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現宗研だより 中央教化研究会議(その二)
日蓮宗現代宗教研究所主任 髙佐宣長
平成19年度の中央教化研究会議は、「日蓮宗の教化学を考える−宗教者と社会の関わり」をテーマとして、9月5日・6日の両日、宗務院に於いて開催されました。
5日は、開会式に続いて、宮台真司氏(首都大学東京教授)による「『正しさ』の不可能性と現代宗教−現代に於ける宗教の存在意義と宗教者の役割」と題する基調講演があり、昼食休憩の後、宮台氏の講演を受けてのパネルディスカッションが行われました。
パネルディスカッション
パネルディスカッションでのパネリストは、宮台氏、河崎俊宏師(全国日青会長)、大西英充師(現宗研研究員)の三人に務めて頂きました。筆者は、司会進行役ということでした。
余り内輪話ばかりするのも如何なものかとは思いますが、パネルディスカッションを企画した段階では、特に進行役を置く予定はなかったようです。と他人事のような書き方をしているのは、前回も書きました通り、筆者が現宗研に入った時点で、第40回中央教化研究会議の企画立案は基本的に終了していたから、でアリマス。
これも前の回にお話し致しました通り、大西師は、以前より宮台氏との知遇を得ていて−と言うよりは、師は宮台氏の信奉者という面もありましたので、宮台氏からの宗教者の在り方に対する問題提起に、実践的宗教者としての立場から河崎師に議論して貰い、大西師にはこの対論の媒介役と進行役を兼ねて貰う、というのが、当初の目論見であったようです。換言すれば、ややもすると難解になってしまうかもしれない宮台氏の「通訳」としての役割を大西師に担って貰う予定でした。
現宗研内部で、中央教研についての準備を進めていく過程で、若い大西師にそこまで任せてしまうのも如何なものか、ということとなり、筆者にもお鉢が回って来たような次第です。
無論、現宗研の主任というのは、中央教研に於いて、そういう役回りをこなすべき役職ではあるのでしょうが、前述の通り、企画の段階では一切関知しておりませんでしたし、既に「宗報」に開催要項が告示された後でもございましたので、筆者としては、今回は当初の予定通りに、パネリストの他に進行役を置くことをせずに実施してはどうかと申し上げたのですけれども……。
こうした、消極的な姿勢がいけなかったのだと思います、パネルディスカッションのMCとしての役割を、筆者は満足に果たすことが出来ずに終わってしまいました。
またまた前回と同じことを書いて恐縮ですけれども、宮台氏の基調講演は、現宗研サイドが想定していたものとは、かなり異なった内容のものでした。講演では、現代宗教と「正しさ(の不可能性)」との関係についての、基本的・理念的な話をして頂き、それを踏まえて、パネルディスカッションでは、「正しさ」が不可能であるならば、われわれ日蓮宗教師は「立正」をどう主張し、伝えていったらよいか、といったことを主要なテーマとして、議論をして行きたいと考えていたのですが、宮台氏の講演は、宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の初期版と現在版との相違(初期版ではカンパネルラの死が冒頭に位置し、現在版ではそれがラストに置かれているが、初期版の方が正しいのでは?)に始まり、中沢新一とオウム真理教との関係、べネディクト16世(現任のローマ教皇)について、見田宗介のオルタナティブ論をめぐって、「エヴァングリオン」の教義学、映画「ダーウィンの悪夢」と「正しさ」の不可能性……といった具合でしたので、講演が終了した時点で、さて、こうした内容をどう承けて、分科会討議に繋げて行ったらよいか、筆者は暫し考え込む仕儀に至りました。
基調講演の後、昼食休憩を挟んで、パネルディスカッションという日程になっていたわけですが、休憩中の講師控え室での接待役は、田澤所長、大西師にお任せし、筆者は挨拶だけに済ませて、すぐに研究所の自席に戻り、事前に書いて貰ってあった、河崎師と大西師のレポートを読み直したりしながら、パネルディスカッションをどう進めていったものかと考えました。
やがて、所長が研究所に戻って来られて仰るには、宮台氏の講演は少し解りにくかったけれども、控え室での話は実によく判るし、興味深かった、と。
やはり宮台氏は対談の妙手なのかしらむ。
と、それはともかく、控え室では「異安心」「異端審問」といったことが話題になり、宮台氏から、日蓮宗にはそういうものはないのか、と質問があって、本宗の状況を御説明され……とのことでした。
申し上げるまでもなく、「異安心」も「異端審問」も、教団内の「正しさ」の基準を如何に設定するかというところから生まれてくる問題ですので、ここからならば、宗教的な「正しさ」とか「立正」という問題にはストレートに繋がっていく筈です。
パネルディスカッションは、その問題から入っていくのが良いかもしれない、と筆者は思いました。
無論、基調講演中にベネディクト16世(300年ぶりの異端審問宮出身の教皇)がトピックとして取り上げられているのですから、話の流れとしては極めて自然なのであり、パネルディスカッションの進め方について考え込んでしまった筆者が迂闊であったというだけのことなのですけれども、田澤所長から昼食休憩中のことを伺わなかったら、筆者はこの問題を取り上げようとは思わなかったかもしれません。
ということで、パネルディスカッションの冒頭、筆者は次のやうに発題したのでした。
「先ほど、昼食休憩をされているところへお邪魔致しましたらば、日蓮宗においては異端審問というようなことはあるのか、といった御質問を賜りまして、ではその辺りのところから、午後のパネルディスカッションの議論を始めましょうかというようなことを申し上げました。その場には、パネリストの大西上人も同席されておられたのですが、大西上人は、宗門にも異端審問的なものがあっても可いのではないか、というお立場のようです。そこで、その辺のところを切り口にして、大西上人にまず口火を切っていただければと思います。」
この発題が、遺憾ながら、一向に立正安国という議論に繋がっていかなかったのは、中央教研に御参加を頂いた方の周知のところなのですが、御出席を頂けなかった各聖には、是非、今春刊行予定の「現代宗教研究」第四十二号を閲読して頂き、筆者の拙い司会ぶり、悪戦苦闘の様も読み取って戴ければと思います。
受け易い心算のボールを投げても、筆者のノーコンの故か、受け手と呼吸の合わざるが故か、受け止めて貰えないために、だんだんと球を投げられなくなってしまったような気がしているのですが、パネリストを立てようと少し控え目にし過ぎたところもあったのかもしれません。
などと、せっかく「現宗研だより」をお読み下さっている奇特な皆さんに、愚痴のようなものばかりでは失礼ですので、あとは今中し上げましたように「現代宗教研究」をお読み頂くこととして、パネルディスカッションについては、この辺りに致しましょう。
分科会討議
パネルディスカッションの後は、三つの分科会に分かれての討議となりました。
事前に参加者の方に希望をお関きした上で、
1、現代と教学……立正安国とは何か−現代社会との関わりのなかで
2、教団・教化……社会から必要とされる憎侶になれるのか−立正安国の視点から
3、現代社会……社会を変えられる寺院とは−人々の心をつかむためにはどうしたらよいのか
の三つの分科会に分かれての議論を行いました。
それぞれ、座長と問題提起者には、現代と教学部会は有本智心師と早坂鳳城師、教団・教化部会は中村龍央師と伊藤美妙師、現代社会部会は石原顕正師を座長として、部会内で更に三つの分散会に分かれ、それぞれ川名湛忍師、梅森寛誠師、黒木源章師に問題説明に当たって頂きました。
昨夏以来、この「現宗研だより」で、教研会議について申し上げて来たところでも御理解頂けているかと存じますが、教研会議の中心は、基調講演(基調報告)やパネルディスカッションではなく、分科会乃至分散会での討議にあると言えるかと思います。近年、教区の教研会議に於いては、その辺りの感覚がやや失われて来てしまっている傾向がなきにしもあらず、なのですが、今後散研会議の企画立案をされる際は、是非こうしたことを念頭に置いて下さいますよう、この場を借りまして、運営委員をお務め頂いている皆さんにお願い申し上げておきたいと思います。
と言いつつ、その舌の根も乾かぬうちに、こんな風に申し上げるのも躊躇されるのですが、パネルディスカッション終了後、筆者は些か困憊してしまい、分科会討議には余り顔を出しませんでした。
分科会の運営・進行はそれぞれの座長さんにお任せして、筆者は各分科会の様子を見て廻れるようにして頂いてあったのですが、それぞれの分科会の議論を拝聴して歩いた時間は、一日目の分科会に当てられていた2時間15分のうち、1時間にも満たなかったかもしれません。
従いまして、ここでしたり顔をして御報告をするのも憚られますので、現代と教学部会でのアンケートのことや、現代社会部会ではディべートを採用してみたりしたことなど、申し上げたいことは沢山あるのですが、これも次号の「現代宗教研究」の分科会報告に譲らせて頂くことにします。
夕食会
午後5時には、一日目の日程を終え、宿舎としておりました品川プリンスホテルに移動、午後6時半より、夕食会を開催致しました。
夕食会のことなど「宗報」で申し上げるべきではないかとも思いながら、ここに記しますのは、新開智照上人(現宗研顧問)のことを記したいからに他なりません。
師は、第1回中央教研(当時は、教区の教研会議というものが、当然、まだ御座いませんので、「教化研究会議」という名称でしたが)開催以来、40回全てに参加をされました。
ということで、現宗研より表彰をさせて頂きました。ささやかながら、記念品として、エッシェンバッハ製のルーペを進呈いたしました。
以上のことを記しまして、改めて、師の現宗研ならびに中央教研に対する長年の多大なる御貢献を讃えさせて頂きたいと存じます。
颱風9号
ところで、第40回の中央教研に於いて、忘れてならないのは、颱風のことです。
8月29日に南鳥島近海で発生した颱風9号は、四日には小笠原諸島に接近、7日には、静岡県伊豆半島南部に上陸し、その後、神奈川県西部を通過、神奈川県愛川町で増水した中津川でカヌーに乗っていた2人が死亡したのを始め、静岡県の狩野川や黄瀬川流域では床上・床下浸水が発生したり、多摩川が増水して様々な被害が発生したりしました。
首都圏の公共交通機関でも6日夕刻と7日朝のラッシュ時を中心に影響が出、6日夜から7日午前中にかけて、羽田空港発着便の約二百便が欠航になったとのことです。
というような次第で、宿舎に着きましてから、夕食会までの時間に、各分科会の座長さんに集まって頂いて、対策を話し合い、夕食会の際に、颱風情報を参加者の皆さんに御説明し、それぞれの御判断で、御帰山されるよう呼び掛けることとなりました。
それでも、総勢百五十名ほどの参加者のうち、百名ほどは最後まで御出席頂きましたが、或る分科会の座長さんは、帰路、鉄道の運行が停止してしまい、数時間に渡って足止めされてしまったとのことでした。
結局、この颱風9号のために、6日の日程も一時間ほど繰り上げて終了することととなりました。第40回中央教研の二日目は、颱風に崇られ、やや寂しい、少々落ち着きのないものになってしまった感のあることは、ぬぐえないかもしれません。
以上、第40回中央教研会議について御報告させて頂きました。
本来は、二日目の分科会ならびに全体会議についても記すべきかと思われますが、分科会については、上記の通りですし、全休会は、各分科会の報告ということとなりましたので、省略いたします。
全体会の持ち方については、工夫の余地があるのではないかと考えており、今年度の近畿教区の教研会議に於いて、新たな試みがあったと伺っておりますので、そうしたものも参考にさせて頂きながら、中央教研の一層の充実をはかって行きたいと存じております。
余談
ところで、以下、本筋とは離れますが、6日の早朝に帰途につかれた或る参加者の方に、5日の休憩時間に、こう声を掛けられたことは、半分は私事ではありますけれども、この場に記録させて頂きたく思います。
「あなたが運営側に回るとは思わなかったよ」。
平成11年の中央教研は、「環境問題への理解と対応」をテーマとして、9月7日・8日の両日、清澄寺研修会館に於いて開催されました。
この時、筆者は東京東部の教研運営委員として参加したのですが、この教研会議では、「み仏の世界の実現をめざしてー環境問題の理解と対応に関するアピール文−」が採択されました。
「現代宗教研究」第34号に全文が掲載されておりますので御参照頂ければと思いますが、実は「現代宗教研究」には、当該アピール文の後に、「註・本アピール文は第32回日蓮宗中央教化研究会議最終日全体会において賛成多数で可決されたものですが、少数の反対意見もあったことを付記します。」との記載があります。
この類の宣言文が、全会一致でなく採択されるのは、少々異例なことであると申し上げて宜しいかと思いますが、ハイ、賢明なる読者のお察しの通り、この時に異論を唱えたのは誰あろう筆者でありました。
このアピール文案は、7日の全体会で示され、翌8日の全体会で採択したい旨の説明がなされました。
筆者は、平成7年に教研運営委員を拝命して以来、多分毎年中央教研に参加させて頂いていたと思うのですが、過去にこうした提案が「運営側」の方からあったことは記憶にありませんでした。
こうした宣言文を会議として採択するのであれば、事前に文案を示すべきではないか。その上で、加筆修正の意見などを集約して文案を練る作業を経てからであるならばともかく、今日の明日で「良いことだから賛成せよ」的な姿勢は如何なものか。文案には、日蓮法華教学上、些か問題も見受けられるようにも思われる。そもそも、アピール文と言っても、アピールする対象も明瞭でなく、効果も疑問である。また、ここ数年中央教研に参加しているが、こうした提案があったのも初めてであり、こうした宣言は教研会議には馴染まないのではないか。
筆者の反対意見は、大凡以上の如きものであったと記憶します。
提案側を代表されて、新聞智照師が、こうしたアピール文は過去にも何度も採択されて来ており、運営上の問題はない、そもそも教研会議というのは、こうしたアピール文を採択する場でもある、と説明されました。
「教化研究会議と教化センターのしおり」をお読み頂いた方ならば、新聞師の御説明に誤りがないことをお解り頂けるであろうと思います。
「しおり」には「第7回中央教化研究会議宣言」、「第10回中央教化研究会議の要望決議」、「第12回中央教化研究会議 七百遠忌報恩身延教師結集大会宣言」などが掲載されています(ただし「現代宗教研究」第39号に資料として掲載された「しおり」は抜粋ですので、これらは採録されておりません)。教研会議は、元来、そうした場としても、構想され、機能して来ていたのです。
その点は、当時の筆者の不勉強であり、教研会議というものの在りようについての認識不足であったと反省をしております。
ただし、こうした宣言文を決議しようとするのであれば、事前に充分に吟味する時間を参加者に付与しないのは、やはり問題ではなかろうか、と、この点については筆者は現在もそのように考えています。
筆者の主張に対しては、参加者からそれなりの賛意を得られていたのではないか、という個人的な感触は持っておりますが、それが多数意見となることはありませんでした。
そこで筆者は、アピール文を採択するのであれば、「反対意見があったことを明示せよ」と主張し、上述のような事態となったのでした(因みに、「現代宗教研究」第34号所収の当該アピール文は、筆者の異議を汲み取って頂けたのか、文章にも若干の修正を加えて戴けたようです)。
「あなたが運営側に回るとは思わなかったよ」。
その言葉の主は、平成11年の中央教研にも参加されていて、筆者が「運営側」に楯突いていたのを記憶されていたのでした。
些か照れながら、実はあの際の新間師の説明は正しかったのである旨を、筆者は申し上げました。
その方は、自分も運営側の遣り方について反対意見を言おうかとも思ったのだけれども、あなたが言ってくれたので黙っていた、運営側に回っても、ああいう姿勢を忘れないでいて欲しい、と、仰って下さいました。
ここまで書きましたので、余談の余談を。
この平成11年の中央教研でのアピール文について、宗門内の或る雑誌が、「全会一致で採択した」と報じました。
上述のような経緯を経ておりましたので、筆者は同前編集部に抗議し、訂正文を掲載するよう求めました。
すると同前編集長曰く、自分は二日目は取材していないから反対意見の存在については知らない、この類の宣言文が全会一致でないことなどはあり得ないので訂正には応じない、と。
………………。
これ以上こんな余談ばかりを書いておりますと、各方面よりお叱りを受けないとも限りませんので、今回はこの辺りで筆を擱かせて頂くことと致します。
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