ところが、準備会に於いて、教化センター連絡会議の進行についての打ち合わせをしていた過程で、青天の霹靂、と言っては少々大袈裟ですが、筆者としては、想定外のことが起こって参りました。
教化センター連絡会議では、
8月号でも御紹介致しました「教化研究会議と教化センターのしおり」(以下「しおり」と略記)を資料として配付すべく支度がしてあったのですが、準備会の出席者から、「しおり」は、現況に合わなくなって来た部分が多いので、昨年度の教化センター連絡会議の際に、来年度の会議までに(つまりは、この6月29日の会議までに!)書き直すことになっていたのではないか、という指摘があったのです。
「しおり」について、
8月号で「現宗研として、教化研究会議をどのように位置づけているかについて申し上げるとなると、現在でも、この『しおり』に立ち戻ることになります」と書きましたが、何しろ「教化研究会議と教化センターのしおり」なのですから、教化センターについても同様であるわけであり、筆者としても、「しおり」の内容を把捉しておけば、教区教研連絡会議と教化センター連絡会議の備えは八分通り済んだもの、というようなつもりですらおりましたので、この発言には些か困惑致しました。
もちろん、幾らなんでも一晩で書き直せば済むという文書でもありませんし、現状と乖離している部分については、あくまでも昭和53年当時のものであるけれども、ということで御説明しよう、ということにはなったのですが、ことはそれだけでは済みません。
「しおり」の内容が、宗内の現状を充分に反映していないということの最大の中身は、言わば現在の教化センターの性格そのものにあるのであり、後述致しますが、現宗研の提案が結実して設立されて来た各地の教化センターは、しかし、各地の教区や管区の事情を反映してのことでしょう、当然のことながら、一人歩きを始めていて、現況は必ずしも現宗研が当初想定していたようなセンターではないと言わなければならないようです。
そこで、現宗研として、教化センターにどのような内容を備えて頂きたいと考えているかということ、また、教化研究会議との関係や、現今の伝道企画会議との役割分担についてどのように説明すべきか、ということについて、議論が交わされることとなりました。
この時、とりわけ問題となったのは、教化センターの位置づけを現宗研がどう考えているかを示す、組織図、関係図でした。
「しおり」そのものには、「管区における教化センター関係図」という項があるなどして、その辺りの問題が、判りやすく図示されているのですけれども、それはあくまで昭和53年当時の状況に照らしての話であって、「しおり」が現状と乖離しているのはまさにこの部分でもあるものですから、会議の際に配布する資料からはこの関係図は除かれていたのです。そこで、それをどう表すべきかについて、論議が始まりました。
筆者は、昭和53年当時のものであるということをよくよく断った上で、「しおり」の関係図をそのまま提示することを提案しました。「しおり」を資料として配付するのですから、内容はそれに沿ったものでなければ却って判りにくいものになってしまう畏れがありますし、現宗研が想定する(していた)教化センターというものの在り方については、それが最も端的に表現しているであろうと考えたからです。
しかし、図表というものは、印象に残りやすいものであるが故に、諸刃の剣の性格を有し、理解を容易にする反面、こちらの意図とは無関係に、場合によっては、その思惑に反して受け取られかねないものである、との意見が強く、往時の関係図をそのまま提示することは見送られることとなりました。
そして、……幾人かのメンバーが、ホワイト・ボードに平成19年時点での「教化センター関係図」を描き直し始めたのです。
教化センター連絡会議は、宗務院の5階の大講堂(宗会の本会議などが開催される部屋で、先般の中央教研もここで全体会議を開きました)で催されますので、机や椅子の配置などの準備をも兼ね、そこで準備会を開いていました。広い会議場に、十数人で集っていたわけですが、準備会がこの段階に至った時には、既に宗務院の終礼の時刻を過ぎていたような気がいたします。
筆者のように、生来怠惰な者ですと、この時点で、「ここで関係図について議論しても、明日の会議でそれを呈示出来るに至るまでのものに今日中に仕上げられる可能性はほとんどない。従って、この問題については、改めて別の機会に議論することにしよう」ということになるのですが、現宗研メンバーの中には、そんな空気は微塵もないのです。問題の存在が判明したときこそが議論をなすべき時であり、問題を先送りすることなく、今日なし得る議論は今日しておこう、という姿勢が、その場にいるほとんどの(もしかする筆者以外の全ての?)人にあったと言って可いだろうと思います。
前回「筆者は、この準備会で、現宗研とはこういうところか、と思い知らされることになる」などと書いたのですが、決して大仰に書いたのではないのでして、ホワイト・ボードの周囲で、侃々諤々の議論を、生き生きと続けている顧問・嘱託・研究員の方々を、やや距離を置きつつ眺めながら、もしかしたらとんでもない役職を引き受けてしまったのかもしれないなあ、と、緊張感と疲労感の交錯する中で筆者は思ったのでした(ちょっと大袈裟かしらむ)。
暫くの間そうして議論をしていたのですが、結局結論を得ず、今後の検討課題ということにはなって、その日は散会したのですけれども、記憶が鮮明なうちにということで、その後も居残って、パソコンに入力しながら関係図の素案を練って下さった方や、先ほどまでの議論を更に更に続けていた方々がおられたことは、この際ですから、記載しておこうと思います。
シニカルな方には、徒労とも思われるようなことかもしれませんが、伝道教化に関することであれば、無為にも思えるようなことを、倦まず弛まず議論して行こうというこうした姿勢こそ、本当に大切な何かを産み出して行くのではないかと筆者は考えています。
翌日の教化センター連絡会議は、実務担当者が変更になったセンターなども相当数あり、初めてこの会議に出席された方も多かったようですが、事前の準備が奏功したのか、大変順調に進捗しました。
冒頭に記したような議題で進行したのですが、出席頂いたセンターの報告書は、全てのセンターにお渡ししてありますので、他教区・管区のセンターがどのような活動をしているかに関心のある方は、会議に出席された方にお尋ねになってみて頂ければ、と存じます。
また、現宗研のウェブ・サイトには教化センターのコーナーがあり、センターの一覧と、25のセンターのサイトにリンクしてあります(9月10日現在)ので、是非御利用頂ければと思います。
連絡会議でもお伝え致しましたが、自前でサーバーをお借りにならなくとも、現宗研のサーバーをお使い頂ければ、レンタル費用等不要でウェブ・サイトを開設して頂けますので、まだホーム・ページを開いていらっしゃらない教化センターの皆さんは、ご検討下さいますようお願い申し上げます。
教化センター連絡会議の内容そのものについては、ここで筆者が記載すべきことは多くないように思われますが、教化センターのメール・マガジンを作成してはどうか、という御提案があったことを御紹介しておきましょう。
現宗研所管の各地の教化センターも、本年はほぼ50に達しますので、それぞれのセンターが年に一回メル・マガを作成し、活動内容を紹介したりなどして行けば、現宗研&教化センターのメル・マガを毎週発行出来、センター相互の情報交換などに役立つのではないか、という話題が分散会の中で出て、全体会で提案されたのでした。
現在、協力頂けるセンターの申し出をアンケートしつつ、パイロット版作成の準備を進めているところなのですが、既述の通り、現宗研では教化センターのウェブ・サイトの運営管理も行っておりますので、それぞれのセンターでホーム・ページを充実して行って頂いた場合、メル・マガの目的や意義付けをどの辺りに設定したら良いのか、とか、例えば、サイトには公開しにくいような内部情報的なものを共有することを目的とするのであれば、閲読者をどの範囲にすべきか、など、幾つかの点についても検討中です。
筆者はITに明るい方ではありませんので、考え違いをしていることがあるかもしれません。アドヴァイスを頂ける方が御座いましたら、お気軽に(アドヴァイスを頂く側が「お気軽に」も妙なものですが)現宗研のサイトから電子メールを下さるなりして頂ければと存じます。
さて、この機会に、教化研究会議と教化センターについての現宗研のスタンスについて、改めて記しておきたいと思います。
実を言いますと、この、教化研究会議と教化センターとの関係、とか、教化センターの有りようについてというトピックは、筆者が現宗研に入って、最も「意外」であったと申しますか、従前の認識不足を反省させられたことでした。
筆者が京浜教研の運営委員を曲がりなりにも3期12年務めて来たことは、
8月号に書いた通りなのですが、この間、教研会議と教化センターの関係、つながりというようなものについては、全く意識しなかったと言ってよいだろうと思います。つまり、教研会議と教化センターとの連繋というようなことについて全く思い至っていなかったのです。
このことについては、筆者の所属する東京東部管区の事情が影響しているものと思われますので、一応弁明しておこうかと思います。先述の通り、東京東部のセンターは「伝道センター」という名称で、これまでは現宗研所管の教化センターのメンバーではありませんでした。そして、伝道センターが現宗研所管の教化センターに参加して頂いていなかったが故であるのかどうかは定かではありませんが、東京東部管内に於いては、伝道センターは基本的に教研会議には関わって来なかったのであり、教研会議は布教師会の担当となっていたのです。
筆者は伝道センターの成員としてセンターの活動に参画したことはほとんどなかったのですが、布教師会の幹事をしておりましたので、教研会議の運営委員というお役目を担当することとなっていたワケでした。
東京東部管内の特殊な(?)事情を余り長々と書くのは如何なものかとも思いますので、このことはこれくらいにしておきますが、上記のような次第にて、筆者は教研会議と教化センターとの関係について、完全に迂闊であったのです。
現宗研主任「見習い」ということで、四月中旬から宗務院嘱託として現宗研の業務につき、徐々にこうした事情が飲み込めて来たときには、こんなにも現宗研のことを知らない人間が主任などお引き受けしてしまって可いのだろうか、と思ったほどでした。
また大袈裟なことを言っているとお思いになる方もあるかもしれませんね。そういう方は、以下、現宗研と教研会議と教化センターとの関係について書きますので、是非もう少し読み進めて下さい。筆者の申し上げることが、まんざら誇張でもないということがお判り頂けるかと思います。本当に、そんなことも判っていない輩が現宗研の主任になるなど以ての外、とお思いになった方。そういう方は、以下の部分は読み飛ばして下さっても結構です。現宗研と教研とセンターとの連関について、既に充分に御存じでしょうから…。
さて、「しおり」は、冒頭に「当面する教化研究活動の三つの柱」を掲げ、更に「教化研究会議をさらに拡大させ、持続的に積み重ねていこう」という章と「教化センターの設置と実動をめざそう」という章の二章立てで構成されています(以下、それぞれ「柱」「教研章」「センター章」と略称)。
先ず、「柱」の第二には、次のようにあります。
| | 74管区に教化センターを設置し、地域に適応した教化内容と資料教材を作成活用していこう。
|
若干こなれない日本語で書かれている感がありますが、現宗研が教化センターについて考えていたことの骨子は、

全管区での設置

地域に適応した教化内容の研究

それに応じた資料教材の作成と活用
の三点であることが読み取れるかと思います。

と

が、現宗研が当初想定していた教化センターの内容ということとなりましょうが、この点はまた後ほど触れましょう。
教研会議と教化センターとの関係という点については、「教研章」の第3項「教研会議の内容とあゆみ」の第

目に、次のようにあります。
| | 教化に関する教師の連帯については、宗務区にて地域教研が開かれ、地域独自の教化が討議さ れ、教化センターづくりをめざすまでになっています。
|
また、第4項「教研会議の開催と運営」の中にも、
| | 教化活動の日常化と地域に適応した教化方策を具体化するため、教研運営委員を中心に宗務所はじめ他の機構・組織と協力しつつ管区内もしくは教区内に〈教化センター〉を設置することをめざす。
|
とあります。
更には、第5項「教研会議の当面する方向」の第

目に
| | 地域における「教化センター」をつくり、人的な連帯と資料の交流・組織化をはかってゆく。
|
と記されています。
右の引用で明らかなように、教研会議の実績の延長線上に教化センターの設置を位置づけ、教研会議での人的・物的な交流を継続的・組織的なものとすることを目論んでいると言えましょうか。
そして、交流させるに値する物的資料を研究・作成する機関としての性格を、センターに期待していることが見て頂けるかと思います。
「センター章」では、当然のことながら、そうしたセンターの性格が、一層詳細に記されます。
第1項の「教化センターとは」の全文を掲げておきましょう。
| (1) | 教化センターは、住職教師が相互に協力しあい、教化活動の組織的な推進を図り、伝道宗門づくりをめざしていく教化交流の場です。
|
| (2) | 教化センターは、教化研究会議の充実をめざし、現代にいかし教化内容と方策について研修しあい、その企画・運営・具体化に努める教化研究の場です。
|
| (3) | 教化センターは、教化活動の実例・情報や要望課題を出しあい、日常の教化に活用できる資料教材(教箋・パンフ・寺報・しおり・本・スライド・映写機・掲示板など)の収集・貸出し、紹介および作成配布を行う実動の場です。
|
如何でしょうか。
現宗研が想定して来た、教化センターと教研会議の在り方について、御理解頂けたでしょうか。
そして、皆さんの管区や教区に於ける、教化センターや教研会議の在り方と比して、どの程度、現宗研の意図を反映して頂いているとお考えでしょうか。
教研会議が、研修会化・講習会化している現状について、是非、教研会議の原点を見直して下さるよう、
8月号で申し上げました。
本来でしたならば、教化センターについても、ここで、同様のことを申し上げるべきなのかもしれません。筆者の管区の伝道センターなどもそうではないかと思うのですが、各地の教化センターのうち、現宗研が当初期待していたような、教化研究の場としての性格を強く待っているセンターは、多くはないように思われるからです。
しかし、今日のところは、それは控えておこうかと思います。教化センター連絡会議準備会でのことについて記しました際に申し上げました通り、現宗研では、現状にそぐわなくなっている「しおり」そのものの改訂を検討しているからです。センターの研究機関としての性格を余り言い立てると、せっかく地域事情を反映しながら、伝道宗門の核となりつつあるように思われる、各地の教化センターの、かえって足を引っ張るようなことになりはしないかと畏れもします。
教化センターに研究機関としての性質があることは望ましいこととは思いますが、現宗研が想定していなかった方向に発展したセンターがあるとすれば、それこそ、教化センターというシステムが定着しつつある証拠であるとも考えられそうですし……。
筆者は、現宗研の主任にして頂いて、初めて、教研会議のみならず教化センターも、現宗研の提唱が実現して来たものであることを知りました。この程度の認識しかない者が、12年も教研運営委員を務めて来たのみならず、現宗研の主任をしようというのですから、誠に汗顔の至りではあります。
しかし、その分、従来の現宗研の枠に必要以上に拘束されずにいられるということはありはしないか、と考えてもおります。
筆者のような者が主任を仰せつかるということ自体、かつての現宗研では考えられなかったことではないかとも思うからです。
教研会議と教化センターの新しい関係図を作成しよう試みる作業中、教化センターを他の機関と区別し、特色付けようとするあまり、その性格を研究調査に特化しようとする考え方も、議論の過程で出てきました。
「柱」の第三は、
| | 教化活動に取り組む教師中心の伝道宗門づくりをめざし、教師一人ひとりが立上がり協力しあっていこう。
|
とあります。
現宗研が目指して来たものは、真の伝道宗門づくりなのであり、その為の研究調査であろうかと思います。
いまや、各教化センターは、伝道宗門の中核を担っているものと信じますが、これを一層強化発展し得る方途を、ともどもに探って行きたいと思っております。
(「しおり」の全文は平成16年3月発行の「現代宗教研究」
第38号276頁以下に資料として採録されております。御一読をお願い・お薦め申し上げます。)