|
現宗研の調査研究ノート 教化学へのアプローチ 宗祖のご遺文にみる法華経引用について(五)
日蓮宗現代宗教研究所所長 田澤元泰
『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』における法華経引用について(1)
『如来滅後五五百歳始親心本尊抄』(以下『観心本尊抄』と略します)は、宗祖の教学の本髄にふれる重要な御遺文であり、法華経引用といった側面からその内容について論究することが出来るものではありません。しかし、これまで検討してきましたように、宗祖がどのように法華経を引用されているかという点から考えてみたときに、教学的に重要な事柄が述べられてているがゆえに、法華経の引用という視点から、この書のもつ教化的意味での特色を考察してみたいと思います。
なお、「 」内の文章は『日蓮聖人全集』第二巻(春秋社発行)による書き下しのものです。( )内の数字は昭和定本のページ数です。また、書き下し文中の『 』内の文章は、宗祖による法華経引用部分の書き下し文です。
『観心本尊抄』は三十の問答形式によって構成されています。一念三千の観心を明かされるについて、第一問答で天台大師の『摩訶止観』を根拠として示されるところからはじまります。法華経引用は第十三問答からみられます。ここでは十界互具の根拠として示されています。
十三問答
「問うて曰く、法華経は何れの文ぞ。天台の釈は如何。
答えて曰く、法華経第一方便品に云く
『衆生をして仏知見を開かしめんと欲す』等云云。これ九界所具の仏界なり。
寿量品に云く
『かくのごとく、我れ成仏してより已来、はなはだ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祗劫、常住にして滅せず。諸の善男子、我れ本と菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は、今なおいまだ尽きず、また上の数に倍せり』等云云。
この経文は、仏界所具の九界なり。」(704)
この二品を引用されて、九界所具の仏界と仏界所具の九界を、すなわち十界互具の全体を示されています。
次に十界の各々に十界が具されていることを示されるための根拠として法華経を引用されています。
「経に云く
『提婆達多、乃至、天王如来』等云云。
地獄界所具の仏界なり。
経に云く
『一名藍婆、乃至、汝等、ただよく法華の名を持つ者を護らん、福量るべからず』等云云。
これ餓鬼界所具の十界なり。
経に云く
『竜女、乃至、等正覚を成ず』等云云。
これ畜生界所具の十界なり。
経に云く
『婆稚阿修羅王、乃至、一偈一句を聞て、阿耨多羅三藐三菩提を得』等云云。
修羅界所具の十界なり。
経に云く
『もし人、仏のための故に、乃至、皆已に仏道を成ず』等云云。
これ人界所具の十界なり。
経に云く。
『大梵天王、乃至、我等もまたかくのごとく、必ずまさに作仏を得べし』等云云。
これ天界所具の十界なり。
経に云く
『舎利弗、乃至、華光如来』等云云。
これ声聞界所具の十界なり。
経に云く
『その縁覚を求むる者、比丘・比丘尼は、乃至、合掌し敬心を以つて具足の道を聞きたてまつらんと欲す』等云云。
これ即ち縁覚界所具の十界なり。
経に云く『地涌千界、乃至、真浄大法』等云云。
これ即ち菩薩界所具の十界なり。
経に云く
『あるいは己身を説き、あるいは他身を説く』等云云。
即ち仏界所具の十界なり。」(704・705)
しかし、自分の心に十界を具えていること、他者の心に十界を具えていることは、はっきり確かめられない。どうして十界互具の教理を信じることができようか、との設問をたててその根拠として法華経を引用されています。
第十四問答
「問うて曰く、自他面の六根は共にこれを見る。彼此の十界においてはいまだこれを見ず。如何がこれを信ぜん。
答えて曰く、
法華経法師品に云く『難信難解』
と。
宝塔品に云く
『六難九易』等云云。
天台大師云く「二門悉く昔と反すれば、難信難解なり」と。章安大師云く「仏これを将て大事となす。何ぞ解し易きを得んや」等云云。伝教大師云く「この法華経は最もこれ難信難解なり。随自意の故に」等云云。
夫れ在世の正機は、過去の宿習厚きの上、教主釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏、地涌千界・文殊・弥勒等のこれを扶けて諌暁せしむるに、なお信ぜざる者これあり。五千は席を去り、人天は移さる。いわんや、正像をや。いかにいわんや末法の初めをや。汝これを信ぜば正法にあらじ。」(705)
すなわち、末法の初めが信じがたい時代であることは言うまでもない。それなのに、もしそれをたやすく信じるというのであれば、逆に正法ではないことになろう、と末法における難信難解の法門こそが法華経の真実を表しているとしています。
さらに、四聖界具足の難信難解についてふれ、
第十六問答
「法華経の文に人界を説いて云く
『衆生をして仏知見を開かしめんと欲す』」(705)
法華経の方便品では、人界に仏界を具することを「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」と説かれていることをしめされ、末代の凡夫としてこの世に生まれて法華経を信じるのは、人界に仏界を具えているからである、と述べられています。
第十七問答
「答えて曰く、汝すでに
『唯一大事因縁』
の経文を見聞してこれを信ぜずんば、釈尊より已下の四依の菩薩、並に末代理即の我等、如何が汝が不信を救護せんや。」(705)
以上、『観心本尊抄』の序文といわれる部分では、天台の十界互具・一念三千が示される中で、法華経による典拠をあげて、何ら疑う余他のないことが示され、さらに難信難解の法門がゆえに、正法であることの根拠とされています。
このあとの十八問答からは、正宗分といわれる、事の一念三千に論究される部分へとすすめられてゆきます。
|