日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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所報第27号:107頁〜 唱題行の生理学的,心理学的研究 ←前次→

  唱題行の生理学的、心理学的研究(2)
 −修行プロセスの生理学的研究−

影 山 教 俊(現代宗教研究所研究員)

   一
 はじめに、「読誦・唱題行」の修行形態は、仏道修行の基本的指針となっている天台止観から考察すると、まず『摩訶止観』からは、「四種三昧」(常座三昧、常行三昧、半行半坐三昧、非行非坐三昧)の中では「修行者が坐してお経を読み、暗唱し、また、経題を唱える方法」である「半行半坐三昧」に相応し、また、その「四種三昧」の基本は、「常坐三昧」が「一行三昧」の行法と呼ばれて「常坐」の方法を前提としていることが理解できる。
 また、『天台小止観』(以下『小止観』と略記)からは、「坐(禅)を最勝」といい、その修行の基本的方法が第一「坐中に止観を修す」の五項目であることを強調しており、そして、それを前提とする第六章「正修行」の第二節「縁に歴り境に対して止観を修す」の初め「縁に歴り止観を修す」に、「六種の縁(行、住、坐、臥、作作、言語)」と六塵の境(眼耳鼻舌身意の六塵に対する、六種の境である色声香味触法)」という「十二の事柄」、つまり、生活全般の一々に対して「坐禅の五項目」を応用する修行方法と相応している。以上から考えると、上述の第一項から第四項までの「常坐三昧、常行三昧、半行半坐三昧、非行非坐三昧」の四種の三昧のうち第一「常坐三昧」は、「一行三昧」として他の三昧の基礎的条件となり、その形態的には『小止観』にいうところの第一の「坐中に止観を修す」の五項目に相応し、そして、他の三種「常行三昧、半行半坐三昧、非行非坐三昧」の形態は、全てこの「六種の縁と六塵の境」という「十二の事柄」に納まるものであるから、特に『摩訶止観』からは「半行半坐三昧」といえる「読誦・唱題行」の形態、坐してお経を読み、暗唱し、また、経題を唱える方法は、明らかにこの「十二の事柄」の中に収まるものであるところから、『摩訶止観』を含めた修行の基本方法、修行プロセスが、『小止観』の「坐禅の五項目」にあると理解できる註1。

   二
 ところで、現行の「唱題行」の実際は、「礼拝行、浄心行、正唱行、深信行、誓願行」の順序で行なわれ、時間はだいたい一座四十分から一時間程度といわれており註2、この実際を『小止観』の「坐禅の五項目」(五番修止観)と「自律訓練法」との比較から、実証的に評価するとどのように理解できるだろうか。
 まず「坐禅の五項目」として、「一には初心の麁乱を対治せんとして止観を修す。二には、心の沈浮の病を対治せんとして止観を修す。三には、便宜に随って止観を修す。四には、定中の細心を対治せんとして止観を修す。五には、定、慧の均斉ならしめんがために止観を修す」の五つが示され、この中の第一「初心の麁乱を対治せんとして止観を修す」が「初めに修行しようと坐するときに、心の中に生起する粗々しい動きを破る」の方法であるところから、これが他の四項目を実践する場合の基本となっており、そして、その方法には「止の方法」(止業)と「観の方法」(観業)の二種類がある。
 ここで『小止観』の「坐禅の五項目」(五番修止観)のプロセスを要約すると、修行の初めに、まず『小止観』の第一章から第五章(縁を具える、欲を呵せ、蓋を棄てよ、調和、方便行)までを実習し、修行を始めるために、心と身体をリラックスさせる環境を含めた広義の身体的条件を調える。
 続いて、修行者が坐禅を組んで座ったとき、初めのうちは心が動揺して安定しない。その心を落ち着かせるために「止の方法」(止業)が示されている。そして、この方法でも妄念が止まらない場合には「観の方法」(観業)を実習すべきことが示されている。
 そして、この第六章「正修行」までの止観実習が成就すると、第七章の「善根が発する相」として、一に「数息観の根本禅定の善根の発する相」(八触の経験)、二に「随息観の十六特勝の善根の発する相」(十六特勝)を経験するという。
 以上の『小止観』のプロセスを心理療法として発展した「自律訓練法」と比較し、実証的に修行のプロセスを評価すると、次のように分類される。
  @「訓練を始めるために、身心をリラックスさせる方法」
   『小止観』の第一章から第五章(縁を具える、欲を呵せ、蓋を棄てよ、調和、方便行)の生活環境を含めた広義の身体的条件を調える。
  A「意識の身体的要素への集中」
   『小止観』の第六章「坐禅の五項目」の第一節「初心の麁乱を対治せんとして止観を修す」の「止の方法」
  B「意識の精神的要素への集中」
   『小止観』の第六章「坐禅の五項目」の第一節「初心の麁乱を対治せんとして止観を修す」の「観の方法」
  C「その結果として生ずる身心の変化」(生理的安定が深まって生ずる情動発散)
   『小止観』の第七章「善根が発する相」の第一節「数息観の根本禅定の善根の発する相」と第二節「随息観の十六特勝の善根の発する相註3」
 そして、このC「その結果として生ずる身心の変化」は、ASC(Altered State of Consiousness変成意識状態)の状態、特に自律的ASC(self-activated ASC 乱されざるASC)と呼ばれて註4、この意識状態の誘発が修行、または心理療法の治療効果に重要な意味をもつものであり、更に、このような自律的ASCの誘発プロセスが修行のプロセスであり、分類すると上述の四種類となるといえる。
 また、以上を踏まえて「唱題行」の実際である「礼拝行、浄心行、正唱行、深信行、誓願行」のプロセスを評価すると、次のようになる。
  @「訓練を始めるために、身心をリラックスさせる方法」
   『小止観』の第一章から第五章(縁を具える、欲を呵せ、蓋を棄てよ、調和、方便行)の生活環境を含めた広義の身体的条件を調える。
    「礼拝行」
  A「意識の身体的要素への集中」
   『小止観』の第六章「坐禅の五項目」の第一節「初心の麁乱を対治せんとして止観を修す」の「止の方法」
    「浄心行」
  B「意識の精神的要素への集中」
   『小止観』の第六章「坐禅の五項目」の第一節「初心の麁乱を対治せんとして止観を修す」の「観の方法」
    「正唱行」
    「深信行」
    「誓願行」
  C「その結果として生ずる身心の変化」(生理的安定が深まって生ずる情動発散)
   『小止観』の第七章「善根が発する相」の第一節「数息観の根本禅定の善根の発する相」と第二節「随息観の十六特勝の善根の発する相」

   三
 では、ここで今回の修行プロセスに対する実証的な評価の測定法と被験者について述べると、次のような生理学的計測に関する所見となる。
 まず生理的測定機器としては、日本電機三栄製の汎用脳波計を使用した。その生理学的測定の種類は次の五種類である。
 一に脳波測定部は、記録点は国際10−20法により前頭(Fp1 Fp2)、頭頂(C3 C4)、後頭部(01 02)、側頭部(T3 T4)の四種類八チャンネルを導出し、また基準電極を左耳タブに装着し、単極導出し脳波計に記録。
 二に容積脈波は、指尖型ピックアップを用い、右手第二指より導出し脳波計に記録。
 三にマイナートレモロ(MT)は、右手の甲より導出し、皮膚の微小振動を脳波計に記録。
 四に鼻からの呼吸は、左鼻孔前のサーミスター・ピックアップを付け、呼吸時の気流による温度変化を導出して脳波計に記録。
 五に呼吸は、腹部運動をカーボンチューブ型ピックアップを用い、バンドの伸縮みによる抵抗値の変化を脳波計に記録。
 また、被験者はアースされたベッド上で坐具を用いて「半跏坐」にて座り、キャリブレーション記録を開始し、開眼安静時約三分、閉眼安静時(覚醒)約三分の記録後に、被験者による上述の修行プロセスを計測した。
 更に今回の測定は、本山生命物理研究所の三階実験室で行ない、計測にあたって同愛記念病院の塚田信吾先生に立ち合っていただき、被験者として満四十歳、既婚男性、日蓮宗教師、法臈十四年、修法歴第三行、ヨーガ歴八年、唱題行十年の経歴者K・K氏をお願いした。
 以上の条件下で被験者からの評価の指示にしたがって、述べると次のようになる。
 ここで生理学的に測定されたのは『小止観』の「坐禅の五項目」、『摩訶止観』の四種三昧の中では「常坐三昧」に相応する修行プロセス、つまり、自律的ASCの誘発プロセスとして分類された、次の四種類であった。
  @「練習を始めるために、心身をリラックスさせる条件」
   (練習の前に心理的、生理的な緊張を緩めて、その全体が弛緩しやすいように心身の環境を調える)
  A「意識の身体的要素への集中」
   (身体的要素にたいする言葉による受動的注意集中によって、情動として身体の上に現れている生理的緊張の弛緩を促す)
  B「意識の精神的要素への集中」
   (@及びAで得られた身体生理の弛緩状態によって解放された、無意識的に情動意識として意識野に立ち上る精神的要素への受動的注意集中によって情動の発散をはかり、心と身体のバランスを調整する)
  C「その結果として生ずる心身の変化」
 この修行プロセスの順に評価を加えてみよう。
 まず、修行者が瞑想状態を実現するために、
 (一)、@の「練習を始めるために、心身をリラックスさせる条件」に相応する段階
 まず、修行者が瞑想状態を実現するために、@「練習を始めるために、心身をリラックスさせる条件」、これは『小止観』の第四章「調和」に相当し、次の五項目(五事)が示されている。
  1、飲食の調節
  2、睡眠の調節
  3、身を調える
  4、気息を調える
  5、心を調える
 今は、必要と思われる「3、調身」「4、調息」「5、調心」の三事について具体的に述べると、まず3の「調身」として、当日の朝(1992-03-02 AM7:00)は、『小止観』にいう「自按摩」(ヨーガでいうパワムクッタナ・アーサナなど)の後に静止(閉眼した安静状態)を含めて四十分ほど行ない、その後、研究室にて実習計測(11:15〜12:20)を行なう。
 坐法は、『小止観』のいう「半跏坐」、ヨーガの「シッダ・アーサナ」(Siddha-asana)を用い、定印(Mudra)は、測定用のピックアップ装着の都合などで「ギアナ・ムドラー」(Gyana-mudra)を用いて坐し、坐具を当てて端座し背筋を無理なく伸ばし安定させる。
 そして、口は軽く結び、舌は少し持ち上げ加減にし上顎に軽く付けるようにする。身体は曲がったり、反り返ったりすることなく、頭と頸筋をのばし、鼻と臍が一直線になるように腰を引いて座り、偏ることのないようにバランスをとる。
 続いて、目も軽くつぶり外の光が断てる程度にする。次に、「身息」といって身体の状態が瞑想に適するよう、意識的に呼吸を調える。
 まず、口を開いて身体の中にわだかまっている諸々の念を吐き出すと観念しながら、息を強く吐ききり、その後に鼻より清気を吸い入れる。これを二、三回行ない呼吸の調和をとりながら、さらに頭の上方から下の方へと身体の余分な力を徐々に抜き安定させる。
 次に4の「調息」へと進み、前段の「調身」からの引き続き、「身息」としての意識的に腹式呼吸を充実させ、息相としては、呼吸の出入が静かにスムーズに行なわれて、呼吸の出入りが安定し快くなるように留意する。
 次に5の「調心」へと進み、ここではその時の心理状態が「沈相という抑鬱的な状態、浮相という外へと心が散乱し気持ちが上がっている状態、寛相というボヤッとした暗い心の状態、急相という無理に意識を集中して執われている状態」の四種類が上げられているが、今回は「浮相(外へと心が散乱し気持ちが上がっている)」の心理状態であったので、意識を身体的要素の下方(丹田を中心とした腹部太陽神経叢)へと集中させて、「下実上平」の実現に努めた。
 以上を要約すると、瞑想に入るためには「麁から細」へ、つまり、「身体の外側から内面」に向かって瞑想に適する条件を調え、そして、心理的、生理的な緊張を緩め、その全体が弛緩しやすいように、求心性の外部刺激となる身体的条件(姿勢を調え、呼吸を調えて、心が身体的要素の下方に安定するように)が調えられた。
 (二)、Aの「意識の身体的要素への集中」に相応する段階
 続いて、情動として身体の上に現れている生理的緊張の弛緩を促すために、身体的要素に意識を置き受動的注意集中(passive concentration)を行なう。これは『小止観』の第六章「正修行」に説かれる「止業」(止の方法・意識の身体的要素への集中)に相当し、次の三項目が示される。
  1「繋縁守境の止」 これは「意識を眉間のところか鼻先、或は臍下丹田(気海丹田)という身体的要素へ集中することで心の散乱を止めること」
  2「制心の止」 これは「心が五根(眼、耳、鼻、舌、身)という五つの感覚器官(身体的要素)からの情報によって動かされるのであるから、その五根からの情報に一定の距離を置き、意識的には動かすまいと心を制止すること」
  3「体真の止」 これは1「繋縁守境の止」と2「制心の止」をそれぞれに即して実習し、心が身体的要素(事相)に意識的に集中して一応の止まりを得たところで「その心、止めようとする心を捨てること」、つまり、1と2の「二つの止」を実習すると、自己の身体的要素に集中された所観の意識が残り、それを意識すると妄念が生じ相続されるので、その意識と一定の距離を置き、生ずるままに受け流しておくようにする。
 今回の場合は、まず、1「繋縁守境の止」、2「制心の止」という「二つの止」の過程から評価すると、「半跏坐」(シッダ・アーサナ)と「ギアナ・ムドラー」(Gyana-mudra)を用いて坐したので、(東洋医学にいう任脈、督脈の接点で肛門部と陰部との中間の)会陰が踵で刺激されるところから、意識を身体的要素の下方(泌尿器系から丹田を中心とした腹部太陽神経叢)へと集中し、前段階の引き続きとして腹式呼吸(身息)を意識的に行ない、呼吸の出入(息相)が静かにスムーズになり、呼吸の出入りが安定し快くなるまで行なった。すると身体(肢体)の重量感、意識はあるが身体全体の重量感が増加し始めると、まもなく手のひらと股の温感(定印が「ギアナ・ムドラー」なので手のひらが股に密着している)が初めに意識され、やがてその温感は会陰の泌尿器系から丹田を中心とした腹部太陽神経叢へと般化し、身体全体の温かさとして感じられ、やがて、その温感は、印堂(眉間)あたりに集中し始めた。
 そして、3「体真の止」として、上述のように身体的要素(事の相)に意識を集中して一応の止まり(生理的弛緩状態)を得たところで、次にその意識、受動的にではあるが身体的要素へと集中している意識を止めるため、快い温かさに注意集中していると、ただその快い温かさだけになった状態が維持できた。
 その時の意識の状態は、周りの音などは聞こえており、自分という意識はあるが、ただ皮膚など身体存在に関わる体性感覚や時間感覚はなく、また、呼吸は全く無意識的に快く行なわれていただけであった。
※一応、この段階で、『小止観』の「坐禅の五項目」、「自律訓練法」でいう「自律的ASC」の始まりを得たように思う。というのは、この状態から少しすると、「自律性解放」と呼ばれる心身の両面にわたる情動の無意識的な発散が意識野に上がり始め、感覚反応として痒くなる感じ、ムズムズする感じなどの皮膚感覚や、運動反応として指や腕の一部の筋肉がピクピク動いたり、感情的なことが浮かんだりし始めた。
 (三)、Bの「意識の精神的要素への集中」に相応する段階
 続いて上述のように、@及びAによって得られた身体生理の弛緩により解放され始めた情動によって、その瞑想状態が「妄想」などによって乱され始めたときには、『小止観』第六章「正修行」に説かれる「観業」(観の方法・意識の精神的要素への集中)を用いて、「妄想」として立ち上がる精神的要素に受動的注意集中を行なう。
 つまり、「自律訓練法」でいう、Aの「意識の身体的要素への集中(安静訓練)」では効果が上がらないものには、Bの「意識の精神的要素への集中(黙想訓練)」によってイメージによる無意識の思考を進めるように、今回は前段階の情動発散で、その意識が仏教でいうところの「現業や宿業」による善事、悪事、無記、三毒等の妄念を涌くままにしておき、無理に止めようとせず、それに対して宗教に関する精神的な要素(日蓮宗でいう本尊としての久遠の生命という統一的なイメージの法華大曼陀羅、本有の光明)を観相しながら受け流すように心がけた。これは意識に浮かぶ妄念(情動)が本尊の生成する光明によって浄化されるイメージに意識を向けて、その無意識的な心との対話を意味するものといえる。また、ここでいう対話とは、現状の自分より一次元止揚された高所(宗教的に健全なイメージ)から、第三者的に自分の妄念を観て、それが浄化されるという宗教的な意味づけを持ち、受け流して行くことであるとも思える。
 ところで、今回の約五十分間の修行のプロセスは、「止業」(止の方法・意識の身体的要素への集中)から、「観業」(観の方法・意識の精神的要素への集中)に移行し、「本有の光明」という光のイメージが照らされ始めた辺りで、測定機器の都合で中断した。
 この段階では、心理療法の「自律訓練法」でいう「自律的ASC」の状態は維持しているが、宗教的な「坐禅の五項目」では、「止と観」を平均的に実践し、「(禅)定と(智)慧」の二つが均等に成就されることが求められている点からすると、本当の瞑想状態を意味するものではないといえる。
 なぜならば、『小止観』には「止業」(止の方法・意識の身体的要素への集中)を成就して、生理的な深い弛緩状態を実現しても、「観業」(観の方法・意識の精神的要素への集中)によって、宗教的に健全なイメージからの「現業や宿業」の浄化が行なわれなければ、それは本当の坐禅ではなく、「痴定」と呼ばれて、煩悩を解決する力とはならないといい、また、「観業」によって、宗教的健全なイメージを成就したとしても、「定心」がなければ、やはり「現業や宿業」の浄化はおぼつかない。それは風で揺れている蝋燭の炎が、物を照らすことが出来ないようなものだといい、「(禅)定と(智)慧」二つの均等性の必要性、身体性と精神性の調和した状態が求められているからである。

   四
 これを踏まえて、生理学的に計測されたデータを評価してみよう。
実験結果1



1992 3 2 11:15〜12:20 K.K
Fp1 Fp2 C3 C4 T3 T4 01 02 (8〜lead)
Preth MT Respi (nasal therimsta/abdominal)1006mb 18〜20C゜
TC 0.3 FILTER 30 PAPERSPEED 0.75 or 3.0cm/min 3.5uv
安静時 開眼
PR 81/min
RR abdminal 3/min
安静時 閉眼
PR 81/min INDEX 31.98
RR abdminal 5/min (nasal small 12/min large 5/min)
実習開始直後
PR 78/min
RR abdminal 6/min (nasal small 8/min large 6/min)
実習開始後 25min
PR 81/min INDEX 17.35
RR abdminal 5/min (nasal small 11/min large 5/min)
実習開始後 41min
PR 68/min
RR abdminal 13/min (nasal small 11/min large 13/min)
実習開始後 48min
PR 48/min INDEX 40.50
RR abdminal 13/min (nasal small 13/min large 13/min)
 心拍数 PR は実習開始後から顕著な減少を示し、開始後五十分後には PR 48/min と瞑想前の約半分近い徐脈となった。脈拍の低下は緩やかで実習が進み、瞑想状態の深まりと共に進んでいった(図−1)。
 呼吸数 PR に関して鼻、腹式の二つの呼吸曲線を比較しながら見て行くと、初めのうちは呼吸を意識的に行なう「身息」のため PR は 3/min と遅い。実習開始後しばらくのあいだは比較的安定し、小さな波の少ない比較的規則正しい波形を示す。その後、被験者が雑念を意識していた実習開始後 25min 前後になると曲線は乱れ、多く小さな波が認められる。呼吸数は実習開始時より少し減少している。開始四十分以降では呼吸数は 13/min に増え安定した。被験者も呼吸が自律的であったことを自覚しているが、この呼吸は意識的ではなかった。測定者の観察では、この時の呼吸は浅く、腹式呼吸曲線が明瞭に記録されているところから、一回の換気量の少ない腹式呼吸であったと考えられた(図−2)。
 マイナートレモロは実習開始時と比べ四十分前後ではピークからの降下が早く、脈波の振動の衰減がより速やかな傾向があり、また、脈波と脈波の間の振幅の少ない部分が、瞑想中では明瞭であることがわかる。これらは筋肉の異常な緊張がなく弛緩した状態にあることを示していると思われる。ところが二十五分前後では持続的に振動が記録され、体動や微細な筋肉運動が生じていたものと思われる(図−3)。
 容積脈波計を見ると、心拍数は実習開始時よりも二十五分前後が多く、瞑想状態では安静時の三分の二程度まで減少している。
 脳波に関して、この被験者(K.K)は安静時から特徴的な脳波パターンを示した。
 普通閉眼安静時には、周波数 10HZ 前後、振幅 50uV 前後のα波が後頭葉優勢に出現し、このα波に振幅 10〜20uV の速波が混在しているものが一般的である註5。






 しかし、この被験者ではα波はむしろ前頭、頭頂部優位で、後頭部よりも明かに振幅が大きく、また、開眼で前頭部を中心にα波の(ブロッキング)抑制が認められるが、この時でも頭頂、後頭部を中心にα波が認められた。非瞑想時はα波は全体的に速波の乗った複合波の形で出現し、その振幅は比較的小さく最大で 50uV、周波数はおもに 9〜10HZ であった(図−4)。
 実習開始直後は全体に安静時と著しい変化はないものの、約一秒間持続した Fm 波が認められた(7HZ 40uV 二分に一回程度の出現率)。
 実習開始二十分では、全体に前頭部(Fp1 Fp2)、頭頂部(C3 C4)を中心に 10HZ のα波が間欠的に出現し、その持続時間が延長した。更にこの時点で 8HZ 60〜70uV のα波が前頭、頭頂部優勢に二回認められた(図−5)。
 雑念の出現した二十五分前後ではむしろβ波が優勢となり、α波の出現率は全体的に減少した。しかし、前頭、頭頂部優勢な 10HZ のα波の他に 8HZ のα波や、6〜7HZ 120uV の著明な Fm 波(一分に一回程度の出現率)を記録した(図−6)。
 実習開始四十分前後では(5HZ 110uV 約二秒の持続時間の)Fm 波が二回認められ、うち一回は測定器切り替え時の音刺激に続く比較的持続の長いものであった。また、その中には睡眠のステージでは中程度睡眠期(Stage 3)に相応するといわれる紡錘波註6も認められた。全体的には 10HZ 前後 40〜50uV のα波と速波が優勢であった。
 実習開始五十分前後では、9HZ 90uV の高振幅のα波が全誘導に広がって同期したものがβ波の中で断続的に記録された(図−7)。
 また今回の計測で、マイナートレモロによる皮膚の微小振動が記録されているが、脳波が 8〜10HZ のα波や、6〜7HZ 120uV の Fm 波へと低周波化しているとき、皮膚振動は 9〜10HZ の波に 1〜2HZ の波が重畳していることが認められる。つまり、物理的には横波である電磁波としての脳波と、縦波である音波といえる皮膚振動が同調する傾向を示している。これは「脳波と気」の研究を進められている電気通信大学教授の佐々木茂美博士の報告註7と一致し、中国における気功師の発功時の生理的状態と、修行プロセスによって誘導される生理状態と類似点を見せている。









 以上、全記録では異常な脳波形は観測されなかった。また、明瞭な Spindle の出現はなかったが、前頭、頭頂部優位のα波や 波が断続的に認められ、瞑想の深まりに従い、徐波化、同期、高振幅化が進んだ。

   五
 ここで以上の実験を総括し、特に脳波の INDEX の指標などを中心に分類すると、「1、実習開始直後」(閉眼覚醒時)、「2、実習開始二十五分前後」「3、実習開始四十五分前後」の三つの段階に分けられる(図−8)。
 そして、この三つの状態は被験者の指示を含めて考察すると、修行プロセスの四つの段階と次のように相応する。
 1、実習開始直後(閉眼覚醒時)
@「訓練を始めるために、身心をリラックスさせる方法」
A「意識の身体的要素への集中」(止の方法)の実習によって、外界に向いていた意識が身体的な要素(呼吸、温感、重量感)へと集中され、意識が単純化した状態を示し、脳波は、前頭、頭頂部を中心にα波が全体へと同期している(図−5)。
 この時は調息として意識的に呼吸しているため 3/min 前後であり、心拍数は 80/min 代から 70/min へと減少傾向を示し、その後更に減少している。
 この生理状態は自律神経の交感神経系の機能が抑制され、副交感神経系機能が優位になっていることを示している。
 2、実習開始二十五分前後
C「その結果として生ずる身心の変化」(生理的安定が深まって生ずる情動発散)
 上記の段階が進み、生理的弛緩が般化し、自律的ASC(self-activated ASC、乱されざるASC)と呼ばれる意識状態が誘発され、個人的な無意識に取り込まれている情動が発散し始めた。生理的には、脳波ではα波や Fm 波の出現も見られるが、全体としてはβ波優位となっている(図−6)。



 呼吸数は 6/min、心拍数も 70/min から 81/min へと上昇した。
 この生理状態は情動の発散が始まったため、心理的、生理的な刺激が生じ、前段階より交感神経系機能が昂進し、副交感神経系より優位になっていることを示している。
B「意識の精神的要素への集中」(観の方法)
 この状態を脱却するため、Bを実習して意識を身体的要素から精神的要素(本尊として光明のイメージ)へと集中した。
 3、実習開始四十五分前後
B「意識の精神的要素への集中」(観の方法)
C「その結果として生ずる身心の変化」(生理的安定が深まって生ずる情動発散)
 その結果として生理的安定が深まり情動の発散が生起しているにもかかわらず、脳波には優勢な Fm 波が認められ、9HZ 90uV 代の高振幅のα波が全誘導に広がり同期している(図−7)。
 心拍数は 48/min へと低下したが、呼吸数は 13/min と上昇した。これは意識を身体的要素から精神的要素へと移したため、意識的呼吸から自然呼吸へと変化したからであると思われる(図−3)。
 この生理状態は情動の発散により交感神経系機能の昂進は続いているが、Bの「意識の精神的要素への集中」によって副交感神経系機能も昂進し、共に拮抗しながら全体的には副交感神経系が優位になっていることを示している註8。
 以上の結果から『小止観』の「坐禅の五項目」(『摩訶止観』を含めた修行プロセス)
  @「訓練を始めるために、身心をリラックスさせる方法」
   『小止観』の第一章から第五章(縁を具える、欲を呵せ、蓋を棄てよ、調和、方便行)の生活環境を含めた広義の身体的条件を調える。
   「礼拝行」
  A「意識の身体的要素への集中」
   『小止観』の第六章「坐禅の五項目」の第一節「初心の麁乱を対治せんとして止観を修す」の「止の方法」
   「浄心行」
  B「意識の精神的要素への集中」
   『小止観』の第六章「坐禅の五項目」の第一節「初心の麁乱を対治せんとして止観を修す」の「観の方法」
   「正唱行」
  C「その結果として生ずる身心の変化」(生理的安定が深まって生ずる情動発散)
   『小止観』の第七章「善根が発する相」の第一節「数息観の根本禅定の善根の発する相」と第二節「随息観の十六特勝の善根の発する相」
は、自律的ASCの誘発プロセスであることが、唱題行の(主要な要素である礼拝行、浄心行、正唱行を中心とした)実際を含めて経験科学的に評価できたように思われる。
 ことに修行プロセスのA「意識の身体的要素への集中」、『小止観』の第六章「坐禅の五項目」の第一節「初心の麁乱を対治せんとして止観を修す」の「止の方法」が「浄心行」に相応し、B「意識の精神的要素への集中」、『小止観』の第六章「坐禅の五項目」の第一節「初心の麁乱を対治せんとして止観を修す」の「観の方法」が「正唱行」に相応することが理解できた。
 しかし、今回の実験が「坐禅の五項目」、坐禅瞑想を中心としたものであり、次回「唱題行」の実際をこの修行プロセスに従った「半行半坐三昧」として実習し、上記の生理学的方法で測定することで、より「止の方法」が「浄心行」、「観の方法」が「正唱行」に相応することが明らかになるように思う。
註1「大崎学報」第一四八号、八一〜四頁、拙著「天台止観より見たる読誦・唱題行の位置づけ」主旨
註2 湯川日淳著『法華経信行要文』一一九頁、求道同願会
註3「大崎学報」第一四八号、八四〜七頁、主旨
註4 池見酉次郎著『心療内科学』一〇〇頁、医師薬出版社
註5『脳波判読トレーニング』医学書院
註6『図解脳波テキスト』光文堂
註7『’89先端科学・技術開発年鑑』所収、佐々木茂美著『気の実験的研究』五六四〜五頁、技術出版
註8『情動とストレス』誠信書房、『身体の心理学』星和書房、『神経心理学の基礎』医学書院など参照,

























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