日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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宗報 平成19年8月号 第233号 改訂 第65号

現宗研だより
  教化研究会議をめぐって
日蓮宗現代宗教研究所主任 髙佐宣長 

 
 初めまして。
 6月末に勇退された伊藤立教師の後任として、現代宗教研究所の主任となりました高佐宣長と申します。何分宜しくお願い申し上げます。
 前任の伊藤師は、何しろ、現宗研の研究調査活動に関わること三十有余年、主任として手腕を振るうこと六年近く、という方でしたので、この誌面に於いても、時事問題を縦横無尽に現宗研的切り口で分析されておられましたが、素より浅学非才、現宗研に直接関わるのは本年四月以来、という小衲には、とてもそんな真似は出来ません。
 というような次第にて、「宗報」の当欄に何をどう書く可きか、乏しい智慧を絞って悩むこと数日、でありました……。

 ところで、田澤所長から御招請賜り、この職務を引き受けさせて頂くことになりましてより以来、周囲の複数の方から、「現宗研って、何をしてるの?」といった、率直な御質問を頂戴することが時々御座います。
 毎年刊行されております所報「現代宗教研究」を御覧になって頂ければ、現宗研の活動の概要を御理解頂けるのではないかと思うのですが、本年3月発行の第41号は、何せ八百頁を超える大冊になったこともあり、皆さんに通読して頂くということも、実質的には難しいと言わざるを得ないかもしれません。
 それに、大きな声では言えませんが、「あの所報は、全教師配布にしないでも、寺院に一冊で可いんじゃないの?」というような声すら聞こえて来る現状を盧りますと……。
 そこで、言うなれば「現宗研初心者」の目線で、現宗研に纏わる出来事について御報告申し上げながら、「現宗研ってこういう仕事をやってるんだな」ということが皆さんに御理解して頂けるような頁を、といったスタンスで、「現宗研だより」を書いてみようかと思います。
 いずれ、前任者のように、時事問題を快刀乱麻を断つが如くに出来るようになりましたら、「現宗研の時事ノート」が旧来に近い形式で復活することもあるかもしれませんが、今暫くの御猶予をお願い出来れば、と存じます。
 もちろん、一般のマスコミでは余り大きく取り上げられないような「ネタ」で、私たちが教化活動を行う上で関心を持っておくべきであると思えるような情報が手に入ったり致しましたら、折に触れて御紹介するなどして参りたいとは考えております。
 さて、筆者が現宗研主任の辞令を拝受したのは、6月27日でしたが、その翌日と翌々日、現宗研にとりましてはとても重要な会議が御座いました。
 28日の教区教研連絡会議と29日の教化センター連絡会議です。
 
 教区教研連絡会議
 
 教区単位で、毎年、教化研究会議が開催されていることは、周知のことと存じます。
 この教研会議につきましても、近年、ややもするとその趣旨が十二分には理解されなくなって来ているかの感もあるのですが、それについては後述しましょう。
 教区教研連絡会議は、教区毎に昨年度と今年度の教区教研の(当番管区の)実務担当の方各一名、つまり、十一教区×二名の計二十二名に御出席頂き、昨年度の実績と今年度の予定について御報告賜り、今後の教研会議の運営について検討する会議です。
 現宗研としては、今年度の助成金等について御説明するといった実務的な意味合いのほか、当該年度の担当者の方々に、教研会議の趣旨の徹底を図りたいという意図をもって開催して来ているようです。
 ところで、小衲は、東京都東部管内に自坊があり、京浜教区の教研運営委員を、この4月まで3期12年務めておりました。しかしながら、「教研連絡会議」なるものが存在し、こうして開催されているということを、実はこれまで全く知りませんでした。確かに、さほど有能でも熱心でもない運営委員ではありましたが、それにしても、東京東部が当番管区であった際の京浜教研では、それなりに、実務の主要な部分を担ったこともありましたのですけれども……。
 筆者の怠慢もあったこととは思いますが、当日の出席者の中に、筆者同様の感想を漏らされていた方のあったことを鑑みますと、現宗研サイドの周知努力の不足という面もなきにしもあらず、であったかもしれませんし、それぞれの教区・管区の運営委員会に於いても、もう少し、この会議で得られた、他教区・他管区の教研会議に関する情報等を、運営委員全員で共有するように心掛けて頂けたら、とも思う次第です。
 
 教化研究会議の位置づけ
 
 先ほど、「教研会議の趣旨の徹底を図りたいという意図」云々と申し上げましたが、ここで、現宗研として教化研究会議をどのように位置づけているかということについて、触れておきたいと存じます。
 筆者の手元に、「教化研究会議と教化センターのしおり」(以下「しおり」と略記)と題する一冊の小冊子があります。発行者は日蓮宗現代宗教研究所となっており、タイトルの上には、「遠忌後の布教態勢の確立をめざして」との副題が記されています。
 「しおり」は、昭和53年に「研究時報」の第19号として刊行されました。今、筆者が見ているのは、昭和59年の改訂版ですが、いずれにせよ、内容や文体には、その時代の空気が濃密に感じ取れます。
 因みに、昭和53年時の所長は中濃教篤師、(研究)主任は石川康明(教張)師、昭和59年時は、宮崎英修所長、久住謙是主任でした。

 さて、現宗研として、教化研究会議をどのように位置づけているかについて申し上げるとなると、現在でも、この「しおり」に立ち戻ることになります。
 実際、各教区での教研会議の際に、案内のりーフレットなどに、「教化研究会議とは」として、教研会議の何たるかについての次のような文章が記されていますが、これも出典は「しおり」のようです(若干の字句の改変等が臨機応変に行われているようですけれども……)。
  一、布教教化について教師がおたがいに交流し討議しあい、学びあう場です。
二、当面しているさまざまな問題をとりあげ、現代に対応する教化のあり方を研究しあう場です。
三、教化上の悩みや問題点をさぐり、それをどのように打開したらよいかをみんなで考え話しあう場です。
四、伝道宗門の確立をめざし、教師の意見や要望を宗門に反映させる場です。
五、この会議では年齢、性別、役職などの別はなく、みんな平等の資格で自由に意見をのべあうことができます。
 先述の通り、昭和50年代のアトモスフィアが横溢した文章であるかと思いますが、教研会議が如何なる意図で企画されたのか、或るいは如何に在るべきと考えられていたのかについて、端的に示しているものと思われますので、この機会に、是非改めて熟読してみて頂ければと思います。
 
 教化研究会議の成り立ち
 
 教化研究会議が企画され、最初に開催されたのは、「しおり」から更に十年以上遡ります。
 「しおり」の刊行の前年に発行された「現代宗教研究」第11号(昭和52年3月)の冒頭には、中央教化研究会議開催十周年に当たって執筆された、新間智照師(現・現宗研顧問)の「教化研究会議−十年目の歩みと教化目標」(以下「歩み」と略記)と題する論攷が掲げられています。
 そこには、教研会議(当時は教区での教研がまだ開催されていませんから、現在の中央教研を意味します)が開催されるに至った当時の宗内の状況について、
    「伝道宗門への体質改善」をめざす「護法運動」が、地方で実動に入った(護法大会などが開かれ出す)昭和43年、日蓮宗現代宗教研究所(現宗研)は「布教伝道教化の問題点を探り、現代の伝道のありかたを求める研究と交流が必要ではないか」との見地から、「教化研究会議」を提案・主催し、全国に呼びかけて、ここに手さぐりの中に宗務院で第一回教研会議が開かれたのである。
と、回顧されています。
 ここで留意したいのは、先の、「教研会議とは」の第四項にもあった如く、現宗研が企図していたのは、「伝道」を中心とした宗門の体制の構築であったようだ、ということです。
 先年実施された機構改革によって、「伝道」中心に宗門機構が整備されたのに際し、こうした現宗研が以前より行っていた提案にどの程度の影響力があり、それがどれほど生かされたのかについては、筆者の知るところではありませんけれども、たとえ結果としてであろうと、現宗研サイドの提言の方向に宗門が舵取りをしたことは間違いのないことであろうかと思います。
 さて、この第一回教化研究会議は大いなる成果を生んだようです。
    全国より参加した現場の教師にとって、この会議は心に清新な希望の灯をともした。終了後、熱意のこもった感想が寄せられる。筆者の言葉でいえば「それは、酸素の欠乏した室に窓が開かれ、清新な空気が流れこんで来たような感動であった。」
と「歩み」は記しています。
 新間師を始めとする当時の関係者の感情の高ぶりが感じられる、と書いては失礼でしょうか。
 第一回が円成すれば、当然、二回目を開催しよう、ということになります。ここで、現宗研の採った方策は、次のようなものであった、とのことです。
    宗務院および東京近郊の一部の人々によってのみ、この教研会議を継続運営してゆくのでなく、熱意ある感想と批評を寄せた参加者有志と、全国に散在する活動的布教師を教研運営委員に委嘱し、現場の教師の声を反映し、下からのもりあがる力で、第二回以下の教研会議を開催したのであった。
 「下からのもりあがる力」という言葉に、往時の息吹を感じるとともに、教研会議が本来持っているべき理念と力用とを思わしめられます。
 教研連絡会議の準備を進めていく過程で、筆者自身が改めて感じさせられたことも、教研会議の有つこの「ボトム・アップ」という性格でした。前述の如く、一往教研運営委員を12年つとめたのではありましたが、正直に申し上げて、その間にそうしたことを意識したことは余りなかったのです。
 無論、先ほど引いた「教研会議とは」の第四項や第五項は、そうした理念から書かれているのは自明のことではありましたが、読んでいるこちらの側が何やらテレくさくなってしまうような、直截で若く熱い、当時の「空気」に充ち満ちている表現に、些か「退いて」しまっていたのかもしれません。
 
 中央教研会議から教区教研会議へ
 
    思えば宗門には、所長会議・三会長会議をはじめ、役職ある人に行政事務レベルで交流する会議はあったが、「一人の日蓮宗教師」として、布教教化そのものを論じあう集会はなかったのである。
 あるいは、中央講習会のように、専門家やベテランの講義を一方通行で受講研修する機会はあっても、教師おたがいが布教の本質・布教の方策と反省を語り合い討議しあう集会はなかったのであった。
 教研会議は、その盲点を見事についた。教研の魅力は、教化を考える教師が肩書ぬきでだれでも参加発言できることと、自分の思っていることを自由に語れて他の教区の教師と交流できる点である。
 「歩み」の中で、新間師は、教研会議の有つ、他の集会にはない特長として、右のように指摘しています。
 近時、教研会議が、講習会や研修会と大差ないものとなってしまったりする傾向が、程度の差はあれ、どこの教区にもあるようですが、「教化を考える教師が肩書ぬきでだれでも参加発言でき」「自分の思っていることを自由に語れて他の教区の教師と交流できる」宗門内の場は、今日に於いても教研会議しかないのではないかとも思われます。せっかく開催する教研会議を有意義なものとするためにも、常にこうした「原点」を確認出来ればと思います。
 また、教研の運営に長く携わっていたり、教研会議に「動員」されたりすると、ややもすると、マンネリズムに陥ってしまいそうになることもあるかもしれませんが、これを脱却するのにも、自由さや平等性などの教研の原点を確認する作業が、遠回りなようでいて近道であるようにも思われます。

 さて、このように開催された教研会議が、各教区の教研会議へと拡がって行った経緯や意義について、「歩み」には次のように記されています。
    それから二年後の昭和45年には、秋田ではじめての地域教研−−第一回東北教研会議が開かれた。東北農村の生活と特色ある信仰習慣をふまえた、地域の実情に根ざしたその地域の教師の教化研究である。
 さらに翌年、古くから文化が開け、都市と農村が近接した近畿地区で、第一回近畿教研が開かれるや、地域数研は中央教研と相補う重要な意義を明らかにし出したようである。
まる1地理的時間的に、中央教研の十倍の教師が参加できる。
まる2地域の実情をふまえ、足が地についた議論ができる。
まる3大きな方向を見誤らないよう、中央教研と交流できる。
 註記するまでもありませんが、まる1の「中央教研の十倍の教師が参加できる」というのは、地域教研参加者の全て加算すれば、中央教研参加者数の十倍になるという意味でありましょう。中央教研は、会議自体は自由で平等であるとは言え、どうしても「代表者会議」的な側面を有してしまうことは否めませんので、教区毎の教研では、そうした点を補うことが期待されます。本年度も既に、九州教区、中四国教区で開催され、小稿が活字になる頃には北海道教研が開かれる頃かと思いますが、地元教区で教研会議が開催されます際には、是非、積極的に御参加下さいますようお願い致します。
 それぞれの地域的特性をも生かしつつ、活気有る教研会議となりますことを念じております。
 「歩み」は次のように結ばれています。
    以上のようにふり返ってみると、最初はごく一部の有志が手がけはじめた教化研究が、「もの好き人種のあつまり」程度に見られていたが、十年にもわたる積み重ねの中に、参加者の裾野を広げ、宗門体制に欠けていた盲点を補い、いまでは七百遠忌をめざす宗門の伝道教化態勢を動かしてゆく原動力にまで成長したと言っても、過言ではないと思う。
 道はひとすじ七百遠忌−−である
 或るいは、教研会議に対するイメージの中に、「もの好き」的なものは払拭しきれてはいないかもしれませんが、教研会議を「もの好き」だけのものにしておくのは、些か勿体ないのではないでしょうか。
 今年度も、既に告示されております通り、9月5日〜6日の日程で中央教研が開催されます。正式には7月末に参加申し込みを締め切ってはおりますが、例年若干の余地があるようです。
 出席してみようか、と思って頂けた方は、宗務所経由で至急現宗研まで御一報下さい。
 
 再び教区教研連絡会議
 
 さて、6月28日の教区教研連絡会議は、午前11時〜午後3時の予定でしたが、ほぼ順調に議事が進行し、予定時刻の30分前には終了出来ました。
 尤も、会議中、教研連絡会議自体の有意性について疑義を呈する発言があったりもしましたけれども。
 教研は、教区毎に開催時期が異なりますので、教区によっては、連絡会議開催時点で、当該年度の教研を既に開催済みのところがあります。従って、昨年度と今年度の教区教研の(当番管区の)実務担当の方に出席して頂いても、昨年はその年度の、今年は前年度の当番管区として、二年続けて、開催済みの報告をすることになる教区があったりするので、そうした方から、「自分は去年も同じ報告をしたのだけれど……」と云う御意見があったりもしたのでした。

 教研連絡会議が終わってから、ほどなく、某教区の教研運営委員の方から、当日は発言出来なかったけれども、として、
○会議資料の前年度開催報告の中に、参加人数(分科会〔分散会〕を含む)や会場の情報を付記すべきではないか
○開催内容のみならず反省点・問題点をも含めた発表を望みたい
○各教区の教研会議開催の資料を全国11教区で共有出来るシステムの構築をなどの御提言を頂戴しました。
 ともかくも、大過なく会議が終了したことにのみ安堵していた筆者としましては、大いに啓発され、且つ反省させられたりした次第です。
 こうした具体的な御提言は常時大歓迎しておりますので、何か御座いましたら、随時現宗研まで御連絡頂ければと思います。
 
 教化センター連絡会議
 
 教研連絡会議の閉会後、引き続いて、現宗研では、翌日の教化センター連絡会議の為の準備会を開きました。
 主任となって初の大仕事を終え、一息ついていた筆者は、この準備会で、現宗研とはこういうところか、と思い知らされることになるのですが、この件はまた次回と致しましょう。
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