日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
| 所報第30号:90頁〜 |
教団研究セミナー |
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教団研究セミナー 都市開教の実態
現場からの視点
稲葉尚範
(浄土真宗本願寺派開教専従員・藤沢市恵光寺住職)
ただ今より「都市開教の実態〜現場からの視点〜」というテーマでお話しいたしますのでお聞き下さい。
当初もっと勉強してもっともっと皆さんにお伝えしたいということでかなり張り切っていたのですが、とにかく三月の忙しさで思うようにできませんでした。本来ならば現場のいろんな問題を帰納的に拾いながら論理を見出すという、社会科学的な手続きを踏まえるのが本当なのでしょうけれども、私ごときではそこまではとてもじゃないが不可能だということに今回気づきました。しかし、私のテーマでもありますので、ずっとこの問題は深めてまいりたいと思います。これはまだ仮のところですが、皆さんと一緒に語り合っていきたいと思います。
一、現代史から見た都市開教
まず現代史から見た都市開教ということで、ちょっと大きなところから都市開教を見ていきたいと思います。実は私は友人にブラジル人がおります。非常に親しいのですが、彼からブラジルのカソリック世界の状況をいろいろ聞いたときに、このことは私自身非常に刺激的だったものですからご紹介したいと思います。
1カソリック世界
実はカソリックの六〇年代というのは、まさに大きな転換の時であったと思います。それは第二バチカン公会議、メデジン会議、カソリックが今まで閉ざされた世界を民衆へ解放していった大きな転換期だったろうと思います。それは皆さんもご存じであろうと思います。そういうことを契機として何が起こったのか、また、そこまでしなければならないカソリックを支えたものは何であったかを考えてみますと、新興工業国の産声が世界的な規模で、戦後の五〇年代、六〇年代の世界を席巻しているということだと思うのです。それは日本の高度経済成長にもつながりますし、また、中南米のブラジル、アルゼンチン、チリ、コロンビア、グアテマラ、メキシコ、東南アジアではシンガポール、タイをはじめインドネシアなど、そうした世界規模で産業構造の変革というものが働いていっていると思われます。そこに既存の共同体、カソリックであれば、村社会を中心とした既存のカソリックの共同体が音をたてて実は崩壊していくわけです。そして民衆は、サンパウロであり、またはグアテマラ・シティであり、そういった中南米でも首都へ集中してまいります。そして産業の近代化と経済の復興をはかるわけですが、ここで大変重要な事柄として、解放の神学の大前提は、カソリックの都市開教であったということを今日皆さんに申し上げたいわけで1す。
つまり、都市へ流れたカソリック信者はどうなっていくかといえば、ほとんど聖書を読んだことのない人たちはプロテスタントにもっていかれる。カソリックにはもともと信者が聖書を読む歴史がありません。聖書は神父が読むものであると思われていた。以上のような内容が私の友人のブラジル人のジョアキン・モンティロという人の話です。そしてブラジルでは、カソリックが習俗化しているということですが、これはちょっと余談ですけれども、また別の時間にお話ししたいと思います。
つまりカソリックが都市に出て、実はこれではいけないということで聖書を読み始めた。それが六〇年代後半から七〇年代、そして一信者がイエスの言葉に耳を傾ける。直に信徒が聖書を読み始めたというのが、実はカソリックの大きな出来事だったわけで2す。もちろんプロテスタントに流れる信徒を防がねばならないし、またカソリックに籍をおきますと、多くの聖人(せいじん)の日に、さまざまな献金の機構がはっきりしていますから、都市に流れた人たちはそう恵まれておりません。ですからその献金を逃れるためにもプロテスタントになるということも多々あるようです。プロテスタントはご存じのように信者一人ひとりが聖書を読みますから、本当にもっていかれるというか、本当にプロテスタントに改宗するのが大変大きな現象であったようです。
しかしそこで何が見えてきたかというと、解放の神学というとてつもない民衆解放の視点が、実は現場の神父やシスターの、いわば現場で発見したことから生まれてくるのです。つまり経済至上主義に追い立てられるように都市に流入してきた民衆は、当時の社会が共通していえるのは、開発独裁という、経済至上主義を軍が軍政によって確保して、民衆の人権を侵害しながら、経済至上主義、まず経済を優先してきた。国のインフラ設備を徹底的に進めることを通して、国がうるおえば、必ずその当時はトリクル・ダウン・エフェクトという、経済が高揚すると、成長すると必ずふくれあがって、一般民衆まで利益が流れるのだという経済の浸透理論があったのです。これは完全に破綻していくわけですけれども。ますます南北問題がふくれまして、スラムを形成して、または売春、ストリート・チルドレンがふえ、とにかくありとあらゆる貧困の温床になっている。それをカソリックのシスターや神父さんたちがそこから学びとっていく。その民衆の叫びをきっちり受け取った、あのチャペルに護られたものではなく、まさに裸になって民衆とかかわる現場をカソリックの都市開教によって与えられた。それを誠実に展開していったものが解放の神学であるという 全体的なとらえ方からいうと、もちろんこれはある一面です でもそういう都市開教という面からいうと、こういう一面が非常にはっきり出ているわけです。
2テラワダ仏教
特にタイの場合も経済的な先ほど申しました開発独裁という中で、テラワダの上座部仏教のお坊さんたちがやはり国に利用されて、開発僧という形で、タイにおける仏教の国教化を進めるために、タイの山岳民族、または先住民族に対して、仏教を広めるという意味で、農村社会にどんどんお坊さんが出かけていくのですが、やはりそこで見た現場は、貧困の中でとてもじゃないが伝道どころではない。まずこの人たちが食べていく基本的な人権 これは先ほどの中南米も同じことですが まさにその基本的な人権が護られなければならない。これはヒューマン・ベーシック・ニーズといいますが、本当に基本的な食物、人間が人間として生きていく最低のものを確保する、そういうものにお坊さんたちもかかわるようにな3る。そういう意味で、テラワダのお坊さんたちも今ではお寺でエイズの病棟をもったり、またさまざまな人権侵害に対する告発とか、そういうものをタイの方でも徐々に活動されていることを知っています。
3日本の高度経済成長と浄土真宗
そして三番目として、「日本の高度経済成長と浄土真宗」ということですが、そのように私たちは、一口に開教と申しますけれども、本当に都市開教が世界的な規模で、経済の産業構造の変革と同時に始まった。時期は前後しますけれども、六〇年代、七〇年代、そして八〇年代とも、まさに世界規模で始まったといっていいのではないでしょうか。日本も実はその中にさらされているのです。
浄土真宗は大体関西を中心にしているわけですが、関東首都圏全域に四百十余カ寺しかありません。その中にあって、今現在、開教拠点が二十六カ所、そして新寺が約二十カ寺だったと思いますが、できております。そういうことを通して、この高度経済成長にまさにのっかって、悲しい現実ではありますけれども、「追教」と呼んでおります。開教というよりも「追教」という、実は追っかけてきたわけです。そして離郷門信徒の発掘、これが我々のまさに一番大事な課題であるわけです。他宗派の人を真宗にということは、私は少なくとも現場に入ってほとんどないのです。むしろ真宗門徒と出会うことが私たちの大事な仕事なのです。日蓮宗の埼玉の方のあるお寺さんの駐車場に浄土真宗の布教所の宣伝をさせてもらうという、そういう日蓮宗僧侶の本当の好意的な協力があるように、現場の現実の中で連携できる、そのくらい急務なのです。むしろ現場では同じ派が競合しあいますから、むしろ日蓮宗、他の宗派というのはむしろ連携できるくらい、現場というのはものすごく緊迫しております。
日蓮宗の人が阿弥陀仏の宣伝をするということは、謗法罪になるということは、その辺はどうかわかりませんけれども、ともに現場ではかなり密接なかかわりをもっております。それはまさに新しいお寺をつくるというそういうものに賛同してくれる人は多いのです。宗派を超えて多いのです。むしろ同宗派の既存の寺院であり、隣接の寺院であり、同じ開教専従員のライバル、そういうものがしのぎを削っていくというのも開教の内実です。まさに内なる戦いというのも開教現場ではあります。
二、恵光寺の特徴
恵光寺の特徴として何点か挙げられます。まず、恵光寺には宗教法人がありません。そして次に門徒総代がいません。次に墓地がありません。そして次に本山に対する募財がありません。このないないづくしで何か見えてきてもらいたいのです。私は計画的にこれをしたのではなくて、もう宗教法人はとれないし、総代は逃げていくし、墓地はもちろんいま現在も考えておりません。本願寺に対する本末制度がはっきりしていますから、かなりのお金が懇志として本山に納めねばなりません。それも現状ではできない。
どの開教寺院も布教所も、実はローン寺院という、ローンをかかえているのです。先ほど申しましたように、総代もいないし、宗教法人もない、そういうのをお寺といえるのか。そうなのです。そういうお寺を実は永続的にお寺と呼ぶのか、過渡期として呼ぶのかわかりませんけれども、そういういわば勢力をつくらない限り、この鉄壁の守りであります既存の寺院のゆるぎない制度的な壁は破ることはできません。
そこで開教専従員仲間も二タイプありまして、私はそのタイプの象徴的な一人ですけれども、お寺を建てたらもう早いもので三カ月で宗教法人をとる者がいます。一番早いものは三カ月でとりました。これはちょっと一番記録破りの専従員です。東京都庁が三カ月で認めてしまったというので、ようやったなといって、大喜びで宗教法人をとれたといって喜んでいたわけですけれども、何か都庁移転のどさくさまぎれに認めてもらったというのが現状なのですが、あまり公にすると迷惑が生じるのでこれ以上言いませんけれども。かかるものは申請して三年ぐらいかかります。私はむしろ申請もしない方です。むしろこういうモラトリアムであり、こういうどっちつかずの状態を税務署をにらみながらどのように乗り越えていくか。五十五坪ですから、固定資産税も二十六万六千円です。そんなにたいしたことはないのです。ですから青色申告で、ちょうど二日前に事業所得税ということで申告しました。
そういうことで、さっきから聞いていると、本当にお寺なのかと思うかもしれませんが、実はこういうお寺、新たな都市開教が始まっているのです。それは本末制度といわれている本願寺と末寺の制度がまだ成立していない、親鸞聖人の頃の真宗原始教団をイメージできると思います。自分たちの自由な思いで伝道できる、自分たちが本当に好きなときに教えを聞きにいくという状況なのです。この空間と時間を私は休み休み、そんなに簡単に宗教法人をとって、本末制度を結んでかっちりとした寺院化をしますと、もったいないというのが実は私の本音なので4す。
というのは、私のような考え方を具体的にしないまでも、本音で感じている専従員がいます。これは先ほど私たちのお寺がローンを組むといいましたが、門信徒から寄付は仰げません。どの専従員も門信徒からの寄付は多くはありません。もっといえば寄付は少ないほど門信徒は求心力を呼びます。これは皆さんには考えられないことかもしれません。おそらく何百年、寄付は檀家から、寄付は門徒からという決められた発想でしか考えられない人たちには理解できないかもしれませんが、都市の人たちはやはり都市の人なのです、当たり前ですが。つまり我々が古きよき伝統の村社会の人たちとは全く違う人たちで構成されている。具体的にいえば同じローンを抱えて、大変な教育費で日常きゅうきゅうとしている都市の人たちなのです。もちろんお墓も手にはいらない人たちです。そういう人たちに寄付を仰ぐことはできないのです。ですからほとんどの専従員が、多い人で何億というローンを組んでいるはずです。少なくとも私のような五千万規模のローンは組みます。ひょっとして私のローンの組み方が一番低いのかもしれません。大体私の場合は、土地高騰の前に建てましたから非常に安く建てることができましたけれども、湘南台の地で坪八十万のときでしたから。今は一七〇〜一八〇万はしますからとてもじゃないが大変な額になるわけです。
そういうことでローンを組む。そういうことから見えていく。そういうことをしっかりと見ていくと、本願寺はイベントがうまいから、また数年後の蓮如の遠忌があるわけです。二十世紀最後の大イベントを本願寺派はうちますけれども、これに関しても一カ寺あたりかなりの額の募財をもうすでにとっているわけです。うちも鎌倉組ですけれども、多いところでは大体二八〇万ぐらいこのイベントにもっていかれています。少ないところでも一〇〇万は下らないと思うのです。私など今お寺で一〇〇万もっていかれたら、とてもじゃないが税務署より本願寺の方がこわいです。
そういう意味で、私たちの現場がどういう現場であるかを少しずつわかっていただけたらと思うのです。
三、ミニテンプル構想
実は現宗研の依頼を受けたときに少し整理してみたのですが、実はミニテンプル構想というのは、私も言葉は盛んに言っていたのですが、あえてまとめてみますとこういう形になったのです。
1寺院の軽量化
寺院の軽量化は、基本的には墓地を必要としない寺院です。仮納骨までおくことはあっても、永代納骨であるとか墓地を必要としないお寺を模索していく。可能であるかどうか。そういうものがまず一ついえると思います。
私は思うのですけれども、皆さんお寺参りされている檀家さんは、墓地にお参りされますか、ご本尊さまに、本堂にお参りされますか、どちらが多いですか。そのままお墓の方にパッと行かれる方とどのぐらいの割合ですか。半分半分ぐらいですか。どんなものですか。お寺によりましょうけれども。お寺の山門を通るときに、「まず本堂に合掌して墓地へ」という看板をよく見ますけれども。
そういうことを考えますと、やはり私は墓地をもたない方が本当にいいですね。何か錯覚があるといいますか、やはり墓地を守ろうという意識がかなり強いです。お寺を守ることと墓地を守ることは一セット、未分化になっていますから、教えが広まっているようだけれども、やはりうちの先祖のお墓を守るという意識がかなり強いと思いますから、それを分化させる意味でも、はっきりさせる意味でも、お墓のない寺院化 もちろん私はきれいごとをいっているわけではありません。現場は葬式と法事で多忙ですから、私が葬儀・法事をしないというものではありません。ほとんどその毎日です。今日も実はお通夜が入ってきましたので、今日現宗研でお話があるからということでお通夜は仲間に行ってもらうことにしました。
墓地がないわけですから、たった五五坪、本堂三〇畳で現在五百三十九世帯の人たちのご縁をいただいております。そして大体その約二割がさまざまな行事に出てまいります。そして常に私の開催している日曜礼拝とか親鸞に聞く集いというようなものに日常的に礼拝しているのは、今パーセンテージは出てこないのですが、習慣化しているのが大体三〇人ぐらいです。非常に残念な事実です。どんなにふくれ上がっても、本当に教法、教えを伝えていく、それを習慣化していくことの難しさを、現場で一番私自身が感じております。本当に教えがなかなか広まらないということです。
でもさまざまな法要とか彼岸、報恩講、そういった行事には参加しますので、三〇畳あれば何とか現時点では大丈夫です。ですから大きな伽藍が必要なのか、今現在は必要ないといえます。
そしてもう一つは、こうした状況を通して、今は本山は過渡期ということで大目に見ているわけです。しかし将来宗教法人をたとえ私のお寺がとったとしても、本山に対する募財を極力少なくするような嘆願はしたいと思っております。そういうものもなければ、ミニテンプルというのはおそらく難しいと思うのです。
それともう一つは、これは私自身も皆さんにも非常に大きな課題ではあるのですが、私は今門信徒の中から次の後継者を見つけるということで、そういう人を今から非常に注意して見ております。つまりひょっとしたら世襲制というものを乗り越えて、門信徒の中から後継者、二代目の住職へバトンタッチできるということも今実は考えていま5す。こうすることによって、自分の息子ももちろんその一人であるという位置づけなのですけれども、この子が継ぐのだという意識から、この子もたくさんいる後継者の中の一人なのだ。そういう目で自分の子を見ていく視点を、後継者住職候補を広げることによって、門信徒に伝えていくという意気込みが最近非常に私の中に高まってきております。門信徒の中から次の住職は育つのだという思いが強いと、これは賛否両論があろうかと思いますけれども、今私の中で芽生えたものです。それが寺院の軽量化につながる今の私案というか、考えであります。
2法の本格的伝達
法の本格的伝達ということですが、これは冒頭に申しましたカソリックの信者の人たちが聖書を読まなかったように、実は『教行信証』という浄土真宗の最も大切な書物を門信徒がやはり読んだことがな6い。これは大きな問題だということに最近気づきました。いきなり『教行信証』を門徒とともに一緒に読むという、住職も勉強をして門徒も一緒に勉強する。こういう視点が完全に欠落していました。難しいものだから何か棚の上にまつりあげておくのではなく、日蓮宗の本当に所依の一番大事な書物を檀家と共に読むことになろうかと思うのです。皆さんのご宗旨でいえば、『開目抄』ですか。
ちなみに『教行信証』というのは、実は今の龍谷大学でも、また中央仏教学院でも本格的体系的な講義をしなくなってしまったので7す。これは非常に大きな問題です。なぜかなと思うのですけれども、要はやはり難しいということもあるのですが、『教行信証』を原文と現代語で読んでいきますと、かなりのものが伝わってくるのです。それはやはりそこにいかに大事なメッセージが含まれているかということです。和讃とか非常に安易な『歎異抄』とか、そういうものでもっていくと、本質に出会うよりもむしろ逆に遠回りになる。そういうものを私は感じておりますので、『教行信証』を一緒に読んでいく。これは実験です。今年から始まるのです。実は日曜礼拝の中で『教行信証』の一節をコピーして皆さんと少しずつ読んでいるのですが、NTTの電話広告に恵光寺の案内を掲載してありますけれども、これはNTTの人に、こういう広告を出したらいいよ、メッセージと写真と地図が入れば宣伝広告は抜群だよと言われまして、皆さんも試してみてください。メッセージはまさに「湘南台の地に都市開教寺院」です。写真と地図、そしてこの中に日曜礼拝として『教行信証』、こういう形で少しずつ実験的に始めております。今年は本格的に『教行信証』を一緒に読むということをしようと思っております。
3現代教学確立の現場
これは非常に多くの問題をもっておりますが、少なくとも真宗教学でいうと、近代教学をまず拒絶することから始めなければいけないのではないかと思いま8す。つまり、明治以降の近代の教学を構成してくれた近代教学者の教学を全部一応総ざらい勉強はするわけですが、私の書棚に今近代教学者の本は一冊もありません。リサイクルに出しました。ちょっと横柄に聞こえるかもわかりませんけれども、これは皆さんもうすうす感じておられるかもしれませんが、浄土真宗の近代教学は、実は日清・日露戦争以降の一五年戦争に至るまでの非常に侵略性にとん9だ、宗教という教相を度外視し10た、とんでもない教学であるということを私はまずスローガン的に申し上げたいと思います。
その一つ一つを挙げますと、真宗教学の中ではたくさんありますけれども、大きな視点から申しますと、社会有機体説ということがまず一点いえると思います。社会現象をさも自然現象のごとく仏法の教説によって補完していく考え方で11す。ですから、差別は自然にできたものとして説かれますし、戦争のときも強烈な批判をすることなく、その時代時代の価値にのみ込まれていきます。そういうのがいわば社会有機体説、社会と自然を明確に分別できない発想です。これは仏教の中でも、中国仏教、唐のまだ以前の時代からかなり熱烈に、自然と社会というものを融合させるような発想で展開していると思うのですが、そういう意味でその一点がまずいえると思いま12す。
二点目は、真俗二諦論、つまり仏法と社会を完全に遊離させて、我々は社会のことに口を出さずに、信仰さえ守っていればよいのだという論理です。真俗二諦論、読んで字のごとしです。実はこれを肯定しますと、どういうことが起こったかというと、明治以降の仏教教団のとった発想になるわけです。これでいきますと完全にのみ込まれます。批判ができなくなります。完全に俗の方にのみ込まれて、浄土真宗では国家神道にのみ込まれましたから、もう完全に天照大神を拝むことは阿弥陀さまの本願にかなうことだということを明確にしました。弥陀一仏信仰は天照大13神、近代教学者はこれを推進しますが、だれが反対したかというと、皮肉なもので伝統教学者と門徒が反対したので14す。
私が申し上げたいのは、伝統教学をもう一度見直すこと、もちろん誤りはありますけれども、教相判釈という言葉がありますが、もう一度浄土真宗の教相、何を開祖、宗祖は言わんとしたかということをしっかり位置づけて、現代に焼き直しするという作業です。それを近代教学の視点から見ますと、ほとんど見えなくなりますから、伝統教学にたち戻って、それをもう一度乗り越えていくようなそういうダイナミックな作業が必要ではないかということを考えておりま15す。
なぜ私がここまできついことを申すかというと、実はこの教学は今も生きているからです。差別に対しても、平和に対しても、人権侵害に対しても、ほとんど言葉を失ってしまう。それには自分もおそらく自覚していないくらい根強い教義にがんじがらめになっていると思います。その教義とは、真宗の場合は近代教学者の教義がかなり根強いのです。もちろん今日は浄土真宗の伝統教学には大きく分けて石泉学派と空華学派があるのです16が、そこまでは立ち入ることを差し控えます。仏性論であるとか、称名論であるとかそういうかなり難しい問題になりますので差し控えます。しかしその位まで私たちが考えていかないと、現代教学を確立させることは難しいということを考えております。
四、まとめ
それではまとめに入ります。いろいろ申してまいりましたが、一番言いたかったことは、都市開教という現代史からいえば、なかなか訪れることのないこの契機、チャンスをどう宗門が生かすかということが、少なくとも現場の開教使が知ったわけです。そして都市開教の首脳部の人達が語ることは、かなりな教宣拡張のレベルなのです。その門徒の声とか都市開教の悲痛な叫びは、なかなか彼らのところまでいっていませんから、わが宗門のいかに勢力を拡張させるかという何か参謀本部のような会見で、見ていると私はついつい閉口してしまうのです。そうではなくて、どの宗派も、日蓮宗は日蓮宗として、または浄土真宗は浄土真宗として、その教相をはっきりさせて、本当にある程度教学論争も交えながら、なおかつ教えの本質をはっきりさせながら構築していく、時代の苦悩とか民衆の苦悩から逃げずにはっきりさせていく、そういう時代が音をたててやってきた。このチャンスを生かすかどうかという時期に今きていると私は思っておりま17す。
いろいろと私の寺が実験であるように、実はこの話もある意味では実験かもわかりません。それは失敗は許されるのか。私の場合は失敗してもよいと思っております。そのくらいの腹で今日生きております。失敗しないように、すべてがうまく収まるように、そういう発想はいわゆる完全主義です。私は燃えつき症候群を通しまして、自分の中で経験しましたものですから、失敗してもいいじゃないか。一代にこれだけ恵まれた環境の中で、門信徒とともにめいっぱい教学に励んで、そして好き放題やって、もしそれで失敗があるならば、何なのだろうか。それは経済至上主義のまさに失敗ではないですか。立派な伽藍ができて、山門ができて、立派な寺院として、おそらくそういう発想の上からでは、本当に私が今おかれている至上の喜びというものはなかなか想像できなかったと思うのです。
どうぞ日蓮宗にあっても、檀家・信徒の潜在的な信徒を発掘して、さらなる教えを伝え、また教学を研鑽いただきたいと心から念ずる次第でございます。ありがとうございました。
(註)
1日本における解放の神学紹介には、この問題に対する観点に非常に弱いところがある。解放の神学の歴史的背景をふまえて今日の日本における都市開教の意味と展望を見直す必要がある。
2聖書を読むことを大事にすることは、解放の神学と根本主義プロテスタント(ファンダメンタリズム)の共通点である。しかしながら、両者における聖書のとらえ方が大きく異なっている。つまり、社会から切り離された個人の救済しか問題にしていない根本主義プロテスタントの聖書のとらえ方に対して、解放の神学のそれは、地域共同体の具体的な問題から出発している。現実社会の諸問題を出発点として聖書を共に読み、共に考える、そしてそれに基づいて共に実践することは、解放の神学における聖書のとらえ方の一番の特徴なのである。その読み方の背景には、個人主義的な人間観に立脚している根本主義プロテスタントが完全に欠落している「歴史的存在」としての人間観がある。
3この問題についてはペーター・A・ジャクソンの『BUDDHISM LEGITIMATION AND CONFLICT The Political Functions of Urban Thai Buddhism』を参照。
4本願寺の制度に対する心情的な反発ではなく、明確な現実分析を通して従来の本願寺の制度に基づいて都市開教の諸問題に対応することが現実的に困難になっている。
5世襲制というものは、教法社会としての真宗教団の形成に対して大きな問題の一つである。都市開教の現場に見られるような具体的な課題をふまえて差別的・閉鎖的な世襲制から教法社会としての新しい真宗教団への展開が重要な課題である。また、この展開は、新しい歴史の形成への参加をも意味する。
6明治以前の真宗門徒は、蓮如の『御文章』を中心に真宗の教えに触れたので『教行信証』の存在を意識することがなかった。明治以後、『歎異抄』の流行によって個人的、心情的な信心理解が主流となったことによって、『教行信証』との関係は、また希薄になった。今日の真宗における信心の不明確さ(智慧を内容としない心情的なありがたさ)及び教学における歴史性と社会性の欠落ということは、この問題と深く関連しているように考えられる。
7『教行信証』というのは、真宗の信心と教相の中心をなしている書物である。『教行信証』の本格的な学びを放棄することは、僧侶の教育を不可能にさせることを意味する。『教行信証』の本格的・体系的な傾向と本質的に関連している。社会科学の中で最も保守的、現実肯定的なものの代表であるアルフレッド・シュルツの現象学的な社会学を以って習慣・習俗を無条件に肯定するこうした傾向は、真宗の宗教としての自滅を意味するものである。
8ここでいわれている「近代教学」とは、明治以後(特に十五年戦争)の天皇制ファシズム下によって成立した本願寺派の「戦時教学」と大谷派の近代教学(清沢満之・曽我量深等によって成立した教学)の両方を含んでいる。本願寺派の「戦時教学」への批判として、戦時教学研究会編『戦時教学と真宗』(永田文昌堂 一九八八年)を参照。大谷派の近代教学に対する批判として伊香間祐学『精神主義を問い直す』(北陸聞法道場叢書V 一九九二年)及びジョアキン・モンティロ『曽我教学批判として形成する批判教学』(同朋学園仏教文化研究所紀要第十三号 一九九一年)を参照。
9日本仏教の侵略協力に関して市川白弦『仏教者の戦争責任』(春秋社 一九七〇年)及び橋澤裕子「日本仏教の朝鮮布教をめぐる一考察 奥村兄妹の事例を中心に」 『朝鮮女性運動と日本』(新幹社 一九八九年)を参照。
10近代教学における教相の欠落に対する批判として、ジョアキン・モンティロ『「教巻」の根本問題について』(同朋学園仏教文化研究所紀要第十四号 一九九二年)を参照。
11社会有機体説に対する批判として、ジョアキン・モンティロ『日本的霊性からの解放 信仰と歴史認識・菩提心の否定と浄土真宗』(金沢出版社 一九九五年)を参照。
12この問題について、本覚・如来蔵思想をすえた「通俗大乗仏教」に対して「批判大乗仏教」として『法華経』及び『無量寿経』の思想史的な意味を明らかにした袴谷憲昭氏の主張に注目している。袴谷憲昭『道元と仏教』(大蔵出版 一九九二年)を参照。中国における「格義仏教」と如来蔵思想との関連に対する厳密な仏教学的な分析のために伊藤降寿『中国仏教の批判的研究』(大蔵出版 一九九二年)を参照。
13この問題について曽我量深『日本世界観』(彌生書房 一九七四年)を参照。
14この問題について「真宗教学懇談会記録」『大日本帝国下の真宗大谷派教団』(北陸群生舎編 一九八二年)を参照。
15この伝統教学の見直しとは、実体的、前近代的な浄土観への逆もどりを意味するのではなく、現代的な問題意識を出発点にした真宗の教相の見直しを意味するのである。具体的にいえば善導・法然・親鸞における如来蔵思想批判の再検討を通して近代教学の心情的な現実肯定主義の克服を意味する。
16現代教学の確立のために空華学派教学の克服及び石泉学派教学の批判的再検討が必要不可欠である。そのためには学派の権威というよりも、教学における論理的正しさを重視するような公開討論は必要であると考えられる。さらにこの問題について付言すれば、私自身都市開教の現場に立つことによって、これらの伝統教学がいかに無力であったかを痛感しつづけたことを契機として伝統教学の克服及び再検討の考えにいたる。
17日本仏教の中で「批判大乗」を最も代表する『法華経』と『無量寿経』の間に思想的対決がないということは、悲しむべきことである。この対決は、もちろん「宗派争い」として受けとめるべきではなく、同じ現実的課題性を持ち、異なった真理主張をする宗教者との間の広い意味での思想的対決を意味するものである。現実的課題性を出発点にした「思想的対決」という意味での宗教対話への提言として、ジョアキン・モンティロ『日本的霊性からの解放 信仰と歴史認識・菩提心の否定と浄土真宗』(金沢出版社 一九九五年)を参照。
※本稿は平成七年三月十三日、東京都新宿区常圓寺会館にて開催された公開講座教団研究セミナーにて講演されたものに加筆したものです。
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