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現宗研だより 教化学研究発表大会について
日蓮宗現代宗教研究所主任 髙佐宣長
平成十二年から実施
この稿をお読み頂けている方であれば既に御承知のこととは存じますが、現宗研では、「教化学研究発表大会」という自前の学会を開催しております。
平成十二年五月に第一回目が開催され、そこでの成果は翌平成十三年三月、「教化学論集 1」として発行されました。
「発刊にあたって」と題して、当時の石川浩徳所長は次のように書いておられます。
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第一回日蓮宗「教化学研究発表大会」が行われた。この大会の意図するところは、広い視野に立って教化を考える情報交換の場にし、それを平素の教化の現場に役立ててもらいたいのはもちろんだが、中央と教区の研究会議を一層効果あらしめたいというところにあった。更には教化学の確立への足掛かりにもしていきたいとの考えも含んでいる。
本宗の宗是は布教伝道にあり、当然ながらそれは教団にとっての生命線である。教化法は布教伝道の手立てである。手立てをしっかり組み立ててこそ効果ある布教伝道が期待できるのである。(中略)
目まぐるしく変化する現代社会にあって、法華経をすべての根幹に置いて生きる教団として、具体的諸問題にどう対応して行くのか、いま正に問われている。日常生活の中の法華信仰のあり方、教団組織のあるべき姿、他教団とりわけ新宗教への対応、人権問題、環境問題、平和問題、臓器移植の問題等々。山積するこれら今日的諸問題に対して、国家社会の体制に流されることなく、仏教の教えに即した解決策を明示していかねばならぬ。それは日蓮聖人を宗祖と仰ぐ我々の当然の使命であろう。
布教教化はいつの時代にも生きたものでなければならない。本宗の教団の特徴は、動きの中に活路を見いだし、教線を拡張し今日の教団を形成してきたという歴史がある。その歴史に学び未来を開く宗門作りと、常に機能的な布教教化の実を上げる努力を怠ってはならない。
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教化学の確立に向けて
現宗研が掲げるのは、「教化学」というスタンスです。アカデミズムとは一線を画しつつ、かと言ってジャーナリスティックになるのでもなく、時代状況を的確に捉えながら、それに対応する布教伝道の手立てとなるべき教化法を、アカデミズムの評価にも耐え得るように研究する、とでも言いましょうか。あくまでも現場に立脚しつつも、現場に埋没せず、地に足を着けながらも、大所高所からの視点を確保する、という、言うは易く行うは難きことの実践を目指す営み、なのではないか、と、いま考えているところです。
「教化学論集 1」で、当時の主任であった影山教俊師は、「仏教学や宗教学の学問性が『宗教そのものを補償していない』」ことを指摘し、その故に、「宗教活動の現場からの声として『教化学』の確立が急がれ」なければならない、として、次のように書いています。
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いま仏教学や宗教学に比して宗教活動の現場の声としての「教化学」を確立することが急務であると言える。
では現場の声としての教化学とは一体どのようなことなのだろうか。その教化学の視線とはいかなるものを指すのだろうか。今まで教化学という場合、そのほとんどが教化する側からの問いかけであった。しかし、教化には教化される世間があり、そこには今という切口からの問いかけが必要である。
この今という切口の向こう側の世間を知ることが、教化学の一つの視線である。
(中略)
宗教もその時代の人々に受け入れられるために、今という切口の向こう側にいる人々が、どのような立ち居振る舞いをしているのか知る必要がある。その時代と大衆のスタンダードに沿った色や形のメークアップをするには、スタンダードを知らなければならない。ここに教化学の一つの視線がある。教化学とは単なる日蓮教学の現代化ではないといえる。
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影山師の言うところは、「時代のニーズ」ということなのであろうと思います。これを知り、これに合わせなければ、効果的な教化がなされ得ないことは申し上げるまでもありません。一方、これに媚びたのでは、教化自体が教化でなくなってしまうことになりましょう。時代に阿諛するのではなく、時代に適合して、教化の実を上げる。またまた「言うは易く……」の句を用いたくなるところですが、こうした「厳粛な綱渡り」(某ノーべル賞作家の言葉を借りました)にも似た企てが、「教化学」なのかもしれません。
今年度の発表内容
さて、平成十九年度「教化学研究発表大会」は、平成十九年十一月六日(火)、宗務院にて開催されました。
発表者と発表題目は以下の通りでした。
影山教俊師(千葉県釋迦寺住職・現宗研顧問)
「宗教的情操を獲得する過程についてー唱題行による意識変容の研究からー」
石川修道師(東京都法華寺住職・現宗研嘱託)
「宗祖の聖母〈梅菊御前の畠山重患公有縁説〉の一考察」
竜澤泰孝師(山梨県法光寺住職)
「念について考える」
大乘文晴師(山形県常信寺修徒・立正大学法華経文化研究所研究員)
「仏教学と教化−研究者と宗教者−」
伊藤立教師(三重県本覚寺住職・現宗研顧問)
「『千の風になって』の教化学的考察」
早坂鳳城師(愛知県常唱寺修徒・現宗研嘱託)
「『六巻抄』の構造と問題点(5)−「依義判文抄」を通して(その1)−」
梅森寛誠師(宮城県法運寺住職・現宗研嘱託)
「大地動乱の時代を迎えて、原発との『共存』を強いられる私たちは」
三谷詳耶師(大阪府観世音寺住職)
「日蓮聖人の御遺文と地球温暖化」
菅野龍清師(東京都浄延院修徒・日蓮宗宗立谷中学寮寮監)
「宗門子弟教育の現状に関する一考察」
高佐宜長(東京都善行院住職・現宗研主任)
「〈但行禮拝〉考」
更に特別発表として、次の発表がありました。
三好龍孝師(大阪府本澄寺住職)
「納得できる平和運動とは何か?−立正平和運動の再生に向けてー」
近日刊行予定の現宗研の所報「現代宗教研究」第四十二号に、各発表原稿が掲載される予定ですので、是非御高覧頂ければと存じます。
いずれも、各発表者の研鑽の報告では御座いますが、三好師の特別発表は、「宗報」平成十九年七月号に田澤所長が「現宗研の調査研究ノート」の「教化学へのアプローチ−三好達治の詩からみた戦争責任と平和憲法」と題して発表された論攷にて言及されたものです。ということで、ここでは屋上屋を架する愚を控えることと致しますが、田澤所長の原稿は大変反響を呼びましたので、今般、三好師に特別発表を御依頼申し上げたような次第でした。
伊藤立教現宗研前主任の「『千の風になって』の教化学的考察」は、師が現宗研主任当時、「宗報」の「現宗研の時事ノート」で取り上げた、ヒット曲「千の風になって」に関する考察が、朝日新聞等のマスコミによって言及されるところとなりましたので、筆者より、御自身による総括・再検討の発表をお願い致しました。
また、菅野龍清師の「宗門子弟教育の現状に関する一考察」は、日蓮宗宗立谷中学寮寮監であると同時に立正大学講師もお務めになっている学究の徒でもある師ならではの視点による法器養成への提言を含む発表ではなかったかと思います。
紙数の都合もあり、個々の研究発表についての言及はここまでと致しますけれども、いずれもアカデミズムの範疇には収まりきらない、「教化学研究発表大会」ならではの発表を頂けたのではないかと思います。
思いがけない、後日談
ところで、筆者にとっては、この「教化学研究発表大会」は、少なからざる余波がありました。
当日取材をしてくださったマスコミ数社が、この研究発表大会の模様を記事にしてくださる中で、筆者の発表に触れ、「宗門運動の柱に疑義 現宗研主任が注意促す」「但行礼拝観を問う 現宗研主任 現行解釈に疑義」等の報道がなされたのです。
ここでは、弁明することは止めに致します。
筆者の発表内容自体は、前述の通り、次の「現代宗教研究」に掲載の予定ですので、それを御高覧頂ければ幸いです。
ただ、ここまでの事態は全く予想しておりませんでしたし、十一月からの約四ヵ月間は、貴重な経験をさせて頂けたと思っております。
「教化学研究発表大会」では、慣例で主任が司会を務めますので、自身の紹介をして発表を始めたときに、予期せぬ異変は始まりました。
マスコミのどなたかが、発表を始めた筆者に近づいて来て、カメラを向けられたのです。
「あ、これは……」と筆者は思いました。
その年に実動に入った「宗門運動」の柱である項目について、現宗研の新しい主任が研究発表をする、ということは、筆者が思っていたよりも、関心を寄せて頂けることであったことに遅まきながら気付いたのでした。
そして、上記のような報道がありました。
最初に筆者の発表について大きく取り上げてくださった某紙などは、実は大変丁寧に発表内容を紹介して下さっていました。口頭での発表を、あれだけきちんと報じて下さったことに、感謝すると同時に、その報道の適正さに敬意を表したいとすら思っています(後で話してみると、その場で聴いていてくれた現宗研メンバーの人たちでも、かなり内容を誤解してしまったような発表であったものですから……)。
ただ、見出しが、筆者が意図していた以上に、「キツイ」表現になっていました……。
最初の反響は、宗門運動本部企画推進会議の但行礼拝プロジェクトの委員の方々からありました。
当然と言えば、当然ですね。
お問い合わせを頂いた際、筆者は、現宗研の研修調査で、宮崎の元「大日蓮宗」寺院に伺っておりましたので、所長が対応して下さり、取り敢えず、筆者の当日のレジュメをお渡ししました。
その後、宗門運動本部企画推進会議の後、但行礼拝PJの委員の方が部会を開く際に、お声を掛けて頂き、一時間少々であったかと思いますが、意見交換の時間を持って頂けたことは、大変ありがたく存じております。
宗門運動本部企画推進会議は、事務担当の所管は伝道部となりますので、この会議には、伝道部の部課長さんたちも出席して下さって、貴重な意見を拝聴することも出来ました。
殊に、伝道部長さんからは、個人的にも御教導を頂く機会となりました。
現宗研は、その成り立ちの経緯や、物理的な条件(かつては第二庁舎にあり、現在は、地階にあることなど)から、ややもすると院内の他の部局とコミュニケーションが滞ってしまう傾向がありますので、そうした意味からも、ありがたい機会であったかと思っております。
さらなる余波
さらに思いがけなかったのは、この件が、この三月の宗会の代表質問にまで取り上げられたことです。
田澤所長は、通告質問があるのでは、と予想されていたのですが(ここで、ついこの間までの筆者の如く、宗会のことについて詳しくない方の為に申し上げますと、代表質問はそれぞれの会派の代表の方が質問され、これには宗務総長が答弁されます。一方、通告質問は、宗会議員の方の誰でもが質問する権利を持ち−質問する方の多くは一期目の方だそうですが−、答弁は所管の部長等がなさいます)、筆者などは、お会いした但行礼拝チームの方々の中には、それぞれの会派の議員の方々も含まれておりますし、筆者の発表如きが、宗会で取り上げられるなどとは、夢にも思っていなかったのです。
質問の文言そのものについては、いずれ発行される議事録を御参照頂ければと存じますが、筆者の発表により、前述のような記事(見出し)があったことで全国の多くの教師が驚かれた、これは総長に対する不信任ではないか、任命権者としての見識・指導力が問われる、宗門運動の根幹に関わることであり、組織的にも重大な問題であるので、如何なる対応をしたのか明確な答弁を求める、というような御質問で御座いました。
自らの配慮を欠いた未熟な研究発表がこれほどの問題になってしまうとはと、文字通り汗顔の至りであったのですが、総長には、現宗研は、「宗務総長を補佐し」て研究調査を行う機関であるけれども、研究というものは、例えば宗門運動を推進するに際しても、既存の方針に追従するのみではなく、それを点検する役割も果たしてこその研究機関である、研究機関が自由な研究活動を自主規制するようなことになったのでは、かえって「宗務総長を補佐」することにならない、との現宗研の研究調査活動に対して大変理解のある御答弁を賜りました。
少々自身のことについて書き過ぎたかもしれませんが、筆者の至らなさゆえに、「教化学研究発表大会」についての認知度が少しでも高まったのであれば、「怪我の功名」かしらむ、と思っております(こんなことを書くようでは、反省が足りない、とまたお叱りを受けるやもしれませんが……)。
「教化学研究発表大会」は、日蓮宗「教化学」の確立を目指し、共々に精進する場であり、発表資格は、本宗教師はもちろん、寺族、檀信徒をも含みます。
本年の開催日は未定ですが、恐らく平成十九年と同じ時期になろうかと思います。
今から御準備を頂き、是非、大聖人の教えを広め、立正安国を実現して行く方途についての、具体的な提案を発表して頂けますようお願い申し上げます。
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