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現宗研だより 教団論セミナー
日蓮宗現代宗教研究所主任 髙佐宣長
「宗教法人の公益性」をテーマに
平成二十年二月七日、「宗教法人の公益性を考える」をテーマに、第十八回法華経・日蓮聖人・日蓮教団論研究セミナー(あまりにも長い名称ですので、以下、「教団論セミナー」と略記します)を開催いたしました。
現在はこうした長い名前になっておりますが、平成二年一月に最初のセミナーを開催した際は「教団研究懇話会」と称していました。この際には、「教団論−宗門僧侶の現状と僧侶教育のあり方を中心にー」をテーマに、僧侶の実態、教育機関の現状と生涯教育・僧風教育の在り方について研修しました。駒沢大学講師・曹洞宗教化研修所主事(当時)の中野東禅師の「僧侶の生涯教育と子弟教育」と題する講演に引き続き、現状分析と問題提示、解決策等について意見交換を行っています(中野師の講演は、平成三年三月刊行の「現代宗教研究」第二十五号に収録されています)。
現在の教団論セミナーでは、講演部分を檀信徒をも含めた公開講座とし、質疑応答などの後、教師のみの参加による意見交換の時間を設けることにしています。
例年は、現宗研の研究調査活動に平生より御協力いただいている方や、今後、特に御支援をお願いしたい方などをお招きして来たようですが、昨年度は、テーマの性格なども考慮して、教化センターを中心に参加者を募ることといたしました。
周知のことかと存じますが、一昨年五月、公益法人制度改革三法が成立し、本年十二月一日より完全施行される運びとなっております。
現宗研といたしましても、現代教学、新宗教、過疎地寺院対策、環境問題、生命倫理等々様々なテーマでの研究調査を幾つかのプロジェクト・チームを組みながら進めるに当たり、ここ数年は「寺院の公益性を念頭に置いて」を共通テーマとして掲げつつ、それに取り組んで来ています。
しかしながら、この問題については、宗内、あるいは、佛教界、宗教界に於いて、必ずしも確とした共通認識が持たれていないようにも思われましたし、現宗研メンバー内でも、有り体に申し上げて、充分な理解がなされていないようでも御座いましたので(何のことはない、筆者自身、今般の講演を拝聴して、自身の余りの勉強不足に、我ながら呆れてしまったのですけれども)、教団論セミナーとして取り上げるべき格好のテーマではないかと考えたのでした。
そこで、近現代日本宗教研究の第一人者であり、この問題についても造詣の深い東京大学教授の島薗進先生と、宗内のみならず、この問題に関する宗教関係者のオピニオン・リーダーとして活躍されておられる本宗顧問弁護士の長谷川正浩先生を講師としてお招きし、宗教法人の公益性の何たるか、公益法人改革によって何がどう変わるのか、そして向後の展望如何、といった問題について御講演いただき、今後私たちが採るべき方途を考えてみる機会とすることを目的として、このたびのセミナーを企画いたしました。
昨年の宗会での議論
実はこの「宗教法人の公益性」という問題については、昨年の宗会でも取り上げられ、議論がなされております。当「現宗研だより」で、宗会での議論に論及するのは如何なものかと思わないではないのですが、この問題についての、大変重要な論点を含んでいるものと思われますので、敢えて御紹介させていただくことと致します(質問者の中井本秀師が、宗会議員になられるまでは、現宗研の研究員でいらしたから、というわけでは御座いません……)。
少し長くなりますが、中井師の通告質問を昨年の宗会の議事録から引用いたします。
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既に今宗会で宗務総長の施政方針挨拶をはじめ指摘されている問題でございますが、公益法人のあり方を見直すという名目のもとに、財団法人、社団法人の実質的課税強化が実施されるに至りました。
今回の法改正に関連して、一つ大変気になることがあります。それは公益性の問題であります。今回の公益法人制度改革において、公益法人と認定されるための最も基本的な要件は、公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律第五条一号に掲げられている「公益目的事業を行うことを主たる目的とするものであること」であります。
ここで、公益目的事業とは、同法第二条四号に「学術、技芸、慈善その他の公益に関する別表各号に掲げる種類の事業」であって、「不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与するものをいう」と定義されております。つまり、公共的、社会貢献的事業を不特定多数の者のために行うということです。このことは、いわゆる宗教法人たる日蓮宗及び各寺院・教会には本来当てはまるものではございません。しかし、ここで言う公益性という概念が、今後すべての公益法人のあり方に敷衍される可能性があるように思えます。宗教法人についても例外ではないかもしれません。
そこで、お聞きしたいのですが、包括法人としての日蓮宗及び被包括法人としての各寺院・教会は、将来的に公共的・社会貢献的な意味での公益性を担保していかなければならないとお考えでしょうか。あるいは宗教が本来持っている公益性を担保していればいいとお考えでしょうか。そしてまた、公共的・社会貢献的な公益性と宗教が本来持っている公益性の違いについてもお教えいただきたいと思います。本宗の顧問弁護士である長谷川正浩先生が問題を指摘なさってから数年を経ておりますので、何らかの方針ができていると思います。よろしくお願い致します。
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この質問に対し、藤岡総務部長が次のように答弁されておられます。
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現在問題となっております宗教の公益性について、中井議員のお尋ねでございます。
公益性とは、不特定多数の人の利益に奉仕することでございますので、日蓮宗の檀信徒だけのための寺院・教会であってはいけないということと言えます。日蓮宗顧問弁護士の長谷川正浩先生は、本宗の教えや寺院・教会というものに公益性があるということを言う場合、あるいは宗教の公益性を考える場合、
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一、 | 宗数的な使命感を持って行動することによって、不特定多数の人の利益に奉仕していること。例えば平和運動、災害救助活動、発展途上国援助活動など。
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二、 | 宗教的文化財とか、宗教的行動様式から不特定多数の人がいろいろな利益を得ていること。例えば宗教的な音楽、絵画、佛像、建築、墓石などや声明、修法等の儀式やお盆、彼岸、節分等の年中行事などを先人からまさに受け継いで後の代に伝えていくことが大切であること。
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三、 | 価値を創造すること。教学が重要であること。
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この三点があると指摘されております。この三つが公益性の中身だということであり、この考え方を御参考いただければと思います。檀信徒だけではなく、不特定多数の人に対し布教活動や宗門運動を日常的にきちんと行っていくことが重要でありましょう。
また、公益性を担保する制度としては、法律面では宗教法人法や規則を守ることであり、宗教面では宗制を守ることが考えられます。
なお、宗教法人の制度改革に関する意見表明は、本宗だけではなく、全日本佛教会とともに行ってまいりたいと考えております。
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ここで中井師が問題にされているのは、宗教法人の公益性という場合、宗教そのものが公益性を持っていると判断するのか、宗教以外の「不特定かつ多数の者の利益の増進に寄与する」こと、すなわち、公共的、社会貢献的事業を不特定多数の者のために行うことが、宗教法人にも要求されると考えるのか(換言すれば、日蓮宗とその寺院・教会は、宗教活動をしているだけで、将来的にも公益法人として認められると判断するのか否か)、ということでありましょう。
藤岡総務部長の答弁は、基本的に長谷川先生の説に則っており、中井師の質問の文言に即して表現するならば、宗門としては「包括法人としての日蓮宗及び被包括法人としての各寺院・教会は、公共的・社会貢献的な意味での公益性を担保していかなければならない」という見解であるとお答えになっているように受け取れます。つまり、宗教活動のみをしているだけでは公益法人としては認められなくなる畏れがあると判断している、ということのようですけれども、答弁の後半の「布教活動や宗門運動を」「檀信徒だけではなく、不特定多数の人に対し」行うことが重要である、という部分は、宗教活動のみでも可と仰っているようでもあり、中井師の二者択一的な質問に対し、単純明快にはお答えにならなかった、と言えるかもしれません。
無論、筆者は、宗会での議論について云々する立場にはありませんし、先述の通り、この「現宗研だより」はそれに相応しい場でも御座いませんので、これ以上の言及は差し控えることといたしますが、中井師としては、この答弁を、日蓮宗とその寺院・教会は、宗教活動をしているだけでは公益性があるものと認定されなくなる可能性があるという見解であると判断され、且つ、その見解に異論を持たれたようであり、
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通告質問は再質問はできないということなんですが、公益性の問題で、宗教は宗教であるだけで公益だという議論がございまして、一般社会の公益性とは違う宗教として主張できるものがあると、そういう意見を、私、聞いたことがあります。そういった点を含めて、これからいろいろ御研究をいただければありがたいと思います。
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とコメントされて質問を終えられています(以上は、第九十五定期宗会議事録〔「宗報」平成十九年十二月号八十七〜八十八頁〕によりました)。
宗教法人にとって公益性とは何か
さて、教団論セミナーでの講演の内容については、このセミナーの公開講座部分を収録した「現代宗教研究」の別冊を、近日中に発行の予定ですので、そちらを御参照頂ければと存じますし、そこには「あとがき」として筆者自身の感想めいたものも書かせて頂きましたので、同じようなことを二度書くのも如何なものかとは思うのですが、以下、予告編とでも申しましょうか、事前宣伝とでも申しましょうか、そうしたものとして御理解いただければと存じます。
このセミナーを企画するに当たって、事前に筆者が持っていたイメージや考え方は、次のようなものでした。
宗教には本来的な公益性があると見做される。その公益性の理念について、島薗先生に御講義して頂こう。しかしながら、政府は、その宗教の公益性に対する本来的な理念を充分には理解せず、公益法人制度改革の中で、言わば、制度の改悪を進めようとしている。その現状と将来の展望について、長谷川先生に御教授願おう。二つの講演によって、理念が必ずしも現実化されない現状を確認し、それに対応すべき教団の在り方について考えよう、と。
ところが、両先生の御講演を拝聴しているうちに、どうも自分が前提としていた考え方は、根本的に間違っているのではないかと思われ出しました。
と、話をそこへ進める前に、両先生の講演内容から、筆者なりのポイントを抽出してみることに致します(以下は、島菌先生の御講演の忠実な要旨と言うより、あくまで筆者の関心に即した整理ですので、その点、御諒解下さい)。
島菌先生には「宗教法人にとって公益性とは何か」というタイトルでお話を頂きました。
宗教法人の公益性ということを考える場合、先ず税制の問題が気になる、というのが、偽らざるところでもあるわけですが、宗教法人は公益性があるからということで税制上優遇されるということを当然の如く受け容れていた戦後の体制の確立以来、すでに五十〜六十年の時を経ており、環境の変化は無視できない、と島薗先生は指摘されます。
米国は、宗教が近代を支えると考えた国家であり、その米国をモデルとして近代化が当然視された時代があったけれども、現代は、脱近代、つまり、近代を相対化し、近代の制度への懐疑が生じている時代であり、宗教法人の公益性というものも考え直すべき時期が来ている、と言うのです。
そもそも「公益性」なるものを考える際、宗教主義的な立場と世俗主義的な立場とがあり、すなわち、公益の源は宗教にあるとする考え方と世俗社会にあるとする考え方があるそうです。現代に於いては、前者は寧ろ少数派であり、世界的な潮流は後者。しかも、日本に於いてはオウム真理教事件以降、世界的にはあの九・一一以降、宗教は人類の共存に対してプラスであるか否かを疑う声が高まり、宗教を制限すべきとする考え方が強まっている……。
元来、「宗教」は個人のもの、公的なものであるよりも私的なものであり、一人一人の人生観、死生観の範囲のものである、とするのが、宗教改革以来、近代の宗教制度の基礎となる考え方であり、だからこそ、政教を分離し、信教の自由を確立し、民主主義の理想と個人の宗教が一致することになりました。
日本では、法然上人以降、教団が、国家にコントロールされない私的な集団化し、宗教の多元化が進みました。鎌倉佛教は個人の宗教を確立したのでした。
しかしながら、現代は、宗教の公的性格を再認識すべき時代であると言えます(日蓮聖人の佛教には、そうした性格がありました)。社会のあらゆる次元で、宗教の介入する必要があるところに、実際には宗教が欠如しています。道徳教育や命の教育といった面で、宗教の果たすべき役割は大きいのであり、西洋流の政教分離に基づいた宗教観は見直されるべきです。
宗教の公益性というものを考える際に、宗教集団の公益性という観点と、宗教そのものの公益性という観点がありますが、両方の視点から観る必要があるのです。
釈尊は王であることを辞めたけれども、公的秩序への関心は強かったのであり、大乗佛教の菩薩行は、こうした水平的連帯として捉えられます。法華経の魅力もまたそこにあると言えますが、但し、こうした性格は、排除の論理にも繋がりやすく、宗教の公益性ならぬ公害性にも通ずるものとなりますので、注意が必要です。
宗教独自の基本的な機能として、人々に安心を与えるということがあり、これは元来は私的なものですけれども、公的なものの基礎、すなわち宗教の公益性の土台となります。これに基づいて、利他的な機能を果たすことが、公共善への寄与となります。そして、歴史的に、人類が保持してきた様々な価値は宗教と共にあったのであり、この文化を維持する機能が重要です。
すなわち、宗教の公益性は、@基礎的機能(安心の付与)A利他的機能(公共善への寄与)B価値維持機能(文化の維持)として整理し得ると考えられます。
公益法人制度改革の現状と展望
長谷川先生には、「公益法人制度改革の現状と展望」と題して、御講演を御願いしました。
以下、同じく、筆者なりの要旨を。
平成十二年十二月に、行政改革大綱が閣議決定されました。行政委託型公益法人(天下り法人)を対象とする、公益法人に対する行政の関与の在り方の改革であり、財政負担の軽減が背景となっていました。
しかし、翌十三年七月に、公益法人全般を抜本的に改革しようとする方向性が打ち出され、平成十四年三月、「公益法人制度の抜本的改革に向けた取組みについて」という閣議決定がなされ、日蓮宗綜合財団などが対象に含まれて来ました。更に、平成十五年六月に「公益法人制度の抜本的改革に関する基本方針」が閣議決定され、同年十二月より約一年間に二十六回の有識者会議が持たれ、平成十六年十一月に「有識者会議報告書」が公表され、十二月にこれに基づく基本的枠組みを閣議決定、平成十七年六月に政府税調が「新たな非営利法人に関する課税及び寄付金税制についての基本的な考え方」を公表、同年十二月、行革事務局より「公益法人制度改革(新制度の概要)」が公表されました。
ここには、大きな問題が三点ありました。
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@ | 民法第三十四条の「公益」の例示から、「祭祀・宗教」が削除されることになっていました。
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A | 現行の社団や財団が、公益認定法人に認定される要件となる公益目的事業の中に、宗教に関する事業が入っていませんでした。
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B | 宗教法人が設立した社団・財団が清算される際、残余財産等が宗教法人に戻らない虞れがありました。
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これを知って、全日本仏教会は、日本宗教連盟や文化庁宗務課などと協同して行革事務局に働きかけ、右記の三つの問題点は回避されました。
すなわち、
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@ | 民法の「公益」例示の文言である「祭祀・宗教」を残す。
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A | 公益目的事業の例示として、「信教の自由の尊重又は 擁護を目的とする事業」を付加する。
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B | 残余財産の帰属を宗教法人でも可とする。
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そもそも「公益性」とは、@不特定多数の者への利益増進に寄与すること、A市場原理に任せると円滑に供給されない性質を有するもの、の二点が上げられると思われます。
宗教法人の公益性(社会的意義や役割の実質的内容)としては、@宗教的使命感をもって活動していること、A宗教的文化財や行動様式を生み出していること、B価値の生成(抽出と創造)を行うこと、の三点が上げられると考えられます。
教学より儀礼が中心になったり、宗教的な行動規範が不在になるなど、社会的意義や役割を弱めている現状に対する認識が必要です。
宗教法人法の上で、ガバナンス、説明責任、情報開示等に関する規定があり、一層の適切化、透明化が要請されています。
将来的に、宗教法人を公益法人として認定することについての議論が再燃する可能性は否定出来ませんが、これは、日蓮教学の現代化にとってのチャンスでもあり、これまで中心的になされて来た、過去の事実の研究、過去の教義の研究、そして、現在の事実の研究に対し、現在の教義の研究、すなわち、行動規範の抽出・創造、右に述べた「価値の生成」を強化し、世界に向かって現代の価値観を発信して行かねばなりません。
「宗教の公益性」と「宗教法人の公益性」
さて、両先生の御講演を拝聴しているうちに、筆者がこのセミナーの企画段階で持っていた考え方は、根本的に間違っているのではないかと思われた、と書きました。
以下、そのことについて若干申し上げて、小橋を閉じたいと思います。
島薗先生には、「宗教法人にとって公益性とは何か」というタイトルでの講演を御依頼したのではありますが、どちらかと言うと、「宗教法人」と言うよりは、「宗教」の持つ本来的な公益性の理念について御教示いただくつもりでおりました。
「宗教法人の公益性」と言えば、法制、制度の問題となりますが、それを裏付けるのは「宗教の公益性」という理念であろうと考えていました。
そして、今思うと、どうやら筆者は、その理念は、宗教そのものの公益性という普遍妥当する真理のようなものであるかのように思い込んでいたのです。
が、さにあらず。
既に島薗先生の御講演内容をまとめましたので、重ねて記すことは致しませんが、公益性の淵源については宗教にあるとする考え方と世俗にあるとする考え方があり、宗教に公益性があるとするのは、米国をモデルとした近代化が当然視された時代のものの見方なのであって、近代に於いては宗教の「個人性」が基本とされ、現代では寧ろその「公害性」に留意が必要で……。
要するに「宗教の公益性」は真理などではあり得ないのであり、世間一般の宗教観そのものなのです。
「宗教法人の公益性」は、制度上の問題ですが、その制度の問題を決定するのは、畢竟ずるに世間の常識の中の「宗教の公益性」です。
世間一般の宗教に対する見方が「公益性」ならぬ「公害性」に重きを置くようにでもなるならば、「宗教法人の公益性」など、認められなくなるやもしれません。
と、「典礼権」についての時と同じようなことを申し上げておりますが、まさにそうなのでして、要は「宗教の公益性」であろうが「宗教法人の公益性」であろうが、事は真理の問題ではなく、世間が宗教を(ということことは、宗教者を)どう見ているか、ということになりましょう。
長谷川先生の御講演を拝聴して、本当に吃驚してしまいました。
民法の公益の例示から「祭祀・宗教」が削除されようとまでされていたことを、筆者は迂闊にも知らなかったのです。
宗教法人の公益性に関する、法文上の根拠となる最も重要な規定が危うく失われようとしていたとは。
ここまでの危機に直面していたとは思いもよりませんでした。
想像してみれば、公益法人改革を担当していた行革事務局の官僚が、根本となる民法の規定を見直そうとした際に、「どうして宗教が公益の例に入ってるんだ?こんなの必要ない」と考えたのでありましょう。彼には、「宗教の公益性」など認められなかったのに違いありません。
今回は、長谷川先生や全日本仏教会によって、事態を未然に防げましたけれども、島薗先生の御指摘の如く、環境は変化しているのであり、「宗教の公益性」ということに疑いを持つ人が増えていることは否めないでしょうから、やがてまた、宗教法人を公益法人として認定するのか否か、宗教は公益の例示として相応しいのかどうか、ということについての議論が起こることは避けられないかもしれません。
そうならないようにする為に、私たちはどうしたら良いのでしょうか。
宗教のイメージアップ、などという言葉もチラリと浮かびますが、やはり、未信徒教化という課題に如何に取り組むのか、ということになるのではないかと思われます。
現宗研の立場で申し上げれば、教化学を如何に構築するか、ということになりましょうか。
その意味で、藤岡部長の御答弁は、まさに正鵠を得ていたのであり、私たち日蓮宗教師の一人ひとりが「檀信徒だけではなく、不特定多数の人に対し布教活動や宗門運動を日常的にきちんと行っていくことが重要」なのだと言えましょう。
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