日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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教団研究セミナー
現宗研教育制度研究プロジェクト報告
 田 島 辨 正 (現代宗教研究所研究員)

はじめに
一昨年より昨年にかけ、現宗研で教育制度についてのプロジェクトを組み、具体的な研究を重ねてまいりました。その第一回目の中間報告を教務部、教育制度検討委員会へ提出させていただきました。プロジェクトとしては、教育制度検討委員会に報告を出した時点で作業は終わりということではなくて、今後、独自でもっと具体的なところに研究を推し進めていこうということであります。きょうお配りした資料は、このまま教務部へ提出をしたものですが、これはあくまでも大枠をある程度概念として決めておくという、その構想にすぎません。このガイドラインに沿ってカリキュラムの具体的な案、あるいは実際に使用するであろうテキストないしはそれを指導するスタッフの養成、人選、さらには建物の設計、そのための予算案といった、実際に必要なすべての具体的な資料を作成していこうという前提で、このプロジェクトを始めさせていただいたわけです。
きょうは時間があまりございませんので、個々にわたる細かな項目一つ一つについてご説明するだけの時間はないかもしれません。まずきょうお配りした資料は、正直言ってあまり過激なものにはできなかった。刺激をできるだけ与えないようにということで、あいまいにぼかしてある部分がかなりあります。その辺を少し補足をしながら、ご説明をさせていただきたいと思います。
   一
私自身、実はここ三年ほど連続して信行道場の副主任を務めたり、二度ほど布教研修所の主任を務めたりという中で切実に感じている問題として、今の宗門の教育機関の貧困さ、実際に信行道場や布教研修所に入ってくる若い教師ないしは教師にならんとしている人たちの資質に大きな問題を感じており、早急に何とかしなければならないと思います。
教務部からはカリキュラムについて、あるいは布教研修所、信行道場をどのように変えていったらいいかという話し合いも行われ、また、意見も求められるわけですが、そうした一つ一つの改革では到底追いつかない状態にまで来てしまっている。教育制度全体の見直しをしていかなければ、どうにもならないということを肌身をもって感じてきた次第であります。そうしたこともあって、このプロジェクトに参加をさせていただいたわけですが、委員の方々ともいろいろこの問題について話を行いました。
作業の一番初めの段階としては、これまでの教育制度検討委員会で話し合われてきた内容、中央教研の法器養成部会で話し合われてきた内容を全部洗い出し、これまでどういう問題点が出されてきたかということをまずチェックしました。これは、ほぼこの十年ないしは二十年来、全く変わってきていません。問題点一つ一つを挙げる時間はありませんが、基本的な問題としているところは、さほど変わっていない。しかし、現実として一向にそれに対する対応をする動きがなされていない。具体化に向けてまず何か動き出さなければならないのではないか。そのためには、最終的にどういう形が一番理想的なのかという、現実に即した理想案をまずつくって、それに向けて一つ一つ改革をしていく必要があるのではないかということで、まず約十年後を見据えた青写真をつくることにしようと。それが、この資料の中に書かれているものであります。
初めに「新しい宗門教育制度の基本構想案」とありますが、これは要するに、全体の構想として教師になる以前、教師になる時点、つまり僧階新叙する段階、今の信行道場でやっています。そして教師になって以後の部分、この三つを一つの大きな流れの生涯教育と見て、単位制を導入しての一貫したカリキュラムを明確に打ち出した。その中核として、一年間の教師養成機関をつくっていく。これは、当然初期教育機関が前提になってまいりますから、一年制の教師養成機関だけをつくれば、それですべてが解決するという問題ではありません。度牒から始まりまして、一年制の教師養成の機関に入るまでの段階、そして教師養成機関での内容、そこを出た後のフォロー、それがすべて一体化していく中で初めて所期の目的が到達されるであろう。ただ、そこに至るまでには現実に即して段階的にそれを行っていく必要は出てくるわけですが、まずは、どういった構想を立てて、それに向けて準備を進めていくかということで、まずしっかりとした一貫した単位制のカリキュラムを作成していくべきであろうということを打ち出しました。これにのっとって、では、どういう内容にすべきかということが、「仮称日蓮宗行学林新設に関する概要」というところに記載してあるわけです。各段階においては、教学、教化学、教化実習、法式実習という四つの柱を立てました。実際問題として教学が、今、現実には立正大学及び身延山短期大学で施されているわけですが、ここにおける教学というのは、科学的な考察を基本とした学問としての教学であって、信仰を増強させていくための教義を習得させていくという現状ではない。そしてまた、僧侶になるべき者に教義を与えていく場が、今、日蓮宗には現実には全くないということ。次に、教化学という分野は、現実的には全くないということ、しっかりとした学問が成立していませんし、その指導をする人材もきちんとした形では整備されていない。したがって、教化実習についてもそれは現実的にはほとんど個人的なレベルでしか行われていない。さらに法式実習もまた、現実においては非常にレベルがまばらであって、信行道場で抱えている一番大きな問題点がこれであります。三十五日の信行道場は、本来は信仰増進にポイントを置いておくべきであろう。しかしながら、実際には法式実習あるいは読経、唱題行の技術の習得にほとんどの時間を割かれてしまっている。実際に信行道場に入ってくる人たちの中には、既にそういったものをある程度習得してきた人たち、例えば学寮を出た者、あるいは本山に随身をしてきた者等が含まれるわけですが、過半数以上は全くそうした訓練を受けていないということで、信行道場ではそれを主とせざるを得ない。したがって、信仰増進のためのカリキュラムがどうしても後回しにされてしまうという現実があります。そのあたりをどのように解決していくのか。そして、これまで申し上げたような教学、教化学等をどのような形でマスターさせていくのかということが、このカリキュラムづくりの基本になってくるわけであります。
   二
私たちがこれを検討していく段階において、まず一番注意をした点は、現在の教育のあり方、教育現場あるいは修行の現場の問題点、つまり、先輩が後輩を指導するという名目の中での、ある意味では陰湿な現状があるわけですし、あるいは管理をするという体制の中で、とにかくそのプロセスを通過させればいいという状況、それをまず否定していこうと。教育というものはあくまで対話の中から生まれてくるのであって、指導者と学ぶ立場の者がお互いに対話を通じて、自由な雰囲気の中で信仰を深め合っていくという環境をつくった中での教育を目指そうという基本的な柱を打ち立て、そうした中でガイドラインを作成したわけであります。
一番目に「行学林開設の目的」として、「二十一世紀以降の社会に即応できる真の伝道宗門づくりに向け」とあります。これはよく使われる言葉ではありますが、実際には全くそれに対応できていないのが現状でして、古色蒼然たる教育しか施されておりません。現在の社会にすら対応する人材を育成できない状況にある中で、これでは今後の社会の中で、宗教者が社会に存在意義を認められるだけの内容を持つことはほとんど不可能に近いということであります。したがって、こうしたものを大きな目的に掲げて、教育制度を見ていかなければならないであろうと思います。
二番目に、育成の目標を掲げたわけです。ここも当たり前のことが書いてあるわけです。現実に信行道場などで、入ってくる人たちに面接をして話を聞いてみますと、実際問題としては、お寺の跡を継ぐ、お父さんの仕事の跡を継ぐという感覚で入ってくる者がほとんどであります。例えば、「お父さんと檀家の人たちが立派な本堂をつくってくれたので、これをほかの人に渡すのはもったいないから、自分がお坊さんになろうと思いました」とか、それに類する答えがほとんどで、僧侶として、あるいは大聖人の末弟として自分が生きていくんだというたぐいの言葉は、ほとんどその場では聞かれません。このあたり、現在、師弟関係が崩壊していると言われていますが、師匠からどういったことを受け継いで出家、得度、そして信行道場への道にたどりついたのかということは、今、申し上げたような事例を見ても、首をかしげざるを得ない状況があるように思います。跡継ぎをつくるのではないのだということを、もう一度私たちはここで明確に自覚をしていかなければならないのではないかということがあって、それをここに掲げたわけです。
三番目の「制度上の位置づけ」ですが、この一年間の行学林は、あくまでも僧階新叙の必須の前提条件にするわけですが、四番目の「現行制度との比較」にも関係しますが、現在は大学の僧階単位ないしはそれにかわる検定試験、それに加えて信行道場三十五日間ということで、教師の資格が得られるわけですけれども、実際にこれではいろいろな面で不足していることは言うまでもなく、教育制度検討委員会の場においても、あるいは毎年の中央教研の部会においても、こういった意見は多く出されているわけです。
では、どうすればいいか。信行道場の日数を長くするという案も一時取り沙汰されたこともありますが、単に信行道場を長くしただけでは何の意味もないわけで、信行道場というものはどういうことを目指して行くところかということをまず明確にした上で、そうではない部分、つまり信心決定と人格形成を信行道場が目指すとすれば、それに付随する技術的な部分であるとか、学問的な部分は違った系列の中できちっと位置づけておく必要があるだろう。そういうことから言えば、現状はそうしたものが全くないわけですが、一番近いとすれば布教研修所ではないか。つまり、布教研修所のようなシステムを全員が通過した後で、信行道場を終えるという形をイメージしていただくのが、現実の今の形の中でなぞらえるとすれば、そういう形になるのではないかということであります。
そうした中で、どういった内容を目指すのかということですが、五番目の「修学内容」、六番目の「修行内容」と分けて書いてあります。この具体案は後ほど間宮師からご説明させていただくことになりますが、先ほども言いましたような信仰に根差した教学、時代に対応できる教化学の習得が、まず軸になります。そして、現実に必要な布教伝道の実践を前提とした教化実習、法式実習がその根幹になるわけです。
現実問題として、布教研修所でも現在の時代に即応した布教研修がうたわれております。また、そうした方向を目指してカリキュラムも組まれておりますが、実際のところを申しますと、非常に時代遅れのことばかりをやっていまして、現在の社会に対応できるかというと、必ずしもそうではないということが言えます。去年、半年間その指導に当たったわけですが、できるだけ現実の社会に対応していくような指導をしていこうと心がけはしましたが、日蓮宗としてそうした指導の体制も、また、方向づけも、何も持っていない。私が個人的につてをたどって講師の方をお願いするという方向で、今の時代に即した布教方法を指導していただくことはできても、宗門の体制としてそうしたものを研究し、また、実践している状況がありませんので、なかなか現在あるいはこれからの時代を目指した教育は、今の研修所でもなかなかできない現状があります。
したがって、こうしたものを立案するに当たっては、そうしたところを宗門として見詰めていく。そして、それに対応できる体制と指導者を育成していくということが、まず一番の問題になってくるだろうということです。ですから、行学林を今すぐにつくろうと思っても一〇〇%不可能であります。だれも教える人がいないという現状があります。修行に関してはかなり伝統的なものを持っていますので、ある程度のところまではいけるかもしれませんが、唱題行にしても、ほかの行法にしても、これが日蓮宗の本来の行法であるかどうかというところは、掘り下げが全くされていない現状がありますので、このあたりもまだまだ検討し、研究していく必要があるのではないかという気がしております。
今、信行道場で読誦行、唱題行、水行、唱題行脚等がさまざまな形態で行われておりますが、これも深く研究し練られたものではない。そのとき、そのときの指導者が身につけたものを、場当たり的に指導しているにすぎないものであって、本当にこの唱題行のやり方でいいのか、本当にこの行脚の形が理想的であるのかという議論も研究も、全くどこでも行われていないのが現状であります。そのあたりも今後の大きな検討課題になっていくのではないかという気がしております。
七番目の「カリキュラム作成」ですが、こうしたものを前提として、それぞれ個々にきちんとした段階的なカリキュラムを設定します。よく行われがちなのは、いろいろな分野の方々に集まっていただいて、そうしたカリキュラムの内容を検討いたしますと、大方総花的になってまいります。あれもこれもという内容がずらっと並び、それを全部カリキュラムに盛り込んでいくという形が往々にしてありがちです。これでは全くカリキュラムとは言えないものであって、どういう形で段階を踏んでいくのか、どういう形で取捨選択をしていくのかというところが、大きなキーポイントになってくるだろうと思います。
そういう意味では、前半どうしてもマスターしなければならないものを終えた後は、できるだけ専攻課程を設けて、選択制、学ぶ側に選ばせるという形で、思考あるいは能力をできるだけ伸ばす指導を方向づけていく必要があるだろうということが検討されました。今は得意、不得意にかかわらず、お仕着せ的な教育、指導が行われているわけですが、短所をつぶす教育ではなく、長所、能力を伸ばしていく指導を目指す必要があるのではないか。そういう意味では、現行の教育のあり方、考え方をそのまま引き伸ばしたつくり方では、行学林はあまり成功しないのではないかと見ております。
なお、全員が行学林に必須で入らなければならないということが原則ですが、いろいろな事情、状況がありますので、必ずしも全員が同じコースをたどらなければならないということにはでき得ない部分があります。したがって、飛び級制あるいは短期の単位取得制、通信教育制も併用していく必要があるだろうということが挙げられております。このあたりについては、後ほど間宮師からも話があろうかと思います。
最後の「指導の基本方針」ですが、最初に触れたように、自主性を尊重したい。教える側と教わる側が互いに信仰を深め合うことを目的として、詰め込み主義ではなく、ゆとりある環境の中で対話にできるだけ多くの時間を割き、また、一人一人の能力を生かすための自由な研究の時間を十分に取っていくという基本方針を持つ必要があるだろうということです。
去年の布教研修所においても、こういう方向を目指し、また研修生のほうからもそういう要望がありました。これまでは連日のように講義が続いたわけです。そうしますと、ほとんど寝てしまうか、聞いていても右の耳から左の耳へ抜けるということで、全く後に残らないわけです。一つの講義を聞く前にみんなで十分話し合い、講義を受けた後みんなでじっくりと話し合い、必要によっては現場へ足を伸ばすという形を可能な限りとるようにしました。その結果、前の年の研修所に比べると、講義が約半分に減ってしまいました。果たしてどちらのやり方がいいかは、一概には言い切れませんが、後にしっかりとしたものが残るという点では、実績はつくれたのではないかという気がします。
このような実験を実際に教育の現場でいろいろ試みていくということも、今後、必要になってくるだろうと思います。そうしたことも含めての想定基準を、次に挙げたわけです。
   三
以上の基本的な大枠に基づいて、では、具体的にどういう形で行学林を設定していけるかということで、まず開設の期間と時期については、一年は必要である。ただ、当面、例えば半年しか開けないとか、あるいは三カ月という現状があるかもしれませんが、最終的に求めるところは一年以上必要であろうということになりました。しかもできるだけみっちりというよりは、休暇を適宜取りながら、ゆとりある時間設定ということを考えますと、やはり一年間はどうしても必要である。現在、布教研修所を半年間の中で日曜日が休み、お盆がお休みですが、ゆとりある環境でやっていきますと、当初考えた三分の一もできなかったということもあります。半年は非常に短いということが実感として感じられました。その点からしても一年は妥当な線かなと、私自身は実感しております。
開設場所あるいはその施設等々については、建物の用地の確保、指導陣の確保、養成、カリキュラムの作成、テキストづくりといった準備を考えますと、最低でも十年はかかるだろうということで、「七五〇は人づくりから」というスローガンをみんなで考えましたが、一番早くて立教開宗七百五十年を迎える十年後であろう。これを目指して今からすぐに準備に取りかからなければならないということであります。
あと、残った項目の中で一番指摘をさせていただきたい点は、指導スタッフの養成であります。先ほども触れましたが、現在、日蓮宗で指導者を養成する機関が全くありません。指導をしていくためのノウハウはいろいろとあるわけで、こうしたものを経験あるいは研究の中で蓄積をしていくということは、どうしても必要であります。これをまず早急に用意をしていくことが、当面一番必要なことではないか。
十三番目に触れておりますが、行学林は年間百人ぐらい入ってくることが予想されますが、これを今の信行道場のように、百人一からげという形では、到底きめの細かい指導はできません。できるだけ細かなグループに分けて指導員を置いていく。最低でも二十人、できれば十人が一単位ということを考えますと、常時五人から十人のスタッフがいて、その上に指導者を立てるということになってくるわけです。言ってみれば、布教研修所を十個なり五個集めたような形になるわけです。
現在でも布教研修所の主任、あるいは信行道場の主任、副主任、主事探しというものは難航を極めており、なかなか見つからない。ギリギリになって、どうしようもなくなって決まるという状況があります。こうした中では、とても行学林などというものは開ける環境にないわけで、まず指導スタッフをそろえていく、そして、その待遇等も含めて十分な状況を完備していくことが大前提になるということであります。
これを実際に開いていくためには、まず財源が必要であります。現在の宗門の状況では人づくりに金を回すということは、あまり好まれることではありませんので、先行きは極めて暗いわけですが、教育にできるだけの金をかけなければ宗門の未来はないのだということを、私たちは声を大きくして主張していかなければならないと考えております。そうした上で初めて指導者も確保できるようになってまいりますし、施設ないしはさまざまな形でのカリキュラムづくり、テキストづくりも可能になってくるということが言えるのではないかと思います。
そのあたりのことを基本として、今後もこのプロジェクトは継続して研究をしていきたいと考えております。ぜひ皆様方の貴重なご意見を頂載して、参考にさせていただければと念願する次第であります。ありがとうございました。(拍手)
※本稿は、平成五年二月十日五反田ゆうぽうとにおいて、テーマ「宗門の教育を考える」のもと開催された第五回教団研究懇談会にて発題されたものを筆録したものです。


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