日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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所報第31号:4頁〜 教化学研究 ←前次→

 教化学研究

  『立正安国論』と日蓮聖人の国家思想

勝呂信静
文学博士 立正大学名誉教授
前東京大学講師 蓮昌寺前住職
     はじめに
 ただいまご紹介いただきました勝呂でございます。早坂主任から『立正安国論』を中心にして現代的な国家の問題をめぐって何か話をして貰いたいといわれたのですが、国家というのは大変に基本的な重要な問題ですけれども、残念ながら現在の私はこのような問題をあまり考えたことがありませんし、また予備知識もありません。職業柄といいますか、古典研究ばかりやっていますので、現代的問題には考えが及ばない。それで適任でないと申したのですが、ただ日蓮聖人の国家観ということはかって考えたことがありますし、論文もあります。それでこのような講題にいたしました。
 お手元に私の論文「日蓮聖人の国家観」(『日本仏教学会年報』第五十八号〔平成五年〕所収)をコピーして差し上げました。これを参照しながらお話したいと存じます。
 この論文で私が言わんとすることは大きくいって二点あります。第一は、例の法主国従か国主法従かの問題について、日蓮聖人が俗なる王法(国家権力)の上に聖なる仏法(宗教)の権威を高く揚げ、仏法によって王法を規制しようとする立場に立たれたことは当然であってそれが大前提でありますが、そのような立場にありながらも聖人は国家を重視する立場に立たれたということであります。第二は聖人の国家観においては、国家の体制における秩序(王臣の身分的秩序)は仏法における教判的秩序と比例して考えられ、したがって俗なる王法の秩序は聖なる仏法の反映でありまして両者は切り離すことができない関係にあるということであります。
     先づ国家を祈りて須らく仏法を立つべし
 まず第一について、法主国従か国主法従かということが問題にされたのは、直接には『立正安国論』の第七番目の問答の中に「先づ国家を祈りて須らく仏法を立つべし」とある言葉の解釈に関するものです。これを少し前の文から引用するとつぎのようです。
  詮ずる所、天下太平国土安穏は、君臣の楽ふ所土民の思ふ所なり。夫れ国は法に依って昌へ、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば、仏を誰か崇むべき。法をば誰か信ずべきや。先づ国家を祈りて須らく仏法を立つべし。(定遺二二〇頁)
 この言葉が戦前においては日蓮聖人の国家主義的思想をあらわすものとして理解され、実際に国家主義的政治家によってこれが利用されて来ました。戦後はこれをひっくり返すような形で日蓮聖人の思想は法主国従であること、つまり「立正」が主で「安国」は付随的なものにすぎない、聖人の思想の中で「国家」の占める意義は小さいということが強調されました。
 ご存じのように『立正安国論』は仏教家である主人(日蓮聖人をあらわす)と為政者である客人(鎌倉幕府をあらわす)との問答・対話ですが、戦前の国家主義的解釈の反動として、戦後はさきの言葉についてそれは客人の言葉であるから、日蓮聖人自身の思想でないという解釈が行なわれ、法主国従説の根拠とされたのです。これをもっとも力説されたのは戸頃重基博士で、明晰な論理で論旨を展開されましたが、その行きつくところは『三大秘法抄』偽作説、王仏冥合論の排除です。
 これについては、さきの言葉は客人のものであるから、日蓮聖人の思想を全面的にあらわすものでないことは認めねばなりませんが、これよりすすんで一部の学者がこれは日蓮聖人の思想でない、日蓮聖人が否定するところの思想であると主張するに至っては、『立正安国論』の誤読・誤解であると言わざるを得ません。
 『立正安国論』は客人の為政者が現実の社会において深刻な災難が起きている事実について、その原因と対処法を問うたのに対して主人の仏教家が答え、問答を重ねた末に、主人が結論として、両者がともに究極の目的とするところは、実乗の一善に基づく浄仏国土の建設である旨を明らかにします。しかし問答はこれで終わっているのではなくて、これに続いて客人が、
  速かに対治を廻らして早く泰平を致し、先づ生前を安んじ更に没後を扶けん。唯我が信ずるのみにあらず、又他の誤りを誡しめんのみ。(定遺二二六頁)
という決意の言葉を述べることで終わっています。すなわち『立正安国論』は為政者の疑問から出発し、その為政者が自得するところが結論であるという構成を示しているのであって、これからすると、為政者の信仰とともにその宗教政策というべきものを明らかにするのが目的であると見られます。そしてこの宗教政策における本御書独特の主張として、為政者が正法に帰依するあかしとして、謗法者をその力によって対治・禁圧すべきことが示されていると見られるのです。
 『立正安国論』の現実的意義は「他の誤りを誡しめんのみ」という最後の一句に集中的に示されていると見られます。それは国主・国王が武力をもって謗法者を対治するという政策ですが、これは当時の為政者にとってはとうてい受け入れることのできないものでしたでしょう。それを諫曉によって進言・強請されたがゆえに日蓮聖人は危険人物視されてかえって国家権力からの弾圧を招くことになったのだと思われます。
     『仁王般若経』の文
 ところで第七番目の問答について主人の答え方を見ると、災難を対治・除去する方法とその意義を主として経文によって示すのですが、その内容は大体つぎのようになっています。
 はじめに謗法の人を禁断すべしとする経文を引用するのですが、まず謗法の人への布施を禁ずべしとする経証として『涅槃経』の一文を引用します。つぎに謗法の人の命を断ずべしとする経証として『涅槃経』の三文を引用し、つぎに仏法が王法に付嘱せられることの経証として『仁王般若経』の一文と『涅槃経』の一文を引用し、さらに国王は正法を護持するために刀杖を執持すべしとする経証として『涅槃経』の三文を引用します(最後の経文にはその結尾に「刀杖を持つと雖も命を断ずべからず」とある)。そうして謗法者が重罪に墮ちるべきことの経証として『法華経』の一文を引用しています。このように経文を引用してその趣旨を述べ、最後に「早く天下の静謐を思はば須らく国中の謗法を断つべし」(定遺二二三頁)とて謗法者の禁圧をすすめて結尾とするのです(つぎの第八番目の問答において、刀杖〔武力〕による謗法者の禁断は殺生を是認するものでないことを明らかにしています)。
 このような文脈を見ると『立正安国論』は少なくともこの箇所を中心として見るかぎり、国主・国王の立場を論じたもので、国王が武力(刀杖)を行使して謗法者を禁圧すべきことをすすめていると理解されます。ゆえにこの文脈において、仏法が国王に付嘱せられるとする経文が引用されていることは大きな意義があるわけです。これに二文ありますが、はじめの『仁王般若経』の文には重要な表現があります。引用しますと次のようです。
  仁王経に云く、「仏、波斯匿王に告げたまはく、是の故に諸の国王に付属して比丘・比丘尼に付属せず。何を以ての故に。王の威力なければなり」已上。(定遺二二一頁)
 すなわち仏法は国王のみに付嘱し、出家者たる比丘比丘尼には付嘱しない。その理由は比丘比丘尼は国王のような威力(武力)を持たないからであるというのです。これは『仁王般若経』のつぎの文を要約して引用したものとみられます。
  仏、波斯匿王に告げたまはく「我が滅度の後、法の滅尽せんと欲する時、〔諸の国王は〕是の般若波羅蜜を受持し大いに仏事を作すべし。……是の故に諸の国王に付嘱し比丘・比丘尼・清信男・清信女に付嘱せず。何を以ての故に。王の威力無き故なり。故に付嘱せず。故に汝は当に受持し読誦して其の義を解すべし」(大正蔵経第八巻 八三二頁中、『国訳大蔵経』第三巻 四一頁)
 ところで日蓮聖人は『立正安国論』に先立って『守護国家論』を著されましたが、この中にも『仁王般若経』の同文が引用されています。同御書は七章から成りますが、このうちの第四章が「謗法の者を対治すべき証文」であって、その内容を「仏法を以て国王・大臣ならびに四衆に付嘱すること(の証文)」と「正しく謗法の人王地に処するをば対治す可き証文」の二節に分けて論じています。この部分の所説がとくに『立正安国論』の前提をなすのであって、ここにいくつかの経文が引用されていますが、それらは『立正安国論』に引用されるものと一致するものが少なくありません。このうち前者について、七種ほどの経文が引用されていますが、その筆頭がいま述べた『仁王般若経』の文で、つぎのように引用されています。
  第一に仏法を以て国王大臣並に四衆に付属することを明かさば、仁王経に云く、「仏、波斯匿王に告げたまはく、乃至、是の故に諸の国王に付属して、比丘・比丘尼・清信男・清信女に付属せず。何を以ての故に、王の威力無きが故に。乃至、此の経の三宝をば諸の国王・四部の弟子に付属す」已上。(定遺一一四頁―一一五頁)
 この引用文はさきの『立正安国論』の引用文と少し違ったところがあります。それはあとの方に「乃至、此の経の三宝をば諸の国王・四部の弟子に付属す」の文がつけ加えられているからです。これは同じく『仁王般若経』のつぎの文を参照してつけ加えられたものとみられます。
  仏、波斯匿王に告げたまはく「我れ汝等に誡勅す。我が滅度の後、八十年八百年八千年の中に、仏も無く法も無く僧も無く信男信女も無き時あらん。〔故に〕此の経と三宝とを諸の国王と四部の弟子とに付嘱す。〔須らく〕受持読誦して其の義を解説すべし。……(大正蔵経第八巻 八三三頁中、『国訳大蔵経』第三巻 四五頁)
 この場合は、国王とともに四部の弟子(四衆、比丘・比丘尼・清信男・清信女)に付属するとありますが、文脈上国王が主であるとみられます。『守護国家論』の引用のようならば、仏法はまず第一に国王に付嘱するものであるが、その後に四衆に付嘱することもありうるというように理解することができましょう。同御書では引用の次下にこれを説明して、
  仁王経の文の如くならば、仏法を以て先づ国王に付属し、次に四衆に及ぼす。王位に居る君、国を治むる臣は仏法を以て先と為して国を治む可き也。(定遺一一五頁)
と述べられています。この『守護国家論』の引用と比較しますと、『立正安国論』は国王が中心であることを一層はっきりさせているということができます。
 このように見て来ますと『立正安国論』は国王に付属された仏法を主題とするもので、したがって王法と結合された仏法を中心にして論述されているといえましょう。これは王仏冥合の立場に外ならないと思います。日蓮聖人においては出世間の仏法の価値・権威は俗なる世間の王法をはるかに越えるもので、王法は仏法にしたがわねばならぬものですが、だからといって仏法と王法が結合しないということではありません。法主国従であるとしても、それは王法から切り離され、王法とのかかわりを疏外したところに仏法が立てられるということではなくて、仏法は積極的に王法とかかわりを持つことによって確立されるという思想であると思います。
     王法と仏法との結合
 『立正安国論』を理解するために、栄西の『興禅護国論』の思想と比較することも一つの方法であると思います。この書のタイトルは禅法を興起・確立することによって国家を鎮護する、ということですから『立正安国論』はこれと発想法が似ているということもできましょう。この書は十門(十章)から成りますが、その第二章「鎮護国家門」の冒頭に『仁王経』が引用されています。
  第二鎮護国家門とは、仁王経に曰く、「仏、般若を以て現在未来の諸小国王等に付嘱して以て護国の秘法となす」と。其の般若とは禅宗なり。謂く境門に若し持戒の人有らば即ち諸天其の国を守護す云々。(大正蔵経第八〇巻 二頁下)
 栄西においては鎮護国家の思想の下に『仁王経』が引用されていることは確かですが、これに続く第三章「世人決疑門」においては、
  問うて曰く、何故に強いて宣下(勅)を望むやと。答えて曰く、仏法は必ず応に国王の施行に依って流通せしむべきなり。是の故に仏は慇懃に国王に付嘱す。又王の益もまた莫大なり。(同上七頁中)
と述べています。つまり仏法は勅宣という国王の力によって流通されること、それによって王の受ける利益は莫大であることが示されています。このような仏法と王法との相互利益・相互依存関係が鎮護国家の思想の内容をなすと見られます。
 日蓮聖人の思想もこのような鎮護国家と無関係であるとは思われません。鎮護国家の言葉の出ている御書をその言葉のゆえに偽書であるということはできないでしょう。しかし聖人以前の鎮護国家思想は、王法と仏法が対等の立場で関係し合うことを説くものですが、聖人においては王法が仏法によって完全に規制されてそれに従属し、純粋に信仰化されるということにおいて両者が結合されるべきことを説くものと理解されます。それゆえ王法の威力(武力)は謗法者を対治する力としてこそ発揚されるべきであるというのが『立正安国論』の主張であると考えられます。
 一方、仏法は王法と結びつくことにおいて社会的力となり得るわけです。現実の問題としても仏法は王法から強く影響されるもので、王法に依らなければ流布しがたいものであることを日蓮聖人は十分に承知しておられたと思います。このことはとくに文永九年の『四条金吾殿御返事』の中に示されています。いまその中から目下の問題に重要と思われるお言葉を抜き出してみるとつぎのようです。
  善悪に付て国は必ず王に隨ふものなるべし。世間此くの如し、仏法も又然也。仏陀すでに仏法を王法に付し給ふ。しかればたとひ聖人・賢人なる智者なれども、王にしたがはざれは仏法流布せず。或は後には流布すれども始には必ず大難来る。……しかれば王の威勢によりて宗の勝劣はありけり。法に依って勝劣はなきやうなり。たとひ深義を得たる論師人師なりといふとも、王法には勝ちがたきゆえに、たまたま勝たんとせし仁は大難にあへり。……(定遺六六一―六六三頁)
 この文の中で「仏陀すでに仏法を王法に付し給ふ」とあるのは、さきの『仁王般若経』に文を前提としていると見て差し支えありませんが、このように聖人は王法の決定的な力を認められているのです。中国とくに我が国においては、仏教はまず国王等の貴族・権力者に受用され、それがやがて一般庶民に広められたのですから、聖人のお考えはこのような歴史的事実を踏まえてのものであるといえましょう。
 以上のように見てまいりますと、『立正安国論』は主人(仏教者)の立場からいいますと、正法(法華経)が確立されることを前提・基礎にして国家の安泰がもたらされることを述べ、客人(為政者)の立場からいうと、国家の政策(宗教政策を含む)が正しく行なわれることを前提・基礎にして、仏法が流布されることを述べられたものと理解されます。すなわち、主人の立場からすれば仏法が主、客人の立場からすれば王法が主であって、ここに仏法(立正)が主であるか王法(安国)が主であるかという問題を持ち込むことは、あまり適当でないように思われます。
     世法と仏法の対応――国家の人倫的体制
 すでに見て来ましたように、日蓮聖人は国王の意義を大きく評価しています。日蓮聖人の考えられる国家は、国王を中心とする体制、王臣の人倫的体制であるといえると思います。御遺文を拝読しますと、諸所にたとえば「上一人より下万民に至るまで」(『撰時抄』『聖愚問答鈔』)、「上国王大臣下一切の人民」(『撰時抄』)というように、主従・君臣の序列に言及されています。この点で聖人の思想は階級意識・貴賤思想を脱却できなかったと批判的に言う人もいますが、そういうことよりもここで重要なことは、聖人は教判における諸経の秩序を世俗社会における身分的秩序になぞらえて説明し、両者を平行したものとして捉らえられていることです。いま御遺文から二例だけを引用しましょう。
  一切経の中に法華経と申す大王をはします。ついで華厳経・大品経・深密教・阿含経等はあるいは臣の位、あるいは侍のくらい、あるいは民の位……(『曽谷殿御返事』定遺一六六〇頁)
法華経より余経を下たす事は人師の言にあらず。経文分明也。譬へば国王の万人に勝れたりと名乗り、侍の凡下を下臘と云はんに、何の〓かあるべきや。(『法華初心成仏抄』定遺一四一六頁)
 このことから聖人は、天変地夭をはじめ兵乱・外冦等にあらわれている世相・政治の乱れは、仏法の秩序の乱れの反映に外ならないと考えられるのです。
  仏法やうやく顛倒しけれは世間も又濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲れば影なゝめなり。(『諸経与法華経難易事』定遺一七五二頁)
 しかし日蓮聖人は世俗的身分をそのまま至上視しあるいは絶対視したのではありません。世俗的身分の意義を認められたとしても、それは仏法に従属するものとして認められるのです。世俗世界における国王等は真の権威的存在でなく、釈尊こそ真の権威的存在として仰がれるべきものであることを教えられています。
  仏と申すは三界の国主……師也、主也、親也。三界の諸王は皆は此の釈迦仏より分ち給ひて、諸国の領・別領等の主となし給へり。(『神国王御書』定遺八八一頁)
此日本国の一切衆生のためには釈迦仏は主なり師なり親なり。天神七代・地神五代・人王九十代の神と王とすら猶釈迦仏の所従なり。……今日本国の大地・山河・大海・草木等は皆釈尊の御財ぞかし。(『妙法尼御前御返事』定遺一五五七頁)
 この全世界、日本国中に存在する万物・一切衆生は、諸王・神々といえどもすべて釈尊の所属・所従であってその支配下に属するといわれています。すなわち仏法は王法・世法を高く越え、後者は前者に従属するものですが、この場合にも釈尊と衆生の関係は王臣・主従の形式をもって表現されていることに注意さるべきであると思います。この御遺文の中に、主・師・親といわれているのは一般に「主師親三徳」と称し、『法華経』譬喩品等の所説に基づいて釈尊の特性(徳)をあらわすものとして日蓮聖人が強調される概念です。これは釈尊に関することですから、仏法・出世間に属するものですが、実際上、世間・世俗社会における君臣・師弟・親子の間の人倫概念に相当する意味もあらわしています。
 しかし真の意味における人倫は、仏法に対する信仰に基づくものですから、仏法は世俗的人倫すなわち世法に優位するものであることは、いうまでもありません。したがって仏法のために世俗的人倫が否定されることは起こり得ることとせねばなりません。聖人は国家における王臣の秩序をはじめ、師弟・親子等の人倫的秩序を重んぜられ、忠孝・報恩等の道徳を懇切に説き示されていますが、正法に対する信仰のためには、この道徳にそむくこともあえて辞すべきでないとされています。このことは周知でありますが、それを示す二、三のお言葉をつぎに引用します。
  仏法を習ひ極めんとをもわば、いとまあらずば叶ふべからず。いとまあらんとをもわば、父母・師匠・国主等に 隨っては叶ふべからず。是非につけて出離の道をわきまへざらんほどは、父母・師匠等の心に隨ふべからず。(『報恩抄』定遺一一九二頁)
王地に生まれたれば身をば隨へられたてまつるやうなりとも、心をば隨へられたてまつるべからず。(『撰時抄』定遺一〇五三頁)
一切はをや(親)に隨ふべきにて候へども、仏になる道は隨はぬが孝養の本にて候か。(『兄弟抄』定遺九二八 頁)
 このように正法為本すなわち仏法が根本であるという立場がはっきり示されていますが、その仏法のあり方が王臣の秩序になぞらえられて説明されていることは十分に注意してよいことであると思います。
     国家の特殊性
 以上申し上げて来ましたように、聖人のお考えになっている国家は、君臣の秩序を中心とする人倫の体制であって、その人倫の真実の意義は法華経信仰によって発揚される、というように説明されましょう。さらにもう一つ重要な点をつけ加えれば、聖人は国家の概念をその特殊性を中心にして捉えられているということです。これは教機時国序の五綱判における「国」の教義よって表明されています。ここで国とは具体的には日本国をさすのですが、その考え方は、国には、寒い国、熱い国、一向大乗の国、一向小乗の国などそれぞれ相違がありますが、仏教はそれぞれの国情に応じて弘められるべきであるというのです。『南條兵衞七郎殿御書』における「国」の説明によりますと、
  されば法は必ず国をかんがみて弘むべし。彼の国によかりし法なれば必ず此の国にもよかるべしとは思ふべからず。(定遺三二四頁)
と言われています。つまり国家は文化や地勢などの特殊性に規定されたものであって、文化や民族・地勢の差別を越えた普遍的国家・世界的国家というものはここでは考えられていません。日蓮聖人が日本の国土、日本の文化を中心にし重視されたと思われるお言葉は御遺文の中の諸所に見出されますが、一つだけ例を挙げますと、『月水御書』の中につぎのように述べられています。
  但し日本国は神国なり。此の国の習として(中略)……。少々仏教にたがふとも其の国の風俗に違ふべからざるよし、仏一つの戒を説き給へり。此の由を知らざる智者共、神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す強義を申して、多くの檀那を損ずる事ありと見えて候也。(定遺二九二頁)
 すなわち聖人は日本古来の信仰である神祇崇拝を重んぜられているのです。ここで「神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す強義」というのはおそらく念仏宗をさすのでありましょう。
     元寇と愛国思想
 すでに申し上げて来ましたことから、聖人の思想の特色は、国家を中心にし、民族・文化の特殊性を重んずる立場であるといえましょう。このような立場はこれを「国家主義」と呼んでも何ら差し支えないものです。しかし国家主義は国家の価値を絶対視する「国家至上主義」としばしば混同されます。それで他に適当な言葉がありませんので、これを「国家重視思想」と称し、「国家至上主義」と区別することにしたいと思います。聖人は国家重視思想ですが、断じて国家至上主義ではないわけです。
 しかし最近の日蓮研究は国家主義(国家至上主義)を排除しようとするあまり、聖人における国家の意義を過小評価する傾向が認められるのは遺憾に思うところです。そこには国家重視思想と国家至上主義との混同が見られます。最近の学者が聖人の思想の本質を非国家主義として強調するのは大きくいって二つの根拠があるようです。
 第一は元寇に際して聖人は、日本を謗法の国家と断じ、謗国のゆえに蒙古の侵略を受けたのだとして、日本の滅亡を予期されるごとき発言をされ、この場面においては愛国者的発言が見られないこと。
 第二は御遺文の中には諸所に個人の安心立命の表白とみられるような表現、あるいは永遠無限の浄土、死後の世界の浄土を志向するような表現がみられ、このような浄土観は国家を超越する思想として理解されることです。
 まず第一についていうとすでに諸学者によって指摘されるように、御遺文の中には蒙古調伏と受け取られるようなご発言はされていません。蒙古は謗国日本を治罰するために来寇するのであるいという趣旨のご発言をされているのです。この多くの実例は指摘されているとおりですが、蒙古は法華経の行者にあだする人々を罰するために来た「天の御使」である(『異体同心事』定遺八三〇頁)、あるいは謗法の国を罰するために来たった「鄰国の聖人」である(『撰時抄』定遺一〇四七頁、『下山御消息』定遺一三二五頁)とまで言われています。
 このことから聖人が国家至上主義者ではない、あるいは世俗的な意味での愛国者ではないということは是認してよいことでしょうが、これを根拠にして聖人の立場を、国家を超越するものであるとか、非国家主義的であると解するのは短絡的にすぎるようです。元寇について聖人がたびたび発言されているのは、国家を無視し超越したからでなく、逆に国家に深い関心を抱かれたからです。
 蒙古来襲に先立って文永五年、かの国の牒状が鎌倉にもたらされましたが、このとき聖人は率先して蒙古を撃退・対治する精神的指導者として発言行動されました。このことはいわゆる『十一通御書』において明らかに示されています。もっとも最近はこの『十一通御書』は偽書であるという説が有力です。この中にたとえば「日蓮は……蒙古国退治の大将たり」というような俗っぽい表現があるのは日蓮らしくないというのです。その可能性はないとはいえないかもしれませんが、しかし『十一通御書』と同じ頃に著されて真作と見られている次下の三書すなわち『安国論御勘由来』『宿屋入道許御状』『宿屋入道再状』の三書(最後のものは真蹟が現存している)の中には『十一通御書』とほぼ共通した愛国的表現が見られます。いまその二、三の例を引用してみます。
  此れ偏へに国土の恩を報ぜんがためなり。(『安国論御勘由来』定遺四二二頁)
日蓮また之れ(蒙古)を対治するの方、之を知る。叡山を除いて日本国には但一人也。……但偏へに国の為、法の為、人の為にして身の為に之を申さず。(同定遺四二三頁―四二四頁)
日本国の中には日蓮一人当に彼の西戎を調伏するの人為る可しと兼て之を知れり。……君の為、国の為、神の為、仏の為、内奏を経らるべきか。(『宿屋入道許御状』定遺四二四頁―四二五頁)
仏法を学ぶの法は身命を捨てて国恩を報ぜん為なり。全く自身の為に非ず。(『宿屋入道再状』定遺四二五頁)
 この中には「国の為」とか「国恩」というような愛国的表現が見られます。しかし佐渡以後はこのような直接的な愛国的表現は見られなくなっていることは事実です。
 この事情はつぎのように考えられましょう。蒙古来牒の折、第二の諫曉をされました日蓮聖人は、御自分の進言が幕府に取り上げられてその信仰を改めるに至るであろうことを強く期待されたことと思います。しかしその結果は期待に反し聖人ならびに聖人一門に対する過酷な弾圧としてはね返って来ました。このような弾圧を経験された聖人が幕府・朝廷いずれであれ現実の政権を絶望視されたことは当然でありましょう。聖人が日本国家を謗法の国と断じこれを否定視されたのは、迫害弾圧の経験を踏まえてのことであったとみられます。聖人にとっては謗法の国家日本の滅亡は正法の国家日本の再生を意味するものであったに違いありません。
 このように見ますと元寇に対する聖人の発言はその国家重視思想をあらわすもので、これを国家超越思想として解釈するのは妥当でないように思われます。もし聖人が国家を疏外視するような思想に立っておられたならば、元寇についてあのように多くの言葉を残されたことはなかったでしょう。「一切の大事の中に国の亡ぶるが第一の大事にて候なり」(『蒙古使御書』定遺一一一二頁)と述べられています。日本の亡国についての発言は愛国思想の形を変えた表現とみるべきものと思います。
 御遺文の中には「日蓮は日本第一の法華経の行者なり」(『種々御振舞御書』『撰時抄』『寂日房御書』)というように、日本・日本国・日本第一という表現がはなはだ多くみられます。これは事がらを強調するための誇張的表現という側面があるかもしれませんが、国家意識のあらわれとみて差し支えないものでしょう。
 聖人は幕府に対し三度諫曉されましたが、それは国の恩に報いるためであることを自覚されていました。このことを示す御遺文の言葉を二、三引用しましょう。
  日本国に智者とおぼしき人々一人も知らず。国すでにやぶれなんとす。其の上、仏の諫曉を重んずる上、一分の慈悲にもよをされて、国に代りて身命を捨て申せども……用ゆる人一人もなし。(『下山御消息』定遺一三二一頁)
上下共に先の如く用ひざりげにある上、本より存知せり、国恩を報ぜんがために三度までは諫曉すべし。(同定遺一三三五頁)
其の国主も失せ、其の国もほろびなんずととかれて候。……日蓮の身には今生にはさせる失なし。但国をたすけんがため、生国の恩をほうぜんと申せしを、御用ひなからんこそ本意にあらざるに……(『撰時抄』定遺一〇五五頁)
 これらは過去の事を述懐されたときの聖人のお言葉ですが、それは、述懐する時点における聖人の意識を示すものと解釈して差し支えないでしょう。
 一方、聖人は度重なる法難の体験を経て、法華経信仰の先覚者・指導者としての自覚を深められ、このご自覚は、上行菩薩の立場を自認されるなど、佐渡時代・身延時代を通じ一層強くなっています。このような先覚者・指導者としてのご自覚が、国家の概念と結びつくとき、国家の精神的指導者という聖人のイメージが顕著になって来ます。御遺文中には、御自分を称して「日本国の棟梁」(『法蓮抄』『撰時抄』)、「日本国の一切の衆生の父母」(『撰時抄』『呵責謗法滅罪抄』)などと述べられ、これに類する表現は他にもおおく見られますが、『開目抄』のつぎのお言葉はとくに有名です。
  我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願やぶるべからず。(定遺六〇一頁)
 このように国家を視野に入れた聖人の指導者としてのお姿は『十一通御書』に見られる救国・愛国者としてのお姿と基本的に異なるものでないと考えられます。
     法界浄土思想の展開――『観心本尊抄』
 つぎにさきに申しましたように聖人の思想を非国家主義・国家超越と解釈する第二の根拠について検討したいと思います。たしかに御遺文中には個人的な安心立命や永遠なる法界浄土への志向を表明された言葉が見出されます。そしてそれが宗教の基本を形成するものであることも確かですが、だからといってそれを聖人思想の本質とみるべきかどうかはまた別問題であると思います。
 御遺文中にこのような思想を表明されたと見られるお言葉は諸所にありますが、代表としてつぎの一文だけをあげておきます。
  ……今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思しめし合わせて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ。妙覚の山に走り登りて四方をきっと見るならば、あら面白や法界寂光土にして瑠璃を以て地とし……虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、娯楽快楽し給ふぞや。我等もその数に列りて遊戯し楽しむべきことはや近づけり。(『松野殿御返事』定遺一二七三頁)
 このような法界浄土の思想は表面的には国家の観念とかかわりないように見えます。したがってこの点だけを取りあげてそれを強調すれば聖人は国家を超越した立場に立たれたということもいえるかもしれません。
 ところで存在の位相を、「普遍」・「種(特殊)」・「個」に分ける考え方にしたがえば、宗教家が究極の目標とする絶対者(仏陀)や絶対的境地(浄土・法界)は「普遍」であり、宗教家個人は「個」でありますが、国家や民族、社会、教団、時代の規定などは「種(特殊)」にあたります。宗教は個人が絶対者と直面する場面において成立するとしますと、「個」あるいは「個」に即した「普遍」が本質であって、「種」は第二義的なものにすぎません。しかしその宗教が具体化されるためには、国家や社会などの「種」的なものを無視することはできないはずです。とくに国家は、個人がそれに所属する政治的社会集団として、その政治により、個人の幸・不幸、災・福を決定的に左右するはたらきをするものです。仏教家がいかに国家を超越しその非政治的立場を貫こうとしても、現実に仏教が政治的環境のなかに存在するかぎり、国家・政治の問題をさけて通ることはできないはずです。それゆえこの問題を回避することなく、むしろ積極的に政治に対して発言し、国家を正法によって規制し、正法に基づく政治を行うよう善導することが、現実に浄仏国土を建設するゆえんとなりましょう。これが日蓮聖人のお立場ですが、そうであれば、法界浄土の思想を表明されたからといって国家の問題を疏外することはあり得ないことです。
 それでは日蓮聖人において法界浄土はどのような教義に基づいて国家として具現されるのでしょうか。このことをもっとも重要な教義である『観心本尊抄』を手がかりにして考えてみたいと思います。
 観心とは自己の心において実相を観ずることですが、「観心とは我が己心を観じて十法界を見る、是れを観心と云ふなり」(定遺七〇四頁)と定義されています。ここで十法界(十界)の概念は法界・法性のごとく究極の実在と考えられるものと意味を異にしますが、個(個人)に即して全世界が体認されることが観心であるという思想の構造を見ることができます。
 この観心は一念三千に外なりませんが、一念三千の教義は十界互具に要約され、十界互具は人界に仏界を具することに要約されます。そしてこの仏界に関して、
  問うて曰く、教主釈尊は〔之れより堅固に之を秘せよ〕三惑已断の仏なり。又十方世界の国主・一切の菩薩二乗人天等の主君なり。……是の如き仏陀何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや。(定遺七〇七頁)
という問題提起がなされ、議論が深められます。その議論の趣旨は要するところ久遠実成の釈迦仏と十界互具のおしえは法華経のみに説かれているということに帰着しますが、この問題提起のお言葉の中に教主釈尊を国主・主君にたとえられていることが注目されます。これは喩例でありますけれども、聖なる仏法の世界の秩序が世俗世界の王臣の秩序に比例して示されていることは日蓮聖人のお考えをあらわすものでしょう。同じような喩例はこの次下に、釈尊の眷属としての地涌の菩薩を、周の武王の臣下としての太公望に、また仁徳天皇の臣下としての武内宿禰にたとえているところにも示されています。
 『観心本尊抄』はさらに仏種の概念は『法華経』のみに説かれているものであって、その仏種に釈尊の因行・果徳の二法が具わっていることを明らかにされていますが、このことをつきつめると、妙法蓮華経の五字の題目に久遠本仏たる釈尊の因行果徳のすべてが具わっていることになります。すなわち観心・一念三千とは妙法蓮華経の五字の題目であって、この題目こそが一切衆生を成仏せしめる原理なのです。
 ここでこの題目があらわす観心・一念三千の対境(所観の世界)は生滅衰変する無常の浄土世界でなくて、永遠不滅・常住の浄土であることが明らかにされますが、このことが、
  今本時の娑婆世界は、三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず、未来にも生ぜず、所化以て同体なり。此れ即ち己心の三千具足、三種の世間なり。(定遺七一二頁)
という言葉で示されます。これは「四十五字の法体」と称されて『観心本尊抄』の中心となるもっとも重要な教えです。すなわち究極の真理・実在は不生不滅の法界浄土でありますが、「本時の娑婆世界」という説明がなされているのは、それが現実の娑婆世界に即して開顕されるものであること、またそれは『法華経』本門の教えによって顕示され、本門の教えを信ずるものによってのみ体認しうるものであることを示しています。法界浄土は究極の普遍的世界でありますが、それが観心の対象であることは、「個」に即した「普遍」という思想構造をよくあらわしていると見られます。
     「普遍」から「種」へ
 この法界浄土の教えを中心にして『観心本尊抄』のこの後の叙述は、この個に即した普遍の思想が、次第に「種」(特殊)的なものに限定されて展開するという経過を示しているように思われます。
 すなわちこの法界浄土の思想はその次下に『法華経』八品の儀相として示されますが、それを図示したものが大曼荼羅本尊です。そして八品の儀相に対する聖人独自の解釈が示されますが、それについて、結論を先取りするような形で、
  此等の仏をば正像に造り畫けども未だ壽量の仏ましまさず。末法に来入して、始めて此の仏像出現せしむべきか。(定遺七一三頁)
と述べられます。つまり末法という時代規定が与えられ、その末法において壽量品の本尊を建立することがこの場合の主旨であるというのです。そしてそれが「前代未聞」であることを次下に
  本門壽量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に之を崇重せざる由之を申す。
と述べられます。ここに「王臣」という言葉が用いられていますが、すでに申し上げましたように、聖人においては、王臣の身分的秩序が国家の体制を意味するものと理解されるものです。それゆえこの本尊は国家的規模で建立さるべきものであることが示唆されているといえましょう。
 『観心本尊抄』はこの以下に、八品の儀相の意味する内容について詳述しますが、その結論は、末法の時代に本化地涌の四菩薩が出現して、『法華経』本門の教えの精粹を要約したところの五字の題目を釈尊より受け取ってこれを衆生に弘通する、ということにあります。そして結尾のところでこの結論を敷衍する論述がなされますが、その中に、
  当に知るべし、此の四菩薩、折伏を現ずる時は、賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は、僧と成って正法を弘持す。(定遺七一九頁)
とあります。この簡単なご説明だけでは詳細を知りがたい点がありますが、末法時代に四菩薩は賢王となって出現し折伏を行ずるというのですから、これは国王の在り方を規定したものであって、はじめに述べました『立正安国論』の所説を連想させるものです。
 つぎにこの次下に、
  此の時、地涌千界出現して本門の本尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし。月支・震且には未だ此の本尊ましまさず。日本国の上宮、四天王寺を建立するも……(定遺七二〇頁)
とありますが、この文脈から見て文中の「この国」とあるのは日本国を指すことは疑いありません。そうしますと、超時間的、超空間的な法界浄土の思想が、時代は末法、場所は日本国というように、特殊(種)的限定を受けることによって、現実の時間・空間として具体化するというのが『観心本尊抄』の考え方であろうと思われます。
 さらに最後のお言葉は、
  四大菩薩のこの人を守護したまはんこと、大公・周公の成王を摂扶し、四皓が惠帝に侍奉せしに異ならざるものなり。(定遺七二〇頁)
とあって四菩薩を同じく王臣の関係にたとえて説明しています(ただしこの場合は四菩薩は臣下にたとえられ、臣下として幼帝に仕えるものとされます)。
 聖なる宗教世界の秩序を世俗の王臣の秩序になぞらえて説明されることは遺文の諸所に見られるところですが、これはさきに申しましたように、日蓮聖人の考えておられる国家の政体は王政であること、その国家の秩序は聖なる仏法の世界の反映でなければならないことを意味すると考えられます。
 ところで最近は、佐渡時代とくに身延時代の日蓮聖人の思想を、国家超越として捉える理解の仕方が有力のようです。すなわち聖人は身延隠棲の閑寂な生活の中に、思いを有限な世界を越えて法界浄土の永遠無限の世界に沈潜あるいは飛翔され、その無限の世界の深み、高みに立って現実の世界を眺め返されたというのです。
 しかしこれはいささか行き過ぎた解釈のようです。身延時代聖人は現実の国家・社会に強い関心を持たれていたことは『撰時抄』などによくあらわされていますが、その中で、
  されば日蓮は当帝の父母、念仏者・禅衆・真言師等が師範なり、又主君なり。(定遺一〇一八頁)
とて国王・国主を視野に入れた発言をなされています。この点でつぎのような御遺文(書簡)が存在していることは注目されるところです。
  三月十九日の和風並びに飛鳥、同じく二十一日の戌の時到来す。日蓮一生之間の祈請並びに所願忽ちに成就せしむるか。將また五々百歳の仏記宛かも符契の如し。所詮真言禅宗等の謗法の諸人等を召し合せ是非を決せしめば日本国一同に日蓮が弟子檀那と為らん。我弟子等の出家は主上上皇の師と為り、在家は左右の臣下に列らん。將また一閻浮提皆此の法門を仰がん。幸甚々々。(『諸人御返事』定遺一四七九頁)
 この御遺文(書簡)は弘安元年三月二十一日の作で真蹟が現存しています。この背景となっている事情については全く不明なのですが、日蓮聖人が国政になみなみならぬ関心を持たれていたことが知られます。とくに「我弟子等の出家は主上上皇の師と為り」とあって出家僧侶が国師となるべきこと、また「在家は左右の臣下に列らん」とて、在家信者が国政に参画することをすすめられていられるのは、極めてなまなましい現実的な国政への関心といえましょう。日蓮聖人において法界浄土への志向と現実の国家への関心は同じ思想の両面であったわけです。臨終直前における聖人最後の御講義は『立正安国論』であったと伝えられますが、聖人御一生の活動は『立正安国論』にはじまり『立正安国論』に終わるといっても過言でないと思います。
     天皇制の問題
 日蓮聖人の国家観は国王を中心とする人倫の体制であったと考えてよいと思いますが、その国王は当然のことながら高徳であり『法華経』を信仰するものでなければなりません。『法華経』信仰に基礎づけられた国王体制が聖人のめざすものであったと考えられます。
 それでは日蓮聖人は天皇制あるいは天皇政治をどのように見られたかということを少し考えてみたいと思います。(天皇制という言葉は、左翼系統において使い始められたということですから元来は否定的意味のものですが、今日はこの言葉はほぼ定着し、肯定・否定にかかわらず用いられるので、私もそのような意味で用います)
 戦前と異なって戦後の学者においては、私が気づいたかぎり、日蓮聖人が天皇制を積極的に支持されたと見る人はほとんどいないようです。この問題を判断する手がかりとなるお言葉は、御遺文中に断片的なものしかありませんが、それらを総合的に整理しますと、この問題の解決に資する条件となるものとして、聖人のお教えの中からつぎの諸項を取り出すことができるようです。
 1)第一に承久の乱に対する聖人の論評は、後鳥羽上皇の側に対しては評価がきびしく、これに対し義時側に対してはさほどでなく、時には好意的であるのは事実です。後鳥羽上皇に対する否定的評価は、もっぱら上皇が真言の邪法にたより『法華経』信奉者でなかったということを根拠としています。これに対し義時は曲がりなりにも『法華経』信者であったとされます。しかし両者に対する評価の分かれは、当時の世評が一般に後鳥羽上皇にきびしく義時の政治を善しとすることの反映であるとも見られます。
 2)しかしこれをもって聖人が天皇政治を否定し鎌倉幕府を支持されたと見るのは早計です。日本国を謗法の国と断ぜられる聖人の目からご覧になれば、公・武いずれにしても現実の政権がただしいものでないことはいうまでもありません。聖人は現実の政権については公・武いずれの側にも与されなかったと見るべきです。
 3)聖人は承久の乱を「下克上」(天下第一先代未聞の下克上〔下山御消息〕)と評されますが、この場合言われることの主眼は、後鳥羽上皇が仏法を誤って法華経によらず真言の邪法をもって祈願したがゆえに、大王たる上皇方が臣下の幕府に敗けるという、通常ではあり得べからざる下克上が出来したということにあります。つまり下克上を招いた責任は、謀叛を起こした義時でなくてかえって後鳥羽上皇の側にあるというのです。下克上というかぎり倫理的に正当な行為とは認められないとしなければなりませんが、それが『法華経』の不信によってひき起こされたということは、邪法は人倫の秩序の破壊としてはたらくということになります。これを裏返せば、正法は人倫の秩序の維持としてはたらくべきものであるということになります。
 4)一般的にいって秩序を維持するという場合の秩序は、既成の文化・人倫に準拠するものであって、その考え方は保守的であります。この点は日蓮聖人も同じであったと思います。承久の乱は武家の政治的進出を決定的ならしめた事件ですが、しかしそれによって秩序に対する考えが大きく変化するものでなかったと考えられます。すなわち乱の後においても朝廷の権力は依然として存続し、天皇の権威が失われることはなかったからです。この事情は聖人の御遺文の中にも認められるところでして、たとえば「賢き御門より卑き民に至るまで」(『聖愚問答鈔』定遺三五〇頁)と言われるように、天皇を最上位に位置づけることが聖人のお考えであったように推定されます。御遺文中には国王と国主との両方の言葉が用いられていますが、国主というときは天皇と幕府との両方をさしますが、国王というときは天皇をさして幕府をさすことはないようです。このことは聖人においては天皇と幕府の地位が区別されていたことを示唆するようです。
 5)さきに申し上げましたように、日蓮聖人は国家の特殊性(種)を重視されましたが、この立場から日本文化の特徴である神祇信仰を肯定し、天神地祇は仏法に従属するものであるという前提のもとに、神祇信仰を摂取されています。聖人の生国安房の国には、伊勢の天照太神に対する信仰が伝えられていましたが、聖人は幼少の頃よりこの信仰に親しまれておられたことが知られます(『弥源太殿御返事』『新尼御前御返事』)。天皇制は神祇信仰と密接に結びついていますが、聖人は神祇信仰とともに天皇制をわが国文化の特徴をあらわすものとして称揚されています。すなわち『神国王御書』に、
  しかるに我日本国は一閻浮提の内、月氏漢土にもすぐれ、八万の国にも越へたる国ぞかし。……(中略)……此日本国は外道一人もなし。其上神は又第一天照太神・第二八幡大菩薩・第三は山王等三千余社。昼夜に我国をまほり、朝夜に国家を見そなわし給ふ。……(中略)……されば神武天皇より已来百王にいたるまではいかなる事有りとも玉体はつゝがあるべからず。王位を傾る者も有るべからず。(定遺八八二頁―八八三頁)
と述べられているところです。ただしこのお言葉は、我が国のすぐれたゆえんの一つとして、王位は百代までも永続すべきものであるのに、承久の乱によってそれが損なわれたのはなぜかという文意の中に述べられているものでして、ここでも仏法が王法に優先して考えられていることはいうまでもありません。
 6)聖人においては仏法における教判の秩序が世俗の身分的秩序になぞらえられて説明されると申しましたが、『真言七重勝劣』(文永七年、図録)の中のつぎの教えはこのことを具体的に示された例として注目されます。
      今経位配人事
        鎌倉殿
    征夷将軍     無量義経
    摂政       涅槃経
    院        迹門十四品
    天子       本門十四品  (定遺二三一六頁)
 ここに天子(天皇)と征夷将軍(幕府)の間の序列の差が認められています。
 7)以上を総合的に考えてみますと、日蓮聖人は、現実の天皇政治(後鳥羽上皇)に対しては批判的でありましたが、国家を王臣の人倫体制として捉えられていること、また国家の特殊性(種)を重視される立場に立たれていることから、我が国古来の文化たる天皇制を肯定されたことはほぼ疑いないことであると思います。
     終わりに
 最後に日蓮聖人は「国家」という「種(特殊)」の立場に立って『立正安国論』を著わされましたが、これを逆に言えば本御書の思想は種の限定を強く受けたものであるということになりましょう。つまり『立正安国論』は末法・鎌倉時代の日本国という境位、さらにその日本国の中における日蓮聖人独特の境位に基づいて述作されているのです。しかし今日の日本は鎌倉時代の日本と様相を異にし、取りまく環境も著しく異なっています。
 『立正安国論』の教えが、その形式において今日の我が国にそのまま適用し得ない面が多々あることを、われわれは率直に認めざるを得ないと思います。したがってその教えの形式でなく精神を生かすべきでありましょう。しかし精神を生かすことがただちに形式を排除することにつながり、結果として日蓮聖人の独自性を抹消し、一般仏教的な思想に終始することになっては、これまた祖意にそむくことになると言わざるを得ません。
 『立正安国論』の教えには、今日的課題としてこれを見るとき、実に困難な問題が見いだされます。その主なものを思いついたままにあげてみますと、
  (1)政教一致(王仏冥合)と政教分離。
  (2)異教との対決(折伏)と信教の自由。
  (3)宗教的平和と軍備(刀杖)。
  (4)天災・人災と宗教・信仰。
 これらはどの一つを取っても解決の容易でない問題ばかりであって、討論の場になっても甲論乙駁で結論が得られないという結果が予測されます。しかし結論が得られなくても真摯なきめの細かい論議がなされるべきです。論議をとおしてわれわれの理解が深められることは、手っとり早く安易な解答を得ることよりもはるかに意義が深いからです。そしてそれが基本的な意味で教学の前進につながると思うからです。
 御静聴ありがとう存じました。

 ※本稿は平成八年五月十六日、東京都新宿区常圓寺にて開催された第二十七回教化学研究集会における講演をもとにして、それに大幅に加筆し訂正を施したものです。







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