部会報告 (要旨)
第一現代教学部会
○第一分散会
座 長 吉本光良
問題提起 西口玄修・望月昌光
記 録 西片元證
参 加 者 十八名
本部会では今回は分散会方式を取り入れ、@「私たちの『安心』とは何か〜突然死で残された者へのアフターケアを通して考える〜」とA「比較、検証!オウム・ハルマゲドンと『前代未聞の大闘諍』(撰時抄)」の二つの問題について討議した。二つの分散会でそれぞれの問題を取り扱うのではなく、時間を区切り第一・第二の分散会とも同じ問題について話し合った。この方式については、時間が短く問題を掘り下げられない等との反省も出された。
第一の問題は、発題の西口師より我々僧侶が仏事法要を通して、遺族の心の痛みを如何に癒せるかを、『対象喪失』(中公新書)の視点より問題提起された。第二の問題については、望月師より現在話題になっているオウム真理教について教訓とすべきことを模索する必要性が提起された。
分散会に移り第一の問題から開始した。自己紹介を兼ね、この問題について思う所の発言を求め、以下のような意見が出された。
○遺族の話を聞く、共に泣く等、とことんつき合うことが必要と思うが、時間の余裕が無い。
○一周忌の頃はノイローゼ気味でも、三回忌には元気になっている例もあるから、時間が解決することもあるのでは?
○葬儀の主催者として、最高のプロとして葬儀を行い、安心を与えるには、檀信徒との日頃の付き合いが大事であろう。
○遺族の心の痛みを解決する為の答は与えるものではなく、自分で見つける性格のものだから、如何に手助けするかが難しい。
○葬儀終了後に始まるこの仕事は、三回忌位まで続ける必要がある。その間に、死者の死と成仏を納得させ、死者を仏にせねばならない。
○日蓮聖人の成仏観や、霊山浄土の問題を考える必要がある。また、真偽問題があるものの『十王讃嘆鈔』の意味を考えてみなければならない。
以上のような意見が出されたが、時間となり第二の問題に移った。この問題についても以下のような意見が出された。
○オウムの人達の報道に接して、自分の持つ常識では理解できない。
○オウム=悪の図式だけでは問題があるように思われる。
○同じ町に住む誰々が、オウムの信者であると噂を聞くことがある。オウムに入信する人が出るような社会を創った者の一員として、我々宗教者にも責任がある。
○宗教者は奇跡を起こさねばならないと思っている人達がいるが、そこに問題がある。
○新宗教や新新宗教に対抗する意味で現世利益としてのご祈祷が必要である。
○十年前、麻原の空中浮遊が掲載された雑誌の影響で信者が増えたが、家庭での教育力の低下や子供への接し方に問題があるのでは。
○日蓮聖人は現世利益を売り物にはしていなかった。
○オウム信者のマインド・コントロールを解くには、我々が組織的に従事せねばならない。その為のマニュアルも必要なのではないか。
○「ハルマゲドンと日蓮信者である石原完爾の最終戦争論の対比」「ハルマゲドンと大闘諍論の相違」「麻原のハルマゲドン論と宗祖の末法の法華経的証明の相似性について」これらを明らかにして、オウム批判の立脚基盤を探らねばならない。
以上の意見が出された。第一の問題については、遺族と悲しみを共有し、宗祖の成仏観や救済観、特に霊山浄土について学ぶ必要がある。第二の問題では、現世利益について。家庭や社会における宗教教育について。関連する学問として心理学、そして、新宗教や新新宗教の知識も学ばねばならない。この様に問題点が摘出できた。
また、二つの問題に共通することであるが、本部会の性格上、日蓮聖人の遺文に照らして問題点を探る態度が必要なのではないか、等の反省点も出された。
(西片元證)
○第二分散会
座 長 難波宏正
問題提起 西口玄修・望月昌光
記 録 松脇行眞
参 加 者 十八名
第二分散会では、オウム・ハルマゲドンと「前代未聞の大闘諍」(撰時抄)との相違について話された望月昌光師の問題提起の方から討議が始められた。
まず、オウムの教えに関して、マスコミを通してしか知らないことを反省し、今回のように、オウム自身が出版している本を読んだ上で、きちっと教えを批判することの重要性が指摘された。
さらに、オウムなどの新宗教の長・短所から、既成宗教も学ぶ点が多くあるのでは。例えば、教えを解かり易く、読み易い本にしている点。一般の人々が興味のあるテーマについて応えていることなどである。
また、オウムの言うハルマゲドンは、この世に始めと終りがあり、ファイナルジャッジメントとして位置付けているが、キリスト教のハルマゲドンとは違う意味で用いている。業(カルマ)・悟り・輪廻などの多くの基本的仏教用語の捉え方・使用方法が、まったくおかしい。などの発言もあった。
また、宗祖の法難と、オウムとの類似性は、マスコミで既に取り上げており、しっかりと会通しておかねばならない点である。宗教のもつ恐ろしい部分も見つめておく必要がある。など、本宗教師の課題も出された。
第一現代教学部会への提言として、教学部会なのだから、もっと教学的な見解を聞きたい。より委しく、オウムと宗祖との比較を知りたい。などの意見が出された。
続いて、西口玄修師の発題に、討議は移った。
遺族が悲しみを抑圧して、仕事などでごまかした結果、罪の意識を持ってしまい、精神的な病いとなる例が多い。特に突然死の場合は、心の傷の深さは計り知れなく、僧侶による喪の仕事(モーニングワーク)が、より重要なことを、西口師は力説された。
さらに、宗祖は、励ますのではなく、悲しみをもう一度再生している点を、ご遺文を挙げて説明し、この追想の重要性が、現代の精神医療の現場でも叫ばれていると指摘された。
普段、葬儀や追善供養など、モーニングワークを行っている僧侶だけあって、活発な討議となった。
以下、発言の要旨の一部を列挙する。
○葬儀の時の僧侶の接し方、気遣い方で、以降の信頼関係が決まることは多い。そこに教義は介在しないが、僧侶の人柄で引き付けられるのも事実だ。
○父を亡くし、初めて人を亡くした悲しみがわかり、それ以後、葬儀では涙腺が緩んでしかたがない。遺族と悲しみの共有ができるようになり、檀家の心が開くようになった。
○本当の意味で、遺族と悲しみを共有し、同調できるかが、僧侶自身の課題である。遺族へのアフターケアは、僧侶の役割の一つだったのだから。
○時がたてば悲しみは薄れると言うが、そうではなく、心の奥底に入るだけだ。故人の生きざまを想い出して、活かすことが供養ではないか。
○ある住職は、葬儀の時に、わざと泣いてお経を読んだり、引導の声を詰らせるという。その寺は、葬儀のパフォーマンスで、新檀家が増えたらしい。わざと泣くのは、宗教者の良心に反すると思うが、やはり遺族にとっては、嬉しいのだろうか。
○あえて悲しまなくても、葬儀を儀礼として、きちっとやること自体が、モーニングワークとなっていると思う。
○「慈悲の心で人に接する」という基本を踏まえる以外にない。ケース・バイ・ケースなので、こう行えば良いと、決まったケアはなく、僧侶の精神性が問われるのが喪の仕事であると思う。(松脇行眞)
第二現代教化部会
座 長 進藤義遠
問題提起 スタッフ一同
記 録 松井教一・小澤恵修
運 営 宮川是忠
参 加 者 三十五名
第二部会の現代教化部会では、「現代」というひとつの範疇の中で近年様々な教化活動の模索を繰り返している。例えば、家庭信行、古来の「家制度」の崩壊の現状の中で、それでも今だに日本文化の中枢に位置する「家庭」という単位の中でいかに信仰の継承、信行の体制を考え、また宗門の機構の中においても位置付けてゆくべきなのかを検討した。また、我々僧職の者にとって社会との重要な接点である所の「葬儀」という問題に視点を置き、葬儀社という企業体にみる葬儀の実情、形態と我々の思考する葬儀の在り方について再度認識し確認した。しかしながら、「家庭信行」にしても「葬儀」にしても我々の思っている以上に形骸化が進行しており、家庭よりも個人の自由の尊重、信仰的葬儀の認識よりも故人との別れの通過儀礼的イベントとしての社会的認識が強く、それへの対応は正直、方法が伺えないのが現状である。
そこで、今回の部会のテーマ設定の段階から現代教化の行き詰まりの現状を痛感した。現在の教化活動の課題は、青少年、青年層への対応策である。宗教社会の現状は戦後の新宗教、新新宗教の教線拡大により、若者は軽い感覚で宗教に入信する傾向と、若者に限らず、「生きる為の宗教」として社会構造に根強く浸透している。
現代人は「マニュアル化の世代」と言われている。情報化社会のもたらした人間の思考作業の形骸化と本能的欲求の蓄積が、現代の新たな宗教環境を作り出したと考えられる。この様な現状を基盤として今回は「七五〇戦略構想」と銘打ち「マニュアル化の世代」を実感として認識し、現代の宗教環境の中で日蓮宗という教団がいかに教化活動を展開してゆくかを模索する為のシミュレーションを行った。
その根源には、今回の「オウム真理教」に見られる戦略的宗教活動における社会問題、犯罪等にあるのは事実である。この問題を真剣に検討する方法として、このような事件が発生した社会状況と教団組織、教義に陶酔していった信者達の姿に我教団の問題点を模索するものであり、決して「オウム真理教」を肯定的に見るものではなく、オウムを生み出した現代社会と日蓮宗がめざす将来の教団の姿との相違点を明らかとすることにより、現代教化のこれからの方向性を考えることが目的である。これを不真面目だと一喝する向きもあるようだが、現代の宗教環境はほんの僅かなきっかけで第二の「オウム現象」を生み出す危険性を含んでいる。若者にとっての宗教は、「自己実現」のマニュアルであり、「個」の思考の浸透によって「欲求」と「精神」のアンバランス現象がさらに進行する。このことに既成宗教といわれる我々が、その構造を適格に認識することが急務であると考えてのことを御考慮願いたい。
さて前置きが長くなったが、現代の新宗教、新新宗教の教団の拡大、信徒増員を目的とした布教手段の戦略化を基本とした組織構造を基調とし、来る二〇〇二年の「立教開宗七五〇」のその時を想定して、次のような組織図を作り、現在の抱括法人の形態を打破し、中央集権型組織を設定して、各々の担当者が企画、運営をシミュレーションの中で語り合った。
「七五〇戦略構想」〜二〇〇二年物語〜
宗務総長 総務庁
(General Operetor)総務部(O・C・N)
(Operation cebiner)
財務部(M・S・N)
(Management section)
外務部(O・S・N)
(Outsaide section)
法務・内務信徒部(L・I・B・N)
(LawK insideK believer section)
教務部(T・S・N)
(Teachings section)
自治部(S・S・N)
(Self gaverment section)
厚生部(M・S・N)
(Medical section)
企画広報部(A・P・S・N)
(Ad・Plannig section)
例えば、財務部より、年間総予算三六〇億円という設定がなされ、それを基本として各部の企画が提案された。外務部からは「諸宗教の相互理解を進める為の使節派遣」「立正安国の精神宣布の特使を各国に派遣する」など、また、法務・内務信徒部からは「日蓮宗新聞購読の拡張計画」「檀信徒の幹部養成機関の充実」「四年に一度の宗門祭典の開催」、教務部からは「ビハーラ設立、教義の平易化」、厚生部からは「ロータス・ヴュレッチ(法華村)の建設、活動」、企画広報部からは「秘密性の高い内部通信網の確立、通信衛星を使った各地同時法要、イベント企画」等の立案がなされ参加者を含めた討論がなされた。その内容は、宗門の社会還元の必要性、環境問題への発想と対応の問題、危機管理の問題(阪神大震災等)、地方寺院の救済体制の確立など現実的発想を中心とした論議がなされた。会議の後半部分は参加者の中から、例えば「テレビチャンネルを1チャンネル購入し二十四時間体制の布教活動をする」。また、「青少年等を対象として『少年ジャンプ』などの人気マンガによる平易な教義の解説」など、様々な企画が現在の宗門体制を越えて討論された。
このシミュレーションの向こうに見える現状は、組織としての動脈硬化現象やリニューアルの必要性であり、アイデアそのものの質の問題を通して、今後の教化活動を考える上で貴重な討論が行われたと思う。
今後、この企画を将来的に有効なものとするために、教団の組織論と社会現象とを分析し、次回の部会の基調としたいと思う。(小澤恵修)
第三現代教育部会
座 長 田島辨正
問題提起 原 顕彰・豊田正通・影山教俊
記 録 間宮啓允・斉藤哲秀
運 営 宮淵泰存・中山観能・岩本泰寛
参 加 者 四十名
前回に引き続き、法器養成のカリキュラムを考える上で最も基本となるべき「僧侶像」について考えた。まず原顕彰師から現代における出家のあり方が提示され、次いで影山教俊師より宗教体験の必要性に関する問題提起が述べられた後、出席者自身の出家観・僧侶像が率直に語られ、その求められる理想と現実のギャップや自らの抱える悩みなどを忌憚なく話し合った。
そうした中から見えてきた背後の諸問題、とりわけ世襲による弊害や寺院の置かれた状況、僧形の是非、僧侶としての資質や技量、教育制度の問題点などについても活発な議論が交わされた。その結果、いかに僧侶としての自覚を生み育てるか、またいかに宗教体験を重ね法悦を感じていくかという最重要課題があらためて浮かび上がってくるとともに、その前提となる理想的な僧侶像をより明確に示すべきことが確認されたのであった。
これらの本質的な問題については次回への継続課題とすることとし、最後に出席者四十名それぞれが胸に抱く僧侶の理想像(左記)を掲げて会議を終了した。
○≠ゥかわりあいを大切に、菩薩行の実践に生きる教師。
○正しい法華経の信仰に立脚した、日常の生活を通してお題目の布教に生きる人。
○本仏釈尊、日蓮大聖人の教えを伝える「仏使」の自覚を持った者(完全なる理想)。
○僧侶としての自覚と誇りをきちんと持ち、お釈迦様お祖師様のお心を伝え檀信徒に安らぎを与えられる人。
○釈尊の弟子である喜びとその法を伝える立場であることの喜びを心にいだく僧侶。
○お釈迦様法華経あるいはお祖師様にホレた人。その思いを他に伝えようと努力する人。
○仏様お祖師様から喜ばれるような僧侶(になりたい)。
○常にお題目の三業を行ずる僧侶。
○読み・書き・説法、とりわけ持戒。
○信仰心のある僧侶。
○真面目で素直で一生懸命。
○姿形にとらわれない真の布教者(出家という言葉にはこだわりたくない)を目指したい! 法華経・大聖人の教えを通して苦しんでいる人の救い手。
○外見は大事なこと(わかっています)、どれだけ納得して教師として敗けずに活動するか(新興宗教に敗けないぞ!)。百年後の日蓮宗を考えよう……。
○時代の危機感を感じる触覚を持つ僧侶。
○社会の変革と自らの変革を求め続ける人。
○生涯かけて菩薩行の実践。
○宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」のような教師。
○社会正義を貫いている僧侶(長い物に巻かれない)。
○無報酬の法務ができる僧侶。
○二十四時間体制の開業医的存在(往診も当然)。
○俗社会との同化の中でレゾンデートルをしっかり持つ。
○はだか説法(常時ホンネで話のできる僧)。
○体説法のできる僧。
○心の出家を基本とし、まず宗教的な安心を経験することが先決。
○他を常に思いやれる慈悲に徹した僧でありたい。他を知らずして自己を知り得ないから。
○檀信徒からも地域からも、ありがたいといわれる坊さん像でありたい。
○金儲けに走らず、周りの人の目の高さに合わせて、奢らず昂ぶらず、その地域に順応しながらお寺が皆の拠り所となるよう努める僧侶。
○僧形にこだわる必要はないと思う。自身を律するために頭髪は短く、心に袈裟を着けていれば、僧侶を意識せずにいろいろな人々と接触したい。
○これといった僧侶の形はないが、もっと人間的な僧。
○「和光同塵」¢m侶としてという心構えを根本にすえ、決して気取らず、自らの行いが現身説法となって人を教化できる僧侶。
○今の若い人が見て、日々の行動などが僧侶としてしっかりしていると認められなければならないと思う。
○いつでも、どこでも、自分は僧侶と堂々といえる僧侶。
○それぞれの分野・布教法に真剣に対応する僧侶。
○僧になって十七年。檀信徒にお会いして「安心感が得られる」といわれる時が僧侶となってよかったと思う。またそうならなければならない。
○少なくとも朝勤などのお勤めごとはきちんとする僧侶。
○最低限、世間が職業的宗教家とみているのだから、プロとしての通過儀礼は真面目に真剣に執り行う努力・精進をしなければならない。
○特技または僧侶以外の資格を持つ者。
○在家出身の僧を増やす。
○苦しみがないと本当の信心は起こり難い。学寮・布研等で自覚が大いに持てる事実を重視し、そのように制度・機関を大いに充実させることが効果的と思われる。
○信行道場での感激を道場生に味わわせ、一生に一度の結界の生活を意義あるものにできる先輩僧侶。
○自身が僧として法悦を堅持できるだけの信行に精進することが第一。世襲の吾が子にも喜び進んで伝道教化をめざしたいと思わせる師父であるべき。純粋の信を持ち尊敬できる人があるなら、他人を師とすべき。
○社会の中でいろいろな体験(職業)を経て最後に僧侶に落ち着いたという人のほうが魅力的で、立派な坊さんが多い。視野も広く坊さん社会の中だけしか知らない人より坊さんらしい。これをどうやったらカリキュラムのようなものにするかが問題である。
(田島辨正)
第四現代社会問題部会
座 長 貫名英舜
問題提起 楠山泰道・吉田永正
運 営 中村雅輝・梅森寛誠・山口裕光
柴田寛彦・奥田正叡
記 録 灘上智生・平井良昌
参 加 者 四十四名
はじめに
「阪神大震災と本宗教師の対応」と「オウム真理教……なぜ現代の若者はこの¥@教にひかれたのか?」という二つの課題は、戦後五十年間の布教の成果として考えた場合「我々の布教は社会に何をしたのか」という共通の問題がある。そこで、これらの課題を現場に基づいた皮膚感覚の問題としてとらえ、日蓮宗教師としての対応を討議していきたい。
1阪神大震災と本宗教師の対応
@はじめに
平成七年一月十七日阪神大震災が起こり、その救援活動の報告をもとに、本宗教師のあるべき姿を考えてみたい。阪神大震災は戦後五十年に起こった大きな出来事であり、我々の抱えている問題を露にし、その問題を検索することは、未来を考えることに繋がると座長から発言があった。
A救援活動を通じての問題提起
実際に救援合同チームを編成し、阪神の長田で救援活動を行った吉田永正師より報告がなされ、活動を通じての問題点・感想が以下のように述べられた。
○地域によって救援物資のバラつきが目立った。
○災害時に即、救援活動ができるように本宗の特別救援隊なるものの結成が望まれる。その為の体制づくりと日頃のボランティア活動の在り方の学習や実践が大切。
○ボランティア活動に対し、本宗の教師がそれぞれ独自に活動を行ったと思うが、情報交換等のために本宗のネットワークの必要性を感じた。
○緊急の救援活動後の心を癒すための継続的な宗教活動と慰霊の供養の活動の必要性を感じた。
以上のような問題点を踏まえて、お互いが相手の命の営みに対してどうかかわるか、宗門全体で考えなければならないと述べられた。
Bボランティア活動について
部会参加教師よりボランティア活動についての意見が述べられた。その要旨は次のようなものであった。
○現在の神戸の状況を知り、阪神大震災のことを忘れないように務め、今後、我々にどの様なことができるのかを考えるべきである。
○ボランティアとは相手の必要に応じて行動することである。そして、自分のできる範囲で行うことが大切である。
C立正安国論と大震災
立正安国論を現代に当てはめると、震災による被害地域は謗法の地であり、その地域の人々の心が間違っているため災害が引き起こされるという考え方が生じてしまうが、その考え方は誤っている。なぜならば、地震などの災害は避けられないものである。「地震が人を殺すのではなく、地震に弱い家屋が人を殺す」というアメリカの地震学者の言葉からもわかるように、災害は大部分が二次災害などの人災である。
正法・謗法の区別は、法華経を信仰し、お題目を唱えているか否かということではない。法華経の中に説かれている人間としての正しい物の考え方をするのが正法に繋がり、その反対が謗法に繋がるといえる。
実際に被害に遭った人が謗法なのではなく、その時代に、その国土に、共に暮らしている人々全体の謗法が人災を引き起こしている。災害に対して十分な準備のなされていない現代文明は、謗法的文明といえる。このように考えると、立正安国論は現代文明論に十分通用するという意見が述べられた。
Dまとめ
◎個々の人間が信仰を実践することを勧めるのが布教である。今回の阪神大震災は、我々の布教に対する警告としてとらえて良いのではないか。布教が十分でないということが反省点としてあげられる。
◎今回の阪神大震災の問題は、自分は被害者にならないという立場で論じられている。自分が被災者となったとき、僧侶として何ができるのかを真剣に考えなければならない。災害が起こったときの対応を誤ると本宗だけでなく仏教界全体の崩壊に繋がる。
〜連絡事項〜
今回の部会を踏まえ、日蓮宗有志のボランティア団体LAN(古河良晧、山口裕光師他)が窓口となり、ボランティア活動のネットワークづくりのため連絡協議会を具体化することとなりました。ご協力お願い致します。
連絡先:〒一五二 東京都目黒区八雲一−二−十
常円寺
電話〇三−三七一七−一〇二一(灘上智生)
2オウム真理教……なぜ現代の若者はこの¥@教
にひかれたのか?
楠山泰道師より実践経験に基づいた事例紹介の後、
@オウム信者は、そのほとんどが仏教を真剣に求めており、しかもその仏教に巡り合わせてくれたのはオウムであったという事実を考えると、我々仏教者はいったい今まで何をしてきたのであろうか? このすばらしい仏教を本当に説いてきたのであろうか?
A一般の人々が、日蓮宗と創価学会の区別がついていないという現状の中で、オウムや幸福の科学が学会バッシングをしているという事実に本宗が何も言わないのは如何なものであろうか?
という問題提起がなされた。
その後、討議に移り、
○日本だけでなくアメリカ・ロシア・フランスなど全世界的にカルト集団の問題が起きており、その根底には世界や地球に対する不安感がある。もっとグローバルな視野にたった問題として考えるべきである。
○オウムの次は顕正会が問題になる。これは我々にとって、オウム以上に関わってくる問題である。
○オウムを切り口とした宗教問題としてとらえる必要がある。
○今の子は、死をどうとらえ、生きる価値観をどう考えているのかを、寺の活動の中に取り入れていくべきである。
○本宗の青少年対策は、誠にお寒い状況にあると言わざるを得ない。
○本宗を意識するとそれ以上のことができなくなる。宗門は、最大公約数の仕事しか出来ない。もっと部会名である「現代社会」という意味を考える必要がある。そうすれば宗門という枠はあまり必要ではなくなる。
といった様々な意見が出たが、残念ながら結論といったものまでは到達することができなかった。
以上「阪神大震災」と「オウム問題」に共通することの総括として、
○宗教者として社会的責任を我々は問われているという認識を持たなければいけない。そして、本宗が何も発言していないという現状は厳しく批判されるべきで、何等かの意見・態度・指針を示すべきである。
といったことが言えるのではないであろうか。
(平井良昌)
