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現宗研の調査研究ノート 教化学へのアプローチ
日蓮宗現代宗教研究所所長 田澤元泰
集団の叡智と教化学
一、群れることの不思議
地球上の不思議な現象について論じた『アースワークス』(ライアル・ワトソン著)という本の中に、こんな現象が紹介されています。ムクドリなどが集団で飛んでいる様子を見ていると、鷹のような捕食動物が現れると突然方向を変えたりする際に、実に上手に、あたかも全体が一羽の生き物のように秩序ある動きをしています。しかもりIダーというものがなくて、その都度、先頭の鳥が入れ替わっている、とのことでした。実際にそうした様子を、この目で確かめたこともありました。鰯などの魚の集団にも、同じことがいえます。集団が動くとき、指導者によって方向が示されると思いがちですが、最後に泳いでいた魚が急に先頭集団に位置したりします。それでは暴走しているのかといえば、そうではないようです。魚の群れなどは、危険を察知した時点で瞬間に群れの方向転換ができます。鳥や魚の群れがそうしているからといって、彼らが高等数学や力学の原理を理解しているわけではありません。ある原則に添って、行動しているようです。それは、「皆のより大きな幸せのために力を寄せ合う」式といわれ、太古の昔から行われており、常識では考えられないような成果ももたらしてきた、ということです。
二、集団の叡智
人間による集団の意思決定に関して、こんな事例があります。『みんなの意見は、案外正しい』(ジェームズ・スロウィッキー著)の序文で紹介されていることですが、一九六八年五月、アメリカ海軍の潜水艦が消息を絶って、三二キロ四方、深さ数千メートルの広い範囲を探索することになりました。あらゆる情報をもとに、潜水艦や海流に関する精鋭の専門家による位置の予想も始められました。同時に、別の方法として、ある実験が行われました。数学者、潜水艦の専門家、海難救援隊など探索とは直接関係の無い、いろいろな専門家を集め、沈没した地点程度の情報だけで、意見交換をして結論を出すかわりに、個別に判断して個別に情報を提供してもらうことにしました。それらの情報をすべて集約して、確率論の手法を使って位置を算出しました。しかし、各メンバーでその結論に達した者は一人もいなかったそうです。すなわち集団全体としての集合的な意見であって、優秀なメンバーの判断が反映されたものでもなかったのです。各メンバーは、そんな結論が出るなど予測すらしていませんでした。ところが結果として、その結論の示した位置は、実際の位置と二〇〇メートルしか離れていませんでした。海中探索という限定された、しかも専門的な情報交換がさかんに行われた精鋭チームよりも、優れた結果が出せたというのです。
三、賢い集団の条件
しかし現実には、烏合の衆といわれる状態も数多く見られます。一般的にはその方の印象が強くて、小数の限られた優秀な指導者が求められているのも事実です。集団が少数の指導者の判断よりも優れた結果をもたらす、つまり集団が賢くあるために必要な条件として。
一、多様性
二、独立性
三、分散性
四、集約性
の四つがあげられています。
多様性とは、各人が独自の私的情報を多少なりとも持っていること。独立性とは、他者の考えに左右されないこと。分散性とは、身近な情報を特殊化して、利用できること。集約性とは、個々人の判断を集計して集団としての判断にするメカニズムをもつこと。以上が、必要不可欠な条件となります。
これらは個々人の性格のありようともいえますが、実際に維持しつつ行動するためには、ある種の訓練が必要かと思われます。現在の一般教育は、その逆を目指しているともいえます。
四、教化研究会議の可能性
現代宗教研究所の研究調査活動の一つとしてはじめた教化研究会議は、この「賢い集団」をめざした会議といえます。各教師がお互いを尊重しつつ、ある特定の価値観を押し付けることなく、自由に布教の現場の経験をもとに、問題を提起し経験を出し合える場面をつくってまいりました。まだまだ完成されたものとはいえませんが、そうした状況の中で参加し必要な条件を話しあい、積み上げてきたといえます。特に分散会方式によって、より多くの発言を促すことに重点を置いてきたことは注目に値するといえましょう。全十一教区にて平均百名の参加者がいるとすれば、毎年千人を超える教師から自由な立場での情報を得ることが出来るわけです。
しかし、問題点もあります。次第に、教化研究会議の特色が失われつつあることです。つまり、講習会化する傾向が目立ってきたことです。講師による問題提起は大切なのですが、講義を聴いて質疑することに時開が割かれ、分散会への認識が薄れたり、開かれない傾向がみられます。
もう一点は、教化研究会議はただ意見を述べるだけで、言いっぱなしではないかという不満です。何かをまとめなくては、具体的な行動に繋げなくては、という要求です。情報を出し合うことの重要さが、理解されにくくなっています。参加者自身がその場で何らかの成果を期待して、他の情報をそこで取捨選択してしまうことです。
さらに問題点は、今のことと関係しますが、先ほどの条件の四番目である「集約性」についてです。会議のなかではそれなりのまとめをしていますが、全体の報告書的なものが出されないために、成果として見えにくいことがあります。このところが、他で行われている会議と異なるところです。教化研究会議で話し合う意味は、参加者自身が会議の中で考えをより深く変えて行くということなのです。一つの教化研究会議を一つの集団と考えたときに、全体の中の一人として、ときには大きな方向転換、発想の転換が、個のなかで起こることを期待していることでもあるのです。
五、新たなシステムとしての教化学
長年にわたって教化研究会議が積み重ねられてきたうえ、今日のように宗門が新たなる運動を展開しようとする時には、情報を収集し、集約して、方向性を示す必要があります。それが、現宗研の大きな課題といえましょう。今一番必要とされているのは、そのためのシステムです。それこそが、現宗研の大きな課題ともいえる教化学そのものなのです。
そのためにも、教化研究会議の意義を今一度見つめなおし、本来の目的にそった会議であるようお互いに構築し、より多様で独自性のある情報を多く引き出せるよう、主催者側の知恵と運営の工夫、各教師の理解と多くの参加が求められているのではないでしょうか。そうした中から、教化学を体系化してゆきたいと思います。
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