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現宗研だより 過疎寺院活性化と朝日新聞と創価学会と(その二)
日蓮宗現代宗教研究所主任 髙佐宣長
教化センターへの依頼
現宗研メンバーに呼び掛けて、六月二日付の朝日新聞朝刊を蒐めてみると、更に別バージョンがあることが判りました。そこで、ちょうど六月十八日に、平成二十年度の「教化センター連絡会議」が開催予定であったことでもあり、全国の教化センターに、当日の朝日新聞朝刊を調達して下さるように依頼することとして、次のような依頼状を全国の教化センター宛送付致しました。
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資料提供のお願い
合掌 平素より為宗為法の御盡力を賜り、御法労に甚深の敬意を表します。
さて、既に御高覧の方も多いことかと存じますが、去る六月二日、朝日新聞朝刊に、「寺離れ 地方も都会も」もしくは「お寺存続 四苦八苦」という見出しの記事が掲載されました(三面「あしたを考える」もしくは「時々刻々」の欄)。
当研究所にも取材があり、田澤所長のコメントも掲載されたので御座いますが、伝統教団の取り組み、という趣旨の記事になるものと理解しておりましたものが、結びに新宗教側からのコメントが収録されるという体載になってしまっておりました。
場合によっては、朝日側に抗議することも考慮検討しておりますが、事実関係を調べておりますうちに、掲載記事そのものが、地方地方によって若干異なっていることが判明致しました(創価学会のPR記事になっているかと見紛うような地方すら御座います)。
そこで、現宗研では、当該記事を能う限り蒐集したいと考えております。
つきましては、来る六月十八日の「教化センター連絡会議」の際に、当該記事の掲載されました貴地の朝日新聞をご提供頂きたく、お願い申し上げます。
なるべく、コピーではなく、現物を集められればと考えておりますので、宜しく御協力下さいませ(やむを得ない場合は、コピーでも結構で御座いますが、その場合、第何版であるかも御教示下さいますようお願い申し上げます)。
急なお願いで恐縮で御座いますが、事情を御賢察の上、何分宜しくお願い申し上げます。
何か御不審の点が御座いましたら、現代宗教研究所までお問い合わせ下さいませ。
| | 再拝
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六月二日の記事の五つのバージョン
その結果、前回御紹介したものも含めて、以下に掲げる約五種類の記事が発見されました。もっとあったのかも知れませんが、現宗研に集め得たものを分類整理してみると五種類になった、ということです。煩を厭わず、前回(平成二十年十二月号)御紹介したものも含めて、五つの記事を載せてみましょう。
記事  は、現宗研で最初に確認したもので、前回掲載したものです。記事  との相違は、主に創価学会のコメントの取り扱い方ですが、記事  の方が、より創価学会寄りのものであることは既に申し上げた通りです。
上田紀行東工大准教授のコメントに対するリードも、記事  で「不安の時代 心のケアを」とあるものが、記事  では「『家』に基盤 時代と溝」と、伝統仏教に対し、批判的な色合いの濃いものとなっていることも、前回記しました。
こうした点から、記事  は、五種類のうち、最も伝統仏教から離れたスタンスで編まれていると言えるかと思われます。
記事  〜  は、本文は記事  ・  とほぼ同様ながら、見出しの付け方などが異なるもので、一見してお判り頂けるように、記事  ・  で「寺離れ 地方も都会も」とされていたメイン見出しが、「お寺存続 四苦八苦」とされています。
記事  と  は、基本的な構成は同じであるものの、創価学会のコメントの取り扱い方に相違があり、記事  は記事  と同様、記事  は記事  と同様です。
記事  は、記事  ・  のタイプとも記事  ・  のタイプとも若干相違し、後者寄りながらも、両タイプの中間、折衷のような作り方をしているように見受けられます(創価学会に対しては、記事  ・  と同様であり、伝統仏教に対する批判色が、ややソフィスティケートされたものになっています)。
因みに、記事  〜  では、「住職不在→衰退 悪循環」という、田澤所長のコメントに基づいた小見出しが付せられています。
また、上田准教授のコメントに対するりードは、記事  〜  とも、「システム崩壊 心のケアに道」とあり、言うなれば、記事  と記事  との中間的なスタンスでのものと言えるかと思われます。
五つのバージョンの分布
 | | 管区別分布図 |
各教化センターに集めて頂いた六月二日の朝日新聞の過疎地寺院に対する記事がほぼ五種類に分類出来ることが判りましたので、それを管区別に分布図を作成してみました。
朝日新聞が地城版を作る際の区割りが判りませんし、それが本宗の管区割りと同じであることは勿論ないとは思われますが、どの記事がどういった地域の版で用いられたのか、或る見当を付けることは出来るのではないかと思われます。
当日の朝日新聞を蒐集し切れていない地域が多く、白いままになっている部分が多すぎますので、詳細な検討は致しかねますが、ざっくり申し上げて、都市部には、比較的伝統仏教批判色の弱い(=創価学会寄りでない)記事(  ・  ・  )が掲載されていたように思われます。
京都、大阪ではDが掲げられたようです。
実は、筆者は、九州教研で田澤所長が別バージョンの記事を発見されたのを知った時、京都ではそちらの記事が載ったのではないか、つまり、浄土真宗本願寺派の方が御覧になったのは、現宗研サイドが最初に把捉したものではなく、伝統仏教側に批判的な、創価学会寄りの記事だったのではないかと勘ぐったのでした。
それなら即抗議となってもおかしくないと考えたのですが、  と  では、若干の相違はあるとは言え、  や  などと程の差異はありませんので、これは筆者の考え過ぎ、と言うか、やはり本願寺派の方に比して、筆者の考えが緩かったと言うことになるのかと反省させられました。
朝日記者と連絡つかず
ところで、当該記事について田澤所長より御報告をしたところ、内局でも、本願寺派のようにすぐに抗議をするということではなく、取材した記者に事実関係を確認せよ、という御指示でした。
そこで、M記者の携帯電話に電話をしてみたのですが、例の「電波の届かないところにいるか、電源が入っていません」のアナウンス。Mさんから頂いた名刺に記載されている朝日新聞東京本社生活グループに電話をしてみると、大阪支社に転勤になられたとのこと。それではと大阪に電話をしてみると、不在とのことでしたので、こちらに連絡を下さるよう伝言をしました。
その後も数次連絡を試みたのですが、一向に連絡が付かないまま、半月ほど経過してしまったのではなかったかと記憶します。
連絡が付かないという場合、人は余り良い方に物事を考えません。筆者は、次第に、故意に連絡をして来ないのではないか、と思うようになり、記事の内容と相侯って、M記者への不信感が募って行くこととなりました。
朝日新聞英語版
さて、お話は少し前後するのですが、問題の記事が載って一週間ほどしてから、朝日新聞の英語版のスタッフから電話が入りました。
用件自体は、当該記事を英語版に掲載するに当たり、現代宗教研究所の英語表記を知りたい、というお問い合わせでした。
筆者は、基本的にはお門違いな物言いであることは承知しつつも、このままの記事が英語版にも掲載されてはならない、と思い、担当者に口頭でクレームを入れました。
当該記事は、伝統仏教の過疎化への対応を報ずるものであり、新宗教側のコメントを掲載する必要はないのではないか。殊に、創価学会のコメントを特筆大書するというのはどういうことか。創価学会は、確かに、日本最大の宗教団体ではあるけれども、他の新宗教系の団体の集まりでも、創価学会とは一線を画している。例えば、当研究所が直接関係している機関で言えば、教団付置研究所懇話会というのがあり、伝統教団のみならず、新宗教の教団の研究所が加わっているが、創価学会の東洋哲学研究所が加盟していたりはしない。言わば、伝統教団からも、新宗教教団からも、異質と捉えられているのが創価学会である。新宗教サイドのコメントを載せる必要すらないのに、なにゆえ、そうした創価学会の自賛的なコメントを掲載するのか。こうした記事に、識者の解説を付すということは理解が出来るが、その役割は、既に上田紀行東工大准教授のコメントが掲載されていることで果たされており、新宗教側からの見解を掲載する必要はない筈である。巷間、創価学会のマスコミ支配ということなども言われており、当方は、貴紙までもそうであるのかと疑いを持っている。先日は、浄土真宗本願寺派から電話があり、貴社へ宗派として抗議をするという話であった。……
電話を掛けて来た担当者も、ちょっと問い合わせのツモリが、自分が直接取り扱った案件でもないことに対し、筆者からの抗議を聞かせられたのでは災難なことだったかもしれません。しかし、話の内容は判った、自分には判断が出来る問題ではないが、そちらの意向は、デスクに伝える、と約してくれました。但し、貴研究所の意向通りにするとは約束出来ないし、また、英語版は日本語版と比して紙数が少ないので、記事を縮小することが多く、貴研究所の英語表記を伺っても、所長のコメントを活かすかどうかについても、現段階では確約はしかねるけれども、ということではありましたが……。
 | 記事 |
後日送付されてきた、朝日新聞英語版の二〇〇八年六月十九日坂に掲載された記事は、上段の通りでした(記事  )。
当方の言い分を聞き入れて、日本語版を適切に修正して頂けたことは、有り難いことでした。
まさか、英語版にも、いろいろなバージョンがあったりはしないでしょうから……。
それから
英語版も発行され、暫くして、M記者と連絡が取れました。
六月中のことだったと思います。筆者が、これを最後にしよう、と思って、M記者の携帯電話に電話したところ、彼女が出たのですが、些か記憶が曖昧になっておりまして、何日だったのか、何故これ限りにしようと思ったのかが、はっきりいたしません。何らかのタイム・リミットがあったような気はするのですが、どういう事情でタイム・リミットとなったのか……。
M記者には、先ず、これまで幾度か連絡を取ったけれども、梨の礫だったことをお話ししたのですが、こちらから連絡があったこと自体を認識していなかった、という話で、筆者としては、些かならず、釈然としない思いでした。
そこから先の話も、一層釈然としなかったのですが、記事のバージョンの件について質してみても、判然とした話は聞けませんでした。
記事の本文には、小稿で触れた以上に、かなり細かな相違があるのですが、何故そうした差違が生じたのか、どこまでを彼女が書いたのかについてを訊いても、支社毎の判断で、という程度の答えしか返って来ませんでした。
更に釈然としなかったのは、言うまでもなく、創価学会の件でした。
あの記事の作り方では、創価学会の広報紙と言われかねないのではないか、なにゆえ、あそこで新宗教、殊に創価学会のコメントを掲載する必要があったのか、と、英語版からの問い合わせの時と同様に質問してみたのですが、創価学会サイドに立ったような意識は全くなかった、創価学会に気遣いながら記事を書くというようなことは全くない……と言うばかりで、ほとんど、こちらが何故そんなことを問い糾そうとするのか理解出来ない、という風情なのです。それは、批判を躱そうとか、そいうことではなく、本当に解らない、というように聞こえました。
読者諸師お気付きの如く、これは、そこまで創価学会が浸透してしまっている、という問題なのであろうと思います。
朝日新聞の記者が、創価学会寄りの記事を書くことを意図して書いた、のであれば、寧ろマシだったのかもしれません。
殊更に創価学会サイドからの記事を書こうとしたのではなかった(本当になかったのだと思えました)にも拘わらず、ああした記事になってしまうということが、現代の我が国の宗教情勢を如実に物語っているように思えてなりません。
無論、あれが客観公正であると思っているのであれば、朝日新聞、その編集者、記者には、大いに反省して貰わなければなりませんけれども、朝日新聞のみならず、マスコミの目を覚まさせるのは、容易なことではなさそうです……。
それでも、流石は天下の朝日新聞、当該記事が掲載された後、複数のマスコミから、過疎地寺院活性化に関する問い合わせがありました。
中には、あの「ニューヨーク・タイムズ」なども含まれておりましたのですが、そのお話は、いずれまた機会を得て、ということにいたしましょう。
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現宗研では、本年五月二十一日から実施される裁判員制度に関する研究調査を実施しております。
そこで、本宗関係者で、「裁判員候補者名簿記載通知」すなわち「裁判員候補者名簿への記載のお知らせ」をお受け取りになられた方が御座いましたら、取材させて頂きたく、現宗研まで御一報下さいますようお願い申し上げます。
尚、裁判員候補者名簿に登録されたことを公にすることは法律によって禁じられていることは充分に承知しております。取材させて頂いた内容を、御本人を特定出来るような形で公表することは御座いませんので、御心配なきようにお願い致します。
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