日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
| 所報第31号:148頁〜 |
研究ノート |
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法華経と「銀河鉄道の夜」
三原正資
(現代宗教研究所嘱託)
一、「銀河鉄道の夜」論の現在
私が初めて宮沢賢治の作品と法華経とが深い関係を持っていることを知ったのは、浅野晃氏の『雨ニモマケズ』(教育新潮社刊)を読んだときのこと、三十年あまり前のことである。「『たった一つのほんとうの切符』――とは、何でしょう。それこそ、『ナムサダルマフンダリカサスートラ』である――と賢治は答えるのであります。」(同 二八八頁)という結論に感動して、賢治作品とのおつきあいが始まった。
今年は賢治生誕百年に当たり賢治に関わる多くの書物が出版された。なかでも、梅原猛氏の所論は、賢治と法華経との深い結びつきに対する正当な理解が社会に定着したことを示すものとして、深い喜びを覚えた。
「賢治が信じた法華経の信仰というものは、まさにこういう人間と他の生きとし生けるものが争い合い、殺し合いながらもなおかつ共存し、互いに愛し合い、思いやる世界なのである。こういう世界をどうして小説で表現することができようか。賢治の文学的表現はその思想の必然上、小説という形式をとらずに、童話という形式をとらざるを得なかったのである。またものを書く動機においても賢治は近代日本のほとんどすべての文学者とは違っている。賢治は法華経仏教を固く信じ、その仏教の教義をできるだけ多くの人に知ってもらうために童話を書いたという。(中略)仏教の深い教えを彼の童話によって表現し、できるだけ多くの日本人を法華経崇拝に入れようとしたのである。」(朝日新聞社『宮沢賢治の世界展』十一頁)
ところがその後、NHKテレビの「人間大学 宮沢賢治」の講師をつとめた畑山博氏の著作を一読して、私は驚いた。
畑山氏の『美しき死の日のために――宮沢賢治の死生観――』(学習研究社)は、賢治の一生を、既成宗教との戦いの末に自らの安らぎの死後世界を獲得していく魂の軌跡と見るという観点から考察したもの。この本の序章で、氏は賢治一生の軌跡を次のように述べる。
「ずっと幼いころから父の影響で仏教に親しみ、十八歳のとき法華経と出会ったことで、賢治はすっかり宗教のとりこになっていったのです。そんな中で彼は、最愛の妹トシを亡くします。最愛の妹トシを失って、そのトシがどこへ行ったのか、会いたい、会いたくてたまらないと悶えたとき、しかし宗教は何の力にもなってくれなかったのです。彼は悩み苦しみます。そして、とうとう自分でその場所を探そうと思います。吹雪の町で、彼は彼女の幻影を見ます。そして、彼女は北へ旅立ったのにちがいないと確信します。絶唱『永訣の朝』を書いた後の、あの悲しくも美しいオホーツクへの旅です。でも彼は、そこで彼女を確認することは出来ませんでした。それでもうこの地上では探すところがなくなって、天に想いをはせたのです。その疼くような魂の軌跡が、あの『銀河鉄道の夜』なのです。それを書くことによって賢治は、今トシが確かにそこにいて、自分もやがて行くだろうという、死後の魂の安らぎの場を見つけたのです。その後に書かれる『農民芸術概論』の中では、宗教ははっきりとこう処断されます。
今宗教家芸術家とは真実若くは美を独占し販るものである。われらに購うべき力もなく、またさるものを必要とせぬ。」(同 三頁)
このように述べて、終章では、賢治が最後に三十二選んだ山々に法華経を収めた経筒を埋めることを遺言したことについて、次のように語る。
「するとあの銀河への熱い想いはどこへ消えてしまったのでしょう。自分の死後の世界を考えるのに、法華経という他者の力に完全に頼り切って、銀河のロマンは棄てたのでしょうか。そんなのは〔迷い夢〕だと棄ててしまったのでしょうか。世間の通説はそんな断じ方をしているようです。賢治は法華経に出会い、法華経のみに帰依し、題目で人生のピリオドを打ったというのです。しかし、本文に書いてきた通り、私にはそんなことは信じられません。あの賢治が、星空への思いを棄て去れるはずがない。他者が作った宗教の仏国土なんかで立ち止まっていられるわけがない。でもそれならばどうしたというのだ。残念ながら私には、覆す証拠も何もなかったのです。」(同 三一一頁)
この文章で分かるように、実のところ氏には「賢治は法華経に出会い、法華経のみに帰依し、題目で人生のピリオドを打ったという」世間の通説を覆す徹底的な証拠はない。それにも関わらず氏はこの直後、経筒を埋めた三十二の山々の頂を結ぶと銀河の星座が表れることから、「この事実は、賢治が人生の最後の章を唯一法華経への依存によって終わらせたかのように言う通説を、完全に覆します」(同 三一七頁)と結ぶ。しかし果たしてそうなのか。星座という「隠し絵」(同)の発見によって賢治のそれまでのすべての事実を否定することは、あまりに乱暴な結論である。
畑山氏は『銀河鉄道魂の旅』(PHP)でも述べる。
「賢治は初め、法華経に帰依して、それによって生き、死のうと考えていました。でもそれが途中でさまざまの汚濁を見て悩みました。そうして、宗教を離れ、自分だけの想念の力で新しい死後世界を描き出そうとしたのです。トシをそこへ送りとどけ、次に自分もそこへ行って安らぐために。」(同 五十頁)
このように畑山氏は法華経を棄てた賢治が自分の心の中で描き出した死後の世界が作品「銀河鉄道の夜」の主題であると言う。だが本当にそうなのか。
二、「銀河鉄道の夜」の主題は何か
妹トシが亡くなった後、大正十三年頃、賢治は「銀河鉄道の夜」の初稿を書き、最終の第四次稿を書いたのは昭和六、七年頃と推定されている(新潮文庫『新編銀河鉄道の夜』天沢退二郎「収録作品について」)。梅原猛氏の指摘のように、賢治は多くの人々に法華経を理解してもらうために童話を書いたとすると、長年にわたって何回も改稿された「銀河鉄道の夜」は、賢治の法華経観を集約したものと考える方が自然である。
斉藤文一氏は賢治の作品の主題について、
たヾひとつどうしても棄てられない問題はたとへば宇宙意志といふやうなものがあってあらゆる生物をほんたうの幸福にもたらしたいと考へてゐるものかそれとも世界が偶然盲目的なものかといふ所謂信仰と科学とのいずれによって行くべきかといふ場合私はどうしても前者だといふのです。すなわち宇宙には実に多くの意識の段階がありその最終のものはあらゆる迷誤をはなれてあらゆる生物を究竟の幸福にいたらしめやうとしてゐるといふまあ中学生の考へるやうな点です。
という賢治の手紙を引用して、賢治童話の主題は宇宙意志を表すことであると述べ、それはまた「銀河鉄道の夜」の隠れた主題であるとも言う(新潮文庫 同 斉藤文一「宮沢賢治の宇宙像」)。
私は、この宇宙意志とは法華経如来寿量品に説かれる久遠本仏を指すと考えている。賢治は久遠本仏の実在を信じ、それを基にした宇宙観を作品として表現した。しかし「銀河鉄道の夜」を読む私たちの前に、主題の姿は現れない。この点について、天沢退二郎氏は次のように指摘する。
「貧しい孤独な少年が夢の中で親友と汽車の旅をする、と一言で要約するにはあまりにも深く悲しく、謎や魅惑にみちた物語(中略)いくつものテーマやモチーフ、イメージの一一が、さまざまな象徴や解釈をよび起こしては再び闇へ突き戻す」(新潮文庫 同 「収録作品について」三四七頁)
最近の若い研究者土田映子氏も、「銀河鉄道の夜」は単に「ほんたうの幸」を定義するために書かれた物語ではない、と述べる(『スカイウオッチャー』誌 一九九六年九月号所収「銀河鉄道の岐路」九八頁)。
容易に主題を把握できない、それが賢治作品の魅力でもある。では賢治作品の主題とされる法華経は、「銀河鉄道の夜」のなかにどのように沈められているのか。
三、隠された主題――私の観た「銀河鉄道の夜」――
A、構成について
法華経二十八品の説法の舞台は、前霊山会、虚空会、後霊山会の二処三会で構成されている。すなわち地上(序品第一〜)、空中(見宝塔品第十一〜)、地上(薬王品第二十三〜)と説法の場所が変わる。
「銀河鉄道の夜」の最終四次稿は、一、午後の授業 二、活版所 三、家 四、ケンタウル祭の夜 五、天気輪の柱 六、銀河ステーション 七、北十字とプリオシン海岸 八、鳥を捕る人 九、ジョバンニの切符、の九章で構成され、このうち第九章は全体の半分を占める。第一章から第五章までは日常の世界、第六章から、突然、物語の舞台は非日常の世界へ移動し、第九章の終わりに舞台は再びもとの日常世界へと戻る。(ちくま文庫『宮沢賢治全集』七天沢退二郎氏の解説六一五頁)
このように地上、天上、地上と物語の場所が変化する点で法華経と「銀河鉄道の夜」はよく似ている。偶然だろうか。そうではあるまい。法華経の構成を念頭に置いて、賢治は「銀河鉄道の夜」を執筆したに違いない。
舞台の次にはいくつかの大道具・小道具に注目してみよう。
第三章の冒頭に貧しいジョバンニが病気のお母さんと暮らす家が描写されている。
ジョバンニが勢よく帰ってきたのは、ある裏町の小さな家でした。その三つならんだ入口の一番左側には空箱に紫いろのケールやアスパラガスが植ゑてあって小さな二の窓には日覆ひが下りたまゝになっていました。
じつに奇妙な家だ。この小さな家には、なぜ三つもの入り口と二つの窓があるのか。経文の些細な描写に深い意味を見いだしてきた経典注釈家の方法に従うと、三つの入り口と二つの窓のある家とは、私たちが苦しい日常生活を送る世界、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間界の五道の象徴かもしれない。
また次のような描写もある。
カンパネルラのうちにはアルコールラムプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組み合せると円くなって……
この文章は後の銀河鉄道を予感させる。七つの部品を組み合わせて作る円いレールは七字の題目を連想させる。(この点は平成八年度の中央教研第一部会「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」で福島正尭師が指摘した。このときの彼との会話が本稿を考える縁となった。)
第六章の初めに描かれる天気輪の柱とは何か。
そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形になって、しばらく蛍のやうに、ぺかぺか消えたりともったりしてゐるのを見ました。それはだんだんはっきりして、たうとうりんとうごかないやうになり、濃い鋼青のそらの野原にたちました。いま新らしく灼いたばかりの青い鋼の板のやうな、空の野原に、まっすぐにすきっと立ったのです。
この天気輪の柱は従来から意味不詳、一説には五輪塔とも憶測されている。天沢退二郎氏の「仏教的な五輪塔のイメージをそのまま物語の舞台である南欧イタリアの丘に立てるわけにもいくまい。要するに作者はこの語を説明抜きで読者の想像に委ねているという他はない。」(新潮文庫『新編銀河鉄道の夜』注解 三二三頁)という意見に従い、賢治は法華経見宝塔品に出現する多宝仏の塔を脳裏に描きながら、この天気輪の柱を描いた、と私は推測しておこう。法華経も「銀河鉄道の夜」も、それぞれ仏塔、天気輪の柱の登場と同時に舞台が地上から天上へと転換するからだ。
銀河鉄道に乗ったジョバンニはカンパネルラとともに旅を始める。
気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗ってゐるちいさな列車が走りつづけてゐたのでした。(中略)すぐ前の席に、ぬれたやうにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供が、窓から頭を出して外を見てゐるのに気が付きました。
二人を乗せて天上を走る列車、ここから二仏並座を思いつくというのはすこし考え過ぎだろうか。畑山氏は二人の乗った客車を「柩」であると述べている(『銀河鉄道魂への旅』三八頁)。仏塔が舎利供養塔であることを考えると、この推測もそれほど荒唐無稽とは思えない。
このように両者の舞台や大道具・小道具を比較すると、私の目には法華経と「銀河鉄道の夜」とが次第に重なってくる。
B、天の川とは何か
「銀河鉄道の夜」の主題は何か。法華経はどのような形でこの作品の主題となっているのか。私は、まるで仏の説法のように始まる第一章冒頭の文章に注目したい。
「ではみなさんは、さういふふうに川だと云はれたり、乳の流れたあとだと云はれたりしてゐたこのぼんやりと白いものがほんたうは何かご承知ですか。」先生は、黒板に吊した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のやうなところを指しながら、みんなに問をかけました。(中略)先生はまた云いました。「ですからもしもこの天の川がほんたうに川だと考へるなら、その一つ一つの小さな星はみんなその川のそこの砂や砂利の粒にもあたるわけです。またこれを巨きな乳の流れと考へるならもっと天の川とよく似てゐます。つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでゐる脂油の球にもあたるのです。(中略)つまりは私どもも天の川の水の中に棲んでゐるわけです。
この文章のなかに、実は物語の主題がきわめて巧妙に隠されている。大胆に織り込まれているために、かえって読者は見落とす。
天の川の英語名はザ ミルキイ ウエイ。乳は古今東西、様々な宗教的隠喩として使われ、仏教でも教えや仏性を譬えているという(角川文庫『銀河鉄道の夜』注釈 二三四頁)。この天の川を、賢治の言う「宇宙意志」すなわち法華経の久遠実成仏、また「黒い星座の図」を大曼荼羅の隠喩と見てみよう。題目を天の川と見立てると、大曼荼羅は星座図に似ている。第四章で星座図はつぎのように描写される。
そのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったやうな帯になってその下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげてゐるやうに見えるのでした。(中略)いちばんうしろの壁には空じゅうの星座をふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形に書いた大きな図がかかってゐました。ほんたうにこんなやうな蠍だの勇士だのそらにぎっしり居るだらうか。あゝぼくはその中をどこまでも歩いて見たいと思ったりしてしばらくぼんやり立って居ました。
銀河の帯がお題目だとすると、その下の方で爆発して湯気をあげているものとは宗祖の花押にあたる。賢治は大曼荼羅を見ながら、それを銀河系宇宙の図と見ていたという私の想像は飛躍しすぎか。いや、そうでもない。なぜならば、
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自の中に意識してこれに応じて行くことである
と、賢治は「農民芸術概論綱要」に記しているから。
第六章に、カンパネルラの持っている地図を見るジョバンニの「なんだかその地図をどこかで見たやうにおもひました」という表現がある。それは学校や街角で見た星座図を指すにしてはあまりにも微妙な言い回しだ。ここで賢治は星座図は大曼荼羅であると暗示している。
開目抄には法華経の虚空会が次のように描写されている。
宝塔は虚空に、釈迦・多宝坐を並べ、日月の青天に並出せるがごとし。人天大会は星をつらね、……(定五七一頁)
大曼荼羅は釈迦仏をはじめとする諸尊が宇宙に集合した虚空会の図示であることがよく示されている。この文章を読んで、賢治の想像の翼は羽ばたいたのではないか。
さて、銀河宇宙や星座図を大曼荼羅や久遠実成仏の隠喩と見るとき、「銀河鉄道の夜」第一章冒頭の文章に隠された物語の主題が、その姿を現す。
もう一度冒頭の一節に注目していただきたい。
もしこの天の川がほんたうに川だと考えるなら、(中略)私どもも天の川の水の中に棲んでゐるわけです。
賢治はここで力強く、私たちは久遠実成仏(賢治の「青森挽歌」の表現にしたがうと、「そらや愛やりんごや風、すべての勢力のたのしい根源/万象同帰のそのいみじい生物」、また手紙の表現では「あらゆる生物を究竟の幸福にいたらしめやうとしてゐる」宇宙意志)の中に棲み、働きかけられ、生かされていることを語っている。すなわちこの作品の主題は寿量品に示される法華経の教説――日蓮聖人が開目抄に「九界も無始の仏界に具し」と示された一念三千――に他ならない。(なお、この冒頭の一節は学校の「先生」の授業の内容である。この作品では「先生」は第九章にも出てくる。この場合は日蓮聖人を指しているが、もちろんこの冒頭の「先生」も同様の意味で使われている。)
このことは第一章のつぎの情景にも窺える。
先生はジョバンニに「このぼんやりと白いものがほんたうは何かご承知ですか」と質問する。ところが、彼は星だと思うのだがすぐには答えられない。なぜ答えられないのか。カンパネルラも答えられない。なぜか。ジョバンニが毎日仕事がつらく学校に行っても明るく遊べないから、と賢治は言う。つまりここで賢治は私たちは大いなる仏のはたらきの中に生かされていながら、毎日がつらいためにどうしてもそのことを信じられない、と暗に語っている。
事実、賢治は悩んでいた。妹トシを失い、苦悩の極にいた賢治は次のような詩を残している。
ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ
純粋やちいさな徳性のかずをうしなひ
わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき
おまえはじぶんにさだめられたみちを
ひとりさびしく往かうとするか
(「無声慟哭」)
畑山氏は、この絶唱の中に、賢治が法華経信仰から離れていく姿を見る。しかし私は、常に賢治は久遠実成仏のはたらきの中にいると信じていたと思う。たとえそのことを信じることができなくても、そのはたらきの中に棲んでいると賢治は信じていた。「ことさらに」という一語にその辺の事情が表れている。長い苦悩の後に、あらためてその確信を表明したものがこの「銀河鉄道の夜」の第一章であろう。
この主題についてさらに考えてみよう。
親友カンパネルラとともに美しい天の川を旅したジョバンニは、第九章の終わりで再び地上に戻り、そこでカンパネルラが水死したことを知る。「たったいま夢であるいた天の川」に比べて、地上の川は恐ろしい存在として立ち現れてくる。しかし私は、川に落ちた級友ザネリを助けたカンパネルラの命を奪った川の恐ろしさが描かれることによって、この物語はフアンタジイで終わらなくなったと思う。しかもなお賢治は現実の恐ろしい川と天の川とを同一のものと考え、カンパネルラを呑み込んだ川を次のように描写する。
下流の方は川はゞ一ぱい銀河が大きく写ってまるで水のないそのまゝのそらのやうに見えました。
この一節は撰時抄に示される「一念三千は九界即仏界、仏界即九界」(定一〇〇四頁)という教説の実に美しい表現である。
さて、これはどういうことか。おそらく賢治は他人を助けるために自己の命をさえ惜しまないことによって、初めて私たちは久遠実成仏の中に生きる――一念三千――と考えていたからであろう。その象徴が、ザネリのために川で溺れ死んだカンパネルラの天の川の旅である。私たちはここに秘められた賢治の思想の厳しさを見逃してはならない。そして賢治はこのことを日蓮聖人の教説から摂取しているのである。例えば聖人は開目抄に次のように示されている。
多生広劫にしたしみし妻子には心とはなれしか。仏道のためにはなれしか。いつも同じわかれなるべし。我法華経の信心をやぶらずして、霊山にまいりて返てみちびけかし。(定六〇五頁)
この物語では終始、ジョバンニとカンパネルラを対照的に描く。裕福な家庭と貧乏な家庭、父親のいる家庭といない家庭、そして子供を失う家庭と父親の帰る家庭。おそらく賢治は、トシを失った彼自身のことを、そして賢治を失うであろう彼の父を物語の中に描いたのである。賢治は畑山氏のように「宗教はなんの力にもなってくれなかった」とは考えなかった。如来寿量品の良医の譬えにも明らかなように、人は大切な者を失うことによって、大いなる仏の働きに気づくことを暗示している。そこに信仰者賢治の厳しい姿勢を見る。そう考えるとき、親友カンパネルラを失ったジョバンニの
早くお母さんに牛乳を持って行ってお父さんの帰ることを知らせようと思ふともう一目散に河原を街の方へ走りました。
という、物語の最後の奇妙な明るさを理解できる。賢治はトシを失うことによって、あらためてジョバンニのような大地の上で苦しむ人々の存在に気づき、そのために生きる決心をしたのである。「どこでも勝手に歩ける通行券」を持つ賢治が誕生した。
C、「ほんたうの幸」と「ほんたうの神さま」について
では、第六章から始まる銀河鉄道の旅と法華経とは、どう関わるのか。
賢治は第九章の終わりで、この旅のことを「たったいま夢であるいた天の川」と述べているが、実は、畑山氏の指摘のように、この旅は死後の世界を描いたものと思われる。
多くの登場人物は突然現れ、そしてふいに消えていく。ジョバンニが気がついた時、カンパネルラはすでにそこに座っていたのであり、最後にジョバンニが振り返って見たとき、「カンパネルラの座っていた席にもうカンパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかってい」たのであった。あの鳥を捕る人も「振り返って見ましたら、そこにはもうあの鳥捕りが居」なかったと述べられ、また汽車の中で親しくなった男の子も女の子も「だけどあたしたちもうここで降りなけあいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから」と言って、突然別れてしまう。あたかも死有と次の新たな誕生である生有との中間の中有世界の出来事のようである。
物語のこの部分の材料を賢治はどこから得たのだろう。
河合隼雄氏は「銀河鉄道の夜」と臨死体験との類似性を指摘して次のように述べている。
「賢治の『銀河鉄道の夜』が彼の妹のとし子さんの死につながると考える人は多く、筆者もこれに賛成である。賢治が妹を失った悲しみがどれほど深いものであったかは、『永訣の朝』、『無声慟哭』などの詩を見れば明らかである。しかし、賢治の場合は、常人のような悲しみや嘆きの段階を通り越し、彼の類稀な宗教性のためにムーディの記述しているように瀕死体験をもつことになったと思われる。あるいは、彼の妹に対する深い共感性の故に、妹の死出の旅路に行ける限り同行した――ジョバンニがカンパネルラにそうしたように――と言うべきであろう。」(岩波書店刊『宗教と科学の接点』 なおムーディはアメリカの精神科医、著名な臨死体験の研究者。一九七五年『かいまみた死後の世界』を出版して臨死体験研究の端緒を作った。)
近年臨死体験について研究した立花隆氏は「考えただけで、思ったところにすぐ移動してしまう」(文芸春秋刊『臨死体験』上 第五章 医師キルデの報告)という臨死体験者の経験について報告しているが、同一の記述はこの作品の中にも見られる。
二人は、その白い岩の上を、一生けん命汽車におくれないやうに走りました。そしてほんたうに、風のやうに走れたのです。息も切れず膝もあつくなりませんでした。(第七章)
「どうしてあすこから、いっぺんにこゝへ来たんですか。」ジョバンニが、なんだかあたりまへのやうな、あたりまへでないやうな、をかしな気がして問ひました。「どうしてって、来ようとしたから来たんです。略」
賢治はこの他にも臨死体験を素材にしたと思われる作品「ひかりの素足」を書いている。賢治はこれらの作品の素材を、河合氏の指摘のように、彼自身の深い心の体験の中から得たのかもしれない、あるいは彼は死後という異次元の世界を感じ取る能力を持っていた可能性もある。どちらにしても賢治は、夢と言うにはあまりに現実的な死後の世界を銀河鉄道の旅の舞台に選んだのだった。このことは法華経の虚空会が時間と空間の限定を超えた場所であることと関わりがあると思う。
ではこの銀河の旅で賢治は何を表現したかったのか。
作品を読み進んでいくと、賢治の真摯な真実追求の姿がそこには映されている。「ほんたうの幸」とは何か、「ほんたうの神さま」とは何か、と必死に彼は求める。それが作品のこの部分の主題である。
旅が始まってまもなくカンパネルラは言う。
「ぼくはおっかさんがほんたうに幸になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」
カンパネルラは友の命のために自分の命を失っていた。こんな自分を母は許してくれるだろうか、と彼は悩む。そして彼は自分に言い聞かせるように断言する。
「誰だって、ほんたうにいいことしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思ふ。」
(このあたりを読んでいると、若くして両親に先立つ賢治の弁明を記した遺書のような気がしてならない。)
当時の大事件、客船タイタニック号遭難にまつわるエピソードは、賢治によほど深い印象を与えたのであろう。この物語の重要な場面として登場する。
教え子とともに遭難した青年教師は、銀河鉄道の乗客に次のように語る。
「わたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思ひましたから前にゐる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまゝ神のお前にみんなで行く方がほんたうにこの方たちの幸福だとも思ひました。」
登場人物の言葉はじつに控えめである。他の命を助けるために自己を犠牲にした人々が、それは「ほんたうの幸」になるのだろうから許されるのではなかろうか、と繰り返し語る。それを聞いたジョバンニも「みんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまはない」と語る。そして「けれどもほんたうのさいはひは一体何だらう」と問う。するとさっきはあれほど自信を持って語ったカンパネルラも「僕わからない」とつぶやく。
これはどういうことなのか。思うに、これこそが「ほんたうの幸」だと断定することの恐ろしさを賢治は感じていたのではなかろうか。人間にとって大事なことは「ほんたうの幸」を求めて歩むこと、と賢治はここで言いたいかのようである。なぜならば、人々は「ほんたう」を主張して争うという愚行を繰り返すからに他ならない。それは次の場面で明らかになる。
ジョバンニたちと仲良くなったキリスト教徒の青年と連れの少年、少女が、天上の駅が近づいたので降りる準備を始めたときのことである。
ジョバンニがこらへ兼ねて云ひました。
「僕たちと一緒に乗って行かう。僕たちどこまでだって行ける切符持ってるんだ。」
「だけどあたしたちもうこゝで降りなけあいけないのよ。こゝ天上へ行くとこなんだから。」女の子がさびしそうに云ひました。
「天上へなんか行かなくたっていゝぢゃないか。ぼくたちこゝで天上よりももっといゝとこをこさへなけあいけないって僕の先生が云ったよ。」
「だっておっ母さんも行ってらっしゃるしそれに神さまが仰っしゃるんだわ。」
「そんな神さまうその神さまだい。」
「あなたの神さまうその神さまよ。」
「さうぢゃないよ。」
「あなたの神さまってどんな神さまですか。」青年は笑ひながら云ひました。
「ぼくほんたうはよく知りません。けれどもそんなんでなしにほんたうのたった一人の神さまです。」
「ほんたうの神さまはもちろんたった一人です。」
「あゝ、そんなんでなしにたったひとりのほんたうのほんたうの神さまです。」
今年賢治生誕百年を記念して多くのテレビ作品が制作された。なかには彼がキリスト教徒であるかのように描いたものもあった。このあたりまで「銀河鉄道の夜」を読み進んできた読者の中には、そう思った方もいるかもしれない。しかしこの「ほんたうの神さま」の論争の部分に至って、その誤解はとける。もちろん賢治はここでキリスト教を非難しているわけではない。キリスト教に代表される一般の宗教の在り方――賢治が対立した浄土真宗を含めて――を問題とし、賢治はここでそれとは異なる宗教の在り方――彼はそれを法華経に求めた――を描こうとしている。
評論家平尾隆弘氏は次のように述べる。
「カンパネルラが『ほんたうの天上』だと思った場所は、彼にとってまさしくそうであったにちがいない。しかし、そこがジョバンニにとって『ほんたうの天上』であってはならなかった。宮沢賢治の『ほんたうの天上』は『みんなのほんたうのさいはひ』と同義であり、『みんな』の中には生者も死者も含まれていたからだ。もし『ほんたうの天上』が死者の世界にだけあるなら、生きているものはこの地上の世界から逃れ、一刻も早く死後の世界に旅立つことを願うだろう。(それは賢治が対立した父・政次郎の信奉する浄土教の世界観に通じていた)。だから賢治は、ジョバンニの夢を醒まし、現実の世界へ帰さなければならなかった。」(文春文庫『宮沢賢治への旅』「完全な銀河鉄道」二一九頁)
さてここまで読み進んで来ると、賢治がこの物語で追求しようとしている「ほんたうの幸」と「ほんたうの神さま」という主題は、古来法華経の二つの主張とされる「二乗作仏」と「久遠実成」に該当することに気づく。なぜならば、二乗作仏は三乗を求める者に対して一仏乗こそが本当の目的(ほんたうの幸)であると説き、久遠実成は数多くの仏はすべて一仏(ほんたうの神さま)のあらわれであると説くからだ。もしそうであるならば、この作品において賢治が表現しようとした主題が法華経であることはいっそう疑いのないものとなる。
D、ジョバンニの切符
この作品の主題が法華経に他ならないことを最もはっきり示すものが、本稿の冒頭でも紹介した「ジョバンニの切符」である。これは作品の半分を占める第九章の名でもあるから、当然、この切符には作者の深い思いが隠されている。
物語は、銀河鉄道の乗客たちの所に、車掌が「切符を拝見いたします。」と言って来る。鳥捕りもカンパネルラも切符を見せるが、切符を買った覚えのないジョバンニはすっかりあわてて(衣裏繋珠の譬えを意識していると思われる)、適当に上着のポケットから「四つに折ったはがきぐらゐの大きさの緑いろの紙」を取り出して車掌に渡した。すると車掌をはじめ皆が真剣な顔つきでその切符を見たのだった。
ところがそれはいちめん黒い唐草のやうな模様の中に、をかしな十ばかりの字を印刷したものでだまって見てゐると何だかその中へ吸ひ込まれてしまふやうな気がするのでした。すると鳥取りが横からちらっとそれを見てあわてたやうに云ひました。
「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんたうの天上へさへ行ける切符だ。天上どこぢゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれあ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね。」
「いちめん黒い唐草のやうな模様の中に、をかしな十ばかりの字を印刷した」「四つに折ったはがきぐらゐの大きさの緑いろの紙」のジョバンニの切符とは、従来より大曼荼羅を指すと言われてきた。
「十ばかりの字」とは何か。それは法華経の梵語名「薩達摩芬陀梨伽素多覧」ではないかと推定されている(日蓮宗宗務院刊『わが索むるは まことのことば 賢治が語る 宇宙が語る』「どこへでも行ける切符」)。またこれを十界の頭文字とみて、十界互具思想に立って、どこへでも行ける切符のことを十界のあらゆる世界へ行くことが出来る切符と表現した(角川文庫前掲書 大塚常樹氏註)とも解釈されている。大曼荼羅には十界の諸尊が勧請され、賢治も「こんなやうな蠍だの勇士だのそらにぎっしり居るだらうか。あゝぼくはその中をどこまでも歩いて見たい」とジョバンニに語らせていることからも、妥当な解釈である。
私は先に星座図を大曼荼羅の隠喩とみて「そのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったやうな帯になってその下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげてゐるやうに見えるのでした。」と言う銀河の説明を大曼荼羅中の題目と花押ではないか、と推測した。私はこの推測に従って「をかしな十ばかりの字」とは、七字の題目と日蓮という署名、そして花押のこと、と推定しておきたい。そして「見てゐると何だかその中へ吸ひ込まれてしまふやうな気がする」という表現からも、賢治は大曼荼羅の隠喩として星座図を用いたと考える。
賢治が一枚の切符のためにかくも詳細な説明を残したのはなぜか。読者に切符が大曼荼羅であると推定してもらいたかったからではないか。賢治はこの作品の主題が法華経であることが解るように、ミステリー作品のように文中に鍵を残したのである。
「どこまでも行ける」ということについて、平尾隆弘氏は次のように述べている。
「死後の世界のみならず、もしこの地上にも、『ほんたうの天上』が実現したならば、そしてまた生者と死者とが互いにゆききすることができるならば、銀河鉄道は双方の世界を自由に往復することが可能になる。『ほんたうの天上』が生の側にも死の側にも実現し、両者が架橋されたとき、『ほんたうのほんたうの天上』がはじめて明示される。それでこそ『完全な』銀河鉄道が走り出すのだ。とんでもない夢想かもしれないけれど、宮沢賢治の『完全さ』への夢は、人間が人間でなくなるような、人間が人間を超えるような、そんなところまで届いていたのではなかったろうか。」(文春文庫 前掲書二二〇頁)
賢治の夢は法華経から生まれている。霊山浄土の釈尊は「娑婆に入」(開目抄 定六〇九頁)られ、上行菩薩も同じく末法の娑婆に生まれることを願われた。死後、私たちは「霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見」(観心本尊鈔副状 定七二一頁)するものとされている。このように法華経では、人はあの世とこの世とを自由に行き来する。過去の多宝仏、現在の釈迦仏、未来の上行菩薩とが一同に会した虚空会とは、ほんとうにそういうところであったと私は信じている。賢治の銀河鉄道はまさにその虚空へと出発したのではなかったのか。そして賢治が作品で示唆しているように、天上の天の川と地上の川とは一つなのである。病気のお母さんのためにやっと手に入れた牛乳を届けようと必死に走るジョバンニもまた、この地上において天の川に生きる者なのである。この点にも娑婆即寂光という法華経の考え方が色濃く反映している。畑山氏が発見した、三十二の峰々に法華経を埋めて地上に天の川の星座を賢治の意図も、そこに由来しているにちがいない。
「銀河鉄道の夜」という作品は賢治の法華経観を集大成したもの、法華経の優れた教えを人々に伝えることを目的に執筆された「賢治の法華経」と見ることができる。
四、賢治の指さす彼方
最近私は初めて賢治の妹トシの書いた一通の手紙を読んだ。司修氏はそのトシの手紙を次のように紹介していた。
「女子大三年のトシが、家族と祖父に宛てて書いた手紙は、巻紙二メートル半におよび、家族の誰よりも、賢治に強いインパクトを与えたのではなかったかと思える内容である。『人の身体はなくなり候ても自分の魂はいつまでもあるものと私は信じ居り候』という一言で、『無声慟哭』に歌われた賢治の思いが浮かぶ。また『また私も大切なる死後の事一刻も早く心にきめる様にと思ひ居り候へど未だ確かな信心もなく、このまゝに死ぬ時は地獄にしか行けず候。何卒御一緒に信心をいたゞく様に致したく候。先づは夏休みに帰るに先立ち申し上げ候』という手紙の結びの言葉は、賢治の宗旨と父親の宗旨の違いから対立が絶えないことへのトシの切実な意見だと考えられ、『一緒に信心』を持ちたいというトシの願いは兄賢治と同じ法華の道と考えられないこともない。」(アサヒグラフ 一九九六年十月四日号)
私も又このトシの手紙を読んで、トシが亡くなった後、なぜ賢治が一連の挽歌を書いたのか、そのわけをよく理解することが出来た。
あいつはこんなさびしい停車場を
たつたひとりで通つていつたらうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
たったひとりでさびしくあるいて行ったらうか
と、切々と二百五十行にも及ぶ長大な詩の中で賢治がトシの死後の行方をひたすら考えたのは、「自分の魂はいつまでもある」と述べたトシの手紙のせいである。それにしても「青森挽歌」から「銀河鉄道の夜」へと、ひたすら人の死後の世界を探求した賢治という人は、日本近代思想史中の例外であると思われる。私たちは長い間死を忘却して生きて来たのである。近代日本仏教も例外ではあるまい。
本稿の冒頭で畑山博氏の「銀河鉄道の夜」観を紹介して、それに対して「銀河鉄道の夜」は言うなれば賢治の記した法華経であると私は述べてきた。では、なぜ畑山氏は法華経と「銀河鉄道の夜」とをあえて分離させようとしたのであろうか。
実は畑山氏は「個人的には私は、輪廻転生ということを、揺るぎなく信じています。」と述べ、人の死後生存を信じるという現代の知識人としてはめずらしい立場から賢治の作品を解読している。ところがそれだけに既成宗教の在り方への見方も厳しいものがある。指摘されている事柄の中には私たちが反省しなければならない点も多い。しかし氏には、若き賢治が「宗教のとりこ」となったという表現に見られるように、近代の知識人に一般的な宗教への侮蔑的態度も見受けられる。これらのことが氏の見方の中で賢治の宗教性を既成宗教から引き離す方向へと作用したと思われる。
さて現在の賢治ブームの特徴を一言でいうと、宗教の個人化の象徴にほかならないと思われる。それは「ひっそり死」や「じみ葬」と密接に関連した現象であって、けっして法華経を信奉する教団への追い風などではない。むしろ今後既成宗教は、変化し始めた個人の死に対する意識や行動への対応をいっそう迫られるに違いない。また環境破壊等による近代の価値観の動揺が各方面に見られる今日、賢治の作品を通じて法華経の意味を再発見していく作業が、私たちには課せられていると見るべきである。
資料 としの手紙
人はどうせ一度は死ぬべきものに御座候。私もいつ死ぬものか少しも先はわからず候。先きに死ぬとあとに死ぬとの区別こそあれ、死なぬ人は一人も御座無く候。人の世はたかが五十年七十年その間に喜んだり悲しんだり致し候ても一寸の間の夢の様なるものかなと思はれ候。その短き間の事のみ人は熱心に何のかのと立騒ぎて候ても死んだる後この自分がいかになるかを考ふる人の少きは誠に間違ひたる事と存じ候。人は怒ったり喜んだり悲しんだり苦しんだりするものつまりは自分と云ふものをもとにして考へ居る事に候。他人が自分によくして呉れぬとか気に入らぬとか云ふのも皆この自分を庇ひ自分の為を思ふ心よりする事と考へられ候。自分が立派な人と云はれたい、よい目にあひたいと云ふのもこれと同じ事に候。かくまで自分を可愛がり居るものが此の世の命を終へると共に自分と云ふものが全くなくなり消えてしまふものと云ふ事を御祖父様はほんとうだとお思ひ遊ばす事出来申し候や。
私は出来申さず候。どうしても人の身体はなくなり候ても自分の魂はいつまでもあるものと私は信じ居り候。そんならバ如何にして死後の世界に私共が居るかと云ふ事を考へし時は、全く居ても立っても居られぬ苦しき思ひが致され候。仏様は因果応報を御説きなされ候とか伺い居り候。善き事したる者は死んだ後によき報を受け、悪しき事をなせる者は悪い報を受けて苦しまなければならぬ、と云ふ事を教へられ居り候。それなら私はこの世に於いてよい事のみをなしたるかと、よくよく今までの私のしたる事を考へ候時、どうしても恐ろしくてたまり申さず候。朝おきるより夜ねるまで一つとしてよき事はなさず候。人を不足に思い、人を憎み、うらみ、怒り、又たまたまよき事をしたる様に見えても実はその考へは自分をもとにして立てたる事故、つきつめれば、他人をおしのけても…と云ふ考へと同じ事に候。かかる考へはとりもなおさず地獄にしか行き所のなき悪い事この上もなき私と云ふ事に成り候。(略)決して他人のよそ事にハ御座無く候。私共は皆誰も死ぬものに御座候。仏様の御目より御らんなさるゝ時にハ金持ちも、貧乏人も、主人も召使ひも小供も大人も皆一様の子となりて何の区別も御座無く候べし。
(ユリイカ 昭和四十五年 第二巻第八号 宮澤トシの手紙より) アサヒグラフ 一九九六・十月四日号所収
※本稿は平成八年十一月八日、身延山大学で開催された第四十九回日蓮宗教学研究発表大会において発表した原稿に加筆したものである。なお「銀河鉄道の夜」はちくま文庫版を使用した。
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