日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
| 所報第29号:252頁〜 |
第27回中央教化研究会議 |
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部会報告 (要旨)
第一現代教学部会
座 長 三原正資
問題提起 難波宏正
記 録 西片元證・片野博義
運 営 西口玄修・松脇行眞
参 加 者 三十四名
第一現代教学部会は、 今まで 「死」 と 「本尊」 に関することが討議されてきた。 今回はその流れから祈りの姿の一つである 「先祖供養」 について、 三十四名の参加者とともに話し合いがなされた。
内容は、 教学部会というよりも教化部会的要素が強くなってしまったため、 教学的に探究しえず錯綜した会議になってしまった。
発題において、 神頼み信仰と先祖供養で満足している信仰の姿に対して、 仏が要求する信仰を考えるべきである。 また法華経的生き方によってこそ先祖供養になるということを示し、 仏教を求めない檀徒と、 教化しない僧侶に問題がある、 と問題提起がなされた。
発言の要旨の一部を列挙する。
○先祖供養もたたりを通して勧めるゆえに、 全教師に勧めることはできない。
○先祖供養の大切さから教化に入ってゆく。 御本尊の授与を厳しく指導する。 先祖供養の大事さを解く。 寺との結びつきの上で教化があるので、 寺庭婦人の活動がポイント。
○韓国では、 創価学会離脱者は先祖崇拝ではなく、 本尊を中心に、 との信仰。
○ご本尊としてのきびしい認識が我々にはないのではないか。
○心の本体は光であるといわれるが、 この光が聖人の大曼荼羅本尊と関係があるのではないか。
○導くのは教師で、 修行は檀信徒自身がしなければならぬと教化、 子自身の信仰によって親の成仏があると。 本人の信仰を喚起させる。 おたのみ信仰からの脱出をさとす。
○回向は功徳をめぐらすこと。 積んだ功徳は仏へ回向し、 残りを六道にめぐらすもの。 直接的回向はだめではないのか。
○直接死者への回向は仏教の本来ではない。 間接的でなくてはならぬ。
○施餓鬼は、 供養した志がめぐりめぐって先祖に来ると説明している。
○供養の中で回向といっているが、 本尊の意味を理解した上でないのか。
○死者への憶いによる先祖供養が中心、 本尊崇拝へ導きたい。
○日蓮宗は、 本尊は決まっていないようにみえる。 徹することが要。
○先祖供養と本尊の係わりを考えよ。
○先祖もご本尊の曼荼羅の世界に帰ってゆく。
○親の孝養をつとめる上での先祖供養ならいいが、 単なる慣習、 たたり意識からなら問題がある。
○曼荼羅に真理がこめられている故に、 悟りの世界へ一緒にまいろうと教化すべき。
○先祖供養の形は儒教からきていることから、 先祖供養を奨励することは謗法になる。
○先祖供養は死後の不安からきているのではないか。
○即身成仏なら供養はいらない。 成仏は簡単にできるものではないから、 始覚門の立場での回向が必要。
○生者死者一体で成仏にむかって修行することが大事。
○法華経によって先祖との同時成仏をみるべき。 本仏によって生かされ、 報恩行にすすむべき。
○先祖供養を一生懸命すすめることは祖願に反する。
(片野博義)
第二現代教化部会
座 長 進藤義遠
問題提起 内山智修
碑文谷創 (表現社編集長)
記 録 宮川是忠・松井教一
運 営 小澤恵修
一、 内山智修師 (北海道 実勝寺) の問題提起
葬儀は、 別離の悲しみを通して本来の命のあり方に目覚める学びの 「場」 であり、 教師にとっては、 豊かな 「生死観」 と安心 (あんじん) を提示していくべき重要な教化の 「場」 であるはずである。
こうした葬儀本来の宗教的な意識が薄れていく時代の中で、 日蓮宗教師として、 いかにして納得できる葬儀を作り上げていけるかが真剣に考えられなければならない。
ひたすら 「あきらめ、 けじめ儀式」 を行おうとする遺族に同化・同情して、 本来の教化活動を忘失し儀式執行人になっている僧侶の在り方にも自覚と反省の必要がある。
葬儀を本来の教化の場として回復する 「死の教化学」 の確立が待たれるところである。
二、 碑文谷 創先生の問題提起要旨
「今、 葬儀社はここまで考えている」
○葬儀社が生まれた背景には、 都市化に伴う地域共同体の解体があり、 「何もわからない」 喪家に 「安心」 を与える産業として葬儀業の必要がそこにあった。
○葬儀の機能を 「引導教訣」 という狭い視点ではなく、 もっと大きい視点でとらえる必要がある。 なぜなら、 喪家はそれら全般に関わっているのだから。
@死の看取り (臨終) 現在忘れられがち
A通夜 死者への奉仕を通しての死の納得のプロセス
B死者の霊的処理 葬儀式・あの世に送るための儀式
C死の社会的確認儀礼 告別式
D死体の処理 火葬・埋葬
(1)遺族の悲しみを癒すプロセス 中陰 (四十九日等)
○寺檀関係が希薄になりつつある時代のむずかしさの中で、 いかにしてその人を知った上で一人の人間の死を、 責任もって送り出してやれるか。
○遺族の悲しみのかたわらにいる僧侶であってほしい。
○遺族の心を和らげる遺族心理を中心としたホスピタリティーサービスがこれからは求められている。
三、 参加教師による意見交換と討議
○葬儀を生計の道具にしてはいけない。
○口語体引導文を用いるなど、 わかりやすい葬儀への工夫が必要。
○教師の価値観と一般者との価値観の開き (布施の額の問題など)。
○喪家の身になって心配事を親身になって消化してあげる僧侶が求められているのでは (自ら葬儀社を営む経験から)。
○社会的要請に迎合することなく、 僧侶としてのポジションを守り、 これが日蓮宗だという葬儀を創造していくべき。
四、 まとめと今後への課題
現代の葬儀を取り巻く問題点は、 (2)葬儀の形骸化、 (3)寺檀関係の希薄化、 (4)僧侶の自覚と責任感、 (5)葬儀に依存する寺院の経済基盤の問題、 (1)社会的・時代的背景、 など多面的な要素があり、 一度にこれを解決することは不可能である。
碑文谷先生によって提起された問題点は、 住職サイドでは気づかない幾つかの点を含み、 今後の教化の在り方を考えていく上では、 大いに参考になるものであった。
特に、 教化という観点に立つ時、 教師は祖師の教えを伝えることを目的とするわけであるが、 それはこちら側の要請であり、 ややもすれば葬儀の現場における大衆の求めるものがどこにあるかということは、 見失いがちになる。
その点、 大衆のニーズをベースとして、 その上に営業を成立させていく葬儀社の思考様式・行動形態は、 逆の方向のものであり、 顧客に安心を与えることを目的とする在り方は、 「教化=衆生の抜苦与楽」 という観点に立つものならば、 教化の在り方の原点を示唆されているようにも思える。
「抜苦与楽」 を可能にするためには、 衆生 (大衆) の心情の理解は不可欠のものである。
自分が喪主であったら何を思い、 何を望むかという視点をもって、 まず大衆の心情を理解することが、 教化の出発点であろう。 その上に立って、 ニーズに対応・昇華する中に 「葬儀における教化の在り方」 が見えてくるものと思われる。
教師討論の中で興味深かったことは、 自ら葬儀社を営む経験から、 僧侶は喪家の身になって心配事を消化してあげるべきだという意見と、 大衆に迎合すべきではなく僧侶としてのポジションを堅持して葬儀をクリエイトする方向に努力すべきだという、 両極の意見が出されたことである。
教化という観点から考えれば、 後者は前者の陥りやすい過ち、 すなわち教化という基本線からの逸脱を危惧するものとして、 重要な指摘であると思うが、 前者の意見もまた後者の陥りやすい危険性、 すなわち僧侶という独善性のゆえの遊離性を危惧するものでもあろう。
両者が補いあって機能する在り方が、 教化のあるべき姿であることを考えさせられ、 有意義な討論であった。
そういう意味で、 内山師の提起する 「死の教化学」 は非常に意義のあることであり、 今後更に広い視点に立って 「死の教化学」 の確立が求められなければならないだろう。
今回の研究をもとにして考えられる、 教化のために必要な作業と課題は次のような点ではなかろうか。 ここに一つの案として提起してみると、
@教化を成立させるための心情
A遺族の心情の理解 御遺文に見る共悲・共苦の学び
B悲しみの覚醒と引き出し
(2)教師への共感と信頼の回復
@葬儀に求められるものの学習 (引導の役割と機能)
A故人の存在の価値づけ
B死の意味づけと方向づけ
C悲しみの昇華と方向づけ
(3)命への目覚めの援助と方向づけ
(4)会葬者・葬儀前後の教化の在り方
@死の準備教育としての仏教の確認
A終末医療と死の受容、 命への目覚めの教化
クウォリティー・オブ・ライフ
(5)グリーフ・ワークとしての教化
(6)日蓮聖人御遺文に見る死の教化の整理
(1)教化の実例の集積 (教化プランと法話)
次回以降、 この面の教化研究が更に深められることを期待してまとめとする。 (松井教一)
第三現代教育部会
座 長 田島辨正
問題提起 龍沢泰孝
記 録 岩本泰寛・宮淵泰存・早坂鳳城
運 営 原 顕彰・間宮啓允・中山観能
斎藤哲秀・影山教俊
参 加 者 二十八名
はじめに座長より前年の要望書が、 宗務当局において具体的に検討が行われているが、 今は報告出来る状況ではない。 しかし、 報告出来る状況になり次第順次報告するとの説明があり、 今回より二十一世紀に向けての法器養成について、 原点に戻り現状の検証を踏まえて、 「求められる教師像」 を皆様と討議したいと当部会主旨を明らかにした。
続いて、 龍沢師より問題提起が行われた。
新聞記事を基に例として、
一、 散骨について
二、 寺に対する寄付について
説明がなされ、 散骨の問題、 夫婦別姓の問題等から鑑みても、 二十一世紀に入ると家の宗教から個人の宗教に立ち返るであろう。 つまり、 檀家制度が崩壊の一途を辿るのは当然の帰結である。 今ここで日蓮宗僧侶としての原点に立ち返るための、 新たなる出発を期さなければならない時に立ち至った。 真の日蓮が一門となり得るか否かの重大な岐路に立たされているのである、 との提起が行われた。
この提起は、 非常に重要で本質的な問題である。
過去、 この教育部会は第十二回中央教研より討議、 研究がなされているのであるが、 未だに統一的方針、 根本的法器養成指針、 要網が出されないことからもわかるが、 討議が多岐に渡り、 問題点を絞りこむことが困難な局面にしばしば陥り、 討議が空転してきた。
その中で、 左記事項については方向性を持つ討議が出来た。
一、 僧侶像
二、 宗門の基本的理念 (在家教団か出家教団か)
三、 行と学
四、 世襲制
一、 僧侶像について
現状の例として、 本年夏の信行道場生八十二名におけるアンケート調査で、
仏様を信じているか? はい 五〇%
いいえ 一四・一%
わからない 二六・八%
霊魂はありますか? ある 五〇%
ない 二〇・六%
わからない 二五%
これが道場生の現状であり、 又、 キリスト教を信じている者が三名いた、 との紹介があった。
この例をみるまでもなく、 参加者は、 全員現状についての認識が一つの方向に向かっており、 有るべき姿について
(一) 魅力ある僧侶を作る教育
(二) 宗教的自覚ある自己変革 (人格の向上) の実践
(三) その道の専門家
などの事項について討議を行った。
二、 宗門の基本理念 (在家教団か出家教団か)
在家か出家か参加者の意見が分れる問題であるが、 在家、 出家と分けずに菩薩道主義、 菩薩教団と考えるとの意見が出て、 菩薩教団と表現することに反対意見は皆無であった。
三、 行と学について
行は学に比べ比較検討が出来にくいこともあり、 大変研究が遅れている。 しかし、 宗教には自分自身の改善 (自己変革)、 人格の向上がなければならない。 社会心理学、 認知科学等、 科学を用いて客観的具体的に 「行」 を見つめ直すことが今、 一番必要なことではないか。 自分自身が納得、 会得したものでなければ本来の教化は出来ない、 との意見が出され全員の賛同を得た。
四、 世襲制について
世襲制による弊害が以前より問題になっているが、 寺庭内の家庭争議が深刻な問題となっている。 教団で若い寺庭婦人 (未来の僧侶の母親) の人たちに菩薩道を教える研修が大変必要である。 この問題は現在暗澹とした中にある。 (岩本泰寛)
第四現代社会問題部会
座 長 貫名英舜
問題提起 石川教張・柴田寛彦
運 営 中村雅輝
記 録 奥田正叡・平井良昌
一、 『日蓮宗僧侶はいかにして平和の意味を伝えるか』
石川教張師より 「日蓮宗僧侶から見た平和の意味」 をキーワードに 「『立正安国』 の精神を言葉だけでなく、 再度読み直し、 とらえ直す必要があり、 それに基づいた実践をする必要がある」 との問題提起がなされた。
具体的に戦争体験の語り継ぎや反省・懺悔のために、 戦争遂行の国策に順応協力した宗門の歴史・国から宗門への弾圧の歴史を学ぶべきである。 さらに、 宗門として、 被爆者援護法の制定、 原爆ドームの保存を求め、 日常の教化の中で生命・平和環境の尊さを訴えて反省と不戦平和を表明する 「戦争と平和に関するフロア」 の開設が提案された。
続いて討議に入ったが、 問題が大きいので四つのパートに分けて討議した。
(2) 「宗門人として、 宗門の戦争責任ということをどう考えるか」
○戦争協力の史実を知っている人は少ない。 節目だからこそ、 総括し、 反省懺悔し、 次のステップへ踏み出すべきである。
○反省・懺悔がまだ不十分である。 意思統一をしないと宗門全体の動きとはならない。
○戦争体験者から数多く聞くことが大切。
まとめとして 「戦争協力における責任を認識し、 歴史的事実を知り、 伝えていかなければならない。 その点で反省し懺悔すべきである。 但し現状では、 それらを明確に容認しないのも事実である。 一方、 戦争責任の認識も高まっているが、 今後、 当部会のような議論の蓄積がさらに必要である」 と示された。
(3) 「戦後五十年を迎えるにあたって」
○広島・長崎での宗門法要に携わった若い世代より 「宗門の戦争協力を含め、 歴史的事実について認識を深めるべきであり、 さらにそれを何等かの形で語り伝えていかなければならない」 という意見があった。
○ 「宗門として反省懺悔ができていないから、 宗務院通達の 『回向文』 の内容に不備がある」 との指摘があった。
○ 「大聖人の視点は常に多方向であった。 もっと戦争に関してだけではなく物事を多方面に理解する必要があるのではないか」 との意見もあった。
このように様々な意見があったものの、 結論的なものは見られなかった。
(4) 「我々は、 世界の平和にどう貢献するのか」
これからの世界、 とりわけアジア諸国への貢献について、 実際に活動をしている BAC (仏教救援センター) より報告を受け、 次のことが指摘された。
○国際協力は、 自立的発展に寄与する 「黒子」 として活動することが大切であり、 その活動を通して学ばせてもらうことである。
○日本人には近代史認識の欠如がある。 国際貢献をする大前提として、 もっと歴史を学ばなければならない。 欠如のため、 何が責任なのか、 何を謝罪するのかがわからないから、 どう行動していいのかわからないのである。
@ 「総論」
○永野発言のようなものがあると、 即座に罷免という決着が計られる。 そこにいくまでの議論がないのが今の日本の実状である。 同じように、 戦没者を祀る場所にしても千鳥ケ淵と靖国神社の二カ所があるが、 二カ所あること自体に我々は問題意識を持つべきである。 明日の千鳥ケ淵参拝をどのように位置付けるかを参加者一人ひとりが考えるべきである。
○立正平和運動を進める上でしっかりとした組織作りが必要である。
○宗門の戦争責任についての声明文を出すように、 宗務当局に要望する文を当部会として出すべきである。
以上のような経過を経て第一テーマは終了した。 明確な結論は出なかったものの 「歴史的事実をもっとよく知り、 多方面から思考した議論の蓄積を経た上で反省懺悔すべきである」 というのが大筋であった。
最後に宗務当局への要望書を採択した。
要望書
私達は、 日蓮宗が宗門として、 先の戦争において果たした役割についての歴史的事実を直視し、 その道義的責任の自覚と反省とともに、 世界の平和の実現のために努力する決意を内外に表明することを要望する。
平成六年九月七日
第二十七回中央教化研究会議
第四現代社会問題部会 参加者一同
(平井良昌)
二、 『癌の告知と日蓮宗僧侶の役割』
現代社会問題部会の後半は、 当部会の継続テーマである宗教と医療のかかわり方について、 特に 「ガン告知」 についての討議がなされた。
まず始めに、 日蓮宗医療問題研究会を代表して柴田寛彦師より 「ガン告知と日蓮宗僧侶の役割」 について問題提起があり、 続いて吉田永正師からホスピス学習会の活動報告、 蟹江一肇師よりガン告知の事例報告があった。
日本医師会では、 インフォームド・コンセントや患者の人権問題など患者や家族の利益の観点から一定条件のもとで 「ガン告知」 と積極的に取り組む姿勢を示しているが、 告知後の精神的苦痛に対するケアはいまだほとんど緒についたばかりである。
ガン告知以後の精神的支援に直接携わっている本宗教師の事例の提示を受けながら、 告知以後の支援態勢に関して日蓮宗僧侶としてどのように関与していくべきか、 活発な討議がなされた。
討議の要点
Aガン告知する場合、 臨床医学やガンに対する正しい知識を持つことが大切。
Bガン告知する場合、 相手との信頼関係が最も重要。 そのためには日常の教化活動が前提となるが、 相手の生き方や趣味を理解しておくことも大切。
CPIPプログラムなどで自分自身がガンの模擬体験をすると、 ガン告知する場合大いに役立つ。
他宗教、 特に天理教、 PL教、 創価学会などには、 「お見舞部隊」 という信徒組織があり活発に活動している。 その研究は大変熱心である。 私達も日蓮宗僧侶として医療にどう取り組むべきか研究する必要がある。
討議は以上の4点にまとめられるが、 最後に日蓮宗医療問題研究会から、 日蓮宗としてビハーラ活動を進めていくべきとの提案があり採択された。
「日蓮宗ビハーラ講座」 (仮称) 開設提言
日蓮宗医療問題研究会
現代社会にあって、 ガン告知の可否や告知後の支援の問題、 高齢化社会における高齢者福祉の問題、 痴呆老人や寝たきり老人の介護の問題等、 医療と宗教の接点としての多くの問題を含む事柄について日蓮宗教師としての積極的発言と実践的な関わりが求められている。 この現状に鑑み、 高齢者への教化活動、 ガン告知患者への支援活動、 ボランティア活動、 お見舞い活動、 ビハーラ活動等に参加を志す教師に対して、 宗門としてこれらの活動を行なうに際して必要な基本的な知識、 情報、 具体的な方法等を伝える講座の開設を提言します。
(奥田正叡)
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