日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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所報第28号:288頁〜 第26回中央教化研究会議:部会報告 ←前次→


  部会報告 (要旨)

   第一現代教学部会
    座  長 三原正資
    問題提起 松脇行眞
    記  録 西片元證
    運  営 早坂鳳城・松脇行眞
    参 加 者 三十四名
 本部会では昨年より継続した問題として、御本尊の大曼荼羅について討議した。昨年のテーマ「大曼荼羅とは何か?、何故、仏壇の中に祀るのか?」を承け、本年は「私たちの生活に現れる御本尊(大曼荼羅)の働き〜こうすれば仏性はあらわれる〜」の観点より話し合った。
 まず、松脇行眞師の問題提起は『正法』五二号に掲載された、現宗研主任赤堀師の「御本尊の“尊さ”を知ろう」を資料として説明し、本尊に対する基本的な考えを示された。次いで、松脇師自身の立正佼成会青梅練成の体験談があった。その中で、法座と佼成会内部で使用される平易な佼成会用語でも、救いを実感できる人が居ることを思う時、佼成会の教えで御本尊の働きとして仏性があらわれるのかとの感想を持つに至ったとされた。翻って、本家本元の本宗においては御本尊・大曼荼羅の働きを如何に理解し、信仰生活の実践の中で如何に生かすかを、ご討議頂きたいと結ばれた。
 実際の討議に移ってからは、話の糸口として、本尊授与の問題について意見を出し合い、次のような問題点が指摘された。
 まず、本宗では本尊が本尊としての扱いを承けていないのではないか?。創価学会との小樽問答において非難された点が、全く改まっていない点が未だにある。例えば、身延の土産物屋で御本尊を売っている点。本山でお金を取って御曼荼羅を拝観させている点等である。
 また、仏壇を購入すると御曼荼羅がオマケとして付いてくる。我々はそのオマケを開眼するだけである。これも大変な問題であり、創価学会の本尊授与の姿勢を多少なりとも考え、学ぶべきところは学ばねばならないのではないか。
 また、祖師像を御本尊と思いこんでいる檀信徒がいる。仏壇の中で主役が位牌、御本尊が脇役と思いこんでいる檀信徒がいるのも問題である。
 然しながら、これらの問題は住職自身の御本尊に対する姿勢が影響しているのではないだろうか。なぜなら、檀信徒は住職の後を付いてくるものだから。そして「ありがたさを身をもって知らせる」「御本尊のことを良く説明する」「場合によっては造像する」などの方策が出された。
 また、仏具屋に御本尊は菩提寺から授与するものと釘をさす必要もあるし、檀信徒にもオマケではなく、住職が必ず授与する旨を徹底させねばならない、などの発言があった。
 次に、本題の御本尊の働きについての討議に移った。御本尊の働き、教えるもの、ありがたさについて、次のような意見が出された。
一、御本尊の働きに仏性の顕現があるのならば、実生活に信仰が反映されなければならない。例え、一所懸命に信仰しても、実生活で人間的に非難される人では何もならない。そこまで言及した信仰指導が必要であろう。更に、人間は清く、正しく、美しくだけでは十分とは言えず、許したり、理解したりと言う豊かさや包容力も必要であろう。
二、住職が寺や御本尊を愛することが大切なのではないか。愛するとは、御本尊の心を体することであり、経済的な意味において、檀信徒になびいたり、媚びたりしてはいけない。その姿勢が結果として、御本尊が寺を守ってくれることになる。
三、御曼荼羅は虚空会を図顕したもので、至心に唱題すれば、自分の心の中にそれが顕現してくる。更に唱えれば、私共が曼荼羅の世界に包摂されて私達自身が曼荼羅となる。最初は仏に対しての唱題でも、最後は自分自身へのお題目となる。
四、企業の研修会などでは、御本尊を目標・理念と説明する。目標や理念は高い程よい。人を動かすには高い目標や理念が必要である。その最も高いものは、思想・哲学ではなく、宗教である。宗教の中でも本宗の曼荼羅こそが感覚的ではなく、普遍的・論理的に説明可能なのだと講演している。
五、周知のように、曼荼羅には向い合いの構図がある。これは礼拝し合う姿を現したもので、常不軽菩薩品の拝み合うことの大切さを示しているのではないかと思う。
六、御本尊と一念三千は切り離して考えられない問題である。私は己心に一念三千を持っていることがありがたいと思う。仏性を尊重するとは、宗祖が己心の一念三千に気づく様に示されたことではないかと思う。自分が自分で気づき、悟っていくところに意義がある。 (西片元證)

   第二現代教化部会
    座  長 岩永泰賢
    問題提起 植田観樹・内山智修・小川英爾
    記  録 伊藤立教・小澤恵修
    運  営 田口学正・渋澤光紀
    参 加 者 五十三名
 前年までの寺檀・世代別教化・教化伝道ネットワークの三部会を統合した本部会は、「死」に関わる教化の現状と展望を考えた。
 植田師の問題提起では、新聞投書の友人葬賛美が紹介されたほか、保健婦講習会の講演で「ねたきり老人や末期患者、そして臨終の場に僧侶が出てきてほしい」と言われた体験が披露された。
 内山師は伊丹十三監督の映画『お葬式』『大病人』を例にあげ、「葬儀」より「告別追悼のつどい」の意味が考えられるべきこと、「死の教化学」として臨終正念をきちんと教えるべきことを提起した。
 墓をめぐっての小川師の提起は、墓への執著(家制度・檀家制度がゆらいでいるなかでの墓の位置づけ)と、墓まいりへの固執(秋田県で無住となった寺の檀家百軒が隣村の日蓮宗寺院へ移らずに同村の曹洞宗寺院へ移ったのは、墓が近いからという理由だという事例)を紹介し、お寺にお墓はないほうがいいと提案した。
 質疑にはいり、お墓に依存していることへの反省のあと、北海道の寺でやっている一カ寺一墓や、盛岡の「倶会一処の墓の会」、小川師自坊の「安穏廟」が話題となった。
 墓の象徴として寺があるから統廃合に反対するという現状、葬儀とお墓のために檀家になるのがほとんどで、日蓮宗の葬儀がいいから檀家になったという人はいないのではないかという実感が語られた。
 葬儀屋主導で高くつく葬儀を僧侶主導型にすべし、という意見に対しては、僧侶が主導するとそればかりにか・ま・け・て・しまうから、セレモニーの部分は葬儀屋にまかせてもよいと思う、葬儀屋百五十万円、僧侶二十万円程度の働きしかしていない、見栄のための葬儀でなければご宝前で出来る、派手にやりたければおやりなさいという態度でやっているという意見が出た。大衆のニーズがある以上、都市の葬儀は葬儀屋が主導しなければやっていけなくなる、という意見も出て、「伝道宗門としての危機感」を皆で確認して話を進めたい、と座長が方向づけた。
 座長が部会出席者に挙手でアンケートをとったところ、
  臨終に立ち会う       二名
  入院見舞いに行く     二〇名
  祭壇にご本尊を奉安する  二〇名
  中陰回向をする      二五名
  引導文を手書きしていない 二〇名
  通夜説教をしている    一五名
  戒名料をもらっていない  三〇名
  合祀する共同墓がある   一〇名
  墓石正面をお題目にする  一五名
  生前葬をとりおこなう   一五名
という結果であった。また、お墓は必要ない−六名、必要−一〇名、葬儀はしたくない−なし、したい−二〇名、という回答もあった。
 お骨を土にかえすという考え方をすべき、というのは関西の教師からの意見。戒名をつけなければいけないのでしょうか、といわれたらどう説明するのかという問いかけ。自覚としての授戒式を行なっている、との紹介。
 民衆のうしろを歩いているとニーズばかり考えて時代におくれる、という元念仏信者の布教研修所生は、在家の人をまじえて話しあったほうがいいのでは、とも発言。
 脳死については臓器移植とからんで相反する意見が日蓮宗社教会にある、ということについては、脳死と植物人間状態を混同していないか、弟が脳出血で一週間脳死状態でいるのを見ているのはつらかった。臨終に立ち会ったことがあるか、脳死と臨終はちがう、ということで、臨終の心がまえを教えておくべき、というひとつの結論が出た。
 しめくくりの提起に立った植田師は、生死観について僧侶としての考え方、現代人のニーズにさまざまな観点があるのに統一して見ていなかったという点に足を踏み入れたということ、脳死問題も含めた社会へどう対応していくのかが必要、そこから葬儀・臨終・死者供養・遺骨の問題まで振り返って考えられるので、明年もう一度この問題を煮つめてほしいと思う、とまとめた。
 座長が、部会再編成によって参加者が多すぎて意見交換がむずかしかったという運営上の問題を前向きに乗り越えたうえで、今後も継続した議論が必要であり、ロータスネット等を活用してほしいことを確認して、終了した。 (伊藤立教)

   第三現代教育部会
    座  長 龍沢泰孝
    問題提起 間宮啓允・影山教俊
    記  録 中山観能・岩本泰寛
    運  営 原 顕彰・田島辨正
    参 加 者 二十五名
 はじめに、部会責任者田島辨正師より問題提起についての概要の説明があり、間宮啓允師が「行学林設立を中核とした教師養成システムの確立に向けての提言」についての趣旨説明を行った。
 現在の宗門教師養成の有り方について、北陸教研法器養成部会において、過去三回種々の討議を重ねた結果として、
○教団の人材育成の三大要件
 (一) 信仰の継承者−大聖人の末弟たる弘教者として
 (二) 教団の構成員−日蓮宗教団を支える教師として
 (三) 道場の後継者−寺院教会結社の指導者として
以上の要件を満たす者として日蓮宗教師は養成されなければならないとし、
○教師育成の現状と問題点
 @教師になる以前の人材育成について
  寺院の世襲の一般化に伴う私有化によって師弟関係における教育的側面が欠落し、教団としての理念に基づく主体的人材育成がまったくなされていない。
 A教師になる時点の人材育成について
  人材育成の要である信行道場において、時代状況に対応した教団統一のカリキュラムが策定されず、期間も三五日間に固定されている。
 B教師になって以後の人材育成について
  信行道場修了以後、各種の研修機関が本来の設置目標から、信行道場を補足する役割となっている。
以上現状を鑑みて、その原因は、
一、教団が教師育成の一貫したプログラムが確立されていない。
二、教師養成指導者の養成機関が欠如しており指導者が確立されない。
三、教団が主体的に教師を養成できる拠点がない。
この三要素を満たす試みとして、行学林を中核とした教師育成システムの提言が北陸教研法器養成部会よりなされた。
 @教師育成の中核たる行学林設立の基本構想
 A行学林における基本カリキュラム
 B日蓮宗行学林を中核とする教師総合研修施設の概要
 C教師生涯教育プログラム策定の理念
以上四つの案である。
 引き続き「現代沙弥校カリキュラム試案」の趣旨説明が影山教俊師よりなされた。
 今回は昨年の発題「現代法器養成考」を踏まえて、沙弥校カリキュラムの実際の考察となった。
 現代法器養成考では、
 @一般的な学校教育は知識技能的なものの獲得を目的としており、法器養成は慈悲心などの啓発という人格の向上、資質の変化を目的とするが、今明確にその違いが理解されていない。
 A従来の法器養成(宗教教育)の方法は修行(唱題行等)を前提に行われている。
 Bこの修行によって心理学的には「変性意識状態」が誘導されることを示した。
 Cこのような宗教教育(法器養成)の前提となる実証的な研究機関、専門教師の養成機関設立の必要性が討議された。
 この討議を下地に
1、沙弥校カリキュラムの目的を理解する。
  子供達の意識構成(子供達の心は基本的に先天的な素質、後天的な素因と育児環境の相互作用によって構築され、すでにその成育過程で健全な発達を疎外する抑圧を持っていること)の理解。
2、修行を前提とした宗教教育の意義を実証的に理解する。
  資質向上を目的とした沙弥校カリキュラムのプロセスを心理学的成果から評価し、その客観的な意義を理解する。
3、沙弥校カリキュラムの実際を理解する。
  修行論(天台止観)の実証的な研究を前提として、沙弥校カリキュラムを説明し、抑圧解消の意義及び資質の変化過程を理解する。
 今回、参加者の認識の違いにより、始め抹消的な部分での討議となったが、討議が進むにつれ基本的に全参加者が現在の宗門の教育に対して、危機感を持っており、引き続き十分な討議検討を行う必要性を認識し、宗務当局に対し、要望書を提出する事を満場一致で決議した。 (岩本泰寛)
  要  望  書
 二十一世紀の日蓮宗を担う教師を育成することは、教団の未来を決する急務である。ここに我々は、立教開宗七五〇年正当に向けて早急に教育制度の抜本的改革に宗門が着手し、一貫したカリキュラムに基づく充実した法器養成機関を設置するよう要望する。
 平成五年九月十日
第二十六回中央教化研究会議参加者一同
日蓮宗宗務総長 殿

   第四現代社会問題部会
    座  長 貫名英舜
    問題提起 安藤正道・蟹江一肇・柴田寛彦
    運  営 勝呂昌信
    記  録 平井良昌
 当部会は、従来の第六・七部会が統合して発足したため、統合初年度は、
 一、「敗戦五十回忌と国際協力のあり方を考える」
 二、「高齢化社会における諸問題」
の二つの問題提起をして討議を行った。
 以下、問題別にまとめ報告する。

一、「敗戦五十回忌と国際協力のあり方を考える」
 安藤正道師より宗門の国際協力募金のラオス初等教育援助について現状報告がなされた。それによると「本年五月に同師が行った現地調査の結果、ラオスが多民族複数言語社会にもかかわらず、教育の場では単一言語しか使用されていないという矛盾、それがラオスの子供達の学習上の障害となり、多くの退学者を出している」ということであった。そしてこの教育体制を、本宗の浄財が援助している形になっているが、日本が多民族国家であることを忘れている我々日本人は、それについて意見を言う資格があるのかという問題提起があった。
 つづいて、参加者より国際協力の事例として次のものが報告された。
○ソマリアへの粉ミルク援助
○BACと国士館大学学生が実際に現地に行き協力して建設した校舎の事例
○スリランカ内戦の孤児と幼児教育への援助
○マレーシアの熱帯雨林保護の国際協力
○内戦で破壊されたカンボジア寺院への援助
○強制連行で殺された中国人遺骨返還運動
○使用済みテレフォンカードの収集によるタイの子供達に対する教育援助
○一食一円募金による東南アジアの子供達に対する教育援助
 これらの事例を基に、私達は国際協力に
  @どう関わるべきなのか?
  Aどういう問題点があるのか?
  Bどういう展開が必要なのか?
について討議をした。
 主な意見をあげると、
○日本人としての生き方・宗教者としての生き方が国際協力には問われてくる。
○金品の援助は使われ方が不透明であり、又相手の物欲も刺激しかねない。
○国士館の話は理想である。ユニセフへの援助金の使われ方は明確になっている。「この小学校を建てて下さい」というような募金方法もあるのではないか。
○金や物を渡すだけの援助では、相手の自立心を損ないかねないのではないか。
○宗教者として、物質的ではなく精神的に寄与することが本来の目的ではないか。
○日本の援助は、豊さに基づいて行っているが、その豊さは発展途上国の犠牲の上にある。援助は自己満足なのではないか。故に自分は国際援助に入り切れないでいる。日本の国際社会に対する責任が問われている。
○支援と救援が一緒になって、救ってあげるという上から下への気持ちで自己満足している。国際協力というのはお互いが良くなっていくのだという気持ちで行うべきだ。
○戦争のことを含め過去に我々が何をしたかを考え反省することによって、相手の信頼を得、真の交流をすることができる。
以上のような意見が出された。
 問題が大きく時間的制約もあり問題提起に対する結論というものは見られなかったが、「まとめ」として次の三点をあげる。
@問題はあるが、やるべきことはやらなければいけない。援助が経済優位の上に成立してはいるが、それを土台とすべきである。
A国際援助は、自分の足下を見詰め直すことである。
B戦後日本が受けた援助とそれをどの様に受け止めたかを見直すことによって、今後、日本が行う援助の一方向の提案になる。
 最後に本部会のアピールとして次のことが採択された。
  終戦五十回忌にあたる平成六年八月十五日の千鳥ヶ淵戦没者追善立正安国世界平和祈念法要を宗門をあげて行う。とりわけ、管長猊下、又は宗務総長が導師をつとめられることを望みます。
  平成五年九月九日
       第二十六回中央教化研究会議
         第四現代社会問題部会 参加者一同
二、「高齢化社会における諸問題」
 平均寿命の延長と出生率の低下によって、我が国は急速に高齢化社会を迎えつつあるが、そうした現状認識と多くの問題が指摘される中で私達宗門人がいかに考え、いかに対処すべきかについて活発な討議が行われた。
 まず始めに、柴田寛彦師より高齢化の現状とその原因・将来に対する高齢化の進展に伴う対応について説明があり、続いて蟹江一肇師より高齢化社会に対し、宗教者としての取り組み方・檀信徒に対する指導のあり方等について説明があった。
 次に、他宗門、新宗教でのこの問題への取り組みの事例紹介、過疎地での高齢者の生活実態の紹介、檀信徒がボランティア組織を作って高齢者訪問活動をしている事例、死亡して数日間誰にも気付かれなかった独居老人の事例、寺院として養護老人ホームや刑務所に参加して活動している事例、ホームレスや受刑者の高齢化の問題、ターミナルケアに支援している事例などの検討がなされた。その結果、以下の点がまとめられた。
@高齢者問題の現状と未来について、私達教師も知識と心得を身に付け、檀信徒の相談にのって適切具体的な助言が言えるアドバイザーとなることが望まれている。
A高齢者を精神的に支援するためのパンフレット・教箋・解説書などを作成し高齢者布教の教材とする。
B教師自身も積極的にお見舞いやボランティア活動を行い、精神的な支えになるようつとめるべきである。
C教師が、高齢者を支援する活動を行うに際して、基礎的な知識を身に付けるための宗門としての対応、例えば講座の開設、研究会研修会などの開催が望まれる。
 特段のアピール文は採択されなかったものの本部会の結論は前述のまとめ四点に集約される。 (平井良昌)


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