日蓮宗 現代宗教研究所
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 巻頭言

     誓願の研究
石川教張
 人は皆、 生きがいを求めている。 こうありたいという願いや希望を持ちながら、 きびしい現実とのはざまに立ちつくし、 揺れ動きながら、 日々に格闘しながら生きている。
 自分の個性を発揮したい、 自分しか出来ない手応えある仕事に打ちこみたい、 社会と人間のために尽くしたい、 見かけで人や物事を判断せず、 信頼と慈愛をもって生きる人格の形成をめざしたい……そうした生きがいの探求は、 冷えて醒め切った現実の前では青臭い現実離れの書生論に過ぎないのであろうか。
 こんにち、 「心の時代」 が叫ばれている。 人間や自然のモノ化が進み、 人間精神の喪失が深まっているからである。
 多くの人は、 正邪・是非・善悪よりも利害打算や自分にとって、 損か得か、 有利か不利か、 好都合か不都合かを判断基準にしている。 個人の自立の名のもとでの独善的利己主義が絶対視され、 自己の正当化や合理づけが欲得がらみで行われている傾向を指摘する向きが少なくない。
 ひとりよがり、 思いあがり、 憎しみ、 怨み、 つらみ、 羨望、 へつらい、 厚顔無恥、 無責任、 不正、 背信。 さまざまな言葉よりも、 さらに欲得づくの妄想と不信は激しい。 それが、 現実の泥を浴び、 その泥を染みこませながら、 現実という地獄を歩く人間の隠された実相に相違ない。
 こうした心の妄想のうごめきの中で、 人は生きる意味を見つけようと、 もがき、 生きる支えを探しあぐねているのではなかろうか。 しかも、 現実に押し流されず、 確固とした生きる意味と希望や願いや理想の実現を夢想し構想し求めないではいられないのではあるまいか。
 法華経は、 「泥中の蓮」 を誓願と希望の根本に据えている。 現実に揉まれ、 現実の無数の泥中に身を置きながら、 泥に染みこまれずになお生きる意味、 生きがいを探求し、 誓願と理想の清浄さを究めようとするならば、 それは法華経の心に信順するものであり、 それが現代の 「出家」 というべきであろう。
 現在の仏教が、 こうした人間の生き方に関わる課題に充分応えているとは言いがたい。 それは、 仏教自体が生きる支えを示していないのではなく、 仏教者、 仏教界が迷妄の泥に沈み、 指針や支えを提示しえず、 かえって欲得打算の人間喪失の中にあるためであろう。
 末法には人は悪に賢く善にはうとい、 という危機的現実への反省と覚醒は、 仏意に叶おうとする深い 「信」 と誓願実現への志念によらねばならないだろう。
 法華経とは、 「誓願経」 である。 あらゆる存在を釈尊と等しい慈悲救済の世界に導き入れようとする仏の本願 (「釈尊出世の本懐」) と、 その本願を苦難の中で 「泥中の蓮」 の志想をもって継承し実践する地涌の菩薩の誓願が、 法華経には語られている。
 日蓮聖人の外なる行動と内なる精神を支えたものは、 この仏・菩薩の誓願を継承し、 それを日本及び世界に具現しようとする誓願であった。 法華経の題目の受持唱導、 「日蓮」 の名のり、 立正安国の実践、 三大誓願とそれを破らないと宣言した誓願などは、 この誓願の継承と実現への道において示されたものであった。 立教開宗の弘教もまた、 願を立て誓いに生きた日蓮聖人の誓願の実践にほかならない。
 いったい、 私やあなたは、 この誓願の心をいかに受けとめ、 どのように継承していくべきなのか、 誓願を実現する道とは何であるのか。 この視座に立って、 人生の支えや指針となり、 日常のくらしの中に息づく 「誓願の信心」 をいかに習学研鑽し、 一文一句なりとも語ってゆくべきなのか。
 誓願とは何か。 誓願の継承とはどんなことか。 誓願をいかに立てるか。 誓願実現への挑戦はどうあるべきか。 誓願の実現とはいかなることか。 誓願の人生・生き方とは何か……そうした 「誓願の研究」 こそ、 究極的な研究目標と言わねばならない。
 研究は、 あれこれの材料を集めて評論するだけに終わるものではない。 事実や史料が語る中に自己を投入し、 人生観、 世界観を謙虚に総合的に再把握しながら、 社会に生きる意味と価値を再発見してゆくものであろう。
  「求道すでに道である」 と語った宮澤賢治は、 こう書いている。
  「もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい。 われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった。 近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい。 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。 自我の意識は個人の中から集団社会宇宙と次第に進化する。 この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか……」 (『農民芸術概論綱要』)
 これは、 宮澤賢治の誓願であった。 釈尊と法華経の語る本願のメッセージを継承して誓願の実現をめざすという誓願であった。
 こうした誓願の心を根本に置きながら、 現代を凝視し、 生きる意味や精神と行動のありようを究めてゆくような研究でありたい、 と思うのである。

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