日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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宗報 平成22年6月号 第267号 改訂 第99号

現宗研だより
  「無縁社会」と中央教研
日蓮宗現代宗教研究所主任 髙佐宣長 

 
  NHKスペシャル『無縁社会』
 
 今年(平成22年)の1月31日、NHK総合テレビで放送された番組、NHKスペシャル「無縁社会〜“無縁死”3万2千人の衝撃〜」を御覧になられた方も多いことと存じます。
 放送時間中から、インターネット上で「祭り」と呼ばれる事態が現出するなど、現在に至るまで、大変な反響を呼んでいるようです。
 5月中旬に、筆者がグーグル(註釈の必要はないとは思いますが、インターネットでの世界最大の検索エンジンです)で、「無縁社会」の語を検索してみましたら、107万件がヒットしました。

 NHKのウェブサイトでは、番組について、次のように書いています。
   自殺率が先進国の中でワースト2位の日本。NHKが全国の自治体に調査したところ、ここ数年「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」など国の統計上ではカテゴライズされない「新たな死」が急増していることがわかってきた。なぜ誰にも知られず、引き取り手もないまま亡くなっていく人が増えているのか。「新たな死」の軌跡を丹念にたどっていくと、日本が急速に「無縁社会」ともいえる絆を失ってしまった社会に変わっている実態が浮き彫りになってきた。「無縁社会」はかつて日本社会を紡いできた「地縁」「血縁」といった地域や家族・親類との絆を失っていったのに加え、終身雇用が壊れ、会社との絆であった「社縁」までが失われたことによって生み出されていた。
また、取材を進めるうちに社会との接点をなくした人々向けに、死後の身辺整理や埋葬などを専門に請け負う「特殊清掃業」やNPO法人がここ2〜3年で急増。無縁死に対して今や自治体が対応することも難しい中、自治体の依頼や将来の無縁死を恐れる多くの人からの生前予約などで需要が高まっていることもわかって来た。日本人がある意味選択し、そして構造改革の結果生み出されてしまった「無縁社会」。番組では「新たな死」が増えている事態を直視し、何よりも大切な「いのち」が軽んじられている私たちの国、そして社会のあり方を問い直す。
 番組では、「無縁死」とも呼ぶべき「新たな死」を調べるべく、全国1783の全ての自治体に独自の調査を行い、引き取り手が無く、自治体によって火葬・埋葬された方の数が、一昨年一年間で3万2千人に上ることを伝えていました。
 
  「行き場のない遺骨」の行き場
 
 「無縁死」の遺体の「後始末」をする「特殊清掃業者」が、引き取り手のない「行き場をなくした遺骨」はどうなるのか、という記者の質問に、「ゴミでしょうね」と答えます。
 しかし、宅配便で送られて来る「行き場のない遺骨」を引き取り、供養しているお寺を番組は紹介していました。
 送られて来た遺骨を納骨堂へ運ぶ僧侶の背中には、左肩に掛かる折五条。
 その寺院、富山県高岡市大法寺の御住職である栗原啓允師は、かつて現宗研で嘱託をしていた方です。
 筆者は栗原師を存じ上げていたわけではありませんでしたが、三原所長は、同時期に現宗研メンバーとして在籍されたことがあったそうです。
 栗原師は、語ります。
 「私たちだって、一つ歯車が狂えば、独居老人になって、孤独死をしなければならないのかもしれない。(孤独死をした人たち、)決して、私たちと違った人生を歩いて来たというわけではない。……ただ、人生の終盤で孤立をして……、全くどこに埋葬をされているのか、その人の痕跡が全く残らないというのは、それは不条理ではないか」。
 
  渡邊総長の施政方針挨拶
 
 番組を観て、「これは」とは思ったのですけれども、即座に「無縁社会」「無縁死」を研究調査する態勢に入り得るだけの状態に、残念ながら現宗研の現状はありません。
 まして、新所長をお迎えして一箇月(と言っても、年末年始がありましたので、実質は三週間ほど)しか経っておりませんでしたし、翌週には「法華経・日蓮聖人・日蓮教団論研究セミナー」が予定され、更に3月第2週に宗会を控え、というような状況でしたので、この課題に即応するということは叶いませんでした。
 それでも、最低限出来ること、とでも申しましょうか、「無縁社会」は今年(のみならず、中期的なスパンで考えてみた場合においても)、現宗研として取り組まねばならないテーマの一つとなると考え、第百一定期宗会に於ける、渡邊新宗務総長の施政方針挨拶の、現宗研としての文案を作成するに際し、この言葉を挿入してみました。
 結果として、総長の御挨拶の中に、「自然葬、直葬という言葉が一般化している葬儀の問題は、『無縁社会』とも呼ばれる、人と人とのつながりが希薄化しつつある現代社会の世相と関連するところであり、葬式離れ、墓離れ、寺離れの三離れ現象として寺院の経営にも直結する……」というような表現を盛り込んで頂けました。
 
  番組のその後
 
 宗会後、「週刊ダイヤモンド」4月3日号(3月29日発売)が「無縁社会」の特集号を組みました。
 そして、NHKでは、再構成した番組と更に関連番組「追跡!A to Z 無縁社会の衝撃」を、4月3日に放映しました。
 もう一度、NHKのサイトから引きましょう。
   1月末に放送したNHKスペシャル「無縁社会」。放送後、“無縁”な人たちの間で、大きな反響を呼んでいる。NHKに届いた反響は1500件を超えた。その多くが、「無縁な自分の将来が不安だ」と訴える内容だった。とりわけインターネット上では、「祭り」といわれる異常現象が頻発。視聴者が番組を見ながらネット上に書き込みをするツイッター、掲示板、ブログで数十万を超える異常な頻度で書き込みがあった。

特に目立ったのは30〜40代の書き込みだ。「ネットだけが“つながり”だと信じてきたのに、それだけでは救われないのではないか」、「結婚をはじめて考えるようになった」など、働き盛りの世代が自分と社会とのつながりを不安視する記述が目立つ。

単身高齢者が“無縁”で暮らす高齢者施設では、共同墓地の建設に着手するなど、生前から死後の準備をする動きが活発化している。“無縁ビジネス”ともいえる新たなビジネスは共同墓建設にとどまらず、保証人代行サービス、見守り代行サービス、話し相手サービスなど、様々な分野に広がっている。無縁社会と向き合おうとする視聴者ひとりひとりの生き様をルポするとともに、社会と個人のつながりが薄れつつある日本社会で必要とされる「絆」の新しい形とは何か、追跡する。
 
  現宗研での栗原師の講演
 
 平成22年度の最初の現宗研の「研究員・顧問・嘱託会議」、要するに現宗研メンバーの全体会議は、4月13日、14日の日程で開催いたしました。
 番組を御覧になって以来、三原所長が、栗原師にお出で頂いて、皆で話しを伺おう、と仰っておられましたので、この機会に講演をして頂くことと致しました。御依頼を申し上げたのは、宗会が済んでからであったかと思います。

 詳細は省かせて頂きますが、栗原師の御講演は大変興味深いものでした。現在取り組んでおられるような、無縁骨を供養する活動をすることは、当初は全く意図されていなかったそうです。或る方との出会い(=縁)を切っ掛けに、事態は師の予期せぬ方向に進展して行き、NPO法人を立ち上げて、全国各地からの無縁骨を引き受けるような状況に至ったとのこと。そして、その活動を始められたことによって、これまで寺院や仏教にほとんど縁のなかった人びととの新たな繋がりが築かれて来た。これは、都市開教の方途にもなって行くのではないか……。

 三原所長は、栗原師の講演を、早速に活字にして、「宗報」に、つまりはこの欄に、掲載してはどうか、と仰いました。が、それは筆者が思い留まって頂きました。
 この「無縁社会」というテーマを、是非、今年の中央教研のテーマにして、栗原師には、もう一度お話し頂きたい、言うなれば、それまで取って置きたい、と考えたのです。
 こうした情報は、なるべく早くお伝えする方が望ましいのかもしれません。しかし、出来るだけ広く問題を提起したいと考えますので、タイミングだけではなく、「仕掛け」が必要のようにも思います。現宗研が持っている最大の提起の場は中央教研ですので、それを活かしたいと思ったのです。
 
  中央教研「『無縁社会』から『仏縁社会』へ」
 
 という次第で、9月に開催予定の今年度の中央教研は、今「宗報」に告示されておりますように、「『無縁社会』から『仏縁社会』へ−教化学の確立に向けて」をテーマとして、9月7日〜8日に開催することとなりました。
 NHKの報道局の記者であり、番組スタッフである板倉弘政氏に基調講演をお願いしました。栗原師を通じて依頼したのですが、快くお引き受け頂きました(実は、4月に栗原師に現宗研で話して頂いた際、前日の夜は、二人でお会いになっていたそうで、板倉氏が現宗研での栗原師の話を聞きたいと仰ったのを、栗原師が、御自分は呼ばれて行く立場なので、と制されたとのこと。このことを伺った筆者が、お連れ頂ければ良かったのに、と申し上げたことは、言うまでもありません)。
 栗原師には、分科会I「『仏縁社会』の構築のために」の問題提起をお願いしました。
 本年の中央教研は、少々変則的ですけれども、基本的に、一日目と二日目を別の分科会にすることにして、5つの分科会を設けることとしました。但し、栗原師に問題提起をして頂く分科会については、両日を通したものとしたいと考えています。
 その他、一日目には、分科会II「『葬式は、要らない』に見る「無縁社会」化」。問題提起は、葬送ジャーナリストの第一人者である碑文谷創氏。分科会III「孤独死ゼロの街づくり」。松戸の常盤平団地で孤独死ゼロ運動に取り組まれ、『孤独死ゼロ作戦−生きかたは選べる!』(本の泉社)や『団地と孤独死』(中央法規)の御著書がある(後者は、淑徳大学孤独死研究会との共編)NPO法人孤独死ゼロ研究会の中沢卓実氏に発題をお願いしました。
 二日目は、分科会Iの他に、分科会IV「直葬と宗教不信」と分科会V「結んだ絆・繋ぐ命」。分科会IVの問題提起は、産経新聞社会部副編集長で、昨秋の同新聞記事「直葬〜消える弔い」などを担当され、先頃「大法輪」誌にも執筆されていた赤堀正卓氏。分科会Vの発題は、阪神・淡路大震災被災者ネットワーク代表の安田秋成氏(そしてNPO法人EARTH代表で現宗研嘱託の石原顕正師に加わって頂きます)。
 「無縁社会」の現状や、そこから派生している問題、そして「無縁社会」を克服して行くためのヒントを、それぞれのお立場から提示して頂けるものと考えています。
 更に、伝統も宗教も失いつつある現代日本人に対し、癌放射線療法の第一人者であり、2万人の患者の治療に携わって来られた経験を通じて発言されておられる、中川恵一東京大学医学部附属病院放射線科准教授に、「もう一つの『無縁社会』−死を忘れた日本人」と題する記念講演をして頂き、結びとします。
 と、何のことはない、今回の「現宗研だより」は、9月の中央教研の告示をさせて頂きました。
 
  蛇足:『無縁社会』を考える
 
 NHKの番組で取り上げていた事象の一つ一つは、新しいものではないかもしれません。例えば、「孤独死」というような言葉も、既に1970年代から使われており、80年代には、繰り返しマスメディアに登場した、との指摘もなされています。
 また、「無縁死」という言葉の使い方なども、きちんと定義されているわけではなく、些か曖昧で恣意的であるということも否めません。
 しかし、今般のNHKの「手柄」は、栗原師が仰っているように「私たちだって、孤独死をしなければならないのかもしれない。」と、誰でもの問題として、「無縁死」を提起し、「無縁社会」で可いのか、という問題を投げ掛けたことにあると言えましょう。
 本欄で、脳死の問題について触れた際に言及した、死生観を研究する筆者の友人も「他人事ではないというメッセージを伝えていて良い番組だった」と評していましたし、また、私事ですけれども、筆者の配偶者も「あなたはこうした問題を自分の問題として意識したことはないかもしれないけれど、あなたに万が一のことがあった場合には、これは即わたしの問題だ」と言っておりました。

 仏教の教えの基本は縁起ですから、縁のない社会、縁の無い生などというものは、教理的には存在し得ないわけですけれども、NHKの番組が、こうしたインパクトを持ち得たのは、やはり「無縁社会」「無縁死」といったネーミングの妙のゆえでもあったと言えるでしょう。そして、全ての自治体を調査して、実数のはっきりしなかった「無縁死」について3万2千人という数字を示し得た、その調査力には、羨望の思いを込めて、脱帽しておくべきでしょうか。
 更には、孤独死や児童虐待などの、個々別々に捉えられていた問題を、「無縁社会」ということばを通じて、総合的に把捉しようとしたこと。

 いずれにもせよ、「無縁社会」的な現象が、立正安国を目指す私たち日蓮門下の者にとって、直視し、超克を企図して行かなくてはならないものであることは、言うまでもないことと思われます。それが、如何に困難なことであるにもせよ……。
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