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現宗研の研究ノート 「人はふるまいを見ている」
日蓮宗現代宗教研究所主任 伊藤立教
本化律最後の律僧
『本化律最後の律僧 山本日諦上人の研究』という本が、送られてきました。愛知県岡崎市・圓頓寺住職内藤潮洲師が昭和63年に発行し、平成12年に増販(原文のまま)されたものです。本年2月28日の第30回京浜教区教化研究会議で草山元政上人を取り上げることがわかったころに送られてきたことに「不思議」を感じ、内容を講評で紹介するつもりでいましたが、日程の都合で時間がなくなりましたので、前掲書をもとに、山本日諦上人の事跡をご紹介します。
戒律を守る
山本日諦上人は、草山元政(そうざんげんせい)・本妙日臨(ほんみょうにちりん)・優陀那日輝(うだなにちき)・新居日蔭(あらいにっさつ)各聖を継いだ、本化律最後の人です。
日輝和上の充洽園(じゅうごうえん)で元政上人弟子日燈(にっとう)上人の『草山清規(そうざんしんぎ)』を読み、戒律を守ることを誓いました。日蔭上人の鶏渓精舎(けいけいしょうじゃ)で元政上人の『草山要路(そうざんようろ)』を読み、清澄山で懺悔行生活に入りました。
元政上人有縁の深草(ふかくさ)、日臨上人有縁の雨畑(あまはた)は適地と思われず、身延・内船(うつぶな)の瀧山(たきやま)で修行を始めました。そのふるまいを見て、村人が帰依し、今日蓮(いまにちれん)といわれました。
戒を持つ苦行により、教団の罪を贖(あがな)おうとしたのが特徴です。−瀧山律
日臨上人の「表具の裏打ち思想」を旗印に、教団の表は諸山の官憎にまかせ、自らは表具の裏打ちに徹し、本化正統(ほんげせいとう)の教団を愛しました。
われ身命を愛さず、ただ無上道を惜しむ
明治5年制定の戸籍法に対し、「仏門に入りては俗籍不要」として従わず、百日間投獄されました。弟子信者も捕らえられ、共に笞(むち)打たれました。25歳で発願した十年修行中の、32歳の時でした。
「無籍の罪は身命に及ぶとも、本懐の到り。身命は軽く、仏制は重きが故に」という、我不愛身命但惜無上道の法華経文色読。
35歳で十年修行を成満、無位無冠ながら、明治8年の本山会議に招かれました。請われて小湊誕生寺の貫首となりましたが、墨染めの衣で通しました。
池上本門寺・身延山久遠寺の住職にも請われましたが、草山の遺風を守るため、断りました。
九州と山口県に8ヶ寺を開削、廃仏毀釈に関わった寺14ヶ寺を復興しました。
生涯を通して、弟子と同じ食事をとり、弟子に厳しく、人に親切な、短躯(「メ」の部分が「品」)で温雅な人でした。
悪いことをするな、善いことをせよ
福岡県北九州市小倉・龍潜寺山門石碑に、「諸悪莫作 諸善奉行」とあるのが、山本日諦上人一代の信行を表しています。
明治政府の仏教弾圧政策は廃仏毀釈として知られていますが、戸籍法違反で投獄された日蓮宗僧俗がいたことは、初めて知りました。
幕末の天保12年(1841)に現在の北九州市八幡東区前田の農家で生まれ、明治38年(1905)に64歳で亡くなった山本日諦という清僧の、法臈53年の実話です。
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