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現宗研の調査研究ノート 教化学へのアプローチ 宗祖のご遺文にみる法華経引用について(一)
日蓮宗現代宗教研究所所長 田澤元泰
立正安国論における法華経引用(1)
(文応元年本)と(広本)における『法華経』引用の比較について
これまで日蓮聖人がご遺文で述べておられるなかで、その根拠として引用されている法華経についてどのような違いがあるのか調べるために、法華経の文句から検討してきました。宗祖が書きあらわされたご遺文には、それぞれの主題があります。つぎにそのテーマーに添って法華経引用の側面からいかなる特色があるのかを検討したいと思います。
まずはじめに『立正安国論』からみてみることにしました。立正安国論は幕府に対する諌言の書ですから、信徒に直接教化される上でのご文章ではありませんが、ご生涯を決せられた重要な意味をもつものとして、いかなる引用がされているか調べてみました。
全体の分量からくらべると、法華経の引用は大変少ないことが印象的です。しかも、幕府に進献されたものとほぼ同じとものとみられる、文応元年のものにたいして、のちに書き写されたとされる「広本」と呼ばれる弘安年間のものは、真言批判の内容が書き加えられています。また、法華経引用にも書き加えがみられます。引用の部分のみを一覧の形で書き出してみました。はじめは文応本で、その次が広本の順となっています。
なお、「 」内の文章は『日蓮聖人全集』第一巻(春秋社発行)による書き下しのものです。( )内の数字は昭和定本のぺージ数です。
また、書き下し文の《 》内の文章は広本部分のみに引用されているものです。両者の引用の比較の参考にしてください。
一、傍線の部分が広本には追加引用されています。
法華経云悪世中比丘邪智心諂曲未得謂為得我慢心充満。或有阿練若納衣在空閑自謂行真道軽賤人間者。貪著利養故与白衣説法為世所恭敬如六通羅漢。
乃至常在大集中欲毀我等故向国王・大臣・婆羅門・居士及余比丘衆誹謗説我悪謂是邪見人説外道論議。濁劫悪世中多有諸恐怖悪鬼入其身罵詈毀辱我。濁世悪比丘不知仏方便随宜所説法悪口而顰蹙数数見擯出[已上]。(214)
法華経云有諸無智人悪口罵詈等及加刀杖者我等皆当忍。悪世中比丘邪智心諂曲未得謂為得我慢心充満。或有阿練若納衣在空閑自謂行真道軽賤人間者貪著利養故与白衣説法為世所恭敬如六通羅漢。
乃至常在大衆中欲毀我等故向国王・大臣・婆羅門・居士及余比丘衆誹謗説我悪謂是邪見人説外道論義。濁劫悪世中多有諸恐怖悪鬼入其身罵詈毀辱我。濁世悪比丘不知仏方便随宜所説法悪口而顰蹙数数見擯出云云。(1461)
「《諸の無智の人、悪口罵詈等し、及び刀杖を加うる者あらん。我等皆まさに忍ぶべし。》
悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、いまだ得ざるをこれ得たりと謂い、我慢心充満せん。或は阿練若に、納衣にして空閑にあり、自ら真の道を行ずと謂うて、人間を軽賎する者あらん。利養に貪著するが故に、白衣のために法を説きて、世に恭敬せらるること、六通の羅漢のごとくならん。乃至、常に大衆の中にあって、我等を毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・居士、及び余の比丘衆に向って、誹謗して我が悪を説きて、これ邪見の人、外道の論議を説くと謂わん。濁劫悪世の中には、多く諸の恐怖あらん。悪鬼その身に入って、我を罵詈毀辱せん。濁世の悪比丘は、仏の方便、随宜所説の法を知らず、悪口して顰蹙し、数数擯出せられん」と〈已上〉《云云》。
二、両本とも同じ引用です。
法華経第二若人不信毀謗此経乃至其人命終入阿鼻獄誡文者也。(216)
法華経第二若人不信毀謗此経乃至其人命終入阿鼻獄誡文者也。(1464)
「一代五時の肝心たる法華経の第二の「若人不信毀謗此経、乃至、其人命終入阿鼻獄」の誡文に迷う者なり。」
三、広本のみに引用されています。
法華経云薬王今告汝我所説諸経而於此経中法華最第一。
又云 我所説経典無量千万億。巳説・今説・当説而於其中此法華経最為難信難解。
又云文殊師利此法華経諸仏如来秘密之蔵。於諸経中最在其上。
又云衆山之中須弥山為第一。衆星之中月天子最為第一。又如日天子能除諸闇又如大梵天王一切衆生之父有能受持是経典者亦復如是於一切衆生中亦為第一。(1467)
《法華経に云く、「薬王、今汝に告ぐ、我が所説の諸経、しかもこの経の中において法華最も第一なり」と。また云く、「我が所説の経典無量千万億にして、已)に説き今説き当に説かん。しかもその中においてこの法華経最もこれ難信難解なり」と。また云く、「文殊師利、この法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中において最もその上にあり」と。
また云く、「衆山の中に須弥山これ第一なり。衆星の中に月天子最もこれ第一なり。また日天子のよく諸の闇を除くがごとく、また大梵天王の一切衆生の父なるがごとく、よくこの経典を受持することあらん者は、またかくのごとし。一切衆生の中においてまたこれ第一なり」と》。
四、広本のみの引用です。
法華経云我不愛身命但惜無上道。(1467)
五、傍線部分が加えられています。
法華経云若人不信毀謗此経即断一切世間仏種。乃至其人命終入阿鼻獄[已上](222)
法華経云若人不信毀謗此経即断一切世間仏種。
又云見有読誦書持経者軽賤憎嫉而壊結恨乃至其人命終入阿鼻獄[已上経文](1471)
法華経に云く、「もし人信ぜずして、この経を毀謗せば、すなわち一切世間の仏種を断ぜん。《また云く、「経を読誦し書持することあらん者を見て、軽賎憎嫉して結恨を懐かん。》乃至、その人命終して、阿鼻獄に入らん」〈已上〉《已上経文》。
六、傍線部分が追加された部分です。広本では引用の内容がかなり増えています。
法華経第二云若人不信毀謗此経乃至其人命終入阿鼻獄。
又同第七巻不軽品云千劫於阿鼻地獄受大苦悩。(226)
妙法蓮華経第二云若人不信毀謗此経即断一切世間仏種。或復顰蹙而懐疑感
乃至見有読誦書持経者軽賤憎嫉而懐結恨。此人罪報汝今復聴。其人命終入阿鼻獄。具足一劫劫尽更生。如是展転至無数劫
乃至於此死已更受蠎身。其形長大五百由旬。
同第七云四衆之中有生瞋恚心不浄者悪口罵詈言 是無智比丘。衆入域以杖木瓦石而打擲之。千劫於阿鼻地獄受大苦悩[已上]。(1477)
法華経《妙法蓮華経》第二に云く、「もし人信ぜずして、この経を毀謗せば、乃至《すなわち一切世間の仏種を断ぜん。域はまた顰蹙して疑惑を懐き、乃至、経を読誦し書持することあらん者を見て、軽賎憎嫉して結恨を懐かん。この人の罪報を汝今また聴け。》その人命終して、阿鼻獄に入らん。《一劫を具足して劫尽きなばまた生ぜん。かくのごとく展転して無数劫に至り、乃至、ここにおいて死し已りてさらに蠎身を受けん。その形長大にして五百由旬ならん》」と。
また同第七巻不軽品《同第七》に云く、「《四衆の中に瞋恚を生じ、心不浄なる者ありて、悪口罵詈して言く、この無智の比丘と。衆人或は杖木瓦石をもってこれを打擲す》。千劫阿鼻地獄において大苦悩を受く」と《已上》。
以上、煩雑気味ではありますが、法華経引用部分の比較をしてみました。これらの違いから何が推察されるかについては、まずは佐渡流罪以前と流罪以後による、大きな変化が考えられます。それは真言批判が書き加えられたことからうかがい知ることが出来ますが、次回は教化的な側面からの推察を試みたいと思います。
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