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現宗研の調査研究ノート 教化学へのアプローチ 宗祖のご遺文にみる法華経引用について(二)
日蓮宗現代宗教研究所所長 田澤元泰
立正安国論における法華経引用(2)
前回では『立正安国論』の「文応元年本」と「広本」における『法華経』引用の比較について整理し、広本における引用の追加の箇所を提示しました。ここではその箇所の確認とその内容について検討したいと思います。なお内容の理解を得やすい意味から、おもに書き下しの文を提示しました。
なお、「 」内の文章は『日蓮聖人全集』第一巻(春秋社発行)による書き下しのものです。( )内の数字は昭和定本のページ数です。また、書き下し文の《 》内の文章は広本部分のみに引用されているものです。
一、追加された引用文について
1、
《諸の無智の人、悪口罵詈等し、及び刀杖を加うる者あらん。我等皆まさに忍ぶべし。》(1461)
の文が追加引用されています。文応元年本では悪世の中の比丘による罵詈毀辱の内容ですが、さらに具体的に、諸の無智の人による「刀杖を加うる者」の意味の引用が加えられたとうかがえます。文応元年に『立正安国論』を幕府に進献された当時は、迫害を加えるであろう相手が仏教関係者であり、広本が書かれた時には、仏教関係者や幕府関係者および一般の者からの迫害を受けられた上でのことです。さらに、伊豆のご法難、小松原のご法難、龍口のご法難そして佐渡流罪のご法難にみられるように、実際に宗祖ご自身が危害を受けたことが、大きな要素と考えられます。
2、両本とも同じ引用です。
3、広本のみに引用されています。
《法華経に云く、「薬王、今汝に告ぐ、我が所説の諸経、しかもこの経の中において法華最も第一なり」と。また云く、「我が所説の経典無量千万億にして、已に説き今説き当に説かん。しかもその中においてこの法華経最もこれ難信難解なり」と。また云く、「文殊師利、この法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中において最もその上にあり」と。また云く、「衆山の中に須弥山これ第一なり。衆星の中に月天子最もこれ第一なり。また日天子のよく諸の闇を除くがごとく、また大梵天王の一切衆生の父なるがごとく、よくこの経典を受持することあらん者は、またかくのごとし。一切衆生の中においてまたこれ第一なり」と》。(1467)
ここでは法華経の最第一に関する箇所の引用がされていて、読法の根拠となるべき教判にもとずく点が示されています。それは教判のみならず、実際にご法難を受けた事実から、法華経で説かれる難信難解が真実の教えであるという確証により、念仏法門の示す信仰のありかたとは根本的に異なる点を示されたものとみることができます。
4、広本のみの引用です。
《法華経云我不愛身命但惜無上道。》(1467)
勧持品の謁文の一節ですが、法華経弘通に対する不惜身命の覚悟が示されています。
5、
《また云く、「経を読誦し書持することあらん者を見て、軽賎憎嫉して結恨を懐かん。》(1471)
文応元年本では「法華経に云く、もし人信ぜずして、この経を毀謗せば、すなわち一切世間の仏種を断ぜん。」につづいて引用されおり、謗法による堕地獄の恐ろしさを示すための引用ですが、さらに広本では法華経の信行者に対する具体的な迫害の実例を示すために引用されています。
6、広本では引用の内容がかなり増えています。
《すなわち一切世間の仏種を断ぜん。或はまた顰蹙して疑惑を懐き、乃至、経を読誦し書持することあらん者を見て、軽賎憎嫉して結恨を懐かん。この人の罪報を汝今また聴け。》
《一劫を具足して劫尽きなばまた生ぜん。かくのごとく展転して無数劫に至り、乃至、ここにおいて死し已りてさらに蠎身を受けん。その形長大にして五百由句ならん》
《四衆の中に瞋恚を生じ、心不浄なる者ありて、悪口罵詈して言く、この無智の比丘と。衆人或は杖木瓦石をもってこれを打擲す》。(1477)
ここでも前出と同じく、迫害の具体的な事例の箇所が引用されています。また謗法による恐ろしさも強調されています。
二、文応元年本と広本のあいだ
文応元年本では謗法の恐ろしさに関する引用であり、広本では謗法の中でも危害を加えるという具体的な迫害に関する箇所が追加引用がされ、法華経色読のご自覚による体験が大きな意味を持ったことが推察されます。すでに述べたとおり、この間には宗祖にとって大きな展開を迎えるべき、四大法難があります。とくに小松原での刀杖の受難と、龍の口での難は直接命にかかわるもので、「魂魄佐土の国にいたりて」と語らせたほどのものでした。なお、佐渡流罪と宗祖の法華経色読のご自覚による真言密教への展開については多くが論じられていますので、ここではこれ以上の検討は控えたいと思います。こうした経緯から推察するに、宗祖はそれまでにはなかった真言密教批判が大きなテーマとなり、『立正安国論』においても引用が加えられたと考えられます。
三、『立正安国論』にみる真言批判
『立正安国論』の中で、真言密教批判が示されているのは、すべて広本にて書き加えられたものであり、次の箇所です。
1、第五問答の主人の答えの中で
《具に事の心を案ずるに、慈恩・弘法の三乗真実一乗方便・望後作戯論の邪義にも超過し、光宅・法蔵の涅槃正見法華邪見・寂場本教鷲峰末教の悪見にも勝出せり。大慢婆羅門の蘇生か、無垢論師の再誕か。毒蛇を恐怖し、悪賊を遠離せよ。破仏法の因縁・破国の因縁の金言これなり。……》
の文句が加えられています。ここでは慈恩による三乗真実一乗方便の論に対する批判と併記して、弘法に対して望後作戯論と名指しで批判されています。ただしこの他にも、光宅寺法雲の涅槃正見法華邪見論や、法蔵の華厳根本法華枝末論に対しての批判も同時におこなわれており、念仏法門のみならず、法華最第一を歪める諸説やその論者に対する批判として述べられています。
2、第九問答にて客人の領解として述べた中で
「法水の浅深」の後に
《顕密の浅深》
の一文が加えられ、さらに
《真言・法華の勝劣を分別し》、
と、勝劣論による法華経の優位が示され、
《一乗の元意を開発せん》
と、法華経を弘める必要の領解が強調されています。
以上、『立正安国論』全体からみればけしてその占める割合は多くはありませんが、真言密教への批判が明確になっていることは確認できます。少なくとも、文応元年本での念仏法門批判の意味合いから、真言をはじめとする他をも含めたものへと大きく展開されたといえます。法華経の引用の追加に関係していることからも(本来ならば、他経典等の引用の比較も検討すべきとは思いますが、ここでは略します。)宗祖にとって弘安本を記された意味は、単なる書写上の補填とは言えない大きな意味を待つものと推察されます。その原因の一つは先に述べた、命にもかかわった重大な法難でありますが、その他にも重要な要素があります。
四、広本執筆の背景
それは幕府の対応に対する宗祖の期待のおおきな変化です。それは幕府に対する失望とも言えましょう。最初に『立正安国論』を幕府に進献されたときは、宗祖にとっては法華一乗を用いるとの期待もあったと思われます、しかし佐渡流罪中に幕府は蒙古の侵攻に対する不安から、国家安穏のため蒙古調伏の祈祷を、法華にては行わず、真言の祈祷にて行いました。蒙古来襲の実現より、佐渡流罪が許され、さらには二回目の来襲が目前に迫っているにもかかわらず、いっこうに法華経信仰を受け入れようとしない、幕府に対しての失望であり、その大きな要因が念仏からさらに真言密教であると受け止められ、批判の対象を大きく展開せざるをえなかったといえます。
もう一つ決定的な事件があります。それは時輔による内乱の動きでした。『立正安国論』で予見され、蒙古襲来の他に示された、「自界叛逆の難」の事実です。鎌倉を去って身延に入られた宗祖にとって、このように憂慮すべき現実が次々と起こっている不安は、すでに予見されている以上、その深刻さはおおきなものでありました。
宗祖はお弟子やご信者の不安や悩みに接するたびに、お手紙を出され、消息文として今日まで多くが伝えられていますが、その都度破認され基本とされたのが『立正安国論』でした。今日分かるだけでも宗祖のご真蹟は
1、中山本、文永6年12月8日
2、身延本、現在消失しているが記録あり。
3、本国寺本、建治から弘安にかけて書かれた。一般に広本とよばれている。
4、真間切本、断片としてその存在が知られている。
この他に、幕府等に進献したものとして、
5、文応元年7月16日、最明寺時頼にあてたもの。
6、文永5年10月11日、時宗にあてたもの(十一通御書のとき)。
7、文永8年9月10日、平左衛門尉にあてたもの(一昨日御書に示されている)
8、この他に、宗祖ご自身が所持されていたもの。
以上の状況から察すると、少なくとも8度は書かれたものと思われます。おそらくこの他にもお弟子やご信者に与えられたものもあったと考えられます。いずれにせよ、「広本」と呼ばれている建治から弘安にかけて書かれたものはそうした何度か書かれた上でのものであります。
五、『立正安国論』と立正安国のご精神は一体のもの
「宗祖のご生涯は『立正安国論』によってはじまり、『立正安国論』にて閉じられた。」といわれますが、まさにご生涯において、布教の原点として常に位置づけられていたといえましょう。たまたま今日ではご真蹟として現存するものでしか比較できず、わずか五箇所の法華経引用の追加の部分と、二箇所の真言密教批判のご文章の追加の箇所を通してしか検討できませんでしたが、時に応じて書き写され、必要に応じて書き加えられたものであったことは十分に推測できます。宗祖の立教開宗時におけるご誓願、ご法難による法華経色読のご自覚と、予見の現実化、多くの人々の不安と悩みへの共苦等々、その都度『立正安国論』にて発せられた立正安国のご精神が布教教化の中軸をなしていたのです。『立正安国論』と「立正安国のご精神」を分けて捉えるべきではないと思います。また一部で言われるように、鎌倉幕府に対して念仏法門批判のためだけに書かれたものではなく、謗法を改め正法を弘めるためのものであり、幕府に諌言するためだけのものではなく、常に書き続けられ、ご生涯のささえであったものとして受け止めていただきたいと思います。
新しい宗門運動が展開されるにあたり、全国で『立正安国論』の拝読がすすめられていますが、テキストとして提示された文応元年本のみに限定せず、是非ともこうした広い視野で拝読されることをおすすめいたします。
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