教相と観心の実証的な評価について
『天台小止観』の生理心理学的な考察を前提として
影山教俊
(現代宗教研究所研究員)
はじめに
今を遡る凡そ四十年前、一九五八年に精神科医として著名なチューリヒ大学、医学部教授医のメダルト・ボス博士は、『東洋の英知と西欧の心理療法』と題する名著のなかで、「キリスト教の信仰の福音が、有効に人々の心に入らなくなっために、もはや多くの人々は精神的な苦境に際して、教会の司祭に救いを求めず、医学的な心理治療家にすがるという驚くべき現象は、見のがすことができない。また、信仰ある司祭でさえ、心理学的な訓練を積んだ医師の援助を求めなければならないことも、すでに稀ではなくなっ(1)た。」と、当時すでにキリスト教の福音が機能しなくなったヨーロッパの宗教事情を指摘していたが、この指摘はそのまま現代日本の宗教界、仏教界の実情を物語っているように思えるのは私だけでありましょうか。
では、何故に仏教という宗教が機能しなくなってしまったのでしょうか?。それは仏教の根本命題である「抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)の実現」という、本来の機能を担う教化・研究活動における知の様式、つまり考え方が、現代人の事物、事象を合理的に、計量的に思考する考え方にマッチしていないからであると、私には思えるのであります。
一、教相と観心の人文科学的評価
1仏教という宗教の前提について
ではここで、仏教という宗教について理解を加えますと、仏教の全ての体系は、インドに応現なされた釈尊の根本的な宗教体験と、その教説に対する解釈であることは周知の事実であります。
そして、その「釈尊ご自身の宗教体験」は、まず四門出遊の伝説が物語るように、ご自身に関わる現実苦、娑婆、即ち忍土に生きることの苦からの解放を求めて、当時の遊行者として修行していた六人の外道に師事し、自ら梵行(brahma-carya)を行じた結果、無上正覚(anuttra-samyak-sambodhi、阿耨多羅三藐三菩提)と称せられる「ある悟りの境地」に到達し、現実苦から絶対的な安心という「抜苦与楽の内的体験」を基礎として成り立っているといえます。
そして、さらに釈尊によって、その自利行としての「抜苦与楽の内的体験」が、方便善巧(upaya
-kausalya)として直接的に働きかけられ、利他行の実践として開花し、人類救済に向けて「抜苦与楽を実現する」ための教説・仏教として表現されたといえます。
つまり、仏教という宗教の教説には、釈尊の根本的な宗教体験が前提となっているということであります。
2教相と観心の評価・表現について
ところで、従来このような抜苦与楽の内的体験と、その教説の関係は、観心・教相という用語で表現されております。また知の様式としては人文科学の様式に従い、人間の意識理性による哲学的思惟を前提に言語的に評価・表現されてまいりました。
具体的に申し上げますと、従来教相と観心の関係は、『観心本尊鈔副状』には
観心の法門少少之を注して太田殿、教信御房等に奉(2)る。
『事理供養御書』には
観心の法門と申すはなに事ぞとたづね候へば、たゞ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が、身のかわをはぐにて候(3)ぞ。
などと示されるように、観心の内容は常に法門という教相によって表現されております。
そして、法門は『唱法華題目鈔』に「但し法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべから(4)ず。」と示されるように、教法の相状を分別判釈する教相判釈によって、言語的に表現されることが述べられております。
つまり、観心という内的体験は、常に教相判釈という人文科学的な知の様式、そのような考え方によって評価され、主観的思惟によって言語的に語れてきたわけでありますから、その教相には内的体験を客観的に表現するという困難な命題が常に担われていたわけであります。
しかしながら、現代の経験科学は、その時代の学問が果たし得なかった思考の器官、意識の器官に窓をつくり、従来の内的体験の言語的な評価に加えて、計量による客観的な評価を可能にいたしました。
ここで若干、宗教機能を担う教化・研究の経験科学の方法、私たちの思考の器官に窓をつくることを説明いたしますと、「宗教体験」があくまでも個人の内的な経験であったとしても、人間の存在は「心理と生理(心と身体)」の二つのファクターとして捉えられ、さらにこの心と身体は「感情的に怒れば、心拍数が増加し血圧が上昇する」ように、「悲しみの感情に支配されると、胃酸の分泌が抑えられ食欲が低下する」ように、相関関係にあるところから、その心理的な変容過程を身体生理の変化過程として捉え生理心理学的な研究方法によって評価・表現することが可能になります。
よってこの小論は〈教相と観心の実証的な評価について〉と題して、『天台小止観』の生理心理学的な考察を前提にして、修行を実習する上で観心の法門として示された教相を観想している時の、被験者(修行者)の心理・生理状態の変化を計測し、教相と観心の関係を計量的に表現し、客観的な評価を加えてみたいと思います。
3教相と観心の基本的な関係
また、先ほど述べましたように、釈尊ご自身によって体験された「抜苦与楽を実現する」ための教相・観心(理論と実践)の信行システムは、従来『法華玄義』会本第三下二十五右に、
夫行名進趣。非智不前。智解導行。非境不正。智目行足到清涼(5)池。
『法華玄義』会本第二上六十二左に
智為行本。因於智目起於行足。目足及境三法為乗。乗於此乗入清涼地登諸(6)位。
の名言に支持されるように、教相と観心の関係は、私たちが現実苦を味わい、苦から逃れようとするとき聖者釈尊の教説(仏教)に救いありと信を起こし、教相という智目によって清涼池を確認し、指針としながら、行足という修行の足によって、その安心清涼の池へと歩き行くという(観心する)、教相と観心の二門双資の関係であることが示されております。
そして、このような教相と観心の一般的な信行システムの関係は、天台の托事観(一念三千)、付法観(四種三昧)、約行観(一心三観)の三種の観法によって表現され、また、それらは関口真大博士によれ(7)ば、止観修證の実際は四種三昧(付法観)に位置づけられるといい、また各般の行法が一行三昧と呼ばれる常坐三昧の坐禅儀に結ばれ、さらにその作法の基本が『天台小止観』の「坐禅の五項目」(修五番止観)にあるといえます。
ところで、特異な観心としては当家の事観が挙げられ、それは行即観であり、修行をもって観心を決せる最終審判であるといわれ、天台の修行に結びつけて観を練る観法と区別している。
そして、それは渡辺宝陽博士によれ(8)ば、初随喜を法華行者の宗教的境位とし、以信代慧を依拠としつつ事の一念三千を行ずる受持行を教法的根拠とし、余他の行を排するところに、題目受持という特異な受持行が導出された、修行であるという。
つまり、釈尊の因行果徳の二法を具備した妙法の五字七字(事一念三千)の玉を以信代慧を前提として、行即観の題目受持行を示している。
そしてまた、その以信代慧を前提にした行即観は、天台の理観による観念観法では理解し得なかったものを信解する、信仰による知(信知)の獲得、実存的な転換を意味しているといえます。
ところで、そのような題目受持の唱題行の実際を考えますと、行即観といえども、行儀あるいは所作として教相に示された本尊を観心する作法が求められることも事実であり、その所作の形態としては天台に見られるような教相・観心の二門双資が求められ、さらに具体的な作法として『天台小止観』の「坐禅の五項目」の実習も考慮されなければならないということは、第四十四回日蓮宗教学発表大会において、唱題行は形態的には四種三昧の半行半坐三昧にあると示した通りで(9)す。
二、教相と観心の実証的な評価
1教相と観心の実証的な研究方法について
ところで、今般の実習に当たって上述しましたように、修行のオリジナルともいえる『天台小止観』の基本プロセス「坐禅の五項目」(修五番止観)の作法に従って実験計測を行い、その実習時に用いた生理学的な計測法と被験者につきまして若干説明いたしますと次のようになります。
生理学的な計測法は、まず生理学的計測器として日本電気三栄製の汎用脳波計(Electro Encefalogram 1A74)を使用し、その生理学的計測の種類は次の五種によって行いました。
○脳波8チャンネル
脳波の計測にあたって記録点は国際10-20法により、前頭(Fp1 Fp2)、頭頂(C3 C4)、後頭部(O1 O2)、側頭部(T3 T4)の四種類を8チャンネルで導出し、また基準電極を左右の耳朶に着装し、単極導出し脳波計に記録。
○容積脈波
脈波は指尖型ピックアップを用い、右手第二指より導出し脳波計に記録。
○微細振戦(Minor Tremor)
MTは右手の甲より導出し、皮膚の微小震動を脳波計に記録。
○呼吸の測定
1鼻からの呼吸はサーミスター・ピックアップ
外鼻孔にはサーミスタを装着し、呼吸時の気流による温度変化を記録し、鼻孔の気流を間接的に呼吸曲線として記録。
2腹部呼吸はカーボンチューブ型ピックアップ
腹式呼吸を確認するため、腹部にカーボンチューブ付きのバンドを丹田部の高さに合わせて装着し、カーボンチューブの伸縮による電気抵抗の変化を腹式呼吸曲線として記録。
〇被験者について
被験者はアースされたベッド上で坐具を用いて「半跏坐」にて座り、キャリブレーション記録一分、開眼安静時約三分、閉眼安静時約三分の記録の後に、被験者によって『天台小止観』に示された東洋的行法の基本的な作法である「止観業」の双用による坐禅の五項目の実習を開始し計測を行いました。その実習の所作については被験者の経験により任意に決定した。そして、実習の終了後に三分間の安静時記録とキャリブレーション記録を一分行った後に計測を終了した。
さらに今回の計測は宗教心理学研究所(現、本山人間科学大学院日本センター)の三階実験室を利用し、被験者として当時満四十歳、既婚男性、日蓮宗教師、法臈十四年、修法歴第三行、ヨーガ歴八年、唱題行十年の経験者K・Kをお願いしました。
また実験期間中に被験者に三回の計測を行ったが、普段の日常とは異なった環境での実習と、限られた時間内で被験者の体調を調え、緊張を克服しての実習であったため、行法として円滑に進んだと思われる計測は一回のみでありました。
2実験計測された「天台止観」の深化の過程について
また、ここで具体的に実験計測された「天台止観」の深化の過程を、『天台小止観』の基本プロセスの四段(10)階から説明いたしますと次のようになります。
@「練習を始めるために、心身をリラックスさせる条件」
第一章「具縁」、第二章「呵欲」、第三章「棄蓋」、第四章「調和」、第五章「方便行」までのプロセスによって、まず広義の生活環境から身体性という狭義の環境へと身心を調える。
A「意識の身体的要素への集中」
第六章「正修行」のプロセスである止の所作(意識の身体的要素への集中)によって、情動として身体の上に現れている生理的緊張の弛緩を促し、瞑想状態(変性意識状態・Altered State of Consciousness)を誘導する。
B「意識の精神的要素への集中」
観の所作(意識の精神的要素への集中)によって、@Aで得られた身体生理の弛緩状態によって解放され、そして無意識的な情動として意識野に立ち上がる精神的要素を受動的受容としてさり気なく受け入れることで、安定した自律的な瞑想状態を誘導し、情動の発散を推進する。
C「その結果として生ずる心身の変化」
止観業の双用による坐禅の五項目(修五番止観)によって、専門的には変性意識状態(Altered State of Consciousness=ASC)と呼ばれる瞑想状態から、より安定した自律的ASC状態(self
-activated ASC)へと誘導する。
そして、その結果として第七章「善根が発する相」に示されるような自律性解放活動(autogenic discharge activity)によって情動の発散を円滑に促し、被験者を健全な心境、悟境へと導いて行く過程を、その実習時の被験者の報告と、生理心理学的な実験によって補足し理解することで、経験科学という知の様式から、対境としての教相(ご本尊)と臨床的(経験的)な観心の状態の関係を評価することにあります。
3「天台止観」の深化の過程の簡単な理解について
ここで以上のような『天台小止観』の実習によって誘導される心と身体の状態をごく簡単に説明いたしますと、坐禅やヨーガなどの修行によって誘導される心理・生理状態は瞑想状態(変性意識状(11)態)と呼ばれ、その状態には私たちの心の無意識の中に抑圧され隠された、心と身体の不調和によって生ずるストレスを発散し解消するなどの全人的な癒の効果が、医科学的に知られております。
そして、その癒の効果は、瞑想状態が安定して誘導されるか否かによって異なり、当然のように安定して誘導された方が効果が大きく、不安定なほど少ないことも知られております。
また、瞑想状態の誘導が安定しているか否かは、脳波、心拍数、呼吸数、皮膚の微小振動など生理学的な測定から判定が可能であり、安定した瞑想状態が誘導されている段階では、脳の電気的な活性度を示す脳波(12)は、平均的には一秒間に二〇回以上(20Hz)の振動を示す β波であるのに対して、一秒間に八回から十二回(8〜12Hz)の振動を示す α波へと低下し、また他の生理的指標を示す数値全般も減少し、基礎代謝率の低下傾向を示します。
そしてまた、瞑想状態を誘導する修行のプロセスは、一種の感覚遮断(13)ですから、外界からの情報、音や光、気温など皮膚感覚からの情報量を減らし、自我意識の覚醒度を低下させ、瞑想状態を誘導し、いま悩み苦しんでいる自分という意識存在を停止させることといえます。
ですから、その方法としては、@に静かな環境で、緊張しない身体状態を作り、Aに意識を身体の一部(呼吸、丹田、眉間など)に集中することで外からの情報量を減らし、それによって瞑想の基本的状態へと導き、無意識の中のストレスを発散し解消して行きます。
ところが、無意識のストレスが発散し始めますと、この発散によって瞑想状態が乱れ始めますので、Bに教相として示されたご本尊などの健全なイメージ、健全な精神性に意識を集中することによって、ストレスが発散しながらも安定した瞑想状態を誘導し、全人的な癒の効果が維持されます。
ですから、教相と観心の関係を実証的に評価する場合、修行によって瞑想状態が誘導されている段階で、教相が瞑想状態(観心)に与える影響、ご本尊などある教相を観法によって観心したとき、どの様に瞑想状態が変化し、安定しているか否かを数値的に評価すれば良いことになります。
4観心の対象となった教相について
とくに今般の実習にあたり、瞑想状態が誘導された段階から、無意識のストレスが発散することで瞑想状態が乱れ始めた段階で、観心の対象となった具体的な教相としての法華曼荼羅御本尊は、『如来滅後後五百歳始観心本尊鈔』の中で示されている。
其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。是の如き本尊は在世五十余年に之無し。八年之間、但、八品に限(14)る。
の四十五字法体段として図顕された大曼荼羅御本尊をイメージした。
そして、そのイメージの内容としては、『如来滅後後五百歳始観心本尊鈔』の
今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生せず、所化以て同体なり。此れ即ち己心の三千具足三種の世間な(15)り。
や、『日女御前御返事』の
されば首題の五字は中央にかかり、……此等の仏、菩薩、大聖等、総じて序品列坐の二界八番の雑衆等、一人ももれず此御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる、是を本尊とは申す也。……此御本尊全く余所に求る事なかれ。只我等衆生の法華経を持ちて、南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますな(16)り。
というように、ご本尊に対して健全なイメージを与える教相を選び、それを観想することで、ストレスの発散によって乱れた瞑想状態が改善され、より安定した瞑想状態へと誘導する過程の生理学的な計測を行いました。
5観心という臨床的な生理心理状態に与える教相の影響
では以上の『天台小止観』の実習による瞑想状態の深化過程を生理学的に計測されたデータから、とくに脳波の変化の(17) α-INDEXを中心に比較して行きますと〈資料1〉のグラフ(行法深化の α-INDEXと持続時間)のように、五十五分の実習は三つの段階に分類することが出来ます。
そして、この〈資料1〉のデータと被験者(修行者)からの報告をもとに、観心という臨床的な生理心理状態に与える教相の影響を評価して行きますと次のようになります。
まず1「行法開始直後」ですが、
この段階で被験者は、@に静かな環境で、緊張しない身体状態を作り、Aに止観業の止の所作(1繋縁守境の止、2制心の止、3体真の止)によって意識を身体の一部(丹田)に集中することで外からの情報量を減らし、瞑想状態を誘導しているといいます。
それを示しておりますのが〈資料2〉の脳波です。
○ α-INDEX:31.39%
α波の持続時間平均:13sec/min
○呼吸数:呼吸数は3/min前後で呼吸数が極めて少ない。それは被験者が身息から調息へと意識的に呼吸しているためであると考えられる。
○心拍数:80/min代から70/min代へと減少する傾向を示し、その後さらに減少している。
以上の生理状態は自律神経系の交感神経系の機能が抑制され、副交感神経系が優位となる傾向を示している。とくに脳波は自分という意識を司る脳、前頭部(Fp1 Fp2)、頭頂部(C3 C4)を中心に αベースの脳波が計測され、意識の身体的要素への意識集中によって感覚遮断が起き、意識レベルが低下し、瞑想状態(変性意識状態)が誘導されていることが分かります。
次に2「行法開始後二十五分前後」ですが、
この段階で被験者は、呼吸をゆったりさせ意識集中をしながら、瞑想状態を深めようとしておりますが、無意識に蓄えられたストレスが発散し始めたために、瞑想状態が乱れ始めたといいま(18)す。
それを示しておりますのが〈資料3〉の脳波です。
○ α-INDEX:17.35%
α波の持続時間平均:9sec/min
○呼吸数:6/minへと増加
○心拍数:70/min〜81/minへと増加
以上の生理状態は情動の発散が始まったため、心理的、生理的な刺激によって緊張が生じ、前段階より交感神経系の機能が昂進し、副交感神経系より優位になり、瞑想状態が乱されている。
つまり、その過程は行法開始後二十五分前後で、生理的な弛緩が般化して瞑想状態が誘導され、個人的な無意識に取り込まれている情動ストレスが発散し始め、脳波的には α波やFmθ波の出現も見られているが全体としては β波が優位となっている。また呼吸数は6/min、心拍数も70/min〜81/minへと増加しているところから、瞑想状態が誘導された前段階よりも交感神経系の機能が昂進し、副交感神経系より優位になっていることからも分かる。
また、このような交感神経系と、副交感神経系の機能が拮抗した関係にあることも前頭部(Fp1 Fp2)、頭頂部(C3 C4)に優勢な10Hzの α波、8Hzの α波や、6Hz〜7Hz 120μVの顕著なFmθ波(一分に一回程度の出現率)が間欠的に記録されているところから、瞑想状態は誘導されてはいるが、その瞑想によって無意識の中のストレスが発散し、緊張が生まれ全体として瞑想状態の αベースが抑制され、 β波が優勢となっていることが分かる。
続いて3「行法開始後四十五分前後」ですが、
この段階で被験者は、ストレスの発散によって瞑想状態が乱され、緊張しておりますから、これを脱却するために、止観業の観の所作を用いて、そのストレスという妄念を涌くままにしておき、無理に止めようとせず、そこに教相として示された「ご本尊として、その永遠の生命という統一的なイメージとして図顕された法華大曼荼羅、またその久遠の生命の象徴となる妙法五字の光明」を観心することで、ご本尊の生成する光明によって妄念が浄化されるイメージ化によって、宗教的に健全なイメージの高所から自分の妄念を受け流し、安定した自律的な瞑想状態が誘導されているという。
それを示しておりますのが〈資料4〉の脳波です。
○ α-INDEX:40.5%
α波の持続時間平均:18sec/min
○心拍数:48/minへと低下
○呼吸数:13/minへと増加している。これは意識を身体的要素から精神的要素へと移行したため、意識的呼吸から無意識的な自然呼吸へと変化したからであると思われる。
以上の生理状態は、ストレスの発散という情動の刺激によって瞑想状態が乱され始めたために、被験者がその原因となっている意識された雑念を受動的受容としてさり気なく受け入れ、そして、教相として示された宗教的象徴である「大曼荼羅の光明に照らされるイメージ」を観心することで、情動ストレスの発散が続いているにもかかわらず、脳波的には優勢なFmθが認められ、9Hz 90μv代の高振幅の α波が全誘導に広がって同期し、心拍数は48/minへと低下しており、情動の発散により交感神経系の機能昂進は続いているが、教相を観心することで副交感神経系の機能も昂進し、共に拮抗しながら全体的には副交感神経系の機能が優位になって、安定した自律的な瞑想状態が誘導されていることが分かる。
また、視覚野を司る後頭部(O1 O2)中心に9Hz 90μVの高振幅の α波が記録されており、これが意味するものは、目を閉じて教相としての「大曼荼羅の光明に照らされるイメージ」を観心していても、観心は画像的な象徴として捉えられていることが予想されます。
三、教相と観心の実証的な評価の総括
以上の修行者の修行時における生理心理学的な評価によって、教相と観心の実証的な評価の意義が考察されたといえる。
つまり、この考察によって従来、教相・観心の関係は、教相判釈として宗教教義の優劣を決するという、人間の意識理性による哲学的な思惟のみに受け取られがちであったものが、実際には観心として教相に示される宗教的な理想、宗教的なイメージはそれを観心する修行によって、修行者をその教相に観心として目指されている状態(悟境)へと誘導するための規範となることが、実証的な意味で評価されたように思われます。
とくに今般の実験計測では、観心として教相に示された「大曼荼羅の光明に照らされるイメージ」の表現を計量的に評価するために、「行法開始後二十五分前後」の瞑想状態が乱された段階のデータと、「行法開始後四十五分前後」の安定した瞑想状態の誘導された段階のデータを比較しますと、
○まず瞑想状態の深さを示す脳波所見では
「行法開始後二十五分前後」 α-INDEX:17.35%
持続時間平均:9sec/min
「行法開始後四十五分前後」 α-INDEX:40.5%
持続時間平均:18sec/min
・ α-INDEX:40.5%-17.35%=23.15%の増加を示し、全体では57.16%の安定
・持続時間平均:18sec/min-9sec/min=9sec/minの増加を示し、全体では50%安定したことが分かります。
○基礎代謝の指標となる心拍数の所見では
「行法開始後二十五分前後」心拍数:81/min
「行法開始後四十五分前後」心拍数:48/min
・心拍数:48/min-81/min=-33/minの減少を示し、全体では40.7%基礎代謝の低下を示していることが分かります。
そして、これを総括しますと、これら脳波と心拍数の所見は、共に教相を観心することで瞑想状態が安定したことを示していることが分かり、ここに従来は法門として、教相判釈として人文科学的な知の様式によって評価され、主観的思惟によって言語的に語れてきた観心の内容に、経験科学的な知の様式によって α-INDEXでは57.16%の安定、持続時間平均では50%の安定、心拍数では40.7%基礎代謝が低下しエネルギーが充足的になったという客観的、計量的な評価が加えられたといえる。
つまり、これによって修行者の個人的な体験が数値的に普遍化されて、他者が新たに修行をした場合の数値的な指標となり、観心という心理体験を支える生理的な条件を共有することが可能になったことを意味しております。
また今後、このような実証的な研究が多く行われることによって、「抜苦与楽の実現」という仏教本来の機能を担う教化・研究活動が、現代人に広く受け入れられ、信仰が本当に機能することを願うものであります。
〈註〉
(1) Medard boss 霜山徳爾・大野美都子共訳『東洋の英知と西欧の心理療法』十二頁 みすず書房 一九七二年
(2) 『昭和定本日蓮聖人遺文』第一卷 七二一頁 原文漢文
(3) 同右 第二卷 一二六三頁
(4) 同右 第一巻 二〇八頁
(5) 佛教大系18『法華玄義』第二 四九六頁 景印『仏教大系』中華民国 81年
(6) 同右 17『法華玄義』第一 六七三頁
(7) 関口真大 『天台止観の研究』 四七−六三頁 岩波書店 一九八五年
(8) 渡辺宝陽 「日蓮聖人における行の勧奨」 『仏教における行の問題』所収 三三四−三三六頁 平楽寺書店 一九七五年
(9) 出稿「天台止観より見たる『読誦・唱題行』の位置づけ」 「大崎学報」第一四八号所収 八一−八七頁
(10) 出稿「修行による心身の変化」 変性意識状態の意味するもの 「総合修法研究」創刊号一所収 四三−六三頁 遠寿院総合修法研究所 一九九二年
(11) 池見酉次郎 「変性意識状態」 『神経・心理・生理学と意識の諸状態』科学と意識シリーズ2 所収 三四−六二頁 たま出版 一九八五年
参考文献としてK.Wallace 児玉和夫訳『瞑想の心理学』 日経サイエンス社 一九九一年 A.West 春木 豊・清水義治・水沼 寛監訳『瞑想の心理学』 川島書店 一九九一年他を参照
(12) 江部充・本間伊佐子『図解脳波テキスト』 光文堂 一九八九年
(13) Jack A.Vernon 大熊輝雄訳『暗室のなかの世界』 感覚遮断の研究 みすず書房 一九六九年
(14) 『昭和定本日蓮聖人遺文』第一巻 七一二−三頁 原文漢文
(15) 同右 七一二頁 原文漢文
(16) 同右 第二巻 一三七五−七六頁
(17) 脳波の所見として示した α-INDEXとは、記録された脳波の中で一分間当たりに瞑想状態を示す一秒間に八回から十二回(8Hz〜12Hz)の震動を示す α波のパーセンテージを表している。
(18) このようなストレス情動の発散が激しい場合、魔境と呼ばれる状態が誘導される。そしてこの場合に備えて、修行者は熟練した指導者のもとでの修行が必要であるといわれる。また、情動の発散に伴う心身の変化については『天台小止観』第七章「発善根相」に詳しく、その心理学的考察は前掲出稿「修行による心身の変化」 変成意識状態の意味するもの を参照されたい。
※本稿は、平成七年十月二十八日、立正大学で開催された第四十八回日蓮宗教学研究発表大会で発表したものに加筆整理したものである。(資料1)◆止観業実践時に生理学的に計測されたデータの変化比較◆
被験者の報告と脳波の α-INDEXなどの指標と、修行深化の三段階の分類
1「行法開始直後」2「行法開始後二十五分前後」3「行法開始後四十五分前後」
1「行法開始直後」(閉眼覚醒時)
◆ α-INDEX:31.39%
持続時間平均:13sec/min
◆呼吸数:呼吸数は3/min前後
(この時は身息から調息へと意識的に呼吸しているためにである。)
◆心拍数:80/min代から70/min代へと減少する傾向を示し、その後さらに減少している。
●この生理状態は自律神経系の交感神経系の機能が抑制され、副交感神経系が優位となる傾向を示している。
2「行法開始後二十五分前後」
◆ α-INDEX:17.35%
持続時間平均:9sec/min
◆呼吸数:6/minへと増加
◆心拍数:70/min〜81/minへと増加
●この生理状態は情動の発散が始まったため、心理的、生理的な刺激が生じて、前段階より交感神経系の機能が昂進し、副交感神経系より優位になっていることを示している。つまり、変性意識状態が乱されているのである。
3「行法開始後四十五分前後」
◆ α-INDEX:40.5%
持続時間平均:18sec/min
◆心拍数:48/minへと低下
◆呼吸数:13/minへと増加
(これは意識を身体的要素から精神的要素へと移行したため、意識的呼吸から無意識的な自然呼吸へと変化したからであると思われる。)
●この生理的な状態は、情動の発散により交感神経系の機能昂進は続いているが、三「意識の精神的要素への集中(観の所作)」によって副交感神経系の機能も昂進し、共に拮抗しながら全体的には副交感神経系の機能が優位になっていることを示している。




