日蓮宗 現代宗教研究所
Nichiren Buddhism Modern Religious Institute
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宗報 平成19年3月号 第228号 改訂 第60号

現宗研の調査研究ノート
 教化学へのアプローチ 宗祖のご遺文にみる法華経引用について(四)
日蓮宗現代宗教研究所所長 田澤元泰 

『守護国家論』における『法華経』引用(2)
 
 前回に続き『守護国家論』後半部での『法華経』の引用箇所をみてみます。
 なお、「 」内の文章は『日蓮聖人全集』第一巻(春秋社発行)による書き下しのものです。( )内の数字は昭和定本のページ数です。また、書き下し文中の『 』内の文章は、宗祖による法華経引用部分の書き下し文です。
 『守護国家論』では教判による法華経真実を選択する必要とその根拠が示めされてきましたが、その結果としてこの真実教を棄てようとする、法然上人の『選択集』によるところの専修念仏信仰への批判が展開されます。
 「しかるに近年より、予、
 『我身命を愛せず、ただ無上道を惜む』
 の文を瞼み)るの間、雪山・常啼の心を起し、命を大乗の流布に替え、強言を吐いて云く、選択集を信じて、後世を願う人は無間地獄に堕つべしと。」(117)
 と、勧持品を引用され法華経弘通の覚悟を述べておられます。それは膀謗法を根絶するために、選択集による念仏信仰に対する批判を開始することへの覚悟でもありました。さらに宗祖にとって念仏信仰を批判することは、人々にとって真実の仏法を伝える善き師に出会うことの意味をもっていました。善知識とは
 「人をもって知識となすは常の習いなり。しかりといえども、末代においては真の知識なければ、法をもって知識となすに多くの証あり。(中略)法華経に云く、
 『もし法華経を閻浮提に行じ、受持することあらん者は、まさにこの念を作すべし、皆これ普賢威神の力なり』(勧発品)
 と〈已上〉。この文の意は、末代の凡夫法華経を信ずるは、普賢の善知識の力なり。また云く、
 『もしこの法華経を受持し、読誦し、正憶念し、修習し、書写することあらん者は、まさに知るべし、この人はすなわち釈迦牟尼仏を見るなり。仏口よりこの経典を聞くがごとし。まさに知るべし、この人は釈迦牟尼仏を供養するなり』(勧発品)
 と〈已上〉。この文を見るに、法華経は釈迦牟尼仏なり。法華経を信ぜざる人の前には、釈迦牟尼仏入滅を取り、この経を信ずる者の前には、滅後たりといえども、仏世に在すなり。また云く、
 『もし我成仏して滅度の後、十方の国土において法華経を説く処あらば、我が塔廟、この経を聞かんがための故に、その前に涌現して、ために証明を作さん』(宝塔品)
 と〈已上〉。この文の意は、我等法華の名号を唱えば、多宝如来は本願の故に必ず来りたもう。また云く、
 『諸仏の十方世界にあって法を説くを、尽く還(かえ)して一処に集めたもう』(宝塔品)
 と〈已上〉。釈迦・多宝・十方の諸仏・普賢菩薩等は、我等が善知識なり。」(123)
 次にお題目を唱え三悪道を離れることについて、
 「ただ法華経の題目許りを唱えて、三悪道を離るべきことを明かさば、法華経第五に云く、
 『文殊師利、この法華経は無量の国の中において、乃至名字をも聞くことを得べからず』(安楽行品)
 と。第八に云く、
 『汝等ただ能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず』(陀羅尼品)
 と。提婆品に云く、
 『妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して、疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちず』
 と。」(127)
 と示されています。さらに過去世の功徳についてふれられております。今生で法華経に出会えることは偶然ではない。過去の宿善によるものである。ゆえに法華経と出会えるべくして、それを妨害するものは謗法として恐れるべきものと述べられています。
 「問うて云く、ただ法華の題目を聞くといえども、解心なくば如何にして三悪趣を脱れんや。答えて云く、法華経流布の国に生れて、この経の題名を聞き信を生ずるは、宿善の深厚なるに依れり。たとい今生は悪人・無智なりといえども、必ず過去の宿善あるが故に、この経の名を聞いて信を致す者なり。故に悪道に堕ちず。
 問うて云く、過去の宿善とは如何。答えて曰く、法華経の第二に云く、
 『もしこの経法を信受することあらん者は、この人はすでに曾て過去の仏を見たてまつり、恭敬し供養し、またこの法を聞けるなり』(響喩品)
 と。法師品に云く、
 『また如来の滅度の後、もし人ありて妙法華経の乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せん者には、乃至、まさに知るべし、この諸人等はすでに曾て十万億の仏を供養せしなり』
 と。流通の涅槃経に云く、「もし衆生ありて、煕連河沙等の諸仏において菩提心を発し、すなわち能くこの悪世において、かくのごとき経典を受持して誹謗を生ぜず。善男子、もし能く一恒河沙等の諸仏世尊において、菩提心を発すことありて、しかして後に、すなわち能く悪世の中においてこの法を謗ぜず、この典を愛敬せん」と〈已上経文〉。これらの文のごとくんば、たといまず解心なくとも、この法華経を聞いて謗ぜざるは大善の所生なり。それ三悪の生を受くること大地微塵より多く、人間の生を受くること爪の上の土より少なし。乃至、四十余年の諸経に値うは大地微塵より多く、法華・涅槃に値うことは爪の上の土より少なし。上に挙ぐる所の涅槃経の三十三の文を見るべし。たとい一字一句なりといえども、この経を信ずるは宿縁多幸なり。(127・128)
 さらに、宿善を持つ我々衆生はこの世に生まれあわせています。そのところ(土)は娑婆世界であり、そのひとつに私たちが住む日本という世界があります。その日本国と法華経とのかかわりについて次のような箇所を引用されつつ説き示されています。
 「問うて云く、日本国は法華・涅槃有縁の地なりや否や。答えて云く、法華経第八に云く、
 『如来の滅後において、閻浮提の内に広く流布せしめ、断絶せざらしむ』(勧発品)
 と。七の巻に云く、
 『広宣流布して閻浮提において断絶せしむることなけん』(薬王品)
 と。(中略)三千世界広しといえども、仏自ら法華・涅槃をもって南方流布の処と定む。南方の諸国の中において、日本国は殊に法華経の流布すべき処なり。」  (128・129)
 と、日本は法華経が弘まるところ、弘めるべきところの根拠として示されています。
 さらにこの処、すなわち法華経を修行するものが住む処と浄土について、述べておられます。
 「問うて云く、法華経修行の者、何れの浄土を期すべきや。答えて曰く、法華経二十八品の肝心たる寿量品に云く、
 『我常にこの娑婆世界にあり』
 と。また云く、
 『我常にここに住す』
 と。また云く、
 『我がこの土は安穏』
 と。この文のごとくんば、本地久成の円仏はこの世界に在せり。この土を捨てて何れの土を願うべきや。故に法華経修行の者の所住の処を浄土と思うべし。何ぞ煩わしく他の処を求めんや。故に神力品に云く、
 『もしは経巻所住の処、もしは園の中においても、もしは林の中においても、もしは樹の下においても、もしは僧坊においても、もしは白衣の舎にても、もしは殿堂にあつても、もしは山谷蒿ても、乃至、まさに知るべし、この処はすなわちこれ道場なり』
 と。(中略)法華・涅槃を信ずる行者は、余処を求むべきにあらず。この経を信ずる人の所住の処はすなわち浄土なり。」(129)
 と我々衆生にとっては、この世界の浄土と縁が結ばれていることが述べられています。
 ところで、法華・涅槃と一緒に提示されている『涅槃経』について、法華経の流通部分であることはこれまでもしばしばふれられていますが、ここでその関係について法華経の引用がされています。
 「涅槃経は法華経流通のためにこれを説きたもうを明かさば、(中略)法華経の現文を見るに、仏の本懐残すことなし。方便品に云く、
 『今正しくこれその時なり』
 と。寿量品に云く、
 『毎に自らこの念を作す、何をもってか衆生をして無上道に入り、速かに仏身を成就することを得せしめん』
 と。神力品に云く、
 『要をもってこれを言わば、如来の一切の所有の法、乃至、皆この経において宣示顕説す』
 と。これらの現文は、釈迦如来の内証は皆この経に尽したもう。その上、多宝並に十方の諸仏来集の庭において、釈迦如来の已・今・当の語を証し、法華経のごとき経なしと定め了んぬ。しかるに多宝・諸仏本土に還るの後、ただ釈迦一仏のみ異変を存して、還りて涅槃経を説きて法華経を卑くせば、誰人かこれを信ぜん。」(130・131)
 ここで、この土が他の土との違いとして本仏釈尊が真実教を説かれていることが重要になります。つまり、真実教である法華経が説かれていることは本仏の顕現を示すことであり、そこは浄土であり、そこに生きる衆生にとっては救済され成仏するところの証明であります。
 「法華経方便品に云く、
 『もし小乗をもつて化すること、乃至一人においてもせば、我すなわち樫貪に堕せん。この事は為めて不可なり』
 と。(中略)ただし四十余年の諸経は、実に凡夫の得道なきが故に、法華経を爾前の流通とせず。法華経において、十界互具・久遠実成を顕わし了んぬ。故に涅槃経は法華経のために流通となるなり。
 」(132)
 つまり、法華経は小乗教を説くことではない。さらに、華厳・阿含・方等・般若の四味は無得道であるから、法華経がそれらの流通にはなることはないし、法華経が十界互具・久遠実成を説きあらわした実教であるから、涅槃経は法華の流通となることを示されています。
 この『守護国家論』のまとめとしての最終部分では、法華経が留めおかれている所としてのこの土、そしてそこに生きる法華経を信じ持つ我々衆生との関係について述べられ、次のような法華経引用がみられます。
 「法華経においては、多宝・釈迦・十方の諸仏、一処に集まりて撰び定めて云く、
 『法をして久しく住せしむ』
 『如来の滅後において閻浮提の内に広く流布せしめ、断絶せざらしむ』
 と。」(134)
 宗祖にとっては、法華経によって顕現される、この土の常住不変な浄土を棄てることの恐ろしさを、謗法として多くの人々に説き示すことの意義と、そのご覚悟をまとめられたのがこの『守護国家論』です。それがさらに具体的な実践の一つとして、世に示されたのが『立正安国論』なのです。
 法華経引用に関しては、教義的な要素が多いため全体的に引用は多いといえます。とくに教主・浄土・結縁にかかわる教学的要素から、寿量品および神力品の引用が多く見られることが特色といえましょう。
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