日蓮宗 現代宗教研究所
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《研究ノート》  日蓮聖人の世界観(一)
『立正安国論』の世界観
(初期御遺文を中心として) 
三原正資
(現代宗教研究所嘱託)

阪神大震災のもたらしたもの
 平成七年の日本を揺り動かした阪神大震災、それは戦後五十年間平和と繁栄を享受してきた日本人に、ものの考え方を見直す機会を与えた。
 震災後三日目、一月二十日の紙面には「死者は三五九八人に、被害戦後最大級」という活字が踊り、「(高速道路の)安全神話が崩れるまでに二十年かかった」「大災害にどのように対応していくかは、まさに私たちの社会のあり方そのものが問われている」「線路が寸断された新幹線を見て、利便性の追及という戦後日本の価値のむなしさを感じた」(「毎日新聞」)……等と反省・批判のことばがつらなる。
 あるコラムは「古代東洋国家論に立てば、大地震などの天変地異は、まつりごとを行う人々が天命に反し、徳に欠けるところがあるからだ。昨今、わが国には全体的、各分野的に物憂い閉塞の気が微満している……政、財、官界あるいは学、宗教、報道界などの分野、領域をみても、よどみがたまり退嬰化している」と論じ、同様の論調はそれからもくりかえし現れる。
 震災から半年、作家の高村薫氏はインタビューに答えて、「死を意識した感覚というのは恐怖感というよりも一つの驚き。生と死の境になにか壁みたいなものがあるのでしょうね。それを飛び越えそうになって、ものすごく驚いた」「ここ数年のうちに、阪神間では精神的な転換がおき、新しい精神文化が確実に生まれる。あの震災を機に、よい意味で変わらないとやっていけませんよ」(「毎日新聞」)と語る。
 一連の発言は、大地震を経験した人々の反応や精神的な衝撃の大きさを示すとともに、日蓮聖人の『立正安国論』の成立を考えるための示唆を与えてくれる。
『立正安国論』の問題点
 正嘉元年の大地震を契機に、日蓮聖人は『立正安国論』を執筆された(『安国論御勘由来』定四二一頁 『安国論奥書』定四四二頁)。そのこともあって、本宗では、阪神大震災以来、『立正安国論』に関わる発言が増えている。なかでも新間智照師は「立正安国論の視点から大震災を考える」と題した講演の中で、注目すべき問題提起を行っている(一味会 五月二十日 立正大学)。
 講演の要旨を紹介する(引用は「日蓮宗新聞」平成七年七月十日号)と、
 第一に、「時々の為政者の都合によって立正安国論が読み替えられ、日蓮宗もそれにしたがって諭達を行っていた……例えば関東大震災後、立正安国論に示される災害原因である邪法を、当時の国家とイデオロギーの違う社会主義へすり替え、反体制への抑圧に利用」したこと。すなわち「大衆の心の在り方の結果を短絡的に自然現象と結び付けるのは、大衆煽動の道具として用いられる危険がある」。
 第二に、「地震発生という物理的メカニズムと人間の精神作用の関係等、自然科学的見地からも注意が必要」「心で考えたことが自然に影響していくかどうかは、研究の余地があるところ。しかし、人間の生活や心が間違っているから地震が起きたとするのは、迷信へ入り込む危険がある」等である。
 今後、『立正安国論』の趣旨を社会に訴える場合、私たちは、新間師の指摘した『立正安国論』の思想的及び歴史的問題点に注意を払う必要があるだろう。また同時に、『立正安国論』の教えをその根本にまで遡って整理しておく必要もある。なぜならば、紹介した新聞の論調に見られるように、『立正安国論』的言論は、誰もが、いかようにも、主張できる性格のものでもあるからだ。そこで私たちは聖人の『立正安国論』が生まれた独自な土壌 世界観を知り、トータルに理解する必要があるのではなかろうか。
 さて今年の読書界ではヨースタイン・ゴルデルの『ソフィーの世界』(NHK出版)や立花隆の『臨死体験』(文藝春秋)が共感をもって受け入れられている。近代的世界観とはひと味違った人間存在の意味や世界の構造 世界観を問う人々は増えている。ゴルデルは、この本の仕掛けそのものからも分かるように、明らかに唯心論的な思想や東洋思想に興味を抱いている。本稿には彼の文章を引用した。
『立正安国論』はどのような世界観の上に成立しているのか
 日蓮聖人の教学を世界観との関係のもとに論じたものに、田村芳朗師の『鎌倉新仏教思想の研究』(一九六五年 平楽寺書店)がある。そこでは、きわめて高度な不二絶対論に立ちながら相対的な現実の問題に取り組まれた聖人の教学が語られている。
 本稿は、『立正安国論』を生み出した、聖人の世界観について考察する。
 さて『立正安国論』においては、他にも「善神捨国」など現代人にとってはなかなかなじめない主張が見られるが、ことに問題になる点は、新間師の所論からいっても、かの有名な第九番問答の答文、「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ。然れば則三界は皆仏国也」(定二二六頁)の文章にあらわれた考え方である。一連の文脈の意味をどのように受け止めたらよいのか。ここでは、心の在り方と自然とが結び付いているが、私たちはそうした世界観をどのような思想的背景のもとで理解したらよいのであろうか。
 日蓮聖人は、『開目抄』に「此に日蓮案じて云く、世すでに末代に入て二百余年、辺土に生をうく。其上下賎、其上貧道の身なり。輪廻六趣の間には人天の大王と生て、万民をなびかす事、大風の小木の枝を吹がごとくせし時も仏にならず。大小乗経の外凡内凡の大菩薩と修しあがり、一劫二劫無量劫を経て菩薩の行を立て、すでに不退に入ぬべかりし時も、強盛の悪縁にをとされて仏にもならず……」(定五五六頁)と示されている。また他にも同様の趣旨が多く見られることから、聖人は基本的に十界の実在を認め、生あるものは九界乃至六道を輪廻するという輪廻転生説に立たれていたと思われる。
自己と世界との関係について
 では輪廻転生にあっては心と自然、自己と世界とは、一体どのような関係にあるのか。
 『戒体即身成仏義』に興味ある文章がある。
 この著作は、「是聖房蓮長が仁治三年(一四二二)春、鎌倉の留学を終えて清澄に帰り、比叡山遊学の途につくまでの間に書かれた作品」「開宗前の作」(『日蓮聖人遺文辞典』)とされている。
 若い頃の聖人は「とりたてて人生無常あるいは現世否定の感をおこさせるような環境もなかった」(田村前掲書)。そこで、「日本第一の知者となしたまへ」と祈る、知識欲にあふれた聖人は、多くの好奇心、向学心、求道心にみちた若者と同じように、『ソフィーの世界』の言葉を借用すると、「世界はどのようにつくられたのか? 今ここで起こっていることの背後には意思や意味があるのか? 死後の命はあるのか? どうしたらこういう問いへの答えは見つかるのか? そしてなによりも、わたしたちはいかに生きるべきか?」(同二四頁)と問いつつ、勉学に励まれたのではなかろうか。
 『戒体即身成仏義』は、まさにその勉学の成果ともみることができよう。その著作から、私は、聖人が実に哲学的に仏教を学習され、新鮮な思いで仏教の基礎的な世界観を摂取されたという印象を受ける。
 「提謂経の文を見るに、人間の五根・五臓・五体は五戒より生ずと見えたり。乃至依報の国土の五方・五行・五味・五星皆五戒より生ずと説けり。」(定三頁)
 「されば我等が見るところの山河・大海・大地・草木・国土は五根十指の尽形寿の五戒にてまうけたり。五戒破れば此国土次第に衰へ、又重て五戒を持たずして此身の上に悪業を作れば、五戒の戒体破失して三途に入るべし。」(定四頁)
 「浄土宗の日本の学者、我が色心より外の仏国土を求めさする事は、小乗経にもはづれ、大乗にも似ず。」(定一一頁)
 「尽形寿の五戒の身を改めずして仏身と成る時は、依報の国土も又押へて寂光土なり。」(定一四頁)
 ここで日蓮聖人の学ばれた世界観は、現代の私たちの一般的な物の見方とは正反対である。私たちの日常的な世界観では、主観と客観、私と世界とは、現実に相互独立的に存在している。このように、精神と物体はたがいに独立して存在し、外の現実はあるということを明確にしたのは、デカルトであるといわれるが(『ソフィーの世界』三〇五頁)、普通現在の私たちの生活は、この西欧的な世界観にもとずいている。
 これに対して聖人の学んだ仏教の世界観は、私たちの身体と世界は果報としてあると見る。すなわち、五戒という教えを修行した功徳の結果として、私たちの全存在は、今ここに、このようなものとして在り、自分と世界、いわゆる正報と依報、心の在り方と自然は結び付いているのである。「五戒破るれば此国土次第に衰へ」るという表現、あるいは『災難興起由来』等に見られる「人、五常を破ることあれば、上、天変頻りに顕れ、下、地妖間に侵す者也」(定一五八頁)という考え方は、『立正安国論』を理解するためのキーコンセプトであるといえよう。
 『一代聖教大意』にも同様の意味の文章がある。
 「大乗の心は心より十界を生ず。(略)法華已前の経のおきては上品の十悪は地獄の引業、中品の十悪は餓鬼の引業、下品の十悪は畜生の引業、五常は修羅の引業、三帰五戒は人の引業、三帰十善は六欲天の引業也。有漏の坐禅は色界無色界の引業、五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒の上に苦空無常無我の観は声聞・縁覚の引業。五戒・八戒乃至三聚浄戒の上に六度四弘の菩提心を発すは菩薩也、仏界の引業也」(定六九頁)
 この世界観を、たとえば現代人の考え方の一典型であるサルトルの思想と比較すると、その特色がはっきりとする。
 サルトルの有名な「実存は本質に先立つ」という言葉の意味は「わたしがこの世に来てしまっているという事実は、わたしが何であるかということよりも先だ」(『ソフィーの世界』五八〇頁)ということだという。すなわち私達がこの世にいるという事実があるだけであって、「ぼくたちはなぜ、なんのために生きているか、という問いに一般的な答えをだすことは、まったくナンセンス」(同)であるというのがサルトルの答えである。たしかに多くの現代人は、自分は、今、ここにいる、という以外の考え方はもってはいまい。
 これに対して『大意』の一節は、『成仏義』同様、仏教の「有情(意識ある生きもの)は自己のなした善悪の行為に相応する苦・楽の果報を必ず自身が受ける」という「因果応報、自業自得の二原理にもとずく業報輪廻」(『コンサイス二十世紀思想事典』八二五頁)を前提とした世界観にもとずく(この項目の執筆者梶山雄一氏は、輪廻説は「神々をまつる呪力によって幸福を求めた古代インドの祭式万能主義に代わる自己責任の倫理を提供する思想であった」と解説している。この意味においても、私たちとこの世界とは無関係にあるのではない)。
 このように、一般的に仏教は、私たちの行いに相応した世界が生じている、すなわち、私たちにはこの世界の在り方に責任があると見ている。端的に言うならば、私たちの心(もちろん行動も含めた自己全体)の在り方が世界の在り方である、と聖人は考えられたのである。その場合、心の在り方を決定するものこそ、その人の信じる宗教 教えであるならば、必然的に『立正安国論』が成立してくるのではないか。そして正嘉の大地震以後続出した天変地異は、浄土教は邪教であるという聖人の主張が世界観の上からも証明されたもの、と聖人は考えられたのではなかろうか。悪法の流布によって天変地異が起こるという聖人の主張、正確には「世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に善神国を捨て相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来り鬼来り災起り難来る」(定二〇九頁)という所説の根底には、このような世界観があると見てよいのではなかろうか。
なぜ、「三界はみな仏国」となるのか
 『立正安国論』を理解する上でもう一点大切なことがある。それは現在において人々の信じる宗教が変われば、すなわち心が変われば、なぜ穢土が「仏国」に変わるのか、という一点に関わる疑問である。
 さて聖人は『守護国家論』に、「問うて云く、法華経修行の者何れの浄土を期すべきや。答えて日く、法華経二十八品の肝心たる寿量品に云く、我常在此娑婆世界と。亦云く、我常住於此と。亦云く、我此土安穏文。此文の如んば本地久成の円仏は此の世界に在せり。この土を捨てて、何れの土を願ふべきや。故に法華経修行の者の所住の処を浄土と思ふべし」(定一二九頁)と述べられている。
 しかし、ここで大きな疑問が生まれてこないであろうか。いわゆる神義論的疑問(神が善なるものならば、神の造ったこの世に、なぜ悪が存在するのか等と問うこと)であり、不二一元の本覚思想のもつ矛盾(道元は、衆生本来仏ならば、なぜ、三世の諸仏は発心修行するのか、という疑問の解決のために入宋したといわれている)である。正嘉以来、天変地異が続発した時、聖人の脳裏には、なぜ、久遠本仏の在す浄土から善神が姿を消し、魔や鬼が来り、人々を苦しめる災難が生まれるのかという疑問が去来したのではなかろうか。また、『立正安国論』等の主張のように、法然浄土教という悪法の流布が天変地異を招いたと見た場合でも、なぜ浄土に悪法が流布するのかとの問いは依然として残る。
 もう一つの疑問は、すでに指摘したように、この世界が悪道であっても、それが依報として存在しているものであるならば、それが浄土に成ることが、はたして可能かという問題である。
 さて、これは、あくまでも推測だが、聖人はこの二つの問題を解決し救済の道を開く原理として、法華経の一念三千・十界互具論を認識されていたのではなかろうか。
 『一代聖教大意』をひもといてみよう。そこで聖人は、法華経の勝れた点は十界互具であると述べ、「をもはざる外に声聞が菩薩と云はる。人をせむる獄卒、慳貪なる凡夫も亦菩薩と云はる……仏もまた因位に居して菩薩界に摂せられ、等覚ながら妙覚なり」(定七〇頁)と説明され、法華経の十界互具の世界観にあっては、仏界に悪道の様相が現れることも不思議ではない、と見られている。
 しかし爾前経においては互具の理はないので、人がより上位の果報を得ようと思うならば「一々の位に多倶低劫を経て衆生界を尽して仏に成る」ほかはなく、これでは「一人として一生に仏に成る物なし」(定六四頁)と指摘されている。このようにいったん決定した果報が易々と変わらないのであれば、修行によって娑婆世界が浄土に成ることは不可能であり、人は死後の往生を願うほかない。
 しかし互具の原理に従えば、『立正安国論』に示されるように、悪道の様相を呈してはいても、「三界は皆仏国」である。聖人が最初は凶兆と見られていた天変地異や悪法の流布を、後に正法流布の大瑞と見られるようになったのも、そのためではなかろうか。
 しかし「三界は仏国」とは、聖人が『観心本尊抄』に「石中の火、木中の花」「水中の火、火中の水」(定七〇六頁)と述べられているように、人々にとっては「隠れた事実」であって、人にこの世界は本仏の浄土であることを実証し伝えていかないかぎり、「隠れた仏」すなわち真実は現れないのである。『立正安国論』の上申と以後の聖人の宗教的実践はそのためのものであったといえよう。『撰時抄』の「此の三の大事は日蓮が申たるにはあらず、只偏に釈迦如来の御神我身に入かわらせ給けるにや。我身ながらも悦び身にあまる。法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり」(定一〇五四頁)の意味を、浅井円道師が「一念三千の法門により、教主釈尊が我が身中にましますことはわかるが、わかっただけではなく、ましますことを外に向かって実証してみせたところに予言的中の意義がある」(『日蓮聖人遺文辞典』一一八〇頁)と述べていることが、まさにその事にほかならない。
小結
 これまで述べてきたことは聖人の世界観の一端に過ぎないが、仏教の輪廻転生説、業報説と法華経の一念三千・十界互具論を背景に、『立正安国論』の主張の核心が成立していると見ることができる。確かに地震の発生は地球の地殻変動による、というのが科学的見地からの正しい見方であろう。また歴史は、新間師の指摘する危険に満ちていることも事実である。しかし戦後の経済的発展が終わったころから各地で地震が続発し、今回の阪神大震災に至っていることは、不思議な暗合といえよう。堺屋太一氏も「不思議なことに江戸時代は、経済の波が下り坂に入る初期には必ず大きな災害が発生しています」(『プレジデント』一九九五年九月号一五五頁)と述べている。まさに、ユングのシンクロシニティ(共時性説)のように単純な因果関係を超えた心と自然現象の一致が見られのである。私たちは、新間師の指摘した問題点に留意しながらも、『立正安国論』は人間と世界とを密接な関係の中でとらえ、科学的事実を包容したより大きな事実を明かされたもの、と見ることも許されるのではなかろうか。近代的世界観に立つかぎり、『立正安国論』は私たちの理解を超えているが、日蓮聖人は全く異なる世界観に立って所論を展開されていたことを、ここであらためて確認しておきたいと思う。それをどのように考えるかは、今なお私たちに残された課題である。
 ※本稿は、平成七年十月二十七日、立正大学で開催された第四十八回日蓮宗教学研究発表大会で発表したものに加筆したものである。
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