近頃問題になっている顕正会などの新宗教や新新宗教などの掲げているその思想は、オウム真理教を例に取れば明らかなように、仏教学や宗教学の学問分野から眺めれば、いとも簡単に否定できるほど稚拙なものです。また創価学会の主張する冨士教学なども、日蓮教学や祖書学から眺めれば日蓮聖人の思想ではないことは容易に理解できます。しかし、実際の社会現象では、仏教学や宗教学などの学問分野から、それらがどのように否定されていても、オウム真理教の場合は、教団名をアレフと改名し、そこには多くの信者が集い、依然として宗教活動が行われており、宗教としての集団やその体裁が維持されております。
一体何故でなのでしょうか。それを解くカギが宗教的な神秘体験にあると考えられます。
これは以前からオウム真理教など、カルト宗教の信者に対する脱会カウンセリングの現場で指摘されていたことですが、その入信の動機に神秘体験を持つ者は、なかなか脱会させることが困難であるといいます。
ここに宗教と神秘体験が切り離せないという事実があります。
日蓮聖人も蓮長と名乗られた青年時代、清澄寺で行った求聞持法という修行の神秘体験を「日蓮は安房国東条の郷、清澄山の住人なり。幼少の時より虚空菩薩に願を立てゝ云く、日本第一の智者となし給へと云云。虚空菩薩眼前に高僧とならせ給て明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給ひき。其しるしにや日本国の八宗並に禅宗、念仏宗等の大綱、粗伺い侍りぬ」『善無畏三蔵抄』(54才)と、また「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給りし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思食けん。明星の如くなる大宝珠を給て右の袖にうけとり候し故に、一切経を見候しかば八宗並に一切経の勝劣粗是を知りぬ」『清澄寺大衆中』(55才)と、晩年になってからご自身の神秘体験を回顧なされており、いかにその体験が鮮明な神秘体験であったかが理解できます。
人は宗教の理性的な道理ばかりでなく、神秘体験による一種のエクスタシー(ecstasy)に魅せられるのでしょう。
アメリカのある大学病院では、末期ガンの患者に五色に点滅する光と、ある種の音響によって瞑想(神秘体験)を誘導したり、また幻覚誘導剤(LSD)によって神秘体験を誘導すると、その末期ガン患者には、明らかな延命効果が見られるといいます。
このように考えますと、いま私たちが常識的に「宗教とはかくの如くあるもの」という宗教的イメージを改めなければならない時期を迎えているように思えます。
この第11回公開講座では、宗教の神秘体験に焦点を合わせ、宗教体験のもっている新たなる意義を深めたいと思います。