日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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宗報 平成21年11月号 第260号 改訂 第92号

現宗研の調査研究ノート
 「立正安国」と教化学(二)
日蓮宗現代宗教研究所所長 田澤元泰 

教化学体系
 
  教化学体系
 
1、「教化」の使われ方(法華経・ご遺文)
 教化学の体系化ということについてお話しいたします。最初に、法華経並びに日蓮聖人のご遺文で、この教化という文字がどう扱われていたのかを少しまとめてみました。
 法華経については、岩波文庫上中下三巻にて調べました。まず、釈尊が菩薩を教化する、という表現が大変多く見られました。この他に、寿量品の「常説法教化」とあるように一切衆生を対象とした部分もみられます。
 はじめの菩薩に向けての文言は多いんですけれども、やはりこれは、恐らくその先の、地涌の菩薩を想定されたうえでの迹門だと思います。菩薩というものを敢えて出されたというのは、そこに確たる信仰を持ち修行をされているという、ハイレベルなものに対する教化という、大きな意味を持っているのかなと考えております。始めから一切衆生を教化するということではなくて、敢えて菩薩というものを対象にしている理由はなにかという、素朴な問題意識から勝手なことを申し上げております。
 そこには菩薩は誓願を持っているという特色があります。誓願を持った菩薩に対する、更なる釈尊からの教化というものはなんだろうか、ということです。
 次に、寿量品で常説法教化とありますように、法華経での教化というのは、一切衆生を仏道に入らしめる、悟りの世界に入らしめるということが、釈尊の教化の目的ということであります。
 このほかに興味を持つ箇所があります。それは法華経の受記品の、
 「仏土を浄めんがためのゆえに、常に仏事を作して衆生を教化せるなり」
 という一節です。この一節は宗祖にとっては大変大きな意味を持っていると思います。この世を浄めるという仏国土顕現に繋がるということです。宗祖が『立正安国論』をお書きになったということの根拠の一つになるのではないかと思われます。
 次に、日蓮聖人ご遺文については昭和定本の一巻二巻のみではありますが一応調べてみました。宗祖のご遺文につきましては、教化という語句は法華経に帰依するという意味の、宗祖の布教行為として使われています。宗祖にとっては教化という言葉は布教という行為として捉えられて当然のことでございます。
 以上のように、釈尊が法華経にて本仏の誓願としての救済に伴う教化という場合、これは釈尊から我々に対して教化をされるわけです。それと宗祖が法華経・お題目を広められる弘教のご生涯において、それを支えられる意味での法華経の経文をよく引用されます。それとは別に、宗祖がご自分の言葉として教化という言葉をお使いになる場合があります。それは法華経の引用とは違う、宗祖から直接に私たちに発せられるお言葉であります。これは当たり前のことなんですが、それにつきまして、もう少し内容を進めてみたいと思います。
 
2、これまでの教化学について
 昭和五十八年、現代宗教研究所の当時主任をされていた石川教張先生が、教化研究集会において、教化学という言葉を使い、教研会議にて行われてきた教化活動に関する事例、体験を、更にはそこから発生する問題点の解明、そしてその方策など、具体的な成果を集約しつつ、教化の内容を明確にしてこれらの体系化を図るという、教化学の重要性が提示され、更に教研会議の大きな目的として、教化学の体系化があることが提示されました。 更に、その体系化につきまして、五つに大きく分類をされておられます。まとめた形でご紹介します。
 一つには、研究という立場において本格的に信行と教化の理論と、その方策を体系的にまとめることが、現宗研の使命である。
 二つに、日蓮宗が伝道教団として確立するために、単に行政的な措置を講ずるだけでなく、教化の事例や体験研究を踏まえ、教化の内容と方策をとりまとめて提示していく。教研会議等で行っていることであります。
 三つには、安直な形で技法的に教化を考えていくことではなく、信仰的に体験的に磨かれたものを提示し、現場において生かしていく教化内容を、教化学としてまとめる必要がある。つまり、人それぞれ色々な技法があるが、そういう方法論が中心ではなくて、もっとそれを通しながら、信仰的に教化していくということの、基本的な内面的な構築を積み重ねてゆくといった意味です。またそれが洗練をされ、実績を持った多くの経験の方々として、体系化していく、そういう内容をまとめて体系化していくということが大事だということです。
 四つには、現代社会の状況に対応できる教化学であります。
 五つには、教化学の研究内容は、信行論や教団論だけでなく、寺院や住職が現実に遭遇する問題や、寺庭婦人の位置づけなど、また十人おれば十の課題があると言っても過言ではないほど多岐に亘る色々な問題の研究内容を受けて、具体的な研究テーマとして、法華経は全ての人を仏道に導き入らしめる教化を説き、日蔭聖人による社会と人間の救済の教化実践を元に、教化弘通の内容方策を考えれば、ここは既に教化学というものが内包されている。と述べておられます。
 
3、教化学体系構成
概略図
    教義(法華経・日蓮聖人)
    ↓現実化
    教学
    ↓教学の現代的意義の解明
    教化学
      イ、教化学原論
          ↓
      ロ、教化学理論
          ↓
      ハ、教化学応用論
          ・教化応用理論
          ・教化応用実践論

 私たちもそういうものを受けとめながら、今日の教研会議等に臨んでいるわけです。そこで大変僣越ながら、もう少しこの辺のところを私なりに、教化学という意味合いから少し整理をしてみました。この整理によって分かり易くなったかどうかは別としまして、簡単な概略図を参考にしていただきながらお話しいたします。(概略図参照)
 まず、教義というものがございます。これは日蓮教学という言葉の前に、法華経、そして日蓮聖人によって示された、教えの世界、信仰の世界そのものと思ってよろしいかと思います。
 それを今の自分の信仰の世界にどのように受け止めていくか、これが教義の現実化です。他人事ではなく、ああ昔はそんな偉い人がいたのか、すごいな、ではなく、それを自分としてどう受け止めるのかということが教学となります。日蓮教学というのは、宗祖のみならず、歴代多くの先師や、そういう方々の論も入ります。それをご自分の問題としてどう受け止めるのかということが教学だと思います。
 しかしこれはあくまでもまだまだ、法華経であり、宗祖のご遺文や先師の各論等の枠内であります、それを実際に今度は布教の現場で、いろいろ変化している社会的な問題にどう対応していくか、どう自分はそれについて述べていくかという努力が、この教化学という、もうひとつのジャンルとして置いておく必要があるんではないかと考えるわけであります。ご遺文の現代訳というのは教学の部分として今日までとらえてきました。それは重要なことではありますが、それで終わるのではなく、そのご遺文を、現在目の前にいる人に対して、どう説くか、その人の悩みに近づき、どう関わるかということが更に重要であります。ただ、ご遺文でこう書いてあるよということで済まされない現実もあります。教化学は、教学の現代語訳ではなく、教学を布教に生かすために、現実の問題との間を埋めるものという位置付けだと思います。
 そういう意味での、教化学というものを想定した上での考え方として、三つの分類をしてみました。けして大それた学問体系を提言するわけではありません。今後教化学というものを体系化していくための、手続き的なものとして受け止めていただければと思います。
 
4、教化の基本と教化学原論
 まず、教化学原論というのがあります、教化とは何か、という基本的なものの中に、理論的に、肉付けをしていくという部分、理論化の中身であります。もうひとつは、先ほど申し上げました布教の現場、実際に布教をされて、それなりの実績なり、経験から課題が発生します。そうしたものを応用論として分けました。以上の三つであります、特にこの原論というのは、一般的な学問での原論とは異なるのかも知れませんが、敢えて原論という言葉を使って、教化学においては、教化学理論と、教化学応用論と二つあるということを骨格として、考え方の方法として示すのが原論だということであります。そして中身としては、理論と応用論という大きな二要素で構成するということです。例えば物理学でも理論物理と、応用物理があるのと同じように位置付けしていただければと思います。更にもう少し付け足しをさせていただきます。それは、教化学応用論というのは教化研究会議などでも提起されるように非常に多岐に亘りますので、補足的な意味で、この教化応用論の中に、更に応用していくための、まあ基礎的な法則といったものを作り上げていく部分としての理論があります。それから実際に、こうしたらこうなったという、事例集的なもの、これが実践論として存在致します。つまり応用論の中にもうひとつ、内在しているということでございます。
 教化学研究の内容というものは本来、法華経、日蓮聖人の教えというものの中に、既に教化学というものの原形が内包されており、それから私という現実に降ろしてくるための考え方を、概略図にて私なりに示させていただきました。はなしは少し戻り、先ほどの法華経、ご遺文等の捉え方の部分になるんですが、教化というのは釈尊の場合は、教主の立場として説かれました。そして、法華経への帰依ということを、信仰行為として我々に勧める、それが教化という内容であります。そしてさらに「仏土を浄める」という部分が入っておりまして、我々に法華経を帰依をするということを勧める、またそれを提示していくという教化であります。結果としてこの世が寂光土であるという世界へと展開されていくわけであります。宗祖の場合は、そうしたことの説かれている法華経への帰依を勧められておられるのですが。宗祖ご自身が仏弟子として法華経に帰依されているところから始まるわけでありますが、更に宗祖の弟子や信者の立場になりますと、そうした宗祖への、帰依というのが生じます。私たちは出家得度ということから始まって、釈尊の弟子という意識に加え、日蓮聖人の弟子という意識があります。これが日蓮宗なのです。その意味においては、もうひとつ帰依の対象というものがあるわけです。これは大変重要な意味を持っていて、当然なことを敢えて申し上げておりますが、宗祖と異なる信仰的意味合いがあることを明確に位置づける必要があるのです。それが日蓮宗にとっての教化学の体系ということであります。宗祖の本化地涌の菩薩のご自覚に対する、祖師信仰、これは我々のみならず、多くの檀信徒に対しても、そうした布教の展開がされてきたわけであります。そうしたものの受け止め方に基づいて、日蓮宗教化学というものが大変重要なテーマとなっているということであります。宗学が日蓮聖人の教義を信仰的意味で体系化されていく、さらに先師の各論も合わせて、教学という形になっていくと思います。それに対して教化学というものは、その教義や教学が元ではありますが、教化のための内容や方策を、個人の経験のみに終わらせずに、学問的にまとめてゆくことであります。それは十人十色あると思いますが、それをまとめて、分析し、分類もしてゆくことから体系化を図る必要があるのではないでしょうか。
 さらに、宗祖について多少は分かるけども、うちの寺の開山上人や歴代上人は一体何を当時の人々に、どういう布教をしたのかということになるとなかなか分からないのが現状ではないでしょうか。ご本山などお寺によっては書物や文献が整備されていることとは思いますが、宝物として奥にしまったままでいることもあるのではないでしょうか。我々としてはそうした先師のものも、しっかりと受け止めていく。それは宗史や宗学史や日蓮教団史という分野ですが、それを更に今の自分にどう捉えていくかということが大切だという意味で申し上げております。それは私たちが日々、檀信徒や社会に対して、色々と布教教化をされている上での大きな素材になり得るということです。将来、皆さんがたが実践し経験されていることが、五十年後、百年後に、大いに役立つことを想定して書き置くなど、何か常に残していく、また現在でもお互いにそれらの情報を共有し、自分だけのものにしないことも大切なことであります。その上うな事も教化学の中で位置付けしていく必要があろうかと思います。以前はそれらは本山や法類等にて行われてきました。あのお経の読み方を聞けば、どこの法類だなと分かるくらい脈々と伝わっていました。本山の貫首はそれらをよく把握されて若い弟子や門下に教えておられました。現在は宗門が教育制度のなかで行われていますが、各地域での伝統はやはりそれぞれの本山を中心として伝承されてゆく必要があるのではないでしょうか。それは同時に、教師育成において、何を教えるかということに関して、歴史と伝統というものの中で、当然培われたものがあるわけです、そういうものも重要ではないかと思われます。せめてそういう伝統を少しでもお感じの方は、それをしっかり留めておいて欲しい、また後世の人間がそれを、開けるようにしておいて欲しい、そういう努力はそれぞれが与えられた中でしていただきたいと思います。現宗研としてもしっかりと受け止めて、大きな形へと残していく課題はありますが、まずはそれぞれが、できる範囲で始めていただきたいという意味であります。教研会議も、そういうことを議論し、そういう現場を見てみるとか、或いは情報を交換し合う、それらを常時行うために、教化センターが三百六十五日機能するという必要が出てきているのです。
 話が少し各論に入りすぎましたが、この原論を元に、いよいよ、教化学理論という部分の内容に少し触れてみたいと思います。
 
5、教化学理論
 現代社会の問題に如何に対応させるか、そのための原則は何か、ということを研究しまとめることが教化学の理論となります。布教をする者にとっての法華経、日蓮聖人とは何か。そして出家の発心が布教の原点であることを、法華経やご遺文をはじめ、教義論などでの基本資料を基に理論構築する。法華経は全ての人を仏道に導き入らしめる教化を説き、日蓮聖人によって示された、社会と人間の救済のため、教化実践を元に、教化弘通の内容方策を考える。現代社会の状況に対応するための方策を考える。教化の事例、体験研究を踏まえ、教化の内容と方策をとりまとめ、提示していく。理論というひとつの位置付けを、こんな表現でまとめてみました。まず布教の原点は、信仰に基づく発心であります。これは言うまでもありません。嫌々やっているのでは布教とは言えないわけであります。よく車の営業で例えられますが、営業マンが、本当にその車が良いんだと思って一生懸命に売る、しょうがないけど、マニュアルがあるからこれでとりあえず話しておけば、という売り方とは自ずから違うということを何かの本で読んだことありますが、我々にとってもそういう意味では、発心が原点となって布教していく、布教は発心がなければ有り得ないという、これはわれわれが宗祖を仰ぐというところから既に始まっております。そこにおける認識と行為は、大きく二つに分けてみたいと思います。

(ア)自己認識
 それは、法華経、日蓮聖人に対して、素晴らしいと思うこと、他にそれを広めようとすることの二点であります。この二つを分けて捉えていただきたいのです。まずはじめに自己認識という言葉を使わせていただきます。それは、法華経、日蓮聖人に触れて素晴らしいと、思うことです。発心と言ってもいいと思います。自己の内面を高めること、ただこれは常に、それを維持していかなくてはならないことです。昔は素晴らしいと思ったけど、今はもうそうじゃない、なんてことは有り得ない、常に維持していかなければならないことがらです。もっと言えば高めていかなきゃならない。それが、この教化学の、教化という言葉のひとつの持つ要素です。信仰すること、教義を己のものにしようとするのもそこなんです。学問的な、論文の検証ではないのです。宗祖に親しむ、宗祖に学ぶというところから、ご遺文に接していく、或いは法華経もそうだと思いますが、その意味においての、自分を高めていく、それを自己認識と呼ばせていただきます。それは現代に生きる多くの方々に対して、説得、納得をさせる大事な要素なんです。しかし、まだそれは自分の内面でありますけども、大変重要な部分を持つということです。

(イ)誘導認識
 二番目に、自己認識に対する言葉がなかなか見つからなかったので、勝手に誘導認識などという言葉を使わせていただきました。実は境界誘識なんていう認識字の言葉を使ってもいいんですが、ちょっとわかりにくいので、誘導するという意味で、自己認識に対して誘導認識という言葉を使います。その誘導認識とは、法華経、日蓮聖人に触れて素晴らしいと、他に語ることです。己の信仰を、他に説こうとする、それがまさに教化になるのです。信仰を広める、それは、教義の現代化であり、また、相手や社会に対して、その理解をさせる努力がついてまいります。これが、布教教化とか、伝道という言葉などといろいろな部分でそれが基本になっています。布教院や声明講習でもそうでしょう、或いは行堂でもそうだと思いますが、そういう中で同時に実は内面を高めるということも課題になっているはずです。
 当たり前なことなのですが、ちゃんと意識しないと、檀家に向かってご遺文の訳したのを配ってりゃそれでいいんだ、というような形骸に陥りやすいために、敢えて最初のほうの自己認識というものを常に我々は意識していこうということです。それは自己教化ともいえます。釈尊や宗祖に直参をしていく、この関係を常に維持していく、これは釈尊の目線であり、宗祖の目線としてこちらに向けられているという自分の意識であり、教化するのではない、教化されているという意識が大切なのです。そのような状況を両面で見ていくという意味であります。敢えてその辺の必要な要素、これを抜きには教化学にはなり得ないということを申し上げたいために、二つに分けてみました。それらが、教化学理論という言葉の中で、いくつかの課題として、項目が挙げられるのではないかと思っております。
 次に教化学応用論について述べてみたいと思います。
(次号に続く)
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