パネルディスカッション
テーマ「誓願」
パネラー 立教開宗慶讃会教宣部会部会長
井本学雄
お題目総弘通運動本部企画会議委員
三原正資
現宗研新宗教研究プロジェクトメンバー
貫名英舜
全国日蓮宗青年会委員長
風間隨修
コーディネーター 日蓮宗現代宗教研究所所長
石川浩徳
司 会 それでは只今よりパネルディスカッションを始めたいと思います。今回のパネルディスカッションは、会場の皆さん方、お一人お一人に参加をしていただいてすすめてまいりたいと思います。宜しくお願いいたします。
それではパネラーの方をご紹介いたします。まず、御遠忌は知恩報恩、ならば立教開宗は弘教の誓願であるべきと主張し続けてこられました立教開宗慶讃会教宣部会部会長をお務めの井本学雄さん。誓願から実践へ、立教開宗には挑戦、チャレンジの精神で望むべきと主張されるお題目総弘通運動本部企画会議委員の三原正資さん。時代を見よ、時代を知る人材の育成こそが立教開宗七百五十年の鍵を握ると訴える、現代の若者の宗教事情に詳しい現宗研新宗教研究プロジェクトメンバーの貫名英舜さん。そして、立教開宗七百五十年以降の宗門は我々が築く、若者は未来に向かおうと意欲を掲げる、二十代、三十代の青年僧を代表してご出席の全国日蓮宗青年会委員長の風間隨修さんです。コーディネーターをお務めいただくのは、只今基調講演をして下さいました現宗研所長石川浩徳さんです。
ディスカッションに入る前に、皆様方にお配りの黄色カードと赤いカードを使いましてご質問をいたします。
宗門や管区はさておき、皆様方ご自身はいま立教開宗七百五十年に向かって意欲的な気持になっているか否か。どうぞ正直にお答え下さい。YESの方は黄色カード、NOの方は赤いカードをお挙げ下さい。
――アンケート集計――
かなりNOの方が多いようです。このご意見を参考にパネルディスカッションの幕を切っていただきたいと思います。宜しくお願いいたします。
コーディネーター 私にはYESとNOが半々に見えましたけれども、今になってもまだ燃えてないということは、燃えさせるものに欠けるのかもしれないことも考慮にいれまして、パネラーの方々に発言をしていただこうと思います。
初めに井本学雄さんから慶讃会から教宣部会でテーマが「誓願」と決まりました経緯を含め、お考えを述べていただきたいと思います。
井 本 私の心の中にあるものを皆様方にお伝えしたいと思います。立教開宗七百五十年の慶讃奉行実行委員会は平成五年の七月に伊藤通明宗務総長の時に発足し、事務局長は現教務部長の斉藤邦昭上人でございました。機構、組織、事業と合わせて十二項目のことを提言されましたが、平成五年十二月に奥邨総長に内局が変わり、篠原智高事務局長のもとで基本テーマを如何にすべきか教宣部会で案を練っておりました。
その時に平成六年七月十日号の「日蓮宗新聞」に大きく奥邨正寛総長と日蓮宗新聞社社長の原智栄上人との対談が発表されました。そこには、七五〇慶讃の基本は「報恩」であると示されていました。私は「報恩」といえば違うとはいえないが、七百遠忌の時は「知恩報恩」ということで現代宗教研究所ならびに教研会議で積み上げて来た経緯があり、立教開宗はそれをそのまま引きずっていいのかな、と感じたわけです。
宗門では五十年毎に必ず大きな三つの法要を奉行いたします。それは宗祖の降誕会であり立教開宗会であり宗祖報恩会式でございます。伝道宗門である日蓮宗教師は、この三大法要に当面するときに何に焦点を合わせて布教すべきかを考えなければならない。そこで私見を申し上げますと、降誕会は人材育成や教育、法器養成を取り上げ、仏子の育成に力を注ぐべきではなかろうか。また立教開宗では、弘教、教えを弘める、法を弘めるという、法華経の宣布に力点を集中して行うべきではなかろうか。遠忌は、まさに知恩報恩であるという持論を以前から持っておりました。
そこで私は教宣部会で法華経のみ教えを弘める弘教をテーマに主張いたしましたが、教宣部会では弘教では檀信徒にわかりにくいのではないか。誓願にしようということになり、「我本誓願を立てて一切の衆をして我が如く等しくして異ることなからしめんと欲しき」(方便品)という本仏の誓願、そして宗祖が『開目抄』で「詮するところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。(中略)本と願を立つ。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてゝ観経等について後生を期せよ。(中略)大難出来すとも、智者に我義やぶられずば用いじとなり。其外の大難、風の前の塵なるべし。我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず」(定六〇一頁)とお示しになっている本仏から日蓮大聖人に継承された誓願を現在に活かしていく。活かされているかどうかを考えた時に、残念ながらそのような誓願は皆無に等しいのではなかろうか。
そう反省するとき、教団そのものの危機意識の欠如、教師一人ひとりの信仰の低下、教師としての自覚の無さ。これらは内なるものですが、外には新宗教とか新新宗教の跋扈、また環境破壊等の波が押し寄せているのに知らぬ顔で教師が一向に心を起こさない。今こそ教師が総懺悔をして、現代に活かされている我々が本仏の教え、宗祖の指針に従ってどう誓願を立てるかが問われている。そういうことを考えて教宣部会で基本テーマを「誓願」とし、スローガンを「お題目から、はじまる。」と決定し、実行委員会に上げたのが経緯であります。
コーディネーター ありがとうございました。次に三原さんから、そのテーマ「誓願」の決定をみた上で布教教案の制作にあたったスタッフの一人として感想を含めて述べていただきたいと思います。
三 原 私のキーワードは「挑戦」です。この根拠は何処にあるかと申しますと、「特別布教教案」五十頁の『撰時抄』に「此度仏法を心みよ」とあります。これが「挑戦」の語義です。
一九九六年という年を私たちはどう理解したらよいのか。私の好きな作家で藤原新也さんという方がおります。『インド放浪』とか『チベット放浪』などの写真集を出しておられますけれども、この方が先日「私たちは、この半世紀に二度戦争をした。先の太平洋戦争とそれに続く経済戦争。太平洋戦争は広島と長崎の原爆投下によって幕を閉じ、経済戦争はバブルの崩壊に続く阪神大震災、そして東京の地下鉄サリン事件によって幕を閉じた。はっきりいって日本はまた焼け野原になったのだと思う。今後はこの心の焦土に立ち、そこで何をするかということだね」と述べていらっしゃいました。私は一九四五年には日本の物が焼け、そして五十年後の一九九六年には心が完全に焼け落ちてしまった、というふうに考えるのです。現在のHIV訴訟など社会の動きを見ていますとよく分かると思います。
では、そういう状態のなかで私たちは立教開宗七百五十年を前に一体何をしようとしているのかが一番問題であります。そこで「教案」を開いていただきたいのですが、六四頁の『法蓮鈔』に「法華経を持つと申すは経は一なれども持つ事は時に随いて色色なるべし」。あるいは五四頁『転重軽受法門』に「法花経は紙付に音をあげてよめども、彼の経文のごとくふれまう事わかたく候か」。日蓮聖人はこう教えられています。これは宗祖が私たちに法華経実践の方法を教えて下さったものと、私は受け止めております。この教えから、いま私たちの行っていることは日蓮聖人の心に叶っているのだろうか。こういうことを痛切に反省しなければいけないと思うのです。この会議におきましても、他の方がどうしているのか真剣に耳を傾けていただき、「よし、私はこういうことをやってみよう」と誓願をし、そして挑戦をしていただきたいわけです。
日蓮聖人は先程も申し上げましたように「此度仏法を心みよ」とおっしゃておられます。では具体的にどうするのか。その問題点は何か。この総弘通運動第三期の重要な項目に「社会教化運動と社会的貢献」という項目がございます。宗祖も「教案」の六四頁にありますが「裸なる者は衣を求む。水は用なし」(『法蓮鈔』)とおっしゃられています。第一現代教学部会で取り上げます宮沢賢治も、信仰の具体的な活動としては羅須地人協会を設立して農民救済に献身していったのであります。では、私たちは何をすべきなのでしょうか。
私は宗務所の護法事務長もしております。これからは社会貢献が大切であるということで、宗務院で提唱してますラオスの小学校建設に管区として協力していこうではないか、と協議員会へ提案しました。しかし、その席の反応に私は驚きました。何人かの方が宗務院のいうことは信用できない、ということであっさりと蹴られたわけです。私は誓願とか運動とか申しても、中央と地方、宗務院と我々教師、その相互信頼の確立がないと不可能であろうと考えます。さらに「チャレンジ」「挑戦」ということは、新しいことをやっていく。新しいことをやっていくうちに、我々の組織が柔軟なものに変わっていくのではなかろうか。こういうことで、「誓願」そして「挑戦」ということを大きな意義を持って強調したいと思っておるわけです。
コーディネーター ありがとうございました。続きまして貫名さんから「人材」とキーワードが出ていますが、立教開宗七百五十年もテーマが「誓願」に決まり、予算が決まり、事業内容が決まるなかで、今後それを活かしていかなければならない。そのためには「人材の育成が最重要課題である」ということを踏まえてご発言をいただきたいと思います。
貫 名 私は、極めて諦めの早い人間でありまして、宗政の間接民主代議制で責任ある方々が責任あることとして決められたものについては、それ自体として受け入れたいと思っている立場であります。しかし、この予算の配分をみますと、入れ物を作るというところに最も重点がおかれていることは、皆様方も思われることかと思います。
考えてみますと、いま我々はどういう危機的位置に立っているのか。相当に危ないところに至っているのではないか。そのような認識に立って二十一世紀における我が日蓮宗、唯一の日蓮大聖人のお教えを布教伝道するという役割を自ら担っていく日蓮宗が、どういうビジョンを描いていくのか。二十一世紀の中盤に至るまで、一体我々は未来に対してどういう展望を描いていくのか。そういうことに対する議論が些か欠けているのじゃないのか。責任ある方々が責任ある立場でお決めになったことであるならば、そうしたビジョンまで描いていく。もし現在ビジョンが描けないのならば、ビジョンを描き得る人達を宗門が大事にしてその方々の意見をどんどん聞いていく。そうしたことが、現在問われていることのひとつではないかと思います。
実は私はオウム真理教脱会カウンセリングをしておりますので、オウムに入ってしまって抜け出た若い人達とたくさん話す機会があります。その人達がどういう発言をしたかといいますと、「もうお寺には宗教というものはないのだ」という意見がありました。これは瀬戸内寂聴さんとの対談のなかで元信者がいっていた言葉で、かなり有名な言葉です。「お寺というものはすでに風景の一部になってしまった」、とよく話せば話すほど若い人のなかに宗教に対する考え方の違いが現れてくる。そうした若い人たちの宗教に対する要望を読み取って行くことが絶対に必要なのだということです。
簡単にいいますと、私たちは非常に言葉による布教に頼りすぎている。しかし彼等の求めているものは、体で感じるもの、感覚で感じるもの、真にそれ自体として自分の体と心で全て受け取れるようなものが宗教だ、という認識がある。その対極に立つ我宗の宗教というものは、まさにそれは頭で考えるものでしかない。だから宗教ではない、という一つの結論になる。
はたして日蓮大聖人の宗教がそうであったでしょうか。私には、宗祖の宗教とは「身体」と「観念」が未分のものとしてあったとしか思われない。私は我宗が、または私たちの宗教というものが置かれている危機を「身体」を失ったロゴス偏重性と人材の画一性に見るわけです。私は「身体」を取り戻すということを「人材の育成」というカテゴリーで見たい。人材の育成についてこれから先、大胆な踏み込んだ考え方をしていき、ある意味で宗門とは何かと問われたときにそうした多様な人材の集合体である。人材バンクである。そこまで見なしてもいいのではないのかなと考えておるわけです。
極端な例ですが、極端な例として提示しながら皆様方にお考えいただくわけですが、韓国仏教のなかで曹渓宗というものがあり、伝統的に山の中に籠もって修行をする、禅宗の一派です。経済成長にともなう都市化の対応として山の中に籠もって修行をする修道僧のグループと街へ出て妻帯をして布教伝道を行う布教僧とにハッキリ二つに役割を分けている。例として適切ではないかもしれませんが、私たちのなかで様々な専門分野を持つ人がいて、その人達がそれぞれ「私にはこういう能力がある。だからこういう仕事に役立ちたい」と申し出る。そうした方々をコーディネートするようなものが宗門というものの役割なのではないかと思います。しかし当然そこには人材の育成ということが関わってくるわけであります。
私たちと違う宗門が二十一世紀を迎えるにあたり、二十一世紀をどう迎えるかというビジョンを立てております。一番最初には一五〇億とか二〇〇億という予算を立てていましたが、バブル崩壊後その後大分減額させてはおりますが、人材育成にかけるパーセンテージは断固としてそれを減らさなかった、という教団が私たちの隣にある。この事実を私たちはしっかり見つめていかなければならないと考えます。
これからの六年間に「誓願」についての様々な話し合いがなされるなかで、どうしたならば人材を育成しうるのか。二十一世紀の我が宗門を担い得るところの人間をどうしたら作れるのか。このことについての真剣なご討議を是非お願いしたい。それを私の「誓願」といたしたいと思います。
コーディネーター ありがとうございました。次に全国日青の委員長でもあります風間さんから、若い僧侶は「未来」に向かって何を考え何を行動しようとしておるのか、などのご発言をいただきたいと思います。
風 間 「いまの若者はこれからどうしていくか」「最近の若い者は、全日青はこれから何をしていくのか」というようなことをよく聞かれます。
私も七五〇が始まる最初のころは、若い世代の人のなかから何かをやっていこうと相談に来る方がいなかった状態だと思うのです。それは七五〇をやっていこうという意識がないのですね。先程皆様方に聞きましたように、関心がない方が半分以上おられる。若者だけでなくお年を召した方もそうであるということから考えますと、「最近の若い者はどうしているんだ」といっている人達も実はそういう最近の若い人達と同じであると考えられるわけです。
これから未来に向けてスタートするのですけれども、反省と確認をしていかなければいけないなと思います。全国的にどう考えているのかというところから入るわけです。まず「誓願」とは何なのか。今日いらした方は講演を聞いてわかっておられますけれども、帰ってから管内の各青年の方々にどう伝えて下さるのかということです。
最近、私を含め若い僧侶に自覚のない者が多いと思うのです。日蓮大聖人の弟子であるという自覚、これが段々と薄れてきていると思います。御遺文をみても、肌に日蓮聖人を感じなくなって、弟子であるという自覚がなくなってきているのではないか、というのが一つです。それと若い僧侶が特にそうなんですけれども、現代社会生活のなかに浸かってしまっている。アット・ホーム的になっている。家庭を大事にするということも考えられる。それから自坊が忙しいこともあるのでしょうけれども、自坊も安定してお寺の法務が事務化してサラリーマン的な僧侶になってきているのではないか。この三つが私たち現代の僧侶としての自覚がない、薄れてきているところの問題ではないかと思います。だからいま危機感がないのではないかというところの危機感が感じなくなってきていると思います。
情報社会の中、最近の若い人はたくみにその情報をインプットしますので、直に御祖師様・先師・先哲の人達のお話しをインプットしていくことが大事だと思います。まずインプットして今の若者なりにどうなのかという評価、七百年の時はどうだった、それをどういうふうに今度は現代の社会に活かし、布教していくのかと繋げていってはどうか。国際社会、ボーダレスの時代だといわれていますけれども、インターネットのように世界に向かっていったり、また日本では物質に恵まれていますので、精神的なケアをしていく。それと現代の一般青年たち若者たちの宗教観には何か罰が当たるのではないかとか仏様・神様がいらっしゃると思っているなかで入信していく部分をこちらからわかって、頑張って布教していく。
全国日青としましては、こういうことを模索しながら、檀信徒の育成のために修養道場を強化し、全国に展開していこうと信徒青年会を作っていくことも考えております。それからインターネット、マルチメディアによる布教も手掛けていく。また御遠忌の時は全国日青の先輩たちが率先して行脚をやってこられましたけれども、今度は強制的に宗門からいわれた。これをどう受け止めていくか。立教開宗としての意味を考えた行脚など、そういうことを模索しながら未来を見つめていきたいと思っています。
コーディネーター どうもありがとうございました。井本さんからは「誓願」というテーマが決まった経緯について、教師の自覚の低下、その気持ちを喚起しなければならないということから、いま一度「日蓮聖人のご誓願」を我々宗徒はあらためて受けとめ直し、教師一人ひとりがその誓願をどう受け継ぎ、どう行動するかが述べられ、三原さんからは、「仏法を心みよ」のご聖訓を「挑戦」という表現にして、これからは社会教化活動こそ誓願の実践ではないかとの発言がありました。また貫名さんからは、二十一世紀に宗門が必要な存在となるためには、宗門全体が人材の集合体になっているか否かが鍵であり、風間さんからは、どうも最近の若い教師には、宗祖の弟子であるという自覚に欠けている者もいるのではないか。自分を含めてこれからはサラリーマン的僧侶ではなく、宗祖の弟子であるということをしっかりとインプットして次へ伝えていかなければいけない、と発言がありました。
只今、四人の方から「誓願」「挑戦」「人材」「未来」というキーワードでご発言をいただいたことに対して、皆さん方意見がございましたらお聞きしたいと思います。
何もありませんか。……何も発言がないのは燃えていないからでしょうか。インタビュアの方、ちょっと皆さんに聞いてみて下さい。
インタビュア 何故燃えていないのかということについて、どうですか。
参加者A 七五〇の慶讃事業に宗務院庁舎などを建てるというように建物を建てることが挙がっていますが、これではどういう燃え方になるのか。つまり事業に対して不満がありますので燃えることができないと思いました。
司 会 事業の内容で燃えられない、燃えることができないということでございます。他にございましたら、お願いいたします。
コーディネーター 建物の建設が目立って、それ以外が目立たない。先程の貫名さんの発言のように、未来に向かっての人材育成とか布教教化のためにどうするのかということなどが少ない、もっと建物以外に力を入れろというご意見なのですね。
司 会 これを皆さんにアンケートとってみましょう。
今回の事業計画の内容を自分はあまり面白くないと思っておられる方は黄色、いやあれでいいじゃないかと思われる方は赤をお挙げ下さい。
――アンケート集計――
司 会 事業内容について、約八〇パーセントくらいの人にご不満の意思がかなり強いように思われますが、石川先生いかがでしょうか。
コーディネーター 事業計画の最初にあまりにも建物が強烈に皆様のあたまのなかにインプットされてしまったということでしょうが、けっしてそれだけではないということについて井本さんいかがでしょうか。
井 本 確かにご指摘があったように立教開宗七百五十年準備委員会の段階から一〇〇億という数字が一人歩きをしていました。その後、実行委員会が発足してからも、宗務院の庁舎や清澄の研修会館建設にともなう素案づくりに、かなりの時間がかかり、いよいよ七五〇の総予算が発表されるや建設事業予算の大きさに、全国の多くの宗務所長から要望書が提出されましたことは、皆さんご承知のとおりです。
一方、教えを弘める施策を担う教宣部会の存在がかすんだことは、残念でした。事業計画書をみても、けっして建設事業だけではなく、慶讃事務局発行の「特別布教教案」や、「お題目から、はじまる。」等を読んでいただければ、法を弘めていく布教をどう行なうべきかの取り組みもわかっていただけるのですが、その周知徹底が少し欠けていたように思います。
コーディネーター それでは「特別布教教案」を読んでいるのか読んでいないのか聞いてみて下さい。
司 会 全員にお聞きしましょう。既に皆様方のお手元に配られております「布教教案」を一通り全部読んだという方は黄色、まだ目を通していない、あるいは今日始めて見たという方は赤をお挙げ下さい。
――アンケート集計――
司 会 「布教教案」については、圧倒的に赤が多かったように思われます。七割強の方が読んでいません。
「布教教案」以外にも「計画書」や「お題目から、はじまる。」という小冊子が出ておりますが、同じように「事業計画書」に目を通したという方、ある程度の事業計画の内容を言える方は黄色、わからないという方は赤をどうぞ。
――アンケート集計――
インタビュア 六割の方が読んでおられません。
司 会 それでは、「お題目から、はじまる。」という小冊子に目を通したことのある方は黄色、見たことがない方は赤をどうぞ。
――アンケート集計――
インタビュア 赤が若干多いですね。
コーディネーター 読んでいない、見ていないという方が多いようでありますが、何故読んでいないのかインタビューして下さい。
司 会 何故読んでいないのかということですね。どうぞ率直に発言して下さい。
参加者B 只今の質問で「読んだ」のと「理解した」のとは違うと思います。私は読んだのですけれども理解はしていない。そういう聞き方もしてみて下さい。
司 会 まったく意味が違いますね。ではもう一つお聞きします。「布教教案」を一通り読んで理解をしたという人は黄色、読んだけれども理解できなかった、何が書いてあるかわからなかったという人は赤をお挙げ下さい。
――アンケート集計――
コーディネーター 読めばある程度は理解ができるという方が半分くらい、読んだけれども理解ができない、納得ができないという方が半分。さてそこで、「布教教案」はそうとう前に出ておりますけれども、三原さんのほうから今日お集まりの方々の反応を受け止めて、どう感じたかお願いいたします。
三 原 結構読んだ方が多かったと思います。うちの管区で聞いてみますと、大抵読んでいません。やはり教研会議に来るような方はさすがに十人のうち三人くいらいは読んでいるというのでも、多いなと思っております。
コーディネーター 「お題目から、はじまる。」は、教師だけではなく檀信徒にも配付をする目的でパンフレット形式になっているのと、小冊子のものがありますが、檀信徒に配る前にはおそらく住職・教師も読んで、そして理解をして配っているのではないかと思うのですが、檀信徒に配っているかどうか聞いてみて下さい。
司 会 「お題目から、はじまる。」という小冊子をすでに檀信徒に配っている方は黄色、配っていない方は赤をお挙げ下さい。
――アンケート集計――
インタビュア 三割弱の方が配っておられます。
コーディネーター 三分の二は配っていないということですね。もっともポスター等もどんどんと参りましても一向に掲示をしない。それを掲示をする場所がない。ポスターそのものがあまり掲示をするほどのものではない。いろいろな理由でそのままになっているようですが、読んだだけ配っただけというのではなくて、七五〇の最初に出されたものとして「お題目から、はじまる。」の中身が非常によかったと思われる方がおられるかどうか聞いて下さい。
司 会 「お題目から、はじまる。」を読んだ方にお尋ねします。読んでとても内容が良かったと思われる方は黄色、つまらなかったと思う方は赤をお挙げ下さい。
――アンケート集計――
インタビュア 読まれた方の三分の二は良かったということですね。
コーディネーター 中身は相当良いという反応ですから、未だ配っていないという方も是非配っていただいて、七五〇が如何なるものであるかを檀信徒に理解してもらい、立教開宗七百五十年には「お題目から、はじまる。」ということを教師自身はもちろん檀信徒の意識を盛り上げ、正当年には大聖人の御前にまず参集したいものと思います。
さて視点を変えまして、先程貫名さんから人材育成が大事だ、宗門はむしろ人材バンクのようなものにしていかなければならないという話がありました。宗門にもかくれた人材は多いと思いますが、そのバンク的機能をもったところが現在ありません。
そこでお尋ねしますが、皆さんは布教の現場に立たれるわけですが、実際に自分も勉強もし、情報も得ておかねばならないのは当然ですが、とりわけ七五〇の推進のため積極的に努力をしているかどうか。いかがでしょうか。
司 会 七五〇に向けて教化活動に特に力を入れているつもりの方は黄色、いや特に意識していないという方は赤をお挙げ下さい。
――アンケート集計――
インタビュア 半々くらいですね。
司 会 もっと意見を聞いてみましょう。
参加者C(長崎県 楠本

昇) 七五〇に向けて燃えているという言葉の意味がよくわからないのですが、私自身、日々の教化活動においてその場その人に応じて地道にまた一生懸命行うことの通過点として七五〇がある、というように理解しております。
司 会 七五〇というのは、あくまでも通過点である。日々の教化活動を地道に取り組んでいくことが大事であるということですね。
そうしますと、今手をお挙げにならなかった方には、特に七五〇というものを意識せず、日常頑張っているという方もいらっしゃるかもしれませんね。
コーディネーター 特に七五〇だから燃えるとか燃えないというのではなく通過点として捉え、それなりに布教効果を挙げるべく努力はしているということですね。特別に今回だけ燃える必要もない、むしろ不断の努力が大切だというご意見なのですね。
いま少なくとも八〇億に近い予算を立て、立教開宗七百五十年に向かって全教師が行動をおこそうではないかと「布教教案」もできております。そういう意味合いにおいて「誓願」がテーマですが、あなたにとって「誓願」とは何なのか。それをインタビューしていただけませんか。
司 会 あなたにとって「誓願」とは何か。皆さんにマイクを向けて下さい。
参加者D(島根県 米田宣雄) 先程も建物のことが出ましたけれども、私もその事業に関しては反発があります。今回の七五〇の事業や理念に関しても日蓮宗の日蓮正宗化、日蓮聖人の日蓮本仏化といいますか、私はそういう方向に進んでいるのではないかと非常に懸念をしております。お題目といっても外国の人ばかりでなく日本の人でも大方の人が学会系あるいは新宗教系だと思う人が殆どだと思います。私は日蓮宗の日蓮法華宗化が日蓮聖人の誓願ではないかと思いまして、そういうふうに努力していきたいと思います。
コーディネーター もう少し「あなたにとって誓願とは何か」を聞いてみて下さい。
参加者E(秋田県 柴田寛彦) 私の誓願ということで、発言させていただきます。
私の本当の誓願は私自身が仏に成ることですが、その内容の一つとして、皆さん方がどう考えておられるのかお聞きしたい点があるのです。本日の石川上人のご講演のなかでも非常に感動した点がいくつかありますが、そのなかで戦後の総監の発言が「立正安国はひとつの民族ひとつの国家のものではない。世界全体あるいは宇宙全体を視野に入れた立正安国というものを私たちは求めていかなければいけない」という意味合いだったと思います。これからはそうい観点で布教等を念頭におかないといけないと思います。
実際問題として、七五〇あるいは日常の布教活動のなかで世界を視野に入れているだろうか、ということを考えますと非常に心もとない。日本国内の、我々仲間うちの、一つの民族のなかでの活動にすぎないと思うのです。私たちは、誓願あるいは立正安国といった場合には、世界に向かってお題目・法華経を如何に弘通していくか、ということを大きな課題として持っていないといけないと思います。私自身そういう観点からいろいろ考えなければいけないと思っています。私の誓願のひとつは、「世界に向かってお題目を発信する」ということであると話題提供の意味でいわせていただきました。
コーディネーター ありがとうございました。自分の誓願と合わせまして、これからは世界に視野を向けていく。国際社会のなかでの自分、国際的視野に立っての日蓮宗ということも考えていかなければいけないということですね。
参加者F(千葉南部 影山教俊) 先程貫名先生は人材について「いろいろな能力を持った人材を育成し、それをコントロールするような組織が、宗門という入れ物の役割ではないか」とおっしゃられた。そして、オウム真理教のメンバーから見るならば「お寺に宗教はない」ということを指摘なされた。
つまり、彼らの考え方が象徴していることは、今の既成教団は宗教の皮をかぶっているけれど、実際は寺院組合、葬儀法要のために存続しているだけではないか。そんな風に感じられると思うのです。
ですから、いま宗門が立教開宗七百五十年を迎えるために、「誓願」ということを打ち出しても、なかなか纏まらないのは、我々が寺院組合というような基盤に立っているからだといえないでしょうか。
そこへ唐突に宗教をくっつけて「誓願だ!」「さあどうしよう」「お題目を弘めればいいんだ!」「教義を伝達すればいいんだ!」と話がもって行かれると、最終的には七百五十年記念の建物を作る以外に何も出てこないのです。
先程貫名先生が指摘されたように、宗教が機能しているか、否かということをハッキリと自覚した立場で、多くに人材が育成され、社会的に機能するような宗門機能がいま求められている時代だと思うのです。
コーディネーター 貫名さん、いかがですか。
貫 名 ほぼおっしゃる通りです。ひとつの論理、言葉で説明できるものよりは、宗教の身体を取り戻さないといけない。例えば、本当に人に安心を与えられるのか、本当にひとりの人に対して癒しを与えられるのかということがメルクマール、指標になるのです。そうしたことに乗り出していく行動と理念とが同時平行していかないと現代では宗教が宗教たりえなくなってしまうのではないかと思います。
前々から葬式仏教というひとつの批判がありましたが、これはまだ手緩い批判だったのですね。それに対してオウムの若い人に「お寺には宗教がない」といわれてしまったということは、本質を突いた問題として捕らえてもいいのではないか。ただし私は日蓮宗とはいつでもそこから再生しうる能力を持っているという安心がありますから、こういうことを平気でいえるのです。
いま影山さんからいろいろご指摘があった通り、私は日蓮宗がどう社会と関わるかということが切り口だと思います。どういう切り口で関わるかという具体相をそれぞれの人が持っているかいないかだと思います。その具体相のひとつとして、先程の柴田上人から紹介があって、今年度から具体的に始めるビハーラ講座、死の看取りというところまでいく講座へと主体的に私たち教師の何人かが参加していく。また第四現代社会問題部会で取り上げられています日蓮宗ボランティア・ネットワークLOTUS。いわゆる阪神大震災から始まったボランティアの問題。これらを日蓮宗のなかのネットワークとして自主的にやっていこうとする動きがあります。それから日蓮宗のなかに既にあるのですが、全国家庭児童相談室のカウンセリング事業です。実はオウムの問題というのは家庭問題なのです。ですからいくらオウムの人達を牢屋に閉じ込めても家庭が壊れている。我々住職の立場で檀家に少しでも手を差し延べていくという気持ちがなければ、本格的にカルトの時代が来てしまう。そういうことが私たちにはできるのではないか。
そうした切り口で、我々自身が社会の求めることに対して対応し、人材を育成していくことが、いわゆる“身体”を取り戻した宗教、頭だけでものを考えるのではなく、実効性を持っている宗教たりえるのではないかと思います。
コーディネーター 井本さん、影山さんの意見を聞いていかがですか。
井 本 人材養成ということは非常に大切な要素だと思いますが、さて私たち自身は一体どうなんだろうか。日青の風間上人からも日蓮大聖人のお弟子であるという自覚がないと指摘がありましたが、私たちは今、何を本仏や宗祖に対し、懺悔をしなければいけないのか。私は懺悔がなかったら誓願は出てこないと思うのです。誓願が出てきて始めて修行、行があると思います。それがすすんで、最後に回向というものが出てくると思うのです。懺悔が私たち教師にあるのかないのか問題です。私は、寺はまず第一に懺悔をする場であり、本仏や宗祖のみ心に交わる処だと思っております。教師に懺悔があるかないかについて、皆様にお聞きしてみて下さい。
司 会 全員にお聞きいたします。いまの井本さんのお話しをお伺いになりまして、私には懺悔の気持ちがあると思う方は黄色、いや特に意識したことがないという方は赤をお挙げ下さい。
――アンケート集計――
インタビュア ほとんどが黄色です。
司 会 懺悔の心をインタビューでお聞きしたいと思います。吉本さんから手が挙がりましたのでお願いします。
参加者G(山口県 吉本光良) 先程の「誓願」のことと一緒になるかもしれませんが、実にどんどん素晴らしい方向にすすんでいますけれども、私の誓願の本音は、自分のお寺を食べられる寺にしたい。これであります。自分のお寺では食べられないと思って逃げておった人間でございます。兄貴が逃げたから仕方がないから帰ってきましたけれども、そのお寺を自分と同じ思いを跡継ぎにさせたくない。これだけであります。そのためには勉強しなければならないし、どんなことにも対応しなければならないと思っております。そして一カ寺でも多くのお寺を自分と一緒に育てていきたい。実際問題その日その日が汲々で、あるいはお寺に入ったけれども食べられないからといって辞めてしまう教師もおるわけでございます。「誓願」で燃えていこうということは宗門を盛り上げていかなければならない。それぞれのお寺さんが経済的な心配を少しでもしなくてすむお寺になっていただきたい。道から外れるかもしれませんけれども、懺悔であり、また自分の誓願でもあると思っております。
司 会 とても率直なご意見だと思います。こういった正直なところを皆さんにお聞かせいただければと思います。他に如何でしょうか。
参加者H(北海道西部 小松智元) 質問に答えることにならないかもしれませんが、今までのお話しを聞いておりまして、私の誓願は何かということを述べてみたいと思います。
その前に燃えるか燃えないか、やはり日蓮宗は七五〇に向かって燃えていないと思います。燃えるようなものも私たちには感じさせていない。感動が薄れている。これは過去の僧侶教育の欠点というか、それがなかったからではないかと思います。私自身には感動はありますけれども、薄いということに反省をいたしております。私の誓願ですが、七五〇と私の生命の終極が一致したような状態でございます。それだけに私は日蓮聖人の御遺文をできるだけ日蓮宗だけでなく他の多くの方々にも読んでいただくように、その努力を死ぬまで続けたいと思っております。常不軽菩薩の行にならって、死ぬまで努力をしたいと思っております。(拍手)
司 会 ありがとうございます。もうひと方、いらっしゃいませんでしょうか。
参加者I(長野県 松井教一) 「誓願」と七五〇の関係がいろいろと出ておりましたけれども、今回の中央教研の統一テーマが「七五〇に向かって」ではなくて「七五〇の向こうに」へと最終的に絞られてきたという意図を考えますと、中央教研が上位下達式に中央から地方へ一方通行にものをいう場ではなく地方と中央との接点を大事にし、その上で作ったテーマであると、こうなってて良かったなと思うわけです。
七五〇に対して今燃えていない。非常に正直な反応であろうと思うのですけれども、「七五〇の向こうに」という自分たちで作っていく七五〇、ハードではなくソフトの部分をどうするんだ。実際に教師が参加していかないと動かないわけですから、そういうものを今日この場で全国から集まっていただいた皆さんにどんどん出していただき、さらに七五〇からその向こうへいくビジョンを描いていけたらなと思っております。七五〇の向こうに何が見えるのかということが、むしろ誓願ではないか。そんな思いで今回の場に非常に期待をいたしております。
コーディネーター 一応の目途として立教開宗七百五十年があるけれども、我々は当然のことながらその向こうまでも見つめて進んでいかなければいけない。日蓮宗のこれからの教師の自覚としては国際的な視野にたって進むべきだ。また身近な問題として、布教の拠点たる寺がしっかりとその基盤を築き上げることも大切である。そういうことどもが、まったくべつの問題ではなくてひとつの問題であると考えられます。それぞれが「誓願」とは何か。そして自分にとってどう理解し具体的に活動していけばいいのか。私ども年配者もそのつもりにならなければいけないですが、未来に向かってすすんでいく若者に対しても、大きな期待を寄せています。
もう時間もせまって来ています。最後にひとつだけお聞きしたいのですが、先程風間さんから全国日青の委員長の立場でご発言がありました。若い人達に期待を寄せる意味合いにおいて、これから先どういうことをしてもらいたいか。ということを皆さんにお聞きしたいと思います。
司 会 それでは全国日蓮宗青年会のこれからの活動に期待をするという方は黄色、期待していないと思う方は赤をお挙げ下さい。
――アンケート集計――
インタビュア 九五パーセントの方が期待する、ということですね。
コーディネーター 今の結果をみて風間さん感想をどうぞ。
風 間 ありがとうございます。私は批判ばかり聞くものですから嬉しく思っております。全国日青に加盟しているのは五六団体。全国の日青が加盟しているわけではないのです。七五〇に向けて若者が枠を越えて本当に手を繋いで大きく発展し、そして七五〇を発進源として未来に向かっていきたいと思っております。是非とも管内に帰られたら若い人達に活動に参加していくように言っていただきたいと思います。本当に宜しくお願いいたします。(拍手)
コーディネーター ただいま皆様方からの期待に対して風間さんから感想が述べられました。このパネルディスカッションは、結論を出すためのものではございませんので、大いに問題意識をもっていただき、七五〇を盛り上げ、これから先に向かっていただきたいと思います。今日は時間も過ぎましたので、これをもって終了したいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)
司 会 パネラーの方々ありがとうございました。最後に皆さんに一つだけご質問をさせていただきますのでカードをもう一度だけお使いいただきたいと思います。いまコーディネーターの石川所長がお話しになりましたように、このパネルディスカッションはあくまでもこの後に行われます部会で個々の問題にわたって議論をしていただくその出発点になればということで、決して結論を求めようとしたものではございません。時間等の制限で十分にパネラーの方々のお話をお聞きすることができませんでしたが、今日は大変にためになった、面白かった、勉強になったと思う方は黄色、つまらなかった、もっと工夫が必要だ、面白くなかったと思う方は赤をお挙げ下さい。
――アンケート集計――
インタビュア 七割弱の方が赤でございます。
司 会 では、努力をしたうえでこの企画は続けたほうが良いと思う方は黄色、まったく違うものを考え直したほうが良いのではないかと思う方は赤をお挙げ下さい。
――アンケート集計――
インタビュア 先程とは逆で七割の方がこの企画をもう少し工夫して続けてくれということです。
司 会 ありがとうございました。スタッフ一同十分に反省をしたうえで、また来年に向けて努力をしていきたいと思います。またこれに関するご意見等をお寄せいただきたいと思います。大変にお疲れさまでした。(拍手)
※発言者の氏名は、わかる方のみ明記させていただきました。
尚、司会は現宗研研究員田島辨正さん、インタビュアは現宗研嘱託大西秀樹さん、宗務院職員桑原美奈子さんにお願いしました。