日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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所報第30号:26頁〜 教化学研究 ←前次→

  新宗教の海外布教戦略 
長谷川泰弘
(立正佼成会海外布教課長)

はじめに
 本日は、石川先生、そしてまた赤堀先生からご案内をいただきまして、私はまだ大変若輩で何もわからない者ですけれども、この度、勉強会でお話をするお役を頂戴しまして、これから与えられた時間、三時までということですが、今回いただいたテーマに基づき、精いっぱいお役を務めさせていただきたいと思っております。私は現在立正佼成会の本部の方で海外布教課長のお役をいただいております長谷川と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 なぜか、たれ幕には海外布教部長となっているのですけれども、おまえもしっかり頑張りなさいというふうなお上人のお気持ちを感ずる次第です。お話に入る前に簡単に自己紹介をさせていただきます。私は昭和二十六年、東京生まれで、今年四十三歳になります。今浅草に住んでおりますけれども、女房、子供三人という家族構成で、今日も浅草から来ました。佼成会は、我が家は私で二代目でして、私の母が昭和三十六年に入会のお手配をいただいて、私自身は中学三年生のころに庭野開祖が書きました『人間への復帰』という本をたまたま手にして読んだときに、自分自身の気持ちが本当に信仰といいますか、法華経というものに自分が出会えたというそんな人間でございます。
 と申しますのは、私はちょっと足の小指が短いのです。いわば奇形の一種ですけれども、そんな体をしております。そんなことがありまして、特に小学校、中学校の前半のころは、自分は人とは違うのだ、違うのだという気持ちが常に心のどこかにあるような、そんな子供の時期を過ごしました。そのもやもやしたものを何とか解決できるものはないだろうかと常に思っていた矢先に、たまたま母が、母の姉の勧めで佼成会に入会しました。たまたまその佼成会の開祖によって当時書かれた本を読んだときに、人間というのは姿、形は違うけれども、みんなもとはただ一色の宇宙の大生命、つまり久遠の本仏、大いなる仏さまの命によって生かされ、守られている、みんな兄弟なのだと、こんな文章に出会いまして、何かもやもやしているものがパッと晴れるような、そんな思いを実はいたしました。それが、佼成会、法華経、庭野開祖の教えに対して、自分自身の心が開きかかったといいますか、そんな出会いでした。
 爾来、信仰というものが大好きになりました。我が家は左官家をしておりましたが、たまたま高校一年のときに親父が亡くなりましたので、もう三十年近くなるのですけれども、私一人息子なものですから、高校を出てから四年間ほどは左官の仕事をやって、それから実は佼成会の方に奉職をして現在に至っています。簡単ですけれども、そんな人間であることを初めにご紹介申し上げたいと思います。


 そして次に、今ビデオ(「海外布教の歩みと現状」 立正佼成会)をご覧になっていただいて、今日は赤堀先生から、佼成会のことだけではなくて、いろんな新宗教のほかのご教団のこともちゃんと話しなさいと言われているのですが、正直に申し上げて、あまりほかのご教団のことはわからない部分もありまして、佼成会のことが多少多くなるかもしれませんけれども、後ほど私自身がわかっている範囲で、創価学会さんのもっている布教に関してのすばらしいノウハウといいますか、そんなものをご紹介できればと思っております。
 初めに、佼成会のことになってしまうのですが、本会は昭和十三年に創立されました。たまたま石川先生のご自坊が、杉並の本当に近くですけれども、今日もそんなご縁をいただきまして大変ありがたく思っておりますが、昭和十三年に創立をされまして、今年五十七周年を迎えることができました。人を救い世を立て直すという信念のもとで、庭野開祖、当時会長が、長沼妙佼 もうすでに亡くなっておりますけれども 脇祖と会を創立した。そういう因縁の教団であります。目的とするところは「人格完成と世界平和」ということで、一人ひとりが人格を完成し、世界を本当の平和社会につくっていく、それを法華経観に基づいて、法華経に基づいた人格完成、法華経に基づく平和社会の建設という目的で佼成会が創立されたのであります。
 お釈迦さまがインドで仏教をお説きになって以来、仏教徒の証として帰依三宝、三宝ということを教えていたわけですけれども、仏法僧に帰依することを、立正佼成会としては、「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊」、仏として拝み、法としては「法華経」をよりどころとし、僧としては、「在家主義という形でサンガを形成する」ことが本会としての一つの基本的な三宝の内容であろうかと思います。そして会員としては、仏に帰依することを、具体的な生活の中で仏の子としての自覚を得る。人間はみんな仏の子なのであるという自覚のもとに、人間の一人ひとりのもっている尊い仏性 人間は本質的にみな仏性をもっており、本質は善なのだという 仏性を礼拝していく。そんなことを基本的な教えとし、サンガにおいては、ほめる行い、感謝の行いと申すのですけれども、お互いに相手のよいところをほめあい、認めあい、そして日々の生活においては感謝の行いをしていこう。それが本会におきましては、具体的には先祖供養ということで朝夕のご供養を経典読誦、これも法華経から抜粋した経典のご供養をさせていただいている、そういうふうなことが基本的に本会としてはあります。
 先ほどビデオでご覧になっていただいておわかりかと思いますけれども、昭和四十年に第二バチカン公会議がローマで開かれまして、そのときに実は庭野開祖が仏教徒としてただ一人ご招待をいただいた。もともとキリスト教の大司教様とか法王様はじめ、そういう幹部の方々が全世界から集まるという、それも百年に一ぺんだったでしょうか、そういう会議でございますので、異教徒の人はこれまで一度も入ったことはないという会議でした。そこに異教徒として仏教徒としてただ一人招かれた。そんな事実が実際ございます。
 その事実というのは、実は庭野開祖、当時会長は、カトリックに対して批判をよく公言しておりました。それはどうしてかといいますと、先ほどもビデオでありましたが、いろんな地区の大会がありまして、ああいう場でも言ったことですけれども、当時創価学会さんが非常にいわば排他独善的な折伏大行進ということがありました。私自身も、実際中学校のころに座談会に友達に連れていかれまして、座談会の場で、お前のやっている信仰はだめだ、佼成会では救われないのだと、そんなことを言われた経験があります。自分の教えは絶対であり、自分の教え、つまり正法は正しいけれども、ほかの教えは全部間違っているのだということを、当時創価学会さんはそのことを非常に強く強調して、いわば折伏大行進をやっておられた時期がありました。そんなときに私どもの庭野開祖が、その学会のその考え方はおかしい、自分の教えだけが正しくて、自分の教え以外は全部邪教なのだ、自分の教えのみが正法で、他宗は全部邪宗である、邪教である、間違っている、こういう考え方はおかしいと言い、そのことを声を大にして実は公言しておりました。
 その時期に実は庭野開祖はこのようにも申しておりました。それはこういう日本に創価学会が生まれるのは、それはカトリックが大もとなのだ。カトリックが実は第二バチカン公会議以前に、昭和四十年以前は、カトリックの皆様も、実はキリスト教のみが救われる、キリストを信ずる者のみが救われる、キリスト教以外の教えは邪宗であると、昭和三十年代まではこういうふうに言っていたのです。
 当時そういうふうな社会情勢にあって、宗教の世界にありまして、私どもの庭野開祖は学会さんのその考え方もおかしい。そういう考え方を日本の中で声を大にして学会さんが唱えている。そしてちょっと目を転ずると、キリスト教もカトリックもそういうことをいっている。カトリックが大もとでやはりおかしいということで、実はカトリック批判をしておりました。そのことを実はたまたま耳にされたバチカンの当局が、これは庭野日敬開祖を逮捕するとかそういう意味ではなくて、なかなか勇気のある男であるというふうに外部の方はとらえられたようです。そしてバチカンでもおそらく神学においていろんな変化があったのかと思うのですけれども、なかなか初代で佼成会という組織をつくり、それだけの信者さんを擁するような会をつくって、そういうことを正々堂々と言っている。なかなかおもしろい男であるというので、実は仏教徒でただ一人招待をいただいた。そんな因縁が実際にあったのであります。
 そんなことがありまして、庭野開祖はバチカンの方に行く機会に恵まれたわけです。そしてバチカンに行って、びっくりしたということですが、今までカトリックがキリスト教のみが真の教えであり、キリスト者以外には福音の種は宿らない、こういうことを当時ずっと神学では説いていたカトリックが、実は第二バチカン公会議のときに、それ以降、他宗教、それから他文化の中にも福音の種は宿る。いわば仏教徒の中にもイスラム教徒の中にも、あるいは神道の中にも、ほかの宗教の中にも、キリスト教の立場からすると福音の種、神様のそういう教えは、みんなちゃんと息づいて、その人はちゃんと天国に行ける、そういうものをもっているのだというのです。これは第二バチカン公会議で実はそのような神学における大きな変化がありました。今までは自分の教えだけが絶対なのだ、学会さんのように自分の教えだけが絶対で、あとは全部邪教なのだと、こう言っていたバチカン・カトリックが、自分の教え以外にもみんな救われるのだ、こういうことを実は正式に表明した、そんな神学における大きな変化がありました。
 よく私も教えていだたいたことですが、昔、天動説、地動説というのがありました。大昔は、皆様もこれはご存じのことですけれども、天動説で、太陽系の中に、いわば地球が中心で、地球の周りをいろんな太陽や惑星が回っている。地球が中心にあって太陽は地球の周りを回っている、これが天動説です。そのようにずっと信じられていたわけですけれども、本当はコペルニクスによって発見されて、天動説ではなくて地動説だと、つまり太陽系の中心は太陽で、太陽を中心にして地球も火星も水星もみんなその周りを回っている。以前は天動説で、地球が中心で太陽もみなほかの惑星も火星も地球を中心に回っている。このように考えられていたわけです。いみじくもこのたとえにあてはめて見ると、キリスト教が、カトリックが、あるいは学会が、自分たちの地球が中心で、ほかの教えは全部亜流である、中心からずれている教えである。佼成会もどこの教えも全部ずれているのだというふうに思われていた。そんなとき、第二バチカン公会議、昭和四十年以降、キリスト教の方々もカトリックも中心にあるのは太陽なのだ。仮に地球がキリスト教とするならば、火星が仏教とするならば、みんな一つの太陽を中心にみんな同じ太陽の光を受けて、その太陽の光を分かちあって、太陽のエネルギーをみんな平等にいただいているそういう仲間なのだ。そんなふうな理解に変わってきた。そして福音の種は他宗教にも宿るということで、時代が、昭和四十年以降、特にキリスト教との関係においては変化してきたことがあります。


 そして本会においても、そんな意味で海外布教の役割、機能を考えた場合に、今のビデオでもご覧になっていただきましたが、非常に広い意味での海外布教といいますか、それは他宗教の方々と相互理解をするための、お互いの理解を深めていくための対話であったり、出会いの場を積極的にもつことが、一つ大きな今日の表題にございます戦略としてはあります。いま一つは、具体的には先ほども出ましたけれども、一九五八年、庭野開祖がブラジルに行った際、現地における日本人の本会の会員、そしてアメリカの本会の会員、そういう会員一人ひとりに対する救護・教化というふうな意味あいでのミクロ的な意味での海外布教があります。そんな二つの側面から、広義的な広い意味での海外布教というのは、宗教協力というような一つの展開で今日まで行われてきております。そして狭い意味での海外布教、狭義的な意味での海外布教としては、それは会員一人ひとりの救護・教化ということです。私どもは「手取り」、「導き」というふうに言いますけれども、実際に訪問布教したり、新しい人を誘ったりという形での具体的な教化活動を、これはマンツーマンの教化活動を行っております。
 そしてこれは広義、広い意味での海外布教という大きな成果としてぜひご紹介したいと思うことですけれども、昨年、第六回の世界宗教者平和会議が開催されました。第一回は昭和四十五年に京都で行われました。昨年で第六回を迎えるのですけれども、ちょうど三十年たつわけです。その中で実は現在の法王さま、ヨハネ・パウロU世と私どもの庭野開祖が握手をして、これはバチカンのシノドスホールという本当の準聖域といいますか、そのように伺っておりますところを会場に会議が開かれ、バチカン史上、カトリック史上初めて、こういう諸宗教の方々をいわば迎え入れる。対等の立場でお互いに世界の平和について話し合っていこうという場がもたれたということです。昭和四十年の、今から二十九年前のカトリックの神学からすれば考えられないことであろうかと思います。その前は自分の教え以外は全部邪教だというふうにしていたわけですから。日本における創価学会のような形で、そういうスタンスだったわけです。そのカトリックが見事にこのように神学的に展開をして、このときも六十三カ国から八百五十人の宗教者の方々がこのように一堂に会して、これから本当に世界の平和のためにお互いが支えあって、また理解をしあって、学びあってやっていきましょうというふうないろんな話し合いがもたれました。次回は一九九九年に開かれるということで、まだ場所は未定ですけれども、五年に一ぺんそんな大会がこれまで開かれてきております。
 この宗教協力ということの一つの考え方は、私どもの開祖は宗教の本義は一つである、もとは一つであるという深い信念をもっておりました。たとえて申しますならば、今日の文明社会にあって、冷蔵庫はどんどん世界的にそういう一つの近代科学文明として、その恩恵を受けているわけですけれども、韓国の冷蔵庫、日本の冷蔵庫、アメリカの冷蔵庫、それらの中に入っているものはそれぞれ地域によって違ってくるかと思います。その冷蔵庫の外枠が文明とするならば、その中のもの、いわば中身は文化である。文化においてはみんなその多様性がある、私は今日東京から来ましたけれども、名古屋に来ると何となく雰囲気も違うし、また今日はお昼にちらしをいただきましたけれども、それに入っているものも何となく違う。そういう味つけであったり、中身はいろんな意味で地域によってみんな違う。その違いを違いとして認めあいながらお互いに理解をしあいながら、一つ共通の目標に向かって歩んでいこうということが今日求められている。また宗教としてのあり方もそこにある、そんな信念をもっているわけです。
 そういう中で宗教協力という形での一つの歩みが、新宗教の一教団としての佼成会の歩みがあります。それは広義、広い意味での海外布教というふうに申し上げることができるかと思います。もう一つ今度は狭い意味での海外布教です。これはいわばマンツーマン、ときに一対一の会員の獲得であったり、あるいは救護・教化という形での海外布教ということもあります。それは先ほどもありましたが、昭和三十三年(一九五八年)のブラジルへの庭野開祖の現地入りからスタートします。それまでは特に組織的なものは一切行われておりませんでした。ブラジル移民で、国内の会員が現地に移り住むようになったという経緯があったり、あるいは戦争花嫁ですか、国際結婚でアメリカの方と一緒になって現地に移り住む会員がいたりとか、そんな幾つかの点が現地に点在していた、会員として点在していた、そんな状況がありました。
 たまたま、そういう背景の中で、庭野開祖が当時ブラジル移民の五十周年の式典に招かれて出席をした。その帰りに実はブラジルであったり、北米、ハワイを布教してきたということですが、そのときに現地に当時住んでおりました日本人会員 これは現地語を話す、いわばブラジルであればブラジル人の会員ということではなく、ブラジルに移り住んだ日本人の佼成会の会員、そしてハワイに移り住んだ日本人の佼成会の会員、アメリカに移り住んだ日本人の佼成会の会員 に対する布教がスタートしたのは実は昭和三十三年です。そのとき以来、一つの海外布教、狭い意味での具体的な会員、救護・教化という形での海外布教が展開いたしました。ですから現地在住の日本人会員がいわば布教の対象であったわけです。その具体的な展開としては、当然のことながら、日本国内の布教の延長線上にあったというふうに、先ほどもありましたけれども、手紙のやりとりとか、あるいは実際に自分のかつての導きの うちは導きの親・子というふうに教化のリレーをこのように表現するのですけれども 親にいろいろ問い合わせをしてみたりとか、そんな日本とのつながりにおいてすべてが進んでいったという経緯があります。
 ですから、佼成会においては、当時から法座がありました。これは、日常生活における佼成会は生活仏教、在家仏教ということで、さまざまな悩み苦しみ、問題をその法座という形の中でお互いに分かちあい、そして励ましあう。また教えに照らしあわせて自分の考え方を正していく。そんな場が法座としてあるわけですけれども、その法座がブラジルにおきましても、アメリカにおきましても日本語で行われておりました。


 こんなところを学会さんとちょっと比較してみますと、ずいぶんやはり違うのだということを改めて理解できるのですが、学会さんも昭和三十五年に、第三代会長に就任して間もなかった池田大作当時会長が、初めて南北アメリカを訪問した。当然現地在住の会員とお会いになっていろいろご指導されたかと思うのです。そのときに、当時三つの原則が示されたと言われております。一つは、学会さんの場合には座談会が当時からあったということですけれども、座談会はすべて英語で話すこと。日本語を使ってはならない。座談会は英語で行いなさい。それから市民権をとって、もうアメリカ人になりなさい。当時現地に渡った日本人の会員さんに対して、一つは英語で座談会をやること。そして市民権を取りなさい。さらにきわめて具体的なのですけれども、自動車の運転免許を取りなさいということが、これは三つの原則という形で指導がなされたということです。そんな中で学会さんの場合には、昭和三十五年から池田当時会長が南北アメリカを訪問した。そういう意味では私どもの佼成会ともその動きは非常に似ているのです。私どもの佼成会も当時の庭野会長がブラジル、南北アメリカを訪問したのは昭和三十三年、二年早かったわけです。学会さんは昭和三十五年に三代目の当時池田会長がやはり南北アメリカを訪問した。そこからスタートしたのですが、その後の展開は大いに違いがあります。学会さんの場合には、その当時三つの原則がきちんと示されて、そして座談会はすべて英語でスタートしたのです。特に大きな特徴として言えることかなと思いますのは、昭和四十年代に入ってから、アメリカにおいてですが、いわばこういう公共の場といいますか、大学の場で、もちろん英語で、学生たち若い人を対象に、仏法のセミナーをいっぱい開催した。そのことが非常に大きく特徴といいますか、評価できることではないかと思います。全米で八十を超える大学でセミナーが開催されたということです。
 ジョージ・ウイリアムズというもともと日本人の方ですが、その方がアメリカ人になりきって教えを説かれた。その教えの内容は、特にテーマとなったことは、「真の仏法こそ真の人間主義である」というようなテーマであったり、あるいは「日蓮の仏法が仏法の正当な流れをくむものである」、そういうふうな教えの内容であったり、それから「人間革命こそ現代社会における必須条件である」、そんなテーマのもとでのいろんな講演会が、セミナーが八十以上の大学で行われた。これは非常に大きなインパクトだったようです。そして学会さんが上手なのは、そういうことをしながら一方で文書布教を積極的に展開する。これは外国語翻訳文書です。外国語に訳されたそういう文書を、特に池田会長 今名誉会長ですけれども の著作であったりする。一番新しい「聖教新聞」で見ますと、学会さんは現在、外国語の書籍翻訳出版は十七言語に及んでいるそうです。大したものです。一番最近は、ベンガル語版 インドの地方の一つの言葉かと思いますけれども の池田大作氏とアーノルド・トインビーとの対談集、『二十一世紀への対話』という書名のようですが、それが十七言語目として今年に入って出版された。それだけたくさん外国語に翻訳して知らしめているということです。それも池田大作氏の全著作、いろんな著作があるわけですけれども、その外国語版としてはもう二十三言語目であると。『二十一世紀の対話』という本は十七言語目ですけれども、ほかにもいろんな本があるわけです。いろんなほかの本を見ていくと、二十三の言葉に訳されている。これは大きいです。それをいろんな大学に、そういうセミナーをすればセミナーでポンと置きみやげをする。ですからいろんな大学の図書館にどんどん本をおくわけです。これはそれこそ戦略としては非常にうまいやり方だと思うのです。
 そんなことで学会さんは、一つはそういうセミナーであったり、講演会であったり、そして文書によって、外国語図書によってそれをどんどん教えを知らしめていく。聞きっぱなしにならないで、関心をいだかせて、それを一人ひとりが自分で手にとって読んで自分のものにしてもらえるように、一方でそんな努力をずいぶんなさったようであります。
 これも今年の二月一日の「聖教新聞」ですけれども、SGI(創価学会インターナショナル)というのが世界的にあるわけですが、「今年発足二十周年、ハワイで記念総会が行われた。百十五カ国を代表し、二十九カ国の友が平和へ誓い」というふうな見出しがありますが、百十五の国に組織が、つまりネットワークがあるということかと思います。そして二十九カ国からの代表が集まってきたという見出しになっているのですけれども、学会さんの場合には、三十五年、池田大作当時会長が第三代会長就任以来、南北アメリカを訪問し、そこで現地主義といいますか、現地語による現地人布教を、すでに三十年代から打ち出されて今日に至っているといえるかと思います。一貫して教団本部も現地語による現地人布教をバックアップする形で、翻訳出版であったり、あるいは講師派遣であったり、大学でのセミナー開催であったり、そんなことを教団本部としてもどんどん応援していった。このことが今日の創価学会の国際組織が二十周年を迎えたという大きな成果を生み出す背景として言えるのではないか、そんな感想をもっております。
 本会においては、ちょっと話が前後するのですけれども、昭和三十三年に庭野開祖がやはり南北アメリカを訪問しまして、日本人会員に対するかかわりをもちました。ただそのかかわりは、あくまでも日本人会員に対するいわばかかわりということで、立正佼成会においては、教会そのものも、日本人のコミュニティという域をある意味ではなかなか脱しきれないで今日まできております。ですから日本人社会がそこに形成されるというのでしょうか、日本から行った移民の方であったり、日本から国際結婚で現地に入った方であったり、そういう方々が日本の立正佼成会にまた集うというふうな形が、主たる流れとして今日まで実際ずっと続いているのです。うちの場合には最近に至ってやっとここ十年ぐらいです。あえて比較するなら、学会さんは昭和三十年代に現地語による現地人布教と、アメリカだったら英語でアメリカ人にダイレクトに布教していこうということを昭和三十年代から開始し、うちの場合には五十年代の後半ぐらいから、現地語による現地人布教が一つの方針として、方向性として示されてきた、そんな経緯があります。事の是非はともかくとしまして、そういう三十年からのずれがあります。
 佼成会における書籍のことがちょっと気になりしまて、参考までにいろいろ調べましたら、私どもの場合には、法華経の新しい解釈がこれは庭野開祖の著作によるもので、法華経を現代的に解釈し、そして日常生活にそれが実践につながるような形での願いをこめられての解釈があるのですが、それがうちの場合にはまだ五カ国です。庭野開祖全著作の外国語版は七カ国、七つの言語にしかまだ訳されていない。学会さんが二十三ですから、うちの場合にはまだ三分の一にも及んでいない。これは数字で比較してみるとそんなことがいえるかと思います。
 ですから全体的に振り返って私なりに思いますのは、学会さんの場合には、一貫して創価学会、自分の教えが絶対なのですから、ほかは違っているのですから、ですから要はこの教えをこれからどんどん広めるしかないのだ、こういういわば一つの考え方かと思います。他宗は全部邪教なのですから、自分の教えのみが正法であるということで、ずっと今日もそういう考え方できている。佼成会の場合には、もちろん自分の教えは絶対であるという信念はありますけれども、でもほかの教えも、ほかの国の冷蔵庫もみんな中身は違うのだ。みんなそれぞれ宗教の儀礼儀式であったり、唱える言葉であったり、あるいはいろいろな作法であったり、みんなそれぞれ文化は違うのだ。宗教は文化現象という一つのそんなとらえ方がそこにはあろうかと思うのです。
 ですから特に昭和四十年の第二バチカン公会議でバチカンでの一つの出会いと申しますか、カトリックとの出会いは大きな意味を本会においてはもっております。それが一つには世界宗教者平和会議という形で、他宗教とのいわばキリスト教だったり、イスラム教だったり、またいろんな宗教の方々との対話でありました。ですから、これは結局基本的には改宗を迫らないという立場です。キリスト教の方を仏教徒にしようとか、全人類にお題目を唱えさせようということではなく、イスラム教徒の方はイスラム教徒になりきる、仏教徒は仏教徒になりきる、佼成会は佼成会になりきる、それぞれがみんなそうやってなりきったときに、実は本当の意味でのそこに大調和がある。お互いに宗教の目指すものは一つである。そういう信念のもとで、目指すものがみんな違ってしまうと大変ですけれども、目指すものは一つなのだ。説かれる教えは、願いは一つなのだというふうな信念のもとで、みんながそれぞれの宗教徒になりきっていけば、そのときこそ本当の意味でのお互いに個性を認めあった、お互いに相手のよさを認めあえるようなそこにはすばらしい世界がある。本当の意味での大調和の世界が現出するのだということできておりますので、佼成会の教えを全人類に、おタスキをかけさせるということは考えていないわけです。うちの場合にはあくまでもご縁のある方に、信仰をもっていない方にはもちろん積極的にお勧めする。信仰をもっている方はそれぞれの教えを精いっぱいやっていきましょうというような形で、特に昭和四十年以降きております。いろんな意味でそこには特に学会さんとの点においては展開の違いがあるのだろうと思っております。


 そして先ほど赤堀先生もなるべく他宗教のこととおっしゃったので、これは私が本当にかいま見た限りのことですけれども、以前バンコクに行ったときに、バンコクには世界救世教が非常に盛んです。「手かざし」の教団です。ちょっとバンコクの教会を訪問しましたら、やはり全部やっている方はタイ人です。日本人の布教師の方が何人かいらっしゃるのですが、やはり複数で派遣されておりまして、一人ではなかったのです。複数で、二人、三人という形で日本から派遣されていて、現地の方をお導きされて、会員にされて、実際そういういろいろ手かざしをやっておられる方々は皆さんタイの方でした。それが今、ついせんだっての話ですけれども、どんどん発展している。教会も入りきれない、収容しきれなくて新しいものがどんどん建っているという話を聞きました。要は現地化といいますか、現地の人が現地の言葉で現地のそういう文化といいますか、現地のそういう土俵の上で、教えが根づいていくときには自然といわばそれなりに発展をしていくといいますか、そんなことが言えるように思います。
 本会におきましても、これは現地に適応した一つのあり方として、行法観ということで、特に変化としてありましたのは、もともと現地在住の日本人を対象にして始まったことです。ここ十年ぐらいの間は、現地に適応したそういう要望、具体的なあり方ということで、例えば礼拝の対象なども変わってまいりました。うちの場合には、国内ですと入会すると総戒名 すべての戒名という名称のものですけれども を礼拝の対象としてご宝前に、仏壇におまつりします。その総戒名に代わって総戒名だけではなくて、ご尊影、これはお釈迦さまご本尊のお写真ですけれども、礼拝の対象としてそういうものを下付してもいいというようなことが、現地に適用した行法ということの中で変化が出てきました。それから国内においては、ご本尊さまのお軸を私どもは勧請形態としては、幹部には一つそれを勧請するという形になっておりますけれども、海外の場合には、お軸ではなくて今お像になりました。お釈迦さまのお像を、これはアジアの国では、アジアには金、きんきらの仏さま、そして欧米はブロンズと、同じお像ですけれども、色は変えて要はそれぞれありがたく拝めるような、ありがたく思えるような形にということで、そのように今変わっております。
 もちろん経典においても、これは各国語に翻訳して、現在英語と中国語(北京語)、韓国語、ポルトガル語、それからロシア語はまだ翻訳までいっていませんが、音写でロシア語版、ロシアはうちの場合には、サハリンに日本人の方が結構いるのです。昔から現地に残っている方であったり そこにいろんな悲しい物語がたくさんあるようですが 北海道の私どもの教会と現地のサハリンの日本人会であったり、そういう方とここ数年来いろんな交流がされておりました。そんな中で実はまた数十の、百に満たない数ですけれども、本会の会員が現在現地におります。そんな方々のために、またロシアの方々のためにということで、ロシア語ということでございます。今タイ語とネパール語の経典は準備中ということで、経典の翻訳も進められております。
 例えば韓国語の経典などの場合は、私ども経典はこういうふうになっているのですけれども、前唱文、後唱文と、勧請文というのがあるのです。法華経の抜粋のところに入る前に勧請文があって、ここに以前は南無八幡大菩薩、神様を八幡大菩薩という形で七面大明神であったり、もちろん南無高祖日蓮大菩薩とございますけれども、八幡大菩薩というのも入っていたのです。けれども、そういう例えば韓国であれば、昔、豊臣秀吉の時代に八幡大菩薩の旗をもって攻め入ったというふうなことが、韓国の方々には語り次がれている。だから八幡大菩薩はいわば忌み嫌う気持ちが非常に強くあるわけです。そういう国に対しては、あえて勧請文からも八幡大菩薩は韓国版には入っていないというように、現地に適応した形というのでしょうか、そんなふうにさせてもらってきております。
 そして現在、先ほどのビデオではあれは三年、四年ぐらい前の製作だったかと思うのですが、本会の場合には約七千からの会員がおりまして、そのうち五千所帯がアジア圏で、ほとんどが韓国、台湾に在住している方が多くて、現地語での会員の方がそこは九〇%以上であるというような会員分布になっております。
 したがってうちなりの一つの理解ですけれども、やはり現地の人が現地の言葉で、現地の人を対象に布教を展開していくときには、それなりの一つの成果が出てくる。たまたまこのビデオを昨日我が家で見たのですが、うちの子供が今、頭が中二で、その下が中一、その下が小四で、息子三人ですけれども、ブラジルだ、ニューヨークだ、ハワイだと見てきまして、次に教会長さんの話になり、日本人がやったらおかしいとみんな口をそろえて言いました。小学校四年の子供までが、それはアメリカの人がやらなくてはおかしいよねと、こういうふうに、教会長が何たるか、どんなことをするかはそれは子供なりの理解なのでしょうけれども、でもやはりその国の人がやらないと、その国の人がという、そういう子供なりの感性、これはすばらしいものをもっているのだなというふうにしみじみと実は思わせてもらいました。


 そしてうちのかかえている問題点、課題点ということで、そのこともしっかりお話するようにと赤堀先生から言われておりますので、このことを最後に何点か申し上げてお役に代えさせていただきたいと思うのです。
 やはり本会の場合には、布教文書の整備ということが非常に問題点、課題点としてございます。例えば国内においては、今申し上げたような形で、これは「佼成新聞」という週に一度出ます週刊紙です。こういううちの機関誌があります。月刊誌でも「佼成」というのがあります。また「躍進」という機関誌もあります。そういういわば文書が定期的に流れるわけですけれども、アメリカ一つとってみても機関誌がまだありません。要は教えが文字としていわば流れていかないという現実があるのです。これは一番大きな課題であろうと思っております。これもやはりなるほどなと思うのですが、今回もいろいろ整理をさせてもらってわかったことなのですが、中国語と韓国語に関しては機関紙がある。現地で出版している。もちろん週刊とかそういう形ではありません、二カ月に一ぺんとかそういう単位ですけれども、でもちゃんとそういう機関紙があるのです。やはりそういうところはうちとしては一番大きな規模の教会になっています。台湾と韓国、現地の方がいわばまた信者としてもご縁のある方が入ってくるというふうな形になっているのですけれども、いわば伸びているということもいえるのです。
 ですから布教文書の整備ということが、これが一番まずは大きな課題、そして未整備ということが一番の問題点であるというふうに思います。そしてあとはそういう文書がまだできていませんから、勉強もできないということです。教育システム、うちは教学というふうに言っておりますけれども、教学のシステムが海外においてまだ確立されていないという現状があります。だからある意味では本当に一対一、マンツーマンで、手づくりのそういういわば口伝えで教えがどんどん伝わっていくというふうな一方にそういうよさがあるわけです。けれども、みんなでそれを確認しあうことであったり、あるいは学びあうことであったりということがなかなかできない、できていないということがこれは大きな問題点であろうと思います。そして教育システムも海外においてはまだ確立されていないということが、これは大きな一つの課題としてあります。
 そしてこれはぜひ、これも課題なのですけれども、実は国内に、日本に今四百万からの外国人の方がいらっしゃるということです。韓国であったり、アメリカであったり、最近はイランの方であったり、中東の方からもいっぱい来ている。四百万いるというのです。この四百万の外国人の方々に対して、手が全く打たれていないというのがうちの現状です。私は今年からお役をいただいたのですけれども、今のところで何年お役をもらえるかわかりませんが、自分の願いとしては、この国内在住の外国人に対してやはり何か一つ、手を打たせてもらいたい、そんな願いをもっております。ずっと日本で骨を埋める方もいらっしゃるかもしれないけれども、いずれ帰るのですから、日本にいるときに、例えば立正佼成会の何たるかをわかっていただいて、いや、仏教とは本当はわかりやすい教えなのだ、仏教とは本当は生活仏教でもあるのだと、仏教というのは本当に他の宗教とも仲良くできる教えなのだということをわかっていただいて帰ってもらいたいと思っております。ですから、いわば課題解決に向けての願いとして、在日の外国人の方々が四百万からいるということですので、そういう方々に対して何かできること、そんな場の設定といいますか、そんなことを願いとしては思っております。
おわりに
 そして、最後になりますが、今日は言いたいことを言わせていただいて感謝をしております。そして私自身も母の入会したおかげさまで自分自身が立正佼成会というご縁をいただいて、今日に至っております。その母が入会した立正佼成会を庭野開祖が昭和十三年に設立できたということも、高いところからでございますけれども、やはり皆様のような方々が日蓮聖人が十三世紀にお題目を唱えられて、そしてそのお題目を唱えられた日蓮宗というこの教えを、法華経をずっといわば専門のお立場でしっかり守ってきてくださったおかげさまで、私ども新宗教が今日あるのだなということをしみじみ思っている一人でございます。そんな意味では本当に今日こういう場を与えていただいたことを感謝申し上げますとともに、これからも新宗教は新宗教の立場で精いっぱい日蓮聖人のそういうお心が本当に多くの方々に伝わっていくような努力をしていきたいと思っております。
 個人的な関心事としましては、うちも法華経ですけれども、仏教伝来が六世紀です。韓国から朝鮮半島を通して日本に仏教が伝来したのは六世紀と言われております。そして六世紀の六と法華経の授記品六をあてはめると、授記されたときが六世紀である。たまたま授記品第六の六が六世紀の六にも数字としては合致する。そして日蓮聖人は十三世紀に広宣流布なさった。これは法華経にあてはめると勧持品である。十三世紀に勧持品の世界を聖人はなさったのだなと、そんなふうに思っております。そして来るべき二十一世紀は二十一番と、二十一番は「通一仏土」「未来教一」「未来理一」と、いろんなことが説かれていますけれども、いわば世界が一つになっていく。卑近な例で申しわけありませんけれども、うちももう数年前からウォッシュレットになりました。座ってやるやつです。やはり大変健康にいい、また体にもいい。そういういいものは自然に、いいものはいいなという世界で広がっていくようにも思うのですけれども、だんだん世界が一つになっていく。本物がどんどん本物として光をあらわしてくる。そういう時代が二十一世紀のように思います。そんなことが法華経の各品に、それぞれ時代の世紀を数字と当てはめてみると、何か自分では思えるのですけれども、あと数年で二十一世紀を迎えるときに、私も法華経の行者のはしくれとしまして、皆様方、今回ご縁をいただいたそういう先生方と、負けないように精いっぱい努力をさせていただきたい。そしてまた実は私ももともと職人のせがれでして、親父が左官家だったわけですけれども、たまたま高校一年のときに親父が死んだものですから、家業を四年間手伝わせてもらって佼成会の道に入った、冒頭申し上げたような因縁の人間です。四年間弟子という生活をした中で、これもしみじみ思うことですけれども、お師匠さまのまねをするのが弟子である、その弟子の立場で、私の現在のお師匠さまは、庭野日敬開祖でございます。その庭野日敬開祖のまねごとをこれからも一つひとつ自分なりに精いっぱいさせていただこうと、最後に自分のそんな請願を皆様の前で披瀝をさせていただいて今日のお役に代えさせていただきます。
 どうも長時間ありがとうございました。
 ※本稿は平成七年三月二十九日、愛知県名古屋市弥生会館にて開催された第二十四回教化学研究集会にて講演されたものを筆録したものです。
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