。ここで、父がよくいうことなんですが、「法を説く人間が、たったひとつの嘘もついてはいけないのではないか。」と、確かにそうです。身の保身という嘘は、絶対に法を説く者はしてはいけないと私は思います。嘘をつくというか、方便としていうというのは、法華経の代名詞的な教えとしてあります。それは、お釈迦様がここでもって嘘をつかねばならないという時にやむをえずつくわけで、自分の身がいとおしいからつくわけではないということは、私以上にご存じと思います。
 このような理由から、麻原彰晃――もう松本智津夫ですね――という人間のいうことは一字一句たりとも信用することはできないと考えるようになりました。そこで、本当の意味でオウム真理教というものから私は決別できたわけです。
         四
 今まで私が宗教というものに求めていたものは、「平安」というものかもしれません。「解脱」あるいは「悟り」とは同意義語だと私は思います。もし、こういうものが達成されるものならば、世の中のどんなに煩わしいことにも心を動かされることなく、静かに生きていけるという、そういったことを当初は求めていたのではないかなあと思います。今、宗教に求めることというのは、はっきりいって自分でもよくわかりません。何を求めるべきで、何を求めてはいけないのか。ただ、一ついわせていただくならば、たぶん「寛容性」ではなかろうかと思います。どんな悪人であろうと、善人であろうと分け隔てなく受け入れてあげるという寛容性だと思います。その平安の求め方というのは、宗教によっても違いますしその定義も違いますが、しかし寛容性ということについては、おそらくどの宗教でも通用することではないかと思います。もし寛容性というのがあれば、宗派というものも超えられるし、人種も超えられるし、宗教だって何だって超えられるのではないかという気がします。
 それから、もうひとついっておきたいことがあります。今の人たちというのは、非常に極端だと思います。つまり、自分も含めてなんですが、物事をある意味でいうと真正面からしか捉えることができない人と、そうではなく徹底的に穿って見る人と非常に極端に別れています。しかし、穿って見る人でも実はそうした精神性というものを一〇〇パーセント否定しているわけではありません。たとえば、占いとかお呪いの類は、信じたりある程度指針にしたりしています。そのよい例が、血液型占いとか星座の星占いなどは、どういうわけか無条件に信じていても「あいつは怪しいではないか」とはいわれません。そういった逃げ道は残してあります。ところが、大まじめに心の問題を語ろうとすると、全く相手にされない、怪しい奴だというふうなことになってしまうわけです。この辺の二分化というのが、だいぶ問題があるのではないかと思います。
 それから最後に、「家」というものについて話をさせていただきたいと思います。というのは、絶対に家というものからは離れることはできないわけです。つまり、家庭から出たとしても次はオウム真理教という家に行くわけです。やはり、そこは自分の安心できる家なんです。それはあくまでも家から離れて物事を考えることはできないという、日本独特の民族性といったらオーバーかもしれませんが、この事も考えておかないとこれから物事を考えていく時に難しいのではないかと思います。
 これで、私の話を終わらさせていただきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

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